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2009/07/14

今回の模擬授業を通じて、気になったのは

7/13

朝から琵琶湖は青空。確か天気予報では雨だったと思うが。
風が結構強い。
低いところにある雲がどんどん北へと流されて行く。
私は風呂上がりにその風をベランダで感じている。
うむ。気持ちが良い。

そこに電話。娘が早起きしたようで、電話をかけてきた。慌ててテレビ電話に切り替え
る。
「ぱぱ~~~」
とオクターブの高い声で呼びかけてくる。そして、縫いぐるみやらオルゴールやらを持ってきて私に見てくれようとする。チューまでしてくれようとしている。実に可愛い。

今のところ娘は、天真爛漫である。
病院で娘の事を見た私の母親は、
「まあ、どうでしょうあの天真爛漫なこと。誰に似たのかねえ」
と言う。親戚縁者の誰に聞いても、心当たりは無いという。
いいじゃないですか、誰に似ていなくても。
このまま育ってほしいと思う父である。

食事後、ベランダに植えてあるミントの葉っぱを取ってくる。
カップに入れて熱湯を注ぐ。
ミントティーである。
一服の涼である。

大学へは非常に気持ち良く到着。家から大学まで10の信号があるのだが、今朝は全て青であった。一回も停まらなかった。こう言う日は滅多にない。気持ちよい。

ゼミでは、二回目の模擬授業。先週の三人よりも少しハードルが上がる。指導案についても前回指導したことを前提に始めるので、書く方もちょっと大変になる。

今回の模擬授業を通じて、気になったのは

・子どものつぶやきを拾えない
・指示の徹底ができない
・まとめで、授業をまとめない

ということである。
ま、これは学生だけではなく、ある程度経験を積んだ教師であってもなかなかできないこともある。

つぶやきを拾うというのは、とても大事なことである。授業に関する子どもの本音が出ているからである。ここを授業の本体に取り入れなければならない。ところが、学生はこれができない。恐らく三つの理由がある。

1)つぶやきが聞こえていない。
2)つぶやきは聞こえているが、指導案が大事。
3)つぶやきは聞こえているが、そのつぶやきへの対応が分からないので、スルー。

一言で言えば、授業の準備ができていないから受け入れることができないということだろう。しかし、折角子どもの本音が溢れたのである。これを拾って、授業に生かさなければそれは、授業ではないと私には思われる。

たとえば、ある学生は模擬授業でゲームを取り入れた。その際、時間の指示をしていたのが、これを守らずにやり続けるグループに注意が出来なかった。また、ある学生は朗読の指導をする際、正しい朗読の姿勢を指示してやらせているのに、途中からいい加減な姿勢になっている生徒役の学生に対して、何も注意をしていなかったのである。

これは、
(あの先生は、一応何か言うけど、守らなくても良いんだな)
ということを子どもたちに教える。結果的に教えている。ヒドゥンカリキュラムである。人間は実に自分に都合の良いように物事を判断するものである。だから、授業では学級経営では、その自分に都合の良い判断が入らないように、指示を徹底しなければならないわけである。

授業の最後にまとめを設定している学生。予め用意したまとめを読み、授業の展開に触れていないものがった。

模擬授業で、生徒役の学生たちが、指導通りに活動して結果も出しているのにその事には触れることなく、予め用意してあった指導案の文言を読んでいるのである。

目の前の子どもの向上的な変容を捉えて、評価することはかなり重要なことである。授業の事実から子どもたちは学ぶのである。これをスルーするのは、懇親会のない研究会のようなものである。

その後、面談、お習字教室、授業の課題のチェックやらなんやらを続ける。

夜は久しぶりに市内に出て、ラーメンを食べる。お気に入りのラーメン屋さんに出かけたのだ。

で、出かけたついでに北野天満宮にも向かう。今年採用試験を受ける知り合いや学生たちが合格しますようにと、お願いをしてきました。

採用試験、がんばれよ。

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