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2009/04/12

輪郭のきりっとした一日

北白川の桜吹雪を通り抜けて、立命館大学に向かう。
今日は立命館大学での授業があるのだ。
立命館大学の教職課程の最初の授業で、外部講師として授業をお願いされたのだ。

去年からお願いされていたのだが、去年は日程が合わなかった。今年もお願いされて、そこまで言われるのであればとお引き受けしたのである。

桜吹雪の中をくぐり抜けて行くのは、実に切ない。
人生の儚さをしみじみと感じる。

いかん。
授業に向けてテンションをあげなければならないのに、しみじみしてしまっている。昨日の名残もあるんだろうなあ。

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さて、400人を相手にする授業というのは、なかなか大変である。京都橘大学では考えられない。だが、やることは同じだ。声の大きさとか目の動かし方は変わるが、やることは同じ。

教職の導入であれば、彼らの意識の改革や、真剣に学ばなければならないと思う姿勢を作ることが肝要になる。これを90分でというのが、ミッションであろう。

最初の10分ぐらいは、いつもと違う授業の進め方に戸惑っているようであった。いきなり、
『帽子を脱ぐように。飲み物は机上からしまうように』
と始めたことだし。だが、その後はいつもの私の授業のペースで進めることができた。

最後は、拍手を貰ってしまった。
ちょっと嬉しい。

終わってから急いで駐車場に向かった。
子守りが待っているのだ。

奥さんの友人が東京からやってきて、午前中は娘と一緒に回るのだが、夕方から娘の面倒を私が見るのだ。

なもんで、タッタカと衣笠キャンパスを歩いていたのだが、後ろから声をかけられた。産業社会学部の先生方である。竹内常一先生のお知り合いの先生であったり、本学の先生方のお知り合いの先生たちであったりであった。

立命館大学とはあれこれ交流のある京都橘大学であるが、嬉しいことであった。

寺町まで車を走らせる。
娘は奥さんに抱っこされて登場。もう、寝ていた。
気温と疲れで参ったのだろう。
車に乗せて、家に帰る。

娘は、自宅の駐車場に着いたとたん目が開く。
お母さんがいないことは不思議に思っていないようで、一安心。

エントランスの向こうに広がる中庭に行きたがっていたので、歩かせた。中庭に続く扉は結構重たいのでなかなか開かない。すると娘は何を思ったのか、私の持っている鍵の束を渡せとせがむ。

渡すと、鍵を握りしめて扉の鍵穴に入れてまわそうとする。もちろん、ここの鍵は管理人しか持っていないので、私の鍵では入らない。

だが、びっくりしたのは鍵と鍵穴の因果関係を理解しているということだ。脳みそのどこいら辺りをどのように使って考えているのだろうか。その時、言葉は使っているのだろうか。面白いなあ。

その後、遊んで、風呂に入れて、ご飯を食べさせて、歯を磨いて、お休みである。寝かせつけるときに寝違えてしまったのはご愛嬌。

輪郭のきりっとした一日であった。

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