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2009/11/09

ツイッターを始めた

ツイッターを始めた。

なんだかよく分からないが、『ツイッター140文字が世界を変える』を読んで、まずは始めてみることにした。ブログの時も、よく分からないで始めたが、やりながら分かってきたのであるからして、ツイッターもそうかなと思ってはじめて見る。

少し分かったのは、ツイッターは限りなく今を表出するメディアであるということである。表現まで言っていないのではないかと思う。表出である。この辺りの感覚は、人によって違うかもしれない。

表出であるからして、今なのである。

で、ツイッターについて面白いという意見は多い。となると、私は困ったことはなにかを考えることになる。臍曲がりである。

1)アリバイ

自分が今どこにいて何をしているのかということが分かるわけで、アリバイ工作が出来なくなる。何か悪いことをしているわけでもないのだが、そんな気がする。このツイッターが裁判の証拠資料になるとは思わないし、活用される私でもないとは思うが、なんかむずむずする。世界中の人に見てほしい人はいいのかもしれないが。

もちろん、アリバイは偽装工作とせっとなので、そのためにやる人もいるやも知れないが。

2)ながら族

テレビを見ながらご飯を食べていると、母親に良く怒られたものだ。「修、ながら族は止めなさい!」
と。

今はネットも常時接続であるからして、メールもほとんどリアルタイムで入ってくる。ネットのニュースを見ながら食事をすることは、新聞を読みながら食事をするのとあまり変わらなくなってくる。

ここに、ツイッターが加わると、さらにながら族になる。ネットは依存性の高いものであるからして、常設の携帯端末を持つと、ツイッター依存症になる可能性が高いのではないか。

それは、嘗ての日本では「ながら族」と言われて叱られる対象であったのだ。

3)思いつきと深化と

ツイッターは基本的に思いつきである。これはこれで大事である。その瞬間に思いついたことを同時進行で流していくというのは、面白い。今をデータベース化するという試みは、グーグルでも出来ていないことだと前掲書でも言う。

ただ、一方で人は思いつきだけで生活しているわけでもない。あれこれ考えて生活をしている。「書くは考える」であるが、「呟く(ツイート)は、考える」なのだろうか。私は違うような気がする。考えることから遠ざかるような気もしている。

その一方で、ある人の呟きが、他の人の思考を刺激するということは十分にあり得る。ここのバランスがどうなるかだなあ。

そんなことをあれこれ考えてみた。

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コメント

ツイッターはよく分からないが故に、
付き合ってる僕です(笑)。

mixiはすぐに飽きてしまったのですが、
ツイッターに可能性を感じるのは
ネットが出たときやblogが出たときのような、
「自分の思考が無防備に外界につながっている・・・」
という、あの感覚です。

しかし、
blogはある程度整理された思考の結果なのに対して、
本気で思いつきを並べても、あとで眺めると
「これは今のオレじゃない」と思っちゃいます。
その過程を公開し続ける意義はまだ見いだせていません。

始めたものの、なんだか今を書き込むことに躊躇いがあるですねえ。なんでかな。「自分の思考が無防備に外界につながっている・・・」という部分が、まだ受け入れられないのかもしれません。

でも、やめようとも思ってもいません。もう少し、まずは続けてみます。

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