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2009/03/31

スターマインのようなフィナーレ

3/30

9時に家を出る。
多摩モノレールの上北台駅で乗車。そのまま、高幡不動駅に向かい、さらに聖蹟桜ヶ丘駅へ。東京のマンションの様子を見に立ち寄ったのである。

マンションの前に行くと、仲の良い住人の方が庭仕事をされている。
『精が出ますねえ』
と声をかけると
「あれま、池田さん!」
と。

部屋を貸しているのだが、ちょうど契約が終わり部屋の様子を確認するために見に来たことを告げる。

久しぶりの東京の我が家は、なかなか良かった。
借りていた人も、乱暴に使った形跡はほとんどなく、一安心であった。

このマンションは、今の大津のマンションよりも狭いのだが、なぜか広く感じるマンションで、駅から3分で多摩川からも2分と近い。ちょっと手放せないマンションなのである。新しい借り手はこれから募集。次の人も奇麗に使ってくれると助かるなあ。

京王線の特急新宿行きに飛び乗り、新宿経由で品川へ。新幹線は12:37分発。まだ10分ちょっと時間がある。ホームでソバを手繰る。

列車を待つホームで時間を確認。京都の到着予定は14:50分。一度家に帰ってから大学に向かうには、時間がちょっと足りない。そこで、家に電話して直接大学に向かうことにする。

新幹線で移動中、メールが。なんと奥さんが娘を連れて京都駅まで迎えにきてくれると言う。

京都駅では10分間だけ娘を抱っこ。久しぶりに会う娘は、しっかりと抱きつきながらも、顔は恥ずかしいのかあらぬ方向を見ている。

これだけでも、取りあえず十分であった。奥さんに感謝。

山科駅でタクシーに飛び乗る。15:30から学生の指導があるのだ。ぎりぎりに到着。一時間ほど指導をして、その後事務仕事などに勤しむ。

18:30から山科で、最初に担当したクラスの飲み会があるというので出かける。このクラスで一番若かった学生がやっと二十歳になったとのことで、アルコールありのクラスコンパが、やっとできるのである。

ま、アルコールなしでやればいいのだが、それはそれ。彼ら彼女らは法律を守ることを子どもたちに求めるようになるのだから、その辺りはきちんと守らせねばならない。私はそういうわけで学生たちが20歳になるまでは、コンパに顔を出さないようにしていた。

そしたら、やっとなったというのでお誘いがあったのだ。
なかなか愛い奴らじゃ。

せっかくなのでカラオケ等にも付き合ったが、これがまあ実に知らない曲ばかり。ま、タイトルとかアーティストとか聞いたことのあるといえばあるものばかりではあったが、聞いたことはない。

実に不思議だが、これらの曲はどこで流れているのだろうか?
ラジオ? テレビ? どこ?

子どもの頃は、自分がハマっている当時の流行歌に対して、
(なんで大人はこんなに流行っている曲を知らないんだろう)
と不思議に思っていたが、実に見事に自分がその大人になっている。

そして、歌よりも歌を歌っている学生の顔を見ている方が面白いのである。

嘗て私が小学生のとき、私の母親に、
「ドリフターズを見ているより、おまえの顔を見ている方がよほど面白いよ」
と言われたが、まさに、いまこの母親の気持ちがよくわかる。

人生は、面白い。

終電の一本前に乗る。
今日は午前様にならずに帰宅できた。

三泊四日の東京ツアーの最終日を飾る忙しさであった。
なんつーか、スターマインのようなフィナーレだなあf(^^;。

さ、新学期だぞ。

写真は、東京に向かうときに新幹線から見ることができた富士山。久しぶりに奇麗だった。

Fuji

2009/03/30

学び合い 東京セミナーで考えたこと

3/28

盟友の筑田さんが実行副委員長をするという「学び合い」の東京集会の第一回があるということを知った。

スケジュールを確認すると、授業づくりネットワークの春の集会の前日ではないか。それは参加するせねばならぬと思い参加する。

前日は新宿のホテルに泊まったので、チェックアウトの時間ギリギリまでホテルであれこれ仕事をして、江東区に向かう。

ホテルの外に出ると、びっくりしたことに「雪」が降っている。街は桜の花が咲き始めているというのに。後から分かったが、この日の東京は、二月の気温だったとのこと。げにげに。裏地をつけたコートを着てきて良かった。

学び合いの会は、100人を越える盛況である。
基本的な考え方、模擬授業、実践報告と三本柱で行われる。実に贅沢な講座である。

しかし、私はここでも違和感が生まれてくるのを押さえられなかった。ここでもというのは、言い換えれば「どこでも」なのかもしれない。私はわがままに出来ているので、最初からすっと入るということは、ほとんどない。違和感から始まる。

だが、この違和感は結構大事なことだろうと思っている。

日常生活では、私はこれでも私のわがままを必死に押さえようとしている。社会と関わって行く訳であるからして、私の中にある好き放題したい私を、ぐっと押さえて日常生活を送っているつもりである。

ではあるが、学問とか研究とかというところでは、このわがままを解放していい部分である。みんなが同じことを考え、みんなが納得するのであれば、学問とか研究はいらない。学習である。

そこは、なんか違うんじゃないかなと違和感を感じ、それを立証していくことが、学問や研究の存在意義だと私は考えている。だから、日常生活では押さえているわがままを、学問や研究では解放してあげるのである。

「学び合いはどうなんでしょうか?」
と私のところに質問にくる先生や学生たちもいる。
私は
『そうだと思いますよ』
と答えている。

あれだけ論文を書き、業績を残している西川先生と西川研究室がの提唱されているものが根本からおかしいとは思えない。私も『学び合う国語』を一緒に書かせていただいているが、出来上がった本を見ながら、やっぱりそう思う。

ただ、今回セミナーに参加して、いくつか私の中にあった違和感を言葉にすることができるかもしれないと思うようになった。主に4点ある。学び合いの知見からさらに深く学ぶために、私はここを理解したいという欲を持っている。

1)良いクラス、良い授業、良い学年は学び合いが成立しているということ。

これは本当にそう思う。良いクラブ活動でもそうだ。
しかし、ここにたどり着くのに、西川先生が提唱される方法だけでいけるのだろうかという違和感がある。前提条件があるのではないかとおもうのだ。

私の仲間たちは、その前提条件をあれこれ自分とクラスの様子を見ながら作り出し、クラスを授業を高めている。西川先生はシンプルであると仰っているが、そこが落ちない。というのは、

2)みんなが出来ることを求めたとき、これを理解しない生徒がいるときの対応。

「先生の言うことを、なるほどと思う生徒が6割7割いるクラスであることが大事」

と仰っているが、これは結構難しいのではないかと感じている。私は
『みんなが出来ることを求めたとき、それを理解しない生徒がいた場合はどうするのか?』
と質問をしたのだが、
「それは、教育の目的を語り、人格の完成を目指すことを求める。それが公教育の目的だからです。ここは譲れません』
と仰ったが、私が出会ってきた子どもたちの中には
「法律? んなもん、関係ねーよ。勝手にやっていれば」
とか
「うぜーんだよ」
とか
「はあ?」
で終わる子どもたちもいた訳である。譲らないと言っても、受け入れない、受け付けない子どもたちがいる。

そして、そうであっても「子どもたちを有能であると信じきる」ことは、多くの教師に可能なのだろうかということである。信じきれないとき、教師はどうなるのだろうかということである。

3)教師が褒めることのできる立ち位置にいることの意味

学び合いは、強烈な教師コントロールの下に行われる実践である。ここを誤解している先生もいるのではないかと思っている。教師はクラスや授業での重石のようなポジションにいることを求められる。

しかし、このポジションはそんなに簡単に手に入るのであろうか。野中信行先生は、「生徒が生徒していないので、生徒させなればならない」と仰る。これはD.B.Gowinのstudentingという概念に近いものだと思うが、生徒していない生徒が、教室にいる先生にこの重石のようなポジションを簡単に贈与するとは思いにくい。

学芸大学の山田雅彦先生は、

『「先生である」ことは、教師が生徒からgiveされるものである』

と仰っていたと思う。そうだとすれば、果たして簡単に与えられるものなのだろうかという疑問が残る。

先生が子どもたちをいくら褒めても
(お前が褒めるな)
(は〜?、関係ないのに)
という態度を示す子どもたちは、いる。
これが、学び合いを導入することで、すっと解決できるのか。私には分かりにくい。

4)人格の完成ってなに?

ディベートでは、平和とか環境保護とか衆愚政治とか、ちょっとみると凄そうな言葉で、誰もが分かりそうな言葉で、しかし実際に説明させるとなかなか説明の難しい言葉のことを、ビックワードと呼んでいる。

学び合いが目指すのは、教育基本法の第一条にある「人格の完成」である。この言葉は、私が大学生の時代からずっと拘り続けている言葉でもある。

・人格ってなに?
・完成ってなに?
・そもそも人格は完成するの?
・誰が完成した人格を設定したの?
・設定されたかもしれない完成された人格って本当に正しいの?
・そもそも人格の正しさってなに?

そんなことをずっと考えている。
要は、私にとって人格の完成ってのが、ビックワードなのである。

もちろん、ボーッとしている訳ではなく、人格の完成を「大人になる」ということをキーワドにして、私は考え続けている。ただ、学び合いを実践する先生方が、この人格の完成を自分の言葉で子どもたちに説明するのは、結構難しいと思っている。ここだけは、子どもたちにきちんと、教師が説明するべきところであると思うが、これが結構難しいのではないかと思うのだ。

以上この4点が、違和感を元に、言葉に置き換えることを挑戦したものだ。上記1)から3)について、私は検証する手だてを持たない。これは、私には学び合いが成立するための前提条件のように思える。ここについてはこれから進むであろう研究を追いかけてみたい。

私が学び合いを通して、学びを深めたい、そして、学生の指導に役立てたいと考えるのは4)についてである。この部分の解明には関心がある。

あれこれしながら、考え続けたい。

冗談法人 狭山県人会

3/27

(俺たちはどこにいて、何をしているのだろう)

そんなことを思った。
冗談法人狭山県人会の久しぶりの理事会であった。

冗談法人狭山県人会とは、東京の狭山丘陵をホームグラウンドにしたオフロードバイク乗りの集まりである。私はかつてここを根城にしてオフロードバイクで遊び続けていた。もう15年ぐらい前のことである。

20代の後半、私は日本人学校の先生になるのもいいなあと思い、あれこれしていた。

海外旅行に行っては、その土地の日本人学校を見学したり、説明会のパンフレットを手に入れたりしていた。そして、どこの国に派遣されても言いよう、オンロードバイクからオフロードバイクへとバイクの種類を変えたりしていた。

オフロードバイクは、メインテナンスがオンロードバイクに比べれば楽で、砂漠等に派遣されてもまあなんとか大丈夫である程度にはうまくなっておこうと思ったわけである。

ところが、これをきっかけにしてオフロードバイクにハマってしまったのだ。

狭山県人会の仲間たちと、週末ごとにキャンプ。さらに、レース。関東のあちらこちらの林道を走りまくった。富士山の裾野を走ることもあれば、登山をしたこともあった。

崖をよじ上ったり、崖から飛び降りたり。川を進んだり、横断したり。バイクごとすっ飛んだりでんぐり返りをしたり、骨折したりねんざしたり、擦り傷切り傷。雨の中も風の中も、なぜか知らぬがにやにやしながら走りまくっていた。

私はマンションを購入し、バイクの置き場に困ったことからオフロードバイクを降りた。そして、日本人学校を目指していたが、ディベート教育にのめり込んだこともあり、いま日本を離れるわけにはいかないということを思い、日本人学校を目指すことも止めた。

そんな仲間と10年以上ぶりの再会であった。

久しぶりに会う仲間たちは、変わっていなかった。人間は簡単には変わらないのである。教育の限界を感じつつ、一方で自己教育の可能性を感じるのであった。自分が楽しいことにはとことんまでのめり込む仲間たちであったが、それは変わらずであった。

(俺たちはどこにいて、何をしているのだろう)

10年も経っているのに、変わらない。面白いぐらいに変わらない。髪の毛が薄くなったとか、体重が増えたとか、しわが増えたとか。そんなことはまあ、そうなんだけど、その人間の面白さとか言う部分は、本当に変わらない。

それが心地よい。

そして、理事会(のみかい)が終わった後、私は思うのであった。

(俺たちはここにいる。何をしているのだろう)

それもまた、心地よい。

2009/03/28

高校時代に習った「君子の三楽」

義理の父親が、中学校の同窓会ということでこちらにやってきた。
我が家に二泊して行った。今年で卒業して60年になるという。すごいことだ。

久しぶりにおじいちゃんに会う娘。泣くかどうか心配であったが、全く問題なくすぐに馴れた。とても嬉しそうである。

同窓会の話を聞いていて、凄いなあと思ったことがある。
なんとその同窓会に、先生が参加されていたというのだ。

(まてまて、卒業して60年の中学校の同窓会に、先生が参加されるってのはどういうことだ。90歳を越えているんじゃないか?)

と思って話を聞いていた。
そしたら、

「いやあ、天国から手紙が届きましてねえ」
とのことであった。
同窓会で、天国にいる先生から手紙が届いて当時のことがあれこれ語られていたというのである。

もちろん、幹事がそう言う企画をして当時のエピソードを紹介して行く訳だが、そこまでして語られる先生ってのは凄いなあと思った。

同窓会に呼ばれるようになってから、教師の仕事の一つとして「長生き」というのがあるなあと思うようになった。長生きをして、

『この生徒(学生)は、どうしようもない奴だったが、いまはこんなに立派に成長しました。良かった良かった』
とか
『こいつは、まだ芽が出ていないけど、学校時代の彼の活躍を思えば、この後大きな花を咲かせるに違いない。手を抜かずに努力するように。期待している』
とかの言葉をかけるのが教師の仕事だなあと思うようになったのだ。

もちろん、卒業生がそんなことを望んでいるかどうかは別。だが、思っていようがいまいが、するのが先生という仕事なのだと思う。教員ってのは、基本的におせっかいなのである。

東京に戻る前に、近くのガーデンに出かけて行った。私と奥さんと娘と義父の四人でである。

「いやあ、贅沢な環境だねえ」

と義父に何回も言われた。本当にそうである。犬の糞の転がっていない芝生。手入れの行き届いた草花。これらを堪能できるのであるから。

娘がガーデンにある太鼓橋を昇ったり降りたりしているときに、奥さんと義父が前の方に歩いて行った。娘に、

『ほら、おじいちゃんとお母さんがあっちに行ってしまったよ』

と話したときに、当たり前のことに気がついた。
(あ、父と娘だ)
そして、私もいま父と娘なのである。
私と奥さんと娘と義父は、父と娘、そして父と娘なのでありました。

(40年後か? おい、40年後って、俺生きているのか?)

春の訪れたガーデンで、遠い幻を見たような気がした。

こうして義父を招待できて、ふと思うことがある。高校時代に習った「君子の三楽」である。

君子は、

1)両親が元気であること
2)自分が身にやましいことがなく、清廉潔白であること
3)学習意欲満々な学生に教えることができること

が満たされたとき、これを「君子の三楽」と呼ぶのだということを学んだ。

今の私は、2)に問題があるので、三楽ではなく、「2.X楽」なわけだが、それであっても相当ありがたいことである。

もちろん、私が君子かどうかということが問題になるが、これも高校時代に習った「君子の条件」からすると、たしか、君子になっているはずなのだがf(^^;。

義父を駅で見送り、私も東京行きの最終準備である。
今日3/27から3/30まで東京。
明日は私の母親の誕生日だ。
3/30の午後には京都に戻る。

忙しくも充実した、春である。

いどう三題噺

仲間のブログを読んでいると、異動がいつになく多いように感じる。公立学校の教員は、数年でその学校を移る。これが異動だ。学校を移り変わることもあれば、職種が変わることもある。

教員の仕事は、多岐にわたる。専門職であるはずだが、ほんとうにいろいろなことやる。またはやらされる。一つの学校にはその学校でだけ通じるローカルルールがある。印刷一つするにしたって、学校が変われば全く違うことがある。

だから、異動すると常に新人となり、その学校のやり方を一から身につけて行かなければならない。これが意外と面倒くさい。そして、多くの場合、一年間はその学校の仕組みを身につけ、前の学校のことは口にすることなくというようにする先生が多い。

ただ、別のことをする先生もいる。
違う学校に移った時から、新しい学校の悪いところをどんどん指摘して、自分のやりたいようにやる先生である。

私は何人かそのような先生と一緒に仕事をしたことがあるが、うまくいくと凄い力を発揮されることがあった。

私はどうだったかというと、前者であろうとしたが、結果的に後者になっていたことが多かったということであろうか。せっかちなのか、面倒くさがりなのか。そのどちらもなのだろう。少ししか先のことを考えずに、あれこれやっていたなあ、と今になって反省するのである。

仲間たちが、新しい職場でも健康でエキサイティングな仕事をしていくんだろうなあと思いながらブログを読む。

また、移動も仲間のブログに多い。3/28の学び合いの東京セミナーに駆けつけるメンバーがとても多い。日本全国からやってくる。そして、翌日の3/29の授業づくりネットワークの春の集会にも参加ということである。

北海道や九州から駆けつけるのである。
私も自分の人生がこんなに新幹線に乗る人生になるとは思わなかったが、参加する仲間たちもそう思っているだろう。

学び続けない者は、先生の仕事を続けてはならない。
その通りである。

そして、さらに言えば、
ま、あまり固いことを言わなくても良いじゃん。だって、学ぶことは面白いんだから参加するんだし、ということでもあるし。

そして、異同である。

あれこれ同じ講座や集会に参加しながら、学んで帰る内容は異なっているのである。量的に質的に異同がありながら、その異同を楽しむことができるのが、実力のある教師なんだろうなあと思う。

違ったって良いじゃん。だって、私が違うんだし、出会っている子どもたちが違っているんだし。環境も違うんだしと思える教師は、本物だと思える。

私は本物の教師にたくさん出会えて幸せである。
来年度もたくさん会えるだろうことを楽しみに思う。

いどう三題噺でした。

2009/03/26

WBC拾遺 その3

3/25-3

ついでにWBCネタでもう一つ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・中国ネットメディア「千龍網」は23日、「和服の親子を追い出した行為は、絶対に真の愛国ではない」との
     論説記事を掲載した。

     同論説は、武漢市の桜園で21日、和服を着て記念撮影しようとした母子が周囲から罵声を
     浴びせかけられた事件を取り上げ、浅薄な「愛国主義」を批判した。
     まず、「外国の衣裳を着て記念撮影を撮ろうというのは、よくあることだ。母子が非難されたのはかつて
     日本が中国を侵略したことへの“恨み” が原因」と指摘し、「日本への恨みを表明することが“愛国”と
     考えている人が多いが、和服母子を追い出すような行為は、真の愛国ではない」と主張した。
     同論説は「愛国ウイルス」にも言及。同ウイルスは満州事変が発生した9月18日、盧溝橋事変が発生した
     7月7日などに、日本語を使っているOSを狙い撃ちした。

     同論説によると日本の最も「恐るべき」点は、その民度の高さだ。
     07年のサッカー女子ワールドカップの日独戦では、観客のほとんどがドイツを応援し、日本には
     ブーイングを浴びせた。ところが、日本チームは試合終了後、ピッチに集合して中・英・日の
     3カ国語で「中国、ありがとう」と書かれた横断幕を示し、観客に対して深々とお辞儀をした。

     1994年に広島で開催されたアジア大会の閉会式では、6万人が立ち去った競技場の観客席に「ごみひとつ」
     残されていなかったことを、各国の新聞が「恐るべし、日本民族」などの見出しで紹介。
     また同論説によると、阪神淡路大地震では、地元の小さな金融機関が、被災者のために無利子、
     無担保、「本人が連絡先を記入するだけでよい」との方式で、当面の生活資金を貸し出したが、3年後に
     すべて返済されたという「恐るべき事件」が発生した。

     論説は、日本女子サッカーチームの「ありがとう、中国」の横断幕に比べれば、和服の母子を追い出した
     行為は「何の力も持たない」と指摘。愛国心を持つ中国人が学ぶべきは、日本の女子
     チームのように、他者を感服させるよう、自らの民度の高めることだと主張した。(抜粋)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということなのだが、この「恐るべき事件」については、私は記憶がなかった。救援物資が届いたとき略奪は行われず、きちんと列を作って物をもらっていたということは聞いていたが。こういうところこそしっかりとメディアは伝えなければならないと思ったものだ。

そして、今日のすぷりんぐさんのブログをみて、思わずにやりと笑ってしまった。三つ目の号外を配る人の言葉である。

以上、WBC関連で三つ。私が中学校の教員であれば、こういうところを使って授業を作って行くんだろうなあと、思いながら。

WBC拾遺 その2

3/25-2

WBCネタを続ける。
こんなのも見つけた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

お前ら栗原のこと馬鹿にしないでやってくれ、呼ばれたのには理由があるんだから
今回のWBCは急なルール改正で代表選手が33人から28人にしぼられたんだよ
それでそのことが発表された日もWBC代表の33人はみんな練習してた
だけど練習中にコーチたちから28人にしぼられたことと、こぼれおちた5人が発表された
そのとき栗原以外の4人はみんな早々に練習を切り上げて帰っちゃったんだ
だけど栗原だけは「僕は代表選考から外れちゃったけど、今日1日が終わるまでは日本代表選手の1人だから」ってんで他の選手たちと一緒に、最後まで練習に参加してた
それを原監督はちゃんと見てたから、村田が怪我した4分後にはもう栗原を呼ぶ指示を与えてた

引用終了 ーーーーーーーーーー

これも本当かどうかは分からない。
が、実感としてはよくわかる。

劇団四季の関係者の会話を聞いたことがある。
ある大きな役をやっている役者が、なにがしかの理由で急にその役を降りなければならなくなったことがあった。その時、そのステージで踊っている、その他大勢の役者を見回して、監督が
「お前、この役、明日からできるか?」
と聞いたときに、即座に
「はい」
と答えられないようではダメというのである。

そんな簡単に即答ができるのか?と思われるだろうが、
本当に主役を手に入れたい者は、後ろで踊りながら、前の主役のその踊りや歌も一緒に覚えているというのである。確かに、それが分からなければステージにはならない。そして、
(私なら、ここはこう歌う、こう踊る)
とできないとダメのだそうだ。

役が回ってきてから準備ではダメで、役が回ってくる前に準備が終わっていなければならないのである。

ここから得られる教訓は二つ。

1)プレーヤーであろうとするならば、今のためではなく、次のために懸命に準備をする。
2)指導者であろうとするならば、今のためだけでなく、次のために懸命に準備する者を見つけるようにする。

私は、どういう訳かこれについて20代から気がついていた。1)は自分が教師としてプレーヤーである視点で考え、2)は学級担任やクラブの顧問としての視点としてである。

この二つの視点を20代で同時に持てたことは、結構大きな意味を持つことだったと、いま思う。

WBC拾遺 その1

3/25

本日は非常勤講師懇談会。
もう来年度のことは始まっている。
あれこれ打ち合わせをしたり、お願いをした後、昼はパーティ。

私はコップに並々とついだ水を頂く。
(あれ? 日本酒あったの?)
という感じで私のことを見る先生が、ちらほら。

いや、だから水だって。ジュースでもウーロン茶でもなく、水。
そりゃあねえ、昨日のWBCを何回も見ながら、お酒を飲んでいたので、今日は水が美味しいのであります。

試合の結果は、まるで少年雑誌の野球漫画のような終わり方で、本当に気持ちがよかった。

が、私が関心があるのは、その結果もさることながらその周辺で流れているさまざまな情報のことである。

以下、本当かどうかわからないが、ネット上で見つけた文言。

引用開始 ーーーーーーーーーー

    我がキューバを2度も破った日本国のWBC連覇を心から祝福する。
    我がキューバは予選で敗退したが、世界一のチームに負けての敗退だ。
    世界一の日本に負けたことを誇りに思う。
    永遠の友、日本国民の皆様心からおめでとう。

          フィデル・カストロ

引用終了 ーーーーーーーーーー

野球好きのカストロ元議長。これまでも試合についてコメントを述べているし、決勝戦についてあれこれコメントを出しているので、このコメントも恐らくそうなのであろう。

見事なコメントだと思う。

1)自分の国のチームを破った相手国チームをたたえる。
2)自分のチームが世界一に負けたことを伝えることで、自分の国のチームも頑張ったことを伝える。
3)相手国チームの国民に友愛のメッセージを伝える。

ということであろうか。

諏訪哲二氏の近著『自己チュー親子』(中公新書ラクレ)に以下の記述がある。「個人」と「自己」の違いを定義した上で、

55pから引用開始 ーーーーーーーーーー

スポーツマンシップといはいわば「個人」のスポーツ的なあり方である。つまり、相手への敬意(自分への誇り)とフェアプレーの精神であろう。
スポーツは勝ち負けでなく、礼儀とかマナーとか生き方が問われてくる世界だ。スポーツ人としてふさわしい生き方が求められる。だから、勝ち負けだけでスポーツを眺めている人は近代人とは呼べない。

引用終了 ーーーーーーーーーー

57pから引用開始 ーーーーーーーーーー

他人を押しのけて勝ちたい衝動と、相手に敬意を払う気持ちと、ルールを順守するフェアプレーの精神とが内部でせめぎあって、近代スポーツは成立した。だからこそ近代スポーツは、スポーツ人を養成することによって、立派な近代的な「個人」を育成しようとしているのである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

もちろん、日本の野球がすべてこの通りになっているかどうかというと、疑問な点もある。しかし、「育成しようとしている」ということは、多くのスポーツの指導者には得心がいくものであろう。ちなみにもちろん、ディベートの指導者においてもそうである。

そうだとすれば、指揮官はこの観点から見てコメントを交わすべきであろう。
カストロ元議長のコメントは、これらを感じさせてくれるものであった。

2009/03/24

ただ、最後は

娘は、私なら何でも許してくれていると思っている部分がある。実際ほとんど許すのだが、ダメなことはダメときちんと教えなければならない。

今晩、テーブルの上にあったお皿を床に落とした。私が食べていた野菜の入っていたお皿である。野菜は食べ尽くしていたし、床の上にはマットが引いてあるので皿も割れずに大きな被害はなかった。

しかし、そのままにしておく娘は注意しなければならない。

『ダメでしょ。ごめんなさいは?』
と聞くと
「いやいや!」
とだだをこねる。何が嫌なのだか分からないが、ごめんなさいをしない。
『じゃ、向こうで一人でいなさい』
と膝の上から下ろす。当然泣く。泣いて私の膝の上に這い上がろうとする。

『ダメです。ごめんなさいは?』
「いやいや」
『じゃ、向こうで一人でいなさい』
とこれを数回繰り返す。

すると、娘は室内の低い位置に干してあったバスタオルの向こう側に隠れて、こちらの様子をうかがうのである。私が怒っているのかどうなのかを、こっそりと見ている。

(うううう。可愛い)
と思うのだが、ここは我慢。
『はい。出ていらっしゃい。拾いなさい』
そーっと顔を出す娘。
『そう。落ちているお皿を拾いなさい』
ともう一度言う。

すると娘は、拾って私に手渡す。
『おー、お前はいい子だなあ。賢いなあ』
と抱き上げて頭をなで回し、頬をくっつけて褒める。褒めまくる。
すると、娘は満面の笑顔。

床に下ろしたら、絵本を持ってきて、布団の上に座って読んでくれとねだる。お気に入りの絵本を三冊読んであげる。

その後、ずーっと私の側にいた。

子育ては、我慢比べ。
譲れないところは、譲らない。
それは、今から始まっているのだと思う。

ただ、最後は娘のリクエストに只単に応えている、情けないお父さんのような気がしないでもなかったがf(^^;。

2009/03/23

今日も再放送です。

http://tv.yahoo.co.jp/program/5860/?date=20090323&stime=1940&ch=8408

今日も再放送がありました。
しかし、いつやるのか私もよくわかっていないのが現状でして、
いま分かりました。

来年度も再放送するという話も伝わってきています。
使っていただけるのはありがたいこってす。

2009/03/23 19:40〜19:55 の放送内容 NHK教育

* 伝える極意「わたしのことを知ってください〜スピーチ〜」

です。

2009/03/22

桜、入学式の頃には満開かな

今日は2010年度入試に向けてのオープンキャンパスの最初の日。私は学科ガイダンスと模擬授業をしに昼前から大学に向かう。

ディベート大会、明日の教室と続いているので、体は疲れている。しかし、心が充実している。こういう疲れは、良い疲れだ。

ガイダンスは午前中。

新高校三年生がほとんどである。そして、新二年生も少しいる。2009年度から始まる「教育・保育職支援室」の話をしたり、2010年度から始まる「児童教育学科特別奨学金」の話をしたり、児童教育学科が文学部から、人間発達学部に移ることを話しながら、本学の児童教育学科がめざす学びの理念を話した。

午後は模擬授業。
久しぶりの授業である。
とは言っても、もう来週から新学期が始まるのだなあと思う。

ふー、早い早い。

桜、入学式の頃には満開かな。

大学の桜はほころび始めました。

いや、裏切っている

3/21

昼に大学に到着。昼食は糸井先生と一緒に。今日は、生協主催の新入生のための新生活ガイダンス。ちょっと不安げの新しい顔があちらこちらで見られる。

考えてみれば、4年間は短い。
あっという間である。
充実した大学時代にしてほしいと、素直に思う。

明日の教室は、立命館小学校の仲里先生。
前半が算数の話。後半が学級経営の話。

いやあ、いい。
休憩時間に研究室で話しながら、仲里先生の講義の様子に名付けをしていた。「1人模擬授業」「イッセイ尾形スタイルの講義」などが出た。

その目の前に子どもがいるかのような感じで、授業をしているかのように講義をされる。児童はいないのに、そこに児童の姿を見ることができる。

仲里先生の教育観、子供観を示しながら、指導の技術、授業の定石、学級経営の要の話をされる。

参加者は20人程度であった。
「いつも期待を裏切らない明日の教室ですね」
何人かの参加者に言われた。

本当にそうである。
全部参加している私がいうのもなんだが、本当に期待を裏切らない。いや、裏切っている。
期待以上なのだから、よい裏切りなのかf(^^;。

懇親会はいつもの場所。
前回は糸井先生がマンツーマンで仲里先生と話されていたので、今回は私がと思ったのだが、参加者のみなさんが、交代ごうたいで話をされている。

私はホストであるからして、今回もちょっと我慢。
こんなこともあるかもしれないと思って、研究室であれこれ話しておいて良かった。

今私が持っている問題意識に付いて、意見を求めたら
「そこはとても難しいものだと思います」
と話されていた。
やはりそうか。でも、ということは、解明に値するものだということも確認できたわけだ。うし。

でも次回は、懇親会で話すぞ。

私は何人かと二次会へ。
最近飲んでいる「臭い」ウイスキーを飲みに。

怪しく、楽しく飲んでいたら、結構な時間に。
やっぱり良い時間だ。こんな学びとコミュニケーションの場を一ヶ月に一回持てるというのは、実に贅沢だ。

4月からも、良い時間を続けたい。
次回は4/25。私のライティングの師匠を東京からお招きします。どうぞ、お越し下さい。

2009/03/21

近畿支部の春の交流大会

3/20

(ああ、また切ない時間が始まった)

全国教室ディベート連盟近畿支部の春の交流大会が行われたのである。
新しい論題が発表されてこの一ヶ月弱の中で、中学生高校生が立論を作り、資料を用意しての戦いであった。

恐らく、全国でこの論題で試合をするのは最初ではないだろうか。園割りには、びっくりするぐらい良い試合が行われていたというのが、正直な感想である。

年度末のとてつもなく忙しい中,ご指導に当たっている先生方のことを思うとただただ頭が下がるだけである。

今回は初出場の学校も増え、しかもそこがいきなりの準優勝。近畿の力が向上しているのを感じることができた。

近畿支部は、その運営のほとんどをディベート甲子園OBが担っている。大学生と大学院生がほとんどである。若い力が集まって、次の世代を育てる支援をする姿は、見ていて気持ちがよい。

私は、閉会の挨拶を頼まれた。   

『君たちが、ディベートを通して人間的な成長を遂げてくれることを願い、私たち運営スタッフは活動しています。今シーズンが終わったとき、君たちがいまよりも少しでも成長していることを期待しています』

と締めくくった。

その後、ちかくのしゃぶしゃぶ食べ放題のお店で懇親会。
東海支部から来てくれたスタッフや、近畿の若いメンバーと楽しく時間を過ごす。

切ない時間は、こうして始まって行くのであった。

オフであった

オフであった。

兵庫に三泊であった。
去年泊まった神戸のホテルに一泊。
淡路島に二泊である。
のんびりさせてくれるホテルが少しずつこちらでも見つかってきて、嬉しい。

淡路島が兵庫県であるというのは,関東の人間にはちょっと分かりにくいが、神戸ナンバーの車が走っているのである。

神戸ではポートアイランドでイケアの家具を見て、淡路島では泳ぐことの出来ないこの季節に、ホテルのプールサイドで本を読んでいた。写真は、黄砂の中、瀬戸内海に沈む夕日である。

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魚を食べて、話し始めた娘の相手をして、ビールを飲んで。
過ぎ去った今年度を振り返るつもりで何もせず、来年度のことを考えるつもりで何もせず、ただ、本を読んではごろごろしていた。

風、太陽、水の音。
これらを浴びて、過ごしていた。

もちろん、WBCも意識はしていた。途中昼ご飯を食べに入った店では、中継をしていて負けているのを知った。

が、そんなことよりはいまは、家族と同じ時間、同じ場所にいることの幸せの方が大事だ。

この時期に、平日にリゾートホテルに泊まっている客は、いないようでホテル全体が貸し切りのようである。なんという贅沢だ。

このオフは、結婚記念日の前倒しでもある。来週が結婚記念日であるが、来週が忙しいのでこの週にしている。

予約の際にホテルにその事を告げたら、どのホテルもお祝いということでアップグレードしてくれた。夕ご飯のときには、お祝いのケーキまで出た。なんとも小さなことだが、うれしい。

本当は、一週間ぐらいボーッとしたかったが、それはまあ贅沢。写真は、そのホテルの部屋からの景色。遠景に鳴門大橋が見える。

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結婚記念日ということは、この辺りに嘗て新婚旅行があったわけである。新婚旅行のときに私たちは二つのことをしようと思っていた。

1)新婚旅行は、二人の一番良い旅行にならないようにすること。
2)新婚旅行は、一カ所にとどまり続ける旅行にすること。

1)は、永六輔さんの文章に書いてあったことだ。とても納得したので、これを採用することにした。

2)は、1)を採用することで新婚旅行の目的が観光ではなくなったのである。観光で、毎日スーツケースを開け閉めしながら旅するのは、止めることにしたのである。

折角の一週間である。一カ所にとどまり、のんびりしながら、ちょっとアクティビティをしながら、これからの二人の人生設計と言うか計画と言うか、希望と言うか、そういうのを話し合おうとしたのだ。

もちろん、人生、ここで話し合った結果通りになんて行っていない。しかし、この選択は良かったと思っている。二人が一つの家の中で過ごす時の目指すところや、基本的なルール(というか習慣)の確認を最初にすることは、意味がある。後からやるよりは、誤解が少なくて済むはずである。

そういえば、結婚式は雨の続く3月だったのにも関わらず、この日だけ大晴れ。

そして、今回の旅行も大晴れ。
奥さんが晴れ女なのである。

良い旅行になった。

2009/03/15

まるで20代のような飲み方

昼間は、子守りをする。
琵琶湖のほとりに出かけて行く。

段ボールに座らせて、草の斜面を滑らせる。
もちろん、倒れないように加減しているが、それでも結構な斜面、スピード。器用に倒れないようにバランスを取っている。大したものだ。

夕方から京都市内へ。土作さん、赤坂さんが学び合いについて語るという会があったのだが、私は子守りで伺えず。夜だけ参加した。

いやあ、凄かった。
まるで20代のような飲み方であった。
気がついたら、とっくに終電はない。

ならばもう一件ということで結局・・・。
まあ飲んだ訳だ。

楽しい時間であった。

さて、明日から久しぶりの長期オフとなる。
3/19まで連絡がとれなくなります。
よろしくお願いいたします。

2009/03/14

こわい先生も ただのおじさん

3/13

卒業式は、雨となった。
着物姿の卒業生には可哀想であったが、別れの雨というのも悪いものではないと思えた。

児童教育学科は、まだ二回生までなので卒業生はいない。しかし、この二回生が新入生のときに面倒を見てくれたオリターたちが卒業である。

二回生は、卒業生のために自分たちで小さな卒業式を企画し、実行していた。私も関わりのある学生たちなので招かれて、来賓のような形でいた。

こういうことができるような人間関係や育ち方というのは、いいなあと思う。

他にもあちこちで一緒に写真を撮り、彼ら彼女らを送り出した。
良い人生を作り出してほしい。母校はいつまでも応援している。

卒業式の後は,卒業パーティ。私は謝恩会で良いと思っているのだが。卒業のときに謝恩されるぐらいの実践でなければならないと思っているのだが。

全学部とも同じホテルだが,会場は学部ごとに違う。私はあたり前だが卒業生はゼミ単位では持っていない。しかし、こういうのは参加するものだと思い、参加。ま、教職課程を受けている学生たちは、結構いるのでその学生たちを見送るということでは、大事だ。

頭の中では,この曲が流れていた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

作詩:荒井由実 作曲:荒井由実

なれないネクタイ カガミみてむすんだ
ちょっとめかしこんで Farewell party
あこがれのあの娘と
せめて最後 写真にでもおさまりたい
結婚話が出たならおしえて
カードでもおくるから
仕事におわれるようになっても
時々あいたい人さ

こわい先生も ただのおじさん
ビールついでくれる Farewell party
かれのニックネームも もうこれからは
おもいでの中で呼ぶだけ
授業などみんな忘れたけど
あなたのひとみは好きでした
青春にちりばめられた愛を
いつまでもだきしめて

授業などみんな忘れたけど
あなたのひとみは好きでした
青春にちりばめられた愛を
いつまでもだきしめて
いつまでもだきしめて

引用終了 ーーーーーーーーーー

ハイファイセットの「Farewell party」である。
私は自分の大学の卒業のパーティには出なかった。五年生になっていたし、まあ、いいかと。

でもあのときは、この曲を口ずさみながらいた。
それが、まさか「こわい先生も ただのおじさん ビールついでくれる Farewell party」の「ただのおじさん」がわに回るとは。人生は面白い。

この夜もこの「こわい先生も ただのおじさん ビールついでくれる Farewell party」の部分を心の中で歌いながら、挨拶に来る学生たちにビールを注いであげた。

そして、

『在校生に厳しく愛情、卒業生に優しく愛情というのが、京都橘大学だ。困ったことがあったら、連絡をしなさい』

『人生の不条理は、若いうちに味わっていた方が良い。これからそういうことがあっても、(ま、そんなこともある)と軽やかに乗り越えて行けるようになるから。その経験をしたと思えば良い』

『仕様がないだろ。君は実力がないのだから不合格だったのだ。しかし君が教師になることを待っている生徒たちはいる。簡単だ。実力をつけよ。それから、タバコは止めろよ』

と結局、最後まで説教をしている私だ。

そして、
「あー、先生のところに来る時は、やっぱりメモ帳を持ってこなければダメだ」
と言っている学生たちに、改めて卒業おめでとうの祝福をしたいと思ったのであった。

ご卒業おめでとうございます。君たちのこれからの人生がさらに豊かでありますように。

2009/03/12

「教職・保育職支援室」

本日は卒業式の前日。

中学校と大学の違いはいくつかあるが、ここは違うなあと思う。大学では卒業式に向けての準備、練習、指導。これらがほとんどない。服装指導もない。

会場準備は業者がやってくれる。式の段取り、当日の運営は事務方がやってくれる。ありがたいことだ。

この間に私たちは、少しだけ研究に勤しむことができる。

卒業式の前日といえば、予行である。本学も本日は予行。そして、予行と言えば学生表彰である。

私が顧問をしている「京都子ども守り隊守るんじゃー」が、大学の学生表彰の団体の部で表彰された。ありがたいことだ。今日はその顧問として表彰の場に出席。牛に引かれて善光寺のようなものでもある。

学生が頑張ることに関して、私があれこれ言う必要はない。ただ、明らかな方向違いや、誤解に基づくトラブルが発生しそうな時だけ、ちょこっと言うぐらいである。

その方が、学生たちはやりやすいはずである。いや、あれこれいわれないと動けないような学生たちを育てては行けないはずだ。

昼ご飯を食べにキャンパス内を歩く。
予行が終わり、生協の組合費の返還を受け取り、教員免許を受け取りにと四回生がたくさん歩いている。

「あ、先生!」
と声をかけられ、教員免許状を見せてくれる学生がいる。

他にも、卒業後の進路がここにきて一気に決まり、常勤講師になったと報告してくれるもの。通信制で小学校の免許をとることにしたもの。さらに、鳴門教育大学大学院に進学が決まったもの。大学院に進学してもう一度教員の道を目指そうと決意し直したものと次から次へと声をかけてくる。

一人に対応していると、その後ろに列が出来るという感じであった。中庭に列が出来てしまった。今日,大学に来て良かったなあ。卒業式の日はこんな風にのんびりと話すことは出来ないからねえ。

本学では、来年度4月1日から、「教職・保育職支援室」という部署が開設される。この立ち上げの仕事に私はこの半年間没入していた。それが形となって動き出す。

教職、保育職に関わって、キャリアセンターと教務に関わるものをここに一括するのである。ここでは、教職・保育職をめざす学生一人一人に対応して、専門の教員と職員が支援に当たる。教育実習、採用試験、卒業後のフォローということを業務とする。

私たちの仕事は、教師になってからの仕事を教える部分が多いが、この支援室ではなる前の部分を厚く支援するのである。

もちろん残念ながら、現役で採用試験に合格することの出来なかった学生たちも、ここを活用することができる。常勤講師、非常勤講師の情報や、採用試験に向けての小論文指導、面接指導なども考えている。

京都橘大学は、本気で教職、保育職を目指そうと努力している学生,卒業生にはきちんと指導と支援をしようと考えている。その一つの形となったのが、この支援室である。

今日会った卒業生で今年は合格しなかったものの、教職を目指すことをやめていない学生たちには、この支援室のことを話してあげることができた。

さ、まだまだ頑張れ。

明日は晴れますように。

賢い人と賢いと思っている人

賢い人は、分かるまで何回でも同じ話を聞く。そして分かったら本当に分かっている。

賢いと思っている人は、一回聞いただけで分かったと思い込んでいる。そして、分かっていない。

全学でFD講演会

午前中から会議。
私は四つで済んだが、五つ、それ以上の先生もいるようである。それぞれの会議は大事なのだが、なかなか疲れる。どこのがっこうも、今年度のまとめと、来年度の計画であれこれ非常に忙しい時期である。

今日は昨日に比べて花粉は楽だ。
楽なのに文句を言ってはダメだが、なんでこんなに差があるのかなあとも思う。

会議の後に全学でFD講演会で大学での授業のあり方に付いて学習を行う。大学でも授業のあり方については、このところさまざまな工夫がされてきている。

本日は、児童教育学科の先生お二人が講師となって、話を進める。
さすがに分かりやすい。基本文献として『大学授業』(宇佐美寛 東信堂)をあげられていた。やはりなあと思う。私は『大学の授業入門』(宇佐美寛 東信堂)の方が好きなのだが、どちらも名著であろう。

私も三年前に同じく講師を務めた。
大学に移っていきなり大学の先生に授業方法についての講義というのはちょっと緊張したが、もう三年も経ったんだなあと、ちょっとびっくりだ。

あ、赤坂さん。
私、大学の先生にも教えていることに気がつきましたf(^^;。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/shinji-akasaka/20090311#c

読みかけの本を読み終えて、おやすみなさい。

2009/03/11

肌までぴりぴりしている

いやあ、ちょっと外に出たら今日は大変だった。
昨日までがなんだったのだろう。

花粉。

今シーズン最悪の状態になってしまった。
すぐに戻って、シャワーを浴びて鼻を洗って目を洗ってとやっているが、肌までぴりぴりしている状態だ。

うーん。
やっぱりこういうときは、鼻に塗ってその上からマスクをしないとダメなようだ。頭がボーットして熱っぽい。

今日は、ダウンである。

で、寝る前にメールのチェックやらをしていたら、
http://japanese.engadget.com/2009/03/10/apple-netbook-rumor-dw/
である。

いやあ、今年の後半が楽しみだ。

2009/03/10

瞬間的に流れる「ノリ」の集団

鼻の中に塗る薬が効いているのか、朝起きてもそんなに問題はない。うれしい。

酷いときには、鼻が詰まってしまって口で呼吸する一晩のため、舌と喉が乾燥しまくって、授業中に口の中から出血するということも、嘗てはあったが、今年はそこまではいっていない。

年度末になると、カラオケによく行った。
忙しいのにも関わらず、よく行った。忙しさをまぎれさせようと言うのではない。そんなことしたってかえって忙しくなるだけだ。

そうではない。この学年の仲間と、この学校の仲間と別れるのが惜しくて、少しでも一緒の時間を過ごしていたいとカラオケに行った。そんな学年、学校にいたときは、本当にこの3月の頭は切なかった。

人間の集団は、民主主義と封建主義のどちらでもうまくいかないのではないかと、鴻上尚史さんは言っていたと思う。その間に瞬間的に流れる「ノリ」の集団が、一番良い。

ただし、この「ノリ」の集団は、瞬間的にしか現れない。長くたって3ヶ月ぐらいだろう。だから、その瞬間を感じるとき、仕事と仲間の心地よさを感じたいがために、カラオケ等に遊びに行った。

だが、この時期は花粉症である。さらに、この学年の最後だとおもうから、授業にも熱が入る。喉を使う。だから、声が出ない。歌にならない。それでも歌っていたなあ。

ブルーハーツ。
年度末になると,ブルーハーツだったなあ。「終わらない歌」だったなあ。

今日は、いろいろな書類を書き、学科の仕事を黙々とこなしの一日だった。

2009/03/09

最終回の再放送 伝える極意3/10 10:00~ NHK教育テレビ

え〜、最終回の再放送です。
良かったらご覧下さい。

引用開始 ーーーーーーーーーー

再放送:平成21年3月10日(火)10:00〜10:15 NHK教育テレビ

○内容
クラス替えを目前にした神奈川県横須賀市立船越小学校の3年生が、自己紹介に挑戦します。
極意を教えてくれるのは京都橘大学の池田修さんです。
何を話すかを探すためには、自分自身を見つめ直さなければなりません。
それは「3年生にでもできること」と池田さんは言います。
かつて、名前しか言えなかった竹園さん。
自分のことを話して、笑われてしまうのがこわいという佐久間さん。
そんな2人が、池田さんの極意を使って聞く人を笑顔にさせる自己紹介ができるようになります。

○池田流 自己紹介の極意
1)自分を見つめ直す
2)相手が聞きたいことを話す
3)笑われることを気にしない

引用終了 ーーーーーーーーーー

四月の自己紹介にご活用いただければと。

2009/03/08

明るいうちに家に帰って来れた

本日、今年度の入試がすべて終了した。
採点も即日に行ったので、私のレベルでの入試は終了である。

入試業務が終わった後、研究室で少しあれこれ。
まだ、昨日のコンサートの余韻が残っているので、BGMは、STARDUST REVUE。うう、やはり根本さんの歌はいい。

明るいうちに家に帰って来れた。
を、出航して行くミシガンが見える。
見上げると、月だ。
まるで月明かりが湖面に光の帯を伸ばしているようにも見える。

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早くからお風呂も湧かしてくれている。
そのまま風呂にどぼん。
はぁ〜〜〜〜〜〜〜、気持ちいい。

どうも胃腸の様子が良くないので、奥さんが今晩のおかずに「うずみ豆腐」を作ってくれた。これが絶品なのだ。

1)蕪を下ろしたものたくさん
2)昆布だしをとったお湯
3)豆腐

基本的にはこれだけである。
これを鍋に入れて一煮立ちしたら出来上がりである。
なんとも淡い、上品な味となる。

お好みで柚子胡椒等を、取り分けたトンスイなどに落としてもよい。

そうこうしていると、ドンドンと音が。
琵琶湖で花火が上がっている。
ああ、たぶん結婚式のミシガンでの二次会だろう。
ミシガンが停泊していて、その近くで上がっている。

Imgp3893

今日は気持ちよく、早く寝よう。

すっごい久しぶりのコンサートに出かけた

(そうか、俺は根本要さんになりたかったのかなあ)
と思った。
歌がうまくて、ギターがうまくて、話もうまくて。
そして、
(目指さなくて良かったなあ)
とも思った。

すっごい久しぶりのコンサートに出かけた。
奥さんが一人で行ってきてと、チケットを買ってくれたのだ。
我が家から車だと10分のところでのコンサートだ。
スターダストレビューが大津市民会館に来たのだ。

ご本人のMCによれば、20年ぶりだそうだ。
31歳のときに来て、いまは51歳。
え、51歳? すごい。

いま、サザンオールスターズが活動を停止している中で、一番のライブを見せてくれるバンドは
恐らくスターダストレビューではないかと思っていたが、そうだった。
今日の演奏は、コンサートではなく、ライブハウスであった。

しかし、平均年齢は私よりも高いんじゃないかなあ。
そして、8割が女性。
それが違和感なく酔いしれた一夜であった。

今回のコンサートは、新しいアルバムを引っさげてではないので、古からのファンにも全然オッケーであった。
私も9割近く知っている曲であった。

二曲目の「Single Night」を聴いたとき、不覚にも目頭が熱くなった。
(おいおい、まだ二曲目だぞ)
と思った。

私のこの20年を振り返ってみると、スターダストレビューが重要なところにいたことに、
この曲を聴いて改めて思ってしまったのだ。

(あの夏の思い出と言えば、この曲だったよなあ)
(結婚を決めたときには、曲だったなあ)
(結婚式の二次会のオープニングはこの曲だったなあ)
と結婚以前からお世話になっている。

あの時とこの時が、コンサートで一緒になる。
不思議な感覚。

それにしても、根本さんのボーカルは、いい。
あんなに歌いっぱなしで大丈夫かと思うのだが、高音の伸びは、いい。
シャウトも、いい。

さらにバンドとしてのコーラスも、いい。
アカペラのアルバムを出すぐらいだからねえ。

不肖、池田は、実は根本さんの音域は出る。
いや、出ることもある。
ただ、2曲が限界だろう。
2時間もあれをやれる51歳か。すげーなあ。

ああ、バンドを久しぶりにやりたくなってしまった。
コンサートを開きたいなあ。

高校時代からのバンドを続けてプロになって、未だに最前線のスターダストレビュー。
それってどんな人生なのかなあと思ってしまう。
私の同級生でもいまだにライブ活動をしているメンバーがいるが、
なんか、私もうずうずしてきてしまうなあf(^^;。

根本さんは、
「大津に合わせて、いろいろと考えてコンサートを作ってきました」
と話していた。
そうなんだ。コンサートは作るものなのだ。

プロのステージとは比較にならないが、私は自分が出演してきた時も実感していた。
この作ると言うことを。
そして、教師になって軽音楽部の顧問をしているときも、これを強く意識していた。

軽音楽部に入ってくる子どもたちは、ステージで目立ちたいという思いを強く持っている子どもたちが多い。
これは、分かる。それでいい。
ただ、これだけでは困る。

ステージを作る裏方としての仕事、ステージに出演する時の動き方を理解していなければならない。
裏方は、ステージの上の演奏者が演奏しやすいように下地を作り、流れを作る。
演奏者は、裏方が裏方の仕事にも配慮して演奏する。
だからまずは裏方から始める。

ここが気に食わない中学生もいたが、私は曲げなかった。
ここが出来なければステージには出さなかった。
スポットライトは、スポットライトを当ててくれる人がいるから成り立つことを理解させること、
ここを理解させたいと思っていた。

ここに軽音楽部が、学校の中学校のクラブ活動で存在する意義の一つがあると思っていた。

私はそんなことを思い出しながら、大津のために作ってくれたコンサートを十分に楽しんだ。

きちんと検証したことはないのだが、私の仲間たちで授業がうまいみなさんは、
演劇か、コンサートを経験している人が多いのではないかと思う。
中には、漫才や落語、さらには手品という人もいるが、演劇かコンサートが多い。

演劇も、コンサートもステージングが大事である。そして、裏方も大事である。
プロの集団は、裏方は裏方で専門職がいるが、アマチュアは両方ともやる。
この両方ともやることが大事で、ここで培ったものが、いつの間にか
授業づくりに良い影響を与えているのではないかと思う。

私は明らかにコンサート派。一部、落語が入っています。
ま、さだまさしさんでしょうかf(^^;。

コンサートが終わった後、会場の近くのビール屋に飛び込む。
いろいろな感情を言葉にすることなく、ただビールと一緒に飲み込みたかったのだ。

良い夜だった。

以下、当日のメニュー。
ネタバレ注意ね。

MCからスタート
1、Amazing Grace(アカペラ)
2、Single Night
3、今夜だけきっと

ドMコーナー
4、シュガーはお年頃
5、ブラックペッパーのたっぷりきいた私の作ったオニオンスライス

CMソングコーナー
6、夢伝説 (いままた、流れている。20年前の曲とは思えないね)
7、Stay My Blue -君が恋しくて- (メニコンO2なので、大津の歌なのだそうだ)
8、君のキャトル・ヴァン・ディス (カネボウ化粧品のCMだったのに、シングルは売れなかったとか)
9、Northern Lights -輝く君に- (大津タイヤなので、大津だそうだ。本当は、泉大津だとか)

10、愛してるの続き
11、上を向いて歩こう(アカペラ)
12、あの娘のラブレター(アカペラ) 
13、木蓮の涙(アコスティックバージョン)
14、愛の歌(みんなで合唱)
15、Goin' Back To 1981
16、と・つ・ぜ・ん Fall In Love
17、おらが鎮守の村祭

アンコール
18、本日のスープ
19、東京ブギウギ(大津バーション)
20、約束

また行きたいなあ。
いや、出たいなあf(^^;。

2009/03/06

娘と初カラオケ

子どもは何でもまねするが、娘はカメラを撮影するまねがお得意である。おもちゃのカメラだけではなく、もうフィルムの切れた使い切りカメラや、ICレコーダーをカメラに見立てての撮影にも余念がない。

もちろん、本物のカメラにも興味津々。リコーR7に手を出そうとする。
どうしようかと思ったのが、そーっとということを教えてきたので、娘を信じて手渡すことにした。

最初のうちは念写をしていた。電源も入れずに額の上で撮っているまね。
おそるおそる、電源を入れてあげる。そして、シャッターの在処を教える。

を、結構大丈夫じゃないか。
カメラを投げることもせず、モニターに映る私を見て喜んでいる。
シャッターも切れるじゃないか。

一歳六ヶ月が見ている世界を記録できるなんて、結構いいなあ。
写真は、娘が撮影したガーデンの芝生である。娘の影も写っている。

Satuei

同時にまた今日は一歳半の誕生日お祝いに、クレヨンとスケッチブックをあげた。画伯の誕生である。水で拭けば落ちるクレヨンというので、安心して使わせることができる。嬉しそうにスケッチブックに線を引く。

最も本人は、箱から出たクレヨンを元に戻すことに、ご執心のきらいもあったが。

私は来年度の準備に勤しむ。勤しむ。勤しむ。

夜はこれまたダンス大会。今日はお気に入りの「傷だらけの天使」、にスピッツ、ブルーハーツ。これらを流すと踊る踊る。

階下に響かないようにとリビングに敷いてある布団の上に娘は乗って、踊る踊る。踊りは教えたつもりはないのになあ。父は面白く見ているのだが、娘はこっちに来いと叫びながら、身振りをしながら要求する。

まだ晩酌の終わっていない私は、参ったなあと思いながら、いそいそと布団の上に。そして、一緒に踊る。もちろん、私は歌も知っているので歌う。
(あ、これはカラオケだね。娘と初カラオケだなあ)
と思う。

踊り疲れて眠らせようと思っての作戦であったが、寝たくなるのはこちらの方だったかもしれない。
なかなかうまくいかんなあf(^^;。

ディベート甲子園決勝ビデオがウエブ上に

http://www.elnet.go.jp/elnet_web/portalTop.do

ディベート甲子園の去年の決勝がビデオで見ることができます。
9チャンネルに入ってください。

いやあ、凄い凄い。

田畑寿一さん

読書をしに琵琶湖湖畔にでかける。
春の日差しが強い。
花粉症対策として、鼻の粘膜に塗るタイプのものを試してみる。2時間ぐらいであれば、結構良い。空気が別物に感じる。

  • 鼻洗いスプレー
  • 目洗い液
  • 花粉吸入防止塗り薬

この三点で、乗り越えて行こう。

それにしても、今日は凄い虫であった。
いわゆる琵琶湖虫と呼ばれるユスリカである。
これが大量発生であった。

恐らく、昨日の寒さから解き放たれた日差しの中で、一斉に羽化したのであろう。一週間ぐらいはこの状態が続く。マンションにも夜になるとその灯りを目指して集まってくる。窓なんか開けておくと、とでもないことになるf(^^;。この時期は気をつけよう。

嬉しいメールが届いた。

田畑寿一さんの、小中学校のときの同級生の方からのメールだ。たまたま検索した田畑寿一さんの名前にヒットしたのが、私のブログHPだったそうだ。

ディベート甲子園設立に関わったメンバーで、田畑寿一さんのことを知らないものはいない。そして、彼のいなくなったあとの喪失感を持たなかったものもいない。

それはディベート甲子園に関わったメンバーだけでなく、彼の幼なじみの方にとっても同じであった。

わたしのブログやHPを見ていただいて、わざわざメールを下さったのだ。とても嬉しい。私が田畑寿一さんの思いを受け継いでいることが嬉しいと言ってくださったが、私が語り継ぐ意義を認めてくださったのも私は嬉しい。

仕事で通っている場所が、全国教室ディベート連盟の事務所のすぐ近くだと言う。ご縁があるのだろう。夏の東洋大学には、田畑寿一さんのDNAを持った生徒たちが集まる。是非、お越し下さいと伝えた。

インターネットは、場所と時間を越える。
今、日本にいながら簡単にヨーロッパのHPにアクセスできる。場所を選ばず、瞬時にということである。   

ではあるが、時間に関してはもう一つあるのだ。you tubeでも明らかなように、インターネットの時間は過去に戻るのである。そして、ほぼ永久に残るのである。

何気なく書いた一言が、電脳空間にアップされる。それは、残り続けることを意味する。たとえ、自分で書いた文章を自分のコンピュータから削除したとしても、自分のHPから削除したとしてもである。サーバーに残ったり、キャッシュで残ったり、誰かのコンピュータに保存されたりして残るのである。

今回は、この特性の良い面が働いて、田畑寿一さんの幼なじみからメールを頂くことができた。良かった良かった。ただ、逆の面には注意しなければならない。気をつけよう。

時間があるうちに、前倒しであれこれと準備。

3/22 京都橘大学の新しい年度としての最初のオープンキャンパスがある。ここで学科ガイダンスと模擬授業を行う。その準備。

私はほとんどパワーポイントを使って授業や講義をしない。なんというか、授業のライブ感が削がれてしまうと言う感じがするのだ。だからしない。ではあるが、今回ガイダンスはマックのkey noteで作った資料でやることに。どきどきである。模擬授業も新ネタである。

3/29 「授業づくりネットワーク2009春」で、「10:30〜12:30 ワーショップ1教科書定番教材で学ぶ言語活動 E 国語の作文教材に活用するライティング・ワークショップ」という講座を担当することになった。この準備だ。

120分という限られた時間なので、事前の作り込みが結構大変だ。配布資料で時間を短縮できるところは短縮し、実際にやってみるところはやってみるための時間を取る。この見極めをしながら、当日使う資料を作成して行く。

私の設定では、5分ぐらい調整の時間を織り込んだつもりだが、講座や授業は生ものである。調整をしながら進めることになるだろう。

そうこうしているうちに、8月のスケジュールの確認のメールが飛び込む。

ここをこうして、あそこをこうするとうまくいくかもしれないなあ。だけど、また東京へととんぼ返りになるかなあ。

新幹線にフルフラットの座席か、ハンモックの座席が欲しいなあ。
JR東海でどう? >>ミッチャン。




2009/03/04

春の天使は、階段を下りて

昼過ぎから会議。教職課程に関する会議である。
会議室に向かう時、何人かの学生に会う。幼児教育コースの学生である。保育実習のあとの指導を受けてきたとのこと。

実習が終わると、学生たちの顔が少し締まる。疲れがさせるのか、不安がさせるのか、勉強不足と感じた心がさせるのか。充実感で締まる学生もいるだろうが、多くの場合は前者であろう。

それでも、いい。
彼ら彼女らが現場に行って、多くのものを丸ごと受けとめてヒーヒー言うことが良い。現場と理論を行ったり来たりしながら、多くの学びをつくり出せば良い。

君らは四大生だ。あと二年間ある。

「明日の教室」の書籍発行に向けて、あれこれしている。書いていただいた原稿を確認し、私の担当の原稿を書くと言う作業である。

頂いた原稿を拝見して、素直に思ったことは
(この執筆者の先生方で学校を作ったら、楽しいだろうなあ)
ということである。とんでもないのである。

・実践が豊か
・現場に根ざした理論が分かりやすい
・参考文献がバラエティに富んでいる

学校を一つ作るのにいくら掛かるのだろうか。1000億円あれば、可能かなあ。だれか寄付してくださいませんか。え、無理?

それであれば、まずはこの本で我慢することにします。
ご期待ください。

自分のことばかり書くのもなんなので、ちょっと別の話題。
RSSなどであちこちの仲間の記事を読むのだが、ちょっと気がついたことがある。

もうすでに、新学期なのだ。
いや、今年度を終えたということではなく、同時進行で新学期の準備を始めているのだ。

旧暦の暦は、新暦に比べて一ヶ月ほど遅れる。
この例えから考えると、学校歴は、新暦よりも一ヶ月早く動き出していると言えるだろう。

校長は、三年先を見る。
教頭(副校長)は、二年先を見る。
主任は一年先を見る。
担任は、一ヶ月先、三ヶ月先を見る。

そんな話を聞いたことがある。

今年の桜は早く咲きそうだ。
もう、春は動いている。
春の天使は、階段を下りて琵琶湖に降りてきている。

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『教師のための携帯ブックス1 子どもも先生も思い切り笑える 73のネタ大放出!』を読む。

『教師のための携帯ブックス1 子どもも先生も思い切り笑える 73のネタ大放出!』(中村健一 黎明書房)を読む。

私は中村先生の講座を3回ほど受けたことがある。笑いと学級経営に関する講座だ。1回は私の授業で講師としてきていただき、学生たちに指導もしていただいた。

その時の感動が蘇る本である。

ここにある73のネタは、中村先生が自分の実践の場で日々行っているものである。机上のものでは、ない。

(今日も一日楽しいクラスになるな)
(はやく明日、学校にいきたいなあ)

と子どもたちが思うような指導のネタが73載っている。本人も書いているが、お買い得である。1ネタ15円だそうである。

現場を持たない学生諸君は、所属する教育研究サークルやゼミで実際にやってみると良い。やり方はこの本に端的に書いてある。その通りにやってみて学ぶと良いだろう。

現場がある先生は、子どもの反応を見ながらあれこれ楽しめるだろう。著者も言っているが、
(ああ、先生になって良かった)
と思う瞬間もあるのではないだろうか。

ただ実は、クラスで笑いを成立させるためには、笑いのネタを知っているというだけではダメな部分がある。桂枝雀師匠は、
「笑いは緊張の緩和」
と定義されていた。

緊張の部分をきちんとつくり出せない教師は、笑いをつくり出せない。緊張とは、日頃の規律正しい生活、学習の態度である。

本書の性格からして、ここの部分は書かれていない。この部分については、二冊目、三冊目を楽しみに待つことにしたい。

ではあるが、そんなことを意識しながら、この本に書かれている一つ15円のネタをやってみると、ものすごいお買い得であるということが、改めて分かるであろう。

4月からの学級経営のために、今からネタを仕込んで練習である。

自己紹介あれこれ 伝える極意最終回

昨日、「伝える極意」の最終回が放映された。自己紹介スピーチがテーマである。

出演していても、作品を見るまではよくわからない。授業はしているのであるが、番組になるとすべてはディレクターの掌の中にいるわけであって、番組が出来上がるまではどこがどのように使われて番組になるのかは、わからないのである。

私の仕事は、番組の素材となる授業の提供である。が、当然であるが、私は番組とは関係なしに授業をする。それだけで完成の授業をする。授業は、番組を作るために編集されたりカットされたりする。それを踏まえて、私は仕事を引き受ける。

今回の「伝える極意」のディレクターさんとは、四回目ということもあり、突っ込んだ番組づくりもできた。ディレクターさんが、設定の担当で、私が調整の担当という役割分担ができた。カメラマンさん、音声さん、照明さんなどのスタッフのみなさんからも、多くの協力を得て、番組を作ることができました。

再放送は3/10の10:00~NHK教育テレビです。

で、今回のテーマは自己紹介なのだが、こんなニュースを見つけた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

初対面でも話しやすい雰囲気を作り出すシステムを開発 ~異業種交流会や研修などビジネスの最前線で活用可能~

2009年2月27日
日本電気株式会社
慶應義塾大学
共用ディスプレイに表示される「ActiveAvatar」(例)

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NECはこのたび、異業種交流会をはじめとする知的創造空間や、オフィスの休憩スペース、セミナーやイベント併設の懇親会などにおいて、人々のコミュニケーションを活性化するシステムとして、空間演出メディア「ActiveAvatar(アクティブアバター)」を試作し、慶應義塾大学との共同実験により有効性を検証しました。

今回開発した「ActiveAvatar」は、ディスプレイの前に集まった複数の利用者それぞれのアバター(注1)や名前、所属、トピック情報などをディスプレイに自動的に表示することで、利用者が初対面でも話しやすい雰囲気を作り出し、気軽なコミュニケーションの" きっかけ"を提供するシステムです。ディスプレイと一体化されたタッチパネルの操作により、簡単にプロフィール交換を行うこともできます。
本システムは、利用者の情報が蓄積されたサイバー空間と、共用ディスプレイの前にいる利用者が他の人と交流するリアル空間をつなぐことで、従来IT化が進んでいなかった、リアル空間でのコミュニケーション活性化を促進する新たなソリューションを目指して開発したものです。

「ActiveAvatar」の主な特長は、以下の通りです。
1.ディスプレイ近辺にいる利用者の情報を的確に表示

利用者の位置情報をNECの屋内位置管理システム「SmartLocator」(注2)および新たに開発した名札型の測位端末で検出。ディスプレイに取り付けた赤外線発信機からのID情報を、利用者が身に着けた測位端末で受信し、無線基地局経由でサーバーにID情報を通知。ディスプレイの近くにどの利用者がいるかをシステムが自動把握し、事前に登録された各利用者の名前や所属、トピック情報をアバターとともに共用ディスプレイに表示。これらにより、利用者は端末をかざしたり、自分の場所を意識することなくシステムを利用可能。
2.プロフィール情報を交換して人脈図を作成

利用者は、ディスプレイ上のタッチパネルを操作してプロフィール交換が可能。タッチパネルの操作に基づいて、サーバーがそれぞれの利用者に相手のプロフィール情報をメール送信し、その後の継続的な遠隔コミュニケーションを支援。また、利用者同士のプロフィール交換履歴を管理し、人脈図として出力・表示する機能も提供。

近年、ビジネスにおける知的生産性の向上を目指して、異分野の知識を持った人々が集い共創することで、新たな価値を生み出すための環境づくりが活発化しています。このたびのシステムは、これらの環境づくりに貢献するもので、利用者の継続的なコミュニケーション支援を行うものです。

NEC ではこれまでに、本システムの有効性を検証するため、慶應義塾大学と共同で社会実験を実施してきました。本実験では、展示会の休憩コーナーや異業種交流会において、実際にシステムを設置し、来場者同士のコミュニケーション創出を行い、異部門の人同士を引き合わせることで、コラボレーションマッチングの効果を発揮することを確認しました。
また、オフィス空間での有効性を検証するために、NECネッツエスアイ本社の「EmpoweredOffice Center」(注3)に本システムを設置し、来場者による利用実験を実施します。今後これらの社会実験で得られた結果に基づき、コミュニケーションを活性化させる空間演出メディアのソリューションを具体化していく予定です。

なお、このたびの慶應義塾大学との共同社会実験は、文部科学省科学技術振興調整費による委託業務「先端融合領域イノベーション創出拠点の形成 コ・モビリティ社会の創成」により実施されたものです。

本システムの仕組みおよび社会実験に関する詳細については、3月17日から愛媛大学で開催される電子情報通信学会総合全国大会において発表します。

http://www.nec.co.jp/press/ja/0902/2701.htmlから引用終了 ーーーーーーーーーー

いろいろなところで、自己紹介はテーマなのだなあと思う。

これだけメディアが発達しているいま。にもかかわらず、自己紹介なんだよなあと思う。

ひな祭りである

3/3
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ひな祭りである。
和室に鎮座ましますのが我が家のおひな様である。

朝、
『おひな様にお早うございますを言おうね』
とリビングで言ったところ、娘は和室の扉を開けておひな様の前に行く。びっくりである。

私が正座をしていたら、その上に座ってきてお辞儀をしようとする。
「おひな様、今年も一年間守ってくださいね」
とお願いを一緒にする。

お昼前に、今年も下鴨神社の流し雛に向かう。やはりMINIだと山中越えが気持ちよい。太いトルクと快適なハンドリング。そして、固めのサスペンションである。

寒いと思っていたら、雪が降ってきた。
ひな祭りに雪というのもなんだかなあ。
やっぱり、こういう行事は旧暦でやった方が良いな。

子どもの頃から疑問だったのは、なんで三月三日が桃の節句なのかということであった。だいたいからして、梅しか咲いていない。桃なんてずいぶん後なのになあと思っていたが、これが旧暦を規準にしているということを知ってからは、ずいぶんと納得した。

寒い寒い、流しびなであった。Photo
うちのおひな様は、旧暦の桃の節句まで飾っておこう。

夜はちょっと奥さんが調子が悪かったので、私が料理。
混ぜるだけのちらし寿司を用意し、その反動できちんと昆布からだしを取った蛤の潮汁を誂える。デザートにはイチゴのショートケーキ。

娘は潮汁だけは柚子がお気に召さなかったのか、ダメだった。が、後は「うまうま」と言いながらものすごく食べる。それだけでなく、小躍りする。顔をしわくちゃにして、「うまうま!」と叫びながら小躍りする。

父は嬉しい。

夕食後、you tubeであれこれ懐かしの曲を聴いていた。坂崎幸之助、カルメン・マキOZ、高中正義、ブレッド&バター。

しかし、まあ、you tubeはタイムマシーンだね。あの頃手に入れることの出来なかった音源、見ることの出来なかったコンサートがすぐに手に入る。娘はカルメン・マキOZがお気に入り。渋い。

「傷だらけの天使」を流したところ、これがとてもお気に入りだったようで、踊る踊る。くるくる回って踊る。確かに、萩原健一はこの番組では「修ちゃん」だったが。

父と母は爆笑であった。

ちなみに最初の写真は、我が家のおひな様ではなく、下鴨神社で装束をまとったお二人である。

2009/03/03

もうすぐ250000

キリ番の方、前後、付近の方。
コメントをお待ちしております(^^)。

バンブーって言うんだよ

風呂で娘と遊んでいたら、観葉植物の「ドラゴンバンブー」のフラワーベースをひっくり返してしまった。

『これは竹ですよ。バンブーって言うんだよ。お水を入れて育てているんだね』

と娘に説明していて、ふと思い出した。

原宿のバンブーである。

表参道から一本裏に入ったところの角にこの店はある。

高校生のころ、ドキドキしながら入ったものだ。いまから思うと日本最初のオープンカフェなのだろう。自分の好きなものをトッピングして、好きなサンドイッチを作る。

そして、テラスで食すのである。高校生にしてはちょっと奮発した食事であった。夜なんかとても手が出ない値段であった。

あの頃の自分を思うと、なんとも未来を明るく描けたものだと思う。なんとかなるという思いを簡単に抱けた時代だった。

(東京のどこかで仕事をして、ときどきはまたこんな店に来て、いまよりはちょっと贅沢なメニューを頼んで)

なんてことを思っていたのだから。
それだけでも幸せな青春時代だったのかとも思う。

まだこの店があるのかと思ってHPを探してみたら、あるではありませんか。それもちょっと贅沢な仕様になって。

当時の若者がおじさんおばさんになって、ゆったりと食事を楽しむようになったことに合わせての改装とのこと。

確かに、東京にいたら娘を連れて食事に行きたくなるなあ。
『ここはね、父さんが高校生の頃に憧れていた店なんだなあ』
なんて話をしながら食事をしたいもんなあ。

さて、それはいつになるのか。
風呂から出てあれこれ考えた。

2009/03/02

しかし、20年か

できるうちにと、四月からの準備を進める。
まだ、年度内にやらなければならないことがあるのだが、天気とか気分とかで左右されるところは、そこに乗っかってやるのが大事。

今日は3月2日。MINIの日である。調整に出していた愛車は本日戻ってきた。ちょっとまだ納得のいかないところがあるが、ま、運転できるのは楽しい。

全国教室ディベート連盟の会員版「トライアングル」の原稿を一つ書く。「自著を語る」というコーナーで『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』について書いてくださいという依頼を頂く。ありがたい。

私にとってこの本は、ディベートに出会ってから約20年の実践と研究をまとめた学術論文だ。

ある領域については、三冊本を書くことが大事だと、誰かの本で読んだことがある。三冊書けば、大体言いたいことは言い尽くすということなのだ。

私は『中学校国語科ディベート授業入門』『中学校・高等学校ディベートワークシート』と書いてきて、本書でディベート領域では三冊目となる。たしかに、だいたい言いたいことは言い尽くしたなあと思う。あ、DVDも出したしね。

そして、本人がどう思っているかは別として、世の中はその道の専門家と思ってくれる。ただ、誤解されることがある。私はディベートの専門家ではない。ディベートのなんたるかを研究する専門家ではない。

私が注目し続けたのは、ディベートの入門期指導である。どうしたら、このディベートの魅力を、ディベートをやったことのない生徒たちに伝えることができるだろうかとやってきたのである。トーナメントプロではなく、レッスンプロとしての私の存在意義はここにあると思ってやってきた。

しかし、20年か。
飽きっぽい私がよくまあここまでやったものだと、自分でもちょっとびっくりしている。

途中で、平井信義先生の本を見つける。
学生時代に読んでいた先生だ。
「叱らない子育て」
というものを提唱されていた。

私も子どもを授かったら、そうしたいなあと思って20年も前に読んでいたのだ。
そして、いまもう一度読み直そうと思って購入。

二昔前の出来事二つが、今日私の中で蘇った。
面白いねえ、MINIの日は。

さ、明日はまた原稿書きと講座の準備と。

あ、「伝える極意」にも出演であったf(^^;。NHK教育テレビ10:00〜10:15です。

「餃子の王将コーナー」

3/1

近くのガーデンが三ヶ月間の休園を経て、本日今シーズンの開園日である。三人で出かける。まだ、花はほとんど咲いていない。園内にも人はほとんどいない。というか、ほとんどの時間私たち三人で貸し切りである。

近所の人たちは、ここをみんな自分の庭と思って使っているが、うちもその一人だ。贅沢な空間を自分のものとして使っている。

杉の花粉はもうピークを越えたらしいが、マスクに眼鏡でガードして外を歩くのは変わりない。

ガーデンの芝生の上に寝転がる。
空が青く広い。
深呼吸をする。

ん?
リンゴの匂いがする。

マスクをしていると、匂いに敏感になる。残念なことだが、遠くの歩きタバコの匂いまでかいでしまうぐらい敏感になる。だからであろうか、なぜかリンゴの匂いがした。

クンクンかぎ回った結果、芝生の新芽の匂いであることが判明した。芝生に寝転がったので、ちょっと葉っぱが折れて、その匂いであった。正確に言うと、松とリンゴの混ざったような香りである。びっくりである。

「パイナップルね」

と奥さんは言う。
うーん、正しいのだか間違っているのだか。

昼ご飯は、塩鯖のペペロンチーノを作る。うまひ。ビールかワインかを楽しみたいところではあるが、ぐっと我慢。

お腹がいっぱいになったところで、NHKテレビをつける。今日は琵琶湖毎日マラソンの日でもあるのだ。

画面には見慣れた町が次々と映し出される。といっても、私の住んでいる地域ではなく、瀬田の唐橋の方面である。

最後は161号線を走ってきて、私がよく食べに行く餃子の王将のところを曲がって皇子山陸上競技場に向かうのだが、去年はこの餃子の王将のところで娘を抱えて応援した。

よし、いくぞ。
やっぱり今年も、「餃子の王将コーナー」に行くことにした。

4位までがほとんど団子状態で通過。
5位以降はずいぶん間が空いてしまったなあ。

「頑張れ頑張れ!」
とあちこちで声援が上がる。
娘は、
「わんわん、わんわん!」
とわけのわからない応援である。

来年は、「頑張れ」と言えるだろうか。

家に帰ったら奥さんがマラソンを録画したと言う。
恐る恐る見てみると、やややや、二人とも映っているf(^^;。
ま、家族以外は全く分からないだろうが。

その後、年賀状書き。
いや、その、いろいろとあって今です。
ですが、本来は一年は三月から始まっていた訳であります。

あと少しで頂いた年賀状へのお返事にたどり着きます。
あけましておめでとうございます。

2009/03/01

四速や五速で走るのを瞬時に選び、使い切るってのは結構難しいと思う

今日で二月もおしまい。
二月は逃げ月。
あっという間である。

後一ヶ月で新学期が始まるのですねえ。三期生が入学してくるのですねえ。その間にやるべきことを考えると、相変わらず目眩がしますが、まあ、お仕事お仕事であります。

今日は午前中にお散歩。
天気がいいのでコートも着ないで琵琶湖の湖畔を散策。

娘は琵琶湖のちょっとした土手を、滑り台のようにして滑り続けている。何回も何回も。飽きないのかなあと思いながら見ているが、見ている私も飽きない。似た者同士である。

花粉が飛び交う外の空気は部屋の中に入れず、リビングの窓は閉めたままで床暖房の床に寝転がり、うとうとする。

そうだ、今週は体を休めることにしたんだっけ。
床暖房の温度を上げて、ごろごろごろ。

『栄光なき天才たち』を再読しては、人生で自分がなすべきこととして与えられていることは何かを考える。

それでもって、和室でもゴロゴロゴロ。
おひな様を下から見上げてゴロゴロゴロ。

自分の中に潜ったり、天井を見上げたり。

ラジオが始まる前に風呂に入ってしまい、
ゆっくりと聞き始める。
外はまだ明るい。ずいぶんと日が長くなったものだ。

片桐さんから教えてもらった紳士の声の主。分かった上で聞いてみるが、やはり彼には聞こえない。ま、ずーっと聞いているからイメージは変わらないのかなあ。

番組のHPの紳士の写真は、明らかに彼なのだがf(^^;。

楽しみにしていた白州次郎のドラマの第一回を見る。
彼は、人生の触れ幅が凄い。

車を愛した白州は、人生のその時その時のレブリミットが見えたのであろう。今はどこまで踏み込めば良いのかが見えていたのだろう。

自分の性能が上がるに連れて、レブリミットが上がって行く。6000回転でレブリミットだったのが、12000回転がレブリミットになって行くのが分かる。

一速で走るときと六速で走るときは、まあ、分かる。
しかし、四速や五速で走るのを瞬時に選び、使い切るってのは結構難しいと思う。

40歳でそれを成し遂げた白州次郎。
そういえば、私もあの前後はあれこれあったなあ。

早く整備からMINIが戻ってこないかなあ。
遠乗りがしたくなってきたぜい。

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