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2009/04/26

(あ、この先生は手に入れたようだな)

今年度最初の明日の教室。
ライティングワークショップであった。パラグラフライティングを学ぶ。
講師は、倉島保美先生。もう15年ぐらいのお付き合いになる。

私が修士論文を書いているとき、ご指導を頂いた。
目次だけで18回書き直したが、そのときに論理の整合性を見ていだいた。

いつもは、パナソニック等で企業研修をされているのだが、
年度始めは、企業研修が行われないので時間があるとのことで、
明日の教室でお願いすることができた。

一週間前までは20人弱だった参加者が、開けてみれば当日参加の方も含めて40人以上の参加となった。
大盛況であった。

また今回は、書籍『明日の教室』第一巻の販売も行えた。
用意した本のほとんどがあっという間に売り切れた。
ありがたい。

「パラグラフとは何か」

から始まって、3時間たっぷりと「書く」ということについてレッスンを受けた。
頭では分かるが、なかなか出来ない。分かると出来るは違うのである。

私がレッスンを受けた時は土曜日に8時間。それを3週間。つまり、24時間のレッスンを受けたのである。
だから、3時間でできるとすれば、それは相当凄いことになる。

今回が私のゼミの学生たちも参加していたが、卒業論文にこの文章のレベルを池田は求めているのだということを感じ、
「私は何年で卒業できるのでしょうか?」
と戦いていたf(^^;。しっかり4年で教職に就いて卒業するように。

「何か質問はありませんか?」

ということだったので、私も質問。
『〜ということだったのですが、これを思いつかない場合はどうしたらいいのでしょうか?』
「それは、私の範疇ではないので答えられません」
という答えであった。

さすが倉島さんだなあと思う。
自分のエリアをきちんと理解されていて、それ以外の部分には安易に踏み込まない。
その上で、仮説として答えられる部分を答えていた。

で、この部分だが、私は若い先生方が実は宝をもらったと思っている。
倉島さんは、この部分はきちんとした理論はあるが、児童生徒用には開発されていないことを示されたのである。

ディベートの実践に取り組み始めた時のことを思い出す。
ディベートはどうやらアメリカやイギリスでは学校での実践がある。しかし、日本にはビジネス書で紹介されている程度であった。
それをあれこれと仲間たちと研究し、一つの指導方法にまとめるまで約15年掛かった。大学院まで行ってまとめた。それで大学に職を得ることになった。

今回の明日の教室で提示された問題点も、同じかも知れない。
この問題点は、アメリカの学校等では解明され始めていることだろう。
これを日本の子どもたちにうまくできるようにするのが、学校現場で指導に当たる先生の仕事ではないかと思う。

昨日参加された若い先生たちが、10年、20年とこの課題を解決するような実践を重ねて行くことになると、学校教育における「書く」の指導がずいぶんと改善されるであろう。

ライティングの講義であったが、実はそれはもう一つの側面を持っている。それは「読解」である。
この読解について、疑問を持たれた先生もいた。

片付けをして懇親会に参加する準備をしていたときに、私に質問を頂いた。
「先生、ということは読解は、・・・」
という言葉を聞いて
(あ、この先生は手に入れたようだな)
と思った。

忘れ物があったので研究室に戻ったのだが、そのときに一緒に来てもらった。
あきらかにその問題点に気がついているのが分かったので、話が出来ると思ったからだ。
『そうだと思います。読解です。さすがです、良く気がつきましたね』
短時間だが、あれこれ話す。

ここを解明することが実は私の課題でもある。
ここに気がついた先生に協力してもらってなんとかしたいなあと思う。

同じ講座を受けながら、気がつくポイントは実は違う。
いや、もちろん同じことも感じるし、考えるのだが私が考えていたことと同じことを考えていた先生は、
ほとんどいなかった。この「読解」のポイントは、最初の6年前の講座のときに気がついていたのだが、
そのときに同じ講義を受けていた仲間の先生は気がつかないでいた。

興味の問題なのか、目的の問題なのか、感性の問題なのか。
何がこれを生み出すのかは、分からない。
しかし、気がつく先生もいるんだなあと、今回はとても嬉しく思った。

解決の道筋は、私にはぼんやりと見えている。
なんとかしたい。

倉島さんからは、講義の最後に
「懇親会に参加しない勉強会は、出る必要がない」
というお言葉を頂いた。私が常々学生たちに言っている言葉である。

私が常々思っていたものを、あるとき上記のような言葉にされたので、やはり同じことを思っている先生がいると思い、私も自信を持ってそれを伝えている。
倉島さんも同じく倉島さんのライティングの恩師に同じ言葉を言われたそうなので、三代に渡って言い伝えられている言葉と言っても良いのである。

教師にはコネは必要ないと思うが、人脈は大事だ。
仲間がとても大事だ。

嘗て私が20代のはなたれ小僧だった時、私は自分の力だけでだいたいのことは出来ると思い込んでいた。そして、あるときに気がついたのである。
自分の力だけでできるというのは、自分が適えようとしている夢や目標が小さいからだということにだ。
別の言い方をすれば、自分が抱えている問題が小さすぎるからとも言えた。

幸い私はお酒が嫌いではなかったので、何かあると飲み会に参加した。参加した以上は、最後までいることということも先輩先生から学んだ。
もちろん、これでとんでもない目に遭ったこともあるが、参加するなら最後までというのは大事である。そうこうしながら5年、10年、15年と積み重ねて行くうちに、
私には勿体ないぐらいの仲間たちが側にいてくれるようになった。困ったときに助け合いだけでなく、同じ目的に向かって力を出し合う仲間とチームを組むことができるようになった。

教師は学力がなければできない仕事である。しかし、学力だけでできる仕事というのは、世の中には存在しないはずである。教師という仕事も同じである。
その人の力で教育という仕事はなされるのである。そして、その人というのは実はその人だけのようにみえて、その人とその人の仲間たちからで成り立っているのである。

それを成り立たせる場所が勉強会と懇親会なのだと思っている。
どちらも参加することが大事なのである。

倉島先生、ありがとうございました。

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