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2009/06/30

学生からのプレゼントと、ちりとてちんで

6/30

じっくり寝ていれば良いものの5時前に起床。ま、それでも8時間近く寝ているのだからいいのか。やることが貯まっていると、なかなか寝きれないものだ。

大きな音がしないようにしながら部屋の片付けを行う。内田先生ではないが、家事は集中的にやるのが私にはあっている。台所、洗面所、トイレ、リビングに和室とあれこれやる。

その間に、メールがどんどん飛び込んでくる。確認するとネットワークの夏の大会の打ち合わせのメールである。おい。まだ5時台だぞ(^^)。おかしいだろう。みんな早起きねえ。

元気を出そうと、学生に教えてもらったyou tubeのラーメンズのコントを見る。たくさんある中でベスト3を教えてくれたのだ。ありがたいことだ。こうして元気を貰えるなんてのは。

ところが、なんとなく「ちりとてちん」のyou tube映像を見てしまった。これに涙してしまった。学生から貰った元気と、ちりとてちんの感動が押し寄せてきて、その相乗効果で朝から大変なことになってしまった。

うし。
いろいろとある一日になることが予想されているが、ここは一つ学生からのプレゼントと、ちりとてちんで乗り切ろう。

2009/06/29

京都は久しぶりの雨

今日の専門ゼミで『街場の教育論』は終わった。全てのチャプターを取り扱うことは出来なかったが、それぞれの回とも、それなりに良い議論が出来た。今日は「宗教教育」についてであった。

大きなテーマだけにどうまとめるのかということで発表者は大変だったと思うが、ゼミ生は興味津々で発表を聞いていた。

宗教、宗教性、宗教教育、自然科学教育、ポストモダン、カルト
、能力開発セミナー・・・。これらのことをあれこれしながら、内田先生の主張をまとめて発表して行った。

テキストを読み、読み込みまでは行ったであろう。その次の読み開くを求めるのは、ちょっと最初にしては厳しいだろうが、及第点である。ごくろう。

その後、お習字教室をやり、学生たちの面談。そして、授業の準備である。お習字教室で急に上手くなりだした学生がいて、嬉しい限りである。古詩十九首ではないが、「努力加餐飯」である。

京都は久しぶりの雨。
一気に蒸し暑くなる。
この蒸し暑さは、体力を奪うなあ。

上がりかけてきた気持ちも下向きになってしまいそうだ。
仕事は早めに切り上げて、こう言う時は早く寝ようっと。


2009/06/28

一週間の終わり、そして始まり

朝から大学へ。豚インフルエンザの補講ではなく、授業づくりネットワークの京都勉強会である。今年の夏のネットワーク大会のことや、来年の夏のネットワーク京都大会で取り上げるテーマについての学習と、運営について。朝九時から午後の三時までみっちりと。

代表の上條さんは、昨日京都に入り、他の東京からのメンバーは朝の新幹線で。また、兵庫と三重からもお越し頂く。うちのゼミの学生たちも二人参加である。

参加した学生たちは、そこで交わされる議論の内容と方法に、ただ、あんぐりであった。ま、そういう世界もあるってことだ。

帰宅したのは18:00過ぎ。
まだ、琵琶湖は青い。

あれこれ頑張ってくれている学生のメールに返事を書き、風呂に入ったら、あっという間に20:00近くになる。いやね、ちょっと外が暗くなったなあと思ったら、20:00近くだったわけ。明るいねえ。

風呂上がりに、masashiくんも好きなボンベイサファイアで、ジントニックを作る。気温が30度を越えた時はビールではなく、サファイアである。風を受けてチビリと。

夕食は、魚。
ま、いつでも魚だがf(^^;。

写真は、先日撮った金目鯛のガーリックオイルがけグリル。織部の緑、オリーブオイルの緑、そこに金目鯛の赤。良い感じにできたので、これを載せる。今日は、金目鯛ではなく、「はた」。これで作った。これも美味であった。

Imgp9003

ボーットしていたら、外で大きな音。
慌てて外に出ると、花火だ。
私が見た今シーズン初の花火かもしれない。

一週間の終わり、そして始まりである。

Imgp9021

関西青年塾

6/27

夏の朝は気持ちがよい。
五時台に目が覚めた。
ブログのコメントを書き、メールを書き、今年最初に来た暑中お見舞いの返事を書く。

部屋を抜けて琵琶湖に向かう風が心地よい。
穏やかな琵琶湖だ。
今年のハイビスカスは良く咲いてくれる。
今朝も、赤い花を一つ咲かせた。
たっぷりと水を与える。

朝ご飯を食べて、ソファの上に体を横たえて琵琶湖を眺めていたら、そのまま寝てしまった。二度寝である。

贅沢である。が、体が寝ることを欲しているのだから、それに任せてうとうとである。BGMは、Smooth Jazz。実に合うなあ。こうなったらさらにお香を焚いてアジアンビーチリゾートである。

だが、決戦は午後である。関西青年塾の講座があるのである。
今回は、東北から野口晃男先生をお招きしての講座であった。局面指導のあれこれについてじっくりとお話を伺う。実践をくぐり抜けた指導の言葉のあれこれについて、学ぶ。味わい深い講座であった。

私も中学校の学級経営について、40分のミニ講座を担当する。40分で語るのは難しいが、主張を絞って提案する良い機会になった。言いたいこと伝えたいことはたくさんあるが、絞ることが大事であると改めて思った。

その後、懇親会。
いやあ、なかなか幸せな時間であった。

帰りの電車で寝過ごしてしまったことは、まあ、ご愛嬌ということにしておこう。

2009/06/26

生きるって凄いな

午後から大学へ。
昼休みは研究室に。ゼミの学生たちには昼休みは研究室にいるぞと伝えておいたので、学生が来るやもしれんと思って待機していたが、こう言う日に限ってこないf(^^;。ま、それはそれでいいだろう。

ぎりぎりになったが、明日の関西青年塾の準備と、日曜日の授業づくりネットワークの学習会のための準備をする。

実は来年の「授業づくりネットワーク2010年夏」全国集会は、京都橘大学をメイン会場にして行うことが予定されているのである。そのための準備を始めるための会議が、行われるのだ。

一息ついたところで、何気なくニュースを見ていたら、マイケルジャクソンが亡くなったとのヘッドラインが目に留まった。50歳だと言う。早い。

マイケルジャクソンと言えばスリラーである。このダンスは、最初の学校で担任をしているときに、三年生を送る会で生徒が踊ったのを思い出す。群舞の面白さを教えてくれたのは、この曲だった。

あれから、20年近い歳月が過ぎたのか。

準備が一段落して、研究室を出た。
ふと前の教室を見ると、学生が私が出した板書の課題をやっている。
入門編が終わったので、いまは中級編の課題である。
ちなみに、今週の課題は   

引用開始 ーーーーーーーーーー

【板書課題 読み上げ書き取り】

今回の板書課題は、いつもと違います。授業中の生徒の意見を黒板に書き取るという課題です。

今までの板書は、読みやすさ優先で書く課題でした。今回の課題は、スピード優先です。たくさん書くことを優先してください。

【方法】

(A)(B)の二人一組になる。
黒板に書く人(A)は、チョークを持って次の指示を出します。
「今日は、教師の仕事、保育士の仕事についてみなさんから疑問を出してもらいます。では、廊下の一番前の人から順番に言って行ってください。ハイ、どうぞ」
読み上げる人(B)は、10分間にセットしておいたタイマーをスタートさせます。
(B)は、以下の内容を読み上げます。
(A)は、スピード優先で黒板に書きます。その際、
自分が後から読める程度の文字の読みやすさ
記号、省略は可能
聞き取れなかった場合は、聞き直しも可能。ですが、

途中でやり直しをしない
黒板消しを使わない
縦書きで行う。ただし、レイアウトは自由に工夫して。を守ってください。

10分間で書けた内容を写真に撮ってください。
10分以内に書き終わったら残り時間を、記入してください。

教師の仕事、保育士の仕事の疑問一覧

・保育士の仕事内容 
・休みはしっかりとれますか。
・ピアノのレベルは?弾けなくても良いのか。 
・どんな服でもいいのか。
・職場恋愛が発覚したらどうなるのか。
・髪型は自由か。
・エプロンはつけなければならないのか。
・私立と公立の給料の違い。
・教師になれなかった時、他にどんな職に就けるのか。
・一度にどれだけ教員採用試験を受けられるか。
・近くに住んだほうがいいのか。
・子どもに「食べてください」とどろだんご等をわたされたらどうしたらいいのか。
・子ども達とのアドレス交換は良いのですか。
・保育士の給食は足りるのか。 
・飼ってもいい、飼ってはいけない動物はあるか。
・おもしろい席替えは?
・食事する時間がなくなったりしないか。
・結婚してもやっていけるのか。
・アクセサリーはしていいのか。
・公立と私立の違い
・給食費は自分も払わなければならないのか。
・先生と生徒は学校外で遊んでいいのか。
・授業内容はどこまで決めてよいか。
・すごく腹が立ってなぐってしまったら?
・できちゃった婚はありか。
・遊ぶとき、どのくらいハンディをつけるか。
・小学校の朝の会で歌は何がいいのか。
・若い先生はでれぐらいいるのか。
・幼稚園は何でお弁当を温めてあげるのか。
・親と気が合わない場合は。
・保育園では先生も一緒に昼寝をしますか。
・採用されてすぐに産休をとってよいか。
・保育園以外で活躍できる職種、職場はありますか。
・会社の保育施設にはどうしたら入れる?
・校長と副校長はどちらが忙しいか。
・クラス担任になりたい時となりたくない時は。
・絵の技術はどのぐらいほしいか。
・校長先生や理事長は授業中に何をしているのか。
・教師、保育士の休暇はどのぐらい。
・自分が顧問につきたい部活につけますか。
・ベビーシッターも保育士の資格が必要か。
・男の先生と女の先生の給料のちがいは。
・教師と保育士の給料のちがいは。
・先生専用のカウンセリングはあるのか。
・見た目は重要か。
・遠足の場所はどのように決めてよいか。
・クラス分けの仕方は。
・ストレスがたまり髪は薄くなるのか。
・保健の先生の出張の場合は。
・採用と不採用の決めては。
・虐待している親に出会った時、どう対応すればいいのか。
・給食の時に嫌いなものを残している子がいたら、無理矢理食べさせた方がよいのか。残させてよいのか。
・叱り方とあやし方は。
・学級崩壊になったとき、どう行動をとればよいのか。
・校長先生はなぜ職員室にいないのですか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

である。

10分間ぶっ続けて書き続けるということはなかなか厳しいものである。恐らく学生たちは最初の経験であろう。
学生たちは瞬発力の筋肉は育っているが、持久力の筋肉はまだまだである。そして、仕事をするにはこの持久力の筋肉が大事なのである。

腕を10分間持ち上げ続けてただただ板書する。このぐらいでも結構大変なのである。ただこのぐらいは良くあることで、学生たちがひーひー言うほどのものではない。だが、実習前にこれを経験しておくことは、大事である。

この学生が、私が顧問をしている軟式野球部の部長だったもので、この課題の後、クラブの今後のことをあれこれ話す。今週は学生たちとよく話す週だなあ。

Yakyuubu 写真は、おとといのナイターの試合のワンショット。自分たちであれこれやる部活動なので、まるで谷口キャプテン率いる「プレイボール」のような感じで、なかなか良い。

よく見てもらうと分かるのだが、女子プレーヤーもいるのが我が部の特徴である。結構上手いんだなこれが。

帰ろうと思ったのだが、マイケルジャクソンのニュースが気になったので、ちょっと調べてみることにした。

エルビスプレスリー(1977年 42歳)
ジョンレノン(1980年 40歳)
寺山修司(1983年 47歳)
河島英五(2001年 48歳)
中島らも(2004年 52歳)
マイケルジャクソン(2009年 50歳)
忌野清志郎(2009年 58歳)

エルビスプレスリーは、私が中学三年生のときだ。夏の講習会のときに食事をしていたら、仲間がびっくりして話しかけてきた。

「な、エルビスプレスリーが死んだんだって。知っている? 死因はドーナッツの食べ過ぎで、心臓に蒲団がかかったんだって」

と言ったのを思い出す。
『おい、蒲団じゃなくて、負担がかかったんだろ!』
と突っ込んでいたのも思い出す。

その頃は、42歳なんて遥か先のことで、実感等はなかった。が、ジョンレノンの時は、ちょっと驚いた。あれだけの偉業を成した人がまだ40歳ということに驚いた。ま、正岡子規があれだけの仕事をして35歳でなくなったとか、田中恭吉が23歳でとか思ったことはあったが、ジョンレノンには驚いた。

彼らは一つの時代を作り、その時代の中で生きていたということは、よくわかる。

生きるって凄いなあ。

ちょっと甘やかし過ぎかなあf(^^;。

6/25

今日は随分研究室にやってくる学生が多い日であった。
木曜日の午後は、来週の授業の準備に充てるようにしているのだが、今日はあっさりと諦めた。

だが、この諦めはいいもんだ。
その分、伸びようとしている学生たちとあれこれ話せるのだから。

なんていったらいいのかなあ、お習字から書道へと向こうとする学生、学習から学問に向かおうとする学生、自立から共立へと立ち上がろうとする学生とでもいうのだろうか、その羽化する過程に、立ち会っているというのだろうか。

本学は学生数がそんなに多くない。私が担当している授業で関わっている学生たちも、そんなに多いわけではない。だから出来ることだと言われればそれまでであるが、出来る環境があればそれを生かすというのが仕事をする人の大前提である。

もちろん、出来ない環境であれば環境を変える、作るというのも仕事人としては大事であるが、まずはあるところから手をつけるのが大事だ。

で、何を話したかと言えば、相談に対する答えの他に、ラーメンズの話やMacの話などなどf(^^;。

コンピュータが苦手だと言う学生たちにMacを見せたら、唖然としていた。さらに、itunesを知らないというのはどういうことだと詰め寄っておいたf(^^;。Windowsでもあるのに。

でも、こういう時間がいいんだよな。

明日は研究日で、大学に行かない日なのだが、ちょっと学生たちが気になるから、念のため昼辺りに顔を出しておくか。

ちょっと甘やかし過ぎかなあf(^^;。
ま、ゼミ生だから良いか。しばらく独身だから良いか。

多くの場合、紆余曲折をしている

6/24

入門ゼミでは、コース分けガイダンスに関して説明。さらに、教職保育職の疑問ということで問題点を出して行った。

ガイダンスでは、私がどういう道のりで教師になったのか、なんで教師になったのかなどの話をした。私一人の事例で一般化するつもりはまったくないが、一つの身近な事例を聞くというのは意味のあることではないかと思って語る。

だいたいからして、学生たちは大学の先生というのは、何も失敗も挫折もなく、エリートコースを突き進んできたという思いを持ってる学生が多い。もちろん、そのような先生もいらっしゃるわけだが、ま、多くの場合、紆余曲折をしている方の方が多い。最近ではこの紆余曲折を、キャリアとも呼ぶわけだがf(^^;。

ストレートで大学に入ったり、第一希望で人生を突き進むことも、大事なことであろう。しかし、紆余曲折したって第二希望だって、人生は生き続けることには変わりないし、それもまた意味がある。いや、意味はあとから付加されるものかもしれない。というようなことをあれこれ話す。

折角、本学の児童教育学科で学ぼうとしているのだから、あれこれアドヴァイスをしてあげたいと思うわけである。

教職保育職の疑問は、これから教職保育職を学びつづけていくために、何が分からないのかを理解するためにも必要な素材である。

一人で考え、その後グループで考える。マンダラーとを駆使してあれこれ考える。すると、出るわ出るわ、数多くの疑問が。

その中から二つ選び、自分で調べてレポートにするのが課題。さて、どうまとめてくるかな。

その後、会議会議会議f(^^;。

本日はお客さんがいらっしゃって

6/23

本日はお客さんがいらっしゃって、私の授業を参観。

授業の最初は、教育実習から生き残った学生の報告を10分。あまりの凄さに、学生たちは一瞬意識を失う。ま、いろいろあるのが実習である。それをぎりぎりの努力でやりきり、軽やかに語る先輩の姿を見て、打ちのめされていた。

さ、児童教育学科の三回生諸君、君たちはあと三ヶ月で実習だぜ。

作文指導の前半の授業を見ていただく。
学校教育に置ける作文指導のあれこれを話し、問題点を指摘して行く。国分一太郎などの偉人の紹介もしたいところではあるが、次の機会にする。

授業後、授業についてご意見を頂いたり、来月協力するイベントについての打ち合わせなどをしたりして、過ごす。

その後、お客さんたちと一緒に夕食を。
なかなか良い時間であった。

さ、来月しっかりとやらねば。

一度マイナスのスパイラルに落ち込んでみる

6/22

で、まあ、昨日の夜は桃ビールをやろうと思っていたわけですよ。
ところが、夕方クール宅急便が届いたのです。
山形の叔父さんから「さくらんぼ」様が届いたんです。

そこで急遽変更。さくらんぼのカクテルを楽しむことにしました。

やったのは二つ。

1)ボンベイサファイア  with さくらんぼ
2)プレミアムモルツ  with さくらんぼ

であります。
結果は、どちらも上手いです。桃様のように濃厚な味わいがアルコールに滲みだすと言うことはほとんどないのですが、それでも明らかにさくらんぼの味と香りが漂います。

実際は、さくらんぼを肴にこれらのアルコールを頂いてもいいかもしれません。まさか、さくらんぼが酒の肴になるとは思いもよりませんでした。

非常に贅沢なおつまみでした。

で、今日のゼミは『街場の教育論』の「国語教育」に関する考察でありました。丁寧に調べているのが伝わる発表でした。文章中の語句の説明、専門用語の確認、you tubeを活用しての過去の楽曲の調査などでこれらが分かりました。

しかし、次の二点に課題が残りました。

1)まとめるという方向での発表のあり方
2)授業で具体化するとしたら、どのように行うのかというイメージのあり方

これは学び続ける学生が陥りやすい罠の一つな訳です。発表のために調べ続けると、自分が知らないことが次から次へと出てくるわけです。
そして、まじめで勉強を中心にやってきた学生たちは、
(分からないんだから調べよう)
ということを進めて、さらに分からないことに出会ってしまうのである。そして、マイナスのスパイラルに落ち込むのです(^^)。

いや、笑っているのは過去の私に対してです。私もそうなてってしまい、大学を5年もやったのです。その時、塾の先輩講師であるみなさんは、
「池ちゃん、卒業論文なんてちゃっちゃとやって、早く修士課程においでよ」
と言ってくれました。でも、私は拘り続けていました。そして、結局大きな違いのない卒業論文を五年で提出して卒業したわけです。

わがままは、その人の関わる条件で許される範囲が随分と変わるので一概には言えないですが、違和感を感じる時は無理して前に行く必要はないというのが、その時の私の考えでした。この考えは動物の本能かもしれませんし、私のわがままかもしれません。

もちろん、違和感を感じたときに先に進むということも、他の場合にはありました。ですが、あの時はそうだったんです。

そう、こうして一度マイナスのスパイラルに落ち込んでみることも、長い人生では大事なことなのではないかと、今は思うわけです。目指した方向に行こうと努力を重ねること。これは、大事なことです。しかし、その通りに行くとは限らないのが、生きているということですからね。

発表ご苦労さん。
まとめを丁寧にやってください。

「天」のほうがしっくり来る

6/22

学生たちと面談を始める。児童教育学科は、入学の時点では、児童教育コースと幼児教育コースに分かれて合否を出していない。入学後半年経って、大学に馴れた段階で決定することにしている。

そのために、授業の中でガイダンスや、授業アドヴァイザー(ま、ホームルームの先生)が、面談をして進路を決定して行く。大学って入ってみたら、
(あれ、違う?)
と思うこともたくさんある。だから、本学では入ってから選べるようにカリキュラムを設計してある。

自分の人生を自分で決めることができるのは、幸せなんだと思う。が、実は、本当に決めているのかと思う。

私も嘗て、自分で決めていると思っていた時期がある。しかし、自分で決められる範囲ってのは、実に狭く浅いものだと思うようになっている。

何かが自分の人生をコントロールしている。そう言う感覚を持つことが不思議ではなくなってきている。ああ、おっさんだ。で、このコントロールする主体を神と呼んだりするのであろうが、私はどちらかというと「天」のほうがしっくり来る。

その天の言う部分を理解して、自分の命を生きるものが天命なんだろうなあと思う。

夏の夜空を見て、その悠久さを感じるとき、自分の人生のちっぽけさに打ちのめされつつ、生きていることの幸せも感じるわけである。

2009/06/22

アマゾンで一位、二位 『明日の教室』 巻1、巻2

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/500322/ref=pd_ts_b_nav

アマゾンの学級運営部門で、 『明日の教室』 巻1、巻2が、一位と二位を独占しています。
ありがとうございます。このまま、巻5まで出たらベストテンの中にすべてがある瞬間が来てくれないかなあと望みを抱きます。

大型の本屋には並んでいます。
お手に取ってご確認ください。
売れている理由が分かっていただけると思います。

娘からの父の日のプレゼント

6/21

一週間の疲れが出たのだと思う。
今日は体と心が辛かった。
ゆっくり寝ていようと思ったら、娘が起こしにきて起きた。だが、食事をしてからまた寝てしまった。昼過ぎまで寝る。

昼ご飯は、お気に入りのタイ料理屋さんに行く。料理は良かったのだが、なぜか素人に近いタイ人の歌うたいが歌っていて、ちょっとげんなり。ギターの2弦のチューニングはずれているし。ギターで2弦のチューニングがずれているのは致命的であるからなあ。

Ukimidou その後、浮御堂に行く。
ここは風が心地よい。体をゆったりとしながら、疲れを取る。ああ、今日は父の日である。

琵琶湖の向こう側には、入道雲が出ていて風は北から南へと吹き抜けて行く。冷たいビール、または、熱い紅茶が欲しくなる。Imgp8955

浮御堂の周りには小砂利が敷かれた場所がある。
「あっち」
と娘が指差すので、そこに向かう。

松の木の根元に腰掛けて、読書をしていたら、
「て!」
と娘がいう。
なんだか分からないが掌を娘に向けて差し出すと、その小砂利を拾って私の掌にどんどん入れて行く。五回もやると、私の掌に一杯の小砂利となる。

全部を地面に捨ててまた掌を向けていると、さらにそこに小砂利を貯め始める。
(おしまいにしないと、この敷地中の小砂利を私の掌に乗せないと終わらないなあ)
と、苦笑。

だが、ふと気がつく。
(ああ、これが娘からの父の日のプレゼントなんだな)
と。

(向田邦子さんの名著『父の詫び状』では、「此の度は格別の御働き・・・」という朱筆で棒線の引かれたこの言葉が、父の詫び状だが、私は小砂利が娘のプレゼントか)
と、私は嬉しくなる。

小一時間も浮御堂にいて、その後、浮御堂の近くを散歩する。松尾芭蕉や一休さんにゆかりのお寺や神社がたくさんある。そして、これが見事に手入れされているのだ。

穴場発見である。
ちょっと元気になる。

帰りにスーパーに寄る。
今日はちょっと奮発したお酒の肴を購入。岩ガキがもう店先に並んでいたので、手に入れる。Kaki

しかし、安い。東京の値段の1/4〜1/5である。4つも買ってしまった。これと桃ビールと日本酒で、もう少し元気なろう。


2009/06/21

野口芳宏先生が、千葉県教育委員に

http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090619ddlk12010250000c.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

 森田健作知事は、伊藤潔委員の辞職で欠員になっている県教育委員会委員に、植草学園大教授で、日本教育再生機構代表委員の野口芳宏氏(73)を起用する方針を固めた。6月県議会最終日の7月8日に提案する見通し。

 野口氏は58年、千葉大教育学部卒。木更津市内の小学校で教頭や校長を歴任した。96年4月から北海道教育大教授、08年4月から植草学園大教授を務めている。06年10月以降、日本教育再生機構の代表委員。

 また、次期副知事に、厚生労働省大臣官房審議官の坂本森男氏(54)を起用する人事を固めた。近く辞任するとみられる植田浩副知事の後任。石川県 総務部長や消防庁予防課長、総務省行政課長を務めた。1人欠員の県公安委員会委員には、千葉銀行顧問の石川次郎氏(66)を起用する方針。【森有正】

引用終了 ーーーーーーーーーー

先生、これ以上忙しくなられるのですか。でも、千葉は良くなるだろうなあ。

本は、すでにテキストが入っているノートなんですよ

6/20

昼前に研究室に向かう。あれこれの事務仕事等を行う。
そこに、携帯電話が鳴る。
(ん、あ?)
中学校の時の卒業生からの電話である。
出てみると、切れている。
こちらから掛け直すと、
「すみませ〜〜〜〜〜〜〜ん」
と本人。

ははっは。
お子さんの悪戯ね。
『いやあ、良くあるんだよ。うちは。ほら、あいうえお順だと最初の方だろ。だから、赤ちゃんが掛けやすいんだよね。で、どう、元気?』
彼はいま東京で小学校の先生をやっている。幸いなことに、仕事も家庭も順調のようだ。

こういう悪戯からのコミュニケーションは、いいなあ。

今週読み終えた本を、ざっと再読する。『多読術』(松岡正剛 ちくまプリマー新書)が一番良かったかな。

私がどーんと持ってかれたフレーズは、これである。

p.86から引用開始 ーーーーーーーーーー

本は、すでにテキストが入っているノートなんですよ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そう。だから、いつも筆記用具を持って読むのである。だから、図書館ではなく、本は買うのである。本ではないのだ。テキストの書いてあるノートなのだ。分かりやすいなあ。

夕方から、人と会う。
あれこれ、あれこれ。

いろいろとあるよなあ。
ご迷惑をおかけします。

ありがとうございます。
これからもよろしくです。

茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

6/19

万葉集というと、奈良のイメージが強い。成立したのが奈良時代ということがあるのだろうか。ところが、実際に滋賀に住んでみると、万葉集は滋賀、近江を詠んだ歌も結構ある。

 茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる 巻1−20 額田王

 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも 巻1−21 大海人皇子

今日は、この歌が詠まれたであろう場所に行ってきた。

万葉集では旧暦の五月五日に大津宮から出かけたとある。大津宮というのは、私の住んでいる西大津のあたりこのことである。

高速道路を使って八日市インター経由で約1時間。船岡山という場所である。古人はここまでどうやってきたのかなあなんて思いながら運転した。

該当の場所は奇麗に公園として整備され、陶板壁面にはその当時のことを想定した絵も描かれていた。とても大きいものであった。

Hekiga

私は、草に寝転がり流れる雲を眺め、この歌の意味をあれこれ思たり、娘の走り回わる姿を目で追ったりしながら、
(うーん、俺はこの先どうなって行くのだろうかなあ)
と思うのであった。

大人になるってのは、物事がきちんと理解できて、判断が出来てという存在であろうと、子どもの頃は思っていた。確かにそうなのだが、そんな存在ではないこともいまは十分に分かっている。あれやこれやを抱えながら、とぼとぼと歩くのも大人なんだなあと思う。

嘗て、中野孝次先生の本を読んでいたら
「最近は、生きている人が書いている本を読まない。古人の本ばかりである。そして、その古人がとても親しく感じられるのである」
のようなことを書かれていた。
(そんなことってあるんかいな)
と思っていたが、なんだか、だんだんそうなってきている自分に、少し驚いている。

俺も、人生のなんたるかが少しずつ分かってきたのかなあ、と思う。

 

有料レポートサイト

夏休みの読書感想文のコピペサイトがあることは、以前書いたことがある。

http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/

である。

私は、これを活用する生徒が悪いというよりは、読書感想文の書き方、文章の書き方をしどうしていないで安易に課題を出す教員の方に問題があると私は思っているのだが、問題は小中学校のレベルではない。

http://www.happycampus.co.jp/

こちらは有料でレポートを買えるのである。ま、昔からコピーノート屋さんがあったりしているので、物事の本質はあまり変わっていないともいるが、やっぱり私にはよく分からない。

こういうところで買えば提出できるようなレポートの課題を出す方に、問題があるんじゃないかと思う。そんな課題を出して、学生たち何の力を付けるというのだろうか。

一応課題を設定しました。
一応課題を提出しました。

そんなんでいいのかなあ。
ま、確かにどうでもいいやと割り切ることがあるのは大事かもしれない。しかし、割り切ることだけ上手くなって、真剣に取り組むべきものも、割り切るようになるんじゃないかな。

人間は、一度楽をすると、楽な方に楽な方に行くもんだからね。私も人間だから、よーく分かる。

2009/06/20

夏のシャワーを浴びる

6/19

昼間ゼミ生たちと話したあとに、
「いま、発表のために漣健児さんの音楽を聴いている」
というメールが来た。要はyoutubeである。大学のコンピュータで見ているのである。

いやあ、ここにあるのねと思いながら夜に改めて見る。私はアマゾンで買わなければならないかと思っていたわけである。だが、言われてみればそうだ、ここで見られる。

ちょっと確認するとあるある。すごい。

ここで終わっておけば良いのだが、そうならないのがyoutubeである。

http://www.youtube.com/watch?v=4SJC5XykIt0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=h1hgatfCqe4&feature=related

次々と名曲に辿り着いてしまう。
夏のシャワーを浴びる。

そう言えば、娘はこの日はじめて
「ぱぱ、どーじょ」
と二語文を話した。

少しずつ確実に時間は流れている。

夏の思いに包まれて寝たからか、久しぶりに空を飛ぶ夢を見た。正確に言うと、空と言うか空中浮遊である。

なかなか刺激的な夢で、目覚めてもはっきりとそのディティールまで覚えていた。ま、人の夢の話等聞きたくはないだろうから、書かないが、空の飛び方をしっかり理解した夢であった。

幸せな夢であった。

書籍『明日の教室』第三巻が出ました

書籍『明日の教室』第三巻が出ました。
第三巻は、「授業をつくる」です。

さて、第三巻の表紙の色は何色でしょうか(^^)。

目次
 1 授業
  ・「授業をつくる」とは 
  ・授業観のとらえ方

 2 教師の立ち位置・子どもへの指示 
  ・声の出し方 
  ・指示の出し方・話し方(話術)
  ・チョークの使い方・板書 
  ・発問のつくり方

 3 ICTの活用・授業で使える小物 
  ・ICTの活用・デジカメ編 
  ・ICTの活用・プロジェクタ編 
  ・授業で使える小物

 4 机間指導・ノート指導  
  ・机間指導 
  ・ノート指導

 5 教材研究 
  ・教材研究・理論編 
  ・教材研究・外部との連携で授業をつくる 
  ・教材研究・子どもの実態や教師の願いに基づくもの

 6 授業の構成・指導案・テスト 
  ・授業の構成 
  ・授業スタイルの大きな分類 
  ・指導案の書き方 
  ・テストのつくり方・採点の仕方

 7 修養・学び合い 
  ・修養 
  ・学び合い

代表編者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授
糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

第3巻執筆者紹介
阿部隆幸…あべ・たかゆき/福島県本宮市立糠沢小学校教諭
梅本裕…うめもと・ゆたか/京都橘学園理事長
佐藤正寿…さとう・まさとし/岩手県軽米町立笹渡小学校副校長
杉浦元一…すぎうら・げんいち/東京都杉並区立和田中学校主任教諭
土作彰…つちさく・あきら/奈良県広陵町立広陵西小学校教諭
仲里靖雄…なかざと・やすお/立命館小学校教諭
西川純…にしかわ・じゅん/上越教育大学教授
野口芳宏…のぐち・よしひろ/植草学園大学教授
野中信行…のなか・のぶゆき/横浜市立子安小学校教諭
堀裕嗣…ほり・ひろつぐ/札幌市立北白石中学校教諭

インターネットでのお申し込みは、
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-003
へどうぞ。

2009/06/18

こういう学生たちは、伸びる

午前中の授業のあと、学部のあれこれの仕事を手伝う。
なんか、あれこれやっているなあ。

そうしていると、ゼミ生がやってくる。
月曜日の発表の相談である。
これからあと三日間で煮詰めて行くことになる。どこを中心テーマにしたら良いのかで悩んでいる。

ま、やりたいところで、できるところというのが正解だ。が、それを絞るのも難しい。彼女らの頭の中を刺激する話をあれこれして、あとは、まあ、頑張れである。

それはそれとして、彼女たちに見所があるのは、いつも「お忙しいところ申し訳ありません」と言ってくるところだ。確かに忙しい。だけど、学生を指導するのが私の仕事。ストライクゾーンのど真ん中である。だから、忙しくたって良いのである。まして、ゼミ生である。

ではあるが、私の仕事のあれこれを思って「すみませんが、・・・」と頭を下げてやってくる。こういう学生たちは、伸びる。

期待している。

今日も夕方から雷。
いやあ凄い。
京都駅近辺にドカンドカンと落ちている。
研究室から見える山が雨雲で隠れたと思ったら、大学キャンパス内も大雨になってきた。

明日の朝は、空気も奇麗に洗われているだろう。

2009/06/17

夏が来たシールを心の中に一つ貼る

6/17

ということで、昨晩は今シーズン初めての「桃ビール」を堪能する。毎年書いているが、今年も書く。この桃ビールを味わうと、私は夏が来たシールを心の中に一つ貼る。

今年はスペシャルであった。桃の入っているグラスにビールを注いだら、なぜか、娘が「はいどーじょ」と飲みやすい位置に移動してくれた。

Momobeer

関西に来てから桃ビールの桃は、白桃になった。
いやあ、上手い。

桃の皮をむいて桃ビールの準備をしていたとき、娘に少しあげた。彼女の人生初の桃だ。
『これが、桃だよ。美味しいかい?』
「もも。うまうま」
一発で、桃と覚えていた。

(娘よ、我が家では「桃」と呼び捨てにしてはいかんのだ。やがて「桃様」と呼べるようになろう)
と娘を見つめるのであった。

桃様ビールを作るためにビール売り場に行ったら、次のものが出ていた。
http://www.suntory.co.jp/news/2009/10338.html

カスケードホップに引かれてこれも購入して味わったのだが、をを、結構美味い。なかなかやるじゃん、サントリー。

朝方は、食事の後にスイカ。本当は昨日の夜でもと思ったのだが、さすがに桃の後にスイカは贅沢すぎるのでやめ。このスイカ鳥取産で、糖度が実に13.2度もある。

冷蔵庫に入れずに、涼しいところにおいておいたものを、朝方食す。いやあ、さすがに13.2度である。甘い。大体からして、果物は冷やしすぎない方が美味しい。軽く塩を振って食す。

ああ、夏だ。

大学に向かおうと思ったら、娘が寝間着から着替えていた。
白い夏服を着た娘。

すぐに頭に浮かんだのが、アーウインショーの『夏服を着た女たち』だ。ストーリーも全然思い出せないが、この本のタイトルだけは妙に頭に残っている。

白いワンピースが似合っていて、今日は久しぶりに仕事に行きたくなくなったなあf(^^;。

研究入門ゼミでは文章の書き方の初歩。説明文である。しかし、対象を小学校1、2年生としているので、結構難しい。

課題としてやってきたものを、書き込み回覧作文方式で検討し合い、その結果を元に来週は、リライトしたものを提出させることに。文章は書きっぱなしにさせず、リライトさせることが大事だと私は考えている。

自分は正しい、読みやすいと思いながら文章を書いている。いま、この私がそうだ。だからこそ、自分の文章の間違いを見つけるというのは難しい。

そこで「他人の目」である。
他人の目によって、見てもらうのである。これが書き込み回覧作文の一つの効用である。来週ヴァージョンアップした文章を期待したい。

その後、教授会に学科会議と延々と水曜日は会議が続くのであった。

2009/06/16

ジャパニーズポートフォリオ学習

授業は、和綴じ本の作り方。
ジャパニーズポートフォリオ学習のために、この和綴じ本の作り方を先生が知っていることは意味がある。

紙ベースで配られる資料、ワークシート、宿題、作品。これらをあとで、セーのということで一斉にまとめることができるのである。だから、ポートフォリオである。正確に言うと、親ポートフォリオである。

折角、京都の大学に来ているのであるからして、このような技術を身につけていくのは意味があるだろう。作り方さえ知ってしまえば、実はそんなに難しいものではない。

授業では、ものを作らせるときに注意しなければならないことについて説明と、作り方の説明という二重構造で行う。

たとえば、千枚通しを持ってこさせるときに考えなければならない安全管理についてを説明し、千枚通しを使って紙に穴を開けるその開け方を教えるということを、和綴じ本づくりを通して指導する。

訓練された中学生であれば、50分で和綴じ本の作り方を教えて、片付けまで行くのだが、二重構造だと90分でもぎりぎりである。

「実技教科は、子どもの本当の様子が分かるのよ」
とは、同じ学校にいたベテランの家庭科の先生の言葉である。確かにそうだ。

指示をきちんと聞いて作業に移す学生。
分かるまで質問を繰り返す学生。
適当に始めて失敗をする学生。
片付けながら作業を進め、終わったときには片付けが終わっている学生。
机の上が荷物で爆発している学生。

実にさまざまである。
時々はこういう授業も面白い。

その後、学内の先生に頼まれていた原稿を仕上げ、授業の課題をチェックし、おしまいとする。

今日も京都は、暑いなあ。
を、雷だ。

もう、桃ビールの時期だなあ。

そして、エレベーター問題3である

そして、エレベーター問題3である。
しつこい私である。

しつこい男は嫌われるのであるが、(ん? しつこい女はどうなんだ?)こと学問や仕事の世界ついては、このしつこさが重宝されるものである。

まず、考え続けることの効用についてもう少し考えてみたい。考え続けているということは、基本的に脳がアイドリング状態にあるということである。場合によっては走り続けている状態と言っても良い。

つまり、すぐに加速できる状態になっているのである。これは結構重要なことではないかと思う。学校で勉強してきて、家に帰り
(ああ、疲れたお茶)
というのは、実は脳みそから見ると、損な行動なのではないだろうか。

折角暖まっている脳みそを、一度冷ましてから使うわけである。もう一度暖めるのにエネルギーを使う。考え続けるというのは、この暖め直すことをしなくてもすむ、省エネルギーのシステム運用となるのではないだろうか。

エレベーターの問題を考え続けているとき、脳はアイドリング状態にある。そうだとすれば、そのアイドリング状態を活用して、いきなり難しい本の読解に取り組んだとしても、行けると言うことである。これが考え続けることの効用である。

次に、習慣についても考えてみたい。
エレベーター問題1では、行き先の階数ボタンを先に押すのか、閉まるのボタンを先に押すのかということを問題にした。

行き先の階数ボタンを先に押すより、閉まるのボタンを先に押した方が、恐らく1秒弱速く動きだす。だから、行き先ボタンではなく、閉まるのボタンを先に押した方が良いという結論であった。

しかし、今の私を振り返ってみると、これが頭では分かっているが、いまでもやはり階数ボタンを先に押している。これは習慣の問題なのであろうか。どうなのであろうか。

最後に、目的について考える。
実は、行き先の階数ボタンを押すというのは、そのように習慣化されてきてしまったから押しているという側面もあるであろうが、もう一つには目的が支配しているという面もあるのではないかと思っている。

私は5階に行くのだというのが目的である。扉を閉めるのが目的ではない。だから、その目的に応じた行動が第一なのである。そうだとすれば、目的が行動を支配する力というのは相当なものだなあと思うのである。

思っていてばかりで、考えていないではないかとお嘆きの貴兄。
その通りである。まだ論証のレベルには行っていないんだなあ。

でも、こうしてあれこれ考えているのが、楽しいのである。

エレベーター問題2のその後

エレベーター問題2は、私の中では解決に至った。コメントを下さった方には、メールで私の考えをお知らせした。私は、私のこのような下らない問いに付き合ってくださる方がいることを、とても有難いことだと思う。

なんせ、こんなことを考えている暇があったら、通常は本業に勤しむ方がいいわけである。にもかかわらず、あれこれ考えて呉れている仲間がいるというのは、実にありがたい。

ではあるが、学生たちにはこれが大事なのだという話をしている。そもそも学問というのは、なんてことは言わないけど、学問には遊びの要素が多く含まれている。何のために役立つのかなんてことは考えない。

あえて言えば、楽しいからである。考えるのが、答えが分かるのが、スッキリするのがである。人間はこれが許されているのである。だから、やるのである。

もう一つ大事なことは、今回のエレベーター問題2では、私の問いを徳用に指示をしているが、実は大事なことは私の問題を解くことではなく、問いを立てることなのである。

学生たちに
『閉まりかけのエレベータの扉を開けようと思って、閉めるのボタンを押してしまったことのある諸君は?』
と確認したところ、ほとんどの学生がそうであったのだ。

にもかかわらず、この問題を考えようとしている学生諸君はいなかった。同じ問題に接していながら、考える人と、何事もなかったようにしている人がいるのである。これはなぜなのだろうか。

1)どうでもいい。
2)考えても分からない。
3)何が問題なのか意味が分からない。
4)面白くない。
5)言われたら面白いけど、自分では辿り着けない。

いろいろな諸君がいるだろう。
私もひょっとしたら、1)から5)の中にいただろうし、他の問題ではいるのだろう。しかし、私は問題に辿り着いた。つまり、問いを立てることができた。これはなぜか。

答えは一つである。考え続けたからである。
(おかしい)
という違和感を持ち続けて、考え続けたからである。

考え続けると言うと、24時間ずっと考えているというようなことをイメージする学生がいるのだが、これは違う。そうではなくて、片思いのように考え続けるのである。気がついていたらその人のことを考えていたのように、その問題を考えるのである。

これが出来るようになると、話は進んで行く。
恐らく、脳の意識層、潜在意識層、無意識層を問題は駆け巡りながら、あれこれあれこれ考え続けることができるようになっているということなのだと思う。

問いを立てること。これが、学問を成立させるためにはとても大事である。学習は、学んで習うのである。学問は、学んで問うのである。
学んだ結果、分からないことが生まれるのである。

そして、その問いは、誰かが答えている問いではなく、誰もが答えてなく、貴方が答える必要のある問いであることが大事である。その問いと答えをセットにして、論述するのが論文であり、学生たちは大学生活のまとめとして、卒業論文に挑むのである。

さて、そしてここまでお読み下さった読者諸賢は、一つの問いをお持ちだろう。「(おかしい)という違和感を持ち続けて」とあるが、では、そもそもこの「違和感」はどのようにして持つことができるようになるのだろうか、ということである。

ここは私も考え続けているところなのである。

2009/06/15

第25回「明日の教室」 7/4 河原和之先生

第25回「明日の教室」は、河原和之先生をお招きして、実施します。
河原先生と糸井先生は、アントレプレナー繋がりです。
で、池田と河原先生は、「わくわく授業」つながりです・・・。
で、今回、無理を言って、御登壇いただけることになりました。

お申し込みは、http://kokucheese.com/event/index/184/です。

■□■

以下、河原和之先生のプロフィールです。

東大阪市立縄手中学校教諭、立命館大学非常勤講師。1952年京都府生まれ。東大阪市の中学校に社会科教師として30年間勤務の後、東大阪市教育センター指導主事を経て、現職。授業のネタ研究会常任理事。近現代史教材・授業づくり研究会代表。子どもの経済教育研究室。 NHK教育テレビ「世の中なんでも経済学」の番組委員を務め、同放送の「わくわく授業」では「“コンビニ”から社会が見える」に出演。 <主な編著書>『新「ウソッ」「ホント」からはじまる公民学習』(日本書籍)、『21中学授業のネタ 社会』(共著、日本書籍)、『歴史リテラシーから考える近現代史』(明治図書)ほか多数。

河原先生には、社会科授業つくりの楽しさ、今後の課題といったことについて、たっぷり語っていただけることになっております。社会科が専門ではないからと躊躇うことはありません。どんな教科であっても、本物の授業は、教科の枠を軽々と超えて迫ってくるはずです。
乞うご期待です。

何かと忙しい時期ですが、たくさんの方の参加をお待ちしております。

日時:平成21年7月4(土) 13:30~17:00
会場:京都橘大学 児優館
講師:河原和之先生
費用:一般2000円 学生1500円 苦学生は池田に相談

なお、懇親会を17:30~予定しております。3~4000円程度です。

お申し込みは、http://kokucheese.com/event/index/184/です。

内田先生がご結婚されたとのこと

専門ゼミ。
体調を崩している学生たちがちょっと出ている。お大事に。

ゼミの本論に入る前に、季節係からの発表。今日は「かたつむり」について。中村健一先生の秘技「かたつむり」の話も出るかと思ったが、それは出ず。カタツムリの別名が多いことに学生たちは盛り上がる。

で、盛り上がったままだったので、ちょっと待ったと解説を始める。もちろん、柳田国男さんの『蝸牛考』である。なんでカタツムリの呼び名が日本中で同心円上に同じになるのかを考察したあまりにも有名な本である。

ま、そこから探偵ナイトスクープから生まれた『 全国アホ・バカ分布考—はるかなる言葉の旅路』 (新潮文庫 松本 修 )や、沖縄で話されているハ行はパ行であるものがある話や、エスカレーターの譲りゾーンは右か左か、蕎麦の汁が関東風と関西風の境目はどこか、等の話になる。

さらに、エレベーターのボタンの疑問について、実際にエレベーターのところに移動して、考える。ゼミ室に戻って解決編としての説明。
言われてみれば答えそのものは何でもないのであるが、私がそこに至るまでの思考のプロセスを提示することが大事だと考えている。

これ結構面白いネタなので、すみませんがブログには、答えは書きません。どうしてもという方は、メールでどうぞf(^^;。

そして、『街場の教育論』の一番長い章である第八章の発表である。「いじめ」である。

レポーターは、第八章だけでなく『オレ様化する子どもたち』『自己チュー親子』(以上、諏訪哲二 中公新書ラクレ)なども読み込んでの発表。意欲的であった。

だが、扱おうとしているテーマが大きく、さまざまな角度から見ることができるこの問題に対して、問題を焦点化し提示する部分がなかなか難しかったようである。

努力はかなりしたが、テーマの大きさと、発表の経験不足からの発表となった。

ではあるが、こういう経験を積み重ねて行くことが、大事なのだと考える。閾値に辿り着いたときに、ぐっと成長するのである。

この専門ゼミは、国語と学級経営を中心としたゼミなのだが、『街場の教育論』を通して、いまの教育全体に漂っているあれこれをざっと理解させようと考えている。

ま、かっこ良く言えば今の日本にある教育観に触れてみようというものである。あと二回で、本書も終わる。少しずつ力を付けてきているかな。

で、何気なく内田先生のブログを拝見したら、内田先生がご結婚されたとのこと。いやあ、びっくり。おめでとうございます。

その後、書写のレッスンをちょっとして、7/4の明日の教室の申し込みの設定をして、今日こそは早めの帰宅。一週間の始まりは軽やかでありたい。

こんな贅沢で幸せな週末

6/15

朝、
(ああ、今日もリビングに寝てしまったか)
と思いながら風呂を沸かす。

風呂に浸かりながら、いつものように本を開く。目はページを追わない。夢のような週末。その感動に揺られながら風呂の中でボーットしていた。

月曜日はゴミの日。食事を終えて、娘と一緒にゴミ捨てに行く。マンションの庭には、ちょっとした東屋がある。ゴミを捨てた後、その東屋に娘と一緒にごろりと寝転がる。

東屋を吹き抜ける風を体に感じながら、やっぱり週末のことを思い出す。

土曜日。明日の教室赤坂真二先生Akasaka
日曜日。全国教室ディベート連盟近畿大会

この二日間は、学び感動し続けた二日間であった。多いに学び、多いに飲み食いし、多いに語り合った二日間であった。

自分に与えられた生きる場を、十分に贅沢に生きるために、仲間たちと一緒にあれこれをしようとする人間たちの集まりと言えるかもしれない。

こんな贅沢で幸せな週末を過ごせるなんて、本当にありがたい。
赤坂先生、ありがとうございました。
全国教室ディベート連盟近畿支部のみなさん、ありがとうございました。

2009/06/13

自分に与えられた「天命」

6/12

オフ。

風呂に入り、アールグレイを入れて、テラスで読書。
良く晴れた琵琶湖。
さすがにキャップを被らなければ、まぶしい。

吹き抜ける風が心地よい。
Macは無線LANに繋がっているので、インターネットラジオをキャッチし、smooth jazzをBGMにすることができる。耳鳴りも気にならなくなる。

あと一ヶ月もしないうちに、一つ年を重ねるのだなあと、ふと思う。あれこれとあるが、私は幸せだと思う。そして、この幸せを私の出来る範囲で、社会に還元しなければならないなあと思う。

私のオフは、子守りであることが多い。
今日は奥さんが出かける準備をしていたら、娘が自分も行くもんだと思ってしまい、奥さんが出かけるところで大泣き。こうなると私では手に負えない。

可哀想、可愛い。
二つの感情が交差する。

娘を見ていると、自分の人生を早送りで見てみたいという気がしてくることがある。自分の人生では間に合わない娘の人生の時の流れ。どんな風に流れて行くのかを見ておきたいという思いに駆られる。

当たり前だが、それは無理。一日一日を受けとめて生きて行くことができたものだけが、少しそこに辿り着くことができるというのは、知っている。が、無い物ねだりをするのも人間である。

子守りをしつつ、読み終えたのが『沈黙の艦隊』である。モーニングで連載していた時は、途中でモーニングそのものを読まなくなってしまったので、一緒に読まなくなっていた。で、ここで読み終えたわけである。

masashi 君の言われる通り、名作である。息をもつかせぬ展開であった。人類の抱える核廃絶の課題をこのような形で書き尽くす話だとは思ってなかった。

自分に与えられた「天命」を感じた者は、その天命の実現のためにがむしゃらに生きるということなんだろうなあ。生きているではなく、生かされているという自覚と言っても良いのだろうか。若い頃の私なら、考えることもなかったろうなあ。

私に天命があるとすれば、あれなんだろうなあと思ったりしながら、満足のうちに読了であった。

その後、娘と二人で買い物に出かける。
本と服を購入。

デパートは、彼女に取っては宝の山である。
一人で買い物をする時の三倍は時間が掛かるなあ。
好奇心の固まりだもんな。

夜は購入した本を読みながら過ごす。
琵琶湖は、夜景も奇麗である。

Imgp8221

2009/06/11

ちょっと待て、と思う

国語科教育法1では、今週と来週の二週間で、文章の書き方指導の指導法を講じる。どうやって文章を書くのか、その書き方をどうやって教えるかである。

多くの学生は、今までに習ってきたことがないと言う。
そして、多くの先生方も習ってきたことがないと言う。

ディベートの講座をやりはじめたのは、いまから10年以上も前になるだろうか。私は修士論文は『中等教育におけるディベートの研究』で提出しており、ディベートの入門期における指導方法についてはそれなりに、研究を進めた。

ということで、
「池田先生は、ディベートを大学時代からされていたのですか?」
と言われることがあるのだが、大学時代はディベートのデの字も知らなかった。教師になって4年目ぐらいからディベートらしきものを始めたのである。このことを言うと驚かれることが多い。

ディベートを指導したことのない先生に、
『ディベートどうですか。面白いっすよ』
と授業でやることを勧めると、
「いや、大学でやっていませんから」
「大学で習っていませんから」
という返事が返ってくることも多かった。
(ちょっとまて。私も習っていないよ)
と思っていた。

実は、作文指導もその嫌いがある。
大学で作文指導の仕方を私は習った記憶がない。
で、習っていないから出来なくても仕方がないじゃないかの世界となっている。

ちょっと待て、と思う。

『ということは何ですか、先生は卒業してから先、30年以上もある教員生活を、大学で学んできたことだけでやって行こうと思っているのですか。やれると思っているのですか?』

と突っ込みを入れたくなる。ワープロ、ディベート、メール、インターネット。私の学生時代には、ほぼなかったものである。なかったからと言って、そのままにして過ごしておしまいで良いのであろうか。

プロとして働いている人間が、「習っていないからできない」なんて言い方をして、恥ずかしくないのかなあと、若造の私は思っていた。
さらに虫の居所が悪いと、
『じゃあ、なんですか、習ったことはそんなに上手く指導されているのですか?』
と言いたくなるのも感じていた。

あーでもない、こーでもないと考え続け、現状よりも少しでも良いやり方はないかと挑戦し続けるのが、指導の現場だと思っている。

習ってないのなら、学べば良い。
知らなければ、調べれば良い。
出来ないのならば、出来るようになるようにトレーニングを積めば良い。

そういうことなのだと私は思っている。

『これから二週間で、君たちには作文の書き方の指導方法を教えます。私は大学でこれらを習ってきていません。私が考え、調べ、取り組んで辿り着いたものを君たちに教えます。

でも、これで実習や現場で大丈夫だなんて思わないように。実習や現場に行った時、びっくりするはずです。こんなに自分の力がなくて、指導が下手なのだということに気がつくはずです。

その時です。私が教えたところの、その先に、上に、君たちは新しい実践を作り出して行くのです。私が提示するものがすべてではありません。ゴールでもありません。考えて、考えて、批判をし、子どもたちの力を伸ばすために、改良すべきものです。

さすがに私が学生時代に学んだものと比べ、君たちの学び始める位置は学問的に向上した部分からとなります。でも、誤解してはならないのです。ここは新たなスタート地点であって、ゴールではありません』

そんなことを話して、授業を進めた。

昼休みに四回生の実習前の相談、3限に卒業生の相談を受け、さらに専門ゼミの学生の相談に乗る。
テキストはいじめの部分なのだが、なかなか手強い。
どの切り口で入って行ったらいいのか逡巡している。

あれこれ相談を受け、ちょっと解説をしたりヒントを言ったりしながら、過ごす。最終的には、
『発表者が、やって良かったと思えるような発表にすればいいんだよ』
と。
期待している。

その後、授業の準備などをしつつ過ごす。
明るいうちに帰ろうと思ったが、ま、それは無理であった。
だが、夕日がとても奇麗だったので、許す。

さ、これで公式の今週の授業はおしまい。
土曜日は、明日の教室だ

2009/06/10

幸せな日々である

6/10

masashi君に勧められるままに、結局『沈黙の艦隊』を読み始めている。愛蔵版の5巻まで来ている。連載中はとぎれとぎれ読んでいたのだが、こうして一気読みすると良いなあ。特にこの作品はその性格上、一気読みが良いと思える。

その合間に、授業の感想や疑問などを書き込むインターネット上の掲示板を見る。これがだんだん面白くなってきている。私のゼミの三回生は、同じく私の一回生のゼミの掲示板にある彼らの疑問に答えようとしている。

三回生ゼミの掲示板では、授業の続きをやっている。もちろん、ある程度でキリを付けないと、睡眠時間を削ってということになるのだが、彼らが授業の議論の続きを、出典をあげながらあれこれやれるようになってきたのは、いいなあと思っている。

「引用なきところに印象はびこる」
という言葉は、千葉大学名誉教授の宇佐美寛先生の言葉だが、三回生ゼミの諸君は、きちんと引用しながら、議論を進めようとしている。二年間の読書の蓄積がここに来て開花し始めているように感じる。そうだとすれば、嬉しい。

研究入門ゼミでは、文章の書き方の続き。子どもの疑問に対して答えるための文章を書くという課題。対象を小学校1、2年にして文章を書くのである。実はこれ、なかなか難しい課題である。

科学的な根拠をもって答える説明と、方便で答える説明と二種類書かせるのである。

科学的な根拠というのは、お分かりだと思うが、方便というのが分かりにくいかもしれない。ま、言ってみれば「ユーモアを含んだ許される嘘」である。

保育園児、小学校低学年の子どもたちには、説明をする際にお話の中ですることが大事だと考えている。主人公をその子どもにしたりしながら、お話の中で説明をする。だから、保育士、教師はお話づくりができる必要がある。

このレッスンをしようと思うのである。学生たちは、子どもの質問集を見ながら、頭を抱えていた。さ、がんばれ。

午後は、大学全体で学習会。いわゆる発達障害についての共通理解のための全学教職員で、講師から話を伺う。とても大切なことである。一朝一夕にきちんとした対応のシステムを構築するのは難しいと思うが、まずは共通理解であると思う。

その後、三回生の専門ゼミの学生たちの相談に乗る。発表についてあれこれ準備をしているうちに、堂々巡りになってしまい、ヘルプを求めてきたということである。

専門ゼミの発表がどんどん良くなってきているので、後から発表する学生たちのハードルが上がってきて、ヒーヒー言い始めているのである。基本的には良いことである。

どうしたら良いのか。いくつかのやり方をアドヴァイスして、頑張れとした。これも楽しみである。

その後、延々と学科会議である。
延々と学科会議であったf(^^;。

幸せな日々である。

2009/06/09

「実は子どもは読んでいる」

6/9

今日の授業は、読書指導について。
「実は子どもは読んでいる」というのが今日の主題である。
そして、読んでいる子どもの発見と、その後の指導がポイントになると私は考えている。

この私の主題の説明と、発見とその後の指導についてあれこれ説明する。
今日の授業はいつもよりさらに早口の講義であったが、学生たちは随分と付いてくるようになった。いいことだ。

ブックトーク、読書へのアニマシオンなどを中心に話をして、実際に「物語バラバラ事件」も体験してみる。学生たちはボランティア団体などで小学生やそれ以下の子どもたちと関わりを持つこともある。読書へのアニマシオンは、有効だと思う。やってみてほしい。

児童教育コースの学生たちだけではなく、幼児教育コースの学生たちの指導も行う。
施設実習後の、事後指導である。

学生たちから出てくる感想は、なかなか核心を突いたものが増えてきた。さすがに実習を数回経験すると違う。核心を突いている質問に付いては、丁寧に答える。
顔つきがぐっとしまってきている。いいことだ。

実習は、通常はその実習先との子どもたちとの関係で終始することが多い。しかし、今年の実習はそれだけでなく、社会人としてこれから勉強しなくてはならないことを、実習の段階で「勉強」させてもらっている学生もいる。ちょっと厳しいなあとも思うが、それも社会に出る前の大きな勉強だ。しっかり。

で、その後とある学生の相談に乗る。
話を聞いていて、あれこれ指摘していたらどんどん命中してしまったようで、気がついたら、研究室で1時間半。
悩み多き時代を生きているわけである。
ま、時間が許す限りお付き合いしましょう。

さらに、明日の授業の準備。

ふう、エネルギー切れかもしれない。
今日は早めにかえって、エネルギーを補充しよう。
といっても、もう19:00だが。

Imgp7744

2009/06/08

醍醐味の醍ぐらい

6/8

専門ゼミが面白くなってきている。

季節係は、この季節のあれこれをネタに質疑を入れて10分程度の発表を行っている。今日は、梅雨と夏に関するちょっとした蘊蓄。折角四季のある日本である。これを楽しまないのは勿体ないわけである。

その後、『街場の教育論』を読み進める。担当学生は、内田先生の主張に疑問を持ち、自分の説を展開。それが、ゼミ生の議論に広がり、私もあれこれ突っ込みを言れる。あっという間の60分であった。

こういうゼミは面白い。
多くの学生たちが自分の主張を出しながら、内田説を検証して行く。もちろん、議論の質は学問の入り口の扉の前だとは思うが、議論の中で何かを生み出そうと言う姿勢が生まれてきたことが大事。

一人では読み開くことができなかったであろう、その地点にゼミでの検討を経て辿り着くことができる。これがゼミのテキストリーディングの醍醐味である。その醍醐味の醍ぐらいを体験し始めたようである。

午後は、書写教室。
字が上手くなりたいという学生たちの願いを聞いて、多少面倒を見てあげることに。小筆を使って「蘇孝慈墓誌銘」(随・603年)の摸書をさせる。
私も久しぶりに指導の前に、自分で書いてみた。をを、懐かしい。

このお手本は、私も随分書いた。
私の手書きの楷書をご覧になったことのある方は、ちょっと似ていると思ってくださるだろうか。そうだとすれば、私は嬉しいのだがf(^^;。

学生らがこの字の摸書に吸い込まれて行くことになれば、彼らも卒業するまでには私の字体に似た字を書くようになるだろう。

ではあるが、今日書いてきた作品を見る限りでは、まだまだである。初めて筆の恐ろしさに直面したようであった。

・ゆっくりと
・筆先からの声を聞きながら
・「蘇孝慈墓誌銘」の筆者との会話を楽しみながら

書き進めることである。一週間に一時間で良い。その一時間が成長を促すはずだ。

「あ〜、早く帰って書きたくなりました」

指導を終えた学生の言葉だ。気持ちは分かる(^^)。

校正原稿のダメ出しが来たので、さらに修正。ばさっと切り取る。こう言うときに書き足してうまくいくことは、ほとんどない。写真やワークシートを挿入する場合、うまくいくこともあるが、ばさっと切った方が良い。

私にとって大事な情報であっても、読者から見たらどうでも良い情報というのが、もう一度、切り取るという観点で見直すと見つかることがある。ここをバサリとやる。

(ああ、勿体ない)
とも思うが、その方が圧倒的に読みやすくなるのだから、仕方がない。だが、この切り取ってしまったものは、面白いことに時間が経てば別の原稿で生きてくることがあるのだ。ま、一種のプラナリア方式と言えるかもしれない。

Photo その後、延々と事務仕事。
これは面倒で辛い。

でも、まあ、学生たちをからかえたしとあれこれやれたし、原稿もあと書くのが一つで、校正が一つとゴールが見えてきたし。

さ、頑張れ。スマイルである。

研究室からの眺め。

エレベーターのボタン2

6/8

エレベーターのボタンについては、以前考察をしたことがある。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2008/10/post-2c8f.html

多くの人からコメントを頂き、この問題が日常生活に潜む、かなり重要な問題であることが理解されるに至った。ここに来て池田は、この問題をさらに多角的に検討すべく、新たな問題提示をしたいと思う。

エレベーターのボタン2である。

自分が先に乗っていて、エレベーターが閉まり始めたときである。締まりかけたドアに向かって乗り込もうとする人がいることを発見することがある。

(あ、しまっちゃう。まずい。これはボタンを押してドアを開けなければ!)

と思ってボタンを押したところ、閉まるのボタンを押してしまったという経験を持つ人は多いだろう。

(あ〜〜〜〜〜)

というドアの向こうの人の顔を見ながら

(いや、違うんです。私は開けようと思ったんです)

と言い訳したくても、エレベーターは既に上に向かって動き出しているのである。読者諸賢にも、このような経験をした方は多いであろう。

なぜ、このようなことになってしまうのか。
私は考えていた。
答えは、簡単であった。エレベーターのボタンが二つの意味を持つ記号になっているのが原因なのだ。

1

2 写真でも分かるように、閉まるのボタンは、矢印に従えば閉まるであるが、広がりに従えば、開くである。このようにこのデザインには二つの意味があるのである。私はどうも矢印よりも、広がりにメッセージを受け取ってしまうタイプのようである。

写真1が最悪なのは、デザインだけで差をつけようとしていることだ。写真2は、開くの方に緑のいろをつけて、安全を示そうとしている。閉まるの方に赤の色をつける選択も合ったと思うが、ネガティブメッセージを選ぶのではなく、ポジティブメッセージを選んだと言える。

だが、この色もあまり意味がない。普通に考えれば分かる意味も、慌ててしまっているときには二つの意味が混じってしまい、混乱させるのである。そして、開くのつもりが、閉まるを押しているのである。

これは私の性格が悪いから、このように「閉まる」を押してしまっているのではないかと考えることもできる。しかし、本日ゼミの学生たちに聞いてみると私と同じように反応する学生が多く見られたことから、私の性格が悪いと言うことが原因だとは良いにくい。

もちろん、私のゼミの学生たちの性格が悪いからなのだという意見もありうるが、それは学生たちの名誉のためにも(私もそう思う)とは言いにくい(^^)。

そういうことで、性格とは関係がないと証明されたわけである。このエレベーターのスイッチそのものに問題があるわけである。

どうしたら、瞬間的に「開けようと思っているのに、閉めてしまう」という愚挙を防ぐことができるのであろうか。私はあれこれ半年ほど考え続けていたのである。

そして、今朝方、画期的なアイディアに恵まれたのである。これにより、我が家のエレベーターと大学の児優館のエレベーターでは、問題なく「開けたいときには、間違いなく開ける」方法が分かったのである。

ああ、ここに至って、私は「開けようと思いながら、閉める」という愚挙から解放されたのである。今後「開けてもらえると思いながら、閉められた」という行為があった場合、それは池田の性格問題だと思っていただいて結構であるf(^^;。

さて、池田はどんなアイディアを手に入れたのでしょうか。
実はこれ、今週のゼミ生への課題でもあります。

本日決戦二日目

6/7

Ajisai

本日決戦二日目。
なかなか気持ちがよかった。

終わってから家で寛ぐ。
揺れるなあ。
体が。
まだやっているようだ。

さ、また一週間が始まる。
充実して行こう。

Wakaba

仕事が一山越えた

6/6

仕事が一山越えたので、割と良い寝覚め。
リビングの扉を開け、少し冷えた空気の中で、朝ご飯。熱い紅茶が美味しい。BGMは、Earl KlughのIf You're Still In Love With Meだ。

今日は、私の別の本の校正に費やす日である。
午後をこの仕事に当てて過ごす。
思ったよりも快調に仕事が進んだ。

ああ、良かった。
これでまた一つ、TO DOリストを消すことができた。
あと、原稿が二つ。
講座の準備が、えっと、いくつあるんだっけかなあ。

ひと風呂浴びてから京都駅に向かう。
卒業生が用事があって京都に来たというので、一緒に食事。

やっぱり学生と卒業生では話すことも違ってくる。
あれこれと話をしていたら、結構な時間になる。
頑張っているようなので一安心。

期待しているぞ。

2009/06/05

結局8時間ほどワープロに向かっていた

6/5

疲れたので、心の栄養を手に入れようと、食事後は読書に没入する。

感動のうちに『寄生獣』(全10巻)を読み終え、『サンクチュアリ』(全12巻)に手を出す。
いまは漫画の物語欲求が私を支配している。名作と呼ばれていたもので読んでいなかったものを次々と読破している。

寝ようと思ったら、実習をしている学生からのメール。
読むと、これはすぐに返事を書いた方が良いと判断。そこからあれこれ書く。

大丈夫だ。
自信を持って授業に挑め。

で、そのまま寝るタイミングを外してしまったので『サンクチュアリ』を読み続ける。ラストシーンは翌日に残しておいて寝る。

朝、件の学生からメール。大丈夫そうだ。頑張れ。
そのまま、『サンクチュアリ』のラストシーンまで読破。さすがの名作であった。
午前中は、午後の執筆のためにテンションを高めることに時間を費やす。

今日は授業のない研究日なので、昼ご飯にはお手製のペペロンチーノを用意する。ニンニクを使っても大丈夫ということである。エネルギーを胃袋からも注入である。

昼過ぎに娘を病院に送ってから、研究室に向かう。途中で、コーヒー豆を購入。大学の近くにコーヒー豆を自家焙煎している店が二件ある。そのうちの一つに行く。

私は、どうも飲めるコーヒーと飲めないコーヒーがあることに気がついた。どうやら豆が酸化しすぎているものは、すぐにお腹に来る。つまり、焙煎してから日数が経っているものはだめということだ。

飲めるコーヒーは、焙煎してすぐのものである。だから自家焙煎をしているところの豆で飲むコーヒーは、美味しいだけでお腹に影響することも滅多にない。ま、コーヒーは嗜好品であるからして、飲みたいときに飲めるものだけを飲めば良い。自分の好みでやればいいものなのだから、贅沢にやる。

一番回転の速いブレンドコーヒー豆100g300円のものを50gだけ購入。折角の豆を酸化させてもなんだから、少しずつ買うのだ。ああ、贅沢。
さ、原稿だ。

気がついたら四時間ほど続けてワープロに向かっていた。
今日は珍しく、メールがほとんど来ない。

BGMは、Absolutely Smooth Jazz on Sky.fmで流しっぱなし。
だんだん海のそこに沈んで行くかのような感覚に捕われる。
世界から切り離されて行く感覚だ。
うーん、沈んで行く。

でも、4300字の原稿を書き上げなければならない。

ふう、もう22:00を回ったか。結局8時間ほどワープロに向かっていたことになる。
なんとか仕上がった。明治図書の『国語教育』8月臨時増刊号である。

途中、メールがないなと思っていたら、大きな案件のメールが来た。これにはじっくりと考えて返信。ひょっとしたら、原稿に勝るとも劣らないぐらい神経を集中して書いたかもしれない。

なもんで、22:00を過ぎてしまった。
にも関わらず、お腹が空いていないのが、ちょっと怖い。

さ、今日はこれまで。
よく働いた。


2009/06/04

教育実習から帰ってきた学生と面談

6/4

携帯電話の行方をあれこれ思いながら、夜を過ごす。

考えても仕方がないことを考えるのは、非常にストレスフルである。そのような案件は、考えないことにするというのが、私のやり方なのだが、それらがあれこれたまると、一つ二つと首をもたげてくる。難儀なこった。

でまあ、寝ようと思ったところにメール。
確認すると教育実習に励んでいる四回生からである。二人から来た。

ある学生は、一年間頑張って板書の練習をした成果が出たようで、自分の名前を自己紹介で黒板に書いたら、生徒から「上手い」、「上手」という声が聞こえてきたと嬉しい報告。指導を許されるポジションを手に入れたようだ。

またある学生は、実習で自分の勉強不足に改めて気がつき、戦いているとの内容。本人の希望もあり、活を入れる。
『何言っているんだ。通常の教育実習生の10倍はあれこれやっている。自信を持って取り組め』
と。
本人から返信がある。頑張れそうだとのこと。良かった。

車の中も、研究室も携帯電話は発見されず。
大学の中もあれこれ捜すのだが、発見されず。GPS機能がついているわけでもないので、見つからない。うーん、気分は優れず。

1限は、教育実習から帰ってきた学生と面談。個人の面談は、教育実習の場合はやらなければならいものではないが、本人が是非報告したいとのことだったので、それでは伺いましょうかということで、会う。

爆笑であった。

いまの中学校現場を思うと、良く彼女はこの実習を生き抜いてきたと思う。指導していただく先生が二人いて、二人とも面倒見ては呉れなかったというのだ。その中で、国語科教育法で身につけたあれこれを駆使して、実習を走り抜けたのである。

そして、こともあろうか、すべての先生の授業を参観するだけではなく、その先生方の授業を評価していたとのことであった。それは、授業を拝見した時のメモが良く取れていて、授業の目的と指導方法を見る目が育っていたことから、そのメモを元にして書いたレポートが良く書けていたというので、先生方から依頼があったというのだ。
「この授業の目的と、この指示がずれているように思います」
のようにやってきたというのだ。
怖いもの知らずであるf(^^;。
実習生が指導主事の仕事をしているのである。

さらに、研究授業では、
「実習生がここまで授業をするのを初めて見た」
とまで言われたそうだ。努力を重ねていた学生であったが、それが一つの結果となって出たようで、指導をしていた私は嬉しく思う。

研究授業に関して彼女の言葉で印象的だったのは、
「あれ、これどこかで見たシーンだと思ったんです」
と、自分の研究授業をデジャブのように見ていたとのことであった。それは、グループで話し合いをさせたら、グループ間の意見がずれて行くというものであった。

これは去年の授業内の模擬授業をさせたときに、起きた現象である。その時、彼女らはそれぞれのグループの中に入り込んで説明をしていたのだが、これがうまくいかなかった。このことを思ったのだろう。

「生徒のグループにそれぞれ説明させようと思ったんです」
と彼女は指導の方針を変えて臨んだのだそうだ。
「そしたら、生徒たちが自分たちで説明し合って、正解に辿り着いたんです。私が説明するより良かったと思います」
と言っていた。

彼女の進歩である。
生徒同士の意見が分かれる。ここを作り出して、教師は一歩下がって子どもたちの議論に任せる。これが出来るようになると授業のレベルは上がる。

彼女の場合、意図的に議論を生み出したかどうかは分からないが、その後の一歩下がって子どもたちに任せるということは出来ていた。ここが進歩したところである。

「先生、実習の最終日に、魔除けの和綴じ本のひもが切れました。私を守っていてくださったんだと思います」
何とも印象的な出来事だ。
国語科教育法1、2のまとめとして作ってある4冊の和綴じ本を参考にしながら教育実習を終えたのである。

そして、その実習の最終日にひもが切れたとのことであった。
「遠く離れて京都にいらっしゃる先生に、ご指導を頂きながら実習を終えることができました。ありがとうございました」
とその学生は話していた。

『んにゃあ、違う。あの一年間の授業をやり抜いてきた君たちである。だから、実習を無事に終えることができたのだよ。やらないものには出来ないのだよ』
「先生、私、大変な実習だったのに、実習に行く前よりも今の方が強く先生になりたいと思っています」
『そうか。それは良かった、で、いいんだよなf(^^;。』
「はい。先生にご指導いただいて本当に感謝しています」
『ん、まあ、がんばれ』

良かった良かった。
彼女には、2限で行っている今年の国語科教育法で少し、上記のことを話してもらった。後輩は身を引き締めながら聞いていた。

ご苦労さん、先輩。
これから頑張れ、後輩。

午後、研究室で読書。
読書、読書。
原稿に手が伸びない。

あまりにも伸びないので、気分転換。
もう一度、携帯電話のありそうなところを歩いて回る。
研究室、印刷室、トイレ、共同研究室、編集室・・・。

外の空気も吸いに。
一度見たところをさらに見て回る。
駐車場、車の中、車の荷室。
ん?

あったああああああ。

荷室に落ちていた。
デイパックを荷室に置いたときに、そこからこぼれ落ちていたようだ。いやあ、気分が良くなった。
これで原稿に向かえる。

が、明日にしようf(^^;。
凄く大きな仕事をした気分だ。
今日は疲れた。
気疲れである。




2009/06/03

ただいま、携帯電話失踪中

6/1の夜に使った記録があるのですが、いまどこにあるのか分かりません。
呼び出しで鳴るのですが、どこで鳴っているか分かりません。
ということで、ご理解ください。

うーん、どこにいったのだろう。

えーと、どこぞに子どもはいないか

6/3

昨夜は、いい夢を見ようと思いながら、体にフィットするソファで撃沈してしまった。ま、ソファとしては気持ちがいいのだが、さすがに蒲団としては効能は今ひとつであった。ただ夢はなかなか良いものであった。

寝起きはちょっと体がだるい。
風呂に入って血の流れを良くする。
熱めのお湯を浴びて、読書。
これも、なかなか良い。

入門ゼミでは、文章の書き方の入り口ぐらいをあれこれやる。じっくりとライティングだけで前期の授業をやる必要があると思うのだが、なかなかそうも行かない。

ではあるが、書くための規準を示しておくことは、大事である。
学生たちに示したのは、宇佐美寛先生のものである。『新版 論理的思考』(メジカルフレンド社 2006年)

イ. 一文をできるだけ短くする。<一文一義の原則>
ロ. 主語をあらわに書き込む。<主語明示の原則>
ハ. 文末は端的に言い切る。<簡潔文末の原則>

である。

あらかじめ課題にしてあった400字程度の主張作文を元に、これらが出来ているかどうかを点検する。

しかし、自分で自分の文章を点検するのは、実は難しい。なんとなれば、自分は「正しいと思って」書いているからである。間違っていると思って書いている文章など、基本的にない。自分の言いたいことなのだから、自分が一番理解する。だから、どこが間違っているのか分かりにくいのだ。

そこで、6人ぐらいのグループにして、その400字の作文を回覧させて、上記のイロハのどれに該当するか、グループの仲間に確認させることにした。他人の文章は、おかしなところは発見しやすいものである。

回覧後、指摘を元にして、書き直しの作業をさせた。次週、それを清書して提出である。

で、私は午後、書籍版『明日の教室』第四巻の最終校正に取り組んだのであった。第四巻のテーマは「子どもに接する・語る」です。

教育学者、心理学者、実践家、コミュニケーション教育、特別支援教育の専門家、劇作家・演出家のみなさんが、このテーマに向かって縦横無尽に筆を勧めてくださっています。最終チェックで読み終えて、私、興奮しています。

(えーと、どこぞに子どもはいないか。授業がしたいぞ、クラスに行きたいぞ)
(うーん、来月もアマゾンで本を買いすぎてしまうかなあ)

という思いになっています。みなさんも、そうなるでしょう(^^)。

ではありますが今月は、第三巻「授業をつくる」が出ます。
順番にお楽しみください。
恐らく、上記と同じような思いに至ると思います。

DVD 明日の教室 ver2

http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

先日の、野中信行先生の講座がDVDになります。
乞うご期待。

2009/06/02

現場上がりの大学教員として

6/2

授業二つと打ち合わせ二つ。
本当はもう一つ入っていたのだが、先約があったので、これはごめんなさい。

授業では、「学習ゲーム」について、定義と実際を行う。今の三回生が小学校4年生ぐらいのときに学習ゲームは書籍として世に出ている。だから、体験している学生もいるかと思いきや、ほとんどいない。

手を上げている学生に聞くと、学習ゲームではなくクイズを取り入れた授業であることが多かった。

実際のところに行く前に、もう一つ大事なことを講じる。それは、「池田が学習ゲームに出会うまで」である。

いや、別に「池田」が大事なのではない。一人の実践家が、一つの実践の理論に辿り着くまでにどのような道筋を経て行ったのかということを伝えるために、一つの例として、私が一番良く知っている「池田」を例に出したのである。

教育実践記録というものがある。生活指導の記録などは詳述されているものが多い。だが、一つの教材をどのように開発し、それを元に指導する、その結果どうなって行ったのかということを端的にまとめる「授業レベルの」記録というのは、あまり多いとは言えないだろう。

目の前の子どもがいて、その子どもを分析し、どうやって指導の土俵に載せていったのか、そのときどういう教材、指導方法を開発したのかというその過程を説明している実践記録はあまり無いように思う。

逆に言えば、本には「完成された教材」が「ネタ」として並べられているのである。

私は、これはこれで大事だとは思うが、現場での指導力を付けるためには不十分だと思っている。一つの「完成された教材」。そして、そこから生まれる「授業」は、その教室で生まれていわけである。子どもと教師の関係性の中で生まれてきているものである。

だから、その関係性の部分を理解しないままに「ネタ」だけやるというのは、不十分であると考えている。

もちろん、寿司屋に行って
『イカ』
と頼んだら誰であっても、イカがでてくるわけで、タコが出てくるわけではない。ネタというものは元来そう言うものである。

ただし、凄い寿司職人になれば
『イカ』
と頼んだときに、その人の性別、年齢、顔色、お酒の進み具合などを見て、握りの加減やご飯の量の調整、さらには米の砂糖やお酢の配合まで変えて出してくれるはずである。お客との関係性の中で握ってくれるはずである。いや、仕込みからそうしているはずである。

私が言いたいのは、この凄い寿司職人のレベルのことを、授業の職人としての教師が、目の前の子どもとの関係性の中で作り出す必要があると考えているのである。

そのためには、学生たちには「完成された教材」だけではなく、「アイディアの段階の教材」が「不十分な教材」として動きだし、「完成された教材」へと向かって行く、ヴァージョンアップの過程を示す必要があると考えている。

ここが、やがて出会う子どもたちと作り出す授業の一つの要になると考えている。

学生たちは、私が示す授業や授業のアイディアを、
「いやあ、先生は凄い。そう言うのをすぐに思いつくのですね」
なんて感想を書くことがある。

何を言っているのかね。そんな分けないでしょ。私が良く行う漢字指導の実践だって、7年間掛かって完成させているのである。それを授業では30分弱で説明しているだけである。

こんな誤解をなくすためにも、実践が生み出されて行く現場を語ることは、現場上がりの大学教員としては大事なことではないかと考えている。

『私はこうして、子どもたちと出会い、教材と出会い、授業と出会ってきた。その時は必死だったから、これが良い出会いとか悪い出会いとか考える余裕もなかった。

だが、今から振り返れば良い出会いであった。君たちもそういう幸せな出会いを迎えるために、私の出会いを話そう。ヒントになると嬉しい』

そんなことを思いながら、語った。

今日紹介した学習ゲームは、

    1)    J1百人一首 
    2)    対義語でポン! 『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」
    3)    たほいや 

中でも「たほいや」は、国語の学習ゲームとしては、The king of 学習ゲームだと私は考えている。

今日も学生たちは、とても楽しんでやっていた。

2009/06/01

なんとかやり過ごしながら、やりすごしながらだ

6/1

昨夜、一日の疲れを取りながらメールに返事を書く。
実に自分勝手な返事を書く。

頂いたメールは、私にはそのように読めるのだが、書いた方はそんな思いで書いていないんだろうなあと、後から読み直してみると感じる。自分の都合の良いように文字を単語を拾って文脈を作っている。

いかん。まだまだ修行不足だ。

久しぶりの月曜日の授業だ。
今日の授業は、『街場の教育論』の発表。土曜日に大学に行ったら準備をしていた学生たちの発表だ。

今日の発表は、なかなか良かった。
準備に20時間ぐらい掛けているんじゃないかな。このぐらい準備すると良いものが出来るという見本である。

もちろん、これをさらに良くするためにはどうしたらいいのかということを指摘する。スタートラインが高いところにあるので、面白いものになりそうである。

授業を終えて研究室に戻ると、先日の校内研修会のまとめのメールを頂いていた。先生方一人一人の感想が書かれている。伝えようと思っていたところが伝わっていたようなので、一安心。

たった2時間。しかし、大事な2時間を頂いての校内研修である。日々の授業を作りだすための何らかのヒントが届いたのであれば、とても嬉しい。

先週の木曜日に行った研修会の結果が、月曜日に届く。
そりゃあ、まあ読む方からすればすぐに頂けるのは嬉しいけど、申し訳ない気持ちも。打ち込まれた先生、大変だったでしょう。私もこの役をやっていましたのでヨークわかります。ありがとうございました。

遅い昼食をとりに行こうとすると、ノックの音が。
『どうぞ』というと、卒業生である。

一回企業に就職して一年間やったのだが、どうもダメでその後のことを先日相談に来ていたのだが、そこでアドヴァイスしたことがとんとんで動きだし、非常勤講師で働くことになりそうだとの報告であった。

いやあ、良かった。
『食事はしたか?』
と聞くと
「まだデザートなら入ります」
との答え。

ま、このぐらいでなければダメだ。
食事をしながら、あれこれ話す。倒れるなよ。

私はまだまだ復活はしていない。むしろ、深ーいところにたまって行くのを感じる。その中で大量の仕事が襲ってきている。あ、向こうにも見える。その向こうにも。

が、こうして学生や卒業生、さらには講座を受けてくださった先生方たちからの声で、エネルギーを貰っているのだとわかる。

ありがたいことだ。
なんとかやり過ごしながら、やりすごしながらだ。

仕事が終わらず、まだ研究室に居続けている池田でした。

                                         BGM 「空へ」 by カルメン・マキ&OZ

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