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2009/08/31

八月は「それで居て」終わるのであった

8/31

いやあ、忙しかった八月が終わる。多分、私の人生の中で宿題に終われた夏休み、浪人生の夏休みすらも越えるぐらいの忙しさであった八月が終わる。

ブログに書いていることだけではなく、書けないこと書かないことなどそれ以外にもあれこれあったわけで、実に忙しい夏であった。ただ忙しいだけではなく、充実していた夏でもある。

午前中は、野球の応援とゼミ合宿でできないでいたあれこれをやる。あれこれは終わりきらないが、それでも少しできただけでホッとする。

昼ご飯は久しぶりにパスタ。
ペペロンチーノを200g食べる。いやあ、食べ過ぎだなあ。
ペペロンチーノの上にはスイートバジルを十数枚ちりばめる。
これはなかなか美味。去り行く夏の味わいであった。

娘の昼寝の後に、今年最後の市民プールに出かける。
さすがに、今日は人が少ない。
娘は、
「おっきいプール!!!」
と叫び大興奮。防水カメラでガンガン撮影する。
水中から娘を撮るとこのようになる。

Sany0047_2

ところが、今日は結構涼しい。
雲の切れ間から日差しが出ると良いが、隠れると寒い。
30分ぐらい遊ばせていたら、娘の唇の色が少し変わってきた。

『出る?』
と聞くと
「嫌」
と即答。仕方なしにもう少し遊ばせるが、歯がガチガチ言い出す始末。さすがにこれはダメ。泣く娘を抱っこして、バスタオルでくるんで太陽に温められたコンクリートの部分に寝かせる。娘が笑顔になったので、一安心であった。

が、プールから出たところの坂道でこけて、膝を擦りむく。大泣き。こうなると梃でも動かない。お父さんは白旗を揚げる。奥さんに電話でヘルプであった。

ということで、今年の夏は終わっていく。
あ、思い出した。

引用開始 ーーーーーーーーーー

このごろは あなたにほれて居てほれてゐて
どうにもならぬほど ほれて居て
それで居て
あたしもさりげない顔をして
とうとう夏も終わるか

1924.8.31作

川上澄生

引用終了 ーーーーーーーーーー

八月は「それで居て」終わるのであった。

三回生ゼミの第一回の合宿 その2

8/30

キャンプ場で朝ご飯を食べてから、決戦である。この日は、海釣り大会なのである。ガチンコ勝負である。

人生を楽しむには、読書を覚えるとかいろいろとあるが、釣りを覚えるのも重要なファクターである。キャンプの初心者もいれば、釣りの初心者もいる。なんとかさびき釣りで楽しく釣り上げてほしいものである。

釣り場書を決定する時間に、海岸で少し寛ぐ。
こういう時間も結構好きだ。Imgp4958

で、いろいろとあってキャンプ場の近くの釣り場にいく。
水深はそれほどないので、豆あじを狙う。

結果的に、私が優勝(^^)v。
ここは教員の威厳を保つことができた。はっははは。

ちなみに、女子学生は全員釣れた。良かった良かった。坊主は、寂しいからねえ。

この釣りをしているところの近くに、水上バイクを楽しむ一団がいた。ま、五月蝿いのは我慢するとして、驚いたことがあった。まだ生まれて半年ぐらいの赤ちゃんを抱えて、水上バイクにタンデムで乗っているのである。もちろん、ライフジャケットはないし、よく見ると缶ビールも転がっていた。もちろん、水上バイクも飲酒運転は御法度である。

赤ちゃんは泣きもせずに、母親の片腕に抱えられて海へと出て行く。母親のもう片方の手は運転手の体にある。
なんともである。

その母親は、最後にクルーザーで帰るときに、ちょっとした50cmぐらいの段差をよじ上ろうとしていた。父親らしき男性が、手を差し出したところ、父親を引っ張って落としてしまい、自分も後ろに倒れた。
『あ、赤ちゃん!』
と私は叫んでしまった。
幸いにして、母親がクッションになり赤ちゃんは何でもなかった。ただ、左右に10センチでもずれていれば、母親も赤ちゃんも相当の怪我をしていた。その場所を五メートルも下がれば段差はない場所なのに。

本当に危なかった。

遅い昼ご飯を小浜で食べる。地元の魚を食べさせてくれる場所で、たっぷりと食べる。
写真は、私が食べていた刺身の一切れ。
なぜか、おじいさんの笑顔に見える。W

さらに、潮風でべたついた体を温泉で流す。
いやあ、極楽。
こういうのはいいねえ。

車の方向が違うので、小浜で解散。
家に帰るまでが合宿。
安全運転で帰るように話して、解散であった。

帰りの車の中で、あの赤ちゃんの話になった。うちのゼミ生は泣かなかった赤ちゃんのことを可哀想だと言っていた。恐らく泣いても反応がないので、泣くのを止めてしまった「サイレントベイビー」ではないかという話もでていた。

赤ちゃんは泣くのがお仕事。
周りにいる大人は五月蝿いのだが、泣くのがお仕事。そして、その鳴き声に駆け寄り、あやすのも大人の仕事。

だけど、泣かなくても良い状況を作るのも大人のお仕事である。

19:30ごろ帰宅。
荷台に娘を連れて奥さんが登場。
学生たちは娘とじゃれ合ってくれている。

写真を撮ってバイバイした。
ふう、良い合宿であった。

合宿係ご苦労さん。
次は、冬合宿か(^^)。

三回生ゼミの第一回の合宿

8/29

三回生ゼミの第一回の合宿である。
朝9時半に学生たちが家まで迎えにきてくれる。学生の運転する車で福井県に向かうのである。このあたりが大学生である。

池田ゼミでは、合宿係、コンパ係、出版係と係が決まっている。今回は合宿係が中心になって行った。下見をして栞を作る等なかなかのもの。

私の意向で、半分勉強半分遊びにしようと伝えてある。

初日の今日は、買い出しと移動を済ませて福井県の大飯町の施設を借りて、模擬授業である。15分の模擬授業を録画して、45分かけて検討。ストップモーション方式で検討である。

ストップモーション方式とは、録画した授業を再生して、気になるところがあればそこで止めて、巻き戻しなどをしながら
「なぜ、ここではこのような指導言を言ったのか」
「この体の動きは何か」
「この展開はどうして思いついたのか」
などの検討を加えて行く。
授業が丸裸になっていくという、ある意味恐ろしい方法である。

この方式で三人に検討を加える。学生たちは、ストップモーション方式は初めてなので、緊張し集中し、あっという間に時間は過ぎる。そして、それぞれの課題を目の当たりにする。

学生時代に一度は、このストップモーション方式での模擬授業の検討をさせてあげたいが、なにぶん時間が掛かる。実際の授業の3倍程度の検討時間が必要となる。だから、ゼミ合宿のようなところでないとなかなかやりにくい。

ただ、本当に丸裸にされるので、実力を付けたいものにとっては、有効な方法である。

その後、オートキャンプ場に移動。

私は、学生たちはもう結構キャンプは慣れているものと思っていたのだ。夕方の17:30からテントの設営をし、食事の用意をするという計画だったのでだ。が、あにはからんや初心者だらけであった。夕方の17:30からテントの設営をし、食事の用意をするという計画だったのは、初心者だらけだったからであった。

自分たちで立てた計画に沿って実行させるということが大事で、よほど困ったことがない限りは口出しをせず、相談があったら乗るという姿勢で参加しているつもりなので、驚きつつもじっと我慢f(^^;。

私は久しぶりに自分のテントを張る。ダンロップのWシリーズ「W-471」。四人用のテントでつり下げ型の名機である。一人でやってもものの10分で設営完了。

結局食事が始まったのが19:30分頃。ま、初心者だらけにしては良いか。炭火のバーベキュウで肉を焼き、焼きそばを作り、飯ごう炊飯で米を炊いてとまあまあであった。

私は買い出しのときに、実は生さんまを三匹、醤油、塩、酢橘を手に入れていた。はっはははは。バーベキュウは、肉ではなくて実は魚が上手いのである。

強火の遠火の炭火でじっくりと焼く。
「餅は貧乏人に焼かせろ。魚はお殿様に焼かせろ」
父親から聞いたことわざである。つまり餅はしょっちゅうひっくり返すことが大事だが、魚はどーんと焼くのである。片面を10分ずつじっくりである。

Imgp4836

うまうまであった。

翌日誕生日を迎えるゼミ生の為に、みんなでサプライズのプレゼントをその場で用意。彼らも21歳である。Imgp4857

消灯の時間が来たので片付けをして、大きなテントの中に全員が入る。なんかカマクラの中にいるようである。これが良い。

私は、後期のゼミの進め方を少し相談しようと思っていたのだが、彼ら彼女からは教員採用試験に向けてどうやって勉強を進めて行こうかという話が出る。遠くのことより、近くのことを話したいなあとも思ったが、その話を聞く。

勉強をはじめている諸君の悩みや、驚きが次々と出てくる。合格したい、教師になりたいと言う強い思いが語られる。チームで乗り越えて行ってほしいなあと、思う。

12時を過ぎたところで、各自のテントに戻る。
波の音を聞きながら、おやすみ。

2009/08/29

寝屋川市教育フォーラム2009

8/28

寝屋川市教育フォーラム2009の、パネルディスカッションに登壇した。パネラーは、北川達夫さん@日本教育大学院大学と桑山裕明さん@NHKエデュケーショナル。実に豪華である。キャリアの違うみなさんと、一つのテーマについてあれこれ語る。これは実に楽しい。

テーマは、「言語力の育成をめざして ー「わかる」型と伝える技術ー」というもの。私が司会進行も任されての2時間であった。

後で事務方から伺うと、総計で1500人もの方がこのフォーラムに来ていたとのことである。

会場は、寝屋川市立市民会館大ホールであった。まあ、なんと言いましょうか、こう言うところに来ると元文化行事委員長としては、合唱コンクールの血が騒ぎますねえ。思わず音響を調べてしまいました。

(パネルディスカッションではなく、ギター一本で歌いたいなあ)
なんて不謹慎なことも思ったりして。

全体の流れとしては、

0)司会からの紹介 3分
1)池田挨拶 3分
2)各自から提案 15分×3
3)4)会場からの質問の受付/休憩(出演者打ち合わせ) 5分
5)お互いの提案への質疑、応答 30分
6)会場の質問への応答 20分
7)各自のまとめ 3分×3
8)司会の挨拶 3分

という流れを作って行う。

私は、PISAや文化審議会の答申の求めている言語力とはちょっと違う観点から提案。北川さんは、世界の政治や文明、さらに経済界からの視点で提案。桑山さんは番組づくりと授業づくりの相関からの提案であった。

キャリアの違う三人の話がリンクして行きながら、一つのテーマを検証するパネルディスカッションになった。やっていて面白かったなあ。

また、さすがのお二人で、時間をばしっと守ってのパネルディスカッションであった。一人が話しすぎるでもなく、時間を伸ばすでもなく、それでいてクオリティは高く保つ。司会をしていて、とても嬉しかった。

予定時間の1分前に終了することもできた。
ま、良い話でも時間が延びてしまうと奇麗に終われないですからね。

その後、スタッフのみなさん、パネラーのみなさんと食事会。
これまたあれこれを伺えて、非常に面白い。
やっぱり懇親会に参加しない勉強会はつまらないなあ。

次の仕事のアイディアやお願いやらをされながら、一日は終わった。
良い時間であった。

2009/08/28

この『キャプテン』の世界を大学生に

8/25,26,27

顧問をしている学生野球部の応援で長野県は伊予に向かう。

私の方はいろいろとあって、かなり落ち込む。
ではあるが、ま、なんとか乗り切る。
体は大事にしましょう。

学生たちは、優勝を目指して頑張ったものの残念ながら四位が最高の結果であった。だが、私はとても良かったのではないかと思う。

Imgp4207

私がこの野球部の顧問を引き受けるときに示した条件は二つ。

1)自分たちでやれるか?
2)私の目の前でタバコを吸わないか?

の二つである。

1)大学まで来て野球をやろうとしている彼らは、高校までに野球をしてきている。しかし、してきているというよりも指導者に従ってやっているという面が大きいのではないかと考えている。折角大学でも野球をやろうとしているのである。自分たちで考えて運営することを経験させたい。

野球漫画の古典ともいえる『キャプテン』『プレイボール』(ちばあきお)は、子どもの頃には全く不思議に思わなかったが、教師になってから読み返すと非常に驚く。キャプテンの谷口くんがすべてをまとめていて、先生の姿はほとんど出てこない。これ、中学校の話なのに。

私は、この『キャプテン』の世界を大学生にさせてやりたいと思ったのだ。私が出かけて行ってあれこれ口を出すのではなく、コーチがあれこれいうのではなく、自分たちでである。

活動計画と、試合結果と、会計は私に報告に来る。あとは、怪我のないように頑張れである。試合と私のスケジュールがあれば、応援に行くよという感じである。

学生たちは、このスタイルがとても気に入っている。自治、自律がないとこれはできないが、そうであり続けてほしい。

ちなみに、最終日に試合会場から宿舎に向かうバスに乗っていたところ、降りるときに運転をしていた宿の年配の方に呼び止められた。

「先生、ありがとうございます。来年も是非お越し下さい」
『ありがとうございます』
「良い学生さんたちですね。マナーもいいし、宿の使い方も。他の大学と比べ物になりません。ありがとうございます」
『ありがとうございます。顧問がだらしがないので、その分お前らがしっかりとしろ、と言ってあります』

と。
もちろん、リップサービスもあるだろうが、わざわざ声をかけてくれたのは、とても嬉しかった。

2)は、言うまでもない。

Imgp4359

自宅に帰ってメールをチェックしたら、大学に戻らなければならない用事が入っていた。本日の走行距離は340キロである。

そして、その用事を済ませたら、さらにあれこれ。
みなさんは、私のスケジュールを事細かにご存知なのであろうかf(^^;。

でも、このタイミングで大学に顔を出せて良かったと思っている。
さ、明日は寝屋川教育フォーラムに登壇である。

2009/08/24

夏が終わって行くなあ

8/23

突然である。
壊れてしまった。
私ではない。
炊飯器である。

昨日の夜、ちょっと調子が悪いのかなと思っていたのだが、今朝も反応しない。肉よりも魚、パンよりも米の私としては困る。

でも、考えてみたらもう20年も使っているかもしれない。よく頑張ってくれたと言うべきだろう。集中講義の最中に壊れていたら、朝、米を食べて出かけることができなかったわけである。

そこまではなんとか頑張ってやろうと思ってくれたのかもしれない。お疲れさんだ。

で、炊飯器ではなくて鍋で米を炊く。
なんのことはない、あっという間に炊きあがる。しかも、香ばしい香りまである。

奥さんが面白いことを言った。
「昔は逆だったのね」
と。
(ん?)
「ほら、昔は炊飯器でお米が炊けるのかしらと思っていたと思うの。でも、いまは鍋でお米が炊けるのかな?と思うじゃない」
本当にそうだ。

ドラえもんの漫画を思い出した。のびたが宇宙を旅していて、ロケットのコンピュータが壊れてしまい、乗員のジャイアンの子孫等が困っていた場面が描かれていた。

のびたが、どうしたのと訊くと、なんと四桁のかけ算をしなければならないと言う。のびたが不思議がって紙で計算したら、子孫たちは
「え〜、のびたはコンピュータも使わないでそんなに難しい計算ができるの!」
と驚いていた。コンピュータと言っても電卓であるが。その時はふざけているなあと思ったが、いやいやあり得る話かもしれないと年ごとに思う。

上賀茂神社に出かける。
禊ぞ夏のしるしなりけるの上賀茂神社である。ならの小川には、多くの子どもたちと親が水遊びをしていた。

Imgp3524

今日は上賀茂神社で手作り市が行われていた。気になっていたものがあり、それを購入。娘の椅子である。

可愛い椅子が多くあれこれ悩む。結局娘に選ばせる。
『良かったね。自分の椅子だね』
と言うと、本当に喜んで自分で持って運ぶ。

作ってきたおにぎりを食べて、水遊びをして、他のお店を見た後、一面の芝生である上賀茂神社境内で椅子と娘の撮影会となる。

Isu_2

その後、私は家で子守り。このところずっと奥さんが一人でいる時間を作れていなかったので、久しぶりに。

プールに入れたり、夕ご飯を食べさせたり。夕方に向かう空が奇麗だったなあ。

Sora 8時ぐらいまではなんとかうまくいっていたのだが、その後、お母さんがいないということで娘がぐずりだす。あれこれやるのだが、なかなか。

で、思いついたのが今日の写真を見せるということ。松岡直也の「午後の水平線」をBGMにiPhotoのスライドショーで見せる。すると、泣き止んで落ち着く。お母さんが帰ってきた頃には、もうすっかりと落ち着いていた。

映像って凄いや。

夏が終わって行くなあ。

2009/08/23

あー、久しぶりの休みだ

8/22

集中講義は終わったのだが、体はまだ集中講義モードであり、神経も高ぶっている。ああ、マッサージが欲しい。体と心を揉みほぐすマッサージが欲しい。

早く起きて、課題提出掲示板をチェック。締め切り時間に締め切り時間であることを告げる。

久しぶりにゆったりとした朝ご飯。
スモークサーモンのサラダ。
スイートバジルを載せたトマト。
オープンサンド。
熱い紅茶。

うまひ。

Tmt

マンションの隣のヨットハーバーでは、何やら歌声が。どうやら大学のヨットの試合があり、その応援の歌を大学生が歌っているようだ。金沢大学か?Yt

ベランダの椅子に足を投げ出してごろんとしたら、そのまま二度寝となった。午前中は涼しい風を感じながら、疲れをいやす。

んでもって、午後もだらだらと過ごす。
あー、久しぶりの休みだ。

家の中で奥さんが作る特製の蒲団滑り台で娘を遊ばせる。汗びっしょりになったので、ベランダのプールに水を張り、お湯を入れて娘とぴちゃぴちゃ。さらに、そのまま風呂に突入。

掲示板を時々確認し、来週の長野の宿を取り、夕ご飯を作り、とにかくだらだら過ごす。そういう一日があっても良いだろう。

2009/08/22

『明日の教室』第五巻

『明日の教室』第五巻が出ました。

正式には、『シリーズ明日の教室—学級経営・基礎の基礎—第5巻 担任一人で悩まない・抱えない』(ぎょうせい)です。

この第五巻は、恐らく類書はないのではないかと思います。第五巻は、いまどんどん生まれている若い担任を守る本です。

校長にならない先生はいても、担任にならない先生はいないというのが私の持論です。で、事実ですよね。

担任一人でやりきらなければならないこともあります。が、担任の抱える問題ではないこと、さらには担任があちらこちらと協力して取り組む問題などについて、あれこれまとめてあります。

あれこれあっても、直接指導に当たるのは担任が圧倒的に多いわけです。その担任をきちんと守ってくれるあれこれが分かっていない、若い先生方に向けて、
(大丈夫だよ、こうしてみてはどう?)
というメッセージを送るのが、第五巻です。

目次と執筆者は、以下の通りです。

1 基本的スタンス

・「担任一人で悩まない・抱えない」とは 


2 子どもへの対応
・クラスの子が不登校になってしまった
・クラスの子が大怪我をしてしまった:事故編

・クラスの子が大怪我をしてしまった:喧嘩編

・クラスの中にいじめを発見した時

・クラスの子の持ち物がなくなる

・クラスの子が万引きした

・服装
・頭髪指導

・遅刻
・欠席

・ケータイの持ち込み

・薬物


3 保護者への対応
・その他のトラブル

・保護者が給食費を払ってくれない

・保護者から通信簿にクレームがあった

・勉強の進め方についてクレームがあった

・習い事優先の保護者への対応

・学級経営について要望を受けた

・児童虐待が発覚した

・その他のトラブル

代表編者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)

池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授

糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

第5巻執筆者紹介
佐藤正寿…さとう・まさとし/岩手県軽米町立笹渡小学校副校長

澤田清人…さわだ・きよと/京都市教育委員会指導主事

土居裕士…どい・ひろし/岡山市立芳泉小学校教諭

松原弘…まつばら・ひろし/岡山市立高島小学校教諭

山川晃史…やまかわ・こうし/三重県教育委員会指導主事

横藤雅人…よこふじ・まさと/札幌市立羊丘小学校長

アマゾンでは、こちらになります
どうぞ、ご期待ください。

集中講義最終日

8/21

集中講義最終日。この日だけ3講時まで行う。
作文指導である。

これもなんで特別活動論なのかという疑問があるであろうが、理由は二つある。

1)行事の後に書くことの多い作文。この作文は担任が指導することがほとんどである。教科に関係なく作文の指導が出来る必要がある。だからである。

2)作文を書いた後、書き込み回覧作文をする。これによってクラスの人間関係づくりを行う。その実際を学生たちに体験させるためである。

一講時が、作文の書き方の指導。二講時が実際に60分で3枚の作文を書く。三講時が、書き込み回覧作文という大まかな構成である。

大学生に今更作文の書き方指導、というのもこれまたなんだが、やる。大学の教員になってから、『作文の書き方を習ったことのある諸君はいるか?』といままであちこちで聞いてみるのだが、手が挙がらない。僅かに挙った学生に確認すると、それは原稿用紙の使い方という場合が全てである。習っていないのである。

もちろん、私だって大学時代に習っていない。だから自分で考えた。なぜならば、職業人というものは、習っていないからで来ませんなんてことは言えないからである。

ではあるが、ここは大学。だから、作文の書き方の指導方法を教えるのである。国語科教育法であれば、3時間かけるところであるが、今回は1時間で。エッセンスだけだ。

書き込み回覧作文をやると、クラスがしっとりする。大学の授業でもそうである。ある学生は、特別活動論の授業は、140人のクラスになっていたと感想に書いてあった。嬉しい評価である。そのクラスもしっとりとした感じになった。

最後は、今までに行ってきた授業で伝えきれなかった資料を見せ、振り返る。そして、最終課題の「実踏報告書」の作成指示のプリントを配って、さらっと終わる。

さらっと終わるってのが、私のやり方。授業の余韻はそれぞれが持てば良いので、授業をやる方はさらっと終わる。

ひとまず、授業としての集中講義、特別活動論は終わった。集中講義は、学生にとっては集中的に講義を受けるということなのだが、講義をする側の私にとっては、体力と知力とあれこれをここに集中する時間であるのだ。倒れないように、ぎりぎりの一歩手前まで力を注ぎ込むのだ。それでなければ140人相手に四日間連続で授業を続けることは厳しいと私は考えている。

それが終わった。
もちろん、このあと私は課題の評価をするし、掲示板のチェックもするし、出席もチェックすると言う仕事が残っている。だが、学生たちの頑張りに支えられて、この仕事も営々と乗り切ろう。

ふう。
さ、来週は長野県と大阪府だ。

集中講義三日目

8/20

集中講義三日目。
学生たちは昨日の課題で疲れている様子。ではあるが、授業は進む。学生のうちは課題をやればそれでオッケーである。疲れていてもオッケーであるが、社会人は違う。

徹夜して課題をやってきたところで、褒められるわけでもない。むしろ、仕事が遅いなあと思われることすらある。それに、なんといったって、徹夜をしてきた翌日に子どもたちが事件を起こし、事故に巻き込まれないという保障はない。まずは、教師の体調が大事なのである。

二講時目からは、明日の教室でパートナーをしてくださっている糸井先生の講義。二講時目はワークショップで、三講時目が実践紹介、四講時目が私との対談である。

眠たい目をこすって授業にやってくる学生たちの眠気を吹っ飛ばす内容であった。そのように吹き飛ばしてくださる先生方を毎年お願いしているが、今年も本当に良かった。さすが糸井先生である。
Iti

三講時目は、対談。
この対談形式の授業というのが学生たちには珍しいのである。だいたいからして対談が授業になるのかと思っている学生もいる。ところがなるんだな、これが。

私がインタビューアーになり、糸井先生がインタビューイーになる。今日の授業をベースにして、あれこれ伺うのである。四年前からやっているが、一種のライフヒストリーから学ぶ授業である。90分間ばっちり行う。

ああ、勉強になった。

夜は食事会。
三回生と四回生と卒業生とで糸井先生を囲む。
ありがとうございました。


集中講義二日目

8/19

集中講義二日目。
手紙の書き方と実踏計画書作成というワークを行う。

なんで、手紙の書き方が特別活動論なのかである。特別活動で外部講師をお招きしたときに、生徒たちがお礼状を書くことになる。そのとき、担任である先生が手紙の書き方を知らないでは済まされないからである。

もちろん、
『〜ということで、手紙の書き方を覚えておくように』
で授業を進めることもできる。大学である。

だが、元中学校教員としてはどうしても、きちんと教えておかなければという思いがもたげてくる。で、実際に指導してみるときちんと習ったことがないとか、忘れていたとか、知らなかったことばかりとかいう感想が出るのである。

ま、人生で最後であろう手紙の書き方を習うなんて。それも大事なことだ。

人生は短かったり長かったりいろいろである。
本日の特別活動論で学生たちに出している課題は、私は教員になった年に疑問に思ったことがベースになっている。

大学時代に、授業の作り方や生徒指導の考え方などは少しやってきたが、遠足の作り方や体育大会、合唱コンクールなどの運営の仕方は一切やってこなかった。教員になって初任者研修をうけるようになってもこの遠足の作り方等は、一切なかった。

これが不思議で、しかもおかしいと思っていた。思っていただけでなく最初に勤務した市の教育委員会の指導主事の先生に、意見も言っていた。いやあ、生意気な新人である。

しかし、この「遠足の作り方の研修をお願いします」という意見は通ることがなかった。

そして、いま大学に籍を移した私は四年前から、特別活動論で「遠足の作り方」の授業をしている。今日は、学生たちは一日中パソコンにへばりついて、「実踏計画書」を作っている。

ある学生は、この課題を見てこんなことを言った。
「先生、これ一人で作るんですか?」
この質問には私も驚いた。
『当たり前である。このぐらいの仕事が一人でできなくてどうするんだ。実際はこの後にあれこれたくさんあるんだぞ。このぐらいの仕事が一人でできないで、教育とかいうな。給料をもらうとか言うな』
と答える。

作業をはじめると、学生たちは、
「遠足ってええええええええええええええええ!」
と叫んでいる(ように見える)。

そうなのである。楽しませてもらう側から、楽しませる側へ回るということは、こういうことなのである。
実踏計画書は、中学校一年生の秋の遠足を想定して作らせる。一日中学生はこれに取り組むことになる。

多くの学生たちが、
(ま、そんなに時間はかからないだろう)
と思って取り組み始めるのだが、そうはいかないのが私の課題である。

学生たちは、受験勉強等に代表されるように、正解を得る勉強をしている。ところが、この実踏計画書作成のような課題は正解がないのである。藤原和博氏が言うように「納得解」を提出しなければいけないのである。ところがこのトレーニングが出来ていない。やってもやっても不安なのである。

さらに、パソコンのスキルが未熟なのである。彼ら彼女らは一応一回生のときに、パソコンの授業を受けてマイクロソフトの資格も得ている。が、使いこなしていない学生たちは、ここで難儀をすることになる。

『おい、特別活動論の授業で一番力がついたのは、パソコンの力だなんて言うなよ』

と初日に話しておいたが、冗談になっていない学生たちもいるかもしれない。

学生たちが課題をやっている間、初日の課題のチェック等をしながら過ごす。課題をやっているメディアセンターには二回ほど巡回。指示書はきちんと出してある。パソコンの使い方は、メディアセンターの職員の方に伺うか、友人に聞きながらやる。

ここはあれこれ私が手助けをすることはしない。
私が手助けをすると、学生同士の交流を促すことができない。下がって待つである。

明日の糸井先生の講座に備えて、明るいうちに帰宅である。
風呂が湧く前に夕ご飯のカレーを作る。
夏はカレーである。
辛いカレーである。冷蔵庫にある夏野菜をふんだんに使ったカレーを作った。

そうこうしているところに、
「もうすぐお風呂が湧きます」
とお風呂からコンピュータの音声。
すると
「はーい」
と娘。

さらに、
「お風呂が湧きました」
となると
「はーい。ぱぱ~!」
である。一緒に入ろうということである。
可愛いなあ。

で、感動したことが。
はじめてビールを注ぐことができた娘であった。私が飲んでいる缶ビールを持ち、グラスに注いだのである。しっかりとこぼさないで。
嬉しいなあ。

早めに寝て、夜中に起きて学生たちに指示してある掲示板のコメントを確認。特に問題はなし。

集中講義は、こちらも集中。
体力勝負。少しでも体を休めなければ。
おやすみなさい。

特別活動論。集中講義初日

8/18

特別活動論。集中講義初日。
昨日研修で6時間やってきたので、疲れがある。ちょっと足首が痛い。が、それは140人の学生たちには関係ない。いつも通りに授業をはじめる。だが、
(マッサージが欲しいなあ)
(少しダイエットしよう)
とは思う。

集中講義は、まさに集中で、学生たちには
『本気で教師を目指すつもりのないものは、受講をお薦めしない。もっと別の形で有意義に夏休みを過ごすように』
とか
『集中講義中に夜にアルバイトの入っているものは、早急にキャンセルをしておくことをお勧めする』
とか
『体調の悪いものは、今年は諦めて来年頑張ることをお薦めする』
などと言うことから始まる。

もちろん、私も倒れないように倒れないようにここまで、あちこちの仕事をしてきているわけで、これからの四日間も同じである。140人のエネルギーを受けて、彼ら彼女らに特別活動の学びを通して、教師としての基本的な考え方を理解させるためには、私とて相当のエネルギーが必要になる。

倒れないように。
そして、アグレッシブにセンシティブに。
集中講義の前にはいつもそう思う。

授業の合間に、いま非常勤講師で頑張っている卒業生の話を聞く。辛いとのこと。おい、サッキョン。あんまり無理するな。連絡待っているぞ。

初日の授業後、研究室に戻ったら研究室の前の教室に人影。確認したら卒業生たち。採用試験の一次試験に合格とのこと。おめでとう!

その後研究室で報告を受ける。それを受けてアドヴァイスをする。教育実習では大変な目にあった学生だけに、指導した私としては嬉しさもひとしおである。

初日の授業の片付けをして研究室を出たのが19:00過ぎ。授業そのものは17:00前には終わっているんだけどねえ。

この集中講義全体の構成から行くと、私の山場は実は初日。体力と精神力を最も使う。140人の学生を学ぶ集団にまとめあげつつ、特別活動とは何ぞやの話もするわけである。ここをきちんと一定のものに育てることが、残りの三日間に大きく影響する。

さ、始まった。

2009/08/20

H市教育委員会研修で一日

8/17

H市教育委員会研修で一日。丸一日である。朝の7時過ぎに家を出て、帰宅したのは夜の7時ぐらいである。

明日から集中講義が始まるので、本当はその準備のためにあけておきたかったのだが、去年からの依頼なので、ま、断ることもできず伺う。考え方によっては、今日から集中講義ということもできる。

MINI-Sで駆けつける。
修理と点検を終えたMINI-Sはすこぶる快調。ふけ上がりが心地よい。高速道路で思わず踏み込んでしまいたくなる。が、安全運転で。

エンジンの鼓動と音がたまらなく良い。
電気自動車になったら、これがなくなってしまうんだろうなあ。
いいのかなあ。

午前と午後で合計200人程度の先生方を対象に行った。小学校、中学校、高校と二年目の先生が中心。一年目を生き抜いてきた彼ら彼女らは、自分の課題や問題を持ち始めている。そこに子どもとの関わり方をテーマにした研修である。それぞれ3時間ずつ。合計6時間。ふう。

アンケートを見ると私の講座が届いていたのがわかった。
なかには、今まで受けた研修の中で一番とか、吉田松陰を思い出したとか、次はいつですかとか書かれていた。

え、どうぞ、京都橘大学に再入学していただければf(^^;。
ありがとうございます。

2000回転だと六速で80キロなのが、私のMINI-Sである。このあたりのトルクを使った走りは、一日の疲れを心地よく撫でてくれる。全身マッサージだ。

ただ、足首、膝、太ももの付け根などに疲れが残ったのが分かった。風呂でマッサージしながら明日からの集中講義のことをあれこれ考える。もちろん、風呂から出ても考える。

さ、いよいよである。

午後から市民プールに向かう

8/16

午後から晴れるというので、午前中は久しぶりに娘とガーデンに向かう。曇りの割には結構な日差し。もう散ってしまっているかと思った薔薇は、まだ咲いていた。

我が家のミニ薔薇も東京に行く前に切り戻しをしておいたら、再び多くの花を咲かせていたのだが、結構長持ちするものだと喜ぶ。

さすがに芝生は、初夏のころの一番いい時期は終わっているが、それでも寝転がると気持ちがいい。

午後から市民プールに向かう。
「あなたはいくつも夢があるのね」
と奥さんに言われるが、そうである。娘とプールに行くのは私の大事な夢の一つであった。やっと行ける。

子ども用のプールが三カ所ある。Xactiの防水仕様のビデオカメラを持参する。

大きなプールに戸惑っていた娘は最初だけ。あとは、いつも通り歓声を上げてプールの中を歩き回っていた。滑り台にも果敢に挑戦。
「じぶんの!」
と自分一人で滑ることを主張。
ところが、プールの中に足先から入り顔まで水につかる経験をしたところ、次からは
「ぱぱの!」
と主張。

まだ、じぶんで、ぱぱと、のように助詞の使い分けができていないのがおもしろいが、言いたいことは分かる。抱っこして滑り台に何回か私も挑んだ。

それにしてもXactiの防水仕様のビデオカメラは、いい。いろいろなことを心配することなく、良い表情がばっちりであった。

家に帰ってきたら、鍵を寄越せと言う仕草。与えるとマンションのオートロックの鍵を開ける。びっくり。いくつもの鍵の繋がっている束の中からマンションの鍵を選び、リモコンの感応部に鍵を当ててドアを開けるのね。

そういえば、家の中の扉もどんどん開けているしねえ。

本当は、大文字を見に行く予定だったのだが、すっかりと忘れてしまった夕方。ビールを飲んでしまった。

そこでネットとテレビで鑑賞することに。
京都のお盆は、終わりました。

2009/08/19

夏の夕暮れに、古内東子の切なさが心地よい

8/15

早めに寝たのだが、娘のキック攻撃でなかなか寝られない。

ところが寝言で
「ぱぱ〜」
という娘。

感激である。
帰ってきたよ。

一日ホゲーッと過ごす。
終戦記念日だというのに。

気がつくと夕方。

夏の夕暮れに、古内東子の切なさが心地よい。アレンジ、声、歌詞、メロディ。もう一度評価されていい彼女だなあ。

ちなみに、やっと携帯電話は復活。
旅先で電池から充電をし続けていたのだが、うんともすんとも言わなくなってしまっていた。

家に帰って、ACから接続してみたら復活。
旅先で携帯電話が使えなくなるというのは結構辛いものがあったが、良かった良かった。

ご迷惑をおかけしたみなさん、池田は携帯電話が鬼門のようなので、勘弁してください。

「いま、じゅんばん、あとで」が分かる

8/14

さ、久しぶりに長いこの東京ツアーが終わる。

宿が吉祥寺駅前だったので、久しぶりに井の頭公園に行ってみることにする。私の高校時代、大学時代のいくつかの思い出が詰まっている場所だ。

相変わらず池の鯉は巨大であった。この池の水が、神田川の源流になるというのは、知っている人は知っているが、実は以外と知られていない。

野外ステージには新しい囲いが出来ていたが、嘗てここでギターを抱えて歌っていたなあなんてことも思い出す。

午後の新幹線で京都へ。
以前から気になっていた東京駅の地下一階に行く。ここで弁当を購入。結構広くていろいろな店がある。お決まりの駅弁ではなく、この旅の疲れをいやすべく、ちょっと豪華なものを購入。

ところが、新幹線の中では爆睡。
熱海で寝始めて、気がついたら米原を通過していた。
実に贅沢な昼寝であった。

地元の駅には、迎えにきてくれた娘。
幸せである。

スカイプでは会っているのに、実物では照れていて、なんか違う様子。まだ実感がないのであろう。だが、抱っこしているうちに元に戻る。

家に帰って早速、プール遊び。一週間の出張の後にこれはなかなか辛いものがあるが、遊びたがっているので、喜んで姫にお付き合いする。

それにしても随分と言葉を覚えている。「いま、じゅんばん、あとで」が分かる。時間の概念が分かるんだなあと、ちょっと感心。

また滋賀での新しい生活が始まったのだと思った。

2009/08/17

ああ、この店を京都に持って帰りたい

8/13

東京でやっておかねばならぬあれこれをして、夜は、今回の東京ツアーを締めくくる美味しいお店に向かう。私が我が家にやってくる客人に良く振る舞う「白身魚のガーリックオイル掛け」という料理のルーツの店である。

久しぶりに立ち寄った。
ああ、うまひ。
ああ、この店を京都に持って帰りたい。

体の疲れは、心の充実でフォローすることができる。
今回は、その上に心と体と、お腹まで満ちることができた。

幸せである。
来週の講座と集中講義に向けて、エネルギーを貯めることができた。

幸せである。

全て現実なのだが

8/12

私の講座の日である。
午前中は、レポート検討会があったのだが、私は大会のエンディングの準備のためにホテルに籠る。気がついたら11時50分。私の出番は12時30分から。いつも通りあわててホテルを出る。

昼ご飯を取ることをせず、そのまま講座会場に向かう。
当初の連絡では30人ぐらいの参加者だったが、ふたを開けてみたら50人以上いた。

今回のネットワーク集会の柱の一つは、「ライフヒストリー」である。教員がどのように成長してきたのかということを、考えるものである。簡単に言うと、「どうして池田修はこんなイケダオサムになってしまったのか、こう言う授業をするようになっていったのか」ということを考えるというものである。一方で楽しく、一方で恐ろしい企画である。

私は

 学級づくりに求められる「学級担任論」とその由来
 講師:池田修(京都橘大学)
 対話:喜岡淳治(成蹊大学)

ということで、60分講座を行い、このあと会場からの質問と対話者である喜岡先生との対話ということで、行った。

喜岡先生は、私の先輩である。元東京都の中学校の国語科教師でその後、大学に転進された。私が辿ったルートの先輩である。もちろん、指導力においても先輩である。

その先輩からあれこれ聞き出されるというのは、なんとも歯がゆいものであるが、その御陰で私がなんでこんなになってしまったのか、今まで私が気がつかなかった一面も意識することができた。ありがとうございます。

参加者からも、良い評価を頂いています。ありがとうございました。

来年の開催は、8/11(水)、12(木)で京都橘大学を会場として行うことが発表された。というか、私がした。

最初は、スピーチで行う予定であったが、まあそれだけで行うのもなんだよなあと思ったので、iMovieを使ってウエルカムムービーを作った。その作成に本日の午前中を使ったのだ。

講座の後、遅い食事をしてムービーの最終チェックを行い、書籍販売のみなさんに、プレビューをしてと準備を整えた。

本来ならこのブログにも載せたいのだが、容量が大きいので違うところに載せてもらうことにしましょう。

とまれ、来年お待ちしております。

ネットワークは、熱く深い学びで終わった。

そして、もう一つのメインイベント、聖蹟花火大会に向かう。
東京のマンションは、賃貸物件として貸出しているのだが、ちょうどいま借り手がいないということで、それならばと向かった。

授業づくりネットワークに参加していたみなさんに声をかけて、出かけた。花火は一人で見るより大人数で見る方が良い。

それにしても、4年ぶりの聖蹟花火大会だ。
このマンションを買い、初めて聖蹟花火大会を見たとき、
(あ、長生きしよう)
と思ったものだ。

参加したみなさんも大満足だったようで、主人としても満足であった。花火を叫びながら見るというのは、あまりできるものでもない。初めて叫んだという声も聞いた。

Seisekifw_2

距離が近くて、視線が水平方向に花火を見ることができて、仲間がいる。こういう環境が揃うことが大事なんだろうなあ。

で、このマンションで電線のない広い空と、手を伸ばせば届くかのような距離での花火大会を味わってしまったので、関西でも同じようなマンションをと思って琵琶湖のほとりに居を求めることになったのであった。

マンションに入るとき、私が敬愛している中央大学名誉教授のF先生に偶然お会いした。
「君、終わったら立ち寄りなさい」
と言ってくださる。大学教授というのは先生のような方を言うのだろうなあと思う。

もちろん、終わってから伺う。相変わらずお元気で、うれしい。
ばしばし激励の言葉を頂く。やらねば。

全て現実なのだが、夢のような豪華な時間であった。
余韻に浸りながら、ホテルのベッドに溶け込んでしまう私であった。

2009/08/16

中でも私は三位になったN先生が

8/11

朝、食事をしていたらフロントのところで外国人男性が、フロントに大声で何かを訴えていた。

聞こえてきた内容は、地震で驚いたということであった。ま、驚くでしょう。あれなら。日本の旅の良い思い出にしてください。

ちょっとした用事を済ませて、成蹊大学に向かう。今日から「授業づくりネットワーク」である。今年は二日目に担当がある。準備は滋賀を離れる前に終わらせてあるので、あとは最終チェックをすれば良い。

講座は、始まってしまえば終わらせるしかない。2時間なら2時間で進めるしかない。しかし、準備はかなり無限に時間を掛けることができる。この部分をいかにきちんとやりつつ、やりすぎないということが大事なのだと思う。でないと、本当にキリがなく体に悪いf(^^;。

昼ご飯の後に、北海道の堀さんの講座を受ける。堀裕嗣「PISA型読解力を育てる中学校国語科授業」である。非連続テキストと連続テキストの両方の実際を少しずつ体験する。

私は非連続テキストは、写真を使って行うことが多いのだが、彼は動画で。それもオリジナルの動画で行う。私は動画は編集の時間が膨大になるので、やらない。でも、こういうのであればやっても良いなあとも思う。

連続テキストは、宮沢賢治の小説で行う。北川達夫さんはおっしゃっているが、なにも連続テキストのPISA型の問題は論理的文章で行う必要はない。むしろ、事件のある物語の方がいいとのことだ。ただ、堀さんは、物語の話者の観点から取り上げていた。これも面白い。私は俳句で行うことが多いのだが。

自分の実践と比較できるのは、とてもありがたく、面白い。

さらに、土作さんがコーディネートする、Mini-1グランプリ。なかなか感動的であった。若手教員が7分間で授業を展開し、その優劣をM1方式で決めるというものである。

予選を通過した三人の先生は、アクション派、お笑い派、正統派とそれぞれ異なった規準の上に授業を展開していた。これは面白い。最終的に、優勝者が出たが、どれも実力伯仲であった。

中でも私は三位になったN先生が見事だったと思う。教員生活9年目にして3年連続出場。失うものがどんどん多くなって行く中で、実力を付けんがために、出場である。

関西青年塾で拝見したときは、まだまだと思ったが、今回のステージではそれを見事にヴァージョンアップしての授業であった。この三年連続というのは、今後続くであろう後輩たちに、大きな勇気を与えたのではないだろうか。

一回挑戦したぐらいでめげてはダメ。二回でもダメ。三回挑戦してみてから言いたいことを言ってみよという感じである。

おめでとうございます、N先生。

初日の夜は、ネットワークパーティ。
成蹊大学の最上階ホールで行う。
夏の大会は、会場に入ったとたんに夜景になっているが、夏の大会はまだ空が明るい。そして、それがだんだんと夜景になって行くのが良い。

写真は、夜景になってからのもの。
新宿方面を撮影。2秒露光で撮影である。

Rimg0065

嘗ての仲間、今年であったメンバーに声をか、食事をして楽しい時間を過ごす。ちょっとイレギュラーのこともあったが、なんとか守りきった(と思う)。もうちょっと早く気がつけば良かったが。ごめんな。>分かる人だけ分かってください。

二次会は、吉祥寺の駅前で。
ここも楽しい時間ではあったが、首を傾げることがあったこともメモとして書いておこう。いや、それはパーティのことではなくある参加者のことである。

恩師の名を語り、自分にとって有利な嘘の情報を流そうとしていたというものである。私には信じられない。そんなのは、恩師の名を汚し、自分が嘘つきであることを知らしめるだけである。ばれないとでも思っているのであろうか。

そんなこんなで二次会でももうちょっと早く気がつけば良かったことがあった。次回からは気をつけます。ごめんな。>これも分かるかただけでf(^^;。

ブログでは、私はあまり否定的なことは書かないのだが、これはちょっと酷く、いろいろな意味を込めてメモとして残しておく。

もちろん、全体としてはとても良い時間であった。
ただ、気がついたらこの宴会では私が最年長であった。
びっくりしたなあ。
でも、びっくりしただけでこれからも同じように参加するんだろうなf(^^;。

二次会終了後、吉祥寺の町を散歩してホテルに。
濃い日々が続く。

「話を本筋に戻しましょう」「この議論に決着をつけましょう」

8/10

ディベート甲子園三日目。ベスト4に残った中高8校が今日頂点を極める。また、切ない夏が一つ終わるのかと思うと、朝は少しかなしい。

私は今年は中学校の準決勝の審判が最後の審判であった。
判定は3対2に割れる結果となった。立論の作りと、議論の決定打のありようが、この差となったと言える。

ディベートは、圧倒的に勝つことを求められる。ジャッジの票が割れるというのは、ジャッジが議論の評価をしてしまっているということである。

誤解の無いように話せば、ジャッジは議論の判定をする。しかし、これはジャッジがストーリーを作るのではなく、ディベーターが主張し論証したストーリーをジャッジが受け入れるかどうかということなのである。受け入れた方に投票する。つまり、投票された側が勝ちになるのである。

ディベートは、ジャッジを説得するゲームである。

三年前から、即興ディベートというものが大会で行われている。ディベート甲子園のディベートは、政策論題で2月に発表された論題を十分に調べて議論を組み立てて戦うのであるが、もう一方で即興で行うディベートもあるのである。

このディベート甲子園では高校生のチームで決勝トーナメントに出たチームの中で決勝戦に行くことの出来なかったチームの中から、参加校を募り、行った。

今年の即興ディベート決勝は、なかなか良かった。

論題は【日本は自転車に運転免許制度を導入するべきである】であった。

肯定側は、500円の費用を掛けて免許を取得する政策を提案した。教育をするというのである。否定側は、悪いと分かっている人には500円でやっても意味がないという議論を展開。

そして、否定側の第二反駁で、「500円あれば、今日お昼に食べたスパゲティが食べられるのですよ。意味のないプランに500円使う必要はありません」と言って会場から拍手を貰っていた。ディベート甲子園では昼ご飯が500円のチケットで食べられるのである。それを使っての反駁であった。

これで否定側にぐっと流れが行ったかと思った。
ところが、肯定側の第二反駁は、こうはじめた。「話を本筋に戻しましょう」。凄かったなあ。会場の空気が一瞬にして戻った。「500円で人の命が救われるのです。安全性が高まるのです。スパゲティ一回分で出来るのです。やりましょう」と反駁であった。

肯定側の勝ちであった。
「話を本筋に戻しましょう」は、これからディベート甲子園の決め台詞の一つとして、残って行くのではないかな。

そして、高校の決勝である。
【日本は、一院制にすべきである】という論題である。
この試合は、肯定側早稲田大学高等学院、否定側東海高校である。

私がぐっときたのは、第二反駁である。
「この議論に決着をつけましょう」
と第二反駁の生徒は言った。

第二反駁は、いままでの議論を振り返りつつ、価値の比較を行う。肯定側と否定側で議論がぶつかり合ってその行方が見えなくなっていた争点に関して、このように宣言してからスピーチをはじめたのだ。これはなかなか良かった。

さらに、「勇気ある1秒」である。
「では、次に否定側のフローシートをご覧下さい」
と、次のスピーチが否定側に関するものであることをガイドする。これは、サインポスティングと呼ばれる手法で、いまどこの議論に触れているのか、触れようとしているのかを示す、話し言葉で行うディベートにとってはとても大事な技術である。

この技術を使うディベーターは、比較的多い。しかし、彼はそれだけではなかった。この「では、次に否定側のフローシートをご覧下さい」を言った後、ジャッジが否定側のフローシートを用意するまで、1秒間待つのである。

4分の持ち時間の1秒である。とても短い時間である。しかし、持ち時間が区切られている中で、意図的に無言で1秒待つには相当の勇気が必要である。これによってジャッジは非常にフローを取りやすくなっていた。

チームは大会出場9年目で初優勝を遂げ、彼は、最優秀ディベーターとなった。

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私は勝手に
(種が一つの花を咲かせたな)
と思っていた。

早稲田大学高等学院には、私の教え子も進学している。
彼と彼らの中学校時代の活躍はここ。
そして、彼が盛り上げて、全国大会の準優勝までしている。

その彼の蒔いた種が、一つの花を咲かせたなあと思ったのである。もちろん、実際は現役の生徒と指導者が咲かせたのである。しかし、こうして、その花を別の角度から見ている人もいるんだなあと、思う。

来年でディベート甲子園が始まって15年か。すごいなあ。一つの時代に生きているんだなあと思う。

また、
(顧問ていいなあ)
と早稲田大学高等学院のM先生を見ながら、久しぶりに思った。
生徒との良い距離感の中で、先生も生徒もとても幸せそうであった。

M先生、おめでとうございます。

打ち上げを終えて、ホテルに戻ると嬉しいメール。
採用試験の一次試験合格の連絡が二つ。
よし。

二次試験もしっかりな。

寝ているときにまた、地震。
夢の中では、たき火から背中に火がついてしまい、慌てて転がり回って消しているところだった。
(あれ? これ私が動いているのではない。動かされている)
と思って目が覚めたら地震だった。

最近の建物は、地震のときに揺れるように出来ているとのことだが、やっぱり気持ちのよいものではない。

明日から始まる、授業づくりネットワークのためにもう一度しっかりと寝直す。

2009/08/15

ディベーターは、やがてここに気がついて行くだろう

8/9

風呂を浴びて朝食をとって試合会場に向かう。
今日は最大で四試合行う学校が出る。
予選リーグを勝ち上がり、勝ち進むと準々決勝となる。ベスト4まで決まるのだ。

私はそのうち三試合を審判することに。二試合が中学校で一試合が高校。中学校の方は主審であった。

どの試合も良い試合である。
ヒリヒリする。
特に決勝トーナメントに入ってからは、上手い試合運びや、絶妙な反駁のチームが多い。
(準備を十分にやっているなあ)
と思われるのである。

強いチームは、大会中に上手くなって行くものだ。そして、それをジャッジは割と感じている。ふんばって耐えて議論を展開できるチーム、勘所を押さえて試合を作って行くチームというのは、事前の準備が漢方のようにきいてくるのだろうなあと思う。

そして、その漢方のようなふんばりは、顧問とそれを支えてくれる学校関係者、保護者のみなさんなどが丁寧に指導を重ねてきた結果だということも私は分かっている。

ディベーターは、やがてここに気がついて行くだろう。そしたら、今度は後輩のために力を出してほしい。

昼休みは、ジャッジ控え室で昼寝。
机に突っ伏して寝た。
これで随分と楽になった。
どうも眠りが浅いので、昼寝は大事だ。

ってなことを試合が終わって、今は医者になっているSくんに話していたら、彼の専門が睡眠障害であった。いやあ、いろいろとアドヴァイスを貰う。後生畏るべしである。

大会中は、引率をしている懐かしい顔の先生と話をしたいのだが、しない。ジャッジなので、ある特定の学校と仲良くしていると思われてはまずいので、近寄らないようにしているのである。

昼ご飯の会場でチラッと挨拶をしたりするぐらいである。大会、試合は厳正にどの参加校にも公平になるように運営しなければならない。大事なことである。でも、ちょっと寂しい。仕方がないんだけどね。

全国教室ディベート連盟の総会は、失礼して先にホテルに帰る。ホテルからスカイプをして娘の顔を見たいからである。ごめんなさい。

娘は、淡々と食事中。ま、それはそれで嬉しい。
「ぱぱ~~~~~」
と言いながら、食事。それがいい。

だが、この最中に地震。
これは驚いた。
『おい、地震だ!』
と行ったとき、滋賀ではなんでもないようであった。
が、その数秒後向こうでも結構大きな地震であった。

が、娘は何事もなかったように食事を続けていた。
ま、まだ二歳になっていないもんね。
何事もなくて良かった。

その後、近くで食事をしているというメンバーに合流。昔の仲間で食事というのは、いいものだ。

来年で15周年になる全国教室ディベート連盟のディベート甲子園について、あれこれ思い出を語りながらの食事である。第一回大会のときに生まれた子どもは、いま中学三年生だもんなあ。私の髪に白いものが混じるはずだ。

さ、明日が最終日。
明日も良い議論が生まれますように。

2009琵琶湖花火大会

8/8

そして、再び東京に向かう新幹線の中である。新幹線もだいぶ詳しくなったなあ。2時間半乗っていれば東京に着いてしまうと言うのは、どうも実感がなかったが、いまではそれが普通になっている。嬉しいことに富士山を見ることもできた。

Fuji

 

これから一週間、ディベート甲子園に、授業づくりネットワークである。いったい何なんだろうとも思うが、これは幸せな日々なのだとも思う。

野口芳宏先生は、良い人生とは「他人に大切にされる人生」と言われる。その通りだと思う。が、他人に必要とされる人生。これもまた幸せな人生であろう。

昨晩は、大雨の後の2009琵琶湖花火大会であった。
私は4時半ごろには家に戻れたので、シャワーを浴びて料理の下準備に取りかかる。

娘は浴衣に着替えさせる。ああ、娘で良かったなあとしみじみ思う。可愛いや。

19:30からの花火大会に向けて、1時間前からお客さんたちが我が家にやってくる。四回生の学生たちを招待し、奥さんの昔の友人とその子どももやってくる。

最初人見知りしていた娘も、今回はすぐに慣れた。女子学生たちが浴衣だったので、自分と同じようで嬉しかったのかなあ。

Imgp0411 琵琶湖花火大会の始まりは、実はしょぼい。私は初めて見たとき
(え、こんな感じなの?)
と思った。聖蹟花火大会は、最初にスターマインでどーんとやるので、そう言うものだと思っていたのだ。だからしょぼく感じたのだ。

しかし、そういうスタートであって、中盤から後半に掛けての盛り上がりは相当である。とてもじゃないが、食事をしたり飲み物を飲んでいる暇はない。

代船の上から打ち上げる半球の花火は、湖面に映し出されて球となるように設定されている。Imgp1288 これはなかなかいい。さらに、迫ってくるようなスターマイン。この場所に居を構えて良かったなあと、しみじみ思う。お客さんたちも十分に楽しんでくれたようだ。

Imgp1437

Imgp1446 Imgp1453

花火が終わってから、しばらくリビングで寛ぐ。花火の余韻を味わいながら料理を食べる。いや、そうしないと駅がとんでもないことになっているので、最低一時間はゆっくりしたほうがいいのだ。

ということで、ここで急遽学生たちと「たほいや」大人版をすることにした。二試合して頭を使う。なんといっても池田家のパーティは、お酒を飲んでも頭を使うのだf(^^;。

良い花火大会だったなあと思いながら、一日を終える。
また、来年である。

ムービーは、当日撮影した写真から作ったものであるライブには全く勝てないが、雰囲気だけでも。音はもちろん合成である。

「hanabi09.mov」をダウンロード

で、寝て起きて新幹線に乗っている私である。
名古屋から混んできた。
久しぶりに三人掛けの座席に三人とも座ることになる。隣の座席は二人の中年女性。

これが新横浜で降りるまで、ずーっと一人の女性がしゃべりっぱなし。まあ、出る出る、会社の悪口f(^^;。悪口というのは聞いていて気分が良くないものだから、途中で頑張って寝たのだが、目覚めてもまだ続いていた。

ま、ご本人はストレスを発散しているのでしょうが、側に聞かせされてしまっている者にとってはなかなかしんどい。新横浜で開放された私であった。

さ、待っていろよ、ディベート甲子園。

ながーく愛します。

8/7

ホテルで目覚める。
基本的にどこでもすぐに寝られる体質で良かったと思う。枕が合わないとか、蒲団が合わないとかなくはないが、まあそんなに問題ではない。禁煙ルームであれば大丈夫である。

写真は、鉄道ファンには楽しいホテルからの眺めである。
N700とゆりかもめ、山手線はばっちり見えている。
Photo

朝のニュースチェックでは、芸能界の麻薬汚染の広がりにうーむである。まさか、彼女が容疑者となって逮捕状が請求されるとはねえ。でも私が驚いたのは、別の彼女である。

私たちの世代の永遠のお姉様である、大原麗子さんが亡くなられていたというニュースである。
「女房酔わせてどうするの」という石田ゆり子さんの名文句もあるが、私たちの世代にはなんといっても大原麗子さんの
「少し愛して、ながーく愛して」
である。

久しぶりに、you tubeで「今夜は最高」の彼女の演技を見たが、まあ、可愛い。なんとも可愛い。これで40歳を過ぎていたなんて信じられない。

ご冥福をお祈りします。ながーく愛します。
合掌。

本日は、免許更新講習である。大田区の主幹級の先生方が大挙して渡しの講座に参加される。さらに若い先生も。60名程度の先生方と2時間であった。

若い先生は、ヘーッと思いながらの受講で、ベテランの先生方は、理論化するとそうなるんだなあというような感想を頂いた。良かった。

こんな感想も頂いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

ありがとうございました。
現場の先生だなーーーと思いました。
ぜひ、文科省とかに行ってください。
本当の現場の先生が上(?)中央(?)に入ってほしいです。
またお話を聞かせていただきたいです。

引用終了 ーーーーーーーーーー

文科省は私のことを全く呼ぶつもり等はないだろうが、こういう感想を頂けるのは、現場上がりの大学教員としては甚だ嬉しい。現場で起きている事実の理論化というか、翻訳と言うか、これが私の大学での仕事だと理解しているが、それが評価されたようで嬉しい。

受講後お昼ご飯を食べているところに、わざわざ自分たちの研究団体に「先生を御呼びしたいがお願いできるか」のような話をしにきてくださる先生も。はい、頑張ります。

お昼ご飯を食べる控え室では、堀田先生にご挨拶を頂く。
私も、
(あれ?)
と思ったのだが、講座の最終確認をしていたのでこれが終わってからと思っていたのだが、先生の方からわざわざ来てくださった。
「先生、ご挨拶だけでも。いつもあれこれお願いをして済みません。ブログ拝見しています」
『え、あの、ありがとうございます。私も拝見しております』
「伝える極意、たくさん出ていただいて。プロデューサーに、池田先生がいいと言っているのは、私です。すみません」
『いやあ、勉強になりました(^^)』
なんて会話を。

いつも思うのだが、優れた方というのは腰が低くて、懐が深い。京都で一緒に飲むことをお約束する。楽しみだ。

食事後、すぐに臨海高速鉄道の東京テレポート駅に向かう。ここから大崎駅、品川駅、京都駅と乗り継ぐのである。東京テレポート駅を12:58に乗ったところ、品川駅で13:27発ののぞみに飛び乗ることができた。今回も、新幹線がホームにやってくる3分前、ぎりぎりにホームに立つ。

車中では、寝ながら過ごす。
移動の多いこの八月の前半である。体力を温存である。とにかく寝られるときには寝るのが一番である。

ただ、品川を出て25分経つと、富士山が見える場所にくる。晴れているので富士山を見ることができるかと思いきや、ダメであった。この場所は、京都からだと1時間25分ぐらいの場所である。うーん、残念。
また、寝ながら移動である。

京都に近づくに従って入道雲や雷雲が多くなている感じもするが、まあ、花火大会はあるだろう。楽しみである。

で、新幹線のコンコースで弁当を三つ購入。
私たちの花火大会用の弁当である。三つというのがポイント。もう、二つでは無理である。娘が二歳直前にして一人前食べるのである。良く食べる娘は、安心である。

京都駅の湖西線に乗り込むホームに行くと、まだ4時前だというのにホームは人で溢れかえっていた。花火大会に向かう人である。さすが琵琶湖花火大会である。だってねえ、大津市民15万人のところに、15万人以上のお客さんが来るわけですから。

大津京で降りて、パーティの食材を購入して、家に着いたのが16:30ごろ。思ったよりも早くついた。

さ、これからすばらしい夜のために、準備である。

15時からの講座

8/6

広島に原爆が投下された日である。
人類は、この日を永遠に記憶に留めるべきである。平和は望むだけではダメで、平和を求める行動を日々の生活の中で行うべきである。

庶民には、大きなことは出来ない。だが、重要なことは出来る。平和を作る生活をしているのか、そうでないのかを時々考えることである。

そこからしか始まらないような気がする。

涼しい朝であった。
一日中部屋の中風が通り抜けていたので、寝苦しさは感じなかった。

朝、ベランダに出ると琵琶湖には既に明日の夜の琵琶湖花火大会用の打ち上げ島(代船)が、係留されている。年に一回のクレイジーナイトの準備は始まっている。

私は朝食を食べて、一泊二日の東京講座の最終確認。そして、これから一週間はMINIに乗らないので、その間にメインテナンスを依頼したのでその引き取り、さらに、ちょっとだけ娘とプールということをしながら時間を過ごす。

今日は午後の3時からの講座なので、自宅を11時ちょっと前に出れば間に合う。というか、午前中に娘とプール遊びをして、それから東京の講座に間に合うという交通網の凄さは、なんなんだろうと思う。

また、昨日は140キロを移動し、今日は450キロを移動するこの生活もなんだろうと思う。この八月は、東京だけでも最低三回。場合によっては四回往復することになる。八月の移動距離はどうなるのだろうか。

今回はN700ではあるが、窓側を取ることは出来なかった。電源の確保が出来なかったが、バッテリーが3時間は大丈夫なので、ま、いいか。きちんと東京駅までは持つであろう。

今使っているMacBook Proは15インチである。この前は10インチであた。最初は15インチは大きいなあと思っていたが、いまではこれが基準になってしまっている。大きいからバッテリー消費量が多いとも言えるが、一度この大きさに慣れてしまうと、これまた元には戻りにくいなあ。

15時からの講座であったが、予定通り30分前に会場に到着。お台場にある中学校が会場である。クーラが効いている。公立であっても港区はそうなのかもしれない。しかも、上履きと下履きの区別もない。
写真は、会場から見えるお台場である。

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講師控え室に入ると、手を振る先生。野中先生である。先生は同じ講座の小学校の先生に向けての講座である。私は中学校。今日は、若い先生が対象で私の方は10人程度と聞いていたのであるが、野中先生は30人を超えると言う。大変だ。

事務方に、受講される方の本日のスケジュールを聞くと、私の講座で5コマ目だと言う。いやあ、それは大変だ。普段授業をする先生が、授業を受けるというのは結構大変である。授業はするものと体が出来ているので、受けるものというのに変えるのは大変なのである。

2時間の講座である。通常2時間では私は休憩時間を入れない。が、5コマ目というのを聞いてはそんなことはできない。ぎりぎり絞って5分の休憩時間を入れて行うことに、直前で構成を変更した。

10人の先生で講座は和やかに進行し、終了する。二学期が楽しみになったと言う声を多く聞く。こういうのが嬉しい。

今日の研修は、教育委員会主催の研修である。私も受けたことがある。そして残念ながら多くの場合、私のときには、あ~あというものが割とあった。だから、する側になったいま、折角の時間をあ~あとならないように行いたいと考えている。

講座後、懇親会までの時間は野中先生とデートである。
お台場の小ジャレたお店に入り、ビールでのどを潤す。
ひゃああ、美味しい。

30分ぐらいであったが、沈み始めた太陽がお台場の海に反射しているのを眺めながら先生から最近の動きのあれこれを伺う。贅沢な時間である。

Rimg0010

その後、全体の懇親会に参加。明日のための英気を養う予定が、お店の料理出しのタイミングがちょっと悪くて、残念。だが、野中先生との更なるお話等をしつつ、あれこれ良い時間を過ごす。

Rimg0032

その日の宿は、汐留。
このホテルは、鉄道ファンにはたまらないだろうなあと思われる。
新幹線、ゆりかもめの他に在来線が行き来するところを見ることができる。

なかなか良いホテル。Rimg0061
明日の講座に備えてお休みである。


2009/08/14

無事到着

無事到着

先ほど六泊の東京ツアーから、無事琵琶湖のほとりの住まいに戻りました。

終わってみれば短く、そしてとても充実した七日間でした。この間、倒れることなく務めを続けられたのも、関係スタッフ、仲間、家族などなど多くの方に支えられたからだと感謝しております。

この間、メールなどで頂いている連絡には、まだお返事を差し上げきれていないものもあります。これから時間を見つけてお返事いたします。しばらくお待ちください。

まずは、帰郷の報告まで。

2009/08/06

授業づくりネットワーク2009in東京

さて、来週のことである。
今年の夏の講座の一つの目玉であるのが、私がベースキャンプにしている団体の夏の集会である。
良かったらお越し下さい。

引用開始 ーーーーーーーーーー

授業づくりネットワーク2009in東京

技術と省察の教師力の探求〜学び合う教師をめざして〜
 主催 NPO法人「授業づくりネットワーク」
 後援 東京都教育委員会
    武蔵野市教育委員会

■日程
 2009年8月11日(火)〜12日(水)

■会場
 成蹊大学4・9号館(東京都武蔵野市)

■8月11日(火)
10:00〜12:00 講演・対話型インタビュー
「教師のライフヒストリーから学ぶ〜辞書引き学習法を中心に〜」
 講師:深谷圭助(立命館小学校)
 対話:森脇健夫(三重大学)
 進行:上條晴夫(東北福祉大学)
13:00〜15:00 体験型講座
「安定した授業づくり・安心のある学級づくり」
A:ワークショップで学ぶ意欲を育てる小学校国語科授業
 講師:木附隆三(東京・町田市立鶴川第一小学校)
B:PISA型読解力を育てる中学校国語科授業
 講師:堀裕嗣(北海道・札幌市立北白石中学校)
C:学習ゲームで楽しく力がつく算数科授業
 講師:竹松克昌(神奈川・茅ヶ崎市立鶴嶺小学校)
D:楽しく学ぶ実験と観察 「言語活動」を生かす理科授業
 講師:真田伸夫(山形・寒河江市立白岩小学校)
E:全員わかるをめざす「学び合い」の社会科授業
 講師:阿部隆幸(福島・本宮市立糠沢小学校)
F:特別支援教育に学ぶ授業づくり・学級づくり
 講師:池田康子(神奈川・川崎市立下河原小学校)
 講師:上原淑枝(神奈川・川崎市立百合丘小学校)
G:プロジェクトアドベンチャーを活用した小学校学級づくり
 講師:高久啓吾(神奈川・寒川町立一之宮小学校)
H:エンカウンターを活用した中学校学級づくり
 講師:明里康弘(千葉・千葉市立磯辺第一中学校)
15:30〜17:30 Mini−1グランプリ2009
「第3回全国大会〜授業づくりプロへの登竜門〜」
 進行:土作彰(奈良・広陵町立広陵西小学校)
18:00〜20:00 懇親会(希望者のみ)

■8月12日(水)
10:00〜11:30 体験型レポート検討
「『あすの授業』を語り合おう!」
 進行:佐内信之(東京・杉並区立方南小学校)
12:30〜14:30 対話型講座
「ライフヒストリーから学ぶ授業づくり・学級づくり」
I:物語を読むための「10の観点」とその由来
 講師:白石範孝(筑波大学附属小学校)
 対話:鶴田清司(都留文科大学)
J:理科実験を効果的にする「学び合い」とその由来
 講師:水落芳明(上越教育大学)
 対話:赤坂真二(上越教育大学)
K:学級づくりに役立つ「3・7・30の法則」とその由来
 講師:野中信行(神奈川・横浜市立子安小学校)
 対話:石川晋(北海道・上士幌町立上士幌中学校)
L:学級づくりに求められる「学級担任論」とその由来
 講師:池田修(京都橘大学)
 対話:喜岡淳治(成蹊大学)
15:00〜16:40 模擬授業
「ハイブリッドのすすめ〜新旧技術の混交〜」
 講師:鈴木啓司(千葉・市川市立曽谷小学校)
 講師:石川晋(北海道・上士幌町立上士幌中学校)
 進行:上條晴夫(東北福祉大学)
16:45〜17:00
発表!「授業づくりネットワーク2010in京都」

【参加費】
〈2日間〉
 一般   8000円
 会員   7000円
 一般学生 4000円
 会員学生 3000円
〈1日のみ〉
 一般   5000円
 会員   4000円
 一般学生 3000円
 会員学生 2000円
【懇親会費】
 3000円(希望者のみ)

●申し込み先
 http://jugyo.jp/nw2009natu/

引用終了 ーーーーーーーーーー

では。

2009/08/05

「二学期が楽しみになった」

8/5

大きな仕事を終わらせて家に帰ったのは、結局暗くなってから。

仕事を終わらせる最大のコツな何か。
それは、仕事を始めることである。
当たり前のことであるが、これである。

やらない理由をあれこれ並べては、出来ない出来ないと言っている私を、私は良く知っている。だから、えいやっ!とはじめることが大事なのだ。

もちろん、知っていることと出来ることは別だということも知っているが。

6時前に起きて、朝風呂。
今日の仕事のあれこれをもう一度イメージトレーニング。そして、食事をしてからMINIに飛び乗る。本日は片道二時間掛けて福井県まで講座を行いに行くのである。

午前と午後を合わせて、合計で5時間近くの講座である。生徒指導、学級経営の場面指導とその考え方であり、ワークショップである。

さすがに5時間あると話すことが無くなるかなと思ったのであるが、これが逆で、ワークショップで先生方がさまざまな課題を出してくださったことから、結局時間ギリギリまで行うことになった。

お疲れかなあと思いながら、講座を進めるのだが、実際は先生方のとても熱い受講姿勢に支えられて、やりきることができた。まだまだ学びが足らない、もっとやりたいというような感じの感想文も頂いた。ありがたいことだ。

「二学期が楽しみになった」
そんな感想がいくつもあった。これがとても嬉しい。片道二時間、70キロの運転の疲れも吹っ飛ぶというものだ。良かった良かった。

実は講座の前に、嬉しい電話が飛び込んできていた。
まだ公開は出来ないが、これが正式に決まったらとても嬉しい。ま、さらに忙しくなるのでその部分は怪しいがf(^^;。

その打ち合わせを講座後、70キロ運転したあと家に帰ってから電話で行う。
うーん、そうなりますか。
その日程で、その時程で。
ま、綱渡りのようではありますが、可能ならばそこでいくしかないですね。はい。

さ、明日と明後日は、再び東京で講座であります。
野中先生にお久しぶりにお会いできるのも楽しみです。

新幹線、待っていろよ(^^)。

2009/08/04

ちょっと現実逃避

8/4

黙々と事務仕事を続ける、
わけがない。

新しく買ってしまった本を紐解き、東京行きのホテルの確認をし、大学の仕事をしと、一日を過ごす。

ついでにこのごろ思っていることを書いておこう。
ちょっと現実逃避(^^)。

東京に行く前に、大きな仕事を一つ残してだいたい終わったというところか。ま、この大きな仕事が面倒なんだけどね。いや、面倒だから仕事というのだけどね。

だけど、ここの部分が分からないで社会人になる人も多いと思うのだよ。いや、私だって分かっていたかと問われれば、なんとなくだったというのが正直なところだけどね。

何かと言えば、面倒なことをやるのが仕事だということだ。
学校教育では、「自分の好きなこと」「自分の能力にあっているもの」「自分の関心のあること」を仕事にしようなんて指導がされる。私も進路指導主任をやっていたときは、そんなことも頭の中にあった。

だけど、違うんだよなあ。
だいたいからして、社会人一年目に「君の好きなことをやりたまえ」なんて業務命令が来るわけがないんだよな。もっと言えば、一年目だけではなく、そこからずーっっとないんだよな。

仕事ってやつは、自分の好きなことをやるんじゃない。頼まれたことを限られた条件の中で行っていくことなんだなあ。
「俺がしたいのはこんな仕事ではない」
って言う人がいる。
「俺は、自分のやりたいことだけをやってきた」
なんて言う人もいる。

だけど、自分がやりたい仕事を任せてもらえる人は、それ以前に与えられた仕事をその条件でやりきった人だし、やりたいことだけをやってきたという人は、嫌いなことを逃げてきただけじゃないの?と思われる場合もあるわけで。

自分の好きなことがやれないからこの仕事はダメだ、なんていう風潮があるけど、違うんじゃないかなあ。

好きなことを仕事にするではなく、やっている仕事を好きになる。そうすると、なにをやっていても好きなことが仕事になるという循環ではないかなあ。

人生には正解が在るのではなく、自分の人生を正解にするとでもいったらいいのかな。

今日は明るいうちに帰るぞ。

ああ、欲しいものが

ああ、欲しいものが。
久しぶりに物欲が動く。
このところ、欲しい欲しいというものがないので、私の物欲も落ち着いたものだと思っていたのだが、これは欲しいなあ。

http://www.excite.co.jp/News/it/20090804/Itmedia_news_20090804037.html

取り敢えず、iPhoneを買わないでこれを待とう。11月なんてあっという間にやってくる。

で、さらにこれもいいなあ。

http://japanese.engadget.com/2009/08/04/coolpix-1000pj/

ま、これは様子見だけど。

デジカメの進化ってのはもう画素数とかの勝負ではなくなっているんだねえ。そのうち、念写なんてのも出来るデジカメが出てきそうだなあ。ちょっと怖いけど。

研究室で仕事をしながら、息抜きに発見した情報でした。

「ぱぱ〜、どーんて!」

8/3

朝6時前に起きて、ベランダの朝顔に水をやる。随分大きくなった。種を蒔く時期を遅らせてしまったので大丈夫かと思ったが、一安心である。ハイビスカスはどんどん咲き続けているし、ブルーベリーも実を結んでいるし、なかなか夏らしいベランダである。

昨日の晩に奥さんが片付けたゴミの袋が廊下においてある。おっと、今日は月曜日であった。ゴミ出しの日である。すでに曜日の感覚が消えている。しかし、この曜日の感覚が消えるパターンがいつもと違う。
夏休みに入ると、授業がなくなったり連続して休暇を取ったりすることで、曜日の感覚が無くなるのである。が、今回は授業が無くなったのに加えて、土日も関係なく働き続けていて、移動もあちこちしているということから曜日の感覚が抜けているのである。いかんなあ。のんびりと娘と一緒に市民プールに行くこともできていない。せめて、ゴミ出しは娘と一緒に行くことにしよう。

引用開始 ーーーーーーーーーー

旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめてはあたらしき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

萩原朔太郎

純情小曲集

引用終了 ーーーーーーーーーー

季節は違うが、まあ、そんな気分でもある。

本日は、教科教育法国語の課題の提出日。締め切りである。午前中は、事務仕事をしたり、相談に来たりする学生たちの相手をしながら過ごしたが、午後は時間ぴったりに動くのであった。締め切り時間厳守である。13:00pmきっかりに回収する。その後、仕上がりの確認をし続ける。

ふと、研究室の前の教室を見ると三回生の学生たちがあれこれやっている。学生たちが自主的に作った子どもと体験を通して学ぼうとするサークルが、準備をしているのであった。なんと「たほいや」をやるという。

うーん、頑張れよ。たほいやは面白いが、あのルールをきちんと理解させるには、相当の力量が必要である。初対面の小学校五六年生に理解させて楽しませるってのは、かなり指導の力量が必要である。これに挑戦するというのだ。十分に準備を重ねよ。

作品を確認をしながら、私もスケジュールの確認である。躓くと将棋倒しになってしまうからなあ。授業のあるときは学生たちに『あれはどうだっけ?』と確認することもできるが、授業ではないものまでは確認できないしねえf(^^;。

さらに風邪を引かないように、倒れないように、丁寧に毎日を過ごさないとなあ。昨日あたり、ちょっと喉と頭が痛かったので今朝方心配したのだが、まあ、大丈夫であった。お酒の量を控えて、食事の量も控えて、いつも通りであり続けよう。

一通り作品を点検し終えたので、次は集中講義の準備。8/18から四日間である。一日に4コマ、3コマをやり続けるのは結構大変である。中学校の教師だった頃は一日に6時間フルに授業ということもあったが、それは毎日ではない。毎日フルに授業をして、四日間というのは大変である。しかし、大学に来た一年目、二年目はよく分からないまま組まれた時間割だったこともあったのだが、集中講義が夏に三つもあったんだから、今から思うと卒倒しそうである。

しかし、この集中講義の準備もなかなか終わらない。
15×90分の内容を一気に行うわけで、準備がおかしかったり不十分だと、授業を私がコントロールできなくなる。これは絶対に避けなければならない。だから、指示や課題の流れを丁寧に確認して、印刷にまわすものは印刷に回し、教務に連絡する教室変更予約を行い、外部講師への依頼状の確認をし・・・とまあ大変である。

一週間に一度の授業であれば、その間になんとかコントロールすることができるのだがこれを前もって一気にやっておかなければならないからなあ。結構気を張る仕事なのである。本来ならば作品の点検のあとにするような仕事ではないのだが、スケジュールの関係上ここでするしかない。

気がついたらもう20時を回っている。
慌てて家に帰る。ちょうど浜大津の花火が上がっているタイミング。
部屋に入ると
「ぱぱ〜、どーんて!」
と娘が花火を知らせながら迎えてくれる。
はあ、嬉しい。

その後、風呂。食事をとってすぐに寝る。アルコールは控える。
喉に詰まった感じが残るのが嫌だなあ。
押さえて押さえて、仕事を進めよう。

2009/08/02

良かった良かった。元気で

8/2

10時間も寝てしまった。途中目が覚めることは覚めるのだが10時間であった。一度昼寝を覚えてしまった体は、昼寝抜きになると疲れがたまりやすくなると父親は力説していたが、本当なのだろうか。

私のMacで娘とスカイプをした後、Macを見ていた父はスクリーンセーバーをいたく気に入った様子。なんのことはない、自分で撮った写真が次から次へと出てくるように設定してあるだけなのだが。

両親はちょうどデジタルフォトフレームを買おうかどうか悩んでいたようで、
『あ、だったら、XPでも問題ないと思うけどなあ。設定しようか?』
とプロパティから設定してあげた。
「を、こりゃあいいなあ」
と父親。次から次へと孫の写真が出てくる。

ふと思いつく。
『あ、面白いソフトがあるんだけど』
とフォトストーリー3をダウンロードして使い方を教える。父は感動しながら早速作り、自分の作品を母に見せようとする。

「お母さん、お母さん!」
「なに? 使い方は自分で覚えてね。私に覚えさせないでね」
なるほど、いつもこういう会話をしているのね。もちろん父は自分があっという間に作った作品を自慢したくて呼んでいるのだがf(^^;。

「こりゃあ、良いソフトを教わった。しばらく十分に体を動かせないから、これで楽しもう」
と。
良かった良かった。元気で。

雨の東京を後にして、新幹線で京都に到着。
ipodからは小田和正の歌うHEROが流れていた。

京都駅のホームに降り立って、なんか
(ああ、帰ってきたな)
と思った。
もう、というのか、まだというかよく分からないが関西に居を移してから4年目である。帰ってきたのは東京なのか京都なのか分からなくなってきている。

しかし、どちらに帰っても、帰ってきたという思いを抱けるのは嬉しいものだ。

駅まで娘と奥さんが迎えに来てくれていた。
私は近くのスーパーまで来ているのだと勘違いしていて、通り過ぎようとしてしまった。いかん。

娘はワンピースに麦わら帽子であった。
ああ、帽子も嫌がらずにかぶれるようになってきたんだな。

家では、「風がね」と言いながら、風が吹いたので物が飛んだことを話し、バランスを崩すと「おっとっと」と言いながら倒れないようにしていたり、まあ、随分と成長している。因果関係を理解した言葉を二歳になる前に話すことができるなんて、私は驚きである。

寝る前に久しぶりにコーヒーを飲んでいたら、琵琶湖が明るくなった。花火である。今日は浜大津のお祭りがあったので、その花火である。いやあ、間に合って良かった。

Imgp0268

さ、これにも元気を貰い、明日、明後日と事務仕事をして、さらにまた移動の日々である。

もしかしたら、私が彼であったかもしれない

8/1

朝、9:30からスタートであった。今日は港区の中学校の土曜日講座を運営する学研からの依頼で行う講座である。各中学校の会場責任者、講師、さらに学研の責任者、教育委員会の指導主事などを含めて100人以上のみなさんが、受講された。

講座そのものは、御陰さまでかなり良い評価を頂いた。わざわざ京都から呼んできた講師が、とんでもない奴だったら私を呼んでくれた担当者に申し訳ないことになる。それはまずい。精一杯やった。

どうやら担当者の顔を潰さないで済んだようだ。そして、新たな仕事の依頼を頂いてしまったようである。嬉しいような、かな、いや嬉しいf(^^;。

今回の講座では、ただ、ちょっと考えさせられることがあった。詳しくは書かないが、自分が仕事をしてきたその仕事の仕方を確認することができたとでも言ったらいいであろうか。

もしかしたら、私が彼であったかもしれないなあと、ちょっと気持ちを引き締めたのであった。みなさんは、なんだか分からないと思いますが、ま、宴会の席で突っついてくだされば、話しますf(^^;。

今回は、授業の運営の仕方や生徒との関係性づくりに関して、池田のやり方とその池田がどうしてこういう指導を手に入れたのか、そしてその簡単な理論的な背景は何かを紹介した。

これを受けて、自分にふさわしい指導方法を考えてみるきっかけを今回の講座で手に入れてくれれば、私は講座を行った甲斐があったといえる。

そして、多くの方が手に入れてくださったようで、講座が終わってから何人もの方が、わざわざお礼を言いにきてくださったり、突っ込んだ質問もしてくださった。それだけに、ちょっと彼のことが気になったのかもしれない。

昼ご飯を食べながら簡単な反省会をして、実家に向かう。驚いたことに、先日我が家に泊まった弟家族も夏の旅を終えて、実家に立ち寄ると言う。なんというか不思議な感覚である。

立川で本を物色した後、実家に到着。もう既に弟家族はついていた。私はちょっと体を横たえさせたら、寝てしまった。疲れているなあ。その後、風呂に入ってからみんなで食事に出かける。父も随分良くなった感じだ。しきりに、甥っ子に自分の手術の跡を見せている。母親は
「良かったわね。見てくれる人がたくさんいて」
と。さすが、母である。

弟家族を見送ってから、マッサージチェアに抱かれる。ここで軽く意識を失う。

その後、熟睡。
泥のように眠る。sleep like a logってところか。

MINIで失踪、いや疾走していた

7/31

8時過ぎに家を出て、東近江市に向かう。最近娘は、ワイシャツに腕を通し始めると、私に
「バイバイ」
と言う。出かけるのが分かるのだ。嬉しいような寂しいような。いろいろなことを覚えてきていて、
『抱っこして』
とお願いすると、
「ぎゅーって」
と言いながら私を抱きしめてくれる。切なく愛しい。

東近江市では、先生方の研修会ということで講演をお願いされた。私は講演よりも授業の方がやりやすのだが、100人近くでホールでの実施となると、なんとしても講演になってしまう。2時間で教師の仕事についてあれこれと語った。

講演はまあ恙無く終わったと思う。終わってから教育研究所の所長先生とあれこれ話す。ブログには書かない方が良い話をあれこれ話すf(^^;。どんな立場にいらっしゃってもあれこれ考えることはあるようで、私なんぞにもアドヴァイスを求めて来られる。

ただ、私はこのような講演が終わってからの話は嫌いではない。いろいろな情報を頂くことも多いし、トップの方が何を考えられているのかを知るというのは、実に刺激的である。

名神高速道路を取って返して自宅に戻る。
いやあ、娘が凄いテンションで私に甘えてくる。
思わず新幹線を一本遅らせてしまった。この甘えぶりを振り切って出かけられるほど、私はまだ人間は出来ていない。

このあと、東京に二泊三日ででかける。講座と父の見舞いだ。その準備を鞄に詰め込もうとすると、娘が
「ぱぱ、ぱぱ」
と手渡してくれる。そして
「ばいば〜い」
である。
分かっているのかなあ。

例によってのぞみはN700系で。
いま、近江富士(三上山)を右手に見ながら新幹線は疾走している。ついさっきまで近くにいて、近江富士の横をMINIで失踪、いや疾走していたのが嘘のようである。

で、新幹線の中では、ブログを書き続ける。この二三日、とても充実した時間だったのだが、書く時間がなかったので、ここで一気に書いてしまった。

五反田のホテルに荷を解き、シャワーを浴びてから明日の講座の打ち合わせ。美味しい日本酒とお魚を食べながら。講座責任者からあれこれ大事にしてほしいポイントの説明を受ける。

おし、了解である。

2009/08/01

第一回児童教育学科「立志式」 その2

7/30

キャンプファイヤーが終わってから、体育館に集合して夜の学習会である。講師は我らが土作彰先生である。

先生には、一期生が二回生のときに特別活動論で集中講義をお願いしている。多くの学生たちにとっては、久しぶりの再会である。ではあるが、久しぶりなんてことは感じられない学生たちとのやり取りであった。さすがである。

夜の学習会では教育実習に向かう心構えを中心にして、学生からの質問にあれこれ答えて下った。学生たちはこれが如何にすごいことなのかが本当にわかっているのかどうか分からないが、幸せな顔をしていたのは事実である。先生、ありがとうございました。

で、その後、大根深海である。いや、大懇親会である。80名での懇親会である。お酒が嫌いではない私は、三回生になるのを実は楽しみに待っていた。別にお酒は嗜好品であるからして、飲まなければならないというものではない。

国語教育会の重鎮である花田修一先生は、私を飲みに誘ってくださるときに、必ず仰ることがある。

「池田さん。酒はね、情けを酌み交わすんだよ」

と。私は大懇親会の最初にこの話をした。そして、

『君たちが、立志式を実行に移し、ここまでやってこれたことを非常に嬉しく思う。酒は飲まなくても良いものだ。だが、ま、折角20歳を超えたことだし、無理のない範囲で情けを酌み交わそう。友情を酌み交わそうではないか』

のように話した。もちろん、それだけではなんなので焼酎と日本酒を差し入れした。焼酎は『閻魔』。これから成績が待っているぞという意味も込めてf(^^;。日本酒はかの名酒『獺祭』を二本。学生には贅沢であるという話も一部ではあるが、お祝いである。良いものを用意してあげたかった。宿に向かう前に、浜大津で購入したのであった。

ま、ここまで来ると道楽かもしれないが、差し入れの道楽ならまあ多くの人は困らないだろう。

延々と、教育のことを語り合う。学生たちはここぞとばかりに、あれこれ先生方を囲んで話をする。教員は私を含めて四人が行ったのだが、延々と。土作先生も明日が早いのに学生たちに延々と語ってくださった。ありがたい。

延々と語り続けて、無事に終了。
良い時間であった。

翌朝。私はゼミ生に起こされることになる。
いや、携帯電話がどこかに行ってしまい、タイマーがセットできなかったのである。気がついたら、朝食の時間は終わっていた。

「先生〜〜〜〜〜!」
と声をかけられ、
(ん、なんで君たちがここにいるの?)
とびっくりしたわけだ。

で、午前中は三つのプログラム。
一つは、幼児教育コースの学生のために、ベテラン保育士の先生からのお話である。学生たちは、疲れた体にむち打ちながらも、良い話に必死に聞くことになる。

ここからは大学の教務課の職員の方も駆けつけてくださって、様子を見てくださった。たしかに大学から40キロのところである。だが、そこに足を運んでくれるというのが嬉しい。

そして、メインの立志式である。
学生たちは、各自400字程度の決意文を書いて臨んでいる。今まで学んできて、ここからの進路をどうしようと思っているのか。これを仲間の前で宣言するのだ。

時間の関係で全員は無理であったが、実行委員が選んだ学生たちの宣言はどれも自らをきちんと見つめて、その方向に向けてもう少し努力を重ねて見ようとするものであった。小学校教員を目指す者。幼稚園教員を目指すもの。保育士を目指すもの。小学校教員を目指すつもりで入学したが、一般社会を目指すことに決めた者。自分が何者なのかを見つめ直そうとした者。揺れている自分を発見した者・・・。いろいろであった。

仲間が読んでいるのを見て泣くもの。読みながら涙を流す者。その涙を見ながらもらい泣きをする者。これからの教育実習、採用試験に向けての不安を決意をきちんと言葉にしていた彼ら彼女らであった。

本当に、この会を企画して良かったとしみじみ思った。

講評の宮嶋先生のお話も良かった。進路を選ぶということ、教育実習とはなんなのかということということについて、語っていただく。教員養成系の大学の教員ならば、必ず語る機会の来るテーマであるが、しっとりとした語り口で、しかも熱い内容であった。

そんな先輩と一緒に学科の教員でいられることをとても誇りに思うのであった。

最後は、フォトストーリーである。
学生たちがいままで生きてきた道のりを振り返ることができるような構成になっていて、これもなかなか良かった。20分弱の作品である。

よし、やるぞという気持ちにほとんどの学生がなったのではないかと私は感じた。
来年度以降もこの企画は後輩たちに引き継がせて行きたいものである。

集合写真を浜辺で撮って、昼前におしまいであった。

ご苦労さん。
良い夏休みを。
そして、良い実習、いい進路を得るための学びをさらに進めよ。

第一回児童教育学科「立志式」

7/29

ふう、やっと前期の授業が終わった。
全ての授業を十五回きちんと終わらせました。
ま、十四回の授業と十五回の授業とを比べたところで優位に差が出るとは思えないが、あれもこれも触れておいて上げたいという思いはあるので、十五回の授業をきちんと終わらせたのであった。

本日、前期最後の授業は、研究入門ゼミである。これは大学での学び方を学ぶための授業である。文章の書き方や調べ方等あれこれ行ったが、私が学生に求めたのは、「守られる側から守る側へ」「叱られる側から叱る側へ」「褒められる側から褒める側へ」とこれから四年後で立場が大きく変わることにきちんと気づくことであり、これに気づかせる授業であった。

大学教員も四年目であり、私の噂は先輩からあれこれ聞いているのであろう、最初は緊張しまくっていた一回生もだんだんと緊張ではなく、集中した授業姿勢に変わって行ったのを今回は感じることができた。

最後の授業では、前期の授業を振り返ってというテーマで学生諸君にスピーチを求めた。彼ら彼女らは前期があっという間であったと言い、大学を嘗めてはいけないと言い、このクラスで良かったと言っていた。池田先生ありがとうございますと言ってくれていた。

後期からは、クラスはコースに分かれる。そして、このクラスで授業を受けることはもうない。なんというか切ないものだ。だけど、十五回でやれることはほぼやったなという思いもある。後期はそれぞれのクラス、コースで頑張れ。そして、縁があったらまたどこかの授業で会いましょう。もっと縁があったら二年後、みんながお酒を飲める年になったら、クラス会をやりましょう。

事務仕事を終え、児童教育学科の一回生と二回生行っている運動会をしばらく見学し、いったん家に帰って買い出しをして、そのままMINIをかり出して琵琶湖の湖北、安曇川まで疾走する。いやあ、長い一文だ。良いこのみんなは真似しちゃダメよ。

で、なんで安曇川まで出かけたかと言えば、第一回児童教育学科「立志式」なのである。

この構想は、私が四年前に大学に着任したときから持っていた。一回生では新入生キャンプがある。この企画は私が骨組みを作って残りはオリターたちに任せて行った。その経験を踏まえて、一期生が三回生になったときに、骨組みから彼らに任せて一つのキャンプを作れないかと言う思いであった。

一期生が育って行く中で、何人かのオリターたちに声をかけたところ、是非やりたいという声が上がったので、学科の後押しを貰って実施することができた。

何を目的としているのか。

1)一ヶ月後の教育実習、一年後の採用試験に向けて、いまこの段階で自分の思いを確かめる。残りの大学生活に向けて、どう学びを深めて行くのか、進路を決定するのか決意する。
2)教育について、人生について語り明かす。
3)一学期の打ち上げをする。

というものである。
これが実施されたのだ。

宿に着いたのは17:30。バスで向かった学生たちも同時刻に到着。早速バーベキュウの用意。これがまあ、実に楽しい。がんがん食べるのである。やはり若者ががんがん食べる姿というのは気持ちの良いものだる。美味しい美味しいとたくさん食べる姿はいいものだ。

雨よけの屋根が在る場所のため、焼き肉の熱がこもってちょっと暑くなった。私は涼みに琵琶湖の湖岸に出かけて行った。Tシャツに半ズボン。いつものネクタイ姿とは違う姿に、学生たちは最初びっくりしていた。当たり前である。焼き肉にネクタイ姿でくるわけがないだろ。匂いが着くし、もともと私はこのようなラフなスタイルが好きなのである。ブレザーは仕事だから着ているのだ。

で、琵琶湖の渚で足を浸しながら、比良山の稜線に沈んで行く夕日を見つつ
(ああ、一つの夢が叶ったなあ)
と感慨に耽っていたら、
「うりゃあああああ」
と叫び声。
見ると、海パン姿の男子学生が琵琶湖に突進。
(ま、そうだろうなあ、「快」水浴場だし。しばらく見守るか)
と思って、さらにぴちゃぴちゃする私。

すると、次から次へと学生たちがやってくる。男子学生女子学生。男子学生は突入するもの多し。女子学生はサンダルで水際でちゃぷちゃぷ。

(を、そうだ。ビデオ)

と私が持ってきた防水ビデオを学生に取ってきてくれと頼む。すると、戻ってきた学生が持っていたのは普通のビデオ。ま、いいかこれでも。濡れないように持っていれば良いんだから。

と思っていたら、いやあ本当に次から次へと突入して行く学生たちであった。琵琶湖はまだ明るい。

「キャー!!」
(おや、女性陣も突入をはじめたようだ。水掛けごっこから突入になったのだな。うちのゼミ生も結構いるなあ。まあ良い良い。なんかこれ日本の大学っぽくないなあ。スタンドバイミーの世界っぽいなあ)

なんてな思いで見ていた私が甘かった。

「先生、眼鏡お預かりしましょう」
『え?』
「ビデオもお預かりしましょう」
『いやあ、結構です。私はしっかりと撮影と見守りに精を出しますので』
「いや、お持ちしますよ」
といつもよりも丁寧な言葉遣いで集まってくる有象無象、いや学生諸君。
『え。それはないだろう』
逃げたところが無理。はい、見事に私も琵琶湖に突入でした。

しかし、まあ、ゼミの学生たちと一緒に琵琶湖にゆらゆらというのはなかなかいい気持ちでありました。

辺りが暗くなるまえに、全員が琵琶湖から出たのを確認して、私も最後に上がる。こういうところは教師の性である。

その後、キャンプファイヤー。
これも学生が全て仕切る。

そもそもこの立志式では私の役目は学科の先生方に学生のやりたいことを伝えることと、大学から貸し出しが必要な道具等に判子を押すぐらいである。私たちはご招待されているのである。実行委員が旅行代理店などを通して、計画を立てての実施である。

企画を立て、運営をしていく。この力は教師に必要な力である。彼らにしっかりと体験させたい。手を貸すのは簡単だが、ある程度育てたら、あとは我慢して見守ることも大事な教育である。

で、これも見事であった。
最後、ストームが燃え尽きる前の「ファイヤースター」が奇麗であった。

つづく。

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