物事が分かるということは、分かっておしまいではない
10/27
昨日の夜に私は、密かに作ったものがある。
それは、
「シャボン液」
である。
シャボン玉にハマっている娘に影響されて、私もハマっている。中年のおじさんがシャボン玉を飛ばしている姿はある種怖いものがあるが、子どもと一緒なら許される。
で、シャボン液は実はなかなか難しい。シャンプーや石鹸水を使ったところで奇麗にできるというものではない。
ネットが便利なのはこういうとき。
必要な材料を確認して、手に入れて早速作ってみた。出来上がって洗面所で拭いてみたら結構良い。そして、一晩寝かすともっと良いと書いてあったので、今朝食事の後、娘と一緒にベランダでやってみた。
いやあ、すごい。朝日を反射して奇麗に飛び交う。
うひひの一日の始まりである。
◆
教育実習の巡回指導に向かう。
小学校4年生の国語の授業。
頭では分かっていることができないということに、苦しんでいる学生。残りの実習時間でどれだけ頑張れるか分からないが、そのためにしなければならないことについて、授業後あれこれ指導する。
頑張れ。
◆
すぐに大学に戻って事務仕事。そして、その後国語科教育法2の模擬授業の事前指導である。今回で同じグループに3回目。
だいぶ練れてきた。が、一つ指示を出すと、そこはやってくるのだがその先のことを聞くと、?となってしまうところが甘い。問いが立たないのだ。子どもたちに説明する。そして、それでおしまいとなってしまうのだ。
物事が分かるということは、分かっておしまいではない。分からないことが分かったのであるが、これは新たに分からないことが発生したということでもある。だから、その新たに発生した分からないことに付いても調べる必要がある。これが教材研究だ。
こうなるとキリがない。その通りである。だが、二手、三手ぐらい先までは準備しようと言う構えが必要である。
◆
で、その後、ディベートの授業。改良シナリオディベートの試合。その後、立論の構造、質疑の意味と少しずつ自分たちで立論が書けるように、反駁が意味をなすように指導を深めて行く。
だんだん、だんだん、深みにはめて行く。
では無くて、昇華させるのである(^^)。
◆
授業後、あれこれ事務仕事。
ははは。終わらないなあ。
今週末から11月の前半にかけてかなり忙しくなるので、前倒しであれこれしなければと思ってやっているのだが、終わらない。
遅れている仕事も終わらない。
うーむ。
でも、新しい仕事を引き受けている私。
良いのだろうかf(^^;。ま、御陰さまで風邪も引いていないしインフルエンザも大丈夫そうだから、前向きに行きましょう。
写真はおととい対岸で上がった花火。何かお祝いがあったのかな?
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