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2009/09/14

夏休みの宿題に日記を書くと言うものがあった

9/14-2

夏休みの宿題に日記を書くと言うものがあった。
この宿題の最大の難所は、毎日の天気を書くところである。

まとめて夏休みの宿題をやる、またはやらざるを得ない子どもにとっては、ここが難所。つまり、毎日日記を書かなければならないように設定されていたわけである。

日記を書くことが夏休みの宿題なのであるが、それだけでは毎日日記を書かない子どもが出る。そこで毎日の天気を書かせることで、日記を毎日書かざるを得ないようにシステム化していたのである。その事によって生活のリズムを守っていたのである。

これは岩下修先生の名著『AさせたいならBと言え』を読んだ人なら分かる設定である。

毎日の天気を日記に書くことから、日記が始まるのであった。

ところがいつのまにか、気象庁が過去のデータを公表するようになった。そして、そのサービスが良いと喧伝された。私もうっかり、

(いやあ、良い社会になったなあ。私の子ども時代にあれば良かったのになあ)

なんて思っていた。

しかし、これが消費社会に突入したサインの一つと気がつくことはなかった。

冷静に考えれば、

『おい、気象庁。子どもたちが毎日きちんとやらなければできない課題を、適当にやっても出来るようにサービスするなよ』

と教育業界は気象庁に文句を言わなければならなかったのである。気象庁の人気取りが、子どもをダメにするということを教育の文脈で言わなければならなかったのである。

もちろん、文句を言っても今のインターネット社会では意味もなさないのであるが。

いや待て。
もっと昔にあったのを思い出した。それは私が小学校4、5年生の頃の話である。

夏休みのラジオ体操である。毎日朝6時に起きて、近所の公園に向かう。そして、終わってから判子を一つ押してもらう。夏休みの間一日に一つずつ判子を貰う。そして、8/31にその判子に応じて少しばかりのプレゼントをもらうのであった。

ところが、私の一つ上の学年のある人が、こんなことをした。

「毎日来ていたんだけど、判子を押してもらったカードを無くしました」

と言って、一日だけ来て夏やすみの全部の日程に判子を貰ったのである。そして、一日だけ来て夏休みの全部の判子を押してもらった後、

「やった!」

と小さく良いながらにやりと笑ったのである。

私は

(えー。そんなのありなの?!)

と思ったのを、今でも覚えている。

あの人は、今何をしているのかなあとも思う。

さすがに今の時代に私の子ども時代のような、ラジオ体操のシステムでうまくいっているところはないだろうし、日記でも同様であろう。

問題は、子どもが規則正しい生活習慣で暮らせるというような(A)という目標に関して、嘗て行っていた日記にその日の天気を書くというような(B)の設定を、今の時代に合わせて新しい(B)を作り出すことであろう。

私はその新しい(B)の候補をいくつか思いついているが、ここには書かない。なんとなれば、書いた瞬間にそれは子どもたち、またはその消費社会に伝わり、そこから対策が立てられ(A)が実施できなくなるのを分かっているからである。

調べれば分かる。調べれば学習したというパラダイムの授業も必要である。しかし、調べても分からない。調べたことをベースにして、考えた上でできる課題を設定するという考え方を、授業者はもっと積極的に設定するときに来ているのではないだろうか。

コピペがこれだけ簡単にできる時代。
コピペはダメだよ、というだけでなく、コピペがやりたくても出来ない、またはやったところで意味が無いような課題の設定。ここが大事なのではないかと、少し思うのである。

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