いどう三題噺
仲間のブログを読んでいると、異動がいつになく多いように感じる。公立学校の教員は、数年でその学校を移る。これが異動だ。学校を移り変わることもあれば、職種が変わることもある。
教員の仕事は、多岐にわたる。専門職であるはずだが、ほんとうにいろいろなことやる。またはやらされる。一つの学校にはその学校でだけ通じるローカルルールがある。印刷一つするにしたって、学校が変われば全く違うことがある。
だから、異動すると常に新人となり、その学校のやり方を一から身につけて行かなければならない。これが意外と面倒くさい。そして、多くの場合、一年間はその学校の仕組みを身につけ、前の学校のことは口にすることなくというようにする先生が多い。
ただ、別のことをする先生もいる。
違う学校に移った時から、新しい学校の悪いところをどんどん指摘して、自分のやりたいようにやる先生である。
私は何人かそのような先生と一緒に仕事をしたことがあるが、うまくいくと凄い力を発揮されることがあった。
私はどうだったかというと、前者であろうとしたが、結果的に後者になっていたことが多かったということであろうか。せっかちなのか、面倒くさがりなのか。そのどちらもなのだろう。少ししか先のことを考えずに、あれこれやっていたなあ、と今になって反省するのである。
仲間たちが、新しい職場でも健康でエキサイティングな仕事をしていくんだろうなあと思いながらブログを読む。
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また、移動も仲間のブログに多い。3/28の学び合いの東京セミナーに駆けつけるメンバーがとても多い。日本全国からやってくる。そして、翌日の3/29の授業づくりネットワークの春の集会にも参加ということである。
北海道や九州から駆けつけるのである。
私も自分の人生がこんなに新幹線に乗る人生になるとは思わなかったが、参加する仲間たちもそう思っているだろう。
学び続けない者は、先生の仕事を続けてはならない。
その通りである。
そして、さらに言えば、
ま、あまり固いことを言わなくても良いじゃん。だって、学ぶことは面白いんだから参加するんだし、ということでもあるし。
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そして、異同である。
あれこれ同じ講座や集会に参加しながら、学んで帰る内容は異なっているのである。量的に質的に異同がありながら、その異同を楽しむことができるのが、実力のある教師なんだろうなあと思う。
違ったって良いじゃん。だって、私が違うんだし、出会っている子どもたちが違っているんだし。環境も違うんだしと思える教師は、本物だと思える。
私は本物の教師にたくさん出会えて幸せである。
来年度もたくさん会えるだろうことを楽しみに思う。
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いどう三題噺でした。
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コメント
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異動好きなわたしです。
だいたい3年で異動します。
長く一カ所にとどまれない性格のようです。
で、わたしは前者ですね。
わたしは、すぐに異質と融合できるようで、その場に行くと、瞬間的にその場に染まってしまいます。
これが良いのか悪いのかわかりませんが。
否定的に考えれば自分を持っていない。
肯定的に考えれば柔軟性がある。
うーん。
投稿: あべたか | 2009/03/28 07:46
私は6年で異動というのがペースでした。最後だけ一年だったけど。二周りぐらいが私には良かったんだなあ。
で、いまどちらですか。私は新宿のホテルです。今日の午後は久しぶりにお会いできますね。明日もですけど(^^)。
よろしく。
投稿: 池田修 | 2009/03/28 07:59