高校時代に習った「君子の三楽」
義理の父親が、中学校の同窓会ということでこちらにやってきた。
我が家に二泊して行った。今年で卒業して60年になるという。すごいことだ。
久しぶりにおじいちゃんに会う娘。泣くかどうか心配であったが、全く問題なくすぐに馴れた。とても嬉しそうである。
◆
同窓会の話を聞いていて、凄いなあと思ったことがある。
なんとその同窓会に、先生が参加されていたというのだ。
(まてまて、卒業して60年の中学校の同窓会に、先生が参加されるってのはどういうことだ。90歳を越えているんじゃないか?)
と思って話を聞いていた。
そしたら、
「いやあ、天国から手紙が届きましてねえ」
とのことであった。
同窓会で、天国にいる先生から手紙が届いて当時のことがあれこれ語られていたというのである。
もちろん、幹事がそう言う企画をして当時のエピソードを紹介して行く訳だが、そこまでして語られる先生ってのは凄いなあと思った。
◆
同窓会に呼ばれるようになってから、教師の仕事の一つとして「長生き」というのがあるなあと思うようになった。長生きをして、
『この生徒(学生)は、どうしようもない奴だったが、いまはこんなに立派に成長しました。良かった良かった』
とか
『こいつは、まだ芽が出ていないけど、学校時代の彼の活躍を思えば、この後大きな花を咲かせるに違いない。手を抜かずに努力するように。期待している』
とかの言葉をかけるのが教師の仕事だなあと思うようになったのだ。
もちろん、卒業生がそんなことを望んでいるかどうかは別。だが、思っていようがいまいが、するのが先生という仕事なのだと思う。教員ってのは、基本的におせっかいなのである。
◆
東京に戻る前に、近くのガーデンに出かけて行った。私と奥さんと娘と義父の四人でである。
「いやあ、贅沢な環境だねえ」
と義父に何回も言われた。本当にそうである。犬の糞の転がっていない芝生。手入れの行き届いた草花。これらを堪能できるのであるから。
娘がガーデンにある太鼓橋を昇ったり降りたりしているときに、奥さんと義父が前の方に歩いて行った。娘に、
『ほら、おじいちゃんとお母さんがあっちに行ってしまったよ』
と話したときに、当たり前のことに気がついた。
(あ、父と娘だ)
そして、私もいま父と娘なのである。
私と奥さんと娘と義父は、父と娘、そして父と娘なのでありました。
(40年後か? おい、40年後って、俺生きているのか?)
春の訪れたガーデンで、遠い幻を見たような気がした。
◆
こうして義父を招待できて、ふと思うことがある。高校時代に習った「君子の三楽」である。
君子は、
1)両親が元気であること
2)自分が身にやましいことがなく、清廉潔白であること
3)学習意欲満々な学生に教えることができること
が満たされたとき、これを「君子の三楽」と呼ぶのだということを学んだ。
今の私は、2)に問題があるので、三楽ではなく、「2.X楽」なわけだが、それであっても相当ありがたいことである。
もちろん、私が君子かどうかということが問題になるが、これも高校時代に習った「君子の条件」からすると、たしか、君子になっているはずなのだがf(^^;。
◆
義父を駅で見送り、私も東京行きの最終準備である。
今日3/27から3/30まで東京。
明日は私の母親の誕生日だ。
3/30の午後には京都に戻る。
忙しくも充実した、春である。
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