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2009/05/10

昼前に奈良に向かう。関西青年塾である。

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天気予報では大津の最高気温は27度。
だが、さわやかな朝である。風は心地よく琵琶湖は美しい。食事の後、カルピスを作ってベランダで寛ぐ。

本日は、満月でもある。
夕方には晴れた空の向こうから奇麗な月がのぼってくるだろう。

娘は、私によじのぼってくる。
このまま一日過ごしていたい土曜日ではある。

昼前に奈良に向かう。関西青年塾である。今日は、国語の講座だ。学習指導要領で「言語力」が大事だとされてからか、このところはこの言語力についての仕事依頼が多い。

PISAの読解のテストの影響もあるのかもしれない。しかし、PISAが求めているものがイコール言語力でもなければ、読解力でもない。PISAの読解力は、国際労働力としての価値を計る物差しの一つと考える方が適切ではないかと私は思っている。そして、この力を付けるために専用の勉強をさせている韓国などを見ていると、なんかちがうなあと思うのである。

ま、確かに専用の勉強をさせればそれなりに力を付けるのであろうが、そうではない方法でだってできるんじゃないのかなと思う私である。さらに言えば、PISAの学力は、本当に子どもたちの日常生活を豊かにする言語力なのかなあと思うこともあったりするのである。

そんなこと元にして「国語」の「授業」を作るとするとどうなるのかということを、基本的な考え方を示し、池田の授業の例を出しながら担当した講座であった。

講座のメインは、句会。今回の句会は「兼題」で季語は「桜」である。
講座の参加者に事前に作ってきてもらっておいて、私が講座の合間に手書きで書き写す。この書き写しの作業により、誰が作った作品かが分からなくなるのだ。書き写した24作品の一覧をコピーして句会に挑戦である。

今回注目の俳句は、2句。

・ 愛でてよし食してよしの桜かな
・ 来年は三人で見る桜かな

である。

「愛でてよし食してよしの桜かな」。一見して「よしの桜」が目に入ってきた。意識的に作ったのが偶然なのか分からないままではあったが、奈良での研究会ということもあり、ご当地ネタを粋に思い私は選句した。

「来年は三人で見る桜かな」。みなさんは、この作品をどのように解釈するであろうか。「今見るこの桜は、二人で見ているけど、来年はもう一人子どもを授かって三人で見るんだねえ」という解釈であろうか。恐らくその解釈がほとんどであろう。私も一読したときには、娘が生まれる年の春を思い出し、この句のストレートさを味わおうと持った。

しかしである。この句はもう一つの解釈が出来るのである。それは、「今見るこの桜は、四人で見ているけど、来年は三人なんだねえ」というものである。家族の誰かが、家を出る。いやひょっとしたら命が長らえられないのかもしれない。そう考えると、満開の桜が切なく見える。正岡子規の「いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春ゆかんとす」をこの俳句に見て取ることができたのだ。

私はこの句の二面性を評価して、選句した。参加していた先生方は、この後者の解釈に気づかれる方はいなかった。俳句の面白さの一面はこういうところにあると思っている。

ここで、上述したPISAの提唱する読解力をもう一度考えてみるのである。PISAの読解力は、「情報の取り出し」「テキストの解釈」「熟考・評価」の3つの側面で行う。「来年は三人で見る」という情報の取り出しで、子どもが生まれて家族が三人になるだろうというのは、一つの「テキストの解釈」である。しかし、それはこのテキストからはそのように断定はできない。増えるのではなく減るのであるという解釈が成り立つからである。

ね、俳句でもPISAの読解を考えることもできるでしょ。

で、この句会と句会方式を理解していると、いないとでは授業の幅がずいぶん違うはずである。深みも違うはずである。

私は、教室を座ととらえて、座の文学を楽しむことが、言語力育成の一つの鍵ではないかと考えている。その辺りのことは「授業作りネットワーク 134号    1997年12月」池田 修「<文学教育は今のままでは滅びる!>教室だからこそ 座の文学を楽しもう」に書いてあるので、興味のかる方はお読みいただきたい*1。   

んで、用意した資料は半分も使えなかったが、まあ、これは予定通り。懇親会で話すネタという意味も含めてたくさん用意したのだから。

参考文献もどっちゃり示したので、ご活用いただければ幸いである。ちなみに、句会の面白さを味わいたいのであれば、『俳句という遊び―句会の空間 』(小林 恭二 岩波新書)が一押しである。

その後、恒例の懇親会。
あれこれ話すが、句会のことに触れる先生方が多い。いつもなら、その時の講座の話を踏まえてあれこれ別のは話しに行くことが多いのだが、今回は句会の話が多い。

いやあ、参加した先生方の作品が良かったということもあると思う。しかし、それを越える解釈をした私の解釈に感動して下さった先生方が多かったのも理由の一つであったようだ。うまくいくと、解釈は、作品を越えることもあるのである。

小学校でも句会が広がると良いなあ。

二次会まで参加して、最終特急の一本前に乗って帰宅。
楽しい時間でした。

*1 ちなみに、句会のビデオも作っています。
http://www.japanlaim.co.jp/shop/A357/Pcv6lq6Qe/syolist/668
興味のある方はどうぞ。

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