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2009/11/07

子どもは、詩の言葉で語る

11/6

朝から教育実習訪問指導へ。
糸井先生の小学校にうちの学生が二人お世話になっている。

本学の児童教育学科児童教育コースの教育実習は三回生で行うことにしている。教育実習は、通常四年生で行われる。特に、私学ではその傾向が強い。しかし、逆に言えば旧国立大学系は三回生で行うのである。これは付属の小中学校が在ると言うことが大きな理由の一つであろう。これによるメリットは大きい。

最大のメリットは、採用試験まで半年の受験勉強の時間が取れるということである。四回生の前期で行うと実習の勉強と採用試験の勉強が重なる。もちろん、これによるメリットも在るが、デメリットの方が大きいと考えている。

三回生の後期で行うことにはさらに、他のメリットもある。児童教育学科に入学してきた学生たちは、将来学校教育で教育に関わることを目標として入学してきている。しかし、学びの途中で進路を変更する学生たちもいる。これは、うちの大学だけではなく、学芸大学等でも珍しくはなく、聞くところによると学芸大学では、最終的に教師を目指すのは3割程度であるとのことである。

そうだとすれば、三回生の後期というのは就職活動を始める時期なのである。自分は教員を目指すのか、それとも違う進路を選ぶのかの最終判断のポイントとして、教育実習を体験するということは大きな意味が在ると考えている。

教師をしている先生で、教育実習で本気で考えたという人は珍しくはないし、教育実習で進路を変えたという人も珍しくはない。だから、そのポイントとしての教育実習を四回生ではなく、三回生でやるということに意味が在ると考え、このようにカリキュラムを作ったのである。

で、実習生はなかなか頑張っていた。先日の「演劇で教育を」にも関わり、出演をしたり、もちろん授業でも前向きに取り組んでいた。職員室の先生方にも、
「まじめに取り組む学生さんたちですね」
とお褒めの言葉を頂いた。

が、まじめに取り組むことと、出来がいいことは、別。
二人の研究授業を見て指導した。一人は国語で一人は体育。どちらもそれなりに課題の見つかるものであった。

特に私が印象深かったのは、国語の授業。
児童に挙手をさせて、答えを聞くのであるが、私が
(ん? その子に聞くの?)
と思う子どもから聞いていた。
授業後、
『なんであの子からだったの?』
と確認したところ、日頃の国語の授業では手を挙げて発言することの無い子どもだったので、嬉しくなって指名したというのである。

これは良い。よく見ているし、その子どもの意欲を受けとめてあげることが出来ている。しかし、その子どもの発言が、教師やクラスの子どもの予測を遥かに越えた発言であったのである。

子どもは、詩の言葉で語る。

今日の教育実習指導訪問で、改めて感じたことだ。

詩の言葉と言う言い方は何を表しているかといえば、説明をするときに、ものごとの核心にあることばを投げ出すように、呟く事があるということである。光り輝く言葉でありながら、それが何を意味しているのかよく分からない言葉であり、迂闊に触れない言葉である。

教師は、その投げ出された言葉が何を意味しているのかが、わからず、自分の範疇にある言葉で理解しようとし、授業を進めようとする。

その結果、詩の言葉を呟いたこどもは、自分は間違えたと思い込むことになる。

子どもが、これらの言葉を投げ出したとき、教師は意味がわからず不安になる。これは一方で教材研究が不十分なことから発生する。

だが、誤解を恐れずに言えば、どれだけ教材研究をやったところで、完璧になる訳でもない。その不完全さの中で、よく理解できない子どもの詩の言葉に挑まなければならないのである。それも、ほとんどの場合、瞬間的な対応がもとめられるのである。

(何でこの子はこの発言をしたのか?????)
沢山のハテナが押し寄せてくるのに、耐えて授業の方針を立てて、展開していくのである。

ここが決まるとかなり良い授業になるが、それはかなりの力量が必要になる。しかし、授業を行おうとするものは、此処から逃げてはならないのである。

その子どもの発言は、後から振り返ってみるとその授業の核心へと辿り着く階段の扉を開けた発言であった。だが、それは開けられることは無かった。開けられること無く、用意されていた階段を上ることになったのである。

授業の振り返りのときに、このことに触れた。あの子どものこの発言は、こういう意図があったのではないか? しかし、その意図は子ども自身も意識化されていない。だから、そこを刺激し、本人やクラスの子どもたちにその意図をあぶり出させることで、授業を深化させることが出来たのではないだろうか、というようなことを話した。

分かっている。
そんなことが出来る人は、現場の先生でも実はそんなに多くいるわけではないし、実際の研究授業や公開授業の場において、指導案に書いた予測した子どもの発言とは違う発言が出てきたとき、そこから先の指導案を止めにして授業に進むことの判断がそう簡単にはできないということを。まして、実習生なのであるからしてそんなことを求めていくのはどうなのか?ということも。

しかし、そうだからといって
「良かった、良かった」
と終わらせることで、何かこの実習生のためになるのであろうか。そんなことはない。

あの瞬間、扉は見えたし、扉のノブも見えた。それをまわして開いたときに、その先が見えた人と見えなかった人がいたのだ。そのことをきちんと指摘しておくことは、今後の彼女の成長にとって私は大きな意味を持つと思って指導した。

期待している。

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