反省文の書き方
自由に使える読書感想文〜センセイが書き方を教えてくれない読書感想文、さっさと片付けて、夏休みをエンジョイしよう!!〜
というサイトがある。
結構物議を醸し出している。
あれこれ文句を言う人たちは、こんなものをコピーペーストしたって何の力も育たないし、頭を使わないので馬鹿になるというような主張である。
そして、このサイトには姉妹サイトがある。
反省文の書き方教室〜学校提出目的に限り著作権フリー、自由に使える「反省文」です〜
である。
これなど、反省させるために書かせているのに、反省どころか書き写しである。お茶の子さいさいである。
◆
私は笑ってしまったし、考えてしまった。
1)そもそも読書感想文というものは、必要なのか。
2)必要だとしても、国語科の教員は、読書感想文の書かせ方を指導しているのか。
3)反省文の書き方は、授業で指導しているのか?
1)について、私はいわゆる読書感想文というものを、自分の意思で宿題として出したことはない。書かせる場合は、感想ではなく意見を求めた。
2)その方法として書き抜きエッセイのやりかたを指導してきた。
3)であるが、この反省文の書き方は指導してこなかったと気がついた。
◆
正確に言うと、3)は全体には指導してこなかったということである。指導せざるを得ない生徒には指導してきたが、その指導せざるを得ない生徒は、私のクラスで該当する行為をしたため、書き方を教えたのだが、それは長い目で見ればラッキーなのかもしれない。
人生において反省文を書く機会は、あれこれあるだろう。しかし、書かざるを得ない案件に遭遇した時、指導を受けていない諸君は、どうかくのだろうか?と考え込んでしまうのではないだろうか。
私は国語の力があったので、そのような案件に遭遇した生徒時代にもきちんと反省文を自前で書くことができたが、書けない仲間は「反省がなってない!」と二重に怒られることになっていた。
(指導していないことでできていなくて、それでいて怒るのはいかがなものか?)
という根源的な思いはこの辺りから醸成されたのかもしれないf(^^;。
◆
今の時代は、
(え〜、反省文? どうしよう)
ということで悩んだら、
「反省文 書き方」
でグーグルで検索すれば、
のように出てくる。
私なら、この中からいくつかのサンプルを出して、
『さて、どの反省文が一番反省しているように思える? そして、それはなぜ?』
という授業をすることだろう。そして、架空の事例を出して、その事例に対しての句会方式の反省文コンテストをするだろう。
てなことを考え続けていても仕方がない。明日からの大学の授業の方をもう少し考えなければならない私である。
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