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2009/02/28

まあ、あるある

2/27

保育実習後の指導で大学に向かう。
今日は、この仕事だけなので研究を進めようと思っていた。

と思っていた訳だ。
ところが、まあ、あるある。
そうか、これもこれも、はいはい。

うりゃあああああ、っと事務仕事を片付けなければならないのは、どの校種も変わらないのだねえ。

今年の花粉症は目に来ているので、パソコンの仕事は結構つらいが、まあ仕方がない。目を洗いつつやるべし。

家に帰ったら、娘が食事をしていた。
え、もうそんな時間か?
と思ったら、いつもよりちょっと早めの食事だとのこと。

少し生活のリズムが変わってきたかな。

2009/02/27

第14回全国中学・高校ディベート選手権の論題

第14回全国中学・高校ディベート選手権の論題が発表された。

【中学】「日本はすべての乗用自動車を電気自動車に切り換えるべきである。是か非か。」

【高校】「日本は国会を一院制にすべきである。是か非か。」

である。
ディベート甲子園の今シーズンが、今日からスタートである。

今年も、仲間たちとの切磋琢磨を通して、自らの人間的な成長が具現化される生徒諸君のディベートへの取り組みを応援したい。

「伝える極意」第20回の放送のお知らせ

番組のプロデューサーさんからメールが来ました。
4回出演させていただいたこの番組も、これが最終回となります。
家本芳郎先生のふるさとである、横須賀で収録できたことは、私にとって大きな喜びでした。良かったらご覧下さい。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「伝える極意」第20回の放送のお知らせです。
周りの方にも紹介して下さい。
よろしくお願いします。

「わたしのことを知ってください〜スピーチ〜」
本放送:平成21年3月 3日(火)10:00〜10:15 NHK教育テレビ
再放送:平成21年3月10日(火)10:00〜10:15 NHK教育テレビ

○内容
クラス替えを目前にした神奈川県横須賀市立船越小学校の3年生が、自己紹介に挑戦します。
極意を教えてくれるのは京都橘大学の池田修さんです。
何を話すかを探すためには、自分自身を見つめ直さなければなりません。
それは「3年生にでもできること」と池田さんは言います。
かつて、名前しか言えなかった竹園さん。
自分のことを話して、笑われてしまうのがこわいという佐久間さん。
そんな2人が、池田さんの極意を使って聞く人を笑顔にさせる自己紹介ができるようになります。

○池田流 自己紹介の極意
1)自分を見つめ直す
2)相手が聞きたいことを話す
3)笑われることを気にしない

引用終了 ーーーーーーーーーー

明日の教室 今年前半の予定

日程だけでもということで、調整を進めていた明日の教室ですが、今年前半が全て決まりました。スケジュールに書き込んでいただければと思います。

5/23 野中信行先生 その他交渉中
6/13 赤坂慎二先生
7/4   有田和正先生

5/23は、「明日の教室」出版記念で何か出来ないかと考えております。

あ、それから「月刊国語教育」(東京法令 2009/3)に「明日の教室」の記事が載っています。っていうか、私が書きました。良かったらご覧ください。

明日の教室を担う若き教育者のために、これからも「明日の教室」では、日本一の方をお招き続けます。

少し命の洗濯もできたし

おにぎりを作って市内に出かける。市内の新しい観光スポットや老舗を見て歩く。

梅小路公園は、電車好きには有名な梅小路蒸気機関車館がある。この公園には蒸気機関車も毎日走っている。2011年には内陸型水族館では日本最大規模の水族館も出来る。

Imgp3062

梅の花と、オオイヌノフグリが咲いていた。
奇麗だねえ。Imgp3078

Imgp3039

その後、北野天満宮へ。
梅小路公園からそのまま北に車で10分ほど上がれば到着である。
もちろん、ここは学問の神様。修学旅行生もたっくさん来ている。

梅は満開かと思いきや七分とのこと。有料の梅花園に入らなくとも境内の梅で満足できたので、それまでとする。

ではあるが、梅の香りはさすがであった。花粉症でマスクをしている私であっても香ってきた。ああ、世の中に絶えて花粉症のなかりせば、春の心はのどけからまし、である。

Imgp3106

Rimg0209 学生たちの採用試験合格を祈念する。

さらに勢いで今宮神社へ。
娘の病気の快癒のお礼と私の耳の快癒のお願いである。
ほとんど人はいなかった。西日が当たって美しかったなあ。

今宮神社といえば、あぶり餅である。
一人前500円であるが、これで二人は十分である。
お茶を頂き、暖かい部屋で食す。

さて、これをどうやって授業に作り上げて行くかだな。
まだまだ資料が足りないので、これからも市内の新しい観光スポットや老舗を見て歩く必要があるが、授業づくりってのは手間ひまがかかるものだ。

少し命の洗濯もできたし、良い1日だったな。

2009/02/25

学内の梅は満開

2/25

会議が二つ。
その後、学生の保育実習事後指導の1日。

学生たちは、保育実習を10日間やったわけだが、その後の指導という訳だ。頭で分かることは大事である。しかし、頭だけで分かっていても体が動かないとダメだ。教育の現場は常に具体なのである。

学生たちは、そのことを実感していた。さらに勉学に励みたまへ。成長を期待する。

その合間と、その後に事務仕事。
あれこれあれこれ。
いやあ、授業がなくても仕事があるのは、どの校種も変わらない。

ただ、さすがに授業がないので授業の準備とまとめのない分、早く帰れる。しかし、1日の過ぎるのが早いなあ。学内の梅は満開。良い香りの中を駐車場へと向かう。

明日は、早春の京都の風景を愛でに私も行けるかな。
実質は仕事なんだけどf(^^;。

ほろっとしてしまった

いろいろと用事もあったのだが、お断りして、オフ。

この一ヶ月ほど、私のインフルエンザやNHKの収録、採点などがあって休むことは出来なかった。が、もっと休めなかったのが奥さん。娘と付きっきりだ。これは、大変。

私が娘の面倒を見るので、どこか行っておいで、ということでオフなのである。

奥さんは一人で京都市内へ。

私は娘の午前中の昼寝、お昼ご飯とお付き合いし、午後からは近くの公の室内子ども遊び場に連れて行った。

滑り台に乗っては落ちてくるのを楽しむ娘を見て楽しむ。
所構わず何回も、「おとーたん!」と叫ぶので、『は〜い』と所構わずその度に手を挙げて返事をする私。娘は満足そう。

駐車券を車の中に置いてきてしまったので、施設の人にちょっと見ていてくださいと行って5分ほどその場を離れる。戻ってみると、玄関のところで施設の人に抱えられて大泣きであった。はい、箱入り娘なのである。

ほろっとすることがあった。

施設の中に木の小さなボールで満たしたプールのようなところがある。そのプールには滑り台があって、滑り台の上のところには、そのボールを入れる塔のようなものがある。この塔にボールを入れると、空洞の中に仕掛けられた木片にぶつかり、いろいろな音がするのだ。

娘は、最初その滑り台の上のところに最初からあった木片を入れて遊んでいた。そのうちに、木片が無くなったので私が下から拾ってあげていたのだが、ちょっと止めたら自分で滑り台を下りて、一つ二つと握ってまた昇って入れていた。

(そうだよな、自分でできることは、自分でさせたほうがいいよなあ)
と見ていた。

実はそのときには3歳ぐらいの女の子が、お父さんに下に落ちたたくさん木片を拾って貰ってガラガラ遊んでいたのだが、娘は律儀に自分で一つ二つと拾ってやっていた。

そのうち、娘はそのお姉さんの木片の固まりから貰っていれることを覚えた。だが、お姉さんはちょっと嫌な顔をしている。あたり前だ。

『ほら、勝手に人のを取って遊んではダメでしょ。ごめんなさいは?』

と娘を注意したところ、娘はぴたっと動きを止めて、泣きそうな顔になる。大きな声で言った訳ではないのだが、そんな顔になって私に抱っこを求めてくる。

『はいはい。ごめんなさいをしようね』

と一緒に謝る。女の子はちょっと笑顔になる。

この先の行動に私は驚いたのだ。

娘はまた滑り台を下りて、一つ二つと木片を拾う。そして、滑り台を下からよじ上る。

(また、自分でやるのを思い出したかな)

と見ていたところ、娘は塔の中にそれを入れることはせずに、お姉さんが持っている木片の籠の中に、一つ、二つと木片を返したのだ。びくりしてみていた、また滑り台を下りて、一つ二つと木片を拾う。そして、滑り台を下からよじ上り、籠に返す。これを3回ぐらいやっていた。

ほろっとしてしまった。
優しい子に、愛される子どもに育ってほしいなあと思う。

遊んだものを片付けて、おしまいとなる。
娘は、なぜか片付けが大好き。これは私に似ていない。
施設の扉がちょっとでも開いていると、きちんと締めて回る。

家に帰って、手を洗って風呂のスイッチを入れて、午後のお昼寝。これも一緒につきあう。

娘より少し早く起きて、家の中のあれこれをやろうとしたら一緒に起きてしまった。うーむ、片付けが出来ない。仕方がない、一緒に風呂に入るか。

ということで奥さんが帰宅。
こりゃあ、大変だ。
どこで家事をしているのかと思う。

久しぶりに娘と1日で私は楽しく、娘も満足。奥さんも満足かな。

2009/02/24

発見 冬のフルーツビール

初夏のフルーツビールとしてこの数年私は、「桃ビール」を主張してきた

そして、これに続くフルーツビールを開発しようとして、梨、スイカ、イチゴなどで挑戦してきた。しかし、ことごとく苦汁を舐めてきた(実際は、ビールの苦さだが)。

しかし、この冬である。
とうとう桃ビールと同じレベルの、フルーツビールを発見した。リンゴビールである。しかも、非常に簡単である。

リンゴビールの作り方

1)ビール350ml リンゴ1/2〜1個
2)リンゴは擦り下ろして、和手ぬぐい等で果汁と滓に分ける。
3)グラスにリンゴ果汁を注ぎ、お好みの分量のビールを入れる。

以上。

注意点

1)リンゴ果汁は、最初は少なめに入れて加減を見る。
2)泡が立ちやすくなります。気をつけて。

私はいま、キリンザゴールドとサンフジの組み合わせで、うまうまであります。

場合によっては、レフブロンドのような味わいを楽しめます。場合によってはというのは、リンゴのクオリティによります。蜜が入っているリンゴの方が良さそうです。

リンゴの種類やビールの種類を替えると、さらにいろいろと発見がありそうで、楽しみです。

お楽しみ下さい。

物語欲求が顔をもたげる

コミックの一気読みを続けている。『賭博黙示録カイジ 全13巻』(福本伸行)を読み終え、いまは『Dr.コトー診療所』(山田貴敏)を11巻まで読み終えている。

連載を追いかける読み方も面白いのだが、連載が終了し一つの固まりとして作品が確定し、評価が確定している作品を一気読みするのも面白いものだ。

『賭博黙示録カイジ』は、その絵柄がダメな読者もいるだろう。私がそうだった。が、気になる話でもあった。

私は、競輪競馬麻雀パチンコなど、一切の賭け事はしない。なんつーか、ほら賭け事はどう考えても胴元が一番儲けるわけだし、そんなところに時間をかけ、元手を張るなんてのは、興味がわかないのである。

それよりは人生のチャンスにあれこれ挑む方が面白いと思うタイプなのである。

だが、自分が興味がないということと、賭け事がどういうものかということを知ることに興味がないということは別のことである。そういう意味では、この漫画は面白い。私にはあり得ないであろう世界を描いている訳であるから。

この漫画から分かることは、賭け事は感情と論理の両方のコントロールができない者は、足を突っ込むべきではないということである。

物語は、かなりあり得ない設定で描かれているが、物語や小説でも言えるように大きな嘘(設定)は、ありなのである。その大きな嘘は、真実を語るための枠組みでしかない。大事なのは、真実の方である。この真実がきちんと描かれているかどうかで物語や小説の価値は定まる。

(こんな状況ないよな)
(でも、ひょっとしたらあるかもしれない)

と思わせる大きな嘘を描くことが、ストーリーテラーの才能の見せ所である。『賭博黙示録カイジ』は、ここに成功し、人間の真実の一面を描くことに成功していると言えるだろう。

あるときすっと物語欲求が顔をもたげるのだ。

9時過ぎに帰宅

午前中は原稿書き。
やっと仕上がった。
図書文化社から出る一冊である。

梶田先生と甲斐先生が編集代表になっているのである。5月の末に出版予定である。執筆陣も豪華である。多分私はヤンゲストではないかと思う。力むことなく等身大の私が書けることを書こうと思って取り組んだ。これでゲラをもとに校正すれば、仕上がりである。

午後からは、研究室で打ち合わせ三連発。
新入生キャンプの業者さん、四月の講演、明日の教室DVD作成についてである。

このところの打ち合わせは、現状から未来に向けて何かをつくり出そうとするために行うことが多い。これが心地よい。

9時過ぎに帰宅。
ちょっと娘と遊ぶ。
私はこのところ、聞きまくっているChet Bakerを流しながら、1日をあれこれ振り返る。

明日は、久しぶりのオフになりそうだ。

2009/02/23

このタイミングの見極め

『子どもの行動には、理由がある』

と大学の授業では話す。
子どもが何かをしたとき、その行動、その事実には理由がある。だが、多くの場合理由を考える前に、その行動、その事実の評価をしてしまう。

忘れ物一つにしても、忘れ物をしたという事実だけを取り上げて、その子どもが忘れ物をした理由、またはせざるを得なかったかもしれない理由を考えることなどをしないで指導することがある。

『だから、その理由を考えることが大事なのだ』

と、話すのではあるが、これは実際のところなかなか難しい。二つの点で難しい。

1)理由が分からない。
2)理由が分かった場合、その部分をどのように加味して指導するのかが曖昧になりがちである。

ということだ。ま、実際のところは育てたい子どもの姿と、目の前の子どもの様子と、先生の指導の力量で変わって行くものだと思うが、難しい。

娘だってそうだ。

大学に向かうとき、忘れないようにと携帯電話をデイパックのサイドネットに入れた。こうすれば、すぐに取り出せるし持ち歩いているかそうでないかがすぐに分かるからである。

で、行こうと思ったら娘がその携帯電話を取り出した。
(あちゃあ、遊び始めるかな? 電源を切っていないから電磁波が危ないぞ)
と思って、取り上げなきゃなとしていたら、娘はひょこひょこ歩いてきて、私に手渡してくれた。

『を〜〜〜〜、ありがとう。賢いなあ』

頭を撫でると、娘は嬉しそうに誇らしげに笑顔になった。娘の行動は、
(お父さんが携帯電話をここに忘れているから、渡してあげなければならない)
という思いからなのだろう。

『ダメだよ』

というタイミングがあと1秒早かったら、褒めてあげられなかったなあ。

育てるためには、このタイミングの見極めが大事だ。
だが、これが難しいんだなあ。

シャワーの理由

2/23

娘の鼻がモゴモゴ言っている。鼻水が乾燥して固まっているのだ。夜、寝かせていると息苦しそうにいびきをかく。

綿棒でこちょこちょやったり、鼻水吸い取り器でやったりしているのだが、乾燥している鼻水には利き目がない。

一緒にお風呂に入るときに、頭からシャワーを掛けると鼻に水が入ってしまうことがあり、その結果鼻水が柔らかくなって取りやすくなることがあった。

そこで、娘が遊んでいるバケツを取り上げて、頭から掛けて鼻水を柔らかくしてしまおうと思った。

『はーい、ここにかけてごらん』
「あーい」
と持ち上げさせておいて、バケツに入っているお湯を娘の頭からかけた。

すると、娘は何があったのか分からない様子でこちらを見る。
見るというよりは、睨む。

(あー、しまった)
と思った。
信頼していたお父さんが、訳の分からないことをしたので睨んでいるのである。

慌てて謝って話しかけた。

『あのね、こうしてお湯を掛けるとね、詰まっているお鼻が柔らかくなって、取りやすくなるんだよ。そうするとね、夜寝るときに辛くなくなるのね。お鼻にお湯が入ってちょっと辛いかもしれないけど、我慢してね』

と言ってから、シャワーでもう一度お湯を掛けた。
すると、娘は泣くこともなく協力的であった。

危ないところであった。
ちゃんと理由を添えて話せば、分かる娘であるのに、ま、このぐらい良いかということで無視して進めるところであった。

私の娘は、まだ表現言語はほとんど持っていないが、理解言語は十分に持っていると考えて良い。

シャワーでちょっと苦しい思いをさせる、シャワーの理由をきちんと話せば、理解するのであった。

きちんと話せば、理解するのであった。

娘と一緒に展覧会に行く

2/22

午前中は原稿書き。

限られた紙幅の中に私の主張と読者の利益をどのように入れ込むか。そして、読みやすさをどのようにつくり出すかということをあれこれ考えながら唸り続ける。

あと5時間もあれば出来上がることが見えてきたので、午後から出かけることにする。

昼ご飯は、近くのラーメン屋。娘は一回水で洗った麺を食べさせる。
「うまうま!」
と叫んでいる。ラーメン党になるのが楽しみである。

食後、店を出る段になったらなぜか娘はお店の従業員たちに手を振る。お兄さんたち4~5人はみんな手を振ってくれた。娘満足、父母は頭を下げ続ける。

比叡山の山中越えをして、京都市内へ。京都橘大学の書道コースの学生の卒業展覧会があるのである。このコースに学ぶ学生は、私の国語科教育法で学ぶ学生も多い。

国語科教育法は三回生での授業なので、卒業展覧会ということはもう1年以上前に教えていた学生たちであるが、彼ら彼女らの最後の書きっぷりを見に行くのは、大事なことだと思い三年連続で見に行っている。

本人が努力をした結果を見るということは、教師には大事なことなのだと思う。全部対応できる訳でもないが、その姿勢は大事だと思うのである。

娘と一緒に展覧会に行く。
娘のことを知っている学生が迎えにきてくれたのだが、娘はびっくりして逃げ出す。10分近く会場に入れずであった。

慣れてきたので一緒に入る。
学生たちの作品を一つずつ見る。
作品を見て、名前を見る。

よし、国語科教育法で1年間やりきった学生たちの書は、まずまずのできであった。別に私が書道を指導した訳ではないのに、関わった学生の作品は気になる。大きなお世話だと思うのだが、この大きなお世話をしてしまうのが、教員の性なのである。はあ。

声をかけてきた学生たちには、作品にコメントをしながら、卒業後のことをあれこれ聞いて話す。

ここに来て教員の採用が決まったものもいれば、来年度の採用に向けて勉強をし始めていると言う話をする学生もいる。おめでとうを言ったり、あれこれアドヴァイスをしたりもする。

いい結果が出ますように、だ。

Chet Bakerのあれこれを聴きながら。

2009/02/21

これは理解できないね

午後から研究室にこもる。依頼されいている10pの原稿に取り組む。締め切りを延ばしてもらっているので、必死に取り組む。

が、どうも執筆依頼が頭に入らない。執筆フォーマットと私が書くべき内容を見比べるのだが、何を書いていいのかが分からない。というか、もやもやが残る。仕方がない。出版社に電話をかけて直接聞いてみよう。

電話をして確認をすると、私の頭の方が正しいことが分かった。執筆依頼の方がいくつかの点でずれていたのだ。アーよかった。

中学生の時である。何回読んでも分からない文章に出会ったことがあった。高校入試問題の過去問題にあったやつだ。落ち着いて何回も読むのだが、頭に入ってこない。多少国語に自信のあった私はショックを受けたものだ。

(ああ、世の中には難しい文章があるものだ。ちくしょう、理解できないなんて)

と思って、授業で解説を受けると

「まー、変な文章だね。これは理解できないね」

と講師の先生が言うではないか。びっくりであった。

世の中の入試問題に使われるような文章で、理解できないくらいの悪文が使われているということに驚いたのだ。理解できないのは、私が悪いのではなく、理解できない文章を書いている方が悪いということが存在することに驚いたのだ。

別に権威志向ということではないが、入試問題に使われるような文章が悪文であるということ自体を考えること等、中学生の私には出来なかった。が、このときにそういう経験をしているので、

(分からないなあ。ひょっとしたら、これ文章がわるいんじゃない?)

と思える回路を一つ手に入れることができるようになったのは、大きな経験であったと言える。

ああ、そんなことを思い出している暇があったら、早く原稿に取りかからなければならないのに。

でもって、ゴールのイメージが見えてきた私は、4時間続けてひたすら原稿を書いた。アウトラインは見えて、あと10時間以内には仕上がるだろうという目処も立った。ああ良かった。

それに気を良くして、もう一つの本の原稿のチェックも。「明日の教室本」だ。ぶれのない原稿ばかりなので、確認する私も非常に気持ちがよい。間違いなく良い本になる。凄い原稿ばかりだ。

BGMでつけたラジオからは、ミナミさんが妊娠したことを告げていた。

(を〜、そうですか、離婚もしないでご懐妊ですか。いや〜、娘と二つ違いになりますねえ)

なんてことを思い、にやにやする私でありました。

明日も原稿書きだあ。

写真は、私の家からは対岸の守山から見た、菜の花畑、琵琶湖、比良山です。いよいよ春ですねえ。

Rimg0124

2009/02/20

仁和寺にある法師、年よるまで

2/20

小浜の疲れが出たので、午前中は体を休める。
午後からは高校で模擬授業である。

今日は50分×2で一つの講座なので、比較的ゆっくりとできる。具体的な例も多く出せるので、やりやすい。

模擬授業が終わって外に出たら、虹である。
奇麗だったなあ。

この高校の近くには石清水八幡宮がある。例の

「仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、・・・」

の石清水八幡宮である。

嘗て中学校の教師をしていたとき、京都の修学旅行の実踏で仁和寺から石清水八幡宮までタクシーで移動したことがあった。もちろん、徒然草52段のこのことを意識して、どのぐらいで到着するのかを確認してみたかったのだ。

タクシーで一時間ぐらいはかかる距離である。

「極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。」

の極楽寺と高良神社がどうなっていたのかを確認したかったのと、

「そも参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」

の山の上にある本殿がどのようになっているのかを確認したかったのだ。

教科書にある挿絵をもとに、高良神社の場所をあれこれ探すのだが、見つからなかった。そして、あることに気がついたのであった。高良神社は、今は・・・。

ま、これは行ってみてのお楽しみである。
ちなみに、『奥の細道』は平泉の中尊寺でも「夏草や兵どもが夢の跡」の跡がどのようになったのかを調べようと、あちこち歩いたのだが、高良神社と同じ結果であったとは記しておこう。

さて、これで怒濤の一週間が取りあえず終わり、週末はやっと原稿に取りかかることができる。

さすがにちょっと疲れたな。

なんか、時間が変じゃない?

2/19

ベッドサイドの目覚まし時計を7時にセットして寝た。
朝風呂に入ってから食事というのを考えてのことである。

目覚まし時計のなる前、6:30頃に起きて風呂に行く。露天風呂には誰もいない。貸し切りである。ゆったりと入り、食事に行く。会場も私一人である。貸し切りである。大丈夫か、このホテル。

だが、この朝食会場から見る景色はすばらしかった。
小浜の港が一望できるのである。

Wakasa

(あの海から美味しい魚がやってくるのだなあ)

なんてことを思いながら朝ご飯を食べていた。

朝食後、今日のスケジュールを確認して過ごす。
メールを確認すると、昨日の学校の先生からお礼のメールが届いている。嬉しいなあ。朝早くから。

気持ちよく朝の仕事を進める。

ん?
なんか、時間が変じゃない?

マックの時計と、ベッドサイドの目覚まし時計が違う。目覚まし時計が一時間半遅れている。マックの時計が正しいとすると、もうチェックアウトの時間である。

慌ててフロントに電話。事情を話し、遅れることを伝える。
もちろん、ホテルは平謝り。
いやあ、これ仕事の当日だったら、とんでもないことになっていたぞ。

風呂も、朝食も一人のはずだ。

チェックアウト後、港に向かう。
お土産の魚を手に入れようというのである。

残念ながら、時化ていたので新鮮なお魚の種類は少なく、楽しみにしていた新鮮な甘鯛は手に入らなかった。

が、塩焼きには問題のない小振りの甘鯛を3匹1000円で手に入れることができた。満足である。塩焼きにしてガーリックオイルで食してやろう。

お土産は焼きサバの押し寿司。さらに、地物の魚を使ったお寿司。
本当に魚づくしの一泊二日であった。

予定よりも遅いスタートであったが、夕方前には自宅に戻って、娘を抱っこすることができた。

小浜の校内研修会の巻であった。

日付が変わる前には

2/18

一泊二日で小浜まで出かける。中学校の校内研修会に呼ばれたのだ。中学一年生に授業をして、その後、校内研修会で講演をするという二本立てである。

久しぶりの中学生への授業ということで、ちょっと嬉しかった私である。

漢字の学習方法と勉強の仕方を一緒にしたような授業をした。福井県は白川静先生のご生誕の地。そこで、漢字の授業をしてしまおうってんだから、私も無謀と言えば無謀だ。だが、先生を尊敬する私としては、漢字でやりたいという思いも持ったのである。

小浜までは、雪景色を見ながら移動ということになる。なかなか美しい。花粉も飛んでいないので気持ちがよい。

小浜は、かの「ちりとてちん」の舞台の町である。であるからして、私は落語を聞きながら移動した。絶品だったのは立川談志の「芝浜」である。

落語そのものも良かったのだが、下げのあと太鼓が鳴り響く中、談志が

「ありがとうございます。ありがとうございます。良いお年をお迎えください。ありがとうございます」

とお礼を言っていたところが、とても良かった。
この「良いお年をお迎えください。ありがとうございます」だけで、あの芝浜の風景が、もう一度蘇り、目頭が熱くなった。

もともと「芝浜」と言えば、年末の落語で、この「芝浜」を聞かなければ年を越せないという落語ファンもいるぐらいである。私が聞いた談志の「芝浜」も年末に行われたものである。

それは当たり前のことなのだが、「良いお年をお迎えください。ありがとうございます」で、噺にもう一本別の筋が通ったように感じられた。

ちょっと早めに到着してしまったので、昼ご飯を小浜のフィッシャーマンズワーフで食べようと思ったら、本日社員研修のための臨時休業とのこと。残念無念。

ではあるが、お寿司屋さんを発見したのでそこで食す。握りのひと皿に盛られたのは、全部この港で上がった魚だと言う。

ん? サーモンがあるが。

聞いてみると、小浜に流れ込む南川と北川に遡上するのだと言う。たしかに、食べてみると養殖のサーモンとは違う食感に、味である。満足であった。

授業も、校内研修会も、つつがなく終了。
中学生も、先生方も熱心に話を聞いてくれたので、つつがなく終了。
研修会は、学級経営と生徒指導に関するもの。
最近の依頼は、国語よりこちらの方が多い。

ホッとして、宿に向かう。
宿でひと風呂浴びて、懇親会会場に向かう。
私が小浜に泊まる時は必ず行く店である。筑田さんとも行ったことのあるあの店である。

実はこのお店、お招きいただいた先生もご存知。というか、ここのご子息を教えていたことがあるということ。世間は狭い。

残念ながら、海が時化ていてたくさんの種類の魚にお目にかかることは出来なかったが、出てきた魚は本当に美味しかった。

先生方とも、あれこれ話し込む。日本の教育を良くしたいと、みんな思っている。私に出来ることは少しだが、その少しをきちんとやりたいと思う。

日付が変わる前には、宿に戻った。
良い一日であった。

2009/02/17

今日は信楽まで

今日は信楽まで出かけて行く。保育園実習指導である。

第二名神高速が出来たので、行きやすい。
ただ、カーナビにはまだこの高速道路が登録されていないので、空の上を走ることになる。これもまた一興である。

カーステレオは、落語。
古今亭志ん朝、桂枝雀、立川談志と。音源はipodにいれてFMで飛ばしてというもの。
ミニクーパーのエンジン音と落語ってのも乙なものである。

実習先では、私が尋ねた所全てで、
「学生さんたちが実習記録を丁寧に取っていていいですね」
と言われる。
教え子が褒められるのは嬉しいものだ。

「記憶するな、記録せよ」
仕事をする上で、これはとても大事なことである。その基礎ができているようなので、良かった良かった。

信楽から研究室に戻り、あれこれ事務仕事。いや〜、これは終わらないぞ。飛び込みの仕事が多くあったので、あらかじめ予定していた仕事のスケジュールが遅れ気味になってしまっている。この週末になんとかせねば。

ではるが、明日からは福井県の中学校に出張。中学生に授業をしてください、校内研修会で講演をしてくださいというものである。中学生に授業は久しぶりだなあ。顔がにやけてしまうかもしれないf(^^;。

校内研修会のテーマは、学級経営と生活指導について。中学生への授業の資料は信楽に行く前に送ったのだが、校内研修会の資料が未完成だったので、事務仕事の後この資料づくりに没頭する。

なんとか終了。
明日は2時間半かけて移動。
スタッドレスタイヤだから大丈夫でしょう。

メールボックスを見たら、注文していたCDが届いていた。
気持ちが落ち込んでいたので、you tubeで懐かしの音楽を探していたら、まだCDも販売されいるというので、注文しておいたものが届いたのだ。

「SEA IS A LADY」(角松敏生)
「カルメンマキ&OZ 3」(カルメンマキ&OZ)

だ。どの曲も名曲なのだが、前者では「MIDSUMMER DRIVIN' "REIKO"」、後者では「空へ」が絶品である。あの時代の空気の熱が戻ってくる。

穴の空いた心に、何かを満たしてくれる。

ひとまず安心である

2/16

午前午後と保育園実習指導で滋賀県内を動き回る。
学生たちは、熱心に実習に取り組んでいる。

私の目から見ると甘くなるが、実習指導をお願いしている保育園の先生方からお話を聞いても、熱心に実習に取り組んでいる様子が伝わってくる。

ひとまず安心である。

夜、来年度のことをあれこれ打ち合わせするために、山科に向かう。だいたい三ヶ月先のことをいまやるというパターンになりつつある。

与えられた仕事をやる側に回るのか、仕事を自分で作ってそれをやり遂げて行く側に回るのか。働くというのは、この二種類からできているような気がする。

どちから一つだけということはあり得ないが、その比率は人によってかなり違うだろう。私はどうも後者の比率が昔から多い。勝手に仕事を作ってあれこれやっている感じがしないでもない。

しかし、その方が楽しいのだからしようがない。仕事というのは、元来オーバーワークであると内田先生は仰っているが、それは分かる気がする。特に教師の仕事はそうであると思う。

ここまででおしまい、という線を引くことができないのがこの仕事である。大学に移ってからますますそれを感じている。

が、どこかで強制的に「ここでおしまい」を作らないと、いかんなあとも感じている。

明日はまた滋賀の奥地に実習指導だ。

2009/02/16

「貧困、格差、貧乏はどう違うのか?」

2/15

滋賀県の民教連の集会に近江八幡まで出かける。「貧困・格差・競争をのりこえ、共同と学びを開く」 というテーマである。現場からの三報告があり、その後に、竹内常一先生の講演があるという構成であった。

実は、この構成を知らなく、先生の講演だけだと思っていたので、終了後、長浜の盆梅展に行くはずだったのだが、この構成ではちょっと無理。奥さんと娘だけ長浜に向かわせて、私は先生の講演で学ぶことにする。

「貧困、格差、貧乏はどう違うのか?」

先生は、言葉の定義からいま社会で何が動いているのかを解き明かして行く。その社会の動きは新自由主義を基調にグローバルスタンダードとして、創造的な破壊を繰り返して行く姿である。

社会の枠組みは、いろいろな力学が働きリストラクチャされていく。その、リストラクチャされるときに、政策が市民の方向を向いていることは、歴史上いまだかつてないだろう。

だから、市民がこちらに向かせる必要があり、その文脈の中で教師は、子どもの教育を受ける権利の中で、どのような実践を構築して行く道があるのかを模索されていた。

枠組みを見つめ、枠組みを問い直し、新たな実践を構築する。私が竹内先生から学んだことの一つはこれである。子どもの事実を押さえることはとても大事だ。しかし、子どもの事実は子どもが社会の中で生きている限り、社会の事実やさまざまな政策を並立的に理解する中で見て行くことが必要になる。

竹内常一先生の授業を受けていると、これは教育の授業なのか政治経済の授業なのかが分からなくなることがあった。「所得倍増計画」「期待される人間像」「経済同友会」「合校論」なんて話をされていたが、今日も「中央教育審議会議事録」「ホンダのF1撤退の意味」などの話が飛び交っていた。

竹内ゼミの卒業生は、国語教育の実践家として全国にいるが、文学と政治と教育を同時に考えながら実践をする基礎体力を身につけている。これって凄いことだと、改めて思う。

複眼思考で、並列思考をして行くことが、物事の本質を見極めることには必須なのだと改めて思う。物事の本質は、そこにあるのではなく、複眼思考で並列思考をしていくときに、そこに浮かんでくるようなものなのだろう。

大学時代に先生の授業を受けていたことが、いま私の中でそれが形となって出てくることを実感できることがある。教員になってから出会ったディベートやその指導方法の研究がここに重なって、あれこれ私を育ててくれていたんだなあと、思う。

「なんでいまごろ、こんな簡単なことに気がついたのかなあ。もっと早く気がついても良かったのになあ」

と先生は自分の研究を振り返りながら、講座後話されていた。最近先生の話が分かりやすくなったのは、俺も力がついてきたからかと自惚れていたが、そうではなく先生が核心を掴んで話されていたからなのだと、思い直した。

いろいろと勉強になるのである。

講座後、主催者が駅まで送りましょうと話していたら、

「ん、教え子が来てくれているから、駅まで送ってもらうから」

と言って私をありがたくも指名。もちろん、ミニクーパーでお送りする。本当は、長浜から奥さんと娘が帰ってくるはずだったが、タッチの差で会えず。ま、FOMAのテレビ電話で見てもらったからいいか。

先生を駅でお見送りして、しばらくすると奥さんと娘が乗った電車が近江八幡に到着。
改札口を出たところで待っていたら、ベビーカーから下りて歩いてこちらに向かってくる娘を発見。

手を振っていたら、娘は私を発見。
満面の笑顔になって、改札口に突入して行く。あわてて奥さんが切符を入れて扉が閉まらないようにナイスサポート。

御陰で娘はそのまま私の胸の中に飛び込んできた。
そのまま高い高いである。

良い休日であった。

学級経営におけるオートマティック化と、問いに対するメタ思考

2/14

午前中は、高校の模擬授業であった。通常は、45分とか50分とかでの講座が多いのだが、今日は60分。いつもよりは時間があるかと思ったが、結局時間はいつも通りのギリギリであった。

通常、この模擬授業では、持ち時間の95%で終わるぐらいの内容を構成し、残りは生徒の顔を見ながら授業中に作って行くのであるが、これはなかなか難しい。

調整(チューニング)しながらの授業であり、一発勝負の授業である。だから、難しいのだ。

一度家に帰り、午後からは関西青年塾である。いつも通り、駅前のコンソーシアムに行く。看板を見たところ、関西青年塾の案内がない。

(ん? どこだ?)

確かに今日がその日のはずだが、ない。
慌てて学生に電話をかける。

『いまどこにいる。今日はどこだ?』

すると今日の会場は四条にあるという。慌てて地下鉄に乗って向かうことにする。

今日の講座は、小学校の実践家で、私は初めてお会いする先生であった。授業づくりと学級経営の話をしてくださった。

それぞれの内容も面白かったが、特に印象に残ったのは学級経営におけるオートマティック化と、問いに対するメタ思考である。

学級経営におけるオートマティック化というのは、一言で言うと「だって、このクラスではこうなんだもん」ということである。あれこれ説明する必要もなく淡々と日常が過ぎて行く、いや過ごして行くためのシステムである。

講師の原田先生は、「当たり前のことをあたり前のようにやること」が学級経営の奥義であると仰っていたが、これもこのオートマティック化に強く関連していると私は思った。

ここがきちんと出来ているクラスは、強い。日常が何事もなく過ごせるということは、何かのときに燃えることができると言うということである。考えるべきところに考えるだけの時間とエネルギーを咲くためには、考えなくても良いところは、考えないで済むようにしておくことが大事だと思うのだ。

問いに対するメタ思考とは、模擬授業の中で気がついたことである。

もう一人の講師の先生が模擬授業をされている中で、私は先生の提示した問いに対して、応えることができなかった。AかBかを選んでくださいというような問いであったが、私は『状況によって違うので答えられない』と言った。すると、「こういう子どももクラスにいますから」ということでスルーされてしまった。

ま、スルーでも良いのだが、私はなんでスルーされたのかを考えていた。池田君だからということでスルーされることは、私の子ども時代にも、ままあった。

そこで気がついたのは、私は先生の問いについてメタ的に、問いの成立を問うていたということである。学校では、先生の指示に素直にしたがって素直に学ぶことが、いい子である。そして、多くの場合その方が「学力」は伸びる。

私は、先生の問いについて、その問いの成立を考えるような子どもであった。いまから思えば、いわゆるやりにくい子どもである。なので、教師になったときにそういう子どもがいたら、丁寧に対応してあげようと思っていたのだが、そういう子どもは本当に珍しい確率でしか存在していなかった。

私がおかしいと、先生の問いについて文句を言うと先生は嫌がったが、授業のあと仲間と話していると「おれもそう思った」という声が多くあった。この模擬授業でも休憩時間などに話すと「私も先生の言う通りだと思った」というのである。

であるが、みなさんはそう思いつつも、言葉に出さずに先生の指示に従って授業の中に入って行っていた。私はそれを体が許さないでいた。

子どもの頃の私は、先生の問いに答えられない私と、答えられない私を放置する先生を不思議に思っていた。実は私は素直に分からないから分からない。先生の問いは問いになっていないと思っていたのである。それが受け入れられないってのは、不思議であったのだ。

娘を見ていると、子どもというのは「理解言語」と「表現言語」の二種類を持っているのではないかと思う。そして、これは子ども全般に言えるのではないかとも思う。話の内容を理解する系列の言葉と、表現するための言葉の二種類を子どもは持っていると考えるとあれこれが分かりやすい。そして、多くの子どもは理解言語はかなり早い時期から持っているが、表現言語は持っていないか、弱い場合が多い。

たとえば、
(この先生の言っていることはよくわからないな)
ということを理解するための言語はあるのだが、それを表現する言語を持っていないということである。

私は、どうやら言葉に興味があったことからなのか、子どもの頃から理解言語と同時に表現言語を持っていたようで、自分の授業をしている先生に、素直に表現言語で
『それは変です』
と伝えてしまっていたのだなと、今思うわけである。そして、それは問いに対するメタ的な問いだということにいま気づくのである。

はー、すっきりである。

講座の後に、数人の方からチョコレートを頂く。
いやあ、うれしいf(^^;。
なんだかんだ言っても、これは嬉しいなあ。

そのまま懇親会へ突入。

学んで語って、悲しみを乗り越えて行くしかないのだと
改めて思う。

家に帰ったら、奥さんからもチョコレートを貰う。
娘も用意してくれていたのだが、私の帰りが遅いので、明日ということになった。
それも、うれしい。ありがたい。

2009/02/13

『う、やられた』

来年度のために、動く仕事が午前中に一つ。

これで本学の教職課程で学ぶ学生たちに、新年度から大きなプレゼントをあげることができる。

本気で教職や保育職をめざす学生たちを支援する体制ができる。折角京都橘大学を選んできた学生たちである。何かの縁で出会ってしまった以上、厳しく指導しきちんと支援し、彼らの将来の一歩目を確実なものにしてあげたい。

その土台を作ることができた。
四月からが楽しみである。

午後からは、保育園実習指導に出かける。
学生たちの実習の様子を見て、あれこれ指導するのである。

が、学生たちは必死にやっているので、それを止めて指導することはなかなか難しい。園長先生に学生の様子を伺うと

「実習記録等もとても丁寧に書いていまして、すばらしいですよ」

とお褒めの言葉を頂く。私が見ていてもそれを感じる。良かった。

学生の実習を見ているつもりだったが、二歳児さんのクラスで掴まってしまったf(^^;。

お帰りの準備をしてお迎えを待っている間、遊んでいるのだがその際、一緒に遊んでもらったのだ。積み木で遊んでいるとき、ある子どもがそれをピストルに見立てて私を狙ってきた。

『う、やられた』

と倒れたら、次から次へ銃弾を撃ち込まれることになった。3秒ほど倒れ、

『はい、復活。もう大丈夫』

と起き上がると、再び銃弾の嵐のかけ声
「ばんばんばんばんばん!」
『う〜〜〜〜〜〜〜〜、やられた。          復活!』

これの繰り返しであった。

園長先生に
「遊んでいただきまして、ありがとうございます。先生、才能がおありですね」
と言われてしまった。

実は私、高校3年生の進路適性検査で、男としてはあり得ない数値をたたき出しているのである。それは適性検査の結果、適正な職業は「医者」「弁護士」「教師」「保母さん」と出たのである。

あの時代には保父さんが一般的ではなかったので、男子の進路適性検査では出ないはずの「保母」さんが、私の検査では出ていたのだ。その当時の担任も不思議がっていたが、私も不思議だった。

が、ここにきてそれが生きるとは。
もちろん、保育園の先生方が、私を丁寧に扱ってくださっているので、園児たちはそれを敏感に感じて私と遊んでくれているのだし、私は1時間ぐらいで失礼するのが分かっているから遊べるのであった。

あの仕事を生涯の仕事して選び、子どもたちの最前線で働き続ける保母さんには、私はなれないと思う。改めて、頭が下がる思いだった。

『学生時代にこれだけは身につけておきなさいという保母さんの用件はなんでしょうか?』
と伺ったところ、私がそうではないかと思っていたことと一致した。やはりそうか。

よーし、来年度はそれを研究入門ゼミで課題としてやってみよう。楽しみである。私も勉強になる保育園実習指導である。

23回 明日の教室 4/25(土) ライティング 倉島保美先生

新年度4月の「明日(あす)の教室」も確定しました。
4月25日(土)13:30~17:00開催です。
今回の講師は、池田のライティングの師匠に東京からお越し頂きます。講師は、倉島保美さん(有限会社ロジカルスキル研究所代表取締役)です。

みなさんは、「書く」指導を小中高でどのぐらい受けたでしょうか。文章には、いくつの種類があるのか、ご案内でしょうか。それぞれの文章の種類に応じた書き方があるのをご存知でしょうか。

私たち教員は、文章を書くことが多くあります。
また、その書き方を指導する立場にあります。

「しっかり書け」
「思ったように書け」
「好きなように書け」
「丁寧に書け」
「きちんと書け」

これは、指導ではなく命令です。
調理実習でカレーを作ることを指導する家庭科の先生は、

「しっかり作れ、思ったように作れ、好きなように作れ、丁寧に作れ、きちんと作れ」

なんてことは言いません。しかし、文章ではこれが「許されて」います。なぜでしょうか。教え方が分からないからです。そんなんでいいのでしょうか。いいはずがありません。

今回の講座では、パラグラフライティングなど「伝える文章」の胆の胆の部分を、講義と演習でお願いすることになりました。採用試験の小論文、卒業論文、修士論文などかちっとした文章を分かりやすく書くための考え方と技術の入り口を理解するための講座となるはずです。

指導する前に、自分が理解する。理解した上で自分が出来るようになって、子どもたちに自信を持って指導ができるようになる。その一歩目の講座となるはずです。

なおもし、書きかけの論文などがありましたら、その目次をご持参いただければ、懇親会等で凄いアドヴァイスを頂けるかと思います。ご持参ください。

お待ちしております。

日時:4月25日(土) 13:30〜17:00
会場:京都橘大学 児優館
講師:倉島保美さん
費用:一般 3000円  学生 1500円
アクセス:http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

なお、懇親会を17:30~予定しております。3~4000円程度です。

申し込みは、http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754
にお願いします。

講師略歴 

倉島保美さん

有限会社ロジカルスキル研究所代表取締役。1961年東京都生まれ。NEC(株)にエンジニアとして18年間勤務の後、研修講師業として独立し、現職。日本語ロジカルライティングを中心に、英語ライティング、プレゼンテーション、ディベート、ネゴシエーションなどを、年間150日以上指導。早稲田大学アジア太平洋研究科特別研究員や京都大学霊長類研究所非常勤講師も歴任。 

<主な編著書>『く技術・伝える技術』(あさ出版)、『論理的な文章が自動的に書ける』(日本実業出版社)、『英語ライティング上達法』(講談社)ほか多数。

http://www.logicalskill.co.jp/

22回 明日の教室 3/21日(土) 仲里靖雄先生(立命館小学校)

3月は、3月21日(土)13:30~17:00開催です。
講師は、仲里靖雄先生(立命館小学校)です。
仲里先生には、12月にお越し頂きました。
その講座の最後の一言が、

「もう時間。まだ話したいことがたくさんある!!」

でした。

是非、その続きをお話ししていただきたいということで、お願いしまいしました。

前回のご案内です。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「算数の授業名人に、仲里先生という方がいらっしゃる。糸井先生、一度、見た方がいいよ。」
「明日の教室に、仲里先生を呼んでほしい。」
そんな声が、以前からありました。

で、私は、昨年度の立命館小学校の研究発表会にお邪魔した際、仲里先生の授業をじっくり見せていただきました。
いやあ、練りに練った授業というのは、こういう授業を指すのだろうなあというのが、感想でした。子ども達の反応も素晴らしかったのですが、反応を引き出す授業の構成というか、発問というか、指示というか、とにかく見事でした。

というわけで、今回は、仲里先生に、「授業構成のひみつ」と題して、たっぷり御講演いただくことになりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

仲里先生は、算数教育で高名な先生です。しかし、仲里先生は、算数教育が目的ではないとおっしゃいます。

子どもを、学級担任として、学校で育てるということはどういうことなのか。ここが本当のテーマであると前回の先生のお話を伺いながら思いました。

前回の講義を受けられた方も、前回は残念だった方も、お越し下さい。

日時:3月21日(土) 13:30〜17:00
会場:京都橘大学 児優館
講師:仲里靖雄先生(立命館小学校)
費用:一般2000円 学生1500円

アクセス:http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

なお、懇親会を17:30~予定しております。3〜4000円程度です。

申し込みは、http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754
にお願いします。

お待ちしております。

2009/02/12

乗り越えましょう

会議の一日である。

午前中の学科会議から午後の教授会まで三つの会議をしながら、事務仕事を重ねる。なんとか、締め切りまでに終わらせることができた。

幼児教育コースの諸君は、今週から保育園実習が始まっている。私も明日から実習訪問指導に出かける。その準備もせねばならず、あれこれもあり、忙しい。

ではあるが、乗り越えましょう。

2009/02/11

気持ちを入れ直そう

ダメだ。
穴見さんのこともあるし、インフルエンザの後の風邪も抜けきっていない。体がうまく言うことを聞かない。

娘の昼寝に付き合って、結局一緒に寝てしまい、起きる時間まで寝込んでしまった。

こんなんじゃ、事務仕事にならない。大学に行くのを諦める。
明日、なんとか終わらせよう。

午後から久しぶりに家族で出かける。
娘の手を繋いで歩く。

繋ぎ始めた頃には、私は体を傾けて歩いていた。
娘がまだ小さくて手を伸ばすのが大変そうであったからだ。
ところが、このごろは娘の身長が伸びたのか、手を繋ぐことになれたのか、私も体を傾けないで済むようになってきた。

デパートを見て歩いたのだが、バレンタインとひな祭りで女の子の色一色であった。去年の初節句にはまだお座りしか出来なかった娘と手を繋いで歩いている私は、どれだけ成長したのかと思う。

明日から20日まで、ほぼ休みなしで動くことになる。
気持ちを入れ直そう。

そうだとすれば、

なんとかしなければ、何かをしなければと思いながら、過ごす。

でも、その一方で事務仕事を終わらせなければならず、一日を研究室で過ごす。大体の目安はついた。あと少しだ。

今年最初の琵琶湖から昇ってくる満月を見る。

人間は何か変わらないものを支えにしながら生きて行こうとする。その変わらないものが、自分の不安定さをなんとかしてくれるからだ。

だが、変わらないものは、その人を頑固なものにし、時代は人の移ろいと相容れないものを生み出すこともある。

そうだとすれば、その何か変わらないものは、矛盾を含んでいたり、矛盾した環境の中に自分を置くことが、実は大事なのかもしれない。

満月に向かって献杯。

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2009/02/10

穴見嘉秀さん

穴見嘉秀さんが、亡くなられていた。
まだパソコン通信の頃からのおつきあいであった。

そう、パソコン通信が始まった頃、日本中の国語の実践家が集まってあれこれ議論をする掲示板があった。その後、メーリングリストを立ち上げ、ディベートの話や国語の指導方法について毎晩、それこそ電話回線が熱くなるぐらいに議論を重ねていた。

困ったことがあったとき、このMLに相談すればたちどころに答えが返ってくる。ピグマリオンさんというのが、彼のニックネームであったが、その博学さと資料の豊富さはドラえもんのポケットを持っているのではないかと誰もが思っていた。

「池田さんのディベート講座を九州でやりたいんだよね」
とわざわざ九州まで呼んでいただき、ディベートの講座をさせていただいた。こうと思ったら、やり抜く人であった。

「ボクのおじさんが40代でなくなってしまってね。生きているうちにやりたいことをやり尽くしておくことが大事だと思ったんだよね。池田さんの講座もそのうちの一つ」

そんなことを言われて、私はなんて答えていいのか分からなかった。
(やりつくしちゃったら、ダメじゃないですか。やりきれないから生き続けるんですもの)
と言えなかった。

高校の教員をされていた穴見さんが、大学の教員になると聞いたとき、仲間たちは喜んだ。あれだけの博識と指導の情熱を持った現場上がりの大学教員がいるということは、学生たちにとってとてもいいことだと。

その後の、穴見さんの仕事の忙しさは、相当なものだった。授業に手を抜くことなく、さらに研究にも、大学の運営にもと端から見ていた私でも
(体大丈夫かな)
と思うことはあった。

私も大学に籍を移すことになったが、真っ先に思い浮かんだのが穴見さんであった。

何回も夜中に起きた。
さすがに、応えた。

私に国語教育の実践家の仲間を全国に作ってくださったのは、穴見先生である。いま、日本中どこに行ったって、夕ご飯を一緒に食べる仲間はいる。その仲間が出会う場を提供してくれたのが、穴見先生である。

(最近どうしているかなあ)

と忙しさにかまけて連絡を取ることをしなかった。
私たちに仲間をプレゼントしてくださったまま、先立たれてしまった。

早すぎる。
合掌。

2009/02/09

私の教育関連の仲間たち

この週末、日本中の私の教育関連の仲間たちが、動いている。
びっくりするぐらい、あちらこちらに動いている。
研究会に、学習会に、研究発表会に。
その様子がそれぞれのブログに書かれている。

これって凄いことだと思う。
ベテランや中堅や実力者になっている全国の仲間の先生たちが、さらにその先を求めて自らを高めようとしているのだから。
それも、忙しい自分の生活や仕事をなんとかやりくりして、時間を作って出かけている。多くは自腹で出かけている。

学び続けなければ、教師と言う仕事は続けることは出来ない。
言葉だけではなく、これを実感している仲間たちが私には全国にいる。

俺もやるぞと思えるのである。

久しぶりに大学に行ったので、私のメールボックスはいっぱいになっていた。

整理をしていたら、とある高校から郵便が届いていたのを見つけた。私が模擬授業をした高校の、生徒の感想文である。大学に移ったとき年間に30校ぐらいで模擬授業をした。いまでも結構な数の模擬授業をしている。

私も中学校にいた時は進路指導主任をしていて、高校の先生に来ていただいて模擬授業をお願いしていた。企画から連絡調整を全てした。が、高校はその部分を業者がしている。いいなあと思ったものだ。

だからなのか、学校によって対応が違う。学校側の先生が全く出てこないところもあれば、学校長がきちんと挨拶をされて、授業をよろしくお願いしますという学校もある。もちろん、後者では気合いが入る。

そして、このように感想文のコピーを送ってくださる学校や、中には統計を取って他の授業との比較までしてくださる学校まである。

私は、お礼状を書くことは高校生にとって二つの意味があると考えている。一つは、受けた授業のまとめの効果としてののお礼状である。もう一度文章にすることは、まとめの意味がある。

もう一つは、まさにお礼である。何かのご縁とはいえ、君のために研究や仕事を中断して授業をしにきてくださる先生に、お礼を述べることは学ぶものとしてとても大事だと思う。今回お礼状を頂いた学校は、往復5時間ぐらいかかったわけで、電車のなかでPCをやったり読書をしたりはできるが、それはそれで相当大変な訳なのである。

そこに気がつく、気が及ぶように指導することは進路指導では重要な観点だと思うのだ。だから、私も進路指導主任をしていたときは、これを生徒にさせていたし、いま学生にも同じように感想やお礼を書かせるようにしている。

私は高校に合格するとか、希望した職種に就職するとかということも大事だが、こちらの方も大事だと思っている。そして、ここができないと、その後の成長は大変ではないかとも思っている。

その後9時近くまで事務仕事に勤しむ。
二月は、信じられないくらいに忙しいので、少しの時間でも有効に使わないと追いつかない。その一方でしっかりと体を休ませないとダメだしなあ。

途中で、信じられない訃報に触れる。
私の国語教師としての根幹の部分を育ててくれた、仲間を作ってくれたMLに関わってである。

まだ、信じられない。

明日の教室 国語部会

撮影の疲れを取るため、体を休める一日だった。
娘と一緒にお昼寝のつもりが、一人で寝続けていた。

調子の悪い時は、いくらでも寝られるものだ。
お昼ご飯も食べないで、寝続けた。

昼ご飯の後、娘と一緒にお散歩。
いつもは湖岸を歩いて行くのだが、琵琶湖が増水していて砂浜が水没して、湖岸の上を歩くことに。

明日は満月といういことで、水が引っ張られているのかもしれないが、雪解け水で増えているのかもしれない。

湖岸を散歩したあと、私は京都駅に向かった。
私のライティングの師匠の倉島さんが、京都で研修講師をされるというので、夕ご飯を一緒にどうですかとのお誘いを受けていたのだ。

一人では勿体ないので「明日の教室 国語部会」のメンバーに声をかけて一緒に夕食の会とした。

倉島さんから私は大学院のときに、パラグラフライティングを学んでいて、これを学んでいなければ修士論文は書けていなかっただろうし、ということは、大学の教員にもなっていなかっただろうと思われる。

「書く」ということはどういうことなのかを、きちんと考え直すきっかけも頂き、私の書くことの指導の幅もずいぶんと広がったのもこの講座である。

その講座は一日に8時間で、土曜日ごとに三週間やったのだが、その片鱗の匂いぐらいでも国語部会の先生に味わってほしいと思って声をかけたのだ。

衝撃を受けてくれたと思う。

学ぶべきことは、まだまだ、たくさんある。

2009/02/08

タミフル 低体温

指導が終わって、研究室を後にして帰ろうと振り返ったら、奇麗な夕日。
(いやあ、奇麗だな。一枚撮るか)
と鞄を探ると、ない。

デジカメがない。

(あ、新幹線だ)

比良山を撮影した後、窓際に置いたのだが、そのままデジカメは広島まで旅を続けたのではないかと思った。

自宅に帰ってからすぐに、JR西日本、新大阪忘れ物センター、広島駅忘れ物センターと電話を重ねていく。

そしたら、広島駅忘れ物センターにあるとのこと。
ああ良かった。

私らしいと言えば私らしいが、あって良かった。

いつもなら7時には午後のお昼寝が終わる娘だが、この日はずっと寝ている。折角帰ってきたのだから寝顔だけでなく、笑顔も見たいなあと思っておでこを触ってみると、おかしい。体温が低いのだ。

35度の半ば辺りである。ちょっと熱が低すぎないか。手足も寝ている時の感じの温度ではない。

「タミフル 低体温」

で検索すると、いくつかの記事が出てくる。呼吸が止まることがあるなんて怖いことも載っている。

慌てて電話である。大津市には夜間の小児科医の緊急電話相談がある。ありがたい。

また、かかりつけの小児科の先生のところに電話をすると、電話で指示を与えてくれた。これも、ありがたい。

久しぶりに川の字になって寝て、時々娘の様子を確認しながら夜を過ごす。

37度。
朝の検温では、通常の体温に戻っていた。
娘は14時間寝続けていたことになる。

熱は高くても低くても、大変であった。

2009/02/07

2/7 を、比良山が見えてきたぞ

2/7

最後の収録を終えて、新幹線に飛び乗る。やっぱり、N700。
新幹線の中では寝て行こうと思ったのだが、体が疲れている割には寝ることができない。気持ちが高ぶっているのだと思う。

テレビ番組の制作は、授業づくり、または授業にとても似ているなあと思う。今回の収録でもそれを感じた。

インフルエンザの後遺症で、頭の回転がいつもより鈍かったが、現場に出て子どもたちの顔を見て、スタッフの動きを見てとしているうちに、あれこれ頭が回転してきたのを感じるとき、
(ああ、俺は現場だなあ)
と思うのであった。

収録をしながらいくつかの発見や思いつきがあった。そのうちの一つが、「設定」と「調整」である。番組づくりも授業もこの両方の力量が問われる。

設定というのは、ことの前に行うものであり、調整というのはことの最中に行うものである。私は設定を大まかにしておいて、調整をしながら進める方を好みとしている。好みの問題なのであって、どちらか片方しかしないということではない。

これは
(私たちの世代は、調整があたり前の中で育っていたからかもしれないなあ)
と勝手に大きな仮説を立てたのである。
FMで音楽を聴くとき、私たちの世代はダイヤルをまわして調整、つまりチューニングをしながら一番電波状態の良いところを探して聞いていた。私が好んで引いていたギターも、六本の弦の音程をチューニングして使っていた。

が、デジタルの時代になりFMで音楽を聴くにしても、調整ではなく、周波数の設定と変わって行った。最近では自動でチューニングしてくれるギターもある。

この程度で人間の意識のレベルが変わるかどうかは、相当疑問だが、一つの考え方として「設定すればあとは、自動的にうまくいく」と考えている若者が増える一つの理由になるのかもしれない。

教材研究、児童理解。とても大切である。しかし、これは設定に関わるものである。授業が始まったら、設定をいじるのではなく、調整をしながら授業の目的に向かって行くことが必要になる。

FMラジオのクリアな音源を求めていた私は、そのダイヤルの遊びの部分を指先に感じながら、うんしょうんしょと調整していた。小学校で授業をしながら、その時の私のことを思い出していた。

それにしても、4回の出演は私にとっては良い経験であった。徳俵一枚で残った収録の回もあれば、授業の最初と最後で子どもの成長の差が凄くて感動した回もあれば、日頃の担任の先生のご指導の丁寧さを実感させていただいた回もあった。

スタッフも何回か同じスタッフと仕事をすることができ、気心が知れた関係の中で、気持ちよく授業をすることができた。

番組を作るとなると、どうしても数人の子どもにスポットライトを当てて作らなければならなくなる。対象がばらけると見ている方が大変になるからだ。

ではあるが、授業はそういうことはできない。番組の収録のための授業であっても、そこに参加する子どもたち全員に学びを保障しなければならない。

今回は、40人弱のクラスの子どもたちであった。全員自己紹介スピーチを行い、収録をした。実際に使われるのは数人だろうが、それはテレビ番組としてのこと。授業は全員である。

NHKのこのスタッフたちとの番組づくりは、この辺りの了解がきちんとできているので、私は授業に集中できる。この授業が編集の力で、余分なところを削ぎ落とされて、すっきりした番組にしあげてくれるだろう。

放送予定は、3/3 10:00~10:15(再放送は3/10)。番組は、「伝える極意」(第20回・最終回 自己紹介の巻)NHK教育テレビです。良かったらご覧下さい。

を、比良山が見えてきたぞ。
さ、そろそろ京都駅だ。
これから大学に行って、学生たちの保育園実習事前指導だ。

2/6 胃の腑に落下して行くのが分かる

2/6

今日の朝食は、三日目にして洋食にした。レストランが違うのである。和食のレストランは西側を向いているのだが、洋食は東側に向いている。つまり、朝日がレストランに入り込むのだ。これを見ようと思った。

窓際に腰掛け朝日の方向に目をやると、輝くものが見える。
(あ、海だ)
渋谷からもこの高さまで来ると海が見えるのである。

朝日を受けて水平線が反射しているのである。なんかとってもお得な感じである。

ボーッとして飲んだオニオンスープが熱くて、舌を火傷しそうになってしまったが、そのぐらい奇麗であった。

ロケバスは、現地まで1時間程度でたどり着く。そのロケバスの中では今日のロケの流れの確認等をするのだが、その他にもスタッフとあれこれと面白い話やくだらない話をし続ける。

「伝える極意」も四回目の収録で、スタッフともずいぶん仲良くなった。ロケバスの中の話もあれこれと多岐にわたっていて尽きることがない。

あっという間に小学校に到着する。そしてすぐに撮影の準備に取りかかり、いつでもオッケー、スタンバイとなる。この切り替えがとても気持ちがよいのだ。

さ、子どもたちの自己紹介スピーチの指導も、あと少しだ。

ふう。
子どもたちとの収録は終わった。
いやあ、小学校三年生の実力は凄かったなあ。
フルスイングに、フルスイングで答えてくれた。

良い時間を、ありがとう。

その後、授業以外のものをあれこれ撮影して、本日は終了。

夜は、渋谷の夜最後ということで、打ち上げをかねてスタッフと食事。初日の夜に行こうかどうかと悩んだあの店に向かう。金曜の夜ということで、予約で一杯。やっと夜の9時前に咳を抑えることができた。いや、席を押さえることができた。

今回の収録のことや、今までの収録のことを振り返りつつ、新しい番組の相談を受けたりしながら、美味しい料理を頂く。断酒していたお酒も解禁する。

ああ、エビスビールの炭酸が喉の細胞をくすぐりながら、胃の腑に落下して行くのが分かる。うう、「獺祭」の香りが鼻腔を通り抜けビールを追いかけて行くのが分かる。

心地よい疲労感、満足感。
仲間と一緒に、美味しい夜であった。

2/5 明日までフルスイングだ

2/5

授業の構成をどうしようかと、夜中まで練りに練り込んでいた。
その過程で見つかった必要な教材を同時に作り、印刷をディレクターに発注し、風呂に入る。

風呂の中で、思いついたことがありまた授業構成案を練り直す。
ノートに流れと注意事項を書き込み、見直し、展開のきっかけの部分を諳んじるように繰り返し、授業中の指示の順番が、一時一事の原則で出来ているか再確認し、
(ふむ。今日はここまでじゃ)
と終わる。
時計を見たら、もう少しで日付が変わるところであった。

部屋中に濡れたタオルを干し、喉に和手ぬぐいを巻き、口にマスクをして、明日の喉が大丈夫なようにして寝る。

首都高、第三京浜、横浜横須賀と乗り継いでロケ小学校に到着。昨日は事故があって少し渋滞したが、今日はきわめて順調。授業も撮影もこのように行くと良いなあと思いながら控え室に入る。

撮影は、中休みの子どもの遊んでいる様子から撮影とのこと。私はいくつかのシミュレーションを行い、子どもが躓いたときの指示を再確認。

さ、チャイムと同時に授業である。あとは、今までしてきた準備と子どもたちを信じて、フルスイングである。

ふう。
いやあ、終わった。
子どもたちは、凄かった。

とても1分間の自己紹介なんて無理と言っていたのに、そんなの嘘みたいであった。みんな良い笑顔だ。今日はクラスの半分が実施。

しかし、参ったことが一つ。
授業の間の休み時間である。
『はい、では5分間の休憩にします。うがいをしたり、トイレに行ったりして休んでください』
と言ったら、子どもたちが一斉に教卓に向かって突進してきた。
(な、なに?)
と思ったら、子どもたちは私の体を触りまくりくすぐり始めるのである。ひ、ひえ~。
『なあ。休み時間は、休もうよ』
休み時間中くすぐられていた私であった。

休み時間を10分間にしなくて良かった。
休み時間の方が疲れる授業というのは、荒れている学校ではあることだが、こういう疲れ方には驚いた。小学校の先生はあらためて大変だと思う。でも、ちょっと楽しかった。

あとは、明日もう半分の子どもたちの自己紹介を収録して、学校での私はおしまいになるかな。

家に残してきた娘の体調も良くなってきたようで、そちらも一安心。だが、気を抜くことなく、明日までフルスイングだ。

気合いを入れて夕ご飯を食べに渋谷の街に出ようとしたら、ない。財布がない。鞄ごとない。携帯電話もない。

ふむ。どこだ?

考えられるのは、移動のロケバスの中か、小学校である。ディレクターにメールをして、様子を見ることにする。

することもないので、風呂に入って待つことにした。すると、バスタオルがセットされていない。電話で持ってきてもらう。風呂に入る。そこに、電話。

案の定、ロケバスの中にあった。ああ良かった。

が、お金がない。
ふむ。

そうだ、一回ぐらい行こうと思っていたホテルの最上階のレストランに行こう。ルームナンバーで食べられるはずだ。

デジカメもなかったので、写真を撮ることは出来なかったが、夜景と食事は良かった。

1)車エビとつぶ貝のグリル ゴルゴンゾーラチーズソース
2)季節の野菜と魚介類のスープ仕立て
3)子羊のグリル
4)デザート

であった。
食事が出てくるタイミングがゆったりだったので時間がかかったので、読書をしながら時間を過ごす食事であった。

『つむじ風食堂の夜』
という小説だ。たまたまコートのぽけっとに入っていた小説で、なんというか陸奥A子さんのマンガに出てくる女の子が中年になって、さらにおじさんになって、主人公をしているかのような小説で、渋谷の夜景になぜか合っていた。

疲れた体に、逆転の充実のディナーであった。

2/4 収録初日

2/4

収録初日。
今日は授業の見学させていただく予定。であったが、午後に一時間ほど漢字の授業を急遽させていただくことになる。45分なのでなんとも短い。

さらに、子どもたちの反応がすばらしいので、こちらもタイマーを確認しながらではあるものの時間がどんどん過ぎて行くのが分かる。

授業を終えると
「え~、もっとやりたい!」
との声。
嬉しい。

ではあるが、これは日頃の授業で子どもたちを育てていらっしゃる担任の先生のご指導があればのこと。私なんて、子どもたちの様子を想定して、多くの場合に応用が利く指導のネタを持って行って、その場に合わせて授業をするだけのことである。

子どもたちは、どこからかやってきた大学の先生に緊張しつつ、テレビカメラもあるし必至に学ぼうのモードが強くなっている中での授業である。ストライクゾーンが広くなっていると言うか、打てば響くように育ててくださっているというか、そういうことである。

本当の実践の現場は、そんなもんじゃない。子どもの人間関係やさまざまな事情を理解した上で、狭い、狭いストライクゾーンに向けて授業や指導を重ねて行く。今日のご挨拶の授業がうまくいったのは、担任の先生、そしてそれを支えてくださっている校長先生、教頭先生の御陰である。

授業後、子どもたちが
「先生! 書けたよ!」
「先生、書けるようにしてくださってありがとうございます!!」
と次々にお礼を言いにきた。
これも、担任の先生の日頃のご指導の御陰だ。

私は
『どういたしまして、ありがとう』
と言いながら、ちょっと喉がいがらっぽかったので、もっとお話をしたかったが、教室を後にした。

そうそう、本日は父親の誕生日。
ホテルから電話もかけた。
元気そうで、良かった。
今回は戻れそうもないが、また来ます。

さて、明日の本番の授業をどう組み立てるかである。

2/3 ちなみに今年の恵方は、東南東だったかな

2/3

インフルエンザは、熱が下がってから二日間は出校停止。つまり、私も二日間は出講停止である。明日までは学校に行けない。子どものときなら喜んでいただろうが、残念ながら私は小学生のときにインフルエンザに掛かったことはない。

だいたい金曜日の夜に熱を出し、土日に寝ていたら元気になって月曜日には学校に行くと言う健康な子どもであった。だから、小学生のときに学校を休んだのは、夏のプールも含めて六年生の12月12日と13日の二日しかない。だからインフルエンザには掛かったことがないのである。

しかし、今週はゆっくりと体を休めて行くわけにはいかない。土日に休んでしまったがために、成績をつけることが遅れてしまったのと、東京で仕事が入っているためだ。

東京に行くのは家族に移さなくなるから良いと思うが、その移動中はマスクをして他の方の迷惑にならないようにせねばならぬ。

過密スケジュールは、これから解消しないといかんなあと思う。一つ躓くと、将棋倒しのように連鎖してしまう。途中にコマの立っていない箇所を設けて、倒れつづけてもそこで止まるようなシステムを作っておかないと、あちこちに迷惑を掛けることになるな。

すみません。

できるだけ家で体を休める。
ただ、儀式だけはしておかねばならぬ。
節分である。

奥さんがどこからか仕入れてきた鬼のお面を私がかぶり、
『悪い子はいないか?』
と家の中を歩く。
娘は、ちょっと驚いて逃げる。逃げながらもリビングの窓際に行き、出て行けの仕草をする。奥さんにマメをぶつけられながら出て行く鬼(私)。めでたし、めでたしである。

その後、教えてもいないのにマメを袋から取り出して、私に食べさせようとする。インフルエンザの菌が手に触れないように、そっとマメだけを取って食べる。4つで十分だよ。ありがとう。

お座りするとか、歩くとか目に鮮やかな成長はないが、突然できるようになっている成長があるので驚く。

たとえば、こうしてマメを食べさせてくれるとか、お昼ご飯のうどんを茹でようとしている姿を見ると、食べるための椅子に座っているとか、ズボンを勝手に履いているとか。

お父さんはインフルエンザで、側にいてあげたくても、いてあげられず、抱っこも無理なのだが、旅立ちの準備をしている私を見て娘は何かを感じるのだろう、近寄ってくる。ごめんね。行ってきます。

なんとか乗り込む。16:16京都発の新幹線。

なんとかの理由その1

N700である。数年前まで新幹線はどれも同じだと思っていた私は、すぐに発車する新幹線を選んで乗っていたが、料金は同じでも電車の種類は違うし、同じ種類でも到着時刻に差があることが分かってからは、乗り継ぎが良くて乗り心地の良いものを選ぶようになった。進歩である。

ただ、頭が回っていないのだろうか。新幹線のホームで、のぞみ32号というのと、32分発というのを混乱してしまい危うく乗り過ごすところであった。だから、なんとか乗り込むである。



なんとかの理由その2。

大津京駅を15:54発の京都行きに乗ってきたのであるが、大津京駅でこんなアナウンスがあった。

「間もなく3番線を列車が通過します」

15:52だったので、
(あれ、この時間に雷鳥かサンダーバードか? 遅れているのかな。54分発が遅れると難儀だぞ)
と思って通過で雨がホームに流れ込んでくるのは困ると思ったので、ホームの中程まで下がって待っていたら、なんと54分の列車が定刻通りに到着したのであった。

54分が定刻通りなのは良いが、
(まさか、この電車途中で脱線しないよな)
とドキドキしながらの乗車であった。

これまでも小さなミスが大津京駅ではあった。こういう小さなミスを見過ごし、よくあることとなったときに大きなミスが起きる。嫌な客だと思われるかもしれないが、連絡しなければと思う。

だから、なんとかである。



この新幹線は京都と東京の間を最短の2時間17分で繋ぐ。2時間17分なんてほらあーた、ボーットしている間に過ぎてしまう時間ですよ。しかも、今回の宿は渋谷なので品川で下車。もっと早く着いてしまいます。

新幹線の中では座席横から電源を取って、ひたすらメールの返事を。一通書いてはボーッとしていたこともあるだろうが、気がついたらもう静岡駅を通過である。そういえば、
(あれ、まだ湖が見える。琵琶湖が見えるはずないのになあ)
と思っていたのは、浜名湖であったか。



新幹線はいつも乾燥気味で、ペットボトルの水は欠かさずに持ち込むようにしているが、今回はマスクをしているので、相当楽である。

あ、部屋用のちょこっと加湿器を家に忘れた。ま、ホテルのタオルでなんとかするか。



ということで、渋谷着。
メールの発信をしたいのだが、すぐには出来ない。
SMTPサーバーを変更しないとダメなのである。以前、このホテルに泊まって収録したときに難儀の上、解決したものだ。
すぐに変更。をを、快適である。

さ、食事をして明日に備えよう。

私が渋谷に通っていたのは、もう20年も前のこと。そりゃあ、変わるさ、渋谷だって。

ちなみに、私はその当時の渋谷はあまり縁がない。渋谷で美味しいものを食べようと思ったら学生では手が出ない値段だし、学生で楽しめる店でサラリーマンに遠慮なく行ける店は「天狗」ぐらいだったので、私は下北沢を根城にしていた。



だからあまり偉そうなことは言えないのだが、渋谷は一時期の酷さを克服しているように思えた。高校生以下相手の店もあるのだろうが、夕食を食べにちらっと井の頭線の周りを歩いたところでは、
(を、ここは食べに入りたいなあ)
という店が増えていた。

ちなみに今日は、ちょっと足を伸ばして神泉まで行こうと思った。が、やめた。

私は相当のことがないと食欲がなくならないタイプで、今回のことでも食欲は熱のある時からそんなに無くならなかった。ましてやタミフルが効いてからは、問題なし。

そこで神泉の馴染みの店に行こうと思ったのだが、ちょっと待て、アルコールはどうなのだ?

早速ネットで調べてみた。
「タミフルを飲んでいる期間はビール小瓶一本にしましょう」
とのこと。
良い子の私は、我慢。馴染みのラーメン屋に変更したのである。

当然
(小瓶一本で我慢できる方が良い子ではないか)
という疑問も生じますが、そこまでは良い子にもなれそうにもなかったので、このお店は収録後の楽しみに取っておきましょう。



んでもって、ラーメン食べながら明日の朝ご飯を手に入れて、明日あさっての夕食の場所を決めてホテルに戻りました。

ホテルは受験生で一杯なので禁煙ルームが取れませんでした。
ので、消臭対応を食事の間にお願いしました。
で、
『あの~、朝食はなかったのでしたっけ?』
と確認すると
「ピンクの紙が一緒ではなかったですか?」
と聞かれたので
『いえ』
と答えて部屋へ戻ろうと思ったら、
「すみません。忘れましたのでお部屋に消臭対応の際に置かせていただきました」
とのこと。
『え~、朝ご飯を買ってきてしまった』
恵方巻きの手巻き寿司が売っていたので、こりゃいいわいと思い購入しておいたのだった。
『うーん。しょうがない。みなさんで食べて』
とフロントに置いて部屋に戻りました。

ピンポーン
『はい、どうぞ』
「すみません。こちらのミスでございます。買い取らせてください」
『あ、あれ。いいのに』
「いえいえ、そういうわけにもいきません」
『あそう。じゃあ、そうしてね。ちなみに今年の恵方は、東南東だったかな』
「ありがとうございます」

なかなか面白い幕開けである。

2/2 インフルエンザA型

2/2

日曜の夜に激しい悪寒。
(あれ、これ、ひょっとしたら?)
と思い、念のために翌日病院に行く。

「うーん、ちょっと違うかもしれませんが、念のために検査しましょうか?」
『よろしくお願いいたします』

ということで検査を受け、結果を待つこと20分。

「これです。弱いですがはっきりと出ていますね。A型です」

ということで、インフルエンザA型であることが判明。参った。

この日は、履修ガイダンス、保育実習事前面接、新ゼミ発表、旧ゼミお疲れさんの会とスケジュールがいっぱい。

(疑わしいなあ)
というままであれば、無理をして出席ということもあったが、結果が出てしまった以上そうもいかない。しかし、遠くから離れて参加ということもありか?と悩み、大学の教務や学科の先生に相談。

結果、家で休んでいてくださいとのこと。迷惑を掛けることをあちこちに連絡して、すぐに例の薬であるタミフルなどを服用する。

異常行動がでるのは10代であるからして私には関係がないが、念のため玄関とリビングの鍵を閉めてから服用。小心者なのか、用心深いのか分からない私。そしてすぐに寝る。

タミフル恐るべし。
服用前に38.7度あった体温が、3時間後に目覚めたときには3度下がっていた。私は平熱が低いので平熱に戻ったのであるが、この効果には驚いた。薬代も高価で驚いたが。

タミフルは発症後48時間以内に服用のことということであったが、これが見事に当てはまったのだろう。日頃アルコール以外の薬をほとんど飲まない私であるのも関係しているかもしれない。

高熱だと、思考が止まる。
面倒くさくなって、次のことが考えられなくなる。
38.7度のときに
(まあ、なんとか今日の予定は頑張れそうだなあ)
と思い込んでいたのが、恐ろしく感じられる。

家で休んでいてくださいという指示が正しかったことを実感する。
ご迷惑をかけたが、なんとか復活の方向にあります。

2009/02/03

2/7の明日の教室は延期です

2/7の明日の教室ですが、事務局の手違いで
この日はキャンセルで、河原先生の回は延期とさせていただきます。

楽しみにされていた方、申し訳ありません。

2009/02/01

今日もダウン

うーん、今日もダウン。
一日中寝ている。

強制的に汗を出すようにしていたので、なんとか熱は下がり始め、肌のぴりぴり感もなくなってきた。明日の履修ガイダンスなどの会議にはなんとか体調を戻したいものだ。

このまま寝ています。
あ、でも年賀状書かなければ・・・。

いかん、風邪である

午後から事務仕事をしに大学に行くつもりだったが、喉が痛い。体がだるい。腹痛がする。

いかん、風邪である。
インフルエンザではないと思うが、風邪である。
来週からの東京行きを考えると、選択肢は二つ。

1)事務仕事を終わらせてしまう。
2)体調を戻す。

考えたあげく、体の声を聞くことにした。2)を選択。娘の昼寝に付き合ったあと、もう一度体を横にすると、寝てしまった。

体がダメな時はよく寝られる。4、5時間寝たと思う。
注意はしているのだが、授業が終わったこの時期、疲れがピークにあり、よく風邪を引いてしまう。

薬を飲んで、果物をとって、喉を保護して、早く治そう。

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