そして、エレベーター問題3である
そして、エレベーター問題3である。
しつこい私である。
しつこい男は嫌われるのであるが、(ん? しつこい女はどうなんだ?)こと学問や仕事の世界ついては、このしつこさが重宝されるものである。
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まず、考え続けることの効用についてもう少し考えてみたい。考え続けているということは、基本的に脳がアイドリング状態にあるということである。場合によっては走り続けている状態と言っても良い。
つまり、すぐに加速できる状態になっているのである。これは結構重要なことではないかと思う。学校で勉強してきて、家に帰り
(ああ、疲れたお茶)
というのは、実は脳みそから見ると、損な行動なのではないだろうか。
折角暖まっている脳みそを、一度冷ましてから使うわけである。もう一度暖めるのにエネルギーを使う。考え続けるというのは、この暖め直すことをしなくてもすむ、省エネルギーのシステム運用となるのではないだろうか。
エレベーターの問題を考え続けているとき、脳はアイドリング状態にある。そうだとすれば、そのアイドリング状態を活用して、いきなり難しい本の読解に取り組んだとしても、行けると言うことである。これが考え続けることの効用である。
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次に、習慣についても考えてみたい。
エレベーター問題1では、行き先の階数ボタンを先に押すのか、閉まるのボタンを先に押すのかということを問題にした。
行き先の階数ボタンを先に押すより、閉まるのボタンを先に押した方が、恐らく1秒弱速く動きだす。だから、行き先ボタンではなく、閉まるのボタンを先に押した方が良いという結論であった。
しかし、今の私を振り返ってみると、これが頭では分かっているが、いまでもやはり階数ボタンを先に押している。これは習慣の問題なのであろうか。どうなのであろうか。
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最後に、目的について考える。
実は、行き先の階数ボタンを押すというのは、そのように習慣化されてきてしまったから押しているという側面もあるであろうが、もう一つには目的が支配しているという面もあるのではないかと思っている。
私は5階に行くのだというのが目的である。扉を閉めるのが目的ではない。だから、その目的に応じた行動が第一なのである。そうだとすれば、目的が行動を支配する力というのは相当なものだなあと思うのである。
思っていてばかりで、考えていないではないかとお嘆きの貴兄。
その通りである。まだ論証のレベルには行っていないんだなあ。
でも、こうしてあれこれ考えているのが、楽しいのである。
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