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2009/04/29

「メモ」と「質問」の仕方を講じる

4/29

昨晩は、糸井先生に教えてもらった琵琶湖湖畔のレストランで、ディナーを取った。インターネットで調べたら、なんと期間限定で1500円で良いとのこと。びっくり。

通常は4000、5000円ぐらいはするのに。
ありがたやである。

娘も、騒がずにきちんとお食事が出来た。良かった。
後ろの席で話し込んでいる女性陣の方がよほど五月蝿かったなあf(^^;。ま、たまたまかもしれないがこれなら他のお店にも連れて行けるぞ。

今日の授業は、研究入門ゼミである。
今日は「ふるさと自慢」スピーチである。

スピーチの基礎技術としての「ナンバリング」を活用する。そして聞く側の基礎技術として「メモ」と「質問」の仕方を講じる。ゼミでは、このメモを取ることと、質問で運営される。だから、ここをしっかりと教えておく必要があると考えている。

学生たちは小グループを作って発表し、グループ代表にゼミ全体で発表してもらった。なかなか良い。大学は全国から学生が集まっているので、「ふるさと自慢」にも熱が入る。

面白いのは、スピーチしている本人は当然みんなは知っているであろうという内容に質問が来ることである。

「このお城は、○○さんがお殿様のときに築城された城で・・・」
と語るのだが、○○さんって誰?となるわけである。

大学ならではの授業課題である。

午後は、学生の板書の課題を指導したり、事務仕事をしたり、会議会議、会議、会議、会議をしたりしながら過ごす。

学科の会議はいつもながら長いのだが、これは実に面白く大事な会議なのである。面白いというのは、私が勉強になるという意味で面白く、大事というのは大学を作るために大事という意味である。

このクオリティを保つためには、このぐらいの時間はかけないとダメなんだろうなあと思う。ちなみに、今日は4時間やっていた。

その4時間を学科の教員があれこれ知恵を絞り続ける。
これは凄いことだと思う。

大学の教員を見ていて思うのは、知的体力が凄いということだ。
考え続けるための体力が並大抵ではない。

私は考えるところ、考えないところの差があるのだが、私の周りの優れた大学教員は、考え続けるのである。凄いなあと、思う。

9時過ぎに帰宅。
奥さんから昼間の娘の様子を聞き、笑う。

娘は、人様にも笑顔を届けているようだ。
良かった。

みなさん、窓の外の空を見てください

4/28

国語科教育法の授業では、先週の「板書」に引き続いて、「教師の声」について講義と演習を行った。

授業は、声で行う。声を使っている時間が長いか短いかは別として、声を使って授業をしている。書くこと、話すことがしっかりできるようにならねばならなぬ。もちろん、読むこと、聞くこともそうであるが、まずこの二つだ。

1)発声は目的、状況に応じて変わる
2)声の出し方の実際

について90分行った。

2)では、

・正しい発声とは?
・どんな声を教育では使うのか?
・どうやって声を出すのか?
・どうやって話すのか?

をいろいろな本を引きながら扱った。

最近出た本で良いなあと思ったのは、以下の本である。

『先生にこそ磨いてほしい 「ことばの伝達力」ー教室で役立つ30のヒント』(加藤昌男著 NHK出版)

私は話し方については音訳をやっていた奥さんに教えてもらったり、独学でやって身につけてきた。それなりに話せるようになったが、教師はこの部分をきちんと身につけねばならないと本当に思っている。これだけで半期の授業があっても良いと思う。

話の中で、竹中直人さんの芸についても触れる。そう、「笑いながら怒る」である。

http://www.youtube.com/watch?v=Y-OGcBZU66E

この芸は、実はとても難しい。私も一ヶ月ぐらい練習をしてやっとできるようになった。笑っていた先生がそのままで突然怒りだす。子どもたちから見たら相当怖い。

こんな技を持っていたところで、教室で使うチャンスはあるかどうか分からないが、親睦会の一発芸ぐらいにはなるだろう。身につけることを勧めた。

1)については、何を話すのか、という項目も扱った。授業の中と授業の外に分けて、授業の中では指導言について説明。

・指示
・説明
・発問

である。指示の大切さを具体例を使いながらあれこれと話す。学生たちは、発問が大事だと思っているのだが、指示が通らなければ発問なんかできないことが分かっていない。

『今から、端的にこの三つを実演してみましょう』

と言い、やってみた。

『みなさん、窓の外の空を見てください。空は、青いです。では、なぜ青いのでしょうか?』

つまり、

・指示:みなさん、窓の外の空を見てください。
・説明:空は、青いです。
・発問:では、なぜ青いのでしょうか?

という構造になっているのである。指示が通らなければ、説明も、発問も意味をなさないのである。

また、雑談の大事さもあれこれ語った。

教室で、授業中に、職員室で、保護者と。雑談と言うか、余談と言うか、この部分が出来る先生と出来ない先生では、ずいぶん教育のゆとりが違ってくると思っている。

話す、も実に奥が深い。

2009/04/28

「点いた、点いた!」

娘はどんどん大きくなる。
他人の子どもの成長は早いと言うが、自分の子どもの成長も早いと思う。

昨日は、ベランダで使うサンダルを買いに行った。
奥さんは奥さんで、私は私で同じ店で下見をしていたのだが、昨日一緒に買いに行った。
そしたら、同じものが良いということになっていた。
迷わず購入。

なんというか、シンプルなものがなかなか売っていないのだ。
別にキャラクターは要らないのだが、そういうのがついているものが多すぎる。
子どもにはシンプルなものを与えたい。

早速ベランダで履かせてみる。嬉しそうに歩いている。
すると、ベランダに置いてあるライターに手を伸ばし
「点いた、点いた」
という。

つまり、このライターを使ってキャンドルに火を点けろというのだ。
覚えているんだなあ。

早速姫のご指示に従って、キャンドルに火を点けると、やっぱり
「点いた、点いた!」
である。

嬉しそうな娘の顔がいい。

2009/04/27

首夏  佐藤春夫

4/27

専門ゼミ。
今週までは私がチューター。
チューターと司会とまとめ役の三役をしながら、ゼミの進め方を具体的に示すことを試みる。

来週からは、チューターが学生に変わる。
私のお役目は、最後の15分で意見を述べることが中心になる。

ゼミでは、季節係というものを置いている。毎週1人5分程度で今の季節に関するものごとを説明する。

今日は大学に隣接している敷地に育っている果物の写真から、あれこれ話があった。ネットに食い込んで成長している柑橘系の果物の写真だった。なかなかおもしろい。来週も楽しみだ。

季節係の学生が
「春感覚から夏感覚に変わった感じがしました」
と発表していたのであるが、それはその通りなのである。

今年の4/25は、旧暦の4/1である。つまり、旧暦ではここから夏になるのである。初夏なのである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

首夏

               佐藤春夫

行く春の名残の空を
ほととぎす過ぎり(よぎり)とよもし
背戸の山吹ふぢつつじ
落ち散る水に蛍とび交ふ

引用終了 ーーーーーーーーーー

旧暦と一緒に一年を過ごすと、体の感覚はこちらに近いと感じることが多い。件の学生も図らずもそうであったということになる。

四月一日さん、小鳥遊さんなどの話や、カタカナと漢字の書き順の話もして、先週の授業への質問に答え、『街場の教育論』へとゼミは続くのであった。

ああ、前フリの長いこと。

授業後はいつものように、授業の片付け、準備、事務仕事。
また今週も始まりました。


2009/04/26

今年の近畿はちょっと強くなるかも(^^)。

昨日は、陰暦で4/1である。
ということは、陰暦では夏に入ったことになる。
ではあるが、大雨。
雨から入る、今年の(陰暦の)夏である。

昼前に大学へ。
今日は全国教室ディベート連盟近畿支部の学習会があるのだ。
論題検討会、審判講習会、ディベート入門講座である。
会場として本学を使うことになったのだ。

会場校として、あれこれ準備に走り回る。
案内の文字を筆で書いて、張り紙を事務方の学生に渡す。

『まっすぐに張ってください』

と言いながら。

あちこちを見て回ってから、その張り紙を見たら、曲がっている。
きちんと張るように二人にお願いしておいたのに、曲がっている。
私が直そうかとも思ったが、止めた。
ここで私が直したら、この学生たちはこのままいく。
それじゃ、ダメだ。

『まっすぐに張って下さいといいましたね。曲がっています。しっかり張り直してきてください。こういうところがいい加減だと、いい加減な団体だと思われます』

単に張り紙を張るだけである。だけど、そこにその人が現れる。その団体が現れると私は考えている。小さなところに気を配れない者が、大事な大きなところに気を配れるわけがないと思う。他の大学の学生である。わざわざ人間関係を壊す必要もない。しかし、ここをスルーするのはこの学生のために良くないことだと私は判断する。ああ、教師は面倒くさいとも思うが、この仕事を選んだ以上はここはスルーできない。

論題検討会は、中高同時進行で行われた。私は、中学校の論題検討会に出席。関西電力から専門家にお越し頂き、講義を頂く。
いやあ、おもしろい。電気自動車ってそうなのね。

ちなみに、今年の中学校論題は、以下のものである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

中学: 「日本はすべての乗用車を電気自動車に切り替えるべきである。是か非か」

*乗用自動車とは、主に人の移動に使用される定員10人以下の自動車とする。

*電気自動車とは、二次電池、太陽電池、燃料電池からの電気のみを動力源とする自動車とする。
*2026年1月1日以降、国内では電気自動車以外の走行を禁止するものとする。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この付帯事項が実に絶妙な設定であることが分かった。今日の論題検討会の講師の先生も唸ってました。

教えてくれる人がいるというのは、実に有難いなあと思う。私は教えてもらうより、自分であれこれ考える方が好きで、それで結構遠回りの人生をしてきたのだ。が、教えることをしっかり理解している人に教わるのは、実に気持ちのよいものであると、今日の検討会で改めて思った。短時間で勘所を押さえてもらえるのは、ありがたいことだ。

その後私は、ディベート入門講座の講師を担当する。
当初聞いていた話では35人ぐらいということだったが、ふたを開けてみれば50人以上いる。
それも全くディベートをやったことのない中学生から、春の近畿大会で決勝にまで出た高校生までいる。そんな中でどこをストライクゾーンと設定したら良いのかを考え直して、開始5分前に2時間の講義を練り直す。ストライクゾーンは、全くディベートをやったことのない生徒とした。

当初の予定の時間は2時間30分であったが、前半の検討会が伸びたので、持ち時間は2時間になる。ではあるが、10分だけ延長を許してもらって、ディベート入門のあれこれを説明と演習で行う。終わったとき片付けをしていたら、中学生が仲間につぶやいていた。
「今更入門講座って言われてもねえ、と思っていたけど、全然違ったよな。これ、そうとう凄い講座だったよな。スンゲー力がついたと思う」
『そう?』
と思わず反応してしまった。

そして
『私の講座は、入門だからね。入門でもここまでは必要だと思って作ってあるのだよ』
「はい」
『さ、ここから先はあれこれ自分と自分の仲間たちで作り上げるのだよ』
「はい」
となった。

結果的には、ディベート経験者にも満足のいく講座になったようだ。
今年の近畿はちょっと強くなるかも(^^)。

(あ、この先生は手に入れたようだな)

今年度最初の明日の教室。
ライティングワークショップであった。パラグラフライティングを学ぶ。
講師は、倉島保美先生。もう15年ぐらいのお付き合いになる。

私が修士論文を書いているとき、ご指導を頂いた。
目次だけで18回書き直したが、そのときに論理の整合性を見ていだいた。

いつもは、パナソニック等で企業研修をされているのだが、
年度始めは、企業研修が行われないので時間があるとのことで、
明日の教室でお願いすることができた。

一週間前までは20人弱だった参加者が、開けてみれば当日参加の方も含めて40人以上の参加となった。
大盛況であった。

また今回は、書籍『明日の教室』第一巻の販売も行えた。
用意した本のほとんどがあっという間に売り切れた。
ありがたい。

「パラグラフとは何か」

から始まって、3時間たっぷりと「書く」ということについてレッスンを受けた。
頭では分かるが、なかなか出来ない。分かると出来るは違うのである。

私がレッスンを受けた時は土曜日に8時間。それを3週間。つまり、24時間のレッスンを受けたのである。
だから、3時間でできるとすれば、それは相当凄いことになる。

今回が私のゼミの学生たちも参加していたが、卒業論文にこの文章のレベルを池田は求めているのだということを感じ、
「私は何年で卒業できるのでしょうか?」
と戦いていたf(^^;。しっかり4年で教職に就いて卒業するように。

「何か質問はありませんか?」

ということだったので、私も質問。
『〜ということだったのですが、これを思いつかない場合はどうしたらいいのでしょうか?』
「それは、私の範疇ではないので答えられません」
という答えであった。

さすが倉島さんだなあと思う。
自分のエリアをきちんと理解されていて、それ以外の部分には安易に踏み込まない。
その上で、仮説として答えられる部分を答えていた。

で、この部分だが、私は若い先生方が実は宝をもらったと思っている。
倉島さんは、この部分はきちんとした理論はあるが、児童生徒用には開発されていないことを示されたのである。

ディベートの実践に取り組み始めた時のことを思い出す。
ディベートはどうやらアメリカやイギリスでは学校での実践がある。しかし、日本にはビジネス書で紹介されている程度であった。
それをあれこれと仲間たちと研究し、一つの指導方法にまとめるまで約15年掛かった。大学院まで行ってまとめた。それで大学に職を得ることになった。

今回の明日の教室で提示された問題点も、同じかも知れない。
この問題点は、アメリカの学校等では解明され始めていることだろう。
これを日本の子どもたちにうまくできるようにするのが、学校現場で指導に当たる先生の仕事ではないかと思う。

昨日参加された若い先生たちが、10年、20年とこの課題を解決するような実践を重ねて行くことになると、学校教育における「書く」の指導がずいぶんと改善されるであろう。

ライティングの講義であったが、実はそれはもう一つの側面を持っている。それは「読解」である。
この読解について、疑問を持たれた先生もいた。

片付けをして懇親会に参加する準備をしていたときに、私に質問を頂いた。
「先生、ということは読解は、・・・」
という言葉を聞いて
(あ、この先生は手に入れたようだな)
と思った。

忘れ物があったので研究室に戻ったのだが、そのときに一緒に来てもらった。
あきらかにその問題点に気がついているのが分かったので、話が出来ると思ったからだ。
『そうだと思います。読解です。さすがです、良く気がつきましたね』
短時間だが、あれこれ話す。

ここを解明することが実は私の課題でもある。
ここに気がついた先生に協力してもらってなんとかしたいなあと思う。

同じ講座を受けながら、気がつくポイントは実は違う。
いや、もちろん同じことも感じるし、考えるのだが私が考えていたことと同じことを考えていた先生は、
ほとんどいなかった。この「読解」のポイントは、最初の6年前の講座のときに気がついていたのだが、
そのときに同じ講義を受けていた仲間の先生は気がつかないでいた。

興味の問題なのか、目的の問題なのか、感性の問題なのか。
何がこれを生み出すのかは、分からない。
しかし、気がつく先生もいるんだなあと、今回はとても嬉しく思った。

解決の道筋は、私にはぼんやりと見えている。
なんとかしたい。

倉島さんからは、講義の最後に
「懇親会に参加しない勉強会は、出る必要がない」
というお言葉を頂いた。私が常々学生たちに言っている言葉である。

私が常々思っていたものを、あるとき上記のような言葉にされたので、やはり同じことを思っている先生がいると思い、私も自信を持ってそれを伝えている。
倉島さんも同じく倉島さんのライティングの恩師に同じ言葉を言われたそうなので、三代に渡って言い伝えられている言葉と言っても良いのである。

教師にはコネは必要ないと思うが、人脈は大事だ。
仲間がとても大事だ。

嘗て私が20代のはなたれ小僧だった時、私は自分の力だけでだいたいのことは出来ると思い込んでいた。そして、あるときに気がついたのである。
自分の力だけでできるというのは、自分が適えようとしている夢や目標が小さいからだということにだ。
別の言い方をすれば、自分が抱えている問題が小さすぎるからとも言えた。

幸い私はお酒が嫌いではなかったので、何かあると飲み会に参加した。参加した以上は、最後までいることということも先輩先生から学んだ。
もちろん、これでとんでもない目に遭ったこともあるが、参加するなら最後までというのは大事である。そうこうしながら5年、10年、15年と積み重ねて行くうちに、
私には勿体ないぐらいの仲間たちが側にいてくれるようになった。困ったときに助け合いだけでなく、同じ目的に向かって力を出し合う仲間とチームを組むことができるようになった。

教師は学力がなければできない仕事である。しかし、学力だけでできる仕事というのは、世の中には存在しないはずである。教師という仕事も同じである。
その人の力で教育という仕事はなされるのである。そして、その人というのは実はその人だけのようにみえて、その人とその人の仲間たちからで成り立っているのである。

それを成り立たせる場所が勉強会と懇親会なのだと思っている。
どちらも参加することが大事なのである。

倉島先生、ありがとうございました。

2009/04/24

永源寺ダムの桜

オフである。
一週間に一日はオフにすると決めている。
なかなかできないが、今日はオフである。

今日は一日娘と一緒にいたためか(いや、そうであってほしいと思うが)、娘はすこぶる機嫌がいい。絶好調である。そんなわけで、ちょっと遠出をした。

京滋の桜ももうほとんど終わりなのだが、山桜は満開である。
そんな山桜を見に行った。鈴鹿国定公園の中にある、永源寺ダムの桜である。
ほとんど誰もいない。

私の大好きな川上澄生さんの詩を思い出す。

引用開始 ーーーーーーーーーー

あえぎつつ 登る山路
夏近き 街より来れば
山桜今 花盛り
から松の 葉も稚くて
山の上の 沖曇る
湖の 風は冷たし

引用終了 ーーーーーーーーーー

Imgp6637

お弁当を広げ食す。
その後、青紅葉の木陰の芝生の上で、昼寝。

「パパ〜〜〜〜〜〜!」
という娘の叫び声で目が覚める。
頭を持ち上げると何やら黄色いものを持って血相を変えて走ってくる。
公園に咲いていたタンポポと蛇イチゴの花を持って私にくれようとしていたのだ。

掌を娘に向けると、その上に置いてくれる。
何回もやっていくつもくれるので、寝ている体の側に並べてみた。
嬉しいのは嬉しいのであるが、一種生前葬のようでもあった。
ま、娘がやってくれるのであれば、なんでもありだが。

今日の娘は、ずっと機嫌が良い。
洋服も似合っているのだろうが、なんといっても今日の太陽光線の加減が良い。
なもんで、写真は良い感じの作品がどんどん出来上がる。

父も母も嬉しい。

小一時間昼寝をして、帰路につく。
大津西武で娘のおもちゃを買い、久しぶりの子羊のラムチョプステーキ肉を買い、シメイトラピストビールのブルーを買い、帰宅。

ああ、火照った肌に子羊のラムチョプステーキ肉とシメイトラピストビールのブルーはたまらなく合う。

幸せな一日である。


明日の教室本 感想のメール

310050101001 明日の教室本の第一巻を読んでくださった方から感想のメールが届きました。
とある教育委員会にお務めの方からです。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今日、予約注文していた「明日の教室」第1巻が届きました。
1ページ1ページに書かれていること、ある事柄に対する
「教師」としての視点の奥深さが、どれもあまりにも大切すぎて
すぐにすべてを読み終えてしまうのがもったいないと感じるほどです。

もちろん、ただ読み終わるのではなく、その後の実践が伴ってこそ
この本の意義があるのでしょうけれど、自分がその立場にないことを
少し残念に思います。でも、その分、現場で頑張る先生方に
この本のこと、明日の教室のことを伝えたい思いが増しました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ありがとうございます。
とても嬉しいです。

一冊2000円弱の小書ですが、あれこれ考えると安いなあと本当に思います。
当代きっての先生方が、自分が学んできたこと、失敗したことなどを踏まえた上で、どうしたら良いのかを説明し、さらに参考図書まで示しているのですから。

さ、エネルギーを頂けたので、元気に第三巻の校正の続きをやります。

2009/04/23

その前に、研究室の掃除。

やっぱり5時台に起きてしまう。
ま、いいか。

『永遠の0』を読み進める。
「ガダルカナル」の章を読み終え、朝から涙する。
涙腺が弱くなっているのかなあ。
筑田さん、参りました。

この先どうなってしまうのだろうか。
決して人前で読むことの出来ない本である。

国語科教育法1は、基本的には教科教育法国語と同じ構成で進めている。しかし、説明に使う資料や用語、さらに具体例は専門的になる。

私はきちんとした字の書ける国語科の教員を育てたいと思っている。それは、板書でもそうだし、書写や書道の授業でもそうである。

本学の書道コースの学生諸君は、この国語科教育法の授業を受けて、書道の教師の免許の他に、国語の教師の免許を取得しようとしている。

書道の先生の採用は非常に少ない。書道を専門にやってきた彼ら彼女らからすると、書道で採用されたいというのは分かる。しかし、現実を考えると国語の教師として採用される道を選んだ方が良い。

私も一時期、高校の書道の先生を考えたこともあったが、中学校の国語で書写を教えることになり、それはそれで良かったのではないかと思っている。高校の書道が教えられるだけの専門性を持って、中学校の国語の授業をする。書写の授業をする。

それは頭抜けた力量である。圧倒的な力量の差を持っているというのは、大事である。

授業後、日直の学生たちが今日の教材を持って研究室に来た。書道コースの学生たちだったこともあり、質問のあったメモのとり方についてとか、さまざまな字のことについて話す。

さらに、私が中学生の指導に使っていた書写の教材等も見せる。
すると、

「先生の、授業の準備のものを見たのは初めてです」

と驚く。そりゃまあそうだろう。見せるもんではないからな。だが、ここは教職を学ぶ授業だ。見せてあげますとも。

「こんなにするのですね。私には出来るのでしょうか?」
『分かりません。でも、教師であろうとするのならば、出来る出来ないではなくて、しなければならないことですね』
「確かに」
『はい、その「確かに」という言葉。それは流行語ですけど、その言葉を使うとカチンとくる大人は結構いると思いますよ。ま、大人なのでいちいち説教はしてくれないと思いますが、私は教師なので、説教します。その「確かに」という言葉はですね・・・』

と10分ぐらいあれこれおかしさを他の言葉の例を出しながら話す。すると、
「これからもよろしくご指導ください」
とのこと。
ここが本学の学生たちの良いところだ。
説教をきちんと聞き入れて自分を向上させようとする意欲を持っている。

「大学は意欲のあるものが学べる場所である」(西川純先生)

しっかりね。

その後、研究室に残って原稿の校正。
その前に、研究室の掃除。さらには、手を洗って顔を洗って、歯も磨いた。

そりゃあ、だってねえ、校正するのは「明日の教室本」の第三巻で、執筆いただいた先生方は、野口芳宏先生、野中信行先生、西川純先生・・・。

きちんとした校正のために、清めるところは清め、ネクタイも締め直してやりました。

で、疲れました。
今日は早めに帰りましょう。
ただ、頭が興奮しているから、相当丁寧にクールダウンしないと。

琵琶湖を見ながら、頂くものを頂きながら、
クールダウンしましょう。





2009/04/22

『君たちは、教育評論家になっているのではないか?』

今朝も5時半に起きる。
風呂に入りつつ読書。筑田さんお薦めの『永遠の0』を読んでいる2/5ぐらい終わったところだ。

戦闘機の話が続くのだが、風呂の換気扇の音がなんとも戦闘機のエンジン音のように聞こえてきて臨場感がある。ま、さすがに銭湯でもある。

朝日が気持ちよいので、花粉対策をしてベランダに出る。
チェアに腰掛けて、食後のお茶だ。
「どんどん!」
とサッシを叩く音がする。娘だ。自分も出たいと意思表示をしている。
(え、おかあさんといっしょを見ているんじゃないの?)
と思ったが、強い意志を感じたので迎えに行く。

娘を抱っこしながら琵琶湖を見る。
琵琶湖に照り返した太陽で、いっそうまぶしい。
娘も目を細めて、気持ちよさそうに琵琶湖を見ていた。

大学到着。
授業の準備が終わったので、キャンパス内をちょっと歩く。花の動向を確認する。

ツツジ、ドウダンツツジ、ブルーベリーである。

Rimg0281

Rimg0283

Rimg0302

すると、なんと、椎茸発見!

Rimg0289

昨年、上賀茂神社で植木市をやっているときに菌を植え付けた原木を購入して、学内の某所に置いておいたものだ。

二年ぐらいかかると言われたのだが、一つ出てきていた。
いやあ、嬉しい。

他にもカラー、つつじ、ブルーベリーなどなどの花を発見。嬉しいものだ。

入門ゼミでは、先週の授業に関する質問への答えなどから始める。
『君たちは、教育評論家になっているのではないか?』
というのが私の感想であった。

まだ18歳。
一ヶ月前までは高校生である。

教育や教師に興味があって児童教育学科に来たのだ。が、世の中の教育に関する出来事を、人ごとで見ている。これを我がごととして考えるなんて発想すらない。
『言いたいことは分かるが、これ、君が担任だったらどうするの?』
と話す。

誰かがどこかでなんとかしてくれるところで生活していた彼ら彼女らには、自分が仲間となんとかしなければならないと言う発想が弱い。いろいろと思いはあるだろうが、じゃあ、目の前の児童、幼児をどうするの?という考え方はできない。

さ、四年間でしっかりと身につけるんだよ。

授業後、私の入門ゼミ恒例の名刺交換を行う。

大学生は社会人でもある。
大学の中だけで学ぶものではない。
外に出て行くことで学ぶことがたくさんある。
その際、名刺を持っていることが大事であるという考えに基づいている。

さすがに大学生なので、手取り足取り指導することはしない。
『ワードを使えば作れるから。写真は入れるように』
ぐらいの指示で作らせたものだ。

どうやって名刺を渡したり、受け取ったりをするのか。
クラス全員と交換して指導する。

もちろん、他にもアイディア出しのあれこれ、発表の仕方のあれこれについて指導をする。

そして水曜日恒例の会議。
今年は、学内行政の委員が変わったので、ちょっとだけゆとりが増えた。だが、教授会に学科会議で、終わったのは夜の八時前。

ま、充実した時間なので良いのだが、今年度も会議は長引きそうだf(^^;。

『板書は、黒板のどこに書いたら良いですか?』

諸般の事情で4限の授業が1限に変更。
8時前に家を出る。
大学に到着すると、駐車場もまだまばら。

駐車場から研究室に向かう道を歩いていると、ドウダンツツジ、花水木、裏山にはまだ山桜が咲いているのが分かる。そして、
「ほ〜、ほけきょ」
である。うぐいすの鳴き声だ。
もう十分一人前の鳴き声になっている。

季節の移ろいを感じるのである。

本日は、板書の仕方、チョークの使い方、声の出し方などの授業。

大学の教職課程でここまで教えなければならないのかという考え方もあるが、私はむしろ逆で、大学の教職課程であるからこそ、ここをしっかりと教えると言う立場である。

なんだかんだ言っても、板書と声は授業でとても大事なもの。ここがきちんとできるかどうかで、子どもたちの学習の意欲も違えば、結果も違うであろう。教育実習まであと半年。最低限のレベルにはたどり着かせたい。

『板書は、黒板のどこに書いたら良いですか?』

と私は授業で問うた。
学生諸君の答えは、
「真ん中」
「右上」
「黒板の面」
などであった。

予想していた答えである。そして、まだ彼ら彼女らがレッスンプロとしての教師の考え方を十分に身につけていないことを知らしめる答えであった。

『すごく当たり前のことを聞いているんですよ』

答えられない。

『答えは、子どもから見える場所です』

あたり前すぎてなーんだ、なのだが、実はとても大事なことである。一生懸命に書いたって見えなければ、見にくければしょうがない。光の加減や教師の立ち位置によって見えなくなる場所がある。これを実演してみて、見え方の違いを分からせた。さらには、子どもに実際に確認して見える範囲を黒板にマーキングするということも大事であると話した。

授業は、教師のためにあるのではなく、学習者のためにある。当たり前のことである。しかし、当たり前すぎて見逃してしまい、具体的な教師の動きに反映されないことがある。この「子どもから見える場所」というのもその一つであろう。

私が教科教育法、または授業方法を教えるときに注意を払っている箇所は、ここである。

さらに、ここには書けない一子相伝のようなチョークの使い方も伝える。学生たちが教壇に立った時、この使い方をすれば、教室は阿鼻叫喚に包まれ、その後、爆笑になると言うものである。

私の授業で実際にやって見たが、大学生でも大成功であった。
諸君の成功を祈る。

授業後、じっくりと提出された課題の点検と、明日の研究入門ゼミの準備に勤しむ。どこから入って、どう展開しようかといくつかのパターンを考える。

実際は、明日の朝、または授業の直前に決めることが多い。これは中学校の時から同じ。生徒または学生の顔を見ないと、これだというものは出てきにくいのだ。

準備をして、あとは、出てくるのを待つ。それが大事なんだと思う。
面倒くさいけどf(^^;。

家に戻ったら本が届いていた。
『明日の教室1 教師の一日・一年』
だ。すっきりとしたデザインで、とても良い感じに仕上がっていた。

みなさんのお手元にも届き始めると思います。
よろしくお願いいたします。

2009/04/21

伝える極意 「1分間で思いを伝える〜スピーチ〜」

昨年度収録し、放映した「伝える極意」ですが、
今年度も放映するとのことです。
御陰さまで視聴率が良かったようです。

以下、放映時間です。

「1分間で思いを伝える〜スピーチ〜」
本放送:平成21年4月23日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
再放送:平成21年4月30日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
再放送:平成21年5月 7日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ

○内容
小学校の朝の時間などでよく行われる1分間スピーチ。
「話す内容が見つからない!」と困ったことはありませんか?
今回、スピーチの極意を教えてくれるのは、
学校の先生を目指す大学生に授業のやり方を教えている
京都橘大学准教授の池田修さんです。
番組は、どうしても話すことが見つからなかった男の子と
出会うところから始まります。
池田流の極意で、
男の子は、話したいことをすぐに見つけ出します。

良かったらご覧下さい。

明日の教室 9/20(日) オーパルでカヌー

明日の教室 9/20(日)

参加者のみなさんから、
「スケジュールを先に知らせてください」
と言われていましたので、今年度はできるだけ、かなり先まで決めてしまおうと思っています。

8月はお休みで、9月は20日(日曜日)です。
連休があり、土曜日よりも日曜日の方が参加しやすいのではと判断して、この回は、日曜日に開催します。

今年も昨年に引き続き、大津市雄琴にあるオーパルさんを会場にして、琵琶湖でカヌー体験をしたいと思っています。

去年のご案内は、以下のようなものでした。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2008/09/913-7efc.html

今年も同様のもの以上で楽しめると思います。
広い琵琶湖の空に包まれてカヌーを楽しみ、終わったらジャグジーにドボンです。
これを極楽というわけです。

スケジュールに記録しておいてください。
よろしくお願いいたします。

2009/04/20

学問にはどうしても必要なイニシエーション

どうやら5時台に起きる体に戻ってきてしまっている感じがする。
今日も5時半に起きる。ま、夏時間かもしれないが。

風呂に入って本を読み、メールのチェック。そして、授業の最終確認をする。朝ご飯のみそ汁の盛りつけをしていたら、娘が起きてきた。
おい、ちょっと早くないか?

早速フォローアップのミルクを作る。
ところがどうだ、昔みたいに一気に飲まない。
少しずつ味わって飲む。

このごろ、膝の上に乗ってこようとする。
マックに手を出したり、何か食べさせてほしいという訴えをする。
マックは困るが、みそ汁の具なら食べさせてあげよう。
みそ汁に入ったシメジはお気に入り。

さらに、リンゴでジュースを作っていたら、擦り下ろす仕草をまねする。まったく、お気に入りのリンゴジュースだから覚えたのね。

こんな時間も一日の始めには大事な時間だ。

本日の教育演習1(池田ゼミ)は、内田樹先生の『街場の教育論』第一講「教育論の落とし穴」である。一回目なので、私が担当する。レジュメの作り方を教え、実際に現物を見せ、今後の発表者の準備に指示を与える。

国語教育と学級経営のゼミであるが、今年度は『街場の教育論』を扱う。本書は、教育学者ではない大学の先生が、授業や教育について述べられている本である。内田先生の大学院の授業の講義録である。

もちろん、教育の専門家ではないといっても、大学の授業の現場で実際に指導をされてきた内田先生の知見に学ぶことは、大変刺激的である。全部で12講あるので、この中からゼミ生が取り上げたいテーマを取り上げる。これがゼミの前半である。

楽しみである。

明日の授業の準備をしながら過ごしていると、板書の練習をする学生たちの声が聞こえる。
ちょっと個人レッスンをしてあげよう。

あれこれやって
『奇麗に消して帰るんだぞ』
と言ったところ
「はい」
というので、安心して研究室に戻る。

ところが所用があって先ほどの教室に行くと、これが汚い。
黒板、チョークを置く桟、床。
どこも汚い。
呼び出す。

『自分の練習、課題をするために使った黒板を奇麗にもとに戻せないとはどういうことだ。君らは、先生になって黒板を奇麗にさせるのだろう。自分ができないでいてどうする』
「すみません」

分かったようなので、良しとする。
しっかりせい。

準備がほぼ終わった頃、学生が相談にやってきた。
「先生、このごろ教育とか、生きるとかが分からなくなってきました」
と。まるで今まで分かっていたかのようである(^^)。
『ま、いままで考えていなかったから、急に考えるようになって頭が困っているんじゃないの?』
なんて話をしながら1時間ぐらいあれこれと。

封建社会の時代には、絶対的な正しい価値があり、それに従っていれば良かったのだが、それがないのが民主主義の現代である。不安、不安定の中に生きていることが今を生きているということなのである。

また、生物は基本的に不安、不安定の中を生きている。のうのうと生きていることができることもある人間は、そうであれば生物の普通の状態とは違うところにいる、というのを養老先生の本で読んだような気がする。

だから、不安、不安定の中にいることは今を生きることであり、そこは、一度腹をくくる必要がある。さらに、その上で安心、安定を求めるためには、怪しい宗教やなんたらセミナーにハマるのではなく、学ぶことを続けるのが、私は大事なのではないかと思ってやってきたというようなことも話す。

分かったと思っていた物事が、音を立てて崩れ分からなくなって行く。それが、学問にはどうしても必要なイニシエーションである。

家に帰ったら、新しい自転車があった。
奥さんが娘を乗せて走るための専用の自転車だ。
もう、乗れるようになったんだなあ。

さ、明日もあれこれあるぞ。

2009/04/19

こんな日は、昼にシャンパンを開けて

4/19

琵琶湖は朝からいい天気。
こんな日は、昼にシャンパンを開けて、できたてのパスタをテラスで食しながら、光の移ろいを楽しむ。

さらに、読みかけの本を読み続け、娘の笑い声を聞きながら昼寝。
ああ、なんて贅沢。

そんな贅沢が私に出来るわけがない。
私はには終わらせなければならない仕事がある。

10時過ぎに研究室に到着。
いくつかの原稿を仕上げなければならない。そして、来週の授業の準備である。

まずは、書かなければと思っていたお礼状書き。筆を取り出して書く。
次に、明日の教室本、第二巻の最終校正。これを終えることができた。一安心。

日曜日は大学生協がやっていないので、食堂は開いていない。持ってきた食事で軽く昼食。
食事をしながら、『無頼伝 涯』全5巻を読み終える。うーむ、これは教育書としてもいけるなあ。かなり特殊な教育書ではあるが。

さ、授業の準備である。

気がついたら、4時間ほどやっていた。
でも、まだ一つの授業だけだf(^^;。

前期の時間割は幸いにして、授業の準備がしやすいものとなっているので、これに感謝して一つずつやって行こう。そうしてリズムを作って行こう。

夜、久しぶりにワインを飲む。
夕ご飯のハンバーグに合うと思ったので。
コルクを抜いた。
ポン!

そしたら、娘が
「ぽん」
と言うではないか。
え、教えていないのに。
音を、自分で言葉に置き換えることができるんだなあ。
何回やっても同じように言う。

考えてみれば凄いことだ。
ポンと聞こえるのは良い。そして、ぽんと言えるのも良い。
だが、聞こえた音を、自分の発声で同じ音にするというのは、どういう脳みその働きがあるのだろうか。

ミラーニューロンなのだ、と言えばそれまでかもしれないが、現場で見ていた私は実におもしろかった。

のんびりできなくても、贅沢な一日だった。

これでミッションはコンプリート

4/18

5時台に起きて、原稿の校正作業を開始する。
琵琶湖から昇ってくる太陽が美しい。
うしゃあうしゃあと、校正を進める。

ではあるが、全体の1/4程度しか終わっていない。
それでいて、ちょっと疲れる。
うーむ。

こういうときは、別の仕事に切り替える。
集中力を保ちつつ、気分転換をするにはこの方法が良い。

ちなみに、レース系のコンピュータゲームも集中力を保ちつつ気分転換をするには良い。集中力が下がってしまうと勝てないので、集中力を保つことができるのである。

Imgp6387 ご飯を食べてからガーデンに散歩。
今この時期、ガーデンは姫リンゴが満開。
実に奇麗である。

芝に寝転がり、本を読もうとするも、
娘は
「あっち、あっち」
と別のところに行こうと誘う。
はいはい、行きましょう。

何気なく、
『位置に着いて。よーい、どん!』
と言って走ってみた。そしたら、ちゃんと合図に合わせて走るではないか。
いやあ、おもしろい。
どんどん出来るようになるんだなあ。

チューリップも満開である。

Imgp6408

昼過ぎから立命館草津キャンパスに出かける。
いやあ、広い。
なんだあというぐらい、広い。

迷子になっていたら事務方から電話。救出してもらう。

お昼ご飯を食べてから、90分の授業を行う。
導入に説教。教室の空気が固まって行くのが分かる。

開始15分ぐらいで固まりが少しずつほぐれてきたので、
というかほぐしたので、学生たちの反応は良くなってきた。
すると、言う予定になかった例までも持ち出すので、時間がなくなる。
説教と予定外の具体例を入ってしまったので、予定していた時間より3分オーバー。
いかん。きちんと終わりたかったなあ。

一発勝負の授業の場合、種も仕掛けもある授業の構成について
解説をする時間はない。だから、学生諸君は
何が起きているのか分からないまま授業が終わることもあるだろう。

だが、衣笠のアンケートには、「最初頭に来て聞いていたのに、最後は納得で
鳥肌が立ちまくっていた」と書いてくれた学生もいた。
では、それはなぜなのかを考えてくれると良いなあと思う。

授業が終わって礼をしたら、今回も拍手が起きた。
資料の片付けをしていたのだが、慌ててもう一度お辞儀。
まるで、カーテンコールのようであった。
ちょっと嬉しい。

これでミッションはコンプリートである。

終わってからAEON MALLに立ち寄る。
本屋でどーんと本を買い込む。
忙しいというのに、買い込む。
いや、忙しいから買い込んでしまうのだろう。

ううう。
なんとか時間を遣繰りして読もう。

家に帰ったら娘が玄関まで走ってお迎えに。
嬉しいねえ。

私の持っている本の袋を持ってリビングに向かって歩き出す。
そして、リビングで袋から取り出し、本のカバーを全部ひんむく。
なんだか知らないが、裸にしたがるのである。

もう、元に戻すのも諦めた。
裸の本だらけのこのごろである。

先ほどの本屋で『賭博破戒録カイジ』の最終巻をやっと手に入れたので、何はともあれ読む。
はあ、やっと結末が分かってほっとした。
これで、次の『賭博堕天録カイジ』に入って行ける。また全13巻だ。
時間が足りないf(^^;。

って、『賭博堕天録カイジ』を読み終えてしまったではないか。
私は麻雀のことが分からないので、麻雀のルールに関するとこは読み飛ばしながら、ストーリーの柱をだーっと読んで行ったら、読み終えてしまった。

次は、『無頼伝 涯』全5巻だな。

2009/04/17

何かが伝わったようである

4/17

研究日。さあ、頑張るぞと7時前に起床した。
が、さすがに眠い。昨日の夜はずっとレポートを読んでいた。

先週立命館の衣笠で行った授業の感想文が、大学事務方から送られてきた。400人分である。300字から600字ぐらいの手書きのレポートである。

こういうものは、同じタイミングで読まなければならない。ここまで読んで、あとは明日というのは良くない。評価の基準がずれてしまうからである。

さらにえば、今週末(を、明日だ)には草津のキャンパスでも同じ講演をするので、全体の感想を読み込んでおく必要がある。だから、必死に読み続けたのだ。全体的な感想としては、使っている漢字が、本学よりも難しい漢字であった。本学の諸君、がんばれ(^^)。

ということで、食事後に読み始めたのであるが、気がついたら3時ぐらいになっていたというわけである。

400人のうち、2人の学生は正面から否定してきた。が、あとは良かったと言う意見であった。

否定してきた学生の文章は、根拠が示されていなかったり、代案が示されていなかったりしたので、そこの部分を指摘し、批判をするように促した。

学生の意見を一つ載せる。

引用開始 ーーーーーーーーーー

おもしろかった。

はじめ講演なんて、正直ダルいなあと思って寝てしまうだろうと予測していた。授業がはじまってみて、そんな気持ちを持っていたことを一切忘れてしまった。

テンポ良く展開される授業に眠気など全く起こらず、ぐいぐいと先生の世界へ引き込まれていった。どの話も実践で活かせるものばかりで改めて、教師になるということ、免許を持つ責任について自覚させられた。

先生の講演を聞き終わり、盛大な拍手に包まれたこの教室の空気は、やはり池田先生だったからこそ作り出せたものだと思う。きっと授業の流れ、時間配分などきちんと計算されていたのだろうと思わせる内容だった。

教師になろうとしている私にとって、生徒に寝られるというのは非常に腹が立つことというのは理解できる。でも生徒が眠るのには教師にも責任があるのだなあと思った。おもしろい授業をすれば生徒は喰い付いてくる。周りの友だちで「おもしろくて寝られへんかった」と言っていた。大講義なのに寝ている人はいなかった。先生の力って本当に大事だと感じた。

これから本を読み、勉強もたくさんしようと思った。今日は本当にありがとうございました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

何かが伝わったようである。
良かった。

で、今日は頼まれている原稿の整理をするぞ!と気合いを入れて起きたのであるが、さすがに3時間睡眠では眠く、娘の午前中のお昼寝につきあっていたら、お昼過ぎに目覚めると言うことであった。

ま、体調を整えるのも研究には大切なこと。

校正原稿をあれこれ書いているのだが、これがなかなか終わらない。とあるところで連載していた原稿なので、書けてはいる。だが、あれこれ整合性を満たすために時間をかけているのだ。

うーむ。この週末では終わらないなあ。
かといって、ちゃちゃっと終わらせる原稿でもないしなあ。

いくつかのメールを書いて、臭いウイスキーを楽しみ、懐かしい曲を何曲か聴いて、一週間が終わるのだ。

写真は、大学の紅しだれ桜。
包まれて吸い込まれそうである。

Benisidare









さ、明日は草津の立命館だ。

明日の教室本 執筆者一覧

明日の教室本 執筆者一覧

出版社のHPにも載りましたので、私のブログでも載せることができます。
豪華だと言い続けてきた理由の一端がお分かりいただけるかと思います。

このメンバーで学校を作ったら、相当凄いだろうなあなんてことを思ったりもします。

っていったい誰が校長をするのだろうかf(^^;。

 代表編著者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
  池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授
  糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

 シリーズ執筆者一覧

  青山新吾(岡山県教育庁指導主事)
  赤坂真二(上越教育大学准教授)
  阿部隆幸(福島県本宮市立糠沢小学校教諭)
  石川晋(北海道上士幌町立上士幌中学校教諭)
  岩瀬直樹(埼玉県狭山市立堀兼小学校教諭)
  梅本裕(京都橘大学教授)
  北川達夫(日本教育大学院大学客員教授)
  佐藤正寿(岩手県軽米町立笹渡小学校教頭)
  澤田清人(京都市教育委員会指導主事)
  杉浦元一(東京都杉並区立和田中学校教諭)
  仲里靖雄(京都・立命館小学校教諭)
  筑田周一(女子聖学院中学校教諭)
  土作彰(奈良県広陵町立広陵西小学校教諭)
  土居裕士(岡山県岡山市立芳泉小学校教諭)
  中村健一(山口県岩国市立通津小学校教諭)
  西川純(上越教育大学教授)
  野口芳宏(植草学園大学教授)
  野中信行(横浜市立中沢小学校教諭)
  平田オリザ(劇作家・演出家)
  藤田恵子(埼玉県所沢市立北小学校教諭)
  堀裕嗣(札幌市立北白石中学校教諭)
  松原弘(岡山県岡山市立高島小学校教諭)
  山川晃史(三重県教育委員会指導主事)
  山口裕也(東京都杉並区済美教育センター主任分析官/経営支援スーパーバイザー)
  山田雅彦(東京学芸大学准教授)
  横藤雅人(札幌市立北郷小学校教頭)

お楽しみにお待ちください。

見てくださる方は見てくださる

4/16

国語科教育法1も一回目を終えた。これで今年度前期の授業はすべて一通り行ったことになる。名簿の名前だけでなく学生の顔もみることができた。いよいよである。

昼ご飯を食べて研究室に戻ってきたら、研究室前の教室が騒がしい。何のことかと思いきや、学生たちが板書課題の練習をしていた。今週の課題は、自分の名前を大きく書くである。

教育実習にいったとき、最初に黒板に自分の名前を大きく書く。その名前の練習である。板書にはさまざまな技術が必要である。書道をやっていたとしても、板書となるとまた別の技術が必要になる。なかなか書けない。私も学部の二年生のときに、半年ぐらい練習した。

書道をやっていても半年掛かる。教育実習が半年後に迫ってきた学生たちである。いまからやってぎりぎり間に合うかどうかであろう。

私は後ろから見ていたのだが、
(こりゃあ、ちょっと指導してやった方が良いな)
と思いあれこれ指導する。

文字の結構法が分かることと、チョークの使い方が分かること。大きく言うとこの二つが分からないと、読みやすい字を黒板に書くことは出来ない。もちろん、その先に板書の構成なども学ぶことになるのだが、まずはこれ。

私がちょこっとお手本を示して、結構法の勘所を示す。すると、グンと良くなることが分かる学生たち。
「すごい!」
と言うわけである。そして私。
『そう、良くなったね。そして、これからは君たちがこの感動を子どもたちにあげるわけだ。先生に習ったら字がうまくなったと言われるような力をつけるのだよ』
と。

学生たちは私の書いた字をデジカメで撮影して、お手本にするようだ。良い時代である。

Bansho

 

研究室で他の学生の面談を何名か。
履修方法についての相談だ。
どうぞ、あなたのやりたいようにしてください。

その後、稲田塾の前田先生の訪問を受ける。
あれこれ2時間ぐらい話す。
私に何が出来るかわからないが、引き出していただけるのであればご活用いただければと思う。

研究室を出て、車で駅までお送りしようと駐車場に向かう。
児優館の二階には三回生があれこれしていた。メディアセンターからは一回生が出てきた。

そのどちらもが席から起立して挨拶をしたり、歩みを止めて挨拶をしていた。それを見た前田先生が、
「いやあ、すばらしいですね」
との言葉を下さる。
「ご指導ですか?」
『はい』

見てくださる方は見てくださる。
さっと出来た諸君、成長しているな。

その後、折角なので琵琶湖にご案内。
琵琶湖は今日も広かった。

研究入門ゼミも開始だ

4/15

研究入門ゼミも開始だ。
一回生のゼミで、大学での学び方を学ぶゼミである。

今日やった内容は、以下のもの。

    1)    事務連絡 配布物
    2)    この授業のルール
    3)    児童教育学科での学び
    4)    大学の所属委員会の確認
    5)    ネットの活用について
    6)    課題提示

これら盛りだくさんのことを90分でやるのだから、結構大変。
『メモを取れ』
と言われている学生たちはさらに大変だ。
が、ここを頑張れなければ力はつかない。

意欲のあるものが学べるのが大学。
意欲があっても、簡単には良くなれないのが人間である。
そこをなんとかするのが、教育と言う営みであろう。

時間があまったら満開の八重桜を背景に写真を撮ろうと思ったが、今回は時間切れ。
八重桜は結構咲いているから、来週もう一度挑戦だ。

昼休みに会議。
その後、食事だ。
ふう。

さらに本日は、教職保育職支援室主催の、第一回教員採用試験対策ガイダンスが行われた。想定していた参加者数を遥かに超えて、満員の教室であった。

おーし。
本気で頑張ろうとする諸君は、きちんと指導支援するぞ。そして、それを可能にする先生方をお迎えすることができたと思っている。

夜は学科の歓送迎会。
立ち上げから二、三年間を学科の要職を務められた先生方が、その役を降り新しい先生方にバトンタッチ。さらには、新しい先生方をお迎えしての、歓送迎会であった。

これが実に楽しい会であった。
あちらこちらから、更なるビジョンが出され、くだらない話や実りある話をしながら、おいしい食事を頂く。

このメンバーの一人でいられることを、本当に嬉しく思う。

さ、明日は国語科教育法1の授業である。
どんな学生たちが集まっているのか。楽しみである。

2009/04/15

円周の上を歩く

(こいつとは絶対気が合わないな)
と思う奴がいる。
その通りのこともある。

だが、気がつくと、
(あれ、なんだか凄く近い物を感じるな)
ということがある。

これはなんなんだろうかと思ったことがある。

最近思うのは、円周のある二点に背中を向けて座っていただけではないかということだ。

円周の一番遠いところにいる。
背中を向けているのだから。

だが、歩みを進めるに従って、円周に従って歩むに従って、
一番近いところに来る。円周の上を歩いていたいだけということに気がつくことがあるのだ。

だから、時には、一番近い人が一番遠い人であり、一番遠い人が一番近かったりもすることもあるのだろう。

馬齢を重ねることだって、面白い。

2009/04/14

書籍 『明日の教室』 完成!!

いよいよ書籍『明日の教室』が刊行されます。
編集者さんからメールが届きました。

(1)4月20日・第1巻完成予定です!
・とうとう第1巻から刊行が始まります。4月20日の予定です。
・以後,毎月20日前後に刊行するように進めていく予定です。
・20日までに本ができあがれば,その月のうちに書店に並ぶとのことです。第1巻はなんとかゴールデンウィーク直前には書店に並ぶことになります。
・値段は税込み1890円に押さえました。

(2)宣伝
・すでに小社のホームページに「予約受付中」として紹介しています。
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000
・現在は刊行前なのでセット予約のかたちとなっていますが,発刊順に1冊ずつでも買えるようになります。
・このシリーズは,小社の販売重点図書になりました。「公立共済メンバーズカード」をお持ちの教師の方は,小社のWebサイトから申し込めばポイントが20倍アップするという特典付です。

自分たちで企画しておきながら、なんか凄いことになっているなあと思っております。
そして、実際、凄い本になっています。
楽しみにお待ちください。

「毎度ありがとうございます。お会計は別々でしょうか」

琵琶湖。
久しぶりの雨。

新学期が始まって体が高揚しているのか、目が覚めるのが早い。今日も五時台に起きてしまった。体は眠たいのだが、気持ちの方が寝るモードにならないので結局起きてしまった。

メールをチェックし、届いた雑誌を読み、本を読み、原稿と講演の予定を確認し、少し原稿を書く。二時間なんてあっという間だ。
今思えば、朝にもっと寝ておけば良かった。それほど、今日はヘビーだった。

授業の前に、斎王桜がどうしても見たかったので、雨の中、上賀茂神社に向かう。
ここまで来る観光客は少ない。
が、修学旅行のタクシー移動の生徒たちが来ていた。

タクシーだと、ここまで来るのは簡単だし、運転手さんに言えば、今見頃の場所に連れて行ってくれるはずだ。今日は長野県の中学校が多かったな。
中学生で、上賀茂神社の斎王桜を愛でるか。すごいねえ。

堪能。

Saiou

大学に行く前に、お気に入りのラーメン屋でラーメンを食す。
ここで大盛りにしておいたのが、正解。
夜までお腹をすかすことがなく仕事ができた。

カウンターで食べていたら、何気なく聞こえてきた会計の声に閃く。

二人の男のお客さんが、食事を終えて会計に向かって行った。
レジの人が次のように話した。
「毎度ありがとうございます。お会計は別々でしょうか」
と。

私はボールペンを取り出した。が、メモ帳を車に残してきたのを思い出し、
カウンターにあった紙ナフキンにメモした。
「毎度ありがとうございます。お会計は別々でしょうか」
と。

これ、おかしくありませんか?

大学に着いてメールボックスを確認したら、NHKからの手紙。
なんだろうと思ったら、「伝える極意」の最終回でお世話になった小学校の先生と児童のみなさんから、お手紙。
ああ、嬉しいなあこういうの。お返事書きますよ。ちょっと、待っていてね。

授業は、「教科教育法 国語」を二つ。同じ内容をやる。クラスを二つに分けているわけですね。
例え話が微妙に違ってしまうが、これは仕方がない。大筋では同じになるが、その時のクラスの反応によってコネタは変わる。
良いコネタを先生から引き出すのが、学習者の力量である。

今日は、授業開きの仕方の理論と実際。私が中学生にやっていた方法を見せながら、あれこれ説明し、考えさせる。
要は、
(この授業楽しみだな。早く続きを受けたいな)
と思わせるように行うのだ。
もちろん、何事もなく進めて、いつの間にか授業スタイルを確立して、うまくいくと言う先生もいると思うが、
私は、授業開きでいろいろなことを入れる必要があると思っている。

で、早速
「毎度ありがとうございます。お会計は別々でしょうか」
のネタを授業で活用。

さて、学生諸君はどんな答えを出すのでしょうか。

授業後、とある教育委員会から相談を持ちかけられ、研究室で打ち合わせ。
授業の前に、授業の準備をしていたら
「先生、今日の夕方は空いていませんか?」
との電話があったのだ。切迫している感じがありありだったので、お引き受けする。

二時間弱、あれこれと。
お役に立っていれば嬉しい。

(さあ、授業の準備だ!)

と、やっと自分のことに取りかかり始め、調子が乗ってきたときに電話。
むむむ。
仕方なしに、出る。
すると

「池田先生でいらっしゃいますか?」
『はい』
「こちら、XXX~で税金対策で、」
『結構です』

マンション売りである。以前にも直通電話で掛けてきたな、この業者。どこから電話番号が漏れるのだろうか。
まったくもう、こんな電話に出て浮かんできたアイディアが消えてしまったらどうしてくれるのだ。

とまあ、怒濤の一日。
だけど、マンション以外は良いことだらけだったかな。

明日も忙しいぞ。

2009/04/13

一年間での成長を期待する

Benishidare
本日から、私の授業は開始。
学内の紅しだれ桜は満開である。
最初は専門ゼミである。

自己紹介、学んでみたいこと、春休みの様子などを一人一人に語らせて、私が質問をする。
意欲のある学生たちが集まっているようなので、楽しみである。ゼミは、なんといっても学生たちが主体になってやらなければならない。
私は方向を示すことが仕事であり、具体的なことは学生同士で作り上げて行くものだと考えている。

このゼミの進め方を確認し、前半で読んで行くテキストを指定しとしていたら、あっという間に90分が過ぎてしまった。
慌てて学内の一番美しい場所に移動する。学内はソメイヨシノが散り、八重桜が満開である。京都の桜の時期は長いのである。
この八重桜をバックにして、ゼミ生の集合写真を撮影する。

09ikedaseminar2

しみじみ私は教員なんだなあと思うことがあった。
彼ら彼女らの姿をキャンパスで見ていたら、切なさをこの時は忘れ、寝違えた首の痛みもこの時は消えていた。
まったくなんてこったf(^^;。

一年間での成長を期待する。

2009/04/12

晩春の光を浴びて、琵琶湖はあくまでも美しい

いかんなあ。
切なさが抜けきらない。
明日から本格的な授業が始まるというのに。

寝違えてしまったからかな。
ユーミンなんかを聞いてしまったからか。「Yuming Compositions:FACE」

ユーミンなんて久しぶりだな。
この声や、この編曲の癖を聞いていると、
高校時代や、奥さんと出会った頃のことなどをなんとなく思い出す。

晩春の光を浴びて、琵琶湖はあくまでも美しい。

Rimg1058

昼前の散歩として、ガーデンに出かける。
寝違えた首が痛く、抱っこを求められてしまうと辛いので今日は車で行く。

刈り取った芝生の上に裸足で降り立ち、新緑が作る陰の中で寝転がる。
寝返りを打とうとすると、激痛。
相当まずい。

娘は、
「あっち、あっち」
と自分が行きたいところを指差す。折角寝転がったのにと思いつつも、そちらに向かう。
この繰り返し。

今日はいつも見たことがないくらいの人の多さ。
といっても、見渡す限りに5、6組ぐらいというところか。

昼ご飯の時間になったので帰ろうとしていたら、後ろから
「池田さん!!」
という声。しかも聞き覚えがある。
(誰?)
と振り返ると、なんと糸井先生。

「いやあ、池田さんのお気に入りのガーデンだから、いるかなと思ったら本当にいたね」
と。奥さんと一緒にガーデン横のレストランで食事をした後に散歩ということであった。

縁のある方というのはいるものだと、しみじみ思う。

園内を我が庭のごとく、説明して歩く。
娘は、恥ずかしそうに私に抱っこされたまま。
あああ、首が痛い。

自宅に戻ってお昼ご飯を食べてから、首の痛さに負けて昼寝。
娘は元気にベッドで遊んでいる。
おい、お昼寝しようよ。

3時間ほど寝た。
娘は寝ず。
そこで、仕方なしに遊びに付き合う。
仕方なしでも、嬉しさを感じる私ではあるが。

ボールでお手玉をしてあげたら異様に喜ぶ。
本人もやりたいのだが、結局同時に投げておしまい。そりゃあそうだ。まだ前にもしっかりと投げられないのだから。それでも楽しそうに何回も二つのボールを投げて遊ぶ。

それがあってか、結局その後、娘は爆睡。

夜、もう一度今週から始まる授業のおさらい。
首の痛み、明日にはもう少し良くなっていることを願う。

反省文の書き方

自由に使える読書感想文〜センセイが書き方を教えてくれない読書感想文、さっさと片付けて、夏休みをエンジョイしよう!!〜

というサイトがある。
結構物議を醸し出している。

あれこれ文句を言う人たちは、こんなものをコピーペーストしたって何の力も育たないし、頭を使わないので馬鹿になるというような主張である。

そして、このサイトには姉妹サイトがある。

反省文の書き方教室〜学校提出目的に限り著作権フリー、自由に使える「反省文」です〜

である。
これなど、反省させるために書かせているのに、反省どころか書き写しである。お茶の子さいさいである。

私は笑ってしまったし、考えてしまった。

1)そもそも読書感想文というものは、必要なのか。
2)必要だとしても、国語科の教員は、読書感想文の書かせ方を指導しているのか。
3)反省文の書き方は、授業で指導しているのか?

1)について、私はいわゆる読書感想文というものを、自分の意思で宿題として出したことはない。書かせる場合は、感想ではなく意見を求めた。
2)その方法として書き抜きエッセイのやりかたを指導してきた。
3)であるが、この反省文の書き方は指導してこなかったと気がついた。

正確に言うと、3)は全体には指導してこなかったということである。指導せざるを得ない生徒には指導してきたが、その指導せざるを得ない生徒は、私のクラスで該当する行為をしたため、書き方を教えたのだが、それは長い目で見ればラッキーなのかもしれない。

人生において反省文を書く機会は、あれこれあるだろう。しかし、書かざるを得ない案件に遭遇した時、指導を受けていない諸君は、どうかくのだろうか?と考え込んでしまうのではないだろうか。

私は国語の力があったので、そのような案件に遭遇した生徒時代にもきちんと反省文を自前で書くことができたが、書けない仲間は「反省がなってない!」と二重に怒られることになっていた。

(指導していないことでできていなくて、それでいて怒るのはいかがなものか?)

という根源的な思いはこの辺りから醸成されたのかもしれないf(^^;。

今の時代は、
(え〜、反省文? どうしよう)
ということで悩んだら、
「反省文 書き方」
でグーグルで検索すれば、

http://www.google.co.jp/search?q=%E5%8F%8D%E7%9C%81%E6%96%87%E3%80%80%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_ja___JP231

のように出てくる。

私なら、この中からいくつかのサンプルを出して、
『さて、どの反省文が一番反省しているように思える? そして、それはなぜ?』
という授業をすることだろう。そして、架空の事例を出して、その事例に対しての句会方式の反省文コンテストをするだろう。

てなことを考え続けていても仕方がない。明日からの大学の授業の方をもう少し考えなければならない私である。

輪郭のきりっとした一日

北白川の桜吹雪を通り抜けて、立命館大学に向かう。
今日は立命館大学での授業があるのだ。
立命館大学の教職課程の最初の授業で、外部講師として授業をお願いされたのだ。

去年からお願いされていたのだが、去年は日程が合わなかった。今年もお願いされて、そこまで言われるのであればとお引き受けしたのである。

桜吹雪の中をくぐり抜けて行くのは、実に切ない。
人生の儚さをしみじみと感じる。

いかん。
授業に向けてテンションをあげなければならないのに、しみじみしてしまっている。昨日の名残もあるんだろうなあ。

Rimg0391

 

さて、400人を相手にする授業というのは、なかなか大変である。京都橘大学では考えられない。だが、やることは同じだ。声の大きさとか目の動かし方は変わるが、やることは同じ。

教職の導入であれば、彼らの意識の改革や、真剣に学ばなければならないと思う姿勢を作ることが肝要になる。これを90分でというのが、ミッションであろう。

最初の10分ぐらいは、いつもと違う授業の進め方に戸惑っているようであった。いきなり、
『帽子を脱ぐように。飲み物は机上からしまうように』
と始めたことだし。だが、その後はいつもの私の授業のペースで進めることができた。

最後は、拍手を貰ってしまった。
ちょっと嬉しい。

終わってから急いで駐車場に向かった。
子守りが待っているのだ。

奥さんの友人が東京からやってきて、午前中は娘と一緒に回るのだが、夕方から娘の面倒を私が見るのだ。

なもんで、タッタカと衣笠キャンパスを歩いていたのだが、後ろから声をかけられた。産業社会学部の先生方である。竹内常一先生のお知り合いの先生であったり、本学の先生方のお知り合いの先生たちであったりであった。

立命館大学とはあれこれ交流のある京都橘大学であるが、嬉しいことであった。

寺町まで車を走らせる。
娘は奥さんに抱っこされて登場。もう、寝ていた。
気温と疲れで参ったのだろう。
車に乗せて、家に帰る。

娘は、自宅の駐車場に着いたとたん目が開く。
お母さんがいないことは不思議に思っていないようで、一安心。

エントランスの向こうに広がる中庭に行きたがっていたので、歩かせた。中庭に続く扉は結構重たいのでなかなか開かない。すると娘は何を思ったのか、私の持っている鍵の束を渡せとせがむ。

渡すと、鍵を握りしめて扉の鍵穴に入れてまわそうとする。もちろん、ここの鍵は管理人しか持っていないので、私の鍵では入らない。

だが、びっくりしたのは鍵と鍵穴の因果関係を理解しているということだ。脳みそのどこいら辺りをどのように使って考えているのだろうか。その時、言葉は使っているのだろうか。面白いなあ。

その後、遊んで、風呂に入れて、ご飯を食べさせて、歯を磨いて、お休みである。寝かせつけるときに寝違えてしまったのはご愛嬌。

輪郭のきりっとした一日であった。

2009/04/10

古歌や名句に導かれて人生を味わう

桜の季節が過ぎて行く。
切ない時間が過ぎて行く。

午前中は、ガーデンで桜の花を愛でる。
午後から、京都市内に出て桜の花を愛でる。

どちらもゆったりと、良い時間だった。

おしなへて 花と雲とをさそひけり なからの山のみねの春風 後鳥羽天皇

まさに、私の家の周りにある桜を読んでいる短歌である。
後鳥羽天皇が見ていた桜と同じ桜を愛でることの出来る生活。凄いなあと思う。

昨日は満月で、琵琶湖から昇る月を楽しみ、
(そういえば、後鳥羽天皇の歌とは違って、雲は全然ないなあ)
と思い返したりしていた。

Imgp6127

行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉

これもいま、実感する句である。

人生はいろいろあるなあと、今日の市内の花見で思ったものだ。
私の弱さや醜さも改めて考えることになった。
なんのことだかさっぱりみなさんには分かりませんねf(^^;。
でも、そうなのです。

そんな機会が持てるのもありがたいことだ。
古歌や名句に導かれて人生を味わうことができるのは、すばらしいものだ。

桜の季節が過ぎて行こうとしています。
切ない時間は、ちょっとだけ私を苦しめます。

長等の山に花見に行った

長等の山に花見に行った。
オフである。

右手に琵琶湖博物館が見え、真ん中に琵琶湖、左手に我が家とオーパルの当たりが見える。この二日間の新入生キャンプが目の前のエリアに収まる訳だ。なんとも感慨深い。

折角なので、我が家からハンモックを持ち出して公園に置いてみた。下から見上げる桜の花の美しいこと。ゆらゆら揺られながら、味わう。娘もそこに乗ってっ来る。

水筒から紅茶を取り出して、飲む。
授業開始前の、ちょっと贅沢なオフだ。

隣接した場所に公園があった。とても長い滑り台があった。
見ていると三歳ぐらいの男の子がおそるおそる滑っていた。娘は大興奮。

いや〜流石に無理だろうと思っていたら、もう既に階段を上り始めている。膝をつきながら十段以上の滑り台の階段を上っている。斜面の設置されているので20m近く滑る長さはある。

先ほどの三歳の男の子は、
「僕が一緒に滑ってあげようか? 僕だってやっとすべるんだから」
とお兄さんらしいところを示してくれる。
『ありがとう。でも、まだ赤ちゃんだから、おじさんが一緒に滑るね』
と久しぶりに滑り台に乗る。
娘大喜びで、滑る。

その後、娘はまた階段を上り滑り台に挑戦。
私はもう諦めて下で滑って来るのを受け止める事にした。
すると件の三歳児の男の子が、ここが出番とばかり滑り台に走ってサポートしようとする。だって、僕だってやっとすべるのである。

ところが、その途中で石に蹴つまずいて倒れ、
「おかーさーん」
であった。
娘は、頂上で一人挑戦に燃えた目を輝かせながら今行くか、今行くかという姿勢。

『よーし、おいで』
と行ったところ、本当に一人で滑ってきてしまった。件の男の子泣くのを止めて吃驚して見ていた。

娘は四、五回これを繰り返す。
頼もしいというか、恐るべしというか、何だか分かっていないというか。
しかし、父はとても嬉しかったのであった。

大津の桜はもう少し見頃が続きます。

流行言葉からみる学生気質

キャンプの時にオリターが話している言葉で、日頃から気になっている言葉が使われていた。

絡む
〜だけ

である。

以前、ある学生が主催する学習会に講師で呼ばれた時のことである。会が終わってお礼のメールを実行委員の学生からもらった。その中に、

「これからも池田先生には絡んで行きたいと思います。よろしくお願いします」

とあったのだ。
(絡まんでよろしい)
とすぐにメールに突っ込みを入れた。

この「絡む」という言葉が若者の流行語であることは、私も知っている。だから、学生の中で使う分には特にあれこれ言う筋合いはない。しかし、お礼のメールにこれがあるのには驚いた。

この「絡む」が、閉校式のオリターの言葉からも出た。
「これからも、 もっと絡んでください」
のようにである。

反省会の時に聞いてみた。
『あれはどういう意味で使っているの?』
「ちょっと関係を持ちたいというか」
『そう。じゃあ、繋がる、結びつく、関係する、絡むだとどれが一番強いの?』
「結びつく、繋がる、関係する、絡むです」
『おもしろい。ここは私たちと一致する。しかし、私たちは絡むは使わないな』
「はあ」
『絡むは、糸が絡む、獲物を絡めとる、痰が喉に絡む、不良が絡むなどのように使って、いい意味ではないのは分かる? いや、怒っている訳ではないよ』
「はい」
『面白い。繋がる、結びつく、関係すると類語があるのに使わない。さらに、それが元々悪い意味であるという事も知っていて使っている。では、なんで君たちは、この言葉を使っているんだと思う?』
「???」

今ひとつの気になる言葉が「〜だけ」である。曰く

「栞だけ持ってきて下さい」
「筆記用具だけ忘れないで下さい」
「時間だけ守って下さい」
「返事だけしてください」
「体調だけ注意して下さい」

である。私に言わせれば、この「だけ」は「を」「に」で済む言葉である。ところがやたらこの「だけ」を使って話すのである。そして、本人たちはそのように使っているという自覚がない。私が指摘して気がつくのだが、すぐに「だけ」を使って話しているという有様である。

これは話の構成、就中ナンバリングが出来ていない事が引き起こしている問題とも言えるだろう。「注意が5点あります。1つめ、栞を持ってきて下さい。2つめ、筆記用具も持ってきて下さい。〜」のようにすれば良い。思いつきで話すと、このナンバリングが出来ない。思いつきで指示を出されてしまう児童生徒はたまったもんじゃない。

だが、この「だけ」は話の構成だけが原因とは言いにくいのではないかと感じている。

「絡む」も「だけ」も、いまの若者に特有な「やさしさごっこ」に起因しているのではないかと思うのである。

絡むは、「ちょっと関係を持ちたい」ときに使うのである。逆に言えば「深く関係を持ちたくない」のであろう。深く関係を持つということは、相手の人生に立ち入る事である。これを避けたいのである。なぜならば、相手を傷つけるようなことは「やさしい」若者たちには出来ないし、許されないからであろう。

同様に、「だけ」というのも、この「やさしさごっこ」に起因している流行語ではないかとも思っている。相手が大変さを感じさせないように、傷つかないように、少しだけやってくれればいいからねという思いで「だけ」を連発するのである。私はあなたを大変な目に遭わせていないよ、遭わせる気はないからねというメッセージが「だけ」に含まれていると思っている。

というようなことを反省会で話すのであった。
学生たちは、深くうなずいていたので、そんなに外れても居ないのだろう。
そうだとすれば、面倒くさい人間関係を生きているのだなあと思う。

意図的に相手を傷つけて行こうとする人間も居なくはないが、普通に生活をしていても誰かを傷つけ、傷つけられるのが生きて行くという事だ。逆に意識せずに喜びを与えたり、もらったりする事もあるのだから。

ここを了解しない事には、社会との関わりを適切な関係で結ぶというのは、難しいだろうなあと思う。

また、学生言葉として、流行語として使う分には私は特に何も言う事はないが、言葉というのは使っているうちにその人の思考や行動を規定することになる。そして、コレが意識されにくいのが特徴である。

さらに、フォーマルなところできちんとした言葉を使おうとしても、意識されていないで使ってきた学生言葉は、フォーマルな場所でも意識されずに顔を出す。これが怖い。

『ま、自分の会話を録音して聞いてみる事だね。すこしは、意識出来るかもしれないね。今から始めれば、直る可能性は高まるよ』

んなことを言った。
相変わらず説教の多い私である。

新入生キャンプが終わった

新入生キャンプが終わった。
これで本格的に三期生の大学での生活がスタートする事になる。

オリター諸君の活躍もあり、天候に恵まれた事もあり、学科教員の見えない部分でのサポートもあり、あれこれが結びついて成功裏に終える事が出来た。良かった良かった。

一泊二日を通して、オリターと新入生が成長して行くのが分かるのがこのプログラムである。キャンプの閉会式では、今年もオリターと新入生が泣いていた。これから始まるのに、泣くのである。いかにこの一泊二日に意味があるのかを物語っている。

オリターと新入生のこと以外で印象的だった事は、

・琵琶湖博物館の学芸員の話し
・ドラゴンボート決勝のトラブルと初の優勝
・流行言葉からみる学生気質

である。

琵琶湖はどのぐらいで回れるのかというテーマで学芸員さんが話しをして下さったのであるが、これが良かった。他のお客さんはほとんどいなくて、数人で聞く。私の場合、歩いている時間は26時間で歩ける事が判明。自転車なら余裕で二日で回れる事も判明。

そして、この話しの後様々な質問をした。琵琶湖で危険な箇所はどこか、その理由はなぜか。これに的確に答えて下さるし、そこは未だ解明されていないなんて話や、琵琶湖にまつわるメディアリテラシーの話まで。10分の予定が40分も話をしてくれた。いやあ、琵琶湖は面白い。

専門家から話を聞くのは楽しい。しかし、専門家の話を引き出すインタビューが出来ないと、この楽しさは半減するのだろうなあ。そんな力も付けさせたいものだ。

決勝にまで進出するのだが、どうも勝てないのがいままでのドラゴンボートの結果であった。今年はクラスが念願の優勝。やっぱりうれしい。

その決勝には、教員とタチバルの混成チームも参戦したのであった。タチパルというのは、橘の学生でオーパルでアルバイトをさせていただいたり、自分たちでアウトドアの学びを作る学生サークルである。児童教育学科の三回生が主で、今回のキャンプでも裏方になってあれこれ手伝ってくれていた。

大学に移った四年前に、この新入生キャンプの青写真を描いていたとき、このタチパルのような組織が新入生キャンプを元に立ち上がる事を思っていたが、実現されるのを見てとても嬉しく思う。

で、タチバルが参戦して、スタートダッシュ良く、レースの途中まではトップであった。しかし、突然船が左に蛇行をするのである。何かをと思えば、舵取りが失敗となって、unable to control になってしまったのだ。この時の舵取りはタチパルのリーダのTくん。笑いの神はこのタイミングで下りてきたのだ。

タチパルの諸君は土下座して、泣きのもう一回をお願いしていたが、さすがにそれはなし。主役は一回生である。

で、そんなこともあって、我がクラスは優勝。
なかなかあり得ない展開であった。

流行言葉からみる学生気質については、項を改めて考えてみたい。

キャンプが終わってから二回生、三回生と話をした。

『このキャンプがなかったら、大学一年の生活は随分違ったものになるだろうね』
「先生、違います」
『なに。どう違うの?』
「四年間が違ってしまいます」
『なるほど』

確かにそうかもしれないなあ。
来年は四期生を迎える。
今年の一回生がオリターになる番だ。

学生部委員の任期を終えたので、私が新入生キャンプを担当するのは、これでしばらくおしまい。新しい担当者の下、さらにバージョンアップして行く事でしょう。
楽しみだ。

2009/04/07

行ってきます

今日から二日間、児童教育学科三期生の新入生キャンプです。
メールは携帯電話の環境しかありません。
すみませんが、連絡が取れなくなります。

また、私のマックですが小さなメインテナンスの為に入院しています。
頂いているメールのお返事は、修理が戻ってから、おそらく週末になると思います。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

では行ってきます。

2009/04/05

かといって、ぱぱでもない

本当は、夜に三井寺で桜のライトアップされた中でのコンサートを楽しみにしていたのであったが、朝から雨。ラジオの収録もあるのでコンサートそのものは行われるだろうが、娘を連れて行くのは無理。ということで、一日のスケジュールを大幅に変更である。

午前中は、読書をしながら講座の構想を練る。
(確かノートにアイディアを書いてあったはずだ)
とノートを探すが、研究室においてきてしまったことが分かる。
うーむ。
大学にいかねばならぬ。

ではあるが、娘の昼寝に付き合って添い寝をしていたら、私が熟睡してしまった。ま、頭はすっきりではあるが。しかし、昼寝の夢にしては恐ろしい夢を見た。ヒグマが出てくる夢である。

なぜか、奥さんと娘はミニクーパーに乗っていて、私が買い物にいっているときにヒグマが出現するのである。遠くに見えたヒグマは全力疾走でこちらの方に向かってくるように見えた。

私は嘗て尾瀬で全力疾走で湿原を駆け抜けるツキノワグマを目撃したことがある。ものすごく速く駆けるのを知っているので、夢の中でも遠くにいたヒグマも、危ないと思って車の中に駆け込もうとするのだが、奥さんは何事も無いように車の中でのんびり。

私はあわててロックを解除して飛び乗り、ドアをロック。すると、その直後にヒグマが車のところまでやってきて近くにいた人間に襲いかかるという場面を目撃。

そこで夢から覚めたのであった。カラーの夢であった。
これはなんだったのだろうか。

夕方に大学まで出かける。
オリター諸君は頑張っている。新入生もあれこれやっている。

私はノートを手に入れ、ちょっとだけ研究室の片付け。子守りもかねているので、娘も一緒に大学に行ったのだが、オリター諸君が研究室に顔を見せると、大泣き。まだ、ダメなのね。その後、研究室でも抱っこをしてほしい仕草を見せ続ける。当然抱っこである。片付けはままならぬ。かといって、ぱぱでもない。

そんな娘だが、「可愛い」と「奇麗」の区別をしながら話が出来るようになっている。赤ちゃん等を見ると、「可愛い」であり、桜や桃に菜の花などの花や、美しい景色を見ると「奇麗」と言う。

なかなかやるなあ。ちなみに、今日はミニクーパーを見て「かっこいい」と言った。分かるのかねえ、分かるんだろうなあ。

昼寝の分を取り戻さんと、夜、久しぶりに仕事をし続けている。
講座の資料完成まで、あと2時間ぐらいか。

2009/04/04

「担任の仕事がたまっているのが怖い」

奥さんがこんな記事を見つけてくれた。

http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20090403ddm008070022000c.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

ひと:吉田洸二さん=センバツ優勝の清峰監督
 ◇吉田洸二(よしだ・こうじ)さん(39)

 マウンドで歓喜の輪を作る選手たちをうれしそうに見つめる目に涙はなかった。「本音を言えば、ほっとしました」。重圧から解放された、柔らかな笑顔だった。

 忘れようもない苦い思い出がある。06年のセンバツ。初出場の清峰を率いて長崎県勢初の決勝まで駆け上がったが、「監督の私も浮かれていた。天罰が下った」。横浜(神奈川)に0-21の記録的大敗。ダッグアウトに立ちながら、「惨めだった。初めて、穴があったら入りたいと思っていた」。あれから3年。巡ってきた雪辱のチャンスだった。「あの経験がなければ、緊迫したゲームでミスが出たかもしれない。これであの時、苦しい思いをした選手たちに少しは恩返しできたかな」。胸をなでおろした。

 丁寧な物腰で、長所をほめて伸ばす指導が特徴。だが、監督になりたてのころは「恥ずかしいくらい、生徒の気持ちも分からず空回りしていた」。野球だけでなく、教師として多くの子供と接し、自身も成長したという。たどり着いた指導のポイントを「水は与えすぎてもいけないし、少なければ枯れてしまう」と表現する。

 長崎に帰ったら、「担任の仕事がたまっているのが怖い」と笑った。そして、選手には「ご苦労さんというのが半分。残り半分は、変にのぼせず、支えてくれた多くの人たちへ感謝してほしい」。監督から教師の顔になった。<文・大島祥平/写真・大西岳彦>

==============

 ■人物略歴

 長崎県佐世保市出身。佐世保商高、山梨学院大卒業後、母校監督などを経て01年から現職。社会科教諭。

毎日新聞 2009年4月3日 東京朝刊

引用終了 ーーーーーーーーーー

>>長崎に帰ったら、「担任の仕事がたまっているのが怖い」と笑った。

クラブ活動をやっている先生で、この文言に苦笑いをしない先生はいないだろう。

授業があり、担任があり、校務分掌があり、生活指導があり、事務仕事があり・・・・、そしてその先にクラブの指導があるのである。

優勝監督のインタビューで、ひさしぶりに心に残ったf(^^;。

2009/04/03

おこしやす

4/3

朝から会議三連発。9:00からである。
終わったのは17:00過ぎ。

しかし、この会議は重要。
この一年間を本学の学科の教員、さらには全学の教員が一致したイメージで学生の指導に当たるために、そのイメージの擦り合わせをするのである。

固い話もあれば、柔らかい自己紹介もある。
全教員が一言ずつあれこれ話す。
お人柄と専門が分かり、よしやろう!という気持ちになる。
これが京都橘大学の良さの一つだと思っている。

入学式の後にこんな風に教員だけで動くことが可能になるのは、オリター諸君の活躍が大きい。

入学から、新入生キャンプに至る一週間の新入生のガイドを引き受ける学生たちがいるのである。それがオリターである。私たちが会議をしている間、新入生の側にいてあれこれ面倒を見てくれるのである。

本学科の教員は担任経験者が多い。だから、新入生の顔を見ると、つい担任として接してしまいたくなる。しかし、それはしない。そこは、オリターと新入生に任せる。

この方式は、もっといろいろなところで行われていいと思う。小学生だと六年生が一年生の面倒を見ることはあるが、中三が中一を、高三が高一をというのは、ありだと思う。

京都橘大学では成果を出しているし、児童教育学科ではなくてはならない存在になっている。

会議終了後、慌てて家に帰る。
もう期限が迫っている。
そうである。
桜である。
京都市内の桜を見に、奥さんと娘と一緒に山中越えをした。

最初に岡崎公園の疎水沿いの桜だ。
いやあ、奇麗だ。
疎水に映える夜桜。
なかなか見られない。

Sosuisakura

その後、木屋町通りの桜。つまり高瀬川の桜だ。
坂本竜馬が愛でていたであろう桜を眺める。
桜そのものはまだ8分咲きぐらいである。
が、見事である。

木屋町通りは、三条から五条まで高瀬川沿いを行くのであるが
人が混んでいるのは、四条まで。四条から五条は人が少なくなる。
同じ桜であるのに、人は少ない。
恋人同士で歩くのであれば、こちらの方が良いかなと思う。

家を出てから二時間弱のドライブで、二つの桜の名所を楽しむことができた。ああ、なんという贅沢だ。

京都の桜は、今週末が一つのピークです。
おこしやす。

本日入学式

4/2

本日入学式。
幸いなことに晴れた。
桜も見頃だ。
これで児童教育学科は、三期生を迎えることができた。

「大学の先生は、時間があっていいねえ」

と言ったのは誰なのだろうか。おそらく10年前までのことなのだろう。いまや、小中学校よりもスタートは早い。授業そのものは4/10
から開始だが、その前にガイダンス、オリエンテーション、健康診断、新入生キャンプなど多くのことがある。これをやりながら裏番組では会議が目白押しなのである。

ただ、本学の場合この行事を仕切ってくれるのがオリターと言う、先輩の学生たちである。後輩の面倒をかなりの部分で見てくれる。私は、このオリターの指導を担当しているので、またそれなりに忙しさが増えるのだが、成長しようとする意欲の高い者に指導をするのは、こちらもやる気が刺激されてくる。

一週間後の新入生の成長と、オリター諸君の成長が楽しみである。

仲間のブログを読むと、離任式であった先生が多い。
公立の学校では、転勤がある。
転勤は、仕事人としての一つの「死」である。

教育は、文脈で行われることが多い。一つの指導をするにしても、それがその指導の先に繋がるし、また、その一つの指導は過去の指導の上に乗るものである。

簡単に言えば、
「ああ、池田先生はそれはこういうことを思ってやっているんだよ」
と先輩から後輩へと伝えられることがあるということでもある。

転勤をすると、まずここがなくなる。そしてまた一から作り直すこととなる。つまり、「再生」である。

私の場合、ディベート指導をまた最初から立ち上げるのが大変であった。機関車の車輪のように、動き出せば滑らかに行くのだが、最初のゴロッという部分が大変なわけである。

ただ、外側から見れば、あちこちに転勤することでいままでディベートのデの字も知らなかった子どもたちに、ディベートを体験させることが出来たとも言えるし、入門期指導を研究していた私にとっては、環境の違うさまざまな子どもたちに出会えることで、その違った環境でもうまくいく理論を探ることができたとも言える。

渦中にいるときは、その出来事の正当な評価というのはなかなかできないものである。むしろ
(なんで、俺がこんな目に遭わねばならぬのだ)
と思うことがほとんどである。人生の不条理をあれこれ思うのである。

しかし、私の人生が一つの意味をなすとすれば、あの不条理を我がごととして背負ったから、意味をなしてきたのだと思う。

昔、遠藤周作さんのエッセイを読んでいて、こんなのがあった。

旅人が、旅をしていたら乞食に出会った。
乞食は
「寒い。抱きしめてくれ」
という。
旅人は、抱きしめてあげた。
乞食は
「まだ寒い。もっと抱きしめてくれ」
という。
旅人は、さらにきつく、きつく抱きしめてあげた。
そうしたら、乞食は、神に変わった。

これだけである。
遠藤周作さんは、人生はそう言うものだなあと、最近思うようになった。というようなことを書いてあった。

中学生だった私は、
(ふーん、なんだかわからないが、そうなの?)
と思った。が、最近少しずつ分かるような気がしてきている。私は神は信じないが、この神の部分を人生の宝とか真実とかに置き換えると、わかる。

学校が変わる。職場が変わる。
新しい出会いがあるわけである。
いままでの価値観では対処できないものが当然のようにそこにあるはずである。

その時、それを抱きしめられるかどうかが大事なのだと、今は思う。

ご入学おめでとうございます。

教師、保育士になるという諸君の夢は、いま目標に変わりました。
四年間、必死に学んでその目標を実現してください。

みっちり指導します。

Rimg0380

2009/04/01

教員にとっては、元日

新年度が始まった。
教員にとっては、元日である。

じゃあまあ、お屠蘇を飲んで、ゆったりとテレビでも見て、というわけにはいかない。本学では、午後から新入生に向けてのガイダンスが始まる。入学式は明日だ。

いつもより丁寧に爪を切り、髭を当たり、眼鏡を磨く。

大学は桜の花が7、8分というところであろうか。
突然の嵐もあったが、実に春らしい。

児童教育学科の校舎、児優館の前に植えた記念樹の桃も奇麗な花を咲かせている。桃栗三年であるからして、今年は桃の実がなるかもしれない。

そう言えば3/29は、旧暦の3/3であった。
うーむ、やはり3/3は桃の節句なのだなあと思う。

学部学科ガイダンスで、新入生の顔を見た。
しっかりした面構えが多く感じられた。
四年間、しっかりと学び続けてほしい。

新年度の決意ってのは、あまりしない方だが、今年ちょっと気にかけてみようと思うのは、

・新しい遊びを覚える。
・仕事の時間とは別に、勉強の時間を設ける。
・新しい単著の本を一冊出す。

まあ、年度の始めの日は嘘をついて良い日であるが、なんともブラックだなあとも思う。

とまれ、本年度もよろしくどうぞ。

『『はらぺこあおむし』と学習権 ー教育基本法の改定に思うー』(大田堯 一ツ橋書房)を読む。

『『はらぺこあおむし』と学習権 ー教育基本法の改定に思うー』(大田堯 一ツ橋書房)を読む。

同じ学科の生源寺先生が良いと仰っていたので、注文して読む。
本当に、良い。

ブックレットなので48p、500円である。
だから読む時間はそんなに掛からない。財布にも優しい。1〜2時間で読めてしまうだろう。しかし、教育とは何かを改めて考えるにはとても良い本である。

新年度を迎える準備として、クラスづくりや授業づくりの本を読むことも大事だし、必要だが、教育そのものを考え直し、自分の一年間の指針を確認することも大事だ。

今のタイミングで読み終えることができて良かった。
新学期、子どもたちに向き合う前にお薦めの一冊である。

なかなかやるじゃん

3/31

移動の疲れもあるので、一日のんびりとしたいところだが、そうもいかない。

午前中は、子守り。ガーデンに出かけて行く。ちょっと見ない間に、チューリップがきれいに咲いている。咲いた咲いたチューリップの花が〜♪と歌いながらガーデンを歩く。

ガーデンには、結婚式場があり鐘を鳴らす場所がある。娘は私に抱っこされてこれを鳴らすのが楽しみ。今日も鳴らす。

鳴らし終わったので、地面に下ろす。そして、
『世界のみんなに幸せが来ますように』
と私が言うと、娘は突然両手を合わせて頭を下げていた。
びっくりである。

そういえばこのごろ、
『〜だね?』
『〜なんじゃないのかな?』
などと話しかけると、すぐに
「うん!」
と答える。

話の内容を理解しているというよりは、イントネーションや状況を理解しているのかなあと思う。

仕事を進めるのだが、久しぶりに家にいるお父さんに娘が興奮して、遊ぼうと突入してくる。なかなか進まない。

家のなかで隠れんぼうを延々と続ける。
同じところに行って隠れるだけなのだが、これが大好き。

私がカーテンの裏に隠れる。するとその後ろから付いてくる。私は反対側から出て行く。そしてまた娘の後ろからカーテンの裏に入って行く。これを何回か繰り返していたら、娘は反対側から入ってカーテンの裏で私を見つけるということを覚えた。

なかなかやるじゃん。

アルコールを断酒して、食事。
そして仕事を始める。
ちょっとして、床暖房にごろり。

ああ、極楽である。
アルコールなしでも、床暖房は極楽であった。

さ、明日から新学期だ。

写真は、先週出現した琵琶湖の虹。ベランダから撮影。

Niji

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