このタイミングの見極め
『子どもの行動には、理由がある』
と大学の授業では話す。
子どもが何かをしたとき、その行動、その事実には理由がある。だが、多くの場合理由を考える前に、その行動、その事実の評価をしてしまう。
忘れ物一つにしても、忘れ物をしたという事実だけを取り上げて、その子どもが忘れ物をした理由、またはせざるを得なかったかもしれない理由を考えることなどをしないで指導することがある。
『だから、その理由を考えることが大事なのだ』
◆
と、話すのではあるが、これは実際のところなかなか難しい。二つの点で難しい。
1)理由が分からない。
2)理由が分かった場合、その部分をどのように加味して指導するのかが曖昧になりがちである。
ということだ。ま、実際のところは育てたい子どもの姿と、目の前の子どもの様子と、先生の指導の力量で変わって行くものだと思うが、難しい。
◆
娘だってそうだ。
大学に向かうとき、忘れないようにと携帯電話をデイパックのサイドネットに入れた。こうすれば、すぐに取り出せるし持ち歩いているかそうでないかがすぐに分かるからである。
で、行こうと思ったら娘がその携帯電話を取り出した。
(あちゃあ、遊び始めるかな? 電源を切っていないから電磁波が危ないぞ)
と思って、取り上げなきゃなとしていたら、娘はひょこひょこ歩いてきて、私に手渡してくれた。
『を〜〜〜〜、ありがとう。賢いなあ』
頭を撫でると、娘は嬉しそうに誇らしげに笑顔になった。娘の行動は、
(お父さんが携帯電話をここに忘れているから、渡してあげなければならない)
という思いからなのだろう。
『ダメだよ』
というタイミングがあと1秒早かったら、褒めてあげられなかったなあ。
◆
育てるためには、このタイミングの見極めが大事だ。
だが、これが難しいんだなあ。
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