WBC拾遺 その1
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本日は非常勤講師懇談会。
もう来年度のことは始まっている。
あれこれ打ち合わせをしたり、お願いをした後、昼はパーティ。
私はコップに並々とついだ水を頂く。
(あれ? 日本酒あったの?)
という感じで私のことを見る先生が、ちらほら。
いや、だから水だって。ジュースでもウーロン茶でもなく、水。
そりゃあねえ、昨日のWBCを何回も見ながら、お酒を飲んでいたので、今日は水が美味しいのであります。
◆
試合の結果は、まるで少年雑誌の野球漫画のような終わり方で、本当に気持ちがよかった。
が、私が関心があるのは、その結果もさることながらその周辺で流れているさまざまな情報のことである。
以下、本当かどうかわからないが、ネット上で見つけた文言。
引用開始 ーーーーーーーーーー
我がキューバを2度も破った日本国のWBC連覇を心から祝福する。
我がキューバは予選で敗退したが、世界一のチームに負けての敗退だ。
世界一の日本に負けたことを誇りに思う。
永遠の友、日本国民の皆様心からおめでとう。
フィデル・カストロ
引用終了 ーーーーーーーーーー
野球好きのカストロ元議長。これまでも試合についてコメントを述べているし、決勝戦についてあれこれコメントを出しているので、このコメントも恐らくそうなのであろう。
見事なコメントだと思う。
1)自分の国のチームを破った相手国チームをたたえる。
2)自分のチームが世界一に負けたことを伝えることで、自分の国のチームも頑張ったことを伝える。
3)相手国チームの国民に友愛のメッセージを伝える。
ということであろうか。
◆
諏訪哲二氏の近著『自己チュー親子』(中公新書ラクレ)に以下の記述がある。「個人」と「自己」の違いを定義した上で、
55pから引用開始 ーーーーーーーーーー
スポーツマンシップといはいわば「個人」のスポーツ的なあり方である。つまり、相手への敬意(自分への誇り)とフェアプレーの精神であろう。
スポーツは勝ち負けでなく、礼儀とかマナーとか生き方が問われてくる世界だ。スポーツ人としてふさわしい生き方が求められる。だから、勝ち負けだけでスポーツを眺めている人は近代人とは呼べない。
引用終了 ーーーーーーーーーー
57pから引用開始 ーーーーーーーーーー
他人を押しのけて勝ちたい衝動と、相手に敬意を払う気持ちと、ルールを順守するフェアプレーの精神とが内部でせめぎあって、近代スポーツは成立した。だからこそ近代スポーツは、スポーツ人を養成することによって、立派な近代的な「個人」を育成しようとしているのである。
引用終了 ーーーーーーーーーー
もちろん、日本の野球がすべてこの通りになっているかどうかというと、疑問な点もある。しかし、「育成しようとしている」ということは、多くのスポーツの指導者には得心がいくものであろう。ちなみにもちろん、ディベートの指導者においてもそうである。
そうだとすれば、指揮官はこの観点から見てコメントを交わすべきであろう。
カストロ元議長のコメントは、これらを感じさせてくれるものであった。
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