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2009/06/08

醍醐味の醍ぐらい

6/8

専門ゼミが面白くなってきている。

季節係は、この季節のあれこれをネタに質疑を入れて10分程度の発表を行っている。今日は、梅雨と夏に関するちょっとした蘊蓄。折角四季のある日本である。これを楽しまないのは勿体ないわけである。

その後、『街場の教育論』を読み進める。担当学生は、内田先生の主張に疑問を持ち、自分の説を展開。それが、ゼミ生の議論に広がり、私もあれこれ突っ込みを言れる。あっという間の60分であった。

こういうゼミは面白い。
多くの学生たちが自分の主張を出しながら、内田説を検証して行く。もちろん、議論の質は学問の入り口の扉の前だとは思うが、議論の中で何かを生み出そうと言う姿勢が生まれてきたことが大事。

一人では読み開くことができなかったであろう、その地点にゼミでの検討を経て辿り着くことができる。これがゼミのテキストリーディングの醍醐味である。その醍醐味の醍ぐらいを体験し始めたようである。

午後は、書写教室。
字が上手くなりたいという学生たちの願いを聞いて、多少面倒を見てあげることに。小筆を使って「蘇孝慈墓誌銘」(随・603年)の摸書をさせる。
私も久しぶりに指導の前に、自分で書いてみた。をを、懐かしい。

このお手本は、私も随分書いた。
私の手書きの楷書をご覧になったことのある方は、ちょっと似ていると思ってくださるだろうか。そうだとすれば、私は嬉しいのだがf(^^;。

学生らがこの字の摸書に吸い込まれて行くことになれば、彼らも卒業するまでには私の字体に似た字を書くようになるだろう。

ではあるが、今日書いてきた作品を見る限りでは、まだまだである。初めて筆の恐ろしさに直面したようであった。

・ゆっくりと
・筆先からの声を聞きながら
・「蘇孝慈墓誌銘」の筆者との会話を楽しみながら

書き進めることである。一週間に一時間で良い。その一時間が成長を促すはずだ。

「あ〜、早く帰って書きたくなりました」

指導を終えた学生の言葉だ。気持ちは分かる(^^)。

校正原稿のダメ出しが来たので、さらに修正。ばさっと切り取る。こう言うときに書き足してうまくいくことは、ほとんどない。写真やワークシートを挿入する場合、うまくいくこともあるが、ばさっと切った方が良い。

私にとって大事な情報であっても、読者から見たらどうでも良い情報というのが、もう一度、切り取るという観点で見直すと見つかることがある。ここをバサリとやる。

(ああ、勿体ない)
とも思うが、その方が圧倒的に読みやすくなるのだから、仕方がない。だが、この切り取ってしまったものは、面白いことに時間が経てば別の原稿で生きてくることがあるのだ。ま、一種のプラナリア方式と言えるかもしれない。

Photo その後、延々と事務仕事。
これは面倒で辛い。

でも、まあ、学生たちをからかえたしとあれこれやれたし、原稿もあと書くのが一つで、校正が一つとゴールが見えてきたし。

さ、頑張れ。スマイルである。

研究室からの眺め。

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