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2009/06/26

「天」のほうがしっくり来る

6/22

学生たちと面談を始める。児童教育学科は、入学の時点では、児童教育コースと幼児教育コースに分かれて合否を出していない。入学後半年経って、大学に馴れた段階で決定することにしている。

そのために、授業の中でガイダンスや、授業アドヴァイザー(ま、ホームルームの先生)が、面談をして進路を決定して行く。大学って入ってみたら、
(あれ、違う?)
と思うこともたくさんある。だから、本学では入ってから選べるようにカリキュラムを設計してある。

自分の人生を自分で決めることができるのは、幸せなんだと思う。が、実は、本当に決めているのかと思う。

私も嘗て、自分で決めていると思っていた時期がある。しかし、自分で決められる範囲ってのは、実に狭く浅いものだと思うようになっている。

何かが自分の人生をコントロールしている。そう言う感覚を持つことが不思議ではなくなってきている。ああ、おっさんだ。で、このコントロールする主体を神と呼んだりするのであろうが、私はどちらかというと「天」のほうがしっくり来る。

その天の言う部分を理解して、自分の命を生きるものが天命なんだろうなあと思う。

夏の夜空を見て、その悠久さを感じるとき、自分の人生のちっぽけさに打ちのめされつつ、生きていることの幸せも感じるわけである。

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コメント

 「天」という言葉は私も好きです。
 阿蘇の山麓にある大野勝彦氏の美術館に行った際、氏の作品で、龍の絵が描かれたものに、力強く

 てっぺんの
 うえの
 天を
 めざせ

 と毛筆されたものを拝見したことがあります。
 龍のあまりの迫力もあり、誰かと比べてどうだとか、てっぺんだとか、そういうことは小さな物差しなのだなと腹の底で感じるものがありました。
 そうだ、天だと。
 太陽をお天道様というわけですが、天道という言葉も奥深いですね。
 今の私は、自分で決めて生きるという部分と、生かされてここにあるという部分が、ぼんやりと混じり始めているように思います。

豊臣秀吉は、天に命令をしたと言う逸話が残っていますが、自分の人生をどこかで相対化する際、この天という概念は東洋の人間には腑に落ちるものがあるのかもしれませんね。

>>今の私は、自分で決めて生きるという部分と、生かされてここにあるという部分が、ぼんやりと混じり始めているように思います。

いやあ、早熟だなあ。もう、おっさん?
f(^^;。

あ、ここにもおっさんがいま〜す

病気のように真剣に心配されるのでこのことは身近な人には言わないのですが(笑)明らかに自分の意志以外の何か大いなる何かに動かされていることはたくさんあります。大事な決断ほど実はそんな根拠の無い声に従ってきています。

これに従うのを自分で決めることはとても勇気がいりますよね。

実は今、大きな案件を抱えていて、秀吉のように「神様いい加減にしろ!」と言いたくなっているのですが、今までやってきた無意味に思われたようなさまざまなことが、不思議とサーッとつながってきている様子を見るにつけ、鳥肌が立ちながらもこれは天命だと確信を持ちつつあるところです。あと一息で「自分で決める」ことができるのですが・・・

おっさん率が高くなってきましたf(^^;。

大体からして人事てのは、自分の意志で決めるように見えていながら、他人の意志で決められると言う構造になっているのを理解するのがなかなか難しい。相手方がいらっしゃいと言わなければ、採用すらされないのだからねえ。

大きな流れが自分を巻き込んでいる。
人生の後半に入って行くと、この流れを自覚できるようになってきました。ただし、この流れがどこに私を連れて行くのかが分からない。分からないが乗る。いやあ、スリリングですf(^^;。

私は決めるよりは、乗るでやっているのが今です。

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