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午前中は、高校の模擬授業であった。通常は、45分とか50分とかでの講座が多いのだが、今日は60分。いつもよりは時間があるかと思ったが、結局時間はいつも通りのギリギリであった。
通常、この模擬授業では、持ち時間の95%で終わるぐらいの内容を構成し、残りは生徒の顔を見ながら授業中に作って行くのであるが、これはなかなか難しい。
調整(チューニング)しながらの授業であり、一発勝負の授業である。だから、難しいのだ。
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一度家に帰り、午後からは関西青年塾である。いつも通り、駅前のコンソーシアムに行く。看板を見たところ、関西青年塾の案内がない。
(ん? どこだ?)
確かに今日がその日のはずだが、ない。
慌てて学生に電話をかける。
『いまどこにいる。今日はどこだ?』
すると今日の会場は四条にあるという。慌てて地下鉄に乗って向かうことにする。
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今日の講座は、小学校の実践家で、私は初めてお会いする先生であった。授業づくりと学級経営の話をしてくださった。
それぞれの内容も面白かったが、特に印象に残ったのは学級経営におけるオートマティック化と、問いに対するメタ思考である。
学級経営におけるオートマティック化というのは、一言で言うと「だって、このクラスではこうなんだもん」ということである。あれこれ説明する必要もなく淡々と日常が過ぎて行く、いや過ごして行くためのシステムである。
講師の原田先生は、「当たり前のことをあたり前のようにやること」が学級経営の奥義であると仰っていたが、これもこのオートマティック化に強く関連していると私は思った。
ここがきちんと出来ているクラスは、強い。日常が何事もなく過ごせるということは、何かのときに燃えることができると言うということである。考えるべきところに考えるだけの時間とエネルギーを咲くためには、考えなくても良いところは、考えないで済むようにしておくことが大事だと思うのだ。
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問いに対するメタ思考とは、模擬授業の中で気がついたことである。
もう一人の講師の先生が模擬授業をされている中で、私は先生の提示した問いに対して、応えることができなかった。AかBかを選んでくださいというような問いであったが、私は『状況によって違うので答えられない』と言った。すると、「こういう子どももクラスにいますから」ということでスルーされてしまった。
ま、スルーでも良いのだが、私はなんでスルーされたのかを考えていた。池田君だからということでスルーされることは、私の子ども時代にも、ままあった。
そこで気がついたのは、私は先生の問いについてメタ的に、問いの成立を問うていたということである。学校では、先生の指示に素直にしたがって素直に学ぶことが、いい子である。そして、多くの場合その方が「学力」は伸びる。
私は、先生の問いについて、その問いの成立を考えるような子どもであった。いまから思えば、いわゆるやりにくい子どもである。なので、教師になったときにそういう子どもがいたら、丁寧に対応してあげようと思っていたのだが、そういう子どもは本当に珍しい確率でしか存在していなかった。
私がおかしいと、先生の問いについて文句を言うと先生は嫌がったが、授業のあと仲間と話していると「おれもそう思った」という声が多くあった。この模擬授業でも休憩時間などに話すと「私も先生の言う通りだと思った」というのである。
であるが、みなさんはそう思いつつも、言葉に出さずに先生の指示に従って授業の中に入って行っていた。私はそれを体が許さないでいた。
子どもの頃の私は、先生の問いに答えられない私と、答えられない私を放置する先生を不思議に思っていた。実は私は素直に分からないから分からない。先生の問いは問いになっていないと思っていたのである。それが受け入れられないってのは、不思議であったのだ。
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娘を見ていると、子どもというのは「理解言語」と「表現言語」の二種類を持っているのではないかと思う。そして、これは子ども全般に言えるのではないかとも思う。話の内容を理解する系列の言葉と、表現するための言葉の二種類を子どもは持っていると考えるとあれこれが分かりやすい。そして、多くの子どもは理解言語はかなり早い時期から持っているが、表現言語は持っていないか、弱い場合が多い。
たとえば、
(この先生の言っていることはよくわからないな)
ということを理解するための言語はあるのだが、それを表現する言語を持っていないということである。
私は、どうやら言葉に興味があったことからなのか、子どもの頃から理解言語と同時に表現言語を持っていたようで、自分の授業をしている先生に、素直に表現言語で
『それは変です』
と伝えてしまっていたのだなと、今思うわけである。そして、それは問いに対するメタ的な問いだということにいま気づくのである。
はー、すっきりである。
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講座の後に、数人の方からチョコレートを頂く。
いやあ、うれしいf(^^;。
なんだかんだ言っても、これは嬉しいなあ。
そのまま懇親会へ突入。
学んで語って、悲しみを乗り越えて行くしかないのだと
改めて思う。
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家に帰ったら、奥さんからもチョコレートを貰う。
娘も用意してくれていたのだが、私の帰りが遅いので、明日ということになった。
それも、うれしい。ありがたい。