本当は、オじゃないの?
さ、今日も忙しい。
朝、娘を病院に送り届けてから大学に向かう。なかなか着替えをしないのでこれがまた大変。お母さんが着替えのセットを二つ用意し、どっちがいい?と聞くのだが、違う服を持ってくる。
をを! 私の娘だ。
◆
「棒線部Aの意味として正しいものを、次のアからエの中から一つ選びなさい」
という読解の問題が出ると、
(え〜、どれも違う。本当は、オじゃないの?)
と思って、自分で正解オを書いていた中学校時代の私。正解は枠の中にあるのだから、その中から選びなさいというのは、大人の側の設定。だけど、枠の外のことを考えるのが子ども。
この枠の外のことを考える子どもは、通常「困った子ども」である。多くの教師の反応は「池田くんはねえ〜」「ま、池田くんだから・・・」であった。
ただ、私を愛してくださった先生がたは
「お前は、面白いなあ」
「そういうのが大事なんだよな」
と答えてくださった。
教師になって、私のような生徒がいないかと思って楽しみに待っていたが、ほとんどいなかった。ちょっと寂しかったが、全部が全部そんなことを言い出したら、大変なことになっていただろうなあとも思った。
愛してくださった先生方に、今更ながら感謝の気持ちを抱き、娘の成長を見守りたいとも思うのであった。
生徒、学生の時代には、このオを書こうとする私のスタイルは、私には辛いものだったし、社会人になっても若い頃は同じようなものだったが、仕事が充実してきてから、さらには大学に移ってからはこれが良い方向に働いていると思っている。他の人が考えていることの外側を考えられる。それが良いように評価されるのである。
人生はなかなか面白い。
◆
大学では久しぶりの授業。今日は読書指導について。
読書の世界にどうやって子どもたちを導くかについて、意義と方法について講じる。
今の子どもたちは、本を読んでいるということが私の結論なのだが、その意味を述べる。
◆
その後、寝屋川に向かう。
校内研修会の講師にお招きいただく。
100分の予定が120分近くになってしまった。
今日の演題は、言語力について教科を越えたものというご指定があったので、
「言語力育成の取り組みを考える」~学習ゲームの可能性~
とした。
講座の後、校長室であれこれさらに質問を受ける。明日の教室は講座の後の懇親会が大事だが、研修会は終わった後の校長室が大事になる。ここでもっと深い説明をすることがあるからだ。
若手の英語の先生と体育の先生と国語の先生。他の中学校の校長先生、指導主事、その他の先生がたとあれこれ話を進める。
と、そこに見覚えのあるお顔。 え? 中嶋洋一先生だ。
私は御著書でしか存じ上げないが、この寝屋川の中学校に私を紹介してくださったのが、中嶋先生なのだ。英語教育業界の神様のような先生だ。今日は、この研修会の後、中嶋先生が講師の勉強会があるのだ。
うーん、急遽参加することは可能なのか?
参加したいなあと思ったが、娘のことを考えると今日は帰らねばならない。結果は大丈夫だったとことだが、それはそれ。
ご挨拶をして失礼する。
◆
渋滞に巻き込まれて帰宅したのは9時前。
その後、メールであれこれ。
充実した一日であった。
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