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2009/10/29

労働基準法に違反していると私は思う

10/29

ということで、授業の日。
2、3、4講時と連続。
昼ご飯を食べに行っている時間がないので、最近はこの日はお弁当を作ってもらって研究室で食べている。

はあ
と少し寛いでいると、学生たちがあれこれやってくる。
はい、オッケーです。先生には昼休みはないんです。

しかしまあ、相手が大学生だから良いのだが、これが小中学生だと大変なのは世の中のみなさんは知っているのであろうか。昼休みは給食指導の時間であって、教員は休みの時間ではない。実習に伺っても多くの先生は、昼ご飯をさっと食べて子どもたちの連絡帳や日記にコメントを入れて、そして片付けの指導をしている。さらに校庭に出かけて行って一緒に遊ぶのである。

怪我をした子どもがいたら治療。
「あー、先生は今昼休みだから」
とは言えないのである。労働基準法に違反していると私は思う。

私が教師になったころのことだが、日本はILOから勧告を受けていた。日本の教師は、戦場の兵士と同じぐらいのストレスを受けているから改善するようにと。それが改善されたとは聞かないし、あの時より今の方がストレスが減っているとは思えない。

教師の数を増やすこと。まずは、ここからではないかと思う。あるブログに、沖縄の思いやり予算が2000億円で、教師の給料を500万円とすると、この費用だけで4万人の教師が雇えるとあった。

ま、全ては無理にしても1万人ぐらいは増やせるよなあと思う。

事務仕事をあれこれやって早めに帰宅。
週末はちょっと出かける予定である。

iPod touch64GBを購入

10/28

学級担任論は、学級内集団の理解について。公的な集団と私的な集団。そして、集団の分析の仕方についてを講じる。

学生諸君は、自分たちが経験してきたものがほとんど全てなので、係活動、会社活動や、学級内グループのあれこれを語ると驚く。そんな方法があったのか、そんなに種類があったのかという感じである。

学生時代にやらねばならぬことはいろいろあるが、今までの自分の過去の経験だけが正しいのではなく、世の中は広いということを感じることは、その中でもかなり大事なことだと考えられる。

自分よりも、確実にできるやつがこの世の中に入る。
自分が嫌いなことを、大好きな人がいる。
自分が感じていた限界には、まだ向こうがある。

これらを知ることはかなり大事である。
そして、これに戦くのではなく、喜びを感じられるような若者であってほしいと思いながら授業を進める。

昼は、先日食べ損ねたラーメンを食べ、マックの修理に出かける。MacBook Proのバッテリーにアラートが出ていたのでチェックしてもらったら、無料修理の対象になっていた。新品のバッテリーに交換。これでまた4時間駆動できるようになる。

さらに、トラックパッドのクリック部分に違和感があったので、ここも相談。すると、これも交換となった。持ち込んで一時間程度で修理完了。いやあ、快適。もちろん、無料。

そして、あれこれ考えたが結局、iPod touch64GBを購入。iPhone3GSも視野にあったが、こっちにすると今まで以上に本を読まなくなるなあと思ったのもあり、touchに落ち着くことに。

フリック入力。
これがなんと言っても楽しみである。

さらにMobileMeとの同期。
あべたかさんほど、細かい設定はしないと思う。私は基本的にノーマルで使うのが合っているので。でも、あべたかさんが勧めているのは、やってみようかなあ。

そのうち、ブログもiPod touchからということになるかな。

車、iPod touch、さらにはこれらの周辺のものとあれこれ急に揃えているので、説明書を読むのも大変だが、まあ、ぼちぼちである。

ただ、iPod touchの説明書は、本当に薄い。パンフレットである。それでも何とかなってしまう。特に、PCにあるメールの設定をiPod touchに行うとき、iTunesを使って同期をするというのには、驚いた。

iTunesを開いて、iPod touchとMacintoshを繋いで、クリックしたらおしまい。popがどうだったかとか、パスワードがどうだったとか、一切関係ない。はあ、便利だ。

面倒くさいことはMacintoshが担当する。あとは、クリエイティブなところにエネルギーを使ってくださいという思想がばっちりである。

その後、大学に戻って会議。4時間。
うーん、勉強になる。そして、疲れる。
充実した一日。

だが、仕事は終わらない。
そして、週末に向かうのであった。

2009/10/28

支援と指導の違いである その2

支援と指導の違いである その2

10/23に「支援と指導の違いである」の記事を書いたところ、最近のうちで最も多いコメントを頂いた。中には、ご自身のブログで紹介してくださったり、個人通信に紹介してくださった方もいらっしゃる。

私自身、いくつかの問題を考えることが出来るようになった。

1)指導と支援の関係を仲間がどのように考えているのか
2)国の教育行政のあり方
3)自分の実践ではどうだったのか

である。

1)については、コメントや通信を読みながら考えることが出来た。2)については、教師というものは、行政の考え方も視野に入れなかればならないが、基本は自分の目の前の子どもと、教師である自分を良く理解することからしか始まらないのではないかということ。

そして、3)についてはNAKO-Pさんのコメントにコメントすることで気がついたことである。そこには、このように書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

で、この指導と支援の仮説ですが、実践的にはディベート甲子園の準優勝の時の体験が根底にあります。そうです、「放牧指導」です。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html

授乳、牧場、放牧と三段階で行う指導の流れは、指導から支援へと生徒をリリースして行く様子と考えることが出来ると思います。まず、基礎的なことはきちんと教える。そして、それをベースにした学習者が、指導者を軽々と越えて行くような学びを行って行く。これを支援する。

教師である私は、このことを喜びとして仕事をしたいと思っています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

と書いた。ディベートの指導を通して私は「授乳、牧場、放牧と三段階」で指導するステップを考えることが出来たが、これが私が支援と指導のマトリックスを生み出す遠因になっていたんだなあと、改めて思ったのである。

現場にいるということは、そこで何が行われているのかはあまり良く理解できないことであろう。それは佐藤学先生も仰っている。だから、私たちは第三者として自分の現場を理解するために書くのである。書いて何があったのかを第三者的に、または時間のフィルターを通して見るのである。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html

の記録は、いま書けと言われても絶対に書けない。あの時でなければ書けなかった記録だ。歴史は、勝者によって作られて行く。ディベート甲子園も、優勝者のみが記録されて行くと思っていた。準優勝は消える運命にある。それはそれでいい。

だが、私は顧問としてあの時の子どもたちの側にいた。あんなにすばらしいことをやり続けた子どもたちの側にいた。何があったのかを記録することは私の仕事だと思っていた。私にしか出来ない記録だと思っていた。こんなにすばらしい生徒たちがいたんだと書かねばならないと思った。だから、大会終了後、二週間をかけて書き続けた。夏休みをつぶして書いた。

ただ、その御陰で、支援と指導の関係を私なりに理解し、仮説を立てることが出来るようになったのだと思う。

あの時の私はそんなことは全く考えることなく、ただ記録を残してやろうと思っただけであったが、こういう風に繋がるなんて、人生はなかなか面白いなあと思うのである。

そしてまた、今の私の大学での現場のあれこれが、数年先に
(ああ、あれはここに繋がっていたのね)
と思えることを楽しみにしながら、走り続けようと思うのである。

2009/10/27

物事が分かるということは、分かっておしまいではない

10/27

昨日の夜に私は、密かに作ったものがある。
それは、
「シャボン液」
である。

シャボン玉にハマっている娘に影響されて、私もハマっている。中年のおじさんがシャボン玉を飛ばしている姿はある種怖いものがあるが、子どもと一緒なら許される。

で、シャボン液は実はなかなか難しい。シャンプーや石鹸水を使ったところで奇麗にできるというものではない。

ネットが便利なのはこういうとき。
必要な材料を確認して、手に入れて早速作ってみた。出来上がって洗面所で拭いてみたら結構良い。そして、一晩寝かすともっと良いと書いてあったので、今朝食事の後、娘と一緒にベランダでやってみた。

いやあ、すごい。朝日を反射して奇麗に飛び交う。
うひひの一日の始まりである。

教育実習の巡回指導に向かう。
小学校4年生の国語の授業。

頭では分かっていることができないということに、苦しんでいる学生。残りの実習時間でどれだけ頑張れるか分からないが、そのためにしなければならないことについて、授業後あれこれ指導する。

頑張れ。

すぐに大学に戻って事務仕事。そして、その後国語科教育法2の模擬授業の事前指導である。今回で同じグループに3回目。

だいぶ練れてきた。が、一つ指示を出すと、そこはやってくるのだがその先のことを聞くと、?となってしまうところが甘い。問いが立たないのだ。子どもたちに説明する。そして、それでおしまいとなってしまうのだ。

物事が分かるということは、分かっておしまいではない。分からないことが分かったのであるが、これは新たに分からないことが発生したということでもある。だから、その新たに発生した分からないことに付いても調べる必要がある。これが教材研究だ。

こうなるとキリがない。その通りである。だが、二手、三手ぐらい先までは準備しようと言う構えが必要である。

で、その後、ディベートの授業。改良シナリオディベートの試合。その後、立論の構造、質疑の意味と少しずつ自分たちで立論が書けるように、反駁が意味をなすように指導を深めて行く。

だんだん、だんだん、深みにはめて行く。
では無くて、昇華させるのである(^^)。

授業後、あれこれ事務仕事。
ははは。終わらないなあ。

今週末から11月の前半にかけてかなり忙しくなるので、前倒しであれこれしなければと思ってやっているのだが、終わらない。
遅れている仕事も終わらない。
うーむ。

でも、新しい仕事を引き受けている私。
良いのだろうかf(^^;。ま、御陰さまで風邪も引いていないしインフルエンザも大丈夫そうだから、前向きに行きましょう。

写真はおととい対岸で上がった花火。何かお祝いがあったのかな?

Imgp8224_2

『有田和正の授業力アップ入門 -授業がうまくなる十二章-』(明治図書)

10/26

午前中は読書。
読み終わる本が立て続けにあり、感動の中に包まれながら読書をする。幸せ。

中でも一冊と言えば、有田和正先生の『有田和正の授業力アップ入門 -授業がうまくなる十二章-』(明治図書)である。

リンク先を見ていただければ分かると思うが、もう凄いんですから。(なんか初代林家三平のようになっているなあ)目次を読むだけでも勉強になる。そして、内容を読みたくなる。

この本は

引用開始 ーーーーーーーーーー

ようやく「入門書」が書ける歳になった。なぜなら、入門書ほどむずかしい本はない、力がなければとても書けるものではないという考えが根底にあったからである。そのくせ、他人の「入門書」はよく買って読んだ。とてもよくわかる。このように誰にでもわかるものが入門書の特色である。そして、内容もがっちり入っているのが入門書だ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

から始められている。

はあ。有田先生、そんなこと仰られたら誰も入門書は書けなくなりますよf(^^;。と思いながら読み始めた本である。

項目ごとにいままで有田先生が、書かれてきた本を参考書として紹介されている。そう言う意味では有田実践の便覧という性格も持つ。

有田先生を追いかけた実践家としては、佐藤正寿さんが有名である。佐藤さんは私と同じ年であるが、私はまったく追いかけなかったf(^^;。

小学校でもないし、社会科でもないのでというのがあるのだが、実は私はもともと先達の実践を追いかけることをしていなかったというのがある。国語で中学校であっても大村はま先生の本を読んでいなかったし。

私は考え方を手に入れて、それを自分と目の前の生徒たちとの間でどのように展開して行くかをあれこれすることばかりしていたからだ。

もちろん、雑誌原稿で読むレベルのことはしていたが、一冊を丸ごとということはしてこなかった。

が、職が変わった。
小学校教員養成課程である。ポジションや仕事が変われば読む本も変わる。今まで以上に教育実践や理論について広く知見を求めるようにしている。

そんなことで、読み始めた本はたくさんある。で、今回の有田先生の本もその一環である。そして、感動しているんだなあ。すごいなあ。確かにもっと早く読んでいれば、私の実践ももう少しよいものになっていたと思うが、それはそれ。今出会うことにも意味はあるはずだ。

ちなみに、

http://www.chuden.co.jp/manabu/education/knack/index.html

には、有田先生の理科の授業?の記録がある。
さすがだ。

昼前に大学に向かう。
途中、お気に入りのラーメン屋で昼食をとろうと思ったら、定休日。がーん。口の中はすっかり麺になっている。仕方なしに、近くの中華料理屋さんでタンメンを所望する。ま、いいか。

大学では、仕事である。
たまっている仕事を片付ける。

そこに、電話、電話、メールである。
また新しい展開が始まりそうだ。

20時近くまで延々と仕事。
なんとか一区切りできそうだ。

明日は教育実習の学生のところに訪問である。

2009/10/26

「あなたには、必ず大事なところで味方が現れるのね」

10/25

二日続けて大学祭で、子守り。

子守りであるが、学生たちの様子も見られるので嬉しい。
学生たちが頑張った「橘ちびっ子ランド」は、2時まえで、子どもだけで入場者数が300名を遥かに越えていたとのこと。地域に京都橘大学文学部児童教育学科が受け入れられてきている証拠であるならば、嬉しい。

そのちびっ子ランドで、娘を遊ばせる。インフルエンザ対策をしっかりしているので、校舎の入り口では、全員手をアルコール消毒。階段を上って五階まで行く。

大学であるからしてエレベーターも当然あるのだが、今日は妊婦さんとベビーカーのみ。ま、仕事できていれば私も乗れるのだが、娘を特別扱いさせるのは良く無い。ま、娘は覚えていないだろうがf(^^;。一緒に五階まで久しぶりに階段で上る。

それぞれの場所で子どもたちと懸命に関わっている学生たちの姿を見る。どうしても一期生との付き合いが多くなってしまう私であるが、彼らはちょうど実習中。二期生、三期生の一、二回生で、ちびっ子ランドは、やりきるしかないのである。これが良い効果を出していた。

自分たちだけでやらねばならぬという思いがあるとき、人は割とやるものである。児童教育学科全体が育っていることを感じられて、嬉しく思う。

大学でお昼ご飯を食べて、家に帰る。
何気なくマックを見ると、バッテリーの様子がおかしい。確認するとアラートが出ている。

クリックすると、
引用開始 ーーーーーーーーーー

バッテリーを修理に出す:バッテリーは正常に機能していません。バッテリーの動作や充電可能量の変化に気付かない場合があります。アップル正規サービスプロバイダ(AASP)でコンピュータの検査を受けてください。検査を受ける前でも、コンピュータに損傷を与えることなく、引き続きバッテリーを使用できます。

引用終了 ーーーーーーーーーー
とある。

善は急げである。早速、草津のキットカットに出かけて行くことにした。

縁は異なものと言うか、奥さんに言わせると
「あなたには、必ず大事なところで味方が現れるのね」
ということになる。

なんとキットカットに、大学の卒業生が勤めていたのである。昨日の大学祭で
『いよ、久しぶり。今何している?』
と聞いたら、キットカットに勤めていると言うではないか。いやあ、これはありがたい。いろいろと相談できると思っていたらこの症状だったので、早速行ったのだ。

あれこれチェックしてもらって、サードパーティの話やら、マックの裏話等をして、充実した時間を過ごす。これは力強い味方を得た。

さ、明日は研究室で頑張るぞ。


天才の仕事を味わうのはとても心地がよい 佐藤雅彦『プチ哲学』

天才の仕事を味わうのはとても心地がよい。
佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)も、その一つ。

漫画と解説からなるこの本は、「ケロちゃん危機一髪」*1が代表作品のようにも思えるが、全体を通して唸る作品も多い。イラストの一つ目を最初に、二つ目は最後に引用よう。

Kerochan1

慣れてくると、漫画読んでこの後の解説はどんなことを解説しようとしているのかを考えることが出来るようになる。

だが、その逆、つまり解説したいことを思いついても、それを漫画のちょっとした物語で伝えることは、私にはとても無理。ま、そこが天才の所以なのだが。

天才は、気持ちよく私の上空を駆け抜けてくれる。
(ああ、無理。追いつかない)
と、勝負する気持ちすら起こさせない。
自転車で道を行く私の上を、ジェット機が通り過ぎて行くようなものである。

だが、この通り過ぎた後の爽やかさが、私に新しいものを生み出してくれそうな気持ちにしてくれる。

いやあ、嬉しい。

レオナルドダビンチの天才ぶりに触れることが出来た人たちというのは、当時限られた人たちであろうが、いまはこうして本を読めば本当に手軽に、天才たちの仕事に触れることが出来る。

幸せである。

Kerochan2

*1 教育出版「伝え合う国語 1」に収録されている。ちなみに、これは思考のフレームワークについて言及している作品であろう。

2009/10/25

またyou tubeにやられてしまった

10/24-2

寝ようと思ったのだよ。
だけど、たまたまyou tubeで見つけてしまったのだな、伊勢正三さんと来生たかおさん。

止まらなかった。
結局久しぶりに日付が変わるまで、あれこれの名曲を聴いていた。

伊勢正三さんは、最近の歌声は喉を壊してしまったのか、残念ながら悲しいことになっていた。だが、嘗ての名曲は、それはそれはいいものであった。

「かぐや姫」の時代から、「風」へ、そしてソロになった時までずっと聞き続けた。一度だけコンサートにも足を運び、ひょんなことからそのとき一緒にハモることも出来た。

フォーク、ニューミュージック、AORと天才は曲を作り続け、歌い続けた。とてもじゃないが、代表曲を挙げることが出来ない。

でも、折角だから一曲。「三号線を左に折れ」

高校生の頃は、首都高速三号線かと思っていたものだ。
明け方のドライブにはたまらない一曲だ。

来生たかおさん。「浅い夢」は、私のとっても好きなアルバム。その一曲目が「浅い夢」。CDを手に入れたいのだが、復刻されていない。諦めていたのだが、なんとyou tubeにあるではないか。

一気に高校の時の私に戻る。
歌詞も忘れていない。
たぶん、手元にギターがあれば、すぐに弾けると思う。コードも覚えているのではないかと思う。ディミニッシュコードの凄さを実感したのもこの曲であった。

ライブ映像で見る限り、声はますます良い感じだ。
是非ライブで、「浅い夢」をピアノだけで聞かせてほしいなあと思った。

またyou tubeにやられてしまった。

楽しい子守りの一日

10/24

本日、大学祭初日。
娘を連れて出かける。

学生たちは、初めて会うか、一年ぶりに会うのがほとんどである。
「かわいい」
「大きくなりましたね」
「先生にそっくり」
学生たちに声をかけられても、娘は恥ずかしがって下を向いてばかりである。

担当してくるクラスの出し物を見て回る。
お昼ご飯は、焼きそばが良いと言っていたので買ったのだが、実際はうどんを食べる娘。ま、そんなものだ。

だいたい見終わったので、帰ろうとしていたらゼミ生に会う。三回生は実習の合間に顔を出している感じ。または実習の前の準備のために大学に来ているというところ。

「やっちゃん、おーいって言うの」

と言って捜そうとしていた娘だが、なかなかそんな元気も無く、帰ろうとしていたら、その、やっちゃんがいた。ゼミ合宿のときき私を迎えにきてくれた二人の学生のうちの一人なのだが、良く覚えている。

最初は恥ずかしがっていたが、私がトイレに行く間面倒を見ておいてくれと言ったら、ちゃっかり抱っこされていた。覚えているのかなあ。

帰宅後、私はインフルエンザの予防接種。いやあ、混んでいる。予約しないとダメということで予約して行ったのだが、それでも30分待ち。摂取そのものは30秒で終わるのだが。

予防接種が終わったら、その証明までくれた。あ、確かに必要な人は必要なんだろうなあ。取り敢えず、これで安心である。

家に帰ったら、娘は喉が痛いと言う。
慌てて、リンゴを擦り下ろして絞って、リンゴジュースを作って飲ませる。そう言えば離乳食の頃は良く作ったな。私も風邪を引くと親に作ってもらったものだ。

何気なく聞いていたアヴァンティでは、取手豪州さんにも娘が誕生したとか。なんだかやっぱり嬉しい。

その後買い物に行っている奥さんを迎えに行くというので、マンションの外で待つことに。熱は無いようなのであったかくして、遊びながら待つ。

楽しい子守りの一日であった。





2009/10/24

支援と指導の違いである

10/23-3

支援と指導の違いである。
これについては、私は以下のような考え方を持っている。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kouseishugi.html

これは、いまから七年前(にもなるのね)に、大学院に派遣されていたときに、教育工学の授業を受けているときに思いついたものである。(HPにあげたのは2005年)

現職派遣で大学院に行くということは、現場を離れて現場を俯瞰する機会を得るということでもあるが、そこで構成主義の理論に出会ってこの表を思いつくことが出来た。

「ですから、たぶんですね〜」
と言いながら授業のときにホワイトボードに向かって歩いて行って、このマトリックスを書いて説明し始めたのをしっかりと覚えている。その時の、指導の先生も、とても興奮して
「そうそう!」
と話されていたのを覚えている。

つまり、何が言いたいかと言うと、指導も支援も両方とも大事なのだということである。

情報化社会に辿り着くまでの世界では、価値観や情報、つまり何が正しいのか、何が答えなのかが分かりやすかった。だから、教え込むということが出来たのである。しかし、情報化社会を越えて、グローバル化した超情報化社会に突入した今、正しい物だけを教え込もうとした時、正しいものが確定しにくく、提示しにくいという事態が発生していると考えられるのだ。

誤解のないように書けば、基礎基本的なことは子どもたちに教え込むことは必要である。簡単に言えば読み書きそろばんである。ただ、それだけでは教育は成立しなくなってきているのである。

子どもが自ら問いを立ててその問いを解決する。知りたいことを知り、出来るようになりたいことを出来るようになり、つまらないことを面白くするような学び、またはチームとしての協同の学びが必要になってきているのだと言うことである。

このことを学校教育の中で目指そうとしている(た?)のが、「総合的な学習の時間」であり、その時の教師の立ち位置が「支援」であると私は理解している。自らが問いを立て、その問いを解決して行くために調べてまとめて発表するという学びである。

11/3の明日の教室にお越しいただく北川達夫さんは、『対話流』(三省堂)のあとがきで次のように述べている。

引用開始 ーーーーーーーーーー

みんなで突き詰めて「なぜ?」を問う。そして、信念を持って指導する。そうすれば、国際社会がどのように変化したとしても、日本の教育が揺らぐことはなくなるのではないか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

と。
さすがである。
しかし、なかなか厳しいとも言える。この「みんな」が誰を示しているのかである。

教師が信念を持ったとしても、その信念が教育行政とそりが合わないとき、教師はとても辛いところに置かれる。これが現状の日本の学校教育にはあるのではないだろうか。

教育行政サイドが一斉に「こっちを向け!」と示すわけである。そして、そちらに向かう。つまり、支援と言えば支援だけなのである。ところがその指示である支援が上手くいかなくても、その責任は取らないと野中先生も指摘されている。

やってらねないというのが実感であった。

ちなみに、私はこう言う性格なので
あれこれ降ってくる行政サイドからの指示は片目で見つつも、
(だから何?)
ということで、片目では子どもの実態を見ようとしていた。

(んなこと言ったって、目の前の子どもの実態と違うじゃないか)
とやっていた。
ま、わがままなやつだと思われてもいたであろうし、そのためあれこれ言われることも無かったとは言わないが、
(だから何?)
とやって行くしか無いと思っていた。

現場にいるということは、
(うーん、これ違うんじゃないか。こっちが正しいんじゃないか)
ということの連続である。ただ、なんでこれが正しいのかがなかなか言葉にできない。

だから、
(そうかなあ、ちがうんじゃないかなあ)
と思いながら、流されて行くことがある。

これを経験してきているので、私の今の仕事のベースには、その(そうかなあ、ちがうんじゃないかなあ)を言語化することにあると思っている。

あまりに話が飛びまくったので簡単にまとめる。

1)指導と支援は、教育の両輪である。どちらか片方だけということではない。

2)最新の情報や指示について無視することはいかがなものかと思うが、妄信し猛進するのもいかがなものかと思う。現場を見て、自分の頭で違和感を整理することも大事である。

3)わがままもそんなに悪いことではないf(^^;。

ネーミング考

10/24

野中先生が、「味噌汁・ご飯」の授業について三たび論を展開されている。ご本人は「ネーミングが悪い。(笑)」と仰っているが、私には非常にイメージしやすいネーミングである。

では、イメージしやすいネーミングとは何か。そのものの本質がごそっと掴める名付けのことである。私は
(ああ、そうか。野中先生はこれが仰りたいのだろうなあ)
とすぐに理解できた。

だから、私が提示した「味噌汁・ご飯」の授業の要素の3つ、1)日常的で 2)飽きが無く 3)安定した栄養素が保障されているとうものも、じっくりと考えたというよりは、割とすっと出てきたものである。

だが、さらに考えてみる。なんでこの三要素が出てきたのか。

1)ネーミングの妙
2)料理に対する知見
3)授業に対する知見

この三つがあったからだろうと思われる。メタファは、それぞれの持っている要素についての基本的な理解が無ければ、メタファそのものを理解できない。逆に言えば、メタファが理解できているという言うことは、それぞれの要素を理解しているということである。

私は「味噌汁・ご飯」の授業のネーミングに含まれている内部構造を外側に出しただけである。共通項を比較検討して、示したと言っても良い。

ちなみに、こういう作業は、割と好きである。例えば、免許更新講習は無くなるが、自動車の運転免許講習は無くならない。(ちなみに、イギリスでは70歳まで運転免許更新講習は無い。そして、日本はこの免許更新講習で、毎年何百億とも何千億とも稼いでいるとも言われている。これも無くせば良いのに。が、これは別の機会として)

この免許更新講習や免許の比較をしながら、教員の免許の意味って何なんだろうか?と考えると、面白いのである。比較検討というのをあれこれ楽しむことは、頭をオンの状態にするには、いい方法だと思う。

それにしても、示範授業である。
野中先生は書く。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 それがよく分かるのは、初任者や教育実習者にしてもらう示範授業である。
 してもらうからありがたいのだが、発問と指示と説明の区別をするという基本から一時に一事の指示などがほとんどできないベテランがいる。それも数多く。
 私は、示範授業の内容を言っているのではない。授業の基本を問題にしているのである。
 はっきり言っておきたいが、目を覆う惨状である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私もそんなに多くの回数を見ているわけではないが、ときどき
(え、これ示範授業?)
と言葉に詰まるようなものを拝見することがある。

この原因の一つを野中先生は、この20年間日本の教育行政があれこれ日本の教育を壊してきたことにあると言われる。

具体的には、支援と指導の違いである。

この項、たぶん。つづく。

2009/10/23

気持ちいいと言うか、気持ち悪いと言うか

10/23

今日は気持ちいいと言うか、気持ち悪いと言うか、変な一日であった。

支払いが多かった日なのだが、払おうとすると見事に端数まで財布にあって、ぴたっと払えるようになるのである。

で、払ってしまうと無くなるはずだが、鞄とかズボンのポケットから次の支払いのための小銭が見つかって、見事に端数が消えて行く。

誰かが、今日の私の総支払額を理解していて、用意してくれているかのようであった。

気持ちいいのだか、悪いのだか。
そんな一日もあるのね。

2009/10/22

授業の一日

10/22

授業の一日。
昨日と対照的である。

国語科教育法2は、いよいよ模擬授業に向かって準備を始める。この模擬授業がこの授業の大きな山である。私も事前指導からみっちりと行う。四週続けて行うことになる。

そのために、指導案の書き方の具体的なものを行う。指導案はローカルルールがあるので、これが正解と言い切れないところもあるが、一定の物は示せる。私の「わくわく授業」のDVDを元に、この授業の指導案を作ってみよという課題である。

授業を書き起こすことは、授業の修行のためには結構重要なレッスンである。これと指導案づくりの二つを兼ねての課題である。

児童教育総合演習は、学生がこの夏に行った運動会ボランティアの振り返りである。

A4一枚にまとめた資料を回覧し、1)みんなに教えたい良い実践 2)困っているので助けてほしい事例 3)先生の指導がよく分からなかった実践などを選び出し、議論を重ねる。

指導には裏も表もある。文脈の中で行われるので、一面だけを切り取っても分からないことも多い。だが、きちんとした知識と物事の見方を知っていると、随分違う。ここを講じる。

教職総合演習では、「大人とは何か」を引き続き講じている。先週までが、学生の行った大人の定義の検討。今週から、池田がこの問題をどのように考えてきたのか、そのプロセスの開陳である。

私はこの作業が大切だと考えている。ある人が(実践者が、研究者が)自分の考えをまとめてきたそのプロセスを若者に、学生に示すことである。

若者は、著書や論文や作品を通してその人の考えに触れることは出来る。それはそれで大事である。しかし、できれば、その作品がどのような思考のプロセスを経て出来ているのかを知らせることも大事ではないかと考えている。映画でも、メイキングムービーはとても面白い。

拡散思考であれこれ考えている姿。ちょこっと寄り道をしながら本筋に戻ってくる姿。そんな姿を提示することで、これから彼らが旅立つ思考の旅のイメージを膨らませる作業である。卒業論文を一年後に控えている学生たちへのプレゼントである。

今週の授業は、これでおしまい。
今週末は、大学祭。インフルエンザの影響も今のところ無いので大丈夫であろう。

良かったらお越し下さい。

会議の一日である

10/21

会議の一日である。

午前中は、GPの打ち合わせ。なんとか良い方向に進めたい。

2限は、学級担任論。学級担任が行う仕事の全体像の説明。さらに、学級開きやさまざまなところで行うレクリエーションについて。特にレクリエーションについては、担任が持つべき視点、簡単に言えば種も仕掛けも教える。

「先生は、そんなこと考えてレクリエーションをしているの!」
という感想が毎年出る。今年も出た。先生は遊んでいるのではない。遊ばせているのである。しかも、目的を持って遊ばせているのである。ここが学生諸君は、まだまだ理解が出来ない。

昼休み会議。
思ったより早く終えられたので、昼ご飯を食べる。
今日は昼ご飯抜きになるかなあと思っていたので、ちょっと安心。

その後、糸井先生の莵道第二小学校に向かう。距離にして12キロなのだが、細い道を通り都市に向かうのでそれなりに時間がかかる。

http://kokucheese.com/event/index/574/

の取り組みが始まっているので、そのプロセスを見ておきたいと思いでかけて行ったのだ。子どもたちの嬉しそうな顔がとても印象的であった。
「きちんと話を聞きなさい!」
なんて言葉はない。聞いた方が楽しいし、良いことになると理解しているので大丈夫。むしろ、あんなに早口で説明をしても大丈夫なのかなと思うぐらいのスピードでプロの劇団員さんは進めて行く。このスピード感が大事なんだろうなあとも思う。

この時期、糸井先生には実習生の指導もお願いしている。実習生は非常にラッキーである。授業の指導は大学でもできるが、学校行事、学年行事の中で子どもたちが変わって行く姿をすぐ側で見ることが出来る、またはそこに関われる実習なんて、そんなにあるものではない。

慌てて帰ってきて、教授会に参加。さらに、その後学科会議に参加。9時過ぎまで会議。

この学科会議は、非常に勉強になる。そりゃあそうだ。民間教育団体を引っ張ってきた先生方が、本学が目指す大学の理想に向けてあれこれ課題を解決しようと会議を行うのである。学科会議であり、研究会であるようなものである。

ま、娘と一緒にお風呂に入るためには、あと1時間早く終わると嬉しいのだがf(^^;、それは贅沢か。

会議の一日の夜は、オリオン座流星群を見ながら一日を振り返った。
今日も働いた。

2009/10/21

教育実習訪問で、朝からバビューンである

10/20

教育実習訪問で、朝からバビューンである。名神高速道路を北上して、実習校に向かう。

2校時、3校時の学生の授業を観察して指導。学生は、頭で理解していることと、実際に指導できていることの差に、苦しんでいる。よいよい。さらに努力すれば良い。期待している。

さらに給食まで一緒させていただいた。

学生が担当しているのは、小学校一年生。授業の時は、私はこわい先生のような顔をしながら教室にいたが、給食の時は普通に接する。するとさすがの一年生である。あれこれ近寄ってきては遊んでもらおうとする。そして、
「なんさい?」
と聞いてきた。

『なんさいだと思う?』
と聞くと、あれこれ答えるが、これが当たらない。
「28歳!」
と言った子どもがいたので、
『正解!!』
と言ったら、すぐ側にいた一年生の女子が、
「まじめにやってください!」
と冷静な一言。いやあ、女の子は、小学校一年生でもしっかりと女の子だわ。思わず
『すみません』
と答えた私でした。

楽しい時間でした。

その後、再びバビューンで、大学に戻る。東京からのお客人を3人。研究室で迎える。あれこれ打ち合わせ。新しい本の打ち合わせである。私にとって初めての監修本となる。

来年の早い時期には出版となるかな。

授業は、ディベート。シナリオ方式のディベートから、改良シナリオ方式のディベートへと進み、ここから学生たちは自分で準備をする部分が増えて行く。準備運動が終わって、本格的な運動を始める感じである。

この授業を客人も見学。
授業後、
「ディベートに参加したかった」
「こういう授業が社会では役に立つんですよね」
「その後の彼らの成長が見たいです」
なんて感想を貰う。

折角京都に来ていただいたので、京都の美味しいものを食べていただこうと思ったのだが、日帰りの新幹線の時間もあり、京都駅近辺で食事。

さらに、考えていた店がどこも満席。残念ながら、京都らしくはないイタリアンの店に入り、さらに打ち合わせを続けたのであった。

良い本になりますように、と乾杯を繰り返した。

岩下先生先生であった

10/21

土曜日は明日の教室であった。
岩下先生先生であった。

研究会の事務方は、私には似合っていない。というか、出来るかどうか、いまでも出来ているかどうかよく分かっていない。準備、運営、片付け、お金の管理などなど。こうして書いているだけで目が回りそうである。

だから、明日の教室の研究会を立ち上げるまで、私は事務方には関わらなかった。私が参加することで却って混乱するというのが目に見えているからである。

しかし、この研究会では、これを機会に多少の事務も覚えなければと思い引き受けている。

で、研究会の前に講師の方とお話をすることになる。この時間が結構嬉しい。これは事務方の役得。

今回岩下先生ともあれこれお話しできた。
私は先生の近著である 『教師と子どもの読解力を高める』のことを伺った。

岩下先生と言えば、私は、というかほとんどの方が、名著『AさせたいならBと言え』を思い浮かべるであろう。指導言の中の「指示」をこれほどクリアに実践に即して理論化した本はなかなか見当たらない。

で、今回の『教師と子どもの読解力を高める』は、その『AさせたいならBと言え』を実践の中で発展させたあれこれを書かれているのである。

岩下先生にお越しいただくことが決まってから、再び先生の御著書を読み直していたのだが、この辺りの部分がやっぱりすごいなあと思うのであった。自分の実践から逃れること無く、その上に実践を重ねてさらに理論化するという作業をされているのである。

自転車の前輪と後輪であり、どちらもバランス良く豊かになって行かないと、授業やクラス運営というものはうまくいかない。それを定年の最後との年まで高いレベルで続けられている岩下先生である。

やっぱりすごいとしか言いようが無い。

もう一度来ていただけることにもなった。
今回残念だった方は、次回、是非。

2009/10/19

明日あたり、300000ヒットかな。

明日あたり、300000ヒットかな。

ヒットの方、前後の方、是非書き込みを(^^)。

今宵もオリオン座流星群を楽しめそうな夜空である

10/19

午前中は病院に行って、その後大型図書店に出向いて、書籍を大量購入。ネットで買うことは便利だが、やっぱり一覧できる大きな本屋は良い。紙袋二つ分ぐらい購入。授業の準備に必要な物、研究に必要な物、明日の教室に必要な物とあれこれ手を伸ばして行ったらそんな風になってしまった。

基本的に本は買ったその日に、本の目次は全て読むことにしている。が、今日はいろいろと忙しくてできなかった。

昼過ぎに大学に。

お引き受けした小学校の校内研修の講師の打ち合わせで小一時間。新しい若い先生がどんどん入ってきているので、なんとかせねばという切迫感を持たれているのを感じた。

免許更新制度廃止や教職課程6年制度の動きは大きく取り上げられるが、実際に若手の教員ばかりになっている現場をどうするのかは、学校に丸投げされている感じである。ここにも政策レベルでの支援が必要である。

その後、国語科教育法で模擬授業を行う学生の事前指導。第一グループの第二回目の指導である。一回目は、インターネットから集めてきた指導案を手直しして、私に提出していた。私はそれを見抜いて、きちんと出典を示していないことを指摘。それじゃダメだと伝える。

もちろん、「追試」は良いのだが出典を明らかにせずにやるのは、剽窃である。私は剽窃されたことがあるので、ここは丁寧に指導。

で、今日は新しい教材で、オリジナルの指導案を持って再挑戦しにきた。学生たちはオリジナルを作ったことにちょっと自慢げである。

しかし、一読してこれはある有名な作文指導であることが分かった。ではあるが、学生たちは自分たちが考えた新しい指導方法であると思い込んでいる。

指導案のあれこれを指導した後、
『これ、実はもう20年も前から行われている指導ですね。私もやったことがありますよ』
「え!」
とのこと。

研究室からその指導をまとめた書籍を二冊持ってきて学生たちに見せる。

「あ。まんま、ぱくってしまっている」

とのこと。

つまり、基礎文献を読んでいないので、自分がオリジナルだと思い込んでいるパターンである。簡単にいえば勉強不足である。しかし、逆の見方をすれば、有名な指導方法に近いものを考えたともいえる。

だから、その指導方法に学び、自分たちがやりたいところとの差異をきちんと示して、行うことができればそれは「修正追試」となるのである。

さて、来週もう一度指導案を見るが、どうなっているであろうか。

今宵もオリオン座流星群を楽しめそうな夜空である。

地球温暖化に貢献してしまいそうなのだが

地球温暖化に貢献してしまいそうなのだが、気になることがある。

京都東インターチェンジから、大津インターチェンジまでのドライブで下記のルートは可能なのであろうか?

1)
1

2)
2

隣同士のインターチェンジで、乗ってから降りるまで高速道路内にいることは確かである。3キロちょっとのこの間をETCで土日の昼に走ると200円。通常でも250円である。

ではあるが、このように大きく回っても同じ値段なのだろうか。地球温暖化に貢献しそうであるが、非常に興味がある。電車の一筆書き乗りはオッケーだし、

こんなことを考えている人もいるので、大丈夫かなあとは思うのだが。詳しい方いらっしゃいますか。
http://drive.yahoo.co.jp/map/RTXHkQRYHWOJOOhq9U_w--/detail
3

12月の明日の教室ご案内 書写/篆刻

12月の明日の教室のご案内です。12月は12日(土)に、書写と篆刻です。

年末年始は何かと筆を使う機会が増えます。または、筆が使えたら良いなあと思う瞬間が多くあります。今回はこのご要望に応えつつ、教室での書写指導に役立つようにと、書写と篆刻を行います。

書写は、中国の古典を使いながら、中国の正統的な筆の学習方法の「摸書」の指導方法を中心にあれこれ。時間があれば、さらに詳しい指導方法も。小筆を中心に行います。

篆刻は、吉語(めでたい言葉)を石に彫ることをやってみようと思います。本格的に篆刻を行おうとすると、文字を鏡面に写ったように裏返して書くなどなかなか難しいのですが、今回は非常にちゃっかりの方法でやってみようと思います。

講師は、不肖池田が務めたいと思います。よろしくお願いいたします。

なお、筆や半紙、さらには篆刻用の石など用品は全て一括で購入しようかと思います。よって、参加費の他に材料費が1000円から1500円程度掛かりますので、よろしくお願いいたします。

日時:12月12日(土) 13:30〜17:00
場所:京都橘大学 児優館 C502(予定)
内容:書写指導、篆刻指導のいろは
会費:一般2000円、学生1500円、苦学生要相談
材料費:1000円から1500円程度
懇親会:4000円程度 (今回は忘年会ですねえ)

お待ちしております。
申し込みは、
http://kokucheese.com/event/index/608/
です。

天気もいいし

10/18

天気もいいし、どこかにドライブしたい日和。糸井先生のブログを見たら長島温泉のアウトレットが良さそうだというので、早速ETC1000円で出かけることに。

いやあ、第二名神は気持ちが良い。広軌の高速道路なのでゆったりと走れる。そこを新しい相棒は、気持ちよくとレースして行く。

湾岸長島のPAで取り合えず休憩する。なんと足湯があるではないか。入ることに。ちょっと熱めのお湯が気持ち良い。

そのままセントレア空港に足を伸ばすことにした。出張で盛岡に行くときに、一度この空港から飛び立ったのだが、なんとも良い感じの空港だったので、ドライブでもう一度いくことに。

長島温泉ではないが、この飛行場には風呂がある。タオルを貸してくれて1000円。30分ほどゆったり。さすがに露天風呂は無いが、外の風に当たることが出来る。

「いやあ、裸で飛び立って行く飛行機を見るなんて、人生にあるとは思いませんでしたな」

と横にいたご年配の方が話しかけてきた。

『本当に。でも、飛行機の乗客のみなさんも、裸の人間に見られているとは思っていないでしょうねえ』

と返事をして笑う。

そのまま帰るつもりだったが、思い立って電話をしてみる。ブログにコメントを書き込んでくれるフジサキくんの同級生の一世くんに。すると、電話に出た。彼も私の塾時代の教え子で、いろいろと縁のある人間である。

二人目のお子さんがそろそろ一歳になるころで、うちの娘もあったことが無いので会わせることに。そのまま名古屋市内にある彼の家に向かう。

そのまま「ひつまぶし」の有名店に連れて行ってもらう。5歳、2歳、1歳の女の子ばかり。私の奥さんと彼の奥さん。いやあ、女子率が高い(^^)。

最初は照れていた5歳と2歳の娘たちは、時間が経つに連れて仲良くなり、最後は手を繋いで歩いていた。いいもんだ。

近いうちに京都で再会することを約束してさよなら。
いいもんだ。

帰りはぐるっと名神高速道路を使って帰宅。一日で400km近く走ったかな。駆け抜ける喜び(こればっかf(^^;。)である。

家に帰って何気なくニュースをチェックする。
すると、なんと今宵からオリオン座流星群が出るとのこと。
慌てて確認する。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/index.html

なんと我が家のベランダからでも見られるようだ。
眠たい目をこすりながらしばし、夜空を見る。
すると、流星が見えるではないか。

いやあ、これからしばらく流星群を楽めそうだ。

2009/10/16

新しいパートナーが到着した

10/16-2

新しいパートナーが到着した。
MINI Cooper-Sと別れ、悲しい生活をしていた私であった。
新しいパートナーは、昨日到着した。
本日、試乗である。

子どもが授かったら、あちこち遊びに行こうと、ツーリングワゴンを買ったのが十年以上も前。京都に移ることになり、小さい車にした方がいいということで、MINIに乗り換える。そこで娘を授かる。うーむ。

私は娘が小学生になるぐらいまでは乗り続けたいなあと思っていたのだが、諸般の事情でさよならすることになった。

さて、何にしようかとさんざん考えた結果、やっぱり「バビューン」であった。

BMW325iツーリングMスポーツである。

325itms

MINIもBMWなのであるが、一度BMWに乗ってしまうと乗り継いでしまうと言う話があるが、まさにそうであった。

まだそろそろ走っている段階なので、なんとも言えないが、走り出しの安定感がそのまま高速度域まで続くのは、何とも言えない安定感である。

オートマとマニュアルがついているので、マニュアルの二速でバイパスの入り口のところで引っ張ってみると、MINIとはまた違う飛んで行く感覚である。

(ああ、これがシルキー6ね)
(ああ、これが駆け抜ける喜びね)

とまるで、ミーハー。
しかし、気持ち良い。

奥さんは、ドアが4枚いや5枚あるので喜ぶ。
娘も、「おっきいね」と言って喜ぶ。
良かった良かった。

夜には、いつもリビングから見ている琵琶湖の対岸に行って、夜景を楽しんだりした。我が家もなかなか美しいではないか。

Yakei

325iツーリングとは、長い付き合いでいたいなあと思う。

むかし、あるところに、おじーさんが

10/16

「むかし、むかし、あるところに、おじーさんと、おばーさんが、ざsxdcfvgbhjんkm、l。;。おしまい」

と話すようになったと、昨日書いた。娘は日々成長している。

「むかし、あるところに、おじーさんがいませんでした。おしまい」

うーむ。シュールである。しかし、おしまいと言われればおしまいである。

そして、さらに。

「むかし、あるところに、おじーさんがいました。おしまい」

である。さらに、シュールである。まるで、「ゴドーを待ちながら」のようである。

私がこうしてブログを書いていると、膝の上によじ上ってくる娘であった(^^)。

2009/10/15

その平田さんが、明日の教室にいらっしゃる

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101501000740.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

内閣参与に平田オリザ氏 文化政策で首相に助言

 Pn2009101501000919ci0003_2 平野博文官房長官は15日午後の記者会見で、劇作家で大阪大学大学院教授の平田オリザ氏(46)を同日付で内閣官房参与に任命したと発表した。鳩山内閣では初の内閣官房参与任命。文化政策をめぐる政府の情報発信について鳩山由紀夫首相らへ助言する。

 平田氏は首相と以前から親交があり、文化、教育の分野で広く活躍してきたことから選ばれた。

 平田氏は国際基督教大在学中に劇団「青年団」を主宰。作品に「東京ノート」「月の岬」。07年に文化庁の文化審議会委員を務めた。

引用終了 ーーーーーーーーーー

うーん、予想していたとは言え、予想通りになったか。
平田さんとは、私が杉並の中学校に勤めていたときに最初にお会いした。そして、その後三回ほど一緒にあれこれしている。お酒を飲みながら日本の教育の今後のことも語り合ったこともある。

そのときに、こんな日が来るのではないかなあと思いながら話していた。彼からもあれこれを聞いていたので。

これで日本の教育が面白い方向に動くのではないかと思う。楽しみだなあ。

その平田さんが、明日の教室にいらっしゃる。実は二回目。ああ、なんて贅沢な明日の教室なんだろう。

詳しくは、こちらです。

いやあ、すごい。

むかし、むかし、あるところに

10/15

三時間連続の授業であるのが、木曜日の大変なところ。
だが、学生たちの学ぼうとする姿勢がこのところ深まってきているので、これにきちんと応じなければと思ってもいる。二回生の授業を持っているが、良い感じで積極的になってきている。成長しろよ。

授業の合間に、去年の国教法の学生が研究室に。何だろうかと思ったら、某私立高校の書道の常勤講師に採用が決まったことの報告であった。いやあ、嬉しい。おめでとうだ。

また、放課後帰宅の準備をしていたら、一昨年度の卒業生が、近況報告と今後の進路についての報告に来てくれた。いまはかなりしんどい中学校でTTの補助をしているのだが、そこで目覚めたようでじっくりと教職免許を取るとのことであった。

どちらも目出たい話である。こんな話題が出るのも、人事の秋だからであろう。

 

家に帰って、今日の娘の報告を聞く。

「あのね、今日○○は、本を持ってきて読み出したのよ」
『え、何?』
「むかし、むかし、あるところに、おじーさんと、おばーさんが、って」
『本当?』
「びっくりしたけど、本当なのよ」

寝る前に奥さんが読み聞かせをしているであるが、それを突然いだしたというのである。すごいなあ、と思っていたら、私を引っ張って娘は蒲団のところに行く。

『はいはい、今日はお父さんと一緒に寝てくれるの?』
と聞いていたら、

「むかし、むかし、あるところに、おじーさんと、おばーさんが、ざsxdcfvgbhjんkm、l。;。おしまい」

と言うではないか。本当だ。びっくり。

毎日の成長にびっくりだが、これを楽しみに仕事をしている。

久しぶりに6時前に起きる

10/15

久しぶりに6時前に起きる。

昨日インストールしたSnowLeopardは快適に動く。さらに、Air Mac Expressも新しくしたのでN規格に対応している私のマシーンはスピードがアップしている。ああ、気持ち良い。

そこで、ベランダに出て熱い紅茶を飲むことにした。なんで、そこでなのか。論理の飛躍があるが、まあ日常生活なんてそんなもんだ。

膝の上にマックを乗せて、メールのチェックをしながら朝日が昇ってくるのを楽しむ。一人の贅沢な時間だ。Asahi

「ぱぱ?」

一人の贅沢な時間だ。

『ん? ぱぱ?』

振り返ると娘が起きている。
え、まだ6時を過ぎたばかりだぞ。

最近の娘は早起きだが、今日はかなり早起きだ。
折角なので、一緒に朝日を楽しむ。

ちなみに、朝風呂も一緒に楽しむ。

今朝のお米は、今年の新米。私がとても気に入っている新潟魚沼産のコシヒカリである。知り合いの農家が自信を持って作っているお米。

炊きあがりを頂く。
いやあ、美味しい。
ほとんどお米だけで朝から二杯も食べてしまった。

こんなすごいお米を作ってくださって、感謝である。
日本人に生まれて良かったと思う瞬間である。

さらに、今朝はゴミ出しの日。
台車に載せてゴミ捨て場に向かう。娘も一緒。

なんというか、こういう物を押すのが好きな時期になっている娘は、部屋の中でもステップや自分の小さな椅子を押して喜んでいる。

で、台車も押す。
「ま〜、お手伝いしているの?」
とマンションの住民のみなさんから、たくさん声をかけてもらう。
『いえ、遊んでいるだけです』
と私は答えるがf(^^;。

帰りは台車の上に乗せて帰ってきたのだが、途中でやっぱり
「自分!」
と言って台車を押す。
やっぱり遊んでいる。

なかなか贅沢な朝だ。

盛者必衰の理をあらわす、か

http://www.asahi.com/culture/update/1010/TKY200910100107.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

「テレビがないと困る」半数 16~24歳調査
2009年10月13日10時37分

 NHKと民放でつくる放送倫理・番組向上機構(BPO)の青少年委員会は、16~24歳の若者とテレビに関する調査の結果を9日に発表した。アンケートに「テレビがないと困る」と答えた人は49.5%にとどまった。「大切だと思うメディア」では、テレビは携帯電話、パソコンに次いで3位だった。

 東京都内で無作為に選んだ男女311人を調べた。子どものころからパソコンやインターネットがあり、「デジタルネーティブ」と呼ばれている世代だ。

 テレビを見るのと同時に「携帯電話でメールやサイトを閲覧する」と答えた人は、「よくする」「時々する」を合わせて64.9%。「ながら視聴」の多さも目立つ結果となった。(松田史朗)

引用終了 ーーーーーーーーーー

嘗て知り合いのテレビ関係者が、
「テレビは明るい斜陽産業です」
と言っていたことが現実となってきているのだろうなあと思う。
私が子どもの頃は、ゴールデンタイムは視聴率は30%なんて番組は結構あった。いまは、12%取ればオッケーだそうだ。

ブラウン管が、液晶に代わり、テレビがモニターと呼ばれる時代。
テレビ画面は、番組を見るのではなく、何かを映すものに変わってしまっている。

かくいう我が家も、テレビはニュースと、お母さんと一緒の類いばかり。しかもまた、NHK教育テレビが面白いと来ている。

盛者必衰の理をあらわす、か。

2009/10/14

「餃子おいしいね!」

10/14

いろいろとあった一日だった。人生初体験のこともあった。

一日の最後は、学科の会議。
3時間ほどあれこれ重要なことを話し続ける。
21時近くになっていた。

大学の駐車場で、餃子の王将に電話をしてから帰る。
そうすると焼きたてを手に入れることが出来るのだ。

家に帰ったら娘が、
「お帰りなさい!」
と迎えにきてくれた。
そしてテイクアウトの餃子を持ってリビングに向かう。
「あたたかいねえ」
と言いながらそれを触る。
『お父さんのテーブルのところに置いてくれる?』
というと、娘はちゃんと私のテーブルのところに餃子を置いてくれる。

すると、
「餃子おいしいね!」
と言う。

え? 一言もこれが餃子だとは言っていないのに、餃子と分かったの?
さすが餃子好きの私、の娘である。

そこまで言われたら、食べさせるしか無いでしょう。
眠たいと言っていた娘は、食べていいことが分かると俄然張り切るf(^^;。
美味しく食べている。
可愛いものだ。

これだけで、一日の疲れが消えて行く。
ありがたいことだ。

ありゃ、なんか書いた通りになりそうだ。 教員免許更新制度のその後

ありゃ、なんか書いた通りになりそうだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

教員免許更新制を廃止へ=来年度に新制度検討−文科省
10月14日13時16分配信 時事通信

 文部科学省は14日、4月にスタートした教員免許更新制を廃止する方針を決めた。免許更新制の代わりに、10年程度の指導経験を持つ教員が専門的な講習 を受講し、「専門免許状」を取得する新制度を導入する方針。2010年度予算概算要求に新制度の検討経費を計上し、早期の実施を目指す。 

引用終了 ーーーーーーーーーー

更新講習ではなくて、専門免許か。大学院ではなくて、専門免許の取得を目標とさせるわけね。

表と裏と、どういうことが含まれているのか、考えてみるとしますか。

免許更新制度が廃止されると

http://www.asahi.com/politics/update/1014/TKY200910130370.htmlから、引用開始 ーーーーーーーーーー

教員免許の更新制、10年度限り 文科省方針
2009年10月14日5時31分

 教員を続けるために10年に1度大学などで講習を受け修了することを義務づけている教員免許更新制をめぐり、文部科学省の政務三役は13日、10年度限 りで廃止する方針を固めた。制度は今春始まったばかりだが、現場にはかねて「教員としての技量向上に効果があるかどうかは不透明」「ただでさえ忙しい教員 がさらに疲弊する」という批判がある。文科省が同日開いた有識者との会合でも批判的な意見が強く、制度を続ける必要性がないという判断を固めた。

 文科省は、現在の制度下で講習を受講しなくても免許が失効することがないよう、11年1月の通常国会で関係法令を調整する考えだ。

 教員免許更新制は、安倍晋三政権の目玉として設けられた教育再生会議などが提案。幼稚園から高校までの教員が対象で、制度化に当たって文科省は「最新の知識技能を身につけてもらうことが目的」と説明してきた。

 ただし、現場には不満も多く、民主党は今年7月、無駄な事業を洗い出す「事業仕分け」の中で、廃止すべきだとの結論に至った。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということである。政権が変わるとこういうことがあるのね、ということを学ぶ国民である。

確かに伝え聞くところによれば、仮に更新講習制度は良いものだとしても、更新講習の内容が実態に合っていないという声を聞く。幸いにして私が行ったものは、それなりの評価を得ているがf(^^;。

だが、この免許更新制度が廃止されたとしても、二つのことを考えなければならない。

一つは、10年に一度の免許更新制度は無くなっても、10年次研修等はあるということだ。いまも10年次研修があって、その上に免許更新講習があったという大変なことになっていたわけである。だから元に戻ると言えば言えるのである。

もう一つ。教員免許を手に入れるための教職課程が6年制度にするという話も、現政権は考えているのを忘れてはならない。

さて、この6年制だがどのようなスタイルになるのであろうか。

1)学部が終わったらそのまま大学院に2年間行く。

というのがまず考えられる。この場合、専門知識と教育の知識を6年間かけて身につけるというものと、学部のときには教育以外の専門知識を身につけ、大学院で教育の専門知識を身につけるというやり方がある。

どちらのパターンであっても、教育実習が一年間になるのではないかと噂されている。

2)学部が終わったら、一度現場に出てその後大学院に2年間戻る。

というスタイルを、私は理想と考えている。つまり、学部卒でまずは一種免許を出す。そして、現場に出て3年後から10年以内に専修免許を取得するのである。

その場合、専修免許も「管理職」「授業職」「生活指導職」「事務職」「担任職」「特別活動職」「研究職」などのそれぞれに特化した領域の専門を持つようにする。管理職を目指す教員は、この「管理職免許」を取得するようにするのである。

本学の看護学部の先生に聞いたのだが、看護学を教える先生方は、必ず3年間以上の現場経験が無ければならないとのことである。教育学も3年ぐらいは現場経験があっていいはずである。

また、ストレートで大学院に行くのも良いが、現場にでて問題点や課題、または自分の力の無さを持って大学院に戻ってくることは意味があるのではないかと考えている。だから、2)がいいと考えている。

で、問題はいま4年間で免許を取得して現場に立っている先生たちである。ここに6年制度は波及するのかしないのか。一般的な法解釈では、新しく法律が成立した場合、それ以前の法律で動いている部分には影響しないものである。

だが、私が現場にいて専修免許を持っていなかったとしたら、
(えー、俺も大学院に行かせてくれよ)
と思うだろうなあ。
だから、さらに理想を言えば、現状で一種免許を持っている先生も希望があれば、大学院にきちんと行けるようにするということか。

ただ、授業料は自腹であろう。これはそうだろうなあ。

となると、一種免許と専修免許の先生で給与体系も変わるようになるのかなあ。高度な専門教育が出来る(と想定されている)先生とそうでない先生で給料が同じって言うことになるが、それでいいのかわるいのか。同僚性の観点から言えば同じ方が良いし、専門性から言えば違う方が良い。

医者の場合、新人でもベテランでも保険の点数は同じ。ただ、歯医者の場合、インプラント等の専門治療は保険外治療でそこで稼げるようになっている。ちなみに、歯学部の教育ではインプラントのやり方は習わないそうだ。保険外治療なので。だから、インプラントが出来る歯医者は自腹で高額の研修を受けて、できるようになるのである。

ま、医療と教育が同じ視点で論じられるものでもないのだが。

うーむ、どこに落としどころを見つけるかな。

【日本は、教職課程を6年間にするべきである。是か非か】
ディベートの論題としてもいいかもしれない(^^)。

2009/10/13

年を取るって面白い

「努力は報われないとダメと思う」

若者は言う。
ああ、確かに若い頃は私もそうだった。
私も年配の人に

「努力することが大事で、結果は別」

と言われた。
そんなことを聞いても、

(それは理想論だ。結果が全てじゃないの?)

と若い頃は思っていた。

しかし、年を取るって面白い。
本当にそう思うのだ。
「努力することが大事で、結果は別」と思うのだ。

だが、この「努力することが大事で、結果は別」と言うのには注釈が必要である。ここが若い頃は分からなかったし、教えてもらうことも無かった。

考えるに、努力することが一つの結果になっているのである。そして、その結果が次の努力のスタートラインになっていたり、別の努力の結果になっていたりするのである。

もう少し一般化して言うと、Aということに対して行う努力Aがある。そして、結果AAがある。若い頃は、結果AAが出なければ意味が無いと思っていた。

ところが、結果AAが出なくても、努力Aが、Bということに対して結果BBであることがあるということが分かるのである。

だから、「努力することが大事で、結果は別」なのである。努力と結果が一対一対応になっていないのである。一対多対応、または多対一対応になっているということに、年を重ねて気がつくのである。

結果が全てなのかもしれないが、努力が大事なことはぶれることは無い。報われることもあってほしいが、どこで報われるかはよく分からないのである。

あははは、面白い。
年を取るって面白い。

学問の秋でもある

10/13

盥から盥へうつるちんぷんかん

これが一茶の句であるというのは、学生時代に知っていた。吹野先生の漢文の授業で教わった。辞世の句とも言われている。すごい句だなあと思っていたが、もっとすごい句を知った。いやあ、知らなかった。

世の中は地獄の上の花見かな

である。
一茶の人生は波瀾万丈で、なかなかすごいのは知っていたが、こんな句を残していたとは。

今日の発見である。

で、研究室で仕事をしていたら、学生がやってきた。教育実習を終えたゼミ生である。良い顔をしていた。

『で、久しぶりに大学に来てどうだ?』
「なんか変な気分です」
『どう、変なのかな?』
「なんで、今自分は大学にいるのかな。小学校じゃないのかなという感じです」

良い実習だったのだろうなあと思う。ご指導いただいた先生方に感謝である。自分の居場所を作らせてもらったわけだ。学生もそれなりに頑張ってきたというのは分かる。だが、その環境を用意してくださったのは、現場の先生方である。よーく分かる。ありがたいことだ。

そして、今日から実習が始まった学生もいる。
頑張れよ(^^)。

電話があった。この電話は予約されていた電話。新しい仕事の依頼である。なんか面白そうなので、引き受けようかなあ。来週打ち合わせだ。

ディベートの授業では、マイクロディベートの一回目が終わったところ。スピーチの基礎技術をあれこれ説明し、
『ま、理解できても、実際にできないと思います。10試合過ぎた頃に、できるようになっていると良いね』
と話す。

ディベートは、分かると出来るの差が激しいレッスンです。

その後、さらに国語科教育法2の学生たちが、模擬授業の指導案(案)を持って指導を受けにくる。

一回目の指導なので、あれこれバッサリと切る。教材をメタで見るということはどういうことなのかを具体例とともに、解説する。理念だけで指導案を作ってもダメだし、誰かのものを許可なしで勝手に使ってもダメだし、あなたが本当に教えたいと言うものが無くてもダメだとあれこれバッサリと切る。

夕方鳴き始めた秋の虫の音が、指導を終える頃には、違う種類の虫の鳴き声に変わっていた。もう10月も半ばである。学問の秋でもある。

「冷凍保存」はどうなるのだろうか

10/12

Gdn ガーデンの後、買い物をした。
ヨドバシカメラまで出かけて行って、バックアップ用のHDやらなんやらをどーんと購入。

これで仕事の効率と安定性が増すであろう。良かった良かった。



野中先生の「味噌汁、ご飯」授業の続編
を読みながら、さらに考える。
ヨドバシカメラの家電製品コーナをぶらつきながら、ふと思う。

「冷凍保存」はどうなるのだろうかと。

私は作文は料理に似ているのアナロジーの中で、テーマに沿った材料を「冷凍保存」することを提唱している。とくに小論文系の作文の場合、テーマに沿って基礎的な事項を理解しておくことが大事だと考えている。

例えば、「少子化」がテーマであれば、これについて予め200字程度でまとめておくのである。一度文章でまとめておくことで、頭の中に冷凍保存できるのである。

吉田たかよしさんの本のどこかにも書いてあったと思う。
(を、同じことを考えている)
と思ったものだ。

また、糸井重里さんは、思いついたアイディアをマックのデータベースソフトにちょこちょこっと入力して、保存しておくそうだ。その保存場所のネーミングは「冷凍庫」。

エッセイ等の依頼があったとき、その冷凍庫からいくつかのアイディアを取り出して「チン(解凍)」して、文章にするそうだ。

これまた、私も同じようなことをしている。私は授業のアイディアを主に貯めている。ときどきのこのDBを眺めて、あれこれ自分を刺激し、活用している。さすがに冷凍庫と名付けはしていないが、カード型データベースにあれこれメモしている。

アイデアは、時間や文脈でその意味や価値が変わってくるので、一見つまらないアイディアもDBに貯めておくと良い。後から有効になることがある。だからメモである。

授業のネタや指導方法の思いつきを、ちょっと文章化しておく。そして、指導における適切なタイミング、文脈、さらには自分の指導の力量の向上を待って、そのアイディアを活用する。これが、「味噌汁、ご飯」授業における「冷凍保存」のあり方ではないだろうか。

ほら、朝ご飯のみそ汁だって、冷凍庫にある冷凍の具材を入れたりするでしょ。残ったご飯を冷凍保存しておいて、チンして使うこともあるじゃないですかf(^^;。

小分けにして取り出しやすいようにして、冷凍保存しておくことも日常的で、飽きることの無く、栄養価が安定している「味噌汁、ご飯」授業には大事ではないかと思うのでありました。

2009/10/12

そこで娘にお約束の質問をする

10/11-2

午前中、娘とガーデンにシャボン玉をしに行く。このところ散歩の必需品である。

シャボン玉を始めると、音楽が聞こえてくる。目をやるとどうやらガーデンで結婚式があるもよう。いつもならガーデンの中のチャペルでやるのだが、今日は天気がいいからなのか外でやっている。琵琶湖に面した広場でやっている。

Imgp7773

そこで娘にお約束の質問をする。

『○○は、お父さんと結婚する?』
「しない」
速攻で答えられて凹む私。
『じゃあ、お母さんと結婚する?』
「しない」
ん?
『じゃあ、○○ちゃんは? ○○ちゃんは?』
「しない」
娘の知っている人間をあれこれ出して、結婚するかどうかを聞いた。ところがしないである。

あ、

『じゃあ、結婚するの?』
「しない」

なんだ。良かった(^^)。

先日娘は台風がくれたプレゼント、まだ緑のドングリをたくさん拾ってきた。今日は、シャボン玉を楽しんだ後、ピラカンサスの赤い実をたくさん拾って喜ぶ。一つ一つ取り外して、お気に入りのコップに仕舞う。

ガーデンは秋の薔薇が咲き始め、手入れをされた芝生はまた緑を戻してきた。ごろんと芝生の上に寝転がる。青い空が広がる。秋の雲が幾層にも重なっているのがなかなか良い。

ああ、娘は相変わらずピラカンサスで楽しんでいる。
うーん、こんなにリラックスしている場合ではないんだけどなあf(^^;。

午後からは大学で仕事。
終わらないんだなあ、いろいろと。
大学はオープンキャンパスで賑わっている。
その中で研究室で、音楽を流しながら仕事。

古内東子がいいねえ。
彼女はラブソング以外は作らない、歌わないと言っていた。
そんな彼女の歌を聴いていたら、一瞬、渋谷と下北沢の街が目に浮かんできた。なんでだろう。特に恋愛とは関係ないのになあ。

人生は後ろ向きのジェとコースターに乗っているようなものだという言い方がある。ああ、と思うことがある。後ろ向きに進んで行くとき、遥か彼方に乗り越えてきたジェットコースターの山が見えたりするんだな。それだ。

なんだか分からないが、過去の一瞬がさっと目の前に現れることがある。だが、一瞬だ。一瞬でまた元に戻る。

ふと、研究室の外を見ると奇麗な夕焼け。
休日出勤のご褒美のようだな。

Yuukei1

Yuukei2

思ったよりも仕事が進んだので、予定を変更してもう少し進める。これで当該のお仕事の半分ぐらいまで進んだかな。

残りも粛々と進めよう。

帰宅後すぐに。お風呂。お風呂後、娘がパジャマに着替えるのを手伝おうとしたら、自分でやりたがっている。ボタンを触ってたが、とうとう自分でボタンをはめることができた。なかなか器用だ。

夕ご飯の配膳が終わり、食事。パプリカの野菜炒め。驚いた。大人用の箸をこれまた器用に使って、取り皿にとっているではないか。そんなに簡単に使えるようになるのか?

私もこのぐらい順調に成長したいなあf(^^;。

2009/10/11

30分で行ける世界遺産

10/11

新聞記事で見つけて、急遽出かけることに。宇治平等院がライトアップされているというのである。それも昨日と今日の二日間だけ。

ちょうど夕方のラッシュの時間だったので、行きは多少時間が掛かったが、思ったよりも早く到着。

宇治の平等院は、何年ぶりかなあ。最初の中学校の修学旅行で来た時以来のような気がする。このときのことは、しっかり記憶に残っている。

修学旅行の初日に高熱を出して欠席を出した生徒がいた。初日の夜に電話をすると熱が下がって大丈夫になったと言う。そこで、二日目に宇治平等院まで親御さんに連れてきてもらって合流すると言うことにした。このことを初日の夜の打ち合わせで確認した。

もちろん、他の生徒には秘密。サプライズで行うことにした。ところがである。このサプライズを平気で他の生徒に話していたのが当時の養護教諭の先生。
『止めてください!』
と言ったのだが、既に遅し。もう一部に広まっていた。
「あらだって、秘密にしておいてくださいって言わなかったでしょ」
と宣われた。

(この人と私の文脈は違うんだなあ)
と改めて思ったのを覚えている。

平等院を見ながら、奥さんが思い出したように話した。

「初めて平等院に来たときにね、こんなことがあったのよ」

「中を歩いているときに、ハエが飛んできて、案内をしてくれていたお寺のおばさんが、つぶしたの。そしたら、そこにいた子どもが『仏教では殺生はしてはいけないんじゃないの?』って言って、周りの大人が必死に笑いを堪えていたのよ」

人にはいろいろな思い出があるものである。

その平等院の一コマ(クリックでかなり大きくなります)

Ubi

ライトアップの後に、平等院の中にあるミュージアムを見学。これもなかなか立派であった。

帰りはお腹がすいたので、京滋バイパスを使う。宇治東から石山まで。その後は下道で家に。30分ぐらいで着いてしまった。近いなあ。

30分で行ける世界遺産。
いやあ、良い時間であった。

マラウイの少年、独学で風力発電に成功 7年かけ (CNN) 

すごいねえ。

http://www.cnn.co.jp/business/CNN200910100001.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

マラウイの少年、独学で風力発電に成功 7年かけ
(CNN) 

干ばつに苦しむ東アフリカ・マラウイの貧しい村では、何もかもが不足していた。赤土の大地はひび割れ、作物の枯れた畑をただ風だけが吹き抜け る。この風を使って、村に電気を起こせれば——。そう思い立った少年が、たった1人で作業に取り掛かった。それから7年、村では少年の作った風車5台が回 り、電動ポンプが水を送り出している。

ウィリアム・カムクワンバ君は、首都リロングウェ北郊の村で育った。02年の干ばつで、農業を営んでいた父親は収入を失い、当時14歳だったウィリ アム君の学費さえ払えなくなった。退学したウィリアム君は図書館で時間を過ごすようになり、そこで風力発電について書かれた本と出会う。「本に写真が載っ ているのだから、だれかがこの機械を作ったということ。それならぼくにも出来るはずだと思った」と、ウィリアム君は振り返る。

材料は、ごみ捨て場から拾ってきた自転車の部品やプラスチックのパイプ、プロペラ、車のバッテリー。タービンを支えるポールには、森で採ったユーカリの木を使った。「風車を作るんだと話すと、だれもがぼくを笑った。あいつは頭がおかしいといううわさが、村中に広がった」

もの珍しげに取り囲む群衆と、溶かした金属から立ち上る熱気で汗だくになりながら、ウィリアム君は黙々と作業を続け、3カ月後には最初の風車を完成 させる。タービンが回り、取り付けた電球に明かりがついた時には「これでもう頭がおかしいなんて言われないと思い、ほっとした」という。

7年間で作った風車5台のうち、最も大きいものは高さ11メートル余り。地域の学校でも風車作りを教え、その校庭に1台を設置した。村人たちは「携帯電話を充電したい」「ラジオを聴きたい」と、ウィリアム君の自宅をたびたび訪れる。

ウィリアム君の挑戦には、アル・ゴア元米大統領をはじめ、世界各地の環境活動団体や企業から称賛の声が集まっている。AP通信の元アフリカ特派員ブ ライアン・ミーラー氏は、ウィリアム君と数カ月間生活をともにしながら取材を続け、先週その成果をまとめた著書「The Boy Who  Harnessed the Wind」を出版した。同氏は「紛争の取材ばかりが続くなか、かれとの出会いは新鮮だった」と振り返り、「アフリカには、政 府や支援団体に頼らずに自分の力でチャンスをつかみ、問題解決の道を切り開く新たな世代が育っている。ウィリアム君はその1人だ」と話している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

世界にはまだ希望があるなあ。

http://www.youtube.com/watch?v=arD374MFk4w&feature=player_embedded

ここに彼へのインタビューがあります。

2009/10/10

「味噌汁、ご飯」授業について、について

10/10-2

野中信行先生のブログでは、つねに面白い提案がされている。現在提案されているのが、「味噌汁、ご飯」授業についてである。

嘗て会社の採用試験に料理を作らせるということが流行ったことがある。日常の生活力を見るということではない。段取りの力を見るのが目的である。

料理は、下準備を含む段取りが大事である。仕事は段取りが8分という言い方もあるぐらいだ。段取りの力を見るにはもってこいだったのかもしれない。

私も、「作文と料理は似ている」ということで、作文指導のメタファに使って行っている。

以前、野中先生に明日の教室でお越し願ったとき、まだ引っ越しして間もない拙宅にも来ていただいた。琵琶湖の夜景を見ながら食事をしていただこうと思ったのだ。

その時、私の料理で申し訳ないが食べていただこうと買い出しをしていたら、野中先生が
「私もやるんですよ」
といくつかの料理を作ってくださった。

そんなことを思い出しながら、野中先生の「味噌汁、ご飯」授業についてを拝読していた。

もちろん、先生が紹介されている奥薗さんの「ズボラ人間の料理術」(サンマーク出版)は我が家にもある。あの中の「梅干しと昆布と鰹節と蕪のあっさり煮」(名前はこうだったかは確実ではない。が、内容はこれ)は絶品である。

(をを、野中先生も)
と先生のブログを読みながら思ったのだ。

で、野中先生は奥薗さんの「正しいズボラ料理の7か条」を参考にしつつ、「正しいズボラ授業の7か条」は何なのだろうかと考察を深めようとされている。(あ、「正しいズボラ授業の7か条」という言葉は使われていないが)「正しいズボラ授業の7か条」を「とんでもない授業」との比較の中で見つけようとされている。

どんな答えが出るのか。とても楽しみである。

「味噌汁、ご飯」授業の提案をしたいのエントリーに、私が考えるそれは何であろうかと、私にコメントを求めてくださっていたので、私も書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

私が国語の教師だからでしょうか。授業そのものよりも授業を成立させるための要素としての「声」と「文字」が気になります。

家本芳郎先生は、教師に必要な力として、管理の力をその一つに上げ、屋根の無い校庭なら300人、屋根のある体育館なら500人の子どもを前にして、マイクを使うこと無く一声で子どもの動きを止められるぐらいの声の大きさが必要だと述べられていました。

災害時に子どもの命を守るためには、それが必要だと。ここも踏まえた上で、自分の思いや考えを適切に伝えることのできる「声」を持っているかどうかが一つ目です。

今ひとつは、読みやすい字を書けるかどうかです。美しい字ではなく、読みやすい字です。美しい字は美しすぎて読めないことがあります。これでは意味 がありません。読みやすい字とは「濃く、太く、大きい」字です。この字を、ノートと板書と両方で使いこなせるという力量です。これが二つ目です。

野中先生の例えに倣って言えば、みそ汁の出汁のとり方であり、ご飯の研ぎ方、炊き方ではないかと思うのですが。

そして、これらを活用して授業を行う際、どうしてもこれだけは子どもたちに教えたいというものを持っているかどうか。それらが関係し合って、「味噌汁、ご飯」授業になっていくのかなあと、今大学で指導していることを振り返ったとき、直感ですがこのように思いました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

書いてみて改めて思ったことがある。「味噌汁、ご飯」授業という例えで、野中先生は、恐らく

・日常的で
・飽きることの無く
・栄養価が安定している

という意味で「味噌汁、ご飯」授業を提案されているのではないかと思うと同時に、私は、「日常的で、飽きることの無く、栄養価が安定している」授業って、結構難しいぞと思ったのである。

そして、
(美味しいみそ汁、美味しいご飯を作り出す要素は何だ?)
と考えて、上記のようなコメントを野中先生のブログに書いたわけです。

容易に想像できるのは、奥薗さんの使っている包丁は、しっかりとした素材で、丁寧に研ぎ上げられていて、きちんと管理されているということです。その上でのズボラだと私は考えています。

だから、ズボラだけを見ても、奥薗さんの料理の神髄には辿り着かないと思います。でも、奥薗さんの料理がすごいのは、いい加減な包丁を使っても、まあそこそこすごい料理ができることでもあります。

私は、授業における「包丁の大切さ」を考えようとしていて、野中先生は、ま、包丁はそんなにこだわらなくてもいいのではないか。拘らなくてもちゃんとできるズボラ料理のような授業のあり方があるのではないかな、と仰っているかのように、コメントを書くことで理解しました。

もちろん、「日常的で、飽きることの無く、栄養価が安定している」授業についても、私なりあれこれ考えて、学生の指導に当たっています。それについては、またいずれ。

うーん、考えるのは楽しい。

ああそうか

10/10

私たちの世代にとっては、この日は体育の日である。東京オリンピックの開会式の日である。晴れの特異日。琵琶湖の空は少し雲が多いが、青空である。

昨日の疲れをとるべくということでもないが、朝風呂に入る。朝日が浴槽のお湯に注ぎ込み、なかなか美しい。奥さんが剥いてくれた梨も冷えていて、美味である。

そんな中で本を読み続ける。
このところ読む本読む本がヒットしていて、嬉しい悲鳴である。昨日も二冊読み終わり、知的興奮を得ていたのだが、今朝の風呂の中でも興奮しながら鉛筆で本に思いを書きなぐっていた。

その時、ああそうかと思ったことがある。

大学に異動してエキサイティングなことが次から次へとあって、大変嬉しいのだが、数少ない不満の一つに授業ができないということがある。いや、なんというか大学でもしっかりと授業はあるのだが、ちょっと違うのだ。

中学校の時は一週間に三回または四回と一つのクラスで行っていた。だから、前の授業のフィードバックをすぐに次の授業に投入することができた。

ところが、大学の授業ではこれが難しい。二つ理由がある。一つは、一週間に一回ということ。もう一つは、シラバスで授業内容が縛られているということである。簡単に言うと、授業の自由度が低いのである。

だから、本を読んでいて
(あ、これは授業でやってみたいなあ)
というアイディアに出会ったときになかなか実行できないのである。

で、ああそうかと思ったことは、この先である。
(ああそうか。その授業でやってみたいなあと思う部分を、論文にして有効性を証明するのね)
ということである。

授業をするのは、私ではないかもしれないが、このテーマを取り扱う授業のスタイルとしては、このやり方がありますよということを立証する論文というのはありだなあと、朝風呂の中で思った私でした。

2009/10/09

使っていただいてなんぼの情報ですから

10/9

ということで、今日は出張である。天橋立まで行く。いや、もっと遠くまで行く。家からだと3時間はかかる。東京に行くよりも時間がかかる。京都は広いのである。

今日の内容は、ディベートの授業とこれを受けての教職員研修会である。言ってみれば、私の授業を見ていただいて、それで検討をされると言う実に恐ろしい企画である。

しかし、ディベートの授業を是非というのであるからして、お引き受けすることにした。本学児童教育学科の学生の母校でもあるし。本日研究日である。

はしだて3号に乗り、京都の北方面に向かう。刈り取られた田んぼ。台風の影響で濁った川が目に入ってくる。いやあ、刈り取った後で良かったなあと思う。

綾部、福知山と通り過ぎてもまだ着かないf(^^;。遠いのである。「大江山いくのの道は〜」の大江山も通り過ぎる。歴史の舞台を通り過ぎる。なかなか味わい深い。

ディベートの授業は高校1年生に2時間で行う。理論と実際の試合を2試合。一試合目はよく分からないでいた生徒諸君も、二試合目になると俄然頑張っていた。そういうふうに授業を作ってあるので、その通りに進んで、ああ、良かった。

その後の研修会は、急な変更であった。事前の打ち合わせでは、ディベートについて、授業の背景等あれこれを話して、その後先生方からの質問を受けると言うことになっていたのだが、急遽変更。

校長室であれこれ話をしていたところ、校長先生が、
「先生、それを話してください」
ということになってしまい、1時間では無理と思いながら、教師論、授業論、教育論の話をすることに。

ディベートの授業の5時間目と6時間目の間の10分間でシラバスを考えて、えいやああああああああ、てなことになってしまったが講義をすることに。

なんとか終えて、校長室でさらに校長先生の質問攻撃に遭うf(^^;。
こうなりゃあ、なんでも答えますということで、ここでも1時間近くあれこれと話す。はい、使っていただいてなんぼの情報ですから。

駅まで送っていただいて、帰路につく。暗くなった車窓からは天橋立も見えず、ただ、疲れた眼鏡のおっさんの顔が見えるなあと思っていたら、私だったf(^^;。

今日も一日良く働いた。

11月の明日の教室のご案内です。11月3日です

11月の明日の教室のご案内です。11月3日です。

http://kokucheese.com/event/index/574/

2009100866a0023466_22382861jpg

今回は、演劇です。最近、教育関連の書籍が並ぶコーナーに行くと、演劇関連の本が多く見られるようになってきたと思います。

新しい政権も、コミュニケーション教育に関わって、演劇を取り入れて行く意向にあるようです。

とまれ、明日の教室ならではの豪華メンバーと、低料金。いや、今回は無料です。祭日ではありますが、是非お越し下さい。

なお、今回は無料で行えますし、当日急な参加も問題ありませんが、懇親会は会場を貸し切るため、10/25までにお申し込みを頂きたいと思います。当日の急な参加はお引き受けできませんので、よろしくお願いいたします。

糸井先生のブログから引用します。

引用開始 ーーーーーーーーーー

平成21年度京都府地域力再生プロジェクト支援事業
「コミュニケーションティーチングによる地域力再生事業」 演劇発表公演+シンポジウム

日時:2009年11月3日(祝)13:30~
会場:宇治茶会館
入場無料

演劇発表会出演:
宇治市立菟道第二小学校3年生児童+劇団衛星

シンポジウムパネリスト:
平田オリザ氏(劇作家・演出家、大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授)
北川達夫氏(フィンランド教材作家、日本教育大学院大学客員教授)
池田修氏(京都橘大学文学部児童教育学科准教授)
糸井登氏(宇治市立菟道第二小学校教諭)
蓮行氏(劇団衛星代表、岡山県立大学非常勤講師、同志社大学嘱託講師)

環 境・防災・防犯・福祉といった地域の問題は、地域住民のコミュニケーション不全が一因 といわれています。この事業では、全国的に注目される「コミュニケーションティーチング」 の手法を活用して、小中学校をターミナルとした地域コミュニティ再生をめざします。 今回は、実際に市内の小学生が地域のフィールドワークを通して作った演劇を上演。

またその後のシンポジウムでは、海外での事例や学校での取り組みなどを紹介します。

主催:NPO法人フリンジシアタープロジェクト
後援:京都府、京都府教育委員会、宇治市教育委員会、宇治市(申請中)
協力:劇団衛星、宇治市立菟道第二小学校、京都文教大学

            ◆

シンポジウム終了後、宇治橋通り商店街東詰のレストラン「あむざ」にて、懇親会を実施します。
懇親会は、17:00~20:00の予定です。
会費は、4000円程度。
美味しい食事とお酒を飲みながら、教育談義に花を咲かせたいと思います。

こういう教育もあったのかと、目から鱗の一日になると思います。
たくさんの方の参加をお待ちしております。

引用終了 ーーーーーーーーーー

http://kokucheese.com/event/index/574/

2009/10/08

ま、良しとするか

10/8

「マンション買いませんか」の電話も困るが、研究室に「本買いませんか」の押し掛けも困る。

授業が終わるのを廊下でじっと待っていて、研究室に戻るとノック。入ってこようとする。

ま、無下にも拒めないので少しはお相手をする。勧められたのは人気のあるシリーズだそうだが、私の専門とは全く関係のない歴史の本のシリーズ。ふう。

私の買い物に関する基本的な考え方は、以下の通り。

・欲しいものではなく、必要なものを買う。
・必要なものは、自分から買いに行く。
・できるだけ、キャッシュで買う。
・衝動買いはしない。
・衝動買いを自分に許しているのは、本とネクタイだけである。

ということである。

だから、電話で買いませんかとか、押し掛けてきて買いませんかというのは、一切買わない。私にとってはこの間のセールス時間が、無駄である。というか、相手にとっても無駄なはずである。

だって買わないんだから。

ということで申し訳ないが、草々にお帰り願った。
が、タバコとキツい整髪料の匂いを研究室に残されてしまった。頭が痛くなりそうだ。慌てて窓とドアを開けて換気。

あ、キンモクセイの香りだ。
台風一過のキャンパスから運ばれてきた。

ま、良しとするか。

台風は直撃

10/8

「琵琶湖は台風がよけて通る」と滋賀の人は言う。確かに、滋賀に引っ越してきて三年になるが、直撃した記憶はない。しかし、今回の台風は直撃であった。

直撃であったが、夜中のことでありベランダの植木等を寄せ、戸締まりをしたぐらいで、あれやこれやと大騒ぎしながら備えるというものでもなかった。

今の学生たちに聞いても知っていなかったが、私の子ども頃は「富士山レーダー」である。日本一高い山の上にレーダーがある。歩いて登るだけでも大変な場所なのに、そこにレーダーを作る。すごいなあと単純に思っていた。

もちろん、後にこれが台風の存在をいち早く掴むためのレーダーであることを知るのであるが、国民の命を守るという気概がビリビリ伝わってきたものだった。

日本の国を彩る四季。そこには豊かな天気の移り変わりがある。もちろん、今回のような大きな台風では災害があり、大変な目に遭う人もいるのだが、この天気の移り変わりが無ければ日本という国はいまとは違う文化を持っていたことであろう。

地球儀をぐるっと回し、日本と同じ程度の緯度の辺りを見て行くと、実は砂漠が多いことに気がつく。地球規模で見ると、日本というのは砂漠が発生する地帯なのである。

大学は午前中は休講。
午後から平常授業。
生協の食堂はお休みになってしまったので、お昼ご飯を持参で大学に向かう。

もう、京都の空には青空が出始めている。
学生は、午後の授業に間に合うのかいな。

2009/10/07

10/7-2

台風が直撃しそうである。
本学も京都府で暴風雨警報が出ている場合は、午前中または午後の授業が休講になる。

天気図を見ようとネットで検索したら、次のようになっていた。

2

ニュースの下に、アマゾンの広告が出ている。
そのニュースに応じた商品を注文できるようなシステムなわけか。これならついクリックしてしまう人も割といるのではないかと思う。

しかし、だ。
これクリックしたら、届くのであろうか。なにせ明日は台風だ。
それに、なんというか、この期に及んで自分が安全に過ごすために、配送の人たちに大変な目に遭わせるってのはどうなのかなあとも思う。

それでもそれは仕事だからいいのだ。
という判断が優先されるのかなあ。

私はなんか違うような気がするが。
どなた様も、災害に遭われませんように。

で、今朝はびっくりした

10/7

人が育つってのは、面白いなあ。

今朝、大学に向かう時玄関で娘からバイバイを言ってもらった。これはいつものこと。ちゃんとバイバイしてくれる。駐車場に向かって中庭を歩いている時もバイバイしてくれる。いつまでしてくれるのかなあと思いながら、歩いている。

で、今朝はびっくりした。
「バイバイ」
のあとに、
「いってらっしゃい」
ではなくて、
「携帯電話持った?」
と言ったのだ。私も奥さんもびっくり。
いかに私が携帯電話を忘れるのかが、みなさんにお分かりであろう。そんなこと分かっても仕方が無いが。

奥さんが私にいつもそのように玄関で確認するのだが、これを聞いていたのであろう。娘は覚えて、突然言ったのだろう。

状況を理解してその状況にあった言葉を使う。人間ならそれなりにできて当たり前であるが、2歳1ヶ月が言うのかと思うと、驚きである。

人が育つってのは、面白いなあ。

2009/10/06

AE86

ハチロク復活! トヨタ、小型FRスポーツ「FT-86 Concept」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20091005/1029458/?ST=yahoo_headlines&P=1

どきんと来たなあ。

私が最初に自分で買ったエンジンは、AE86である。あのエンジンは、今でもしっかりと覚えている。だから、『頭文字はD』は体で感じながら読むことができる。

そうか、ここまでもうモデルはできているんだなあ。
コンセプトモデルだから変わる部分は変わるのだろうが、久しぶりに面白そうな国産車がでそうな気配。

ま、私はドアが二枚の車はちょっと厳しいんですけどね。でも、試乗してみたいなあと思える一台になりそうです。

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ライブならではの授業

10/6

後期は週の前半は割とゆっくりとした時間割。午後から大学へ。今週からは必修ではない授業も、受講生が確定する。第一週は様子見である。

様子見のときに、どういう授業をするのか。これは大学の教員になってから初めて考える課題であった。私は、結局いつも通りとすることにした。一回目であっても一回目からこれ受講しようと思って受けている学生がいるわけで、一回目だけいつもと違う授業をするのも変である。

だからいつも通りちゃんとやる。
すると、本登録のときには、数が減っていることが多い。
うーむ。いいんだか、悪いんだか。
ま、良いだろう。

授業参観のときや研究授業のときに、他のクラスで練習をして、なかには自分のクラスで練習をして挑む先生がいたが、私には信じられなかった。

(それって、小芝居だろう)

って思っていた。

授業は、指導したい内容と実際がずれる。いや、教育という営みはもともとそういうものである。思う通りにはならないものである。相手は人間なのであるから。だから、やりたかったことと実際はずれてしまうものなのである。だが、クラスを分析し、教材を分析し、子どもを分析し、そのズレを少なくし、またはズレルならば良い方にズレるように展開していこうとするのが授業というものではないかと私は考えている。

相関が手いるので、そんな小芝居の研究授業に、どんな意味があるのかなあと思っていた。自分がその授業を受ける児童や生徒の立場だったら、それはそれはつまらない「授業」だと思わなかったであろうか。

授業の最大の楽しみの一つである、ライブ感がなくなってしまうではないか。やる方も受ける方も、このライブ感なしに授業を成立させることはかなり厳しいと思う。

意欲のある学生が残る。
授業をする方も受ける方も、テンションがちょっと上がる。
ライブならではの授業がここにはあるなあと思う。
良いことだ。

大学の授業ならではのことだが、ここは大学。
それならば、そのシステムをきちんと活用したい。

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)を読み終える。

自分の立場によって読後の感じ方は変わるだろうが、恐らくこの本は現場にいたときに読んでも、今読んでも大きくその感想は変わらなかったかもしれない。

さすが、佐藤学先生である。

ではあるが、今の仕事をするにあたって、ピンと来る記述があった。
教員がどこで学ぶかという問いとその考察である。

174pから引用開始 ーーーーーーーーーー

私自身も何度か調査したことだが、教師を対象として「教師としての成長において何が最も有効であったか」という質問で調査すると、どの調査結果を見ても第一位は「自分の授業の反省」、第二位は「同じ学年(教科)における授業の研究」、第三位は「校内研修」、第四位は「地域の研究サークル」、第五位は「教育委員会や組合主催の研修、研究会」そして最後に「大学教授の講演」がくる(だから、私は講演の依頼は原則としてお断りしている)。

別の項目において「教師としての成長に誰が最も有益であったか」という質問で調査すると、第一位は「同じ学年(教科)の教師」、第二位は「同じ学校の同僚教師」、第三位は「同じ学校の校長、教頭」、第四位は「近隣の学校の先輩教師」、第五位は「指導主事」そして最後は「大学教師である。

この調査結果は、教師の成長の契機はその教師自身の教室を中心にして同心円上に拡大していることを示している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

佐藤先生は、この事実から学校の中の教員同士の同僚性を高めること、また、校長のリーダーシップの重要性を研究の対象にしていくことになる。現場にいたものとして、この感覚はよく分かる。

ところが、佐藤先生が本書でも述べられているが、実は日本の教育行政はこの逆をしている。つまり、上からあーせーこーせーと指示を出して教師を替えようとしている。そうすることが教師の力量アップに繋がると思っているのか、している。

むなしい。

しかし、むなしいと思ってばかりもいられない。実際のところ、大学の教員として私は免許更新講習や教育委員会主催の研修会、さらには校内研修会の講師もするのである。

「教師としての成長において何が最も有効であったか」「教師としての成長に誰が最も有益であったか」のどちらにおいても最下位の大学の教授(私は教授ではないが)が行う講座が意味が無いなんてことになったら、やる方も受ける方も時間の無駄、税金の無駄である。

だから、私の行う研修会では、そうならないように工夫を凝らしているつもりである。同僚性を高め、同心円の中心部分を活性化するような内容を心掛けている。佐藤先生がこれだけばしっと書かれているので、私も安心して今まで通りの方針でやろうと思うのである。

折角、子どもから離れて研修に来ている。
折角、休んでいられる時間に来ている。
折角、学ぼうとしている。

であれば、それなりの講座を提供しなければならない。
無理矢理行ってこいと言われた講座が、思った以上に面白かったということになるようにしたいと、今は思っている。




2009/10/05

親ばかの週末

10/5

というわけで、親ばかの週末であった。

馬鹿だなあと思いながらも、感動するのが娘の「間」のとり方と、タイミングの良さである。

風呂に入りながら、
『昨日と今日とたくさん遊んだね。楽しかった? 歌もたくさん歌ったね。歩こ、歩こって歌ったね』
とお話ししていた。

すると、しばらくじっと私のことを、無言で見ている。
そして、
「とうしゃん(^^)」
と微笑むのである。

誰だ。こんな高等なリアクションを教えたのは。

世話焼き女房型の娘は、ビールを注ぐタイミングを外さない。
私がグラスを空にするや否や、ビール瓶を持ち
「どうじょ」
である。

誰だ。こんな高等なタイミングを教えたのは。

刺身を覚えた娘は、マグロが大好きである。
「お魚、たべたいなあ」
と私の側で囁くのである。
「ちいさいの、食べたいな」
と呟くのである。

刺身なので、たくさんは食べさせられない。だから小さく分けて食べさせていたのだが、それを逆手に取って、囁き呟くのである。

誰だ。こんな高等なおねだりの仕方を教えたのは。

困ったものである。

困ったものだが、全然困っていない。むしろ、嬉しい。
何が娘をこんな風に育ててくれているのであろうか。感謝。

2009/10/04

門前の小僧ならぬ、隣の小娘

10/4

二歳のお誕生日に、何をプレゼントしようかとあれこれ考えた。玩具は一つ与えた。三輪車も考えた。だが、本命は机である。これにした。収納棚もある結構立派なものである。

これにしたのだが、作ったのは奥さんである。私は奥さんが作っている間、邪魔にならないように娘と一緒に、再びガーデンに行ってシャボン玉である。

最近娘は、ガーデンのことを「ガンデン」と言い、理解している。なかなか面白い。

ガーデンではシャボン玉を飛ばしたり、歌を歌ったり、走り回ったり。お気に入りの歌は、トトロの「さんぽ」である。

「あるこ、あるこ、わせdrftgyふいjこlp・・・」

という感じで歌いながら歩くのである。
なんか、ちょっと涙が出てくる。

ポストイットをあちこちに貼るのは、娘の最近のブームのようで、貼り続けている。奇麗に並べて貼る。

子どもはシールを貼るのを好むが、ポストイットならば大丈夫。どれだけ貼ってもすぐにはがせるし、集めれば再利用も可。無駄にならない。

出来上がった作品を指差し
「見て、見て!」
と求める。うっかり本など読んでいる場合ではない。
『はい、はい。見てますよ』
と見る。満足そうな娘だ。

同じく娘のブームなのが、本に鉛筆であれこれと書くことである。もちろん、縦線、横線、ぐるぐる巻きなどを書くのであるが、これが面白い。

私が椅子に座って右手に鉛筆、左手に本を持って読んでいると、同じように私の横の椅子に座って、同じように始めるのである。

「本というものは、テキストの書かれてあるメモ帳である」
とある人は言った。なるほどと思う。私は右手に筆記用具が無いと本は読めない。感想、意見、疑問を書きながら著者と対話しながら読むのが楽しい。

まさか娘がそんなことをしているわけが無いのだが、門前の小僧ならぬ、隣の小娘である。

私はそれを楽しんでいるのだが。

ガーデンから帰って、昼寝をしていたら、机が完成していた。
さすが奥さんである。娘も大喜びである。

反抗期の娘も、こういうときはちょっと鳴りを潜めているf(^^;。

読書とシャボン玉で一日を過ごす

10/3

読書とシャボン玉で一日を過ごす。

『風姿花伝』を読んでいる人が結構多いと最近感じている。私は、実はお能を少し齧ったこともあるので、若い頃にこの本を読んでいる。そして、年に一回ぐらいは読み返している。天才の書いた本だなあと思いつつ、少しずつ自分の中に入ってくると良いなあと思いながら読んでいる。

古典は未来からの手紙である。これは私の主張である。自分がこの先どのように生きて行くのかを、古典は示してくれている。人は1000年前でも、人を好きになり、嫌いになり、別れを悲しみ、出会いを喜んでいた。今の私が生きていることをそのまま1000年前からしている。だから、古典は未来からの手紙である。

佐藤学先生の『教師花伝書』を読み進めている。途中まで読んでいたのだが、本が突然行方不明になり、三ヶ月ぐらい所在不明だったのだが、今日見つかった。後半を読み進めている。

まさか佐藤学先生も読んでいるとは思わなかった『花伝書』。確か苫米地さんも読み返しているとのことであった。

授業や、学校づくりのアイディアを刺激してくれる本である。意欲を奮い立たせてくれる本である。

で、シャボン玉である。
最近娘がハマっている。近くのガーデンに出かけて行き、ふーふーと飛ばしている。今日は私がお供で出かける。

まさか中年の男が一人でシャボン玉を飛ばすこともできまい。でも、娘とならば心置きなくできる。私もやった。ありがたやありがたや。娘に遊んでもらっているようなものだ。

芝生の上に、青空の方に飛んで行くシャボン玉。気持ちのよいものだ。そして、娘はそのシャボン玉を追いかける。私はシャボン玉を追いかけている娘をレンズで追いかける。

三年前には、こんな日がくるとは思いもよらなかった。

で、中秋名月である。
ガーデンから帰る際にススキを手に入れる。道路際の目立つところは刈り取られているのだが、ちょっと奥に入ると奇麗なススキがたくさんあった。雑草と言えば雑草だが、今日は最優秀助演賞である。

きぬかつぎ、枝豆、蛸のぶつ切り、マグロ、月見団子、日本酒を用意してお月見を楽しむ。良いものだ。

Fmm

良いと言えば、マグロである。スーパーに買い出しに行ったとき、生鉢マグロのぶつ切りがまあまあ値段であった。かごに入れて歩いていたら、私のアンテナにヒットしたものがあった。

どうみても、手に入れたマグロと同じグレードのマグロの「アラ」が極めて安い値段で出ていた。躊躇うこと無く、私はこちらを手にする。アラと書いてあるが、要はマグロの「ハラミ」の部分である。筋は多いが、きちんと処理すれば、ネギトロの部分となる。これをゲット。

家で処理してみると確かに、これは生鉢マグロのトロであった。こういうの、とても嬉しい。ちょっとした専門知識があるかないかで、食生活は全然変わってくる。美味しく頂く。

で、それを見ていたのが娘。
最近、刺身を覚えたのだ。
スプーンの上にご飯を載せて、その上にお刺身をちょうだいと待っている。ニコニコしながら待っている。
載せてあげると嬉しそうに食べる。
「うまい!」
と体をねじって喜ぶ。
良かったねえ。

月見をしながら思った。耳鳴りがちょっと夏から秋に変わったと。

私の右耳は突発性難聴の後遺症で耳鳴りがしている。ま、蝉が鳴いていると思えば良い。だから、夏は左耳からも聞こえるのでバランスが良いf(^^;。だが、今日月見をしながら外にいたら、秋の虫の音が左耳に入ってきた。そしたら、右耳の蝉も秋の虫の音のように感じたのだ。

季節に体も影響されるんだねえ。

Fm 写真は、部屋に活けたススキ。満月のように見えるのは、もちろん部屋の照明です。

明日は、満月です。

2009/10/03

でも、何があるか分からないよ

10/3

今年度の採用試験の結果が発表されてきている。
児童教育学科はまだ採用試験を受けていないが、他の学科の学生や卒業生から連絡が入ってくる。

もちろん、全員合格してほしいがこれだけはいかんともしがたい。合格した諸君、おめでとう。君は採用試験に合格することが目標ではなかったはずだ。それは通過点でしかないはずだ。現場に出るまでに、いまできることは何かを考えて、やりきっておこう。

残念だった諸君、来年に向けてスタートを切ろう。何かあったらメールで相談していらっしゃい。京都橘大学は、在校生に厳しい愛を。卒業生には優しい愛を、なのである。池田先生が優しい愛というのは、気持ち悪いかもしれんがな(^^)。

採用試験は、もちろん、現役で合格することを目指すのである。始めから浪人で良いやとか、非常勤講師で良いという人は、ま、いないであろう。

だが、結果としてそうなってしまった人は、この経験を生かせばいいのである。

私も浪人しているし、留年もしているから気持ちは分かる。自分が置いてけぼりになり、社会から不必要な人間であるという烙印を押されたかのような感覚。そして、次の結果が出るまでに一年間掛かるという呆然たる思い。さらに、一年後にしっかりとした結果が出るかどうか分からない不安。分かる。分かるがここをじっくりと乗り切ることで、あなたに人間的な力量や魅力が出てくるのだと私は考えている。

人生は不条理で、思い通りにはならない。それは社会に出る前に体の芯で理解しておくのが良い。もちろん、その最中にいるときには
(ふざけるな!)
(なんであたしだけ!!)
という思いになる。私もそうであった。また、いまでももちろん不条理に苛まれるばかりである。

しかし、ここをくぐり抜けた先生とそうでない先生では、現場に出てからの構えが違うだろうなあと思う。もちろん、現役で合格した先生だって違うところで不条理を経験していることもあるから一概には言えないが、生徒の進路選択の指導の際に、一度自分が進路選択でうまくいかなかった経験を持っている先生はやっぱり強いと思う。

失敗した。だからダメになった。
失敗した。だからウマくいった。

同じ出来事から、人は別の道を歩くことができる。
私は多くの生徒、学生を指導しながら思う。

合格した諸君、おめでとう。でも、何があるか分からないよ。
不合格の諸君、ざんねんだ。でも、何があるか分からないよ。

目の前にある、やるべきことをやりながら、次に襲ってくる不条理に立ち向かい、人生を豊かに作って行こうとあれこれしていってほしい。期待しています。応援しています。

逸題  井伏鱒二

さて、今宵の月は顔を出してくれるでしょうか。

以下の詩は、私が中学生に必ず教えてきた詩です。
彼ら彼女らが中学を卒業し、社会で活躍する時ふと、空を見上げて呟くことがあればなあと思い、教えてきました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

逸題  井伏鱒二

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

引用終了 ーーーーーーーーーー

美しい月に出会えますように。

写真は、一ヶ月前の満月です。

Moon

大発見をした

10/2

本来は研究日で、あれこれする日なのであるが、大学へ。高校生がやってきて一日大学の授業を経験するという行事である。私は児童教育学科の教員として、模擬授業である。

無事に任務を終了。
折角なので、大学でなければできない仕事を始める。ま、簡単に言うと研究室の片付けである。相当資料が散乱してしまっている。散乱というよりは、産卵である。次から次へと産まれてきているの感がある。

ただ、授業に関するものについての片付けは、結構良い。大発見をしたのである。

もともと学期の始めは、いろいろな資料が多い。大学側からの配布物も多い。滞り無くするために、授業ごとに書類ケース棚を作っているのだが、中に入れっぱなしで忘れることもある。うーむ。私らしい。

そこで一計を案じた。極めて簡単である。超整理法よりも簡単であろう。何をしたかと言えば、床に敷いてあるゴザの上に並べるのである。もちろん単純に並べるだけではない。ゴザの上を時間割のように区切り、そこに置くのである。

例えば、月曜の2限は教育演習2である。ゴザを時間割のように区切ってあるので、その月曜の2限のスペースに、そこで使う資料や書類を置くのである。これが実に快適である。一覧性はあるし、取り扱いも非常に簡単である。そこにあるものをがさっと掴み、風呂敷に包んで授業に行けばまず問題はない。ああ、なんでこんなことに気がつかなかったのだろう。

さ、問題は過去の授業のものや、資料の整理である。これはまだ大発見に至っていない。

しかし、某ブログでマンション勧誘の電話で盛り上がっているがf(^^;、今日も研究室にその手の電話があった。

「わたくし、○○の××と申します。池田先生でいらっしゃいますか」

ま、この辺りで怪しいわけである。後ろで何やら音もしているし。ただ、ここで電話を切るわけにも行かない。本当に仕事関係の電話の場合もあるので。

「私どもの会社では、京都市内に、まるで二条城のような・・・」
がちゃ、である。今日は忙しいのである。学生も研究室にいたし。

しかし、切ったあとにちょっと後悔。二条城のようなマンションってどんなマンションだと思った。我が家だってある意味「信長の野望」だしなあf(^^;。

研究室の片付けを進めていたら、夏休みにやった研修会の感想用紙の束が出てきた。恐ろしい、あれからもう二ヶ月も経っている。何気なく読み返す。その時その時の研修のことが思い出される。

ありがたいことだ。私が関わった研修や免許更新講習で、何らかを手に入れた先生方の文章である。「二学期が楽しみになりました」と書かれている先生方、いまはどうされているかなあと思うのである。

夕食後寛いでいたら、
「あら、花火かも」
と奥さん。
気がつけば夜景はとても奇麗になっていた。

Yakei

外を見てみると、ミシガンがいつもの場所に向かっている。いつもの場所とは、夜の花火が上がる場所だ。結婚式の二次会などのパーティをミシガンでやる人たちは、フィナーレに花火をあげることがある。その打ち上げポイントにミシガンが移動しているのだ。

そして、花火であった。
いやあ、久しぶりの花火。
良いもんだ。
おこぼれちょうだいいたします。

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2009/10/01

学生はいいなあ 京都の施設無料で

http://www.kknews.co.jp/wb/archives/2009/10/studentdays.html

という記事を発見。
秋の京都をちょっと楽しめますね。
学生はいいなあ。

神無月は始まるのであった

10/1

神無月に入った。今年も残り1/4である。確か10/3は中秋の名月だったか。今朝方はまるで雪でも降っているかのような景色の琵琶湖であったが、家を出る頃にはどんどん晴れて来て、秋の空が広がった。

後期は木曜日がキツい。
2、3、4限と連続で授業。昼休みにゆっくりと食べることは、まずできない。確かに中学校の頃は1校時から6校時まで連続で授業なんてこともあったが、50分を6本と、90分を3本というのは、また違う大変さがある。もちろん、内容も質も違うしね。

ではあるが、授業はいい。
こっちがヒーヒー言うのではなく、言わせる側に回って頑張ろう(^^)。

今日の授業の導入では、季節のことを話し続けた。

『今日は衣替えの日である。私が中学生の頃は明確に衣装が変わった。それがいつの間にか、前後二週間はどちらでもいいとかなっていき、いまでは衣替えなんてことも無くなってしまったかのようである。

君たちはどう思っているか分からないが、日本という国は極めて珍しい国なのである。四つの季節を持ち、さらにその季節は、初旬、中旬、下旬と三つある。つまり、12の季節を持っているわけである。

世界には、夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏雨雨夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏。とか、冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬春夏秋冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬。とかの季節の国は珍しくない。その中で私たちの住む国は春夏秋冬なのである。

これがあるから、私たちは季節の食べ物を味わえるし、おしゃれも楽しめる。そして、日本の文学に彩りを与えたりもするのである』

なんてことを話しながら、中秋の名月、重陽の節句などの話を続けた。教師は、日本の文化を伝える役割も担う。そして、日本の文化はこの四季を基礎としているものが多いのだ。季節を味わおうではないか。そのために、教師は日本の季節にもっと敏感であらねばならないだろう。

本来はこれは家庭や地域が担うことであろう。しかし、それが厳しいのであれば、少しで良いから教師が朝の学活とか授業の導入等で話をして行くのが良いのではないかと私は考えている。

家に帰ってきたら、食卓には牡蠣のソテーが並んでいた。
いやあ、奥さんやるね。
10/1は牡蠣の解禁日である。
美味しく頂く。

娘は、ビールの注ぎ方が非常に上手くなる。ぎりぎりのところでぴたりと止める。そして、
「しゅわしゅわ きれいね」
と言っている。

生牡蠣に変えて、日本酒にする。すると一升瓶を持つ娘。一升瓶から日本酒を注ごうとする。さすがに、これは厳しい。
そこで
『パパと一緒ね』
というと
「いっしょ、いっしょ」
である。

『一升瓶を一緒に、一生(は無理かな)』

なんてことを言いながら、神無月は始まるのであった。

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