天才の仕事を味わうのはとても心地がよい 佐藤雅彦『プチ哲学』
天才の仕事を味わうのはとても心地がよい。
佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)も、その一つ。
漫画と解説からなるこの本は、「ケロちゃん危機一髪」*1が代表作品のようにも思えるが、全体を通して唸る作品も多い。イラストの一つ目を最初に、二つ目は最後に引用よう。
慣れてくると、漫画読んでこの後の解説はどんなことを解説しようとしているのかを考えることが出来るようになる。
だが、その逆、つまり解説したいことを思いついても、それを漫画のちょっとした物語で伝えることは、私にはとても無理。ま、そこが天才の所以なのだが。
◆
天才は、気持ちよく私の上空を駆け抜けてくれる。
(ああ、無理。追いつかない)
と、勝負する気持ちすら起こさせない。
自転車で道を行く私の上を、ジェット機が通り過ぎて行くようなものである。
だが、この通り過ぎた後の爽やかさが、私に新しいものを生み出してくれそうな気持ちにしてくれる。
いやあ、嬉しい。
◆
レオナルドダビンチの天才ぶりに触れることが出来た人たちというのは、当時限られた人たちであろうが、いまはこうして本を読めば本当に手軽に、天才たちの仕事に触れることが出来る。
幸せである。
*1 教育出版「伝え合う国語 1」に収録されている。ちなみに、これは思考のフレームワークについて言及している作品であろう。
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コメント
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似ているかわからないのですが、以前こんなことをブログに書いていました↓
http://www.shinra.or.jp/archives/tatsuya/001864.php
天才に出会って、身の程を知ることというのは実は幸せなことですよね〜。ポジティブな挫折と言うか(笑)。池田先生が「爽やか」というのはよくわかります。
一方で、その人その人の天才的なところ(オタクと言ったり、マニアと言ったり、癖と言ったり・・・)にとても興味があります。
できるだけ、スタッフのこういう部分を中心に仕事をさせてあげたいと思っているのですが、まだまだ、僕自身の能力が追いついていません。
投稿: フジサキです | 2009/10/26 12:13
そう、ポジティブな挫折です。
私のいるディベート業界にもディベートに関する天才だらけであります。天才と勝負しても意味が無いのですが、時には勝負に挑もうとする人がいます。
私は
(ああ、戦う土俵を間違えないようにしなければなあ)
自戒するようにしています。
ポジティブな挫折を重ねることで、自分の土俵が見えてくるのではないかと思っています。
(ああ、そこはあの人に任せておけば良いよな)
となって、では、自分はどこを担当すべきなのかも見えてくることが理想だと思っています。
「やるべきことは、自分の内側に発見できる」。これは、稀代の精神科医であった頼藤和寛先生のことばにあったかと思います。そんなことを思っています。
p.s.
カフェオープンおめでとう。
ブログの方にコメントをしたんだが、どうも反映されていないみたいなので、こちらでお祝いの言葉を改めて伝えますね。
いい景色だねえ。
投稿: 池田修 | 2009/10/26 13:31
池田先生
>やるべきことは、自分の内側に発見できる
良い言葉ですね〜
その内なる声に確信を持つこと、自信を持つこと、責任をもつこと
・・・が、オトナですかね〜。なんちゃって(笑)
結構、これが苦しくって・・・
支援と指導の話も大変示唆に富んでいます。
これは、学校と企業とがともに考えるべき、
オルタナティブの教育論なのかもしれませんね。
どこまでが子供でどこからが大人か・・・
その発達段階に応じて支援・指導のあり方や主体が変化していくという・・・。
すごい・・・
PS.お祝いの言葉ありがとうございます!
投稿: フジサキです | 2009/10/27 17:09
頼藤先生にビビット来たら、『定本 頼藤和寛の人生応援団 』(産經新聞)をお勧めします。名著にも関わらずいまは、中古でしか手に入りませんが、むしろ今のうちに中古で手に入れておくべきでしょう。
いいですぜ。
>>その発達段階に応じて支援・指導のあり方や主体が変化していくという・・・。
すごい・・・
本当に。こんな凄いことを、神ならぬ人間がやっていいのかなあと思う時があります。ま、やらねばならぬのが教育に携わっている人間の宿命なのですが。
投稿: 池田修 | 2009/10/27 18:08