ライブならではの授業
10/6
後期は週の前半は割とゆっくりとした時間割。午後から大学へ。今週からは必修ではない授業も、受講生が確定する。第一週は様子見である。
様子見のときに、どういう授業をするのか。これは大学の教員になってから初めて考える課題であった。私は、結局いつも通りとすることにした。一回目であっても一回目からこれ受講しようと思って受けている学生がいるわけで、一回目だけいつもと違う授業をするのも変である。
だからいつも通りちゃんとやる。
すると、本登録のときには、数が減っていることが多い。
うーむ。いいんだか、悪いんだか。
ま、良いだろう。
◆
授業参観のときや研究授業のときに、他のクラスで練習をして、なかには自分のクラスで練習をして挑む先生がいたが、私には信じられなかった。
(それって、小芝居だろう)
って思っていた。
授業は、指導したい内容と実際がずれる。いや、教育という営みはもともとそういうものである。思う通りにはならないものである。相手は人間なのであるから。だから、やりたかったことと実際はずれてしまうものなのである。だが、クラスを分析し、教材を分析し、子どもを分析し、そのズレを少なくし、またはズレルならば良い方にズレるように展開していこうとするのが授業というものではないかと私は考えている。
相関が手いるので、そんな小芝居の研究授業に、どんな意味があるのかなあと思っていた。自分がその授業を受ける児童や生徒の立場だったら、それはそれはつまらない「授業」だと思わなかったであろうか。
授業の最大の楽しみの一つである、ライブ感がなくなってしまうではないか。やる方も受ける方も、このライブ感なしに授業を成立させることはかなり厳しいと思う。
◆
意欲のある学生が残る。
授業をする方も受ける方も、テンションがちょっと上がる。
ライブならではの授業がここにはあるなあと思う。
良いことだ。
大学の授業ならではのことだが、ここは大学。
それならば、そのシステムをきちんと活用したい。
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コメント
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研究授業終わりました。
小芝居もなく一発勝負でした。
うまくいかないものです。
でも、勉強になりました。
投稿: ながたく | 2009/10/06 22:00