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返信が出来ませんので、よろしくお願いいたします。
携帯電話のメールを知っている方は、そちらにどうぞ。
ただし、返信は遅れます。
よろしく。
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いま、そんな環境にいます。
すみませんが、私に依頼のメール等送ってこられた方、
返信が出来ませんので、よろしくお願いいたします。
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ただし、返信は遅れます。
よろしく。
朝から鳥肌が立った。
http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=264787
引用開始 ーーーーーーーーーー
[東京都の高校野球予選 西東京] 決勝: 日大三 − 日大二
2009年7月30日(木)
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明治神宮野球場(神宮球場)
地図
路線&徒歩ルート
第91回全国高等学校野球選手権 西東京大会
【日程】 2009年7月30日(木)
【開始】 12:00
【会場】 神宮野球場
【入場料】 一般¥700/学生¥500(中、高、専門、大)/小学生以下は無料(責任者同伴)
引用終了 ーーーーーーーーーー
である。母校が決勝に駒を進めている。私が高校一年の夏、弟が高校三年の夏。甲子園に出場した。
関西に居を構えますます縁遠い母校ではあるが、こうして遠くから見ると実にジンと来るものがある。
日大三校は兄弟校であり、決勝で顔を合わせることも多い。下馬評では実力は三高が上である。しかし、試合は水物。戦ってみなければ分からない。明日の午後は、どきどきの時間を過ごすことになる。
うはあ。甲子園に来たら応援に行くぞ。
7/28
模擬授業が終わった。教科教育法国語の授業も終わった。
私のゼミで模擬授業をやった学生が、再び挑戦した。ゼミのときに私が指摘した課題について、それを解決しようと挑戦している姿が、この授業に見て取ることができた。こういう努力を重ねて行こうとする学生は、伸びる。どのタイミングで伸びるか分からないが、伸びる。それを楽しみに待ちたい。
◆
授業後研究室で、さらに授業の振り返りをする。
『君は靴のひもを結べるかね?』
「はい」
『では、その結び方を説明できるかね』
「えっと、〜〜〜〜〜〜〜というふうにやります」
『うむ。では、靴のひもを結ぶときに、そのことを頭の中で考えてそのようにやっているかね?』
「? いいえ」
『それだよ』
靴のひもの結び方は、知っている。そして、それは通常は言語化されることなく、ほぼ無意識のうちに行われる。ある種身体化されていると言っても良い。
『君は、私が指導した内容を頭の中に入れて、それを模擬授業で実際にやろうと挑戦していたのだと思う。それはよくわかった。つまり、靴のひもの結び方を教わったので、その通りにやろうと挑戦していたわけだ。
だが、授業はそれではうまいこといかない。言語化等意識することなく靴のひもが結べてしまうように指導した点が無意識にクリアされた形で授業の中で展開されるようにならなければならないのだよ』
高度なことを求めているのは分かる。新人の教師でこれができる教師はどのぐらいいるのか私にはよくわからない。だが、だからといって学生には出来なくていいよというのはおかしい。出来ないかもしれないが、出来ることを目指してレッスンに励まなければならない
我が学生はなんと言ったか。
「先生、もう一度模擬授業をやらせてください」
である。その心意気や良しである。
期待しているぞ。
◆
会議が終わり、大学を後にしようとエレベーターに乗り込んだのが21時前。中には生源寺先生がいらっしゃた。
『あ、先日は伺えなくて失礼しました』
「池田先生、それは昨日のことだよ」
『え? あ、本当だ、昨日のことだ』
一回生ゼミのパーティがあったので、学科の納め会に参加できなかったのだが、そのことを思いながら「先日は伺えなくて」と言った。そしたら、「昨日のことだよ」と言われた。
びっくりした。
本当に、昨日のことだ。でも、『あ、先日は伺えなくて失礼しました』と言ったときの実感は一週間前の出来事を話しているような感覚であった。
一週間が一日のように感じることもあるが、一日が一週間のように感じるほどいろいろとある一日だったわけだ。すごいなあ。これって充実していると言って良いのだろうかf(^^;。
◆
いよいよ明日で前期の授業が終了。
実はこの後の方が忙しい。
体調を保ちつつ、まず、お盆休みまで乗り切って行こう。
7/27
しかし、みなさんはどうして携帯電話を無くさないのであろうか。私は不思議で仕方がない。
私はこの三日間携帯電話が無くなっていた。たぶんあそこであろうというところを今朝捜したが見つからない。奥さんは私の電話を着信した記録から、いつまでは在ったということを教えてくれるが、その情報からすると、本気で紛失している可能性が高い。
で、在るとすればあそこだ。
重たい頭を引きずるようにして、あそこに向かった。
(あった!)
自転車置き場の自転車の籠の中にあった。あの豪雨にもめげずに、水没もせずにあった。
まったくみなさんはどうして携帯電話を無くさないのか、私には不思議で仕方がない。
◆
前期の授業が終わって行く。今日は専門ゼミであった。模擬授業のラストであり、専門ゼミの最後の授業である。
大学は当たり前であるが学活等はない。また始業式も終業式もない。授業が終わったらおしまいである。だからなのか、授業が終わるとホッとするとともに、寂しさも一気に襲ってくる。
(ああ、こいつらともしばらく顔を合わさないんだなあ)
と思う。会えば会っただけ叱らなければならない学生もいるが、伸びようとするための努力を続けている学生たちとしばらく会えないのも寂しいものである。
で、ゼミ最後の模擬授業なので、今までの模擬授業を受けて相当いい授業をするだろうと期待していたが、三人のうち前半二人はボロボロ。怒り爆発寸前であった。見ていた学生は爆発していたように見えたかもしれないが、寸前であった。
だが、最後の模擬授業をした学生の模擬授業がなかなか良かったので、良い終わり方が出来た。
ゼミ論の印刷、合宿、打ち上げコンパなどの日程の調整をして、前期のゼミは終了であった。
◆
午後は、京都の宮津の方からお客人。二学期に行う高校の授業の打ち合わせである。わざわざ3時間もかけてお越し頂かなくてもいいのだが、いらっしゃるというのでお待ちする。
ディベートの特別授業をすることになる。特別授業と言っても、私がするのは通常の授業である。それを高校生に行い、その様子を高校の先生も参観し、さらにその後先生方に向けて解説をするというものである。
がんばりましょう。
打ち合わせが終わって校舎内を案内しながらお見送りをした。ところが、振り向くと先生がいない。あれ?と思ったら学生と話し込んでいる。なんと児童教育学科の学生に教え子がいたのだ。どちらもびっくりしていた。そりゃあそうだ。縁のある人間というのはそういうものだ。
◆
その後、明日の教科教育法の国語の授業で模擬授業をする学生の指導、さらに教育実習で私が訪問指導をする学生の指導、事務仕事をあれこれやって、一回生ゼミの打ち上げパーティに参加である。
一回生ゼミでは、食事会の企画を立てて実行するという課題がある。どこぞのお店に行って打ち上げではなく、大学の生協食堂を活用して、ノンアルコールで練った企画で私を楽しませるという目的で行うのである。
楽しむではなく、楽しませる側に回る。これが一回生の学生に身につけさせたい考え方である。これを実際に行うのがこのパーティである。
◆
パーティは、まあ、初めてにしてはというものであった。食わず嫌い王選手権など食べ物に拘った出し物を企画していた。
ただ、式次第がなかったり、出し物と出し物との間のつなぎが雑だったり、何をしようとしているのが分からないものもあった。全体の構成のあり方が甘いとも言えた。ここは授業を作っている三回生は、うんうん唸っているところであり、こういうところから頑張らないと、なかなか大変である。
そんな中で圧巻だったのは、私が授業中にチラッと言った二つの体操をクラス全員でやったことである。これは凄かった。それは、ピタゴラスイッチの「アルゴリズム体操」であり、「おかあさんといっしょ」の「ぱわわっぷ体操」である。
アルゴリズム体操は、まあ、練習すれば出来る。リズムと動きが合っているからである。しかし、ぱわわっぷ体操は簡単には出来ない。リズムと動きがずれるように出来ているのである。
思うに、わざと難しい運動にしておいて、子どもたちが合わないのが普通になるように設定しているのではないかと。なんとなれば、簡単にしておいて体操に合わない子どもをテレビで映し出してしまうと、可哀想なので最初からハードルを上げているのではないかと私は考えている。
そのぱわわっぷ体操をゼミ生全員でほとんど間違うこともなく踊りきったのである。これには拍手である。
◆
さ、明日は教科教育法国語の授業での模擬授業である。ゼミ生が授業に挑む。良い授業を期待しよう。
政権が交代というベースで選挙が行われそうである。経済政策や子育て支援などちょっとびっくりするような内容だが、一番驚いたのは次のものである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090726-00000568-san-sociから、引用開始 ーーーーーーーーーー
教育激変、文科省“解体”? 民主の政策「教科書検定」触れず
7月26日22時35分配信 産経新聞
高校は無償化、文部科学省は「中央教育委員会」に縮小、現行の学習指導要領は廃止? 民主党が政権交代後に描く教育政策は、25日に明らかになった「教 員免許更新制廃止」以外にも、マニフェスト(政権公約)のベースとなる「民主党政策集INDEX2009」(23日公表)で数多くの“激変”が示されてい る。昨年の政策集にはあった「教科書検定制度維持」も姿を消しており、学校教育の根幹が揺さぶられ、事実上の文科省解体を盛り込む内容だ。
政策集では、現行の教育制度は抜本的に再構築。文科省は教育の全国基準の設定や予算・教職員の確保、法整備などに役割を限定された中央教育委員会になる。
市町村では「教育行政の独立」の建前を覆し、首長を責任者に設定。学校は保護者や地域住民らによる「学校理事会」が運営し、将来は教科書採択も学校理事会単位で行うよう、段階的に移行するとしている。
中央教育委員会がつくる学習指導要領は、教科ごとの内容を細部まで示した現行のものを大綱化し、学習内容は地域や学校、学級で決められる。教育の地方分権からさらに“学校分権”まで突き進め、民主党の支持母体、日教組の主張とも合うものになっている。
政策の目玉の一つが高校無償化で、「高校は希望者全入、公立校の授業料は無料、私立高生にも年12〜24万円程度を補助」と明記。
就学支援については文科省も24日に検討委員会を発足、来年度予算の概算要求に盛り込む意向だが、財源問題から「年収350万円以下の低所得層」に支援対象が絞り込まれる可能性が高いという。
昨年の政策集にあったのに今年消えた記述もある。教科書検定制度について昨年は「普通教育に対する国の責任の一貫として、制度を維持する」と明記したが、今年は採択地域の細分化について触れただけで、制度に言及していない。
教育関係者は「検定制度の廃止を求める社民党に、連立を意識して配慮したのでは」と指摘している。
引用終了 ーーーーーーーーーー
文科省の解体を打ち上げているとは知らなんだ。実際、世界の政府を見ても文科省のないところなどあるし、教育委員会ではなく市役所に教育局を置いているところも珍しく無い。しかし、この国で文科省を本気で解体するとなると、相当な変化となるだろう。
BOMBAY SAPPHIRE好きのみなさんへ
発見してしまいました。
好きな人はご存知なのかもしれませんが、BOMBAY SAPPHIREのおつまみとして、フルーツがぴったりです。
今宵は〆にBOMBAY SAPPHIREをほんの少し楽しもうと思ったのです。そんなところに、デザートで食べたメロンを後があったのであります。
(ん、いけるかも)
とひらめいた私は、そのメロンの残りに、BOMBAY SAPPHIREをチラリと振りかけてみた。そして、メロン果汁とともに味わってみた。
あは、うまひ。
幸せな味は、幸せな思い出をも蘇らせてくれる。
おやすみなさい。
7/26
弟家族の旅立ちを見送ってから、原稿執筆にとりかかる。ゲストルームの使用時間が少し残っていたので、ここに籠る。結構快適かもしれない。場合によっては専用の書斎として使えるかも。家にいるとどうしても娘と遊んでしまうからなあf(^^;。
◆
昼ご飯は、このところ気に入っているジェノベソースで。今日はパスタである。ベランダに植えてあるスイートバジルの葉っぱを数枚もいで、オリーブオイル、塩、ニンニクで味を整える。
あは、うまひ。
◆
今日は関西青年塾で赤坂先生が登壇されているのであるが、弟家族を含め、家族サービスの日と決めているのでごめんなさいである。
滋賀の天候は凄いことになっている。雨と風と雷。そしてときどき晴れである。その御陰で部屋の中を涼しい風が通り抜ける。食後、リビングに蒲団を敷いてお昼寝である。一週間の疲れが取れて行く。
娘は最初私が眼鏡を外したのを不満に思ってか、それをわざわざ持ってきて私の顔に掛けようとする。何回やっても上下が逆さまになる。しかし本人は満足気である。
家族サービスの日と決めてあるので、何回も娘に付き合う。採用試験で頑張っているであろう学生たちを思い出しながら、私も娘の眼鏡遊びにも付き合って頑張った。
◆
もちろん、原稿も頑張った。
先日『明日の教室』第四巻を上梓したが、今日はその第五巻の巻頭文に取り組んでいたのだ。ヴァージョン5で確定原稿となった。
第五巻は「担任一人で抱えない」というテーマである。はっきり言って涙なしでは読めない巻であるf(^^;。そして、厳しいのは私だけではないのだと勇気を手に入れることの出来る巻である。その巻頭文だけにいつもより時間がかかった。
まず、自分の伝えたいことをあれこれ思いつくままに書き進めていたら、いくつもの視点からの考えが混在した文章になってしまった。これは読者にとって非常に読みにくい文章である。どの視点に寄り添って文章を読み進めて行けば良いのかが分からなくなる。
また、私の思いは書けているが、読者にとってはどうでもよい情報の入っている文章にもなっているのが分かった。
その情報の具合をどこまで取り入れて、どこからばさりと切り捨てるか。ここの具合が難しい。そこで何回か繰り返して原稿を読み直した上で、娘と一緒に昼寝であったのだ。時間をあけて再度読み直し、推敲を重ねた。結果、なんとかヴァージョン5で私の確定原稿となった。
糸井先生と編集者に送信して、一安心である。
毎月この巻頭文と格闘してきたが、これでひとまず終わりである。
ホッとする寂しさと、やっとみなさんのところに届けることができるという喜びとが、綯い交ぜになった今の気持ちである。
◆
原稿を終えて夕涼みでベランダに。
夕方の風を感じる。
そこには娘が遊ぶプールがあった。
そういえば、今日はプールで遊んであげていない。
では、ということで今朝入った風呂のお湯をプールに移して一緒に入る。ま、私は露天風呂である。ああ、気持ちがいい。
その後シャワーを浴びて、ジンフィズで乾杯。
そしたら、花火が上がった。
一週間が終わり、新しい一週間が始まる。
◆
さ、今週は火曜日で授業は終わり、講座研修会講演と走り回る日々が始まる。お盆まで一気に走り抜けることになる。武者震いの私である。
粒ものが好きな娘である。トウモロコシ、スナップ豌豆、枝豆、納豆などを好んでつまんで食べる。
昨日はブドウであった。デラウェアをテーブルにおいておいたら、娘は自分の椅子にいつの間にか座り、一粒ずつ取り外して食べている。
それも、指先で粒をつぶして中身を少し押し出し、口に持って行きながら皮はしっかりとつまんでいると言う、高度な食べ方であった。
(おい、いつの間にそんなことが出来るようになったんだ?それ相当高度なことだぞ)
と父は驚く。
◆
以前から夜の地球の画像は持っていたが、you tubeで驚いたのが次の映像。この映像もなかなか凄い。地球を飛び交っている旅客機の映像である。小バエのように見えるのが旅客機である。
これを元に授業が作れるなあと思う。
そういえば、まだyoutubeを活用した授業づくりってのは見たことがないなあ。宝のものの山のような気がするのだが。
◆
昼ご飯にうどんを茹でる。冷やしうどんで食べるのだが、ちょっと気になった食べ方があったので試してみた。ジェノベうどんである。なんか手延べうどんに似た響きである。
ベランダのスイートバジルを千切ってきて、即席のジェノベソースを作る。これを冷やしたうどんに合えるのである。これだけでも十分であったが、ここに冷やしたトマトを入れれば、相当美味しいと思われる。
この夏の一品になりそうである。
◆
「ザバーン」
「ジャバーン」
なんのことだか分からないが、娘が会話の最後に入れる言葉である。それも会話の落ちの部分にいいタイミングで入れる。「谷だ。ガチョーン」の「ガチョーン」のタイミングで入れる。
ちなみに、会話の途中で入れる言葉は、
「アベシ」
である。
教えていないのに。
「北斗の拳」のあれは、赤ちゃん言葉だったのだろうか。
笑える。
◆
他愛もないことの続く週末である。
『明日の教室』第四巻が出ました。テーマは「子どもに接する・語る」です。日々の学校生活の中で子どもたちとどう関わっていくときに、どのような関わり方があるのかを考えてみたのが第四巻です。
目次は以下の通りで、執筆陣はいつも通り豪華豪華であります。
是非、手に取ってお読みください。
目次
1 子どもへの接し方・語り方
・「子どもに接する・語る」とは
・子どもへの接し方
・子どもへの語り方
2 コミュニケーションの基礎
・コミュニケーションの基礎(言葉)
・コミュニケーションの基礎(身体)
3 教師と子ども・子ども同士の接し方・語り方
・子どもとの距離感
・居心地のよいクラスをつくる
・いじめを防ぐ
4 押さえておきたい接し方・語り方
・誉め方
・怒り方/叱り方
・フォローの在り方
・子どもをその気にさせる語り方
・対話を楽しむ
5 配慮を要する接し方・語り方
・高学年女子との接し方
・低学年児童との接し方
・自己コントロールが苦手な子ども
・自己表現が苦手な子ども
・読む・書くことが苦手な子ども
6 子どもにうける話・ネタ
・子どもにうける話
・ネタのさがし方
青山新吾(岡山県教育庁指導主事)
赤坂真二(上越教育大学准教授)
北川達夫(日本教育大学院大学客員教授)
中村健一(山口県岩国市立平田小学校教諭)
野中信行(横浜市立子安小学校教諭)
平田オリザ(劇作家・演出家/大阪大学大学院教授)
藤田恵子(埼玉県所沢市立和田小学校教諭)
山口裕也(東京都杉並区立済美教育センター主任分析官/経営支援スーパ ーバイザー)
山田雅彦(東京学芸大学准教授)
7/25
一日講座と講演の準備。
息抜きにベランダで娘とプール。
◆
午後に入ったら大雨。
雷もあってなかなか凄い。
この雨の中をヨットやら釣りやらしている人には申し訳ないが、ベランダから見る雨の琵琶湖というのも結構美しいものである。
家から見える景色が変わるってのは、なんともいいものだ。
夕方に東京から弟家族がやってくる。
四国に夏休みの旅をする途中に立ち寄ってくれた。マンションのゲストルームに一泊。
お気に入りのタイ料理屋さんに行って夕ご飯を一緒に食べる。やっぱりこういう料理は大人数で食べるのが美味しい。最近人見知りが激しくなった娘も、この頃には落ち着く。
◆
食事後実家にスカイプ。
ただ残念ながらこちらからの映像は届くものの、向こうからの映像はなぜか届かない。ま、それでも孫二人と子ども二人と奥さん二人の映像を見せることができたのだから、親は満足であろう。
◆
明日は、京都の採用試験だ。
関係者、応援しているぞ。
7/24
爽やかに5時台に起きる。テラスに置いてある椅子に座り、膝の上にMacintoshを乗っけてメールの返事を書いたりする。今日中に、夏休みの講座の資料を作り終えてしまおうと決意する。
◆
が、敢えなく断念。途中まで。
午前中は、娘の洋服の買い物。ついでに私たちの服も久しぶりに買う。私は半袖のシャツを買ったつもりが長袖でちょっと落ち込む。うーむ。
娘の水着や夏物のワンピースは、なかなかいいものが手に入った。シンプルなワンピースの似合う娘に育ってほしいなあ。
◆
夕方から山科へ。
昨年度の国語科教育法の受講学生たちと教育実習打ち上げ、採用試験頑張れの飲み会である。
いやあ、凄かった。
実習報告会ではなかなか話せなかったことが、次から次へと出てきた。やっぱり会議と報告会は、フォーマルのものとインフォーマルのものと両方やってこそ意味があるなあ。参加した後輩の三回生も、参加して良かったと言っていた。
今年の教育実習は、生徒を指導する際に困ったことがあったというものは、皆無であった。学生たちは立派に指導をしきっていたと思われる。
しかし、それ以外の、通常は教育実習生が関係のない部分でのあれこれが多すぎた。ま、それも教員と言う社会を知る実習なのだと言えばそれまでであるが、ちょっとなあと思うことばかりであった。
良く乗り切ったぞ。
確実に成長したな。
◆
で、もう一つ気になったことがある。学生たちが恋人のことをあれこれ話すのだが、「今の彼が〜」「今の職場を〜」と、「今」という言葉をやたら付けて話すのが気になったのである。
彼氏なら、今なんて付けなくても今のはずだが、今をつけるのである。これってなんだろうなあと思うのである。過去にたくさん付き合っていたから、それを分けるために今という言葉を使っているのか、これからどうなるか分からないから、今という言葉を使っているのか。
本人はそんなことを意識して使っている言葉ではないと思うが、聞く側は、余計なことを考えてしまう。ま、本当に余計なことである。
◆
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
実習に関して新しい企画も生まれたようだ。これも、楽しみ楽しみ。
7/23
すかあっと晴れた朝。
ああ、昨日がこの天気だったら良かったのにと思う関係者は多くいたであろう。私は昨日の会議で疲れて、早々に寝たので割とすっきりとした目覚め。
部屋の中を涼しい風が通り抜ける。
◆
本日は二限からということで、しばらく保育というか子守り。ベランダにあるプールに娘を遊ばせつつ、授業の構想を練る。
椅子に座っていると、一緒に入れと娘が要求する。そりゃあ無理だと思っていたら、奥さんが足だけでも入れてあげると喜ぶというので従う。結果、びちょ濡れf(^^;。私の上に上ってくるのだから。
◆
授業では、メディアリテラシーの初歩と言うか、基本と言うか、フォトストーリー3を使ってメディアの概念を体験することとする。あまりにも簡単に動画が出来るので、驚く学生たち。
大学に限らず、パソコンの授業はこれからはじめれば良いのにと思う。こんなに簡単に便利で凄い作品が作れる。さらに凝ろうと思えばもっと凝れる。それがパソコンである。
今回は10枚の写真で作ると言う課題であった。20分説明して、30分で作らせて、最後は上映会までやった。
夏休みの宿題の一つは、フォトストーリー3を使って夏休みの貴方を説明するムービーを作ることとした。条件は一つだけ。2分30秒から3分の中に納めること。あとは、貴方の創造性に期待するということである。
後期の最初の授業で、発表会を行う予定である。
◆
昼休み、午後はまたしても模擬授業の指導案の指導である。少しずつではあるが模擬授業のレベルが上がってきているので、後半の担当者は辛くなって行く。だが、それが正しい姿。後半に行くほどレベルが下がるのではどうしょうもない。
さらに夏休みの講座の準備。
そこに、採用試験を受けた四回生が報告に来た。手応えがあるようである。期待しよう。
◆
今日は太陽が沈む前に帰れた。
娘が大はしゃぎ。
夕方から夜に掛けてたっぷりと遊んであげることができた。
このごろ遊べなかったからねえ。
夜風も気持ちいい。
7/22
日食である。そんな中で、研究入門ゼミであった。
『あー、窓際の君。そう、君だ。君に今日は特別委員を任命する。日食観察委員である。雲の切れ間から太陽が見えたら、すかさず報告するように』
と伝えて、授業を進める。
何気なく私が外見ると、雲の切れ間に太陽。
『あれ、見えるじゃん』
「え〜」
と我が一回生ゼミ生。
すると、五階の教室に三階から届く叫び声。理科教室のテラスで観察していた学生たちの声である。
そうなったら授業どころではない。みんなで観察。雲が良い感じにフィルターになるので、奇麗に見えた。良かった良かった日頃の行いである。日頃の行いは、ある程度悪い方が良いのかもしれないf(^^;。
『次回の日食の時は、君たちは担任をしていて、子どもたちと一緒にこうして見ているのかねえ』
と話すと、学生たちはまんざらでもないような顔をしていた。その時、今日のことを少し思い出すかもしれないなあ。
◆
研究室に戻ると、父親から電話がかかった形跡があった。
電話すると、良かった、無事予定通りに退院であった。弟が仕事を休んで車で迎えに行ってくれたとのこと。ありがたい。
父も元気になった声だった。
京都にいて東京に見舞いに行けないので、手紙を書いたがこれを喜んでくれていた。多少は親孝行できたかな。
『今度の日食は2035年だね。そこまで頑張ろうか』
「そうだな」
なんてことを会話する。
長生きしてください。
◆
さて、それから会議である。
3つの会議。
合計で6時間以上行っていた。
ふう。疲れたなあ。
だけど、今日は飲まないで寝よう。
夏休み前、結構嬉しいパーティが続く。また、夏休み突入後、一気に講座講座となる。
夏バテが始まっている体をいたわろう。
さ、今日はおしまい。
7/21-2
伺った小学校は、ながたく先生の小学校である。岐阜から修学旅行に来ているのである。その初日の夜に、京都の事前学習のボランティア講師としてお招きいただいたのである。
◆
子どもたちは風呂に入り、食事を済ませているという。ちょっと厳しい条件。そりゃあそうだ。長い距離を移動し、雨の中を歩き回り、風呂で食事である。眠たくならないわけがない。この条件の中で1時間子どもたちに京都のことを説明するのである。あれこれ構成を考えなければならない。
学生たちは、ゲームやクイズで盛り上げながら小学生たちに京都の良さ、面白さを伝えていた。
リハーサルのときにも感じていたのだが、学生たちのキャラクタが立ってきていた。どちらかというと大人し目の学生の多いと思われていた池田ゼミであるが、なんのなんの、カラオケに行けばはじけるし、このような説明の場でも、堂々と自分のキャラを立ててやっていた。
90人近い小学生が誰一人として寝ることなく、夜の学習会に参加していたことは、褒めて良いことであろう。
学習会の最後に、子どもたちからお礼の歌を貰った。学生たちはあと少しで泣きそうであった(^^)。
◆
終わってから旅館のロビーで軽く反省会をした。
「この場にいられて、とても嬉しいです」
「教師っていいなとしみじみと思いました。やっぱりなりたいです」
と学生たちが発言したところ、ゼミ生たちは大きく頷いていた。自分たちの伝えたいことが子どもたちに伝わり、自分たちの仲間の支えを感じ、一つのことをやり遂げることができた。その思いがこの発言を生み出したのであろう。
小学校からは校長先生や引率の先生方から過分な言葉を頂いた。
ありがたいことである。だが、私は
『スケジュールづくり、資料の漢字間違い、読み間違いなどにまだまだ多くの課題がある。が、一つのことをゼミとしてやりきったことで、小さな自信を持つことを許す。少し、諸君が教師として教壇に立っている姿を私もイメージすることができた。
ただし、教育実習や本物の教師は、今回のように本番を助け合いながら行えるのは非常に稀なケースである。準備は協力してやれることもあるが、授業は一人がほとんどである。
となれば、さらに丁寧な準備、仕事術を身につける必要がある。体力勝負、出たとこ勝負、運勝負のような根拠にもならない根拠で、その場凌ぎでやっていくようなやり方は、これを最後にしなければならない。がんばれ』
のようなことを話した。さらに、
『君たちは、これで良い体験をさせていただいたが、子どもたちが聞く姿勢になっていたのは、聞く姿勢を育ててくださった先生方がいたからである。その上で君たちはやっているのである。教師になったら、その聞く姿勢を育てるところからやらなければならない。
そして、この学習会が終わってから夜の見回りや、安全確認等、先生方はとても大変な時間を過ごすことになる。君たちは一番良いところをまかされているということを理解しなければならない』
とも。
良かった良かったと褒めるだけでは、成長がない。良くても次の課題は見えるものだ。
ただ、まあ、なんというか、良くやったな。
ご苦労さん。
次も、がんばれ。
本日の教科教育法国語は、読解の方法について。まず、一読総合法や読み研方式などを講じた。そして、後半では非連続テキストの読解について講じた。非連続テキストとは、図、グラフ、表、写真、絵画などのことである。
非連続テキストの読解の授業を今までに受けたことのある学生は、皆無であった。ま、仕方がないと言えば仕方がないかもしれないが、私は実はかなり前からやっていた。
絵本の読解、教科書の文章の挿絵の読解、テレビの映像の読解等である。若造の頃は、この非連続テキストの意味が上手く伝えられずに
「それは国語の授業なのか?」
という、批判ならぬ非難を受けたこともあったが、国語の授業である。
非連続テキストの読み取りは、メディアリテラシーや、PISAの読解力調査でスポットライトが当てられるようになったと考えている。ま、ディベートをやっている生徒たちは、表やグラフから読み取ることを日常的にやっているので、何を今更と言うかもしれないが一般的にはまだまだ認知は低い。
本日扱ったのは、三枚の写真である。
1)画像情報から、ユニークな事実の読み取り。
2)画像情報から、批判的思考を活用して矛盾している情報の読み取り。
3)画像情報から、思考のバイアスに気ずく読み取り。
それぞれの写真から理解させたい内容である。これらの写真を集めるのは結構時間が掛かったのだが、学生たちに示したところなかなかうまくいったようだ。実際の写真は著作権や個人情報の関係で、ブログにはアップしないが、割と安定した写真が選択できたと思っている。
◆
昼休みは、夜のための準備。まったくパソコンに詳しく無い学生たちの指導は、ハラハラもするが面白いものでもある。やってあげてしまうのは簡単だが、それをしたら彼ら彼女らに力はつかない。手を出したいのをぐっと押さえて、我慢。そして、見ていられないので部屋を出る。
教師に必要な力は、教える力であり、教えない力でもある。中学校でも大学でも同じである。
◆
最終打ち合わせ、最終リハーサルと行う。
テンションが上がってきているのか、爆笑のリハーサルであった。
この感じで本番もいくか、それとも空回りになるか。
さあ小学生を相手に京都のことを教える「京都、夜の学習会」である。
一つの本番の授業だぞ。
ゼミでは、模擬授業が続く。今日も三つ。だいぶ授業らしくなってきたものもある。だが、大学生相手の模擬授業では子どもの反応が違う。だから、実際では動かない子どもにどう対応するかが鍵になるだろう。
ヒントの出し方、指示の正確さ、説明に使う用語の選び方。これらにまだまだ課題を見つけるのであった。
◆
世の中は三連休であるが、私は土曜日は娘と遊んで、あとは学生たちとあれこれである。私の通っている美容院のご主人は、
「仕事があるって良いっすねえ」
と言っているが、仕事が増えても給料に直結するわけではないのですよ(^^)。ま、それでも努力を重ねる若者の側にいるってのは、わるいものではない。
◆
午後は、夏休みに行われる講座の準備。なんというか、今年依頼された講座は、ほとんどが生活指導に関する講座である。『こんな時どう言い返す』である。去年に比べて3倍近い依頼である。びっくりである。
それだけこの問題が深刻になってきているのかもしれない。十分に研究に値する対象である。
◆
明日は、小学校の修学旅行の一つの行事として、うちのゼミ生が京都のことを説明するお役目を頂いている。その打ち合わせを18:00から研究室で行った。
うーむ。
君たちがんばれ。
いろいろとやらねばならぬことがあって大変だとは思うが、ここをきちんと乗り越えられる力を育てなければ、現場に入って一年目で相当辛いぞ。
応援する。
がんばれ。
◆
帰宅は九時過ぎ。
これからしばらく帰宅の遅い日が続く。
7/19
なかなか楽しい一日であった。
豚インフルエンザの影響で休講になった一回生ゼミと三回生ゼミ。この補講が本日であった。講義の補講は大学で行うのであるが、ゼミの補講はこの限りではないといういことで、今回は一回生と三回生の合同ゼミを行うことにした。
場所は、琵琶湖の松の浦キャンプセンターである。
◆
本学の場合、異年齢でのゼミ集団が作りにくい状況にある。そこで、いろいろと工夫をしているのであるが、今回もその工夫の一つである。
異年齢集団が育つと、正統的周辺参加が起こる。これがとても大切である。私が一から説明しなくとも、後輩は先輩の振る舞いを見ながら何をどのようにしたら良いのかを学んで行く。そのきっかけになればと思うのである。
ま、私の逆鱗がどこいらあたりにあるのかを知るだけでも、良いわけである。
◆
で、11時から18時近くまであれこれ楽しむ。
私は、前半に娘を連れて行った。車で我が家から20キロぐらいなので、前半だけ連れて行って、また家に置いてきて、もう一度参加するという方法で参加であった。
娘は、始めのうちは私にぴったり。椅子の上に乗った私の上に乗り、全く動かない。大変であった。ではあるが、こうしているのも今だけと思い、それも喜びとする。
だが、学生たちの温かい接し方で少しずつ馴れてきて、最後は三回生の二人の女子学生には随分馴れていた。良かった良かった。一人の学生は名前まで覚えていたなあ。
◆
琵琶湖の天気予報は、50%雨であった。
野外活動の場合、天候が最大の問題である。実行委員に雨の場合の対策を聞くと、全く考えていないとのこと。何とかなると思っている様子。厳しく指導。
さらに、下見は?と聞くと、これもする予定がないとのこと。さらに厳しく指導。
結果、雨の場合はバンガロー、さらに当日は、途中から降り出したら庇のあるところを貸してもらえるということで話がついたのである。下見をして現地の人と人間関係を作っておくことがどれだけ大事かを身にしみて感じたとのことである。
◆
バーベQ、ドッヂボール、スイカ割り、水泳、句会と盛りだくさんの企画は、時々降ってくる雨の中をくぐり抜けながら、無事終了。
企画を立て、実行に移す。教師、保育士になるにはこのようなイベントを切り盛りする力がとても大事である。分からない人が見れば単に遊んでいるように見えるが、ここでは遊ばせる側と遊ぶ側がいて、遊ばせる側の様子を見ながら遊ぶ側も勉強になっているのである。
句会は、私のゼミのパーティには必須になってきた感がある。やってみればその面白さにグイと引き込まれるのが分かる。
写真は、スイカ割りであと少しのところで割れずに、その責を感じ自ら琵琶湖に飛び込む男と、その後見事に割れたことをよろこぶゼミ生たちである。スイカ割りってこんなに面白かったかなあと言うぐらい、面白かった。
無事プログラムが終了した辺りから、大雨。
雷も鳴っている、光っている。
そこは、大学生なので安心して帰らせることができる。
三回生だけでお疲れさまの会を開くか、と思いながら私は車で家に向かう。
ところが、最後の最後で私の逆鱗に触れることがあった。
まったく詰めが甘い。次回のゼミで厳しく指導である。
◆
とまれ、期末のテストや課題の集中している中で、企画を立てて楽しい時間を作り出すことので来た実行委員は、楽しむ側から楽しませる側へと変わることの実感を、このゼミで少しは持つことができたのではないかと思う。
◆
明日は、通常授業。ハッピーマンデイの関係で、月曜日の授業日数が確保できないのである。このあたりきちんとしているのが、わが大学である。
認可が下りましたので、公表することができます。
付属中学校ができます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090718-00000236-mailo-l26から、引用開始 ーーーーーーーーーー
7月18日16時2分配信 毎日新聞
学校法人「京都橘学園」(山科区)は17日、10年4月に伏見区に「京都橘中学校」を開設すると発表した。
同学園によると、男女共学で、募集人数は2クラス計60人。高校の校舎を改修して使用する。夏・冬・春休みにも特別講座を開き、標準的な公立中学校の
1・5倍の授業時間を確保し、すでにある高校との中高一貫教育により、生徒全員の国公立大合格を目指すという。8月30日に第1回の学校説明会を開催。
10年1月に入学試験を予定している。【広瀬登】
7月18日朝刊
引用終了 ーーーーーーーーーー
さらにパワーアップです。
久しぶりのガーデンであった。
年間パスポートの期限が切れていたので、購入。
一年間で1050円というのは、実に安い。
見事に誰もいない。
ま、夏の午後、まだ暑さが残るガーデンに出かけてくる人たちもそんなにいないだろう。
池の噴水は、涼しげである。
娘と一緒に芝生の上では裸足になり、走り回っては木陰で寝転がる。
ウエストバックのバックルの開けしめに興味を持った娘は、私にバックルを開けろと指示を出す。開けてあげると、それを気持ちよく閉める。
「カッチャーン!」
と言いながら。これを何十回やったろう。
◆
風呂に入りながら、右腕をマッサージ。
久しぶりに抱っこをしているので、右腕が疲れている。
二週間も抱っこしないと、痛くなるんだなあ。
◆
夢の中に、小学校一年生の娘が出てきた。
びっくり。
あまりにもはっきり覚えている夢で、一応起承転結になっているので、目が覚めてからワープロに書き残した。15秒ぐらいのムービーを作りたいなと思うような内容に、父はほろり。
夢の中ではなかなか良い感じに育っていたぞ。
娘が帰ってきたら、とたんに蒸し暑い我が家である。
娘のせいではなく、天気のせいであるが少し悲しい。
少し温かい風呂の水を浴びて汗を流す。
娘は東京の美容院で髪の毛を切ってきたのだが、
私はこの髪型が今ひとつ気に食わない。
思い切り、昭和の娘である。
それは、それで良いと言えば良いのだが、なんといっても前髪が気に入らない。揃っているのである。
まるで、クレラップの宣伝で
「偽者注意〜♪」
と歌っている女の子に似ているのである。
また、私が「偽者注意~♪」と歌うと、娘は嬉しそうにニコッと笑うのである。
これが悲しい。
◆
昼ご飯は、パスタ。
ベランダで育てているスイートバジルを使って、お手製のジェノベーゼパスタを作る。
冷やしたトマトを添えて、さっぱりした味わいで頂く。
うまひ。
ああ、私の祖先はどこかでイタリア人につながっているのではないかと思うぐらいである。
だらしなく、いい加減で、惚れっぽくて、情熱的で、怠け者で、楽天的で・・・。いや、それもそうかもしれないが、食事に関してはばっちり好みが合っている。
◆
土曜日の午後。
天気も少し安定しているので、久しぶりに娘とガーデンに行こうかな。
なんというか、それなりに激務だったからだろうか、遊びすぎたからであろうか。体重が4キロ減っている。このままのペースでいけば、結構良い感じになりそうだ。
私の周りの同世代の先生方は、次々とダイエットに成功している。私は最初から諦めているのだが、こうして少しやせるとちょっと嬉しい(^^)。
◆
京都駅まで娘と奥さんを迎えに行く。
ホームまで行こうと思ったのだが、タッチの差で間に合わず改札口で。娘は私を見つけて喜び、そして照れる。
二週間ぶりで、ちょっと成長したなあと思う。
奥さんによれば、この二週間は外に出れば抱っこ抱っこだったそうだが、そんなこともなくとても嬉しそうに私の周りを回り、見つめているとのことであった。
父は嬉しい。
◆
伊勢丹であれこれ買い物。お酒のコーナーに行く。
すると、プレミアムモルツビールのコーナーに行った娘はこれを指差して、
「ぱぱぁ、ぱぱぁ」
と叫ぶ。いやあ、いつも飲んでいるのを覚えているのね。大したもんだ。
◆
折角片付けた部屋は、あっという間に娘によっていつも通りになる。
また、娘のいる生活が始まったんだなあと思う。
外は、雨。
ちょっと蒸し暑い。
ジンライムを作って軽く、お帰りと挨拶だ。
仲間のブログを読んでいると、通信簿が終わったとか面談真っ最中とか、いよいよ今週でおしまいとか書かれている。そうである。東北北海道を除いて、多くの小中学校は今日で終わり。夏休みに突入である。
◆
しかし、あきらかに以前と違う夏休みへの突入の仕方である。リセットすることができない夏休みへの突入という感じである。
もちろん、この夏休みは教員のためではなく、生徒のためにあるというのだが、サービス残業しまくりの教員にとって、それを埋め合わせる機会が夏休みだったわけで、それができなくなっている現状はまずいと考えている。
◆
そういう私の夏休みは、いつなのだろうか? 授業は7/29までびっしりとあります。今年は今までにも増して忙しい夏である。
9月にならないと二日続けて休みがあるのはお盆だけということになっている。明らかに中学校の時よりも忙しい。講座や講演会関連だけで八日間。さらにこの打ち合わせ。ディベート甲子園に集中講義にゼミ合宿。その他諸々。
でも、少しは遊びたいよねえ。だから、益々忙しくなるf(^^;。
◆
父の入院もあったので、娘と奥さんは東京に三週間いたわけで、実家で過ごすことで少しは休みになったかなあと思う
私は、学生たちとあれこれ過ごしたことで乗り切ることができたということかな。久しぶりの独身であったが、結構まだできるじゃんということを確認することができたな。
私は私で、この三週間で生まれ変わったかもしれない(^^)。
◆
とまれ、小中学校では一学期が終わります。
関係各位のみなさま、お疲れさまでした。
7/16-2
忙しい一日であった。
一限にゼミ生の指導。月曜日のゼミでの模擬授業の指導案、または授業アイディアの相談に乗る。三人分で90分である。
二限に国語科教育法。試験問題の作成の仕方、さらに採点の仕方などの指導。実際に問題を作らせてきて、解き合って、採点を体験させた。採点一つとっても結構奥が深いのである。
◆
昼ご飯は、朝自分で作っておいたおにぎりを頬張る。残念ながら一つでは足りなかったので、生協でもう一個買って車に飛び乗る。移動しながら出なければ昼食は無理と判断していたので、おにぎりであった。信楽の奥の方の高校で13:30から模擬授業なのである。
第二名神高速道路を走らせて、授業開始5分前に到着。ふう。二コマ終わらせて、トンボ帰り。でも、睡魔が襲ってきたので草津PAで仮眠。さすがにこの睡魔は危ない。20分寝たら随分楽になった。
◆
今日は祇園祭の宵山である。混んでいるだろうなあと思いつつ、まあ写真でもとりに行こうと思ってゼミ生に声をかけた。行ける人は行こうと。
ということで、ゼミ生と宵山であった。今日まで独身なので、思い立ったらすぐに動けるのである。動けるうちに動いておくことが大事。振り回される学生たちは迷惑かf(^^;。遊んでもらっている感じだなあ。
ただ、来年の今頃は採用試験真っ盛りなので、行っている暇などはない。今年が最後なのだ。だから引きづりまわすのである。
◆
帰宅後は、シャワーを浴びてバタン。
明日は娘が帰ってくる。
午前中は部屋の大掃除だな。
7/16
涼しい風が部屋を通り抜ける。ぐっすりと寝て起きる。
今日の授業は2限からなのだが、1限に模擬授業の指導案指導を入れたので、通常より2時間早く始動である。
朝焼けが奇麗だ。
元気を与えてくれる、朝日だ。
さ、今日もいろいろあるぞ。
乗り切ろう。BGMは当然、これ。
7/15
研究入門ゼミでは、企画書の書き方について講じる。さらに、企画を具体化するためのあれこれについても講じる。
昔、畑正憲さんの本を読んでいてこんな言葉を見つけた。
引用開始 ーーーーーーーーーー
アイデアを出すだけでは駄目であり、それを実行していくのは別の才能なんだよ。『ムツゴロウの人生読本』
引用終了 ーーーーーーーーーー
実にそうだと思う。だから、企画書の書き方と企画の具体化なのである。
◆
私が現場にいた時に携わった企画について、学級、学年、学校という三つの範囲での企画の実例と、その実現方法について資料を見せながら説明した。
通常は、二回生の特別活動論で見せる資料なのであるがこの特別活動論は、中高の免許を取るための授業で、児童教育学科の学生は中高の免許を取らない限りは、受講しないのでこの段階で見せることにした。
教員になってからいきなり学校全体の企画をまかされることはないと思うが、若者だらけの現場では二三年目からまかされることもあるやも知れない。そういう意識で教員養成の現場は授業を作る必要があるだろう。
学生たちは、自分の中高のときにこういう進行表を先生から貰っていたのを思い出し、そしてそれをこれから自分が作るのだということを思い、武者震いしていた。
◆
会議を一つやって、採用試験に向けて勉強している四回生に、一声掛けいったん家に帰る。
こういうときは家が近いのが便利だ。
部屋を片付けてから、再び京都駅に向かう。豚インフルエンザの影響で延び延びになってしまっていた大学の歓送迎会があったのだ。
京都駅から20分ほど歩く。暑いかと思いきや、風が心地よかった。これなら良い散歩だ。
思った以上に料理がおいしくて、食べ過ぎてしまった。
帰りもタクシーは使わないで、歩いて駅まで。いや、家まで歩かなければならないぐらいのカロリー摂取であったが、ま、それは検討事項ということでf(^^;。
7/14
教科教育法国語では「話す・聞く」をテーマに、同授業を作るのかを講じる。「話す・聞く」は特に実際にやってみることが大事なので、ワークショップ型で授業を構成する。
やっぱり、声を出すのは楽しい。
学生たちも、ノリノリで授業を受けていた。
小学校三年、四年でやる内容なので、
『実習でできるかもしれないから、別に一枚ワークシートを用意しておいたからな』
と言うと、拍手が起きる(^^)。
今度は、君たちが子どもたちを楽しませて、力を付ける番である。
◆
授業後、徳島からのお客さんとあれこれ話す。私の授業も見ていただいていたので、それについてもあれこれと。
その後、ゼミの学生たちも一緒に、食事会。
やはり、日本を代表する企業の部長さんは違う。いろいろな人脈の話題から、物事の核心に至る話まで。
でも面白かったのが、私が日頃話していることと同じことがあれこれ出てきたことだ。まるで打ち合わせをしていたかのような感じであった。
こういうところでの話は、びっくりするような話題が出るものだ。大いに勉強になったことだろう。
◆
この夏は、講座、講習会であちこちに出かけて行くことが多い。できれば、学生も一緒に連れて行ってあげたいものだ。そうして、現場で学ぶ先生方の姿も見せてあげたいものだ。
7/13
朝から琵琶湖は青空。確か天気予報では雨だったと思うが。
風が結構強い。
低いところにある雲がどんどん北へと流されて行く。
私は風呂上がりにその風をベランダで感じている。
うむ。気持ちが良い。
◆
そこに電話。娘が早起きしたようで、電話をかけてきた。慌ててテレビ電話に切り替え
る。
「ぱぱ~~~」
とオクターブの高い声で呼びかけてくる。そして、縫いぐるみやらオルゴールやらを持ってきて私に見てくれようとする。チューまでしてくれようとしている。実に可愛い。
今のところ娘は、天真爛漫である。
病院で娘の事を見た私の母親は、
「まあ、どうでしょうあの天真爛漫なこと。誰に似たのかねえ」
と言う。親戚縁者の誰に聞いても、心当たりは無いという。
いいじゃないですか、誰に似ていなくても。
このまま育ってほしいと思う父である。
◆
食事後、ベランダに植えてあるミントの葉っぱを取ってくる。
カップに入れて熱湯を注ぐ。
ミントティーである。
一服の涼である。
◆
大学へは非常に気持ち良く到着。家から大学まで10の信号があるのだが、今朝は全て青であった。一回も停まらなかった。こう言う日は滅多にない。気持ちよい。
ゼミでは、二回目の模擬授業。先週の三人よりも少しハードルが上がる。指導案についても前回指導したことを前提に始めるので、書く方もちょっと大変になる。
今回の模擬授業を通じて、気になったのは
・子どものつぶやきを拾えない
・指示の徹底ができない
・まとめで、授業をまとめない
ということである。
ま、これは学生だけではなく、ある程度経験を積んだ教師であってもなかなかできないこともある。
◆
つぶやきを拾うというのは、とても大事なことである。授業に関する子どもの本音が出ているからである。ここを授業の本体に取り入れなければならない。ところが、学生はこれができない。恐らく三つの理由がある。
1)つぶやきが聞こえていない。
2)つぶやきは聞こえているが、指導案が大事。
3)つぶやきは聞こえているが、そのつぶやきへの対応が分からないので、スルー。
一言で言えば、授業の準備ができていないから受け入れることができないということだろう。しかし、折角子どもの本音が溢れたのである。これを拾って、授業に生かさなければそれは、授業ではないと私には思われる。
◆
たとえば、ある学生は模擬授業でゲームを取り入れた。その際、時間の指示をしていたのが、これを守らずにやり続けるグループに注意が出来なかった。また、ある学生は朗読の指導をする際、正しい朗読の姿勢を指示してやらせているのに、途中からいい加減な姿勢になっている生徒役の学生に対して、何も注意をしていなかったのである。
これは、
(あの先生は、一応何か言うけど、守らなくても良いんだな)
ということを子どもたちに教える。結果的に教えている。ヒドゥンカリキュラムである。人間は実に自分に都合の良いように物事を判断するものである。だから、授業では学級経営では、その自分に都合の良い判断が入らないように、指示を徹底しなければならないわけである。
◆
授業の最後にまとめを設定している学生。予め用意したまとめを読み、授業の展開に触れていないものがった。
模擬授業で、生徒役の学生たちが、指導通りに活動して結果も出しているのにその事には触れることなく、予め用意してあった指導案の文言を読んでいるのである。
目の前の子どもの向上的な変容を捉えて、評価することはかなり重要なことである。授業の事実から子どもたちは学ぶのである。これをスルーするのは、懇親会のない研究会のようなものである。
◆
その後、面談、お習字教室、授業の課題のチェックやらなんやらを続ける。
◆
夜は久しぶりに市内に出て、ラーメンを食べる。お気に入りのラーメン屋さんに出かけたのだ。
で、出かけたついでに北野天満宮にも向かう。今年採用試験を受ける知り合いや学生たちが合格しますようにと、お願いをしてきました。
採用試験、がんばれよ。
7/12
豚インフルエンザの影響で休講になった大学の授業。その補講を本日行う。日曜日に大学で授業。ま、私はほとんど土日はなんらかの仕事が入っているので問題はないが、学生たちはやっぱり大変だろう。昨日の夜のバイトの疲れが出てか、眠りそうになる学生もいた。もちろん、起こしたが。私だって、昨日はあれこれ頑張ったんだからねえ。
◆
授業は句会。
この句会をしっているかどうかというのは、とても大きな違いになると私は考えている。句会は、評価と指導がちょっと大変なのだが、句会方式を知っておく事はとても意味がある。今日は本当は二句で句会をやる予定であったが、学生たちに作らせた俳句が、俳句になっていないので、やっぱり俳句の成立に関する説明をすることになる。一句だけで句会の実施である。
いやなに、学生たちを俳人に育てようと思ってやっている訳ではない。もちろん、なってしまってもいいがそれが目的ではない。私の授業の目的は
1) 俳句、句会方式を理解する事
2) 言葉に対して繊細な感覚を持てるようになる事
3) 季節感を手に入れる事
である。
これらを手に入れることは国語の授業をするためにとても大切な事だと考えている。言葉を丁寧に吟味する。その吟味のどだいの一つに季節感がある。だからである。
ちなみに二つのクラスで選ばれた俳句の中で、私もいいなと思った作品は、次の二句である。季語はプール。
・溢れ出す 涙をプールで ごまかした
・壮大な 空のプールに 吸い込まれ
二句とも作者は、私のゼミの学生だったのが、私としては密かに嬉しいf(^^;。
◆
授業後、建仁寺へ。
書道部の学生たちの作品展があるのである。授業をうけている学生たちから招待状をもらった。30分ぐらいしか居られそうにも無いが、慌てて出掛ける事に。広い境内の離れで作品展は行われていた。暑い京都の町ではあったが、涼やかな風が通り過ぎる心地よい空間であった。桔梗の花が見事に咲いたお庭を愛で、学生たちの作品を楽しみ、優雅な午後であった。
◆
ただ、帰宅したら結構疲れが出てきた。
昨日終電を目指して走った影響か、足が張っている。まったく準備運動をすること無しにダッシュなんてしちゃ駄目だねえ。
心地よい疲れに包まれて、ダウンであった。
7/11
午後から大阪へ。稲田塾での特別授業に向う。
小学校三年生、四年生にコミュニケーションに関わる言葉の授業を依頼されていたのである。腹は括ったので、もうあれこれ悩まない。大阪に向う道すがら、授業の要所要所を思い出して確認する程度で良しとする。
◆
で、大阪に向う直前で思いついたのがアップルストアである。塾がアップルストアのある心斎橋のすぐ近くだったので、立ち寄る事に。私の愛機の右スピーカーからの音が聴こえないのである。ご案内の通り、私は右耳が良く聞こえない。だから、私が悪いのかと思っていたのだが、ジックリ聞いてみても音がしない。左耳で聞いてもしない。ということで、故障だろうと思って持って行った。すると、その場で確認をしてもらって、修理工場へ直行である。
幸いにして翌日の授業のために必要なプリント類は全て印刷してあるし、この二三日の授業に関しても大丈夫であろうという見通しが立った事とと、バックアップは丸ごととってあったことと、修理後は、直接家に発送してもらえるということが確認出来たのでお願いする。
確認してもらっている間、iPod touchを触る。いやあ、面白い。これ買っちゃおうかなあ。iPhoneもいいのかもしれないが、iPod touchだけで十分なような気もする。
◆
授業は子どもが15人程度。その保護者の方、さらには塾の幹部の方などが見学する中で行われた。90分である。こういうシチュエーションはなかなか無い。無いのでいい勉強をさせてもらったという事である。
佐藤学さんが、授業をする時は子どもの中に入るのではなく、子どもを教師の身体に入れて行う事が大事であると『教師花伝書 専門家として成長するために』の中で述べている。その通りである。子どもの方に向って行ってしまうと、向われた子どもはまあ、関係が出来るのであるが、その他の子どもたちは置いてけぼりにされる。だから、向うのではなく受入れるのである。
で、今回の授業は15人の子どもたちを受入れるだけではなく、保護者、幹部などの皆さんも私は受入れながら行った。いや、何か特別な話しかけをするとかいうわけではない。その存在を受入れて授業を行うのである。これが出来ると出来ないとでは、授業の質が変わる。そして、保護者、幹部などの皆さんを受入れる事が、15人の子どもの授業の展開にも違いが出て来るのだと私は考えている。
入るも受け入れるも、外側から見ると距離感は同じことがある。しかし、そのベクトルが違うのである。アウェイで授業をするとき、ここの部分を相当意識しながら授業を始める。
ただ、これが出来るようになるには、相当意識したトレーニングが必要でもある。聞くこと、待つこと、つぶやきを拾うこと、挙動不審な子どもが見えること。この辺りの気づきからだと思うのだが。
◆
終わってからは幹部の先生方と、授業に来られていたガハハさんらとおいしい食事。私が魚好きと知っていてのことだと思うが、おいしい魚料理屋さんへ連れて行ってくださった。岩ガキが絶品でした。
楽しく学べて、美味しい時間も。
前田先生、ありがとうございました。
タモリさんではありませんが、ちょっと休みます。私のマックの微調整です。修理に出しました。アップルストアの説明では、一週間もかからないとの事ですが、この間メールのやり取りが遅れます。
急用の場合は、私の携帯電話のアドレスにどうぞ。
宜しくお願いします。
7/10-2
朝から明日の講座の準備をしようとあれこれしているのだが、どうも進まない。こう言う時は、資料を揃えることが大事である。クリエイティブな方がうまくいかない時は、やれば出来ることを進めて、クリエイティブな部分に灯がともるのを待つのである。
待つのであるが、どうも午前中から眠気が襲う。熊に襲われたわけではないので、安心して襲われて寝ることにする。部屋の風が通り抜けるところに体にフィットするソファを置いて、足を琵琶湖に向けて寝る。
ああ、午前中が過ぎてしまった。
◆
で、午後は塩加減を失敗したパスタを食べた後、営々と準備に勤しむ。
勤しんだのだが、研究室にいくつか忘れ物をしてきてしまったことに気がつく。これがないと明日の講座が出来ない。
ううう。
夕方になって研究室に向かう。
折角来たのに、また明日の朝
(あ、あれもない!)
とならないように、一つずつ確認する。
よし。
大丈夫だろう。
◆
夜は、静かに和蠟燭を一本立てて、桃ビールを味わう。こないだの日曜日の誕生日会(って、もう一週間ね。早いなあ)でやった桃ビールが、桃の不出来により残念な結果になってしまったので、やり直しである。糖度11.5度でお値打ち品の桃である。これでダメなら、もう今シーズンは諦める。
あは、うまひ。
やはり桃ビールはうまひ。
そして、本当に静かだ。
対岸の噴水の音までも聞こえてきそうなくらい、静かな夜だ。
サマーキャンドルと桃ビール。
相性がいいかもしれない。
私が大学で顧問をしている三つのうちの二つめがこれである。
顧問をしているが、本当に学生に任せ、地域の人たちの協力の中で活動している。
それが新聞の取材を受けた。実は、いろいろな所で表彰も受けている。
何か大きなことをしているわけではない。いたって地道な活動である。が、そういう活動に光を当ててくださることに感謝である。
http://www.asahi.com/edu/news/OSK200907090077.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー
「子ども守り隊 守るんジャー」京都橘大生が下校見届け
2009年7月9日
下校する児童を見守る「守るんジャー」の学生ら=山科区の大宅打明町交差点
京都橘大(山科区)の学生ボランティア組織「京都子ども守り隊 守るんジャー」は、近くにある市立大宅小学校児童の下校を見届ける。
06年に結成。小学校教員を目指す学生が多い児童教育学科を中心に、約40人が所属する。大学の4限の時間が小学校の下校時刻と重なるため、授業がない 学生が通学路に立つ。住民と協力し、夜間パトロールなどもする。メンバーの恵美雅哉さん(21)は「大学周辺は大学生でも交通、防犯面で危険を感じる場所 が多い」と活動の必要性を語る。
6月のある日、3限の授業を終えた学生らはショッキングピンクの「守るんジャー」ポロシャツを着て大学を出た。着いたのは大宅打明町交差点。小学 校正門の西100メートルほどにあるこの交差点は、交通量の多い街道沿い。押しボタン式信号機があるが、子どもにとって危ない場所だ。
集まった3人は、児童らが近づくと押しボタンを押した。横断歩道の信号が青になると「横断中」の旗を車に示し、児童らをガード。「おかえり」「さようなら」と声をかける。活動は1時間ほどで終了し、3人は次の授業のため大学に帰っていった。
この日参加した瀧梨英子さん(21)は、「子どもが名前を覚えてくれたらうれしい」と活動の魅力を話していた。
引用終了 ーーーーーーーーーー
テレビに出ておいて、テレビ番組の紹介をしておきながら、いやあ、めっきりとテレビを見なくなった。本当に見ない。あんなにテレビっ子だったのに、見ない。この一週間で30分見たかどうかだ。
◆
何で見ないのか?
1) 時間がない
2) テレビがつまらない
3) 他にしたいことがある
4) ネットで満足
5) you tubeで満足
6) 娘にまだ見せたくない
7) 実生活の方が面白い
8) 騒々しい
9) 飽きた
10) インターネットラジオの方が良い
ま、いろいろと理由があるだろうが、ここに挙げたものは全て当てはまる。
すでに中学生の指導の現場を離れているし、無理にブームを追わなくても良い。むしろ、私ぐらいの年齢になると知っているよりも知らない方が、コミュニケーションが成立する。なんとなれば、知らない私を哀れんで、子どもたちが教えてくれるからだ。聞く耳さえあれば、オッケーである。
◆
あえてこの10個から3つ選ぶとすれば、2)、5)、7)であろうか。
2)日本と欧米に偏ったソースだけを流し続けるテレビは、つまらない。大リーグを知ってしまった、ワールドカップサッカーを知ってしまったファンのようなものである。世界中の情報が簡単に手に入る今、ジャパンローカルだけで盛り上がっている日本のテレビで満足できなくなってきているのだろう。
5)今のものも面白いのはあるのだろうが、過去の優れた作品で見逃したものを見ることの方が面白い。あのとき見ることの出来なかった、そう、ビデオがなかったので録画できなかった番組を、簡単に見ることができるなんて、やっぱりすごい。
7)「事実は小説より奇なり」ではないが、ノンフィクションの私の今が圧倒的に面白い。エキサイティングである。だから、わざわざ楽しませてもらわなくてもオッケーなのである。家では、クールダウンの時間を過ごしているのだ。
◆
「21世紀のテレビは、ニュースとスポーツだけになる」と昔本で読んだことがあるが、ひょっとしたらそれは私の中で始まっているかもしれない。
ただし、「タモリ倶楽部」は除くf(^^;。
7/9
国語科教育法では、日本の和歌の歴史を紐解きながら、俳句の成立までを講じる。そして、俳句とは何ぞやを講じ、さらに句会へと授業を進めた。ちなみに、
句会のやり方については、句会をしよう
~俳句をつくる、楽しむ、評価する~
というDVDを作ってあるので、興味のある方は参考にしていただきたい。
◆
で、句会の方式を知っていると、授業の幅は広がる。そんなに難しいことはないのだが、実際に句会に参加したことのある人は少ないだろう。
私とて、正式な句会に出たことはない。ただ、学生時代にアルバイトをしていた塾の先輩講師が、江戸時代の黄表紙の研究をされていたので、宴会の後に句会や連句等で遊んでいたぐらいである。
しかし、それが私の授業づくりの重要なベースに育って行くのだから面白い。句会における「座の文学」の考え方を敷衍して、私は教室における集団の文学としての、句会、書き込み回覧作文、学習ゲーム、ディベートと自分の指導を展開してきた。
クラスを学習集団として育てるとき、この「座の文学」の考え方を大事にしてきたのだ。
だから、俳句の出来不出来は取りあえず置いておくことにして、句会方式を学生たちに体験させたかったのである。
◆
句会は、作品と作者を切り離して、作品だけでその作品を解釈して善し悪しを決める。だから、思春期の子どもたちにとっては優れた方法だとも言える。○○が作った作品だからいい、ではなく作品だけで評価され、しかも、良い作品と評価されたもののみが名乗ることができるのである。
この句会には私も参加する。当然、私も名前は明らかにしない。私もガチンコの勝負となる。さらに、歴史上の有名人物の作った俳句も「豪華ゲスト」ということで紛れ込ませる。松尾芭蕉とか、夏目漱石とかの作品を一緒にいれて、楽しむのである。これはなんという贅沢な遊びなのであろうか。
関西青年塾でも先日、この句会を講座で行ったのだが、そこに参加していたN先生は、早速自分が担任する小学校で実践されたそうだ。すると、これが大盛り上がり。子どもたちはしょっちゅう句会をしているそうだ。そうなのである。実に楽しいのである。是非、あちこちでやってほしい実践の一つである。
◆
昼休み、3限とゼミ生の模擬授業指導案指導。
まだ頭の中にあるものが出きっていない感じである。だから、指導も隔靴掻痒のようなものになってしまう。授業者が自分がやりたいことが言語化できることが、授業づくりには大事なのだが、上手く言葉になっていない。ここを指導。
さらに、評価や学習指導要領との関係も指導。
さ、頑張れ。少しずつハードルは上がって行く。
◆
研究室で仕事を進めていたら、週末から採用試験を受け始める四回生たちがやってくる。私の『教師になるということ』を持って、サインを下さいという。ま、私の名前の一つでもあれば魔除けになるかと思い、書いてあげる。
すると、書いている側で泣き出す学生たち。どうしたことだ。
おい、俺の字はそんなに怖いかf(^^;。
「先生の字を見ていたら涙が出てきてしまいました」
泣いている場合ではない。
体調に気をつけて頑張れ。期待している。
◆
その後、やっとのことで『明日の教室』第五巻の校正が終わる。ふう。
重いテーマを抱えている第五巻である。校正する私もきちんと正座をして読むという感じであった。いえ、読者のみなさんは楽に読んでください。読者に負担をかけないようにするのが、編集、校正の仕事ですから。
で、重たいテーマではありますが、今まで取り上げられることのなかなかなかったテーマを取り上げています。若い担任の先生は、そしてまじめな先生ほど、何か問題があった場合は(自分が悪いのだ)と抱え込むことがあります。もちろん、全く問題がないということもないでしょうし、関係していることもあるでしょう。
しかし、相手は子どもであり、保護者であり、社会であるわけです。担任一人で何とか出来ることもあれば、何にも出来ないこともあるわけです。チームや組織や関係機関と解決しなければならないケース、解決できないケースがあるわけです。抱え込んではダメです。
ですが、私も若造の頃経験したのですが、そうは言っても、どういうときにどこに相談すれば良いのかが分からないのが若手教員なわけです。
・担任一人では解決できない問題がある。解決してはいけない問題もある。
・どこに相談すれば良いのか分からないのが若手教員である。
ここいら辺りに焦点を当てたのが第五巻です。
今しばらくお待ちください。
◆
その後、合計85通になるであろう学生の課題提出のメールを受け取りつつ、他のメールのやり取りをしつつf(^^;、結局今日も夕方までいることに。
今週も、いろいろとあった一週間であった。
明日はあさっての準備をし、土曜日からまた新たに始まる怒濤のような一週間に備えよう。
えっと、宣伝です。去年収録した番組が好評につき、再放送です。実際は、再再再放送だったかな? 良かったらご覧下さい。
プロデューサーからのメールです。
引用開始 ーーーーーーーーーー
「伝える極意」第7回の放送のお知らせです。
周りの方にも紹介して下さい。
よろしくお願いします。
「話して聞いて幸せになろう 〜話し合い〜」
本放送:平成20年7月 9日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
再放送:平成20年7月16日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
○内容
学校でよく行われる話し合い。
何かを決める時、どう話し合ったらいいのか、
京都橘大学の池田修さんが極意を教えます。
話し合うのは、熊本県阿蘇郡小国町立万成小学校の
5・6年生、全部で11人。
テーマは最近みんながやっているバレーボールについて。
「全員が楽しめるルールを作る」
これを目標に、話し合いを繰り広げます。
○池田流 感想文の極意
・はっきりとした目標を決める
・実さいにたしかめる
・だれかのためになる意見に耳をかたむける
○感想やご意見をお聞かせ下さい。送り先は2つあります。
1)番組ホームページ
http://www.nhk.or.jp/gokui/のご意見・お問い合わせへ
2)NHKのホムページへ
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html にアクセスし、
「メールでのご意見・お問い合わせ」の「メールフォームはこちらへ」から書き込んで下さい。
頂いた感想やご意見は、番組の作りにどんどん活かしていきたいと思っています。
※この番組は、インターネットでもご覧頂けます。
番組ホームページ
http://www.nhk.or.jp/gokui/の「番組をみる」をクリックしてください。
引用終了 ーーーーーーーーーー
7/8
今朝も早起きして、風呂に入り、朝から仕事である。
今週の国語関連の授業は、句会である。
句会は、作者と作品を切り離して、作品だけでその良さを評価する仕組みである。
中学校でやっていた時は、紙に作品を書かせてそれを集め、私はワープロに入力する方法で行っていた。大学では、メールで作品を送らせ、私がコピペで一覧にする。
そういうわけで今週末は学生からのメールがひっきりなしに届く。これを朝からコピペ、コピペである。
◆
その後、家を出るまで『明日の教室』第五巻の校正を続ける。
実は、締め切りが過ぎている。だが、なかなか進まない。
なんとなれば、第五巻は涙なくしては読むことができないのである。
優れた実践家は、みんなこうして重たい事実を背負いながら、受け入れ、抱きしめ、子どもたちと一緒に歩もうとしていた、歩んでいたことが、胸に響く。
第五巻のタイトルは、「 第5巻 担任一人で悩まない・抱えない」である。
ゲラを読みながら、今までのあれこれを思い出さざる得ない。涙せざるを得ない。そして、いま格闘している先生方に早く読んでほしいと思う。少しでも楽になれるのではないかと思う。
ではあるが、涙して進まないのだ。すみません。明日には、なんとか送ります。
で、やっぱりぎりぎりに家を出て、大学に向かう。
◆
入門ゼミは、大学祭で行う「橘ちびっ子ランド」の話し合い。地元の子どもたちを招いて、あれこれ子どもたちを楽しませる企画をするのである。だからして、私は学生に任せる。目的が決まっているのだから、私が介入しない方が良い。つい、話したくなってしまって私のカラーで染めてしまうことになる。
『何か相談することがあれば、研究室にいるから』
と言って、教室の前の研究室にいることにした。
もちろん、時々様子は見たが、彼ら彼女らに任せっきり。
これが大学であろう。
◆
で、ゼミが終わったとたん私は会議に走る。
昼休みの会議だ。あれこれあれこれ話す。
会議が終わって、会議室を出たら事務方に呼び止められた。
「先生。先生のゼミのゼミ長が至急、××に先生に来てほしいとのことです!」
『はあ? なんだろう。まだ食事もしていないのに。私を呼び出すなんて100万年早いなあ(^^)』
と言いながら、言われた場所に。
すると何やら怪しげな雰囲気。
やられた。誕生日のお祝いであった。
教室はデコレイトされていて、色紙とプレゼントの帽子を貰った。
クラッカーで祝ってもらい、歌まで歌ってくれた。
やられた。
今年の一回生ゼミは、大きな声を張り上げて怒ることもない。大きな反応があるわけでもないが、届いているという思いはあった。
大学に移ってこんなお祝いを、一回生から貰えるとは思わなんだ。
ありがとう。
◆
その後、面談、会議、会議、会議であっても、嬉しい私であった。
7/7
五時前に目が覚めた。どうやら晴れているようだ。ならば、と早めに起きる。
琵琶湖の朝日が美しい。
蒸し暑い日々が続いているが、この朝の爽やかさはなんともいい。
テラスの花に水をやり、まず、深呼吸である。
その後、今日の授業の最終確認。
確認をしていたらアイディアを思いつき、仕事も思い出した。
これらをせっせと行う。
そんなことをしていたら、八時を過ぎていた。いかん。あわてて家を出る。
◆
本日は、教科教育法国語で、体験作文の第三講である。相互評価の書き込み回覧作文の実際と解説である。
学生たちは先週出したテーマを元に作文を書いてきている。それを書き込み回覧させた。
十五回しかないこの授業で三週間に渡って、作文指導の指導方法について講じてきた。たっぷりと行った。だが、恐ろしいことに、学生たちは原稿用紙の使い方は指導されてきても、作文の書き方は指導されてきていなかったのである。人生で初めて作文の書き方の指導を受けたという学生ばかりであった。なんとか、小学校の段階で、体験作文が書けるように指導をしてほしい。
「ああ、作文って楽しいなあ」
と子どもたちが呟くような授業をしてほしい。
そのための指導を重ねて来た。
今年の分は、これで終わった。
ほっと一安心である。
だが、これで今日は終わりではない。
学生の書いてきた作文に目を通し、面談をし、相談に乗り、さらに今日は六限の授業もあるのである。教育実習2。教育実習報告会である。
◆
私はこの教育実習報告会を楽しみにしている。
一年間指導を重ねてきた学生たちが、教育実習に行き、その成果を後輩に伝えてくれる時間である。今年は5人が報告してくれた。実習中にヘルプのメールを出してきた学生。とても充実しているとメールしてきた学生。メールを出す時間もないぐらい書け続けていた学生。そんな彼女らが、20分で報告してくれた。
スピーチは、きちんとラベルを貼り、ナンバリングをし、前をしっかりと向いて、明るく明瞭な声で行われていた。私は、彼女らがサヴァイブした実習で、より多くの力を付けてきたことをとても嬉しく思った。一年前に、先輩たちの実習の報告を聞きながら
「大丈夫なのでしょうか、私たち」
と行っていた彼女らがである。
なんというか、上手い例えが思いつかないのだが、放流したシャケが帰ってきたと言うか、士官学校で鍛えたメンバーが戦いから無事に帰ってきたと言うか、そんなような感情を抱くのがこの時間である。彼女らのスピーチから出てきたのは、いつも私が口をすっぱくして言っているようなことであった。授業で伝えたことが理解となり、実習を通して納得に変わったのだとすれば、嬉しい。以下に彼女らから後輩へのメッセージの一部を載せる。
・生徒は、自分の都合の良いところと悪いところを使い分けている。誤摩化されてはいけない。
・子どもの違う面を見るためにも、部活動に行け。
・実習では「準備していないので出来ません」とは言えません。
・パニックになっても、安心して。池田先生にメールを送れば大丈夫。
・メモをしっかりと取れ。
・時間を上手く使うこと。空いた5分が大事。
・先生なので、焦っている姿は見せてはいけない。
・研究授業の前々日に、39度の熱が出てしまったので、一日だけ休みを頂き点滴をしながら指導案を練った。
・板書の力、メモの力を付けておくこと。
・準備は早めにやること。教材も揃えておくこと。地方には100円ショップがない。
・備えあっても憂いあり。
・想定問答集を作っておこう。
・時間は限られている。優先順位を付けて指導をしなければならない。
・発問は、池に石を投げて波紋が広がるようなもの。たくさん投げ込むと、波紋がぶつかり合って、生徒は迷走する。
・教材研究は、まず自分がじっくりと読み込んで自分の違和感を見つけることから。えらい先生の論文は今読むこと。
・生徒は楽しそうなことに引きづられる。楽しい授業を。
・池田先生のご指導。メモ、板書、和綴じ本。大変だと思うけど、これで乗り切れるから、しっかりね。
『どうだ? 先輩たちは生き生きしているだろう。仲がいいだろう。実習は実習校では一人の時もあるが、実はこうしてチームワークで乗り越えているんだぞ。前向きに取り組もうとしている諸君であれば、大学も私も面倒を見る。それは心配するな。必死に授業と授業課題に取り組め。先輩たちを見れば、大丈夫なことが分かるだろ。しっかり励むのだぞ』
私も励ました。
◆
授業が終わってキャンパスに出たら、七夕行事が行われていた。キャンドルに灯をともし、ブラスバンド部のアンサンブルがなかなか良い曲を奏でていた。
今年から始まったものだ。
なかなか美しい夜であった。
嬉しい一日だった。
7/6
専門ゼミは、模擬授業第一回であった。
指導案を作成させ、事前指導を行い、そして本日の模擬授業である。
15分間で一つの主題を扱って授業を行う。導入、展開、まとめを行うのである。その後15分間で私が指導。つまり、一人の持ち時間は30分。三人の学生を90分で指導である。
◆
結論から言うと、ぼろぼろであった。
もちろん、ところどころにきらりと光るものは認められる。だが、
1)教材研究不足
2)子どもの反応の予測不足
3)授業構成不足
この三点が見事に欠けているのである。前に立つことで上がってしまったり、子どもの反応を見ることができなかったりして、流すだけの授業になったり、説明の順番をごちゃごちゃにしたり、概念の程度の違う言葉を混同して使ったりと、まあ、指摘することがたくさんある模擬授業であった。
◆
授業後、そうはいっても頑張っていたので、一緒に食堂で昼ご飯をとる。私は昼ご飯は一人で取るタイプである。給食指導の反動か、昼ご飯ぐらいは一人でゆっくりと取りたいという思いがあるのだと思っている。
ではあるが、今回は一緒に食べた。もちろん、彼ら彼女らが一人で食べたいと思っていたかもしれないが、一緒に食べた。
疲れているのと落ち込んでいるのが分かるので、まあ、慰めるということでもないが、一緒に食べた。
『どうだい、リベンジしたいかね?』
「はい!」
とすぐに答える学生もいた。ほう、なかなか見込みがある。
彼ら彼女らが、授業づくりの山の一歩目を踏み出したのか、授業づくりの底なし沼に一歩目を踏み入れたのか、私にはよくわからない。ただ、いままでの大学の授業とは違う世界に入り込んだと感じているのは確かである。そして、自らをさらに高めようとし始めているのも感じた。
私はそんな彼ら彼女らを見ているのが、とても嬉しい。
来週からの諸君も、ま、頑張れ。
◆
食事後、研究室で仕事をしていると学生たちの訪問。来週の模擬授業をするメンバー、教員採用試験勉強をしているメンバー、教育実習が終わったので報告に来る学生、学科の面談をしにくる学生。
その間に、メールであれこれ。
◆
夕ご飯は、昨日作りきれなかった食材で調理。
そういえば、作ることに集中していてあまり食べなかったかもしれない。一匹残っていた「いさき」を使って調理。
明日も残りの食材で夕ご飯だろうなあf(^^;。
今週も、忙しく充実して始まったなあ。
7/5
朝風呂の中で昨日の河原先生の余韻に浸る。この時間がいい。昨日と今日とが一つになる。風呂の中で体を揺らしながら、過去と今が解け合って、次の一歩を踏み出す準備が始まる。
◆
風呂から出たら、東京から電話。奥さんと娘がお誕生日おめでとうを。もちろん、娘はパパ、パパだけだがf(^^;。しみじみ嬉しいものだ。
◆
午前中は部屋の掃除を中心に行う。掃除機をかけて床を水拭きし、窓と網戸を洗って、テラスをデッキブラシでこすり、洗濯物を畳み、台所を整えと、結構な家事を行った。
今日は私の誕生日で、ゼミ生たちがお祝いをしてくれるというのだ。花火大会以外でお客さんを呼ぶのは、久しぶりである。
◆
お昼過ぎに、準備を手伝ってくれる学生がやってきて買い出しに向かう。今日のメニューの流れを頭の中でイメージしながらあれこれ買い込む。
昼間にしか来れない学生がやってきて、前菜のパスタを一緒に食べる。キャベツとアンチョビのパスタだ。食前酒にはボンベイサファイアを使ったジントニック。今日はしっかりと生ライムもある。とても蒸し暑い午後であったが、こういうときは蒸留酒の食前酒がぴったりである。
だが、パスタの味が今ひとつ味が決まらないf(^^;。もう少しアンチョビを入れるべきであった。残念。
さらに、桃ビールもガッカリ。桃のグレードが良くなかったのだ。これはリベンジせねばならぬ。
◆
昼間の学生と入れ替えに、夕方からの学生たちがやってきた。豚バラの串焼き、スモークサーモンのサラダ、白身魚のガーリックオイルがけ、オクラのナムル、刺身と続く。
この間、プレミアムモルツから始め、ヒューガルデン、銀河高原ビール(ヴァイツェン、ペールエール)、シメイトラピストビール(赤、白、青)とビールの種類をあれこれだし、日本酒は獺祭とした。
ま、この人数でのおもてなしとしては、頑張った方かな。出した料理は全て完食であったからなあ。学生は大事にしなければならない。ましてゼミ生であるからねえ。
◆
その後、彼ら彼女からのお祝いをもらい、ケーキを食べ、お開きとする。片付けも率先して学生たちがやってくれた。
「先生、もう一度みんなでやりたいです」
「先生のお料理教室を開いてください!」
「Macintoshの講座も開いてください」
「俺はこんな家に住みたい!!」
「今度はお泊まり会をしたいです!!!」
はいはい。
出来るところからやりましょう(^^)。
幸せな誕生日をありがとう。
7/4
朝、7:52の京王線で京都に向かう。新幹線の予約をしていなかったので、ちょっと早めに出て新宿で指定をする。N700であるf(^^;。
みどりの窓口が混んでいたので、間に合わないかと思ったが、なんとか品川発に切り替えて、乗り込むことができた。ぎりぎりの連絡である。ホームに到着して2分後に新幹線がやってきた。
が、このぎりぎりの連絡ができるのは、日本の電車が時刻通りに動いているからである。乗り換え時間が5分とか、7分とかの単位で計算できるからこれが可能なのである。時速300キロ近いスピードでか飛びながら、なのだから冷静に考えると凄いことだ。
車内の検札が終わったので、デッキに移ってタクシーの予約。大学までタクシーで移動しないと間に合わない。MKタクシーは便利。山科駅に到着予定時刻を告げて、予約完了。禁煙でゆったりと乗れるのは、有難い。しかも安いんだからねえ。
ともあれ、これで今日のスケジュールの一歩目はクリアである。
◆
大学では「明日の教室」である。今日は東大阪市の中学校教師である河原和之先生。私とは、NHK教育テレビ「わくわく授業」つながりである。社会科の授業で、ネタを通して授業をしていらっしゃる。その「ネタ」とは何なのかを具体的に講じていただいた。
この場合のネタは、社会の仕組みがわかるものである必要があると河原先生は仰る。むべなるかな。私は先生の講義を聴きながら、
(ネタは、主張の証拠だな)
(ネタは、ストーリーだな)
と考えていた。
ネタ、というとその内容の面白さや、奇異性が重視される感じがある。しかし、河原先生のネタは違った。あくまでも授業の構成の中の一要素でしかないのである。だからネタだけ手に入れても、授業が成立しないことも充分ありえるのである。
これは、寿司屋がそれこそ新鮮な「ネタ」を手に入れたとしても、下ごしらえができなかったり、きちんとしたシャリを用意できなかったりすると寿司にならないのと同じであろう。このことを強く感じた。
◆
また、どうしてネタを発見できる先生と、出来ない先生がいるのかにも興味があった。恐らく河原先生レベルになると、世の中を見回しているときに、ネタになるものは向こうから目の中に飛び込んでくるのだと思う。そして、その瞬間に授業のストーリーが見えて、試験問題までもが見えるのだと思う。
だが、それはどうしてなのだろうか。
一言で言えば、経験とカンであろう。先生もそう仰っていた。しかし、それは実践家としてはそれで十分なのだが、若い教師がこの先生の授業スタイルを学ぼうとする時、少し分かりにくい。私はその辺りを説明していただけないかと難しいお願いをした。
河原先生はそれに答えてくださろうとしてくださった。ありがたいことだ。自分の授業スタイルをメタで認識しながら説明するってのは相当難しい。これをお願いする方もお願いする方だが、答えてくださる先生はさすがであった。
◆
その後、懇親会に向かう。
今回は、栃木の名酒「美田鶴(みたづる)」を持参してである。グレードは、「播州山田錦 斗瓶取り 純米大吟醸無濾過生」だったと思う。残念ながら京都では手に入れる場所が分からないので、東京の馴染みのお店にインターネット経由で注文したものである。
あは、うまひ。
◆
二次会まであれこれと話を続ける。
朝、東京にいたことが信じられないくらい、教育の話を続ける。
馬鹿みたいに、教育の話である。
そう、馬鹿みたいで良いのである。
こんなに教育について熱く興奮して語れる仲間たちがいることが良いのである。
終電で無事に帰宅でありました。
◆
八月は、教育研究会の全国大会や校内研修会、さらには教育委員会研究会などでみなさんお忙しいので、明日の教室はお休み。次回は、9/20に滋賀は雄琴のオーパルでカヌーに乗ります。4時間ぐらい乗って、ジャグジーと弁当がついて、2000円です。凄いなあ。
琵琶湖の上に広がる大空を独り占めできます。
お楽しみにどうぞ。
7/3
『いてええぇ!』
久々に娘のキックを受けた。眉間に受けた。娘の寝返りのキックである。娘は手をお母さんに伸ばし、足で私の存在を確認しながら寝る。そして、時々キックを見舞ってくる。
しかし、今朝方のキックは強烈であった。半日ぐらい痛かった。一週間ぶりに会ったので、このぐらいのキックになるのであろうか。
◆
奥さんの実家に泊めてもらった。娘も駅まで迎えにきてくれたのだが、最初は久しぶりに見る私に、嬉しさもありつつ照れている様子。可愛いなあ。
ではあるが、家に着いたときにはもう全開であった。久しぶりにお父さんになる。
その結果が、眉間にキックを受けることになるのである。
◆
午後から父の見舞いに。前日に母から相当言われていたので覚悟をして病室に向かう。すると、ICUは脱出し、一般病棟に移ったとのこと。良かった。順調である。
病棟では、おとなしくしている父に対面。まだいくつかのチューブが体にあるが、思っていたよりは全然良かった。ただ、まだ痛そうだ。
父の手を久しぶりに握る。母から、冷たくなっていると言われていたのでさすって温めようと思ったのだが、いやいや温かい。良かった。握りしめるだけの握力もあった。担当医の巡回時には、笑顔も見せることができた。
◆
しかし、当然であるが話す声には力がない。だから、そばに行ってじっと耳をこらして聞く。大事なことを言いたいのだろうなと思って、真剣に耳を澄ます。
「メロンは大丈夫か?」
(メ、メロン?)
なんのことかと思えば、毎年田舎らから送ってもらっているメロンがそろそろ滋賀の家に届く。だから、いつまでも東京にいるとそのメロンの一番美味しい時期に家にいないことになりやしないか、というのである。
うーん。大きな手術をした後なのだから、もっと凄いことを言うのかと思ったら、メロンである。これは、
1)手術は成功し、本人は日常生活モードになっている。
2)動転し、もっと大事なことを忘れている。
3)メロンこそが、父親の大事な思いである。
などのあれこれが頭の中をよぎる。
恐らくどれもであろう。今年のメロンは大事に食べようと思った。
他にもあれこれ名言があるのだが、それは書かないでおく。
◆
見舞いの後、母親と一緒に軽い食事。母は忙しくて昼ご飯を食べていなかったとのことなので。元気な母だが、あれこれ疲れているだろうし、お茶でもと思っていたのでちょうど良かった。
でも、こちらが体調を心配する前に、私の体の様子を心配してくれる母であった。母はいつまでも母なんだなあ。誕生日おめでとうとも言われるのであった。なにをおっしゃいます。生んでくださいましてありがとうございます。
◆
その後、奥さんの実家で私の一足早い誕生日お祝いをしてもらう。これもありがたいことだ。
明日の帰りの新幹線の時刻表等を確認して、早めに寝る。
7/2
(よし、N700だ)
ぎりぎりで間に合った新幹線。Macの電源確保と乗り心地を考えると、やっぱりN700なんだよなあ。
◆
久しぶりに東京に帰る。父親の見舞いだ。割と大きな手術をした父。授業の関係で手術そのものは見守れなかったが、幸いにして週末に授業がないので一泊二日で東京に帰る。
ま、そうはいっても今日は午前中に国語科教育法1があった。今日はスピーチの指導に関してである。
1)群読
2)ことわざスピーチバトル
3)ショウ&テル
を中心に行う。3)では、スピーチ指導の際に多くの先生が困難だと思われる「評価」も体験してみる。規準を決め、基準を決め限られた時間で評価をする。
作文などの評価は、ま、じっくりと見直せば良いのだが、スピーチはこれが無理である。やり直しは不可能である。できないからやらないなんてのは、プロとしては許されない。やるしかない。だから、練習なのだ。
それにしても3)のスピーチは良かった。学生たちには、持ってこられる小さな宝物を持参するようにと指示を出しておいた。その宝物を元に、自己紹介のスピーチをするのだが、なかなか良かった。
始めに自分の名前、そして、宝物と自分の関係を話し、最後にもう一度自分の名前をフルネームで言う。これだけで立派な自己紹介になる。
その宝物と学生の間にある物語を聞くと、へーっとなることばかり。
「物語というのは、物が語り出すから物語というのだ」
昨日に引き続き竹内先生の言葉である。
こういうのを見ていると本当だなあと思う。
◆
昼休みは研究室でゼミ生を指導。月曜日のゼミで三人が一人ずつ15分の模擬授業を行う。90分の授業なので、15分の模擬授業、15分の検討。これを3セット行うのである。
基本的には、追試を行わせる。糸井先生の授業、赤坂先生の授業などに挑戦しようとする学生たちである。指導案のメモを見つつ、食事をしながらの指導であった。
初めての国語の授業づくりということで、どんな風になるかなあと思って指導案メモを見た。予想通りであった。
・うまくいくのを前提に授業づくりをしている
のである。指示を出したらきちんと動く。説明をしたら分かる。発門をしたら答えるということを前提に、授業案が出来ているのである。
『で、ここで分からなかったらどうするの?』
『残りの3分で、10人が手を上げたらどうするの?』
『では、こういう答えをしてきたら? 君の指導のストライクゾーンから外れた答えだと思うけど』
指導案メモを見ながらあれこれ確認する。沈黙する学生たち。そして、この実践をされていた先生方の凄さを、リアルに感じる。
この繰り返しの中で、学生は力を付けて行くのだと思っている。そして、学生だけでなく、若い教師もである。三回生になって、やっと授業づくりの入り口に辿り着いた彼ら彼女らである。
◆
で、慌てて制限速度を守って家に帰り、14:09に大津京駅を出て、14:32に京都駅でN700のぞみ新幹線に無事乗車であった。
◆
新幹線の中では、明日の教室本4巻の前書きの原稿。名古屋を過ぎた辺りで書き始めて、熱海辺りで出来上がった。なんだ、やれば出来るじゃん。次はどこかのホテルに缶詰にして頂きたいものだ。
ま、理想を言えば、憧れのお茶の水「山の上ホテル」ですね。
高い理想だなあ。
◆
八王子に向かうので、新横浜で下車の予定。で、何気なくチケットを見たら「京都 → 東京」となっている。しまった。間違えた。「京都 → 新横浜」のチケットのつもりで、帰りの「東京 → 京都」のチケットで座席を指定してしまっていた。
車内検札に来た車掌さんに聞くと、新横浜駅で相談してくださいとのこと。うーむ。
だが、事情を説明したところ上手いこと調整してくれた。早く気がついて良かった。1000円にも満たない金額ではあるが、わざわざ無駄にすることもない。
◆
八王子の用事を済ませて、奥さんの実家に着いたのは、20時前であった。ああ、よく働いて動いた一日でした。
7/1
一回生の合同ゼミでは、児童教育学科の学生たちの後期のコース分けに向けてのガイダンスを行った。
私は児童教育コースの説明をする。これがなかなか難しい。いや、児童教育コースの説明だけであれば、さほど難しいものではない。なんとなれば、今やっていることとこれから目指している学科の方向性を話せば良いからである。
しかし、私はそれだけではダメだと考えている。そもそも働くってことはどういうことか。教職に就いて働くということはどういうことかを理解させる必要があると考えている。
さらに、自分の適性に合ったコースを選ばせたいと思う一方で、人生は不条理であり思った通りにならないことが一般的であるという観点から、例え思った通りのコースに進めなかったとしても、それが人生であるということも話さなければならない。
矛盾した内容を、説得力を持って話すということが求められるガイダンスなのである。だから、私は
『矛盾した内容を話します』
と前置きした上で、あれこれを話し、その矛盾した部分の折り合いは各自がつけるようにと話したのだ。
「運命は自らが背負ったときに、開ける」
恩師、竹内常一先生の言葉だ。齢を重ねるたびに、響いてくる言葉だ。
学生たちに、誤解が少なく伝わっていればと思う。
◆
コース分けの面談を進める。これで20人終了。あと10人だ。
◆
その後、会議を二つ。
そして、ゼミ生の模擬授業への事前指導を行う。大学を出たのは20時を回っていたな。
◆
家に帰り、明日の東京行きの準備やらなんやらを少しする。
たまたま見たyoutubeで非常に懐かしいものを発見した。しばらくハマっていたピアニストである。Cyprien Katsaris氏だ。
この柔らかく心地よいタッチを見よ。響きを受けとめよ。創造的なフレージングを楽しもうではないか。
http://www.youtube.com/watch?v=_WYQW_AsEAs
今日も一日が終わった。
6/30-2
授業では、体験作文の書き方の続き。子どもたちがなぜ書けないのかということの原因から、その解決方法について講じる。その後、その様子を撮影した、懐かしの「わくわく授業」のDVDを見せる。
髭の生えていた時代の私の映像なので、学生は驚く。しかし、あれからもう6年かあ。にもかかわらず、映像よりも今の方が若く見えるとか、中学生相手であっても池田先生は池田先生であったとか、学生たちは好きなことを言っていた。
◆
コース分けの面談を進める。15人ほど終了。あと半分だ。大変と言えば大変だが、一人一人とこうして話すことができる機会というのは結構大事な時間である。
◆
その後、吉田神社へ。今日は、「夏越しの祓い」である。私も東京にいたときにはこの行事を全く知らなかった。が、京都生まれ京都育ちの学生たちも知らないと言う。これはいかんだろう。
一年の半分が過ぎたということで、体を清めるための神事であって、京都中の神社で行われている。茅の輪潜り(ちのわくぐり)をして、禊をするのである。ま、日頃の行いが日頃の行いの私なので、真剣にくぐるわけである。
昨日のゼミで聞いてみたら時間が空いていると言う学生たちがいたので、一緒に行ったのだが京都以外の地域から来ている学生には面白く目に映ったようだ。
◆
実は、今日は東京で私の父親が割と大きな手術をしていた。今日あった授業二つの間、父は手術と戦っていた。7時間ぐらいかかった。
奥さんと娘は、その事で東京に帰ってくれている。私は授業。授業は滅多なことでは休めない。私は私の仕事をきちんとすること。これが大事。そして、吉田神社に、無事に手術が終わることもお願いした。
そこに母親から電話。無事終了とのこと。
良かった。
◆
その後、引き返して会議。会議は20時近くまで行われた。
家に帰ったのは22時近く。
ふう。
長い一日であった。
良かった。