全て現実なのだが
8/12
私の講座の日である。
午前中は、レポート検討会があったのだが、私は大会のエンディングの準備のためにホテルに籠る。気がついたら11時50分。私の出番は12時30分から。いつも通りあわててホテルを出る。
昼ご飯を取ることをせず、そのまま講座会場に向かう。
当初の連絡では30人ぐらいの参加者だったが、ふたを開けてみたら50人以上いた。
今回のネットワーク集会の柱の一つは、「ライフヒストリー」である。教員がどのように成長してきたのかということを、考えるものである。簡単に言うと、「どうして池田修はこんなイケダオサムになってしまったのか、こう言う授業をするようになっていったのか」ということを考えるというものである。一方で楽しく、一方で恐ろしい企画である。
私は
学級づくりに求められる「学級担任論」とその由来
講師:池田修(京都橘大学)
対話:喜岡淳治(成蹊大学)
ということで、60分講座を行い、このあと会場からの質問と対話者である喜岡先生との対話ということで、行った。
喜岡先生は、私の先輩である。元東京都の中学校の国語科教師でその後、大学に転進された。私が辿ったルートの先輩である。もちろん、指導力においても先輩である。
その先輩からあれこれ聞き出されるというのは、なんとも歯がゆいものであるが、その御陰で私がなんでこんなになってしまったのか、今まで私が気がつかなかった一面も意識することができた。ありがとうございます。
参加者からも、良い評価を頂いています。ありがとうございました。
◆
来年の開催は、8/11(水)、12(木)で京都橘大学を会場として行うことが発表された。というか、私がした。
最初は、スピーチで行う予定であったが、まあそれだけで行うのもなんだよなあと思ったので、iMovieを使ってウエルカムムービーを作った。その作成に本日の午前中を使ったのだ。
講座の後、遅い食事をしてムービーの最終チェックを行い、書籍販売のみなさんに、プレビューをしてと準備を整えた。
本来ならこのブログにも載せたいのだが、容量が大きいので違うところに載せてもらうことにしましょう。
とまれ、来年お待ちしております。
ネットワークは、熱く深い学びで終わった。
◆
そして、もう一つのメインイベント、聖蹟花火大会に向かう。
東京のマンションは、賃貸物件として貸出しているのだが、ちょうどいま借り手がいないということで、それならばと向かった。
授業づくりネットワークに参加していたみなさんに声をかけて、出かけた。花火は一人で見るより大人数で見る方が良い。
それにしても、4年ぶりの聖蹟花火大会だ。
このマンションを買い、初めて聖蹟花火大会を見たとき、
(あ、長生きしよう)
と思ったものだ。
参加したみなさんも大満足だったようで、主人としても満足であった。花火を叫びながら見るというのは、あまりできるものでもない。初めて叫んだという声も聞いた。
距離が近くて、視線が水平方向に花火を見ることができて、仲間がいる。こういう環境が揃うことが大事なんだろうなあ。
で、このマンションで電線のない広い空と、手を伸ばせば届くかのような距離での花火大会を味わってしまったので、関西でも同じようなマンションをと思って琵琶湖のほとりに居を求めることになったのであった。
◆
マンションに入るとき、私が敬愛している中央大学名誉教授のF先生に偶然お会いした。
「君、終わったら立ち寄りなさい」
と言ってくださる。大学教授というのは先生のような方を言うのだろうなあと思う。
もちろん、終わってから伺う。相変わらずお元気で、うれしい。
ばしばし激励の言葉を頂く。やらねば。
◆
全て現実なのだが、夢のような豪華な時間であった。
余韻に浸りながら、ホテルのベッドに溶け込んでしまう私であった。
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