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2009/11/15

久しぶりの東京 その2

11/13

iPod touchのアラームで七時に起きる。打合せ会場は歩いて三分の所なので、先ずは朝風呂。嗚呼、気持ちがいい。

昨日出された宿題をあれこれ考えながら入る。いくつか関係ありそうな事が思い浮かぶ。睡眠と風呂。考えを整理するには、とても大切だ。

朝ご飯をタップリ食べてホテルを後にする。外に出ると息が白い。たぶん今シーズン初ではないかな。冬だなあ。

打合せ開始まで10分ある。5分前には到着だ。場所もiPod touchで確認してあるし、問題はない。問題はないはずだつたが、人生は甘くない。辿り着かないのである。

観世能楽堂を発見。学生時代に通ったなあなんて思いながら、一方で何で着かないの?と思いながら歩く。

そのうち、松濤の大豪邸街に入り込む。学生時代に

(俺の人生に、こういう所に住むオプションはないだろうなぁ)

と酔いを醒ましながら歩いていたのを思い出す。

確かにこのオプションは、ないとは思うが、まあそれでもあの時には想像もできないぐらいに、エキサイティングないきかたができているなあと思う。

だが、会場には到着しない。おかしいなあ。ふと、建物を見ると「渋谷区立松濤中学校」とある。明かにおかしい。慌てて電話。しかしまあなんというか、中学校にはたどり着くのが、我ながらおかしい。

三時間弱、じっくりと打ち合せ。
朝あれこれ考えたことが役にたちそうで、嬉しく思う。

しかし、ある意味不思議でもある。二十数年前に子どもたちをなんとかしようとあれこれやっていたことが、ここにきて、こんな形で評価されようとは。

教員は公務員である。公務員というのは、滅多なことでは首にならない。授業が下手でも首にならなかった。これにはとても驚いた。教師の仕事の柱である授業がダメででもだ。

(ということは、かなりあれこれできるな)

と思えたのが、私にはラッキーだった。いやその頃は気がつかなかったのだが、そういう条件の場合、じゃあ仕事をしないでおこうと考えるもんだけどなあ、と人に言われたのである。

私は、子どもを育てるために教師になったのであって、余暇を楽しむためになったのではない。だからなのなもしれないが。

だから、外野の声は余り気にすることなしに、かなりやりたいことをやった。勿論、わたしがやりたいことではなく、生徒たちが望んだことだ。

今でもときどき誤解されるのだが、ディベートも、私がやりたいと思って始めたものではない。小説の読解の授業をしている時に、解釈を巡っで生徒たちに議論が生まれた。これがとても面白く、
「先生、他にこう言うのないんですか?」
と言われたのが切っ掛けである。

学ぶのはは、生徒たちである。勿論、教え込まなければならないこともある。だけど、彼ら彼女らが学びたいと思っていることを学ばせていくってのも大事だと思っていたし、いまでもそうだと思っている。

若造の思いも、持ち続ければいい事もあるんだと思うこの頃である。

その後、さらに別の打ち合せ。科研費の仲間たちと久しぶりに会う。研究の話に、情報交換。東京滞在時間を有効的に過すのであった。

都内のホテルに泊まろうかとも思ったが、実家に泊まる事にした。父の術後の揚子も気になったので。

あれこれ心配され、注意をされ、小言を言われる。そして、食べ物を土産に持たされる。いつも通りである。安心である。

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