神無月は始まるのであった
10/1
神無月に入った。今年も残り1/4である。確か10/3は中秋の名月だったか。今朝方はまるで雪でも降っているかのような景色の琵琶湖であったが、家を出る頃にはどんどん晴れて来て、秋の空が広がった。
後期は木曜日がキツい。
2、3、4限と連続で授業。昼休みにゆっくりと食べることは、まずできない。確かに中学校の頃は1校時から6校時まで連続で授業なんてこともあったが、50分を6本と、90分を3本というのは、また違う大変さがある。もちろん、内容も質も違うしね。
ではあるが、授業はいい。
こっちがヒーヒー言うのではなく、言わせる側に回って頑張ろう(^^)。
◆
今日の授業の導入では、季節のことを話し続けた。
『今日は衣替えの日である。私が中学生の頃は明確に衣装が変わった。それがいつの間にか、前後二週間はどちらでもいいとかなっていき、いまでは衣替えなんてことも無くなってしまったかのようである。
君たちはどう思っているか分からないが、日本という国は極めて珍しい国なのである。四つの季節を持ち、さらにその季節は、初旬、中旬、下旬と三つある。つまり、12の季節を持っているわけである。
世界には、夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏雨雨夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏夏。とか、冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬春夏秋冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬冬。とかの季節の国は珍しくない。その中で私たちの住む国は春夏秋冬なのである。
これがあるから、私たちは季節の食べ物を味わえるし、おしゃれも楽しめる。そして、日本の文学に彩りを与えたりもするのである』
なんてことを話しながら、中秋の名月、重陽の節句などの話を続けた。教師は、日本の文化を伝える役割も担う。そして、日本の文化はこの四季を基礎としているものが多いのだ。季節を味わおうではないか。そのために、教師は日本の季節にもっと敏感であらねばならないだろう。
本来はこれは家庭や地域が担うことであろう。しかし、それが厳しいのであれば、少しで良いから教師が朝の学活とか授業の導入等で話をして行くのが良いのではないかと私は考えている。
◆
家に帰ってきたら、食卓には牡蠣のソテーが並んでいた。
いやあ、奥さんやるね。
10/1は牡蠣の解禁日である。
美味しく頂く。
娘は、ビールの注ぎ方が非常に上手くなる。ぎりぎりのところでぴたりと止める。そして、
「しゅわしゅわ きれいね」
と言っている。
生牡蠣に変えて、日本酒にする。すると一升瓶を持つ娘。一升瓶から日本酒を注ごうとする。さすがに、これは厳しい。
そこで
『パパと一緒ね』
というと
「いっしょ、いっしょ」
である。
『一升瓶を一緒に、一生(は無理かな)』
なんてことを言いながら、神無月は始まるのであった。
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