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2009/04/17

見てくださる方は見てくださる

4/16

国語科教育法1も一回目を終えた。これで今年度前期の授業はすべて一通り行ったことになる。名簿の名前だけでなく学生の顔もみることができた。いよいよである。

昼ご飯を食べて研究室に戻ってきたら、研究室前の教室が騒がしい。何のことかと思いきや、学生たちが板書課題の練習をしていた。今週の課題は、自分の名前を大きく書くである。

教育実習にいったとき、最初に黒板に自分の名前を大きく書く。その名前の練習である。板書にはさまざまな技術が必要である。書道をやっていたとしても、板書となるとまた別の技術が必要になる。なかなか書けない。私も学部の二年生のときに、半年ぐらい練習した。

書道をやっていても半年掛かる。教育実習が半年後に迫ってきた学生たちである。いまからやってぎりぎり間に合うかどうかであろう。

私は後ろから見ていたのだが、
(こりゃあ、ちょっと指導してやった方が良いな)
と思いあれこれ指導する。

文字の結構法が分かることと、チョークの使い方が分かること。大きく言うとこの二つが分からないと、読みやすい字を黒板に書くことは出来ない。もちろん、その先に板書の構成なども学ぶことになるのだが、まずはこれ。

私がちょこっとお手本を示して、結構法の勘所を示す。すると、グンと良くなることが分かる学生たち。
「すごい!」
と言うわけである。そして私。
『そう、良くなったね。そして、これからは君たちがこの感動を子どもたちにあげるわけだ。先生に習ったら字がうまくなったと言われるような力をつけるのだよ』
と。

学生たちは私の書いた字をデジカメで撮影して、お手本にするようだ。良い時代である。

Bansho

 

研究室で他の学生の面談を何名か。
履修方法についての相談だ。
どうぞ、あなたのやりたいようにしてください。

その後、稲田塾の前田先生の訪問を受ける。
あれこれ2時間ぐらい話す。
私に何が出来るかわからないが、引き出していただけるのであればご活用いただければと思う。

研究室を出て、車で駅までお送りしようと駐車場に向かう。
児優館の二階には三回生があれこれしていた。メディアセンターからは一回生が出てきた。

そのどちらもが席から起立して挨拶をしたり、歩みを止めて挨拶をしていた。それを見た前田先生が、
「いやあ、すばらしいですね」
との言葉を下さる。
「ご指導ですか?」
『はい』

見てくださる方は見てくださる。
さっと出来た諸君、成長しているな。

その後、折角なので琵琶湖にご案内。
琵琶湖は今日も広かった。

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コメント

自己レスです。
たまたま昔の学級通信を読んでいたら、お辞儀について書いてあるものがありました。私が成長しないのか、人間の本質は変わらないのか分かりませんが、同じようなことを今も学生に話しています。
とにかく載せておきます。

学級通信『扉』2004/4/19より、引用開始 ーーーーーーーーーー


金曜日に君たちの授業の様子を見にお客さんがやってきました。授業の後に話をしていたら、職員室前で君たちに「こんにちは!」と挨拶されたと言って喜んでいましたよ。

ね、たった一つの挨拶だけど、印象が全然違うんだよ。私の母親がよく言っていたな、

「若いうちは、知らない人に会ったら兎に角頭を下げて挨拶することだよ。挨拶されて嫌な気持ちになる人はいないから」

と。そもそも、挨拶とはどういうことかといえば、「挨」は、相手に迫るという意味で、「拶」は心を開くと言う意味だ。

だから、そもそも挨拶とは自分からするものであり、言われてするものではない。早い者勝ち、遅い者負けが挨拶なのだ。

文学作品に出てくる挨拶で、印象に残っているのは、向田邦子さんの『父の詫び状』に出てくる「最敬礼」である。

入院した母親を兄弟で見舞いに行くと、嬉しそうにあれこれと子どもに文句を言う母親が、見舞いを終えて帰ろうとする子どもたちが乗り込むエレベーターに向かって、「最敬礼」をするというのだ。そして、その姿を見て子どもたちは「堪らないな」と呟くのである。

親からは「挨拶しなさい」と怒られることはあるが、親から挨拶されるなんてのは、正月の「あけましておめでとう」と「おはよう」ぐらいしかない生活が、子どもの時である。それが、大人になると丁寧に親から挨拶されるときがくる。これは結構複雑な思いだが、自分も大人として親に認められたのだと分かる。

私が忘れられない挨拶と言えば、最初の学校で警備をしていた渡邉さんの挨拶だ。

その学校は坂の上にあり、当時七十歳に届こうとしていた渡邉さんは、毎日放課後になると、その坂を自転車を押しながら登ってきた。

帰宅しようと坂を下りていく私は、渡邉さんを見付けると
「こんにちは。さようなら」
と声を掛けるのだが、渡邉さんは、必ず、自転車を止め、汗を拭き、頭を下げてから
「先生、お勤めご苦労様です。失礼いたします」
と五十歳近く年下の私に挨拶をするのであった。

その美しさに私は見とれた。

たった一つの挨拶を蔑(ないがし)ろにせず、それまでしていた動きを止め、きちんと汗を拭いて挨拶用の顔になり、挨拶をされるのであった。もう二十年も前になる挨拶だけど、私は忘れることは出来ない。

相手が誰であっても、自分から挨拶する習慣を自分に身につけておくことは、あなたの人生の可能性を広げます。そして、挨拶はあなたの人間性を、確実に表してしまうのです。

引用終了 ーーーーーーーーーー

前田さん点数稼ぎましたね。( ´_ゝ`)フーン

ところで、前田さんから私のご提案きいていただきましたでしょうか。

良い提案だと思うのですが。

えっと、どのようなご提案でしょうか?
いくつか伺ったのですが、ガハハさんがらみのものはなかったかのような気がしておりますが。

また改めまして、お話を。

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