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2009/06/02

現場上がりの大学教員として

6/2

授業二つと打ち合わせ二つ。
本当はもう一つ入っていたのだが、先約があったので、これはごめんなさい。

授業では、「学習ゲーム」について、定義と実際を行う。今の三回生が小学校4年生ぐらいのときに学習ゲームは書籍として世に出ている。だから、体験している学生もいるかと思いきや、ほとんどいない。

手を上げている学生に聞くと、学習ゲームではなくクイズを取り入れた授業であることが多かった。

実際のところに行く前に、もう一つ大事なことを講じる。それは、「池田が学習ゲームに出会うまで」である。

いや、別に「池田」が大事なのではない。一人の実践家が、一つの実践の理論に辿り着くまでにどのような道筋を経て行ったのかということを伝えるために、一つの例として、私が一番良く知っている「池田」を例に出したのである。

教育実践記録というものがある。生活指導の記録などは詳述されているものが多い。だが、一つの教材をどのように開発し、それを元に指導する、その結果どうなって行ったのかということを端的にまとめる「授業レベルの」記録というのは、あまり多いとは言えないだろう。

目の前の子どもがいて、その子どもを分析し、どうやって指導の土俵に載せていったのか、そのときどういう教材、指導方法を開発したのかというその過程を説明している実践記録はあまり無いように思う。

逆に言えば、本には「完成された教材」が「ネタ」として並べられているのである。

私は、これはこれで大事だとは思うが、現場での指導力を付けるためには不十分だと思っている。一つの「完成された教材」。そして、そこから生まれる「授業」は、その教室で生まれていわけである。子どもと教師の関係性の中で生まれてきているものである。

だから、その関係性の部分を理解しないままに「ネタ」だけやるというのは、不十分であると考えている。

もちろん、寿司屋に行って
『イカ』
と頼んだら誰であっても、イカがでてくるわけで、タコが出てくるわけではない。ネタというものは元来そう言うものである。

ただし、凄い寿司職人になれば
『イカ』
と頼んだときに、その人の性別、年齢、顔色、お酒の進み具合などを見て、握りの加減やご飯の量の調整、さらには米の砂糖やお酢の配合まで変えて出してくれるはずである。お客との関係性の中で握ってくれるはずである。いや、仕込みからそうしているはずである。

私が言いたいのは、この凄い寿司職人のレベルのことを、授業の職人としての教師が、目の前の子どもとの関係性の中で作り出す必要があると考えているのである。

そのためには、学生たちには「完成された教材」だけではなく、「アイディアの段階の教材」が「不十分な教材」として動きだし、「完成された教材」へと向かって行く、ヴァージョンアップの過程を示す必要があると考えている。

ここが、やがて出会う子どもたちと作り出す授業の一つの要になると考えている。

学生たちは、私が示す授業や授業のアイディアを、
「いやあ、先生は凄い。そう言うのをすぐに思いつくのですね」
なんて感想を書くことがある。

何を言っているのかね。そんな分けないでしょ。私が良く行う漢字指導の実践だって、7年間掛かって完成させているのである。それを授業では30分弱で説明しているだけである。

こんな誤解をなくすためにも、実践が生み出されて行く現場を語ることは、現場上がりの大学教員としては大事なことではないかと考えている。

『私はこうして、子どもたちと出会い、教材と出会い、授業と出会ってきた。その時は必死だったから、これが良い出会いとか悪い出会いとか考える余裕もなかった。

だが、今から振り返れば良い出会いであった。君たちもそういう幸せな出会いを迎えるために、私の出会いを話そう。ヒントになると嬉しい』

そんなことを思いながら、語った。

今日紹介した学習ゲームは、

    1)    J1百人一首 
    2)    対義語でポン! 『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」
    3)    たほいや 

中でも「たほいや」は、国語の学習ゲームとしては、The king of 学習ゲームだと私は考えている。

今日も学生たちは、とても楽しんでやっていた。

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コメント

研修部ニュース(月曜夜発行)から抜粋
 研修後に校長室で池田先生と話したときに指摘されたことなのですが、ああいう研修をすると、非常に食いつきはよく、「自分もこれからやってみます」と前向きに受けとめてもらえる。しかし、ここで大切なのは「やってみる」中味です。人の実践を見て、色々アイデアをもらう。面白そうだと思って飛びつく。でも、研修の振り返りと、自己の教育実践の見直しがあって、取り入れたい活動が自分の授業の中では、どういう目標と結びつくのか、それの熟考がなければ上滑りになってしまいます。子どもたちも、ゲーム感覚で、「ああ、面白かった」とは思えど、ただ単にお遊びに終わってしまい、「学習ゲーム」の「学習」のところが吹っ飛んでしまう。そのうち子どもはそのパターンにも慣れ飽きてしまう。行事でも総合的な学習でも同じだと思います。目的を明確にしなければ、単なるイベントです。
 池田先生から最も学ぶべきは、一つ一つのアイデアではなく、子どもに真の学びを得させるための教師の心構えではないでしょうか。忙しさを言い訳に、本当にやらなければならないことがおざなりになっていないだろうか。日々、自らの教育活動を振り返り、改良し続けているだろうか。教師が最も力と時間を注ぐものを改めて教えてもらったように思います。
 人の実践を借りるのではなく、それをヒントに自らのスタイルを創り上げる。あんなに工夫されている先生がいるということを励みに自らも学び続けたいと思いました。
 研修部長の原稿です。池田先生のところの学生さん、現場も学んでいます。学び続けるいい教師になってください。しっかり池田先生にしごかれてください。
 校長はこの研修部長についていってます。はい。

校長先生、ありがとうございます。

基本的には自分の成長した分だけ、子どもたちを伸ばすことができるというのが、教師の仕事だと思っています。(基本的にはというのは、教師の成長分以上に成長する子どもたちもいるということではあります)

子どもたちが、必死に「遊んでいる」姿を見ながら、私は(しめしめ)と思い、教師になって良かったなあと思っていました。先生方によろしくお伝えください。

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