« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009/12/31

みなさまに、良い年末と、新年が訪れますように

12/31

昼過ぎに、奥さんの実家を出る。
途中、私が東京にいたときに勝手に我が家の冷蔵庫と読んでいた「小山商店」に立ち寄る。年末年始の日本酒の買い出しである。

日本中の良い日本酒がここに集まる。
お店に入った瞬間にご主人に会う。
「先生、お帰りですか」
『はい、帰って参りました。年末年始のものを捜しにきました。今年の一押しは何でしょうか』
「これです」
とさっと取り出してくれる。

この店は、
『えっと、今晩のお肴のメインは赤貝です。これに合うお酒はなんでしょうか?』
「これとこれとこれですね」
とさっと取り出してくれる。そして、外れることはない。
いま、滋賀にいて悲しいのは、このお店がないことである。これは悲しい。だから、この時ばかりはとどーんと購入。しばらくは楽しみである。

年末年始は、私の実家に。
娘は、最初はちょっと恥ずかしがっていたが、すぐに全開である。

これから楽しい大晦日となる。

さて、今年一年もいろいろとありがとうございました。

仲間のブログを読むと、一年間をきちんと振り返り、ベストテンなどを載せている方が多いのですが、私はこういうことができないんですねえ。業績リストもまとめなければならないのに、まだこれも進んでいませんf(^^;。

娘や学生の成長の一方で、私の方はあれこれトラブルが合ったりとなかなか大変な一年でもありました。が、なんとか乗り越えられたのもみなさんのお陰です。

みなさまに、良い年末と、新年が訪れますように。
ありがとうございました。

今年最後の午前様であった

12/30

昨日の夜に仕上げようと挑戦した原稿は、Macの蓋を開けることが出来ずに、終了せず。
(ああ、Macが温かい)
と撫で乍ら寝てしまった。ま、これはこれでいもちの良いものではあったが。

ゆっくりと寝ていようと思っていたら、
「おきて、おきて」
との声。
(み、見逃してくれ)
と聞こえないフリをしていたら
「パパ、おきて。おきてよ。おきてください」
と知っている単語を使いまくっで、布団を剥がしながら連呼。そしてなぜか、起こす時には、パパと言う。
パパはかなしく、嬉しく寝床から起き出す。

食事のあと、メールとツイッターチェック。うーん、みなさん年末とは思えないお働き。私の仲間は、体も胃袋も脳味噌も丈夫な人が多いと改めて実感する。

私はiPod touchにメモしておいた事柄から、blogを作成。朝風呂に入りながら一日の予定を確認する。blogを書きながら考えをまとめる。ツイッターをしながら今を確認する。

しなければならないことを思い出したり、思いもよらなかったアイディアを閃いたり。なかなか良い感じだ。

その後、昨晩出来なかった最終校正を終える。一安心。この本は、初の監修本となる。さらに、京都橘大学人間発達学部准教授としても初の本となる。さらにさらに、初の国語関連の子ども向けの本となる。三重に初の本になる。気を引き締める。

引き締めても、疲れは取れないので、夜に備えて寝ることに。私はドリンク剤などは取らないことが習慣になっている。

何デカと言うと、恐らく理由は二つ。

一つは、子どもの頃に母親に言われたことが影響している。

「修、オロナミンCは大人用だから、子どもが飲んだら元気になりすぎるから飲んではいけないよ」

と言われたことが頭のどこかに残っているから。
いまよりももっと素直だった私は

(大人であんなになってしまうのだから、確かに子どもの僕が飲んだら大変なことになってしまうだろうな)

とコマーシャルを見て納得していたのである。

二つ目は、わりと真剣な理由。ドリンク剤を飲むくらいなら、寝るというものである。ドリンク剤を飲んで寝ると言うのであれば、まだいい。だが、飲んで働くことが前提なのがドリンク剤である。体に鞭打つわけである。どうしても一瞬だけ力を出さなければならないということであれば、ま、それもありかもしれない。

しかし、こういうのは往々にして習慣性の高いものとなる。例えば、体力が2のレベルに下がってしまったので、通常の5のレベルに戻そうとしてドリンク剤を飲んだとする。そして、治ったとする。ところが、その治ったというのは、2の状態を誤摩化しているわけである。で、さらにドリク剤が必要になったときに、その体は2の所にあるのか、ドリンク剤で一度5に引き上げられたところでの疲れなのかが分かりにくくなり、自分の体の辛い状況が把握できなくなるのではないかと思うのである。

疲れたら、体が欲しているのだから寝る。ということなので、この一年間も一本もドリンク剤は飲まないで過ごしてきた。

だけど、胃薬は必要かもしれないf(^^;。

夕方、新宿に。佐瀬先生が忘年会を企画してくださった。この年末に10人ほど人を集めてくださった。新宿駅の南口にあるお店。

びっくりすることに、藤川大祐先生のお嬢さんを教えている先生とか、私が八王子の中学校のときに進路指導主任の企画で、高校の先生に模擬授業をしていただいたのだが、その授業に関連していた会社の社長さん。教育同人社の編集者の方。それに佐瀬先生の学校の若手、教え子、書道家の方々。

いやあ、濃い話をあれこれであった。
特に書道家の若手は24歳。
佐瀬先生のご紹介ではあるが、こうして書道関係の人と繋がることが最近多いような気もしている。来年は、書道関係のドラマやイベントがあったりするので、いわゆる「書道が来ている」状態かもしれない。楽しみだなあ。佐瀬先生ありがとうございます。

で、新宿駅のすぐ近くで飲んでいたこともあり、
(え、電車のことなんてなんとかなるだろ?)
と思っていたら、京王線はもう終わっていた。
慌てて、JRに向かう。なんとか最終の中央線各駅停車に乗ることができた。

帰りの電車で、iPod touchを繋ぐ。チャツトベーカーを聞こうかと一瞬思ったが、ふと年末である私に気がつく。中央線最終電車なので各駅停車となる。チャツトベーカーを聞いていたら、そのまま寝てしまうだろうと気が付いた。

考えた末に、寝そうもなくて年末に相応しいものを選ぶことにした。落語である。「芝浜」である。立川談志である。噺が終わったあとの、
「ありがとうございます」
を繰り返したあとの
「よいお年をお迎えください」
を聞きたくて、聞く。

やっぱりいい。
しみじみと年末である。

で、落語もシャッフルしてあったのだが、談志のあとに小さんが話しを始めた。うーん、談志の師匠は小さんである。談志を引き受けて小さんが話し始めるのねえ、と思いながら聞く。

立川駅でラーメンを食べて、タクシーに乗り込む。
運転手さんとあれこれ話していく。
「いやあ、今日は本当は休みだったんですけど、今日稼がないとと思って出てきましたよ。このごろじゃ2万円も行かないこともありますが、今日は5万円いきますから、良かったですよ。うちみたいに完全歩合制のところはね、やらないとね」
なんて話を聞きながら、帰る。

午前様であった。
今年最後の午前様であった。

2009/12/30

25年前に教えていた元塾の生徒の結婚記念パーティ

12/30

12時間会議の翌日である。ゆったりと朝食をとる。相手は私のブレーンの一人になってくださっているYさん。彼は非常にクレバーで、頼もしい。まだ30歳になったばかりだと思うが、私の言葉を哲学用語や心理学用語に翻訳してくれる才能の固まり。

彼と話していると、私が哲学者や心理学者ではないかと思ってしまう錯覚に陥ることすらある。それも心地よいものだ。

食事後、さらにマークシティホテルに移動して、あれこれ話しをする。昨日の12時間と打ち上げの疲れもあるかと思いきや、実は疲れよりも回っている頭が残っていたようで、話しはどんどん進んだのだった。

楽しい時間だったなあ。

夜は、25年前に教えていた元塾の生徒の結婚記念パーティに参加。奥さんも娘も一緒。

小さなレストランを借り切ってのパーティだったので、座席数も足りなくてちょっと困ったが、会そのものはなかなか良かった。

教え子のお母さんの友人なんかもいて、その関係の人たちがとても良い人たちで、柔らかいなと思った。類は友を呼ぶである。

元卒業生が中学校の三年生のときに面倒を見たのだが、入試の発表の結果を知らせにくる日、なかなかやってこなくて心配していたこと。そして、やっとやってきて扉を開けた瞬間泣き出していたこと。そんなことを思い出した。

「先生、結婚の時はお願いします」
と遥か昔にお願いされていた「付け祝言」をスピーチと一緒に贈る。
「覚えていてくださったのですか!」
と言われる。
『だから、そういうのを覚えているのが先生というものなのだよ』
我ながら、良く覚えているとは思ったがf(^^;。

娘は、最初のうちは大人しかったが、小さな女の子やお姉さんたちが可愛がってくれたので、嬉しくなっていた。さらに、ウエディングケーキ入刀やあれこれのシャッターチャンスの時は、カメラを構えて最前列に陣取って写真を撮っていた。周りから笑いを取っていたが本人はとても嬉しそうであった。

美華、おめでとう。幸せになりますように。

連日連夜のお楽しみが続き、さすがに私も少し疲れ気味ではあるが、風邪など引くことも無く過ごせている。ありがたいことだ。

延々と新しいテレビ番組作りの会議

12/28

450キロを移動。ロイヤルパークホテルに一泊。横浜経由で東京の奥さんの実家へ。到着次第、渋谷に移動。そこから延々と12時間の会議。創造の現場である。

延々と新しいテレビ番組作りの会議。考え続ける知的体力のある人たちの集まりによる会議は、激しく楽しい。学校で行う子どもたちのやる会議は、時間が来ればおしまいであるが、大人が創造のために行う会議は、結果が出るまでやる。時間が来たらハイおしまいではない。

日付を超えて暫らくしてからゴールを迎える。はははは。この会議室は、創造とは言え年末と言う概念や終了と言う概念は存在しないかと思っていたが、良かったよかった。

その後、渋谷の街に出かけて行き、軽い打ち上げ。激しい一年間の始まりに相応しい、スタートだったなあと話し乍ら、あれこれ。

メールを確認して深い眠りに就く。

どっちだ

12/27

大学が締まり、通常の生活のリズムがこれで一回リセットされる。

本当は、毎週授業がある方が、体のためには良いような気がする。同じリズムで動いている方がロスは少ない。

家で仕事をしているぐらいなら良いが、帰省などしてしまったら、必要な資料にサッとたどり着けない。ストレスである。

しかし、リセットして家を離れることで、新しい刺激を得ることができる。

私のように土日も関係なく動いて居る者にとっては、こうして強制的にリセットして行くのが良いのかもしれないなあ。

だけど、いつも通りの方がいいなんて少しワーカーホリックかもしれないなあ。いや、休みの方が忙しくなるからいやと思っているのであれば、まだ正常か。

どっちだ。

じゃあ、今度もお母さんに

「そうか、☆☆をお母さんにやってもらったんだ」
「うん」
「じゃあ、
お母さんに、ありがとうって言えたかな?」
「うん!」
「うそうそ、言えていないでしょ」と奥さん。

ははは。
子どもある。自分の都合にあわせて話を作る。中学生も同じ。いや、大人でも基本は同じか。

『そうか、ありがとうって言えたんだね』
「うん」
『じゃあ、今度もお母さんに、ありがとうって言えるよね』
「うん」

まだものごとがよく分かっていない娘である。良いのだ。いまできなくてもいいのだ。今回のことで学んで、次のときに出来れば大成功である。二回目で出来れば大したものだ。そして大概は、二回目で娘は出来るのだから。

私なんか、とても二回じゃできない。

関西ネタ研

12/26

関西ネタ研。
河原先生中心とした、主に社会科を中心とした研究会だ。お招きを受けて話す。今回頂いたテーマは「国語科で育てる力」である。お分かりの通り、野口芳宏先生が話されるようなテーマである。しかも40分でとのこと。うーん、頑張りますと引き受けた。40分でできるように削りこんで作り込んだ。

ところが当日、司会から恐ろしい案内があった。
「提案が30分で、質疑応答が10分です」
(え、聞いていないけど)
しかし、司会がそう言うのだからそれで進めなければならない。壇上に向かう一分で構成を変える。
(あ、無理だ。だけど、急なんだから5分ぐらい延びても仕方がないよなあ)
と思いを固めて35分ですとする。

発表は、恙無く終わる。従来から主張している「国語科を実技教科にしたい」を前提にして、前提を話して、各論を主張した。一つお話しするとすれば、【読みやすい字を書けるようにしよう】である。

なにをそんな簡単なことをと言われるかもしれない。しかし、これは大事だ。ワープロの時代に、手書きの文字とは変に思われるかもしれない。しかし、価値は少数派に宿るのである。また、自分の人生を選択する場面は、手書きの文章によって書かれる。履歴書、小論文、昇任試験等がそうだ。美しい文字より、読みやすい文字。濃く、太く、大きくことが大事。

さらに小学生や中学生にとっては、もう少し切実な問題がある。漢字の練習をしているとき、漢字の練習をしているにもかかわらず、自が読みにくいと

「もう少し、奇麗に字を書きなさい」

と言われる。作文でも同じである。沢山書いて褒められようとすると同じく「もう少し、奇麗に字を書きなさい」となる。そうなると子どもたちは書きたくなくなるから、漢字は覚えないし、作文も上手くならない。悪循環である。

私はこの逆のところにいた。お習字を習っていたので、漢字練習をしていると「字がうまいね」。作文を書いていても「読みやすい字だね」と褒められる。そして、それはやる気を益々生み出させると言う良循環を生み出していたのであった。

だから、【読みやすい字を書けるようにしよう】なのである。

今回、自分の発表の大変さもあったが、なんといっても楽しみだったのが、千葉保先生のご発表である。先生の御著書で最初に衝撃を受けたのが、

『授業 日本は、どこへ行く? 使い捨てカメラ,ハンバーガー,日の丸
』(太郎次郎社)

である。教員になって最初の学校にいたころに読んだ。こういう授業がしたいなあと思った。この本は、その後ディベートで【日本はゴミ収集を有料化にすべきである】を指導する際に私の考えの基の一つになった本である。

その千葉先生が最近書かれたのが、

『お金で死なないための本 いつでもカード、どこでもローンの落とし穴』(太郎次郎社エディタス)

である。子どもと社会事象、社会問題を繋ぎながら調べながら授業を作る。いいなあ。その千葉先生のご発表を始めて聞くことができた。

コンビニ、鎌倉をテーマにしたもの。勉強になりました。

もちろん、河原先生のご発表も、圧巻。実践家河原である。すげーなーと思うのであった。

懇親会は40人前後で。二次会も30人で。横浜からディベート仲間の北川さんまで参加。部屋飲みでは12時にぐらいまであれこれ。

明日の帰省の前に、多くの刺激を貰った。


2009/12/25

「サンタさん、来てね!」

12/24

クリスマスのために、急いで我が家に戻る。なんとか予定した部分を終えたので、ゆったりと夜は過ごせた。

物心がつく前の娘ではあるが、いつもと違う夕ご飯の様子に、興奮状態。
「サンタさん、くるかな?」
などと言っていたり、最近覚えた、でんぐり返りをしたりしている。

私は、とっておきのビールドゥシェス・デ・ブルゴーニュを楽しむ。うーむ。やっぱりこれは凄いビールだ。沢山飲むためのビールではない。噛み締めながら一本をじっくりと味わうビール。

いつもはベランダだけに点けるロウソクを、部屋の中にも灯してシンガーズ アンリミテッドのクリスマスを流し続ける。

びわ湖では、クリスマスクルージングを楽しむミシガンとビアンカが奇麗だ。さらに花火まで打ち上がる。

Hanabi

「フーするの!」

というので、クリスマスケーキのロウソクは娘が消すことに。去年では考えられなかった成長だ。

おいしい食事にお酒に、娘の成長。
学生たちも成長してきた。
幸せである。

これであとは、私が成長すればいいわけだf(^^;。

娘は、サンタクロースはびわ湖からヨットに乗ってやってくるということで、納得したようである。

『ごめんなさいが言えるようになったから、来てくれるんじゃないかな?』
「サンタさん、くるといいな」
『じゃ、サンタさんにお願いしようか?』
「うん!」

ということで、リビングのサッシを開けて、夜だというのに叫ぶ。

「サンタさん、来てね!」

大丈夫。来ますって(^^)。

お酒を「獺祭」に切り替えて、ちょぼちょぼと楽しむ。
メールに返事を書き、ネットサーフィンをしながら、ジョンレノンのクリスマスソングを見て、あれこれ考える。

私が持っているクリスマスの歌をそれからずっと聞く。
桑田圭祐の唄う、ジョンレノンのクリスマスソングは、やっぱりいい。

寝る前に確認したら、どうやらしっかりとサンタは仕事をしてくれたようだ。明日の娘の笑顔が楽しみだ。

War is over, if you want it War is over now  2

http://www.youtube.com/watch?v=9Kw2DF82VIk&translated=1

教育に課せられた責務を改めて考える。

2009/12/24

War is over, if you want it War is over now Happy Xmas

So this is Xmas
And what have you done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Xmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Xmas
And what have we done
Another year over
A new one just begun
And so happy Xmas
We hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now

Happy Xmas

Lyrics by John Lennon

朝風呂に入り、本を読みながら今日の予定をあれこれ確認する

12/24

朝風呂に入り、本を読みながら今日の予定をあれこれ確認する。この時間に一日の仕事のイメージが作れる時は、良い感じに勧めることができる。

食事後すぐに研究室に行く予定だったがあまりにも日差しが気持ちよいのでベランダでしばらく和む。娘がよじ上ってくる。
「ほん とって!」
とお母さんに訴えている。
いっちょまえに、私がやっているようにベランダで本を読むようである。
『お父さんの真似?』
「まね〜〜〜(^^)」
とのことだ。本好きに育つと良いねえ。

午前中は研究室で。全国教室ディベート連盟の会員版「トライアングル」の原稿を仕上げる。よし。なんだ、やればできるじゃないか、俺。

次の原稿に取りかかる前に、ふと思いつく。学生たちにプレゼントを贈ってあげようと。もちろん、私のことである。物ではなくて、情報である。就職活動に励んでいる三回生に向けて、この本を読むと良いんじゃないかという本を知らせてあげようと思って、五冊を選ぶことにする。

一冊は嘗て私が進路指導主任をしていたときに参考にしていた『面接の達人』を勧めようと思った。念のためAmazonで最近のレビューを見てみた。すると、あれあれ、ちょっと評価が低い。

その中で、面白い評価があった。
「『面接の達人』はポイントを押さえて、後は自分で考えよスタイルのものであって、これはその反対の本である」
のようなものであった。

さっそくそのお薦めの本を大学の生協に行って購入。とても便利だ。
(へ〜、これが売れているのね)
と読む。私にはどちらも同じように思える部分があるのだが、こちらの方が分かりやすい部分がある。それは本書にも書かれているように「面接の型」を身につけさせようとしている点である。そして、伝える技術をきちんと身につけよと指摘している点である。

私は内定面接は、「自分という人間が会社にとって必要な存在であることの論証の場」だと考えている。自分と目指している会社についての、現状分析、プラン、メリットの発生、リスクの管理、デメリットを改革する意識の提示などを分かりやすくコミュニケーションの流れの中で説明できるかどうかだと考えている。でも、これってディベートを学んでいれば、特に問題ないことだ。

ただディベートを学んでいない学生も多い。この本はそういう学生には特にいいかもしれない。ただ、読めばできるというものではなく、読んで後、使いこなせるようにトレーニングを積まねばならないはずである。その本は『内定勝者2011 面接編』である。

その後、あと4冊のレビューも書いて学生たちにクリスマスプレゼントとしてメールで流す。

てなことをしていたら、次の原稿が進まない。
しかし、この原稿も締め切りは明日である。年末進行なので、締め切りは特に守らなければならない。

私は、原稿の依頼があったときに、思いついた内容を箇条書きでメモすることにしている。そのメモを取り出しては眺め取り出しては眺め、アイデアを煮詰める。そして、一気に書く。そんなパターンで書くことが多い。

午後の原稿は、「授業づくりネットワーク」3月号の原稿。学級担任論を教員養成課程に開設すべきであるというテーマで書く。第二特集になる予定である。

嘗てブログにこんなことを書いていた。「学級担任論の授業が始まった」

このことが社会的に認知されて今回の特集になったのだとすれば、嬉しい限りである。さらに嬉しいことに、来年度の「授業づくりネットワーク」の四月号から、一年間、学級担任論のテーマで連載をすることに決まった。

どの大学でも教職課程があるのであれば、普通の授業としてこの課目が設置されるように、微力ではあるが努力をしたい。

ということで、原稿完了。
を、またしてもやればできる。

ここでまた思い出してしまった。奥さんに頼まれた2010年の年賀状である。何の写真を使うのかが決まった段階で、ほっとしていてそのままにしてあったのだ。こちらも慌てて作る。この辺りでかなり肩が痛い。あ〜〜〜〜〜〜〜。マッサージが欲しい。

でも、仕上げたぞ。

今日最後の仕事と決めているのは、12/26の授業のネタ研究会第20回記念IN関西(関西ネタ研)の講座の資料づくりである。頂いたテーマは、「国語科で育てる学力」40分でお話をする予定。

語れる内容は大きく三つだろうなあと思いながら、あれこれ準備をする。終わり切らない部分は、明日にまわす。とにかく始めることだ。アウトラインだけ仕上げた。資料は明日だ。

今回は記念大会ということで2日間の開催となる。私は、翌日から東京にいくため、残念ながら初日だけの参加。2日目には糸井先生、澤田先生や私の友人の吉水先生も登壇予定。関西では年内最後のお仕事になります。

良かったらお越し下さい。

朝風呂でイメージした以上の仕事ができた。
応援メールを下さったみなさん、ありがとう!

さて、クリスマスパーティ in 我が家だ。

12/23

佐川美術館に行く。
本日は年に数回ある無料解放の日なのである。

佐川美術館といえば、水盤が巡らせてある美術館として知っている方もいるかもしれない。
そして何より平山郁夫さんである。今年鬼門に入られたのは私でも覚えている。ときどきは、こうして美術館に足を運ぶべきだなあと思う。何だか良く分からないか、伝わってくるものがある。

私のように言葉を相手にして仕事をしている身としては、何だか良く分からない言葉にしにくいものに触れるというのは、意味のあることであろう。

ま、その何だか良く分からないものを無理矢理引っ張り出して来て、その一部を言葉にしようとすれば、ありきたりの「私はどこから来て、どこに行くのか?」ということになろうか。

平山郁夫さんの来歴等は知らなかったが、広島で原爆に被爆されていたとは思わなかった。爆心地から三キロの所にいたという。良く助かった。助かってくださった。

シルクロードをテーマにした連作は言うまでもなくすばらしいが、ボスニア紛争の地で、子どもたちを描いた絵にも心を揺さぶられた。人が生きるとはどういうことなのかを、絵を通して問い続けてこられたのだなあと、しみじみ思った。

ここの美術館は、写真撮影しても良いものとダメなものがあるようで、良いものに関して撮影。

Rimg0905

持ち物には、文庫本の詩集を持っていったのだが、さすがに娘と一緒では開くこともできなかった。静謐な美術館でお気に入りの詩集を読むってのはなかなかいいかなあと思ったんだけどね。ま、またの機会に。その後の機会に。

夕方からは研究室でお客人と延々と打ち合わせというか、ご相談に乗る。結局、研究室と食事をしながらとで6時間ぐらいやったかなあ。

どうでも良いことなのだが、偶然なのだが私の高校の後輩にも関連するお仕事だったので、気合いが入ったかもしれない。ちなみに後輩とは、オードリーである。

良いものができると良いですね。

応援と励ましのメール歓迎(^^)

研究室なう。
さ、今日と明日でガンガン仕事だ。
仕上げる原稿2本に講座の準備と仕事合宿の準備。
応援と励ましのメール歓迎(^^)。

2009/12/23

朝焼けが見事だった

12/23

朝焼けが見事だった。本当にライブカメラで実況したいぐらいであった。

このところの朝焼けと、

Imgp0927 Imgp0979

本日の朝焼け。

Imgp1089

毎日、地球はこんなにも感動的に始まっている。

【日本は、教職課程を六年制にするべきである。是か非か】

12/22-2

本日、年内最後の授業。ディベートの授業である。初歩の初歩から始めた彼らであるが、今日の試合は論題だけ与えて自分で立論を書いて議論を組み立てる試合までたどり着くことができた。

今回の論題は、私も始めての論題である。
【日本は、教職課程を六年制にするべきである。是か非か】である。教員養成課程にいる一回生にとってこの論題は、なかなか忌み深いものとなるであろう。

教育基本法、学校教育法などの法規を見る。世界の教員養成の現状を理解する。日本の教員養成の現状を理解するということから始めるので、一方で自分の採用試験のための勉強にもなる。

私はジャッジをせず、二つの会場で繰り広げられる試合を見ていた。いままでの試合とは違い、準備も少し良くできていた。二週間の準備期間であればこれでまあ良しかもしれない。

ただ、試合を聞いていて気になったのは、自分の視点で論じているところである。論題は、「日本は」となっている。だから、文部科学大臣か、総理大臣の視点で、この国の教員養成はどうであるべきなのかを考えなければならないのだが、それがなかなかできない。

だが、まだ一試合目。今後の伸びを期待したい。

んでもって、本日は来年度のシラバス記入の締め切り。今年から登録の方法が変わって、エクセルで打ち込んでおき、それを指定して登録ボタンを押すと一気にウエブ上に読み込んでいく。なかなか凄いシステムである。

授業後、二時間掛けて最終調整をしながら作業を進めた。
そして、ひゃああ、終わった。
学術振興課に行って、購入しておいた研究用の書籍をどーんと受け取る。冬休み中に読もうと買っておいた本である。風呂敷に一包み。これを受け取る。

さ、これでいよいよ公式には冬休みである。ここから個人の仕事と研究に没入できる、かな。

『そう言う話も、任せなさい』

12/12

ということで昨晩は、一度家に帰ってから三条まで出かける。学科の三回生の学生諸君の忘年会である。彼らはこの日で授業が終了。それで集まって飲むと言う。全部で70人ぐらい参加。いいことだ。

どーんと騒ごうかとも思っていたが、なんとなくしんみり。まあ、ここまで育ったなあとか、あと一年で卒業かとか思っていた。一緒に参加したK先生は各テーブルを回って大きな声で乾杯をしている。私はどうもお酒が入ると腰に根が生えるタイプなので、なかなか動かない。

学芸大学の大熊先生などは、こまめにいろいろなテーブルを回ってくださる。偉い人はフットワークが軽いなあと思い、見習いたいと思うのだが、なかなかf(^^;。

同じテーブルにいた女子学生たちとあれこれ話していたのだが、驚いたことがあった。実にお酒に関して無知なのである。

「ビールって苦いですよね。でも酎ハイは甘いから飲めます。だけど、ビールと酎ハイだと同じ量を飲むと酎ハイの方がウエってなるのはなぜなんですか?」
『うえ?』
思わず、変な反応をしてしまった。
『そ、そりゃあ、アルコール度数が違うからだろ』
「なんですか?」
『なんですか、ってなんですか?』

そこからかっ!と思うほど知識が無い。ま、男と女の違いがあるのかもしれないが、そんなことも知らないでいてお酒を飲んで事故や事件に関わらず、さらには健康被害も注意してってのは無理じゃないかなと思ったのである。

ま、そうなると教師の性で、お酒とは何ぞや、お酒の作り方による分類、体に入ったアルコールの行方、ワインでも作り方はピンキリで保存の仕方もピンキリ、同じワインでも飲めるワインと飲めないワインがある、同じ日本酒でも飲める日本酒と飲めない日本酒がある、安くて安全でおいしいお酒の種類・・・。ま、あれこれ話したわけである。

お酒の飲み方講座というより、お酒って何?はやる必要があるなあと思った。「大人になるための食育、お酒編」三回生の最初にやる必要もあるのかなあと思った。

教師をしていて、
(ああ、この瞬間なら死んでもいいなあ)
と思ったのは、体育大会の全員リレーのときである。トラックの真ん中にいて、子どもたちが精一杯走っている。応援している。もちろん、自分のクラスが気になるが、そんなのどうでもいいくらいに、みんな頑張れと応援しながら見ているその時である。
(ああ、この瞬間なら死んでも良いなあ)
と思ってしまうのだ。

もちろん、死んでしまったら子どもたちは迷惑なのだが、子どもが頑張っている瞬間、輝いている瞬間に死ぬことができたら教師は良いだろうなあと思う。なんとなく「願わくは花の・・・」のようではないかいな。

この忘年会もそんな気が少しした。学生たちの喜んでいる中ですっと消えることができたら良いんだろうなあと。

だが、教師である私はこんなことも思っていた。ここにいる諸君は幸せ。ここにいない学科の学生はどうしているのかな。来たかったけど用事があってこられなかった諸君はいい。問題は、(別にいいや)と来ない学生である。彼ら彼女らが気持ち良く参加できるような集団にさらに育ってほしいなあと思っていた。

根っこが生えた私はそのままビールを飲み続ける。飲み放題なので、私が飲みたい日本酒がない。んで、ビールを飲み続ける。すると、何人かの学生がピッチャーを持って注ぎにくる。あれこれ近況を聞く。

その中には一回生の時に私のクラスだった女子学生たちも。
『まさか一回生のときに先生とこんな風にして飲む日が来るとは思っていなかったろう』
「はい!!!!!」
とその場にいた五人が声を揃えて言う。確かに厳しい指導をしていたが、そんなに思い切り言わなくてもねえf(^^;。同じように近況を聞き、恋愛相談を受け、進路相談を受けとあれこれ。

「先生、この子はだめんず好きで、次から次へとダメな男を掴まえるんです」
「え〜。そんなことないよ」
『う〜む。恐ろしいことを言おうか。実は、君が男をダメにする体質なのかもよ』
「え”!!!」
「あ、そうかも!!」
『そう言う話も、任せなさい』

気持ちの良い宴会であった。

時間も遅いので、一次会だけ解散。三条京阪に向かいながら歩いていたら、さっきの一回生のときのクラスの娘たちが一緒についてきた。

三条大橋の手前に来たらいい匂い。石焼き芋である。
(ラーメンを食べたいがちょっとラーメンでは重たいかな。それに電車の時間もあるしなあ)
と思っていたところに、石焼き芋である。すると、
「先生〜〜〜〜〜〜!」
と娘たち。はいはい。娘には甘い私です。
大きな芋を三本購入。半分に割って食べる。石焼き芋を頬張りながら、三条大橋を渡る。坂本竜馬もやったであろうか、なんて思いながら、ふはふは言いながら食べる。

結構大きなお芋だったので、食べるのに時間が掛かる。すると、彼女らは地下鉄に乗る前に三条大橋のたもとで食べ切ろうする。なかなか躾の行き届いている娘たちである。混んでいる地下鉄の車内で食べるのではなく、食べ切ってから乗ろうとしているのである。嫁にするならこういう子たちであろう。彼氏がいないのは不思議である。あ、だめんず好きはいたがf(^^;。

(JRは終電になってしまうなあ)
と三条京阪の駅で思っていたら、その娘たちが
「先生、京阪で浜大津に行けば良いんじゃないですか?」
との提案。なるほど。

結局その路線で、三条京阪、浜大津、皇子山へと。あれこれしながら、乗り継いで帰宅。ほろ酔いで気持ちよい時間を過ごせた夜だった。

2009/12/22

ややこしや~~~~~あ、ややこしや

12/21

関西青年塾、全国教室ディベート連盟の近畿支部の冬季大会と2日続く。なかなか激しい。気がつけば、授業は今日と明日で年内はおしまいである。

研究会や大会そのものも大事だが、そこであった人たちとの会話も大事。いやあ、それにしてもそうなのね、という情報が飛び交う。

中学校の教員を続けていただけだと絶対に耳にすることのない話題が、私の耳にも届く。上手く言えないが、情報というのはある一定の集まりの中で止まるものがあるなあと言う感じだ。

とてもブログには書けないような話が、あれこれ飛び交う。凄いことだ。

さて、本日池田ゼミ年内最終日。
今日は最初に冬休みにすべきことをあれこれ指示を出したりした。卒業論文のためにすべきことと、ちょっとした挑戦のことについてである。さあどうなるか。

卒論指導のために前提として、読んでおく本を指示。

『論文の教室』(戸田山和久 NHKブックス)
『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(山内志朗 平凡社新書)

これは冬休みの間に最低一冊。できれば二冊を読んでおくことを指示した。とても分かりやすい。論文を書くとき流儀は理解してから取り組まないと、後から直すとなると相当大変になるので、最初のうちに示すことにしている。

ゼミの発表は、非常に盛り上がった。今日のテーマは

・女の子どうしのややこしさについて

であった。
「男子は楽でいいよね」
「あーあ、男に生まれれば良かった」
「女は面倒くさい」
という台詞を呟く女の子は、珍しくない。

で、今回の発表はここの謎に卒論として取り組もうとする女子学生の発表であった。発表を聞きながらダンダンと辛くなっていくのだが、これはなかなか面白いテーマだなと思ったのであった。

本学には女性歴史研究所もあるので、歴史的な知見も手に入れやすいだろう。そして、何よりも、この女の子同士のややこしさ問題というのは、若い女の先生にとって仕事を進めていく上で大きなテーマになる可能性がある。

なんとなれば、

1)女子児童同士のややこしさ
2)女の先生と女子児童間のややこしさ
3)女の先生とお母さん間のややこしさ
4)女の先生と女の先生の間のややこしさ

の四つのややこしさに触れる可能性があるからである。もちろん、卒業論文でこの四つの部分をきちんと扱うことは難しいであろうが、軽く触れてみるだけでも良い勉強になるだろう。

ややこしさの理由や発生の学年、ややこしくならないでいられた女子児童はなぜ?などなど様々な観点がゼミの中で出てきた。聞けば聞くほどややこしいなあと思う。ややこしや~~~~~あ、ややこしや、である。

でも、楽しみな卒論になりそうである。

その後、昼休みには12月生まれのゼミ生のお誕生日会を開く。サプライズは大成功。ここに書いてしまうと、このネタはもう使えなくなるので書かないが、かなり良かった。

さらに、学生が作った二回生に見せたゼミの紹介ビデオなどを視聴する。なかなか面白い。
「ああ、そういえば教育実習もあったね」
と実習すら遥か彼方の記憶になってしまうほどの密度の濃い一年であったようだ。

確かに、確かにいろいろとあった一年だなあ。

さて、学生たちとの忘年会に出かけるか。

2009/12/21

新年恒例!「池田先生を囲む会2010!」

新年の教え子と集まる会を、今年は瑞雲中学校の時代の教え子たちが開いてくれます。会場は、昭島駅近辺です。日程と時間が合って懐かしい仲間に会いたいとか、池田の顔でも見てやろうと言う諸君がいましたら、連絡をしてください。

楽しみにしています。幹事は大澤析くんです。以下に案内と連絡先があります。

■□■

新年恒例!「池田先生を囲む会2010!」

日時:2010年1月3日(日)11時

集合場所:昭島駅改札前集合

会場:宴会会場は昭島駅周辺で昼から呑める場所を調整中です。

会費:実費

池田先生にお世話になった仲間、紹介したい仲間など広く集まってワイワイと新年の一時を楽しめるといいですね!

大澤析
e-mail
seki-lopとezweb.ne.jp
を@で繋いでください

■□■

では。

2009/12/19

このヒリヒリ感が生きている証だろうなあ

12/19

このところ、ますますあれこれ依頼をいただく。

やりたことをやるのが人生だと思っていたのは、若造の頃の私。それはそれで間違ってはいないと思う。やりたいことをやらないで何が人生だとも思う。しかし、お願いされることをやりきるのも人生だと考えるようになっていったのは仕事を進めることになってからである。

一般の会社では、業務命令で行われる。教員の社会はそんな業務命令のような形ではなく、お願いという形でされることが多い。実質的にはやってねということなのだが、お願いである。公務員は働かなくても働いても基本給は変わらないので、できれば仕事は少ない方がいいと考えるのは、珍しくはない。だが、周りを見回して、
(あ、これは俺がやらないとだめかなあ)
なんて思ってしまったら、次から次へと仕事が来るようになる。

そして、本務のほかにも依頼がくる。
実践をして自分がやってきたことが自分でもわかっているところに、そのことに関する依頼がくるのはとてもありがたかった。記録に残せるし、誰かの役に立てるというのはありがたいことである。

だから、お願いされたことについて懸命にやろうと思って仕事をしてきた。断ることは一切してこなかった。

ところが、大学に移ってから、そして特に最近の依頼は
(う~ん、私でいいんだろうか)
と思うような内容にレベルのものが多い。期待されていると言っていいのか、よくわかっていないのじゃないかと言っていいのか、よくわからない。

しかし、先達の仕事ぶりを追ってみると、「依頼された仕事は断らない」とされる先生は多く、そしてその結果実力をつけてきたということを回想されている。依頼から勉強を始めればいいのだ。依頼からなんとかすればいいのだ。

泥縄式と言われるかもしれないがf(^^;。

学生たちに常に言っている言葉がある。(なんか、NHKプロフェッショナルのナレーションのようだなあ)

『授業は十分な準備をしなければならない。しかし、完璧な準備などあり得ない。ということは、私たちは常に不十分のまま授業に挑むことになるのである』

準備が不十分だからできませんでしたという言い訳をしてはいけないのは、1)本当に準備が不十分ではダメ、という意味と2)十分な準備はできないのだから言っても意味がない、という二つの理由があるのである。つまり、今の不十分な自分で全力で挑まないとダメなのである。

この言葉が、自分に返ってくるのである。
不十分の私でしかない。
だけど、この不十分の私で依頼に応えていかなければならない。
急な依頼に不十分なままの私でお応えするしか無いのである。

そこでは何が出るか分からない。
でも、何かが出るようにインプットは欠かさないつもりだ。
このヒリヒリ感が生きている証だろうなあ。

今日もそうして原稿に向かう。
そろそろ関西青年塾に向かう時間だ。

2009/12/18

無線LANの無料化

12/18-2

高速道路の無料化の議論によって、無料化という概念がひとつの政治トピックになった。これは日本人の意識の変化に寄与するかもしれないなと思う。

納税の義務について日本人は納税した後は、関心が薄らぐと言う性格であった。しかし、この高速道路無料化は、納めた税金のその後の使われ方についてあれこれ考えるきっかけを与えたかもしれない。

「高速道路が無料になる。いいねえ」というところから話は始まっている。しかし、世界を見渡せば高速道路が有料のところは少ない。もともと道路特定財源でお金を払っているのである。無料で良いはずである。その税金でやってくれということだ。

では、他に無料にすべきところは無いのか。
道路よりも無料にするところがあるだろうというように、考えが進んでいくのではないかと思うのである。実際、私はそんなことを考えている。

良く言われるのが、医療費の無料化や大学までの教育費の無料化である。北欧では税率も高いが教育費は無料である。大学院まで無料である。デンマークはそうであった。

ただ、簡単に比較はできない。デンマークは国の中で一番高い山が174メートルだったと記憶している。ということは、トンネルや橋梁の工事がほとんど要らないということである。真っ平らな国土に道路を造れば良いのである。だから、国家予算の中で土木工事にかける費用は本当に少ない。この分を教育や福祉にまわせるという言い方もできる。

ではあるが、日本だってやればできるんじゃないかなあと思う。そう思うようになってきているのが、今回の高速道路無料化の一つのポイントであろう。

私は、無線LANの無料化ではないかと思っている。Wi-Fiに接続できる機種がこれだけ増えてきている今、いつでもどこでもネットに接続できると言う環境を無料で国民に提供するのは、場合によっては道路と同じぐらい、医療と同じぐらい大事かもしれない。

社会インフラの一つな訳で、国づくりの一つの基礎として国が無料で使えるように整備するってのはいいんじゃないかなと思うのである。

いかがであろうか。


「おとーさん、おきて、おきて、おきて、ぼん」

12/18

ちょっと寝坊しようと思っていたのだが、娘が起こしにきた。
「おとーさん、おきて、おきて、おきて、ぼん」
と言うのである。

「ぼん」はなにを言っているのか分からないのだが、彼女の口癖である。「よ!」なのかもしれないが「ぼん」である。

もう少し寝ていたかった私は、寝返りを打って逃げる。ところが娘が追いかける。

「おとーさん、おきて、おきて、おきて、はい」
(ん? はい?)

振り返ると、眼鏡を持って私の顔にかけようとしている。

(はいはい、そこまでしてくださるなら起きますよ。で、iPod touchはどこだ?)

バックライトで時間がはっきり見えるので、枕元には置くようにしている。そしたら、

「これ、持っていくね」

と言って先に発見していたiPod touchをリビングに持っていってしまった。おいおい、風邪は治っていないのにそんなに元気で大丈夫か。

今日は一日中家であれこれを続けた。

外は寒そう。
小雪が降っているようだ。

家から見える伊吹山や関ヶ原の山々にはうっすらと雪が積もっているのも見えた。

床暖房も温かいし、MacBook Proも温かい。
私は寒いのは嫌いである。

おーさむ、である。

明日の教室DVD 第五弾 コミュニケーションティーチング

先日行われました演劇とシンポジュームの記録がDVDになりました。

http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                     
                        
演劇発表公演+シンポジウム                         
                     
                        
宇治市立菟道第二小学校3年生児童+劇団衛星
                     
                        
池田 修、糸井登、蓮行、北川達夫、平田オリザ
                     
                        
平成21年11月3日 於:宇治茶会館
                     
                        
DVD価格 3,000円(本体価格2,857円)

その場にいたメンバーが、これからの日本の新しい教育の始まりを実感した、演劇とシンポジュームでした。是非、ご覧下さい。

「ご、ごめんぁああああしゃいいいい」

12/17-3

私たちの娘にしては、出来過ぎなほどに成長している娘である。本当に私と奥さんの娘なのだろうかと思うぐらい、よく成長している。顔が似ているだけに、疑いは無いのだがその言動からは、ちょっと疑いたくなることがある。

だが、そんな娘であっても、一つだけ如何なものかと思うところがある。それは、自分が間違いをしたり、失敗をしたときにきちんと謝ることができないのである。彼女の将来のことを考えると、これは何とかせねばならぬと思い続けていた。

で、今晩。

遊んでいたことが原因でガラス製品を壊してしまうという事件が発生したのだ。そのちょっと前までは結構楽しくやっていたのだが、遊び方を変えたら事件に繋がったのだ。

『お母さんに謝ろうね』
と私が言うのだが、娘は悪いことをしたと分かっていながら、謝ることをせず、何かの歌を歌っていた。

ここが勝負だと判断した。

娘を抱きかかえて、リビングから連れ出す。リビングと廊下を遮るドアの向こうに置き、
『お母さんにきちんと謝らないとダメです』
と諭す。

もちろん、娘は大泣き。
大泣きでも私は許さない。
すると、私を避けてお母さんに助けを求めようとする。しかし、それも許さない私。「花のピュンピュン丸」の弟のチビ丸のような泣き声で泣き叫ぶ。

しかし、ここで許せば、泣けば許されると理解するのは十分に分かっている。今まではこのぐらいは良いかと思って流してきた部分もあるが、今回は大きな過ち。しっかりと記憶にも残る。本人も
(あ、まずい)
と思っている様子が手に取るように分かる。

だからきちんと。勝負の指導であった。

しばらくすると、娘は廊下から移動してベッドで横たわり、一人ふて寝をしていた。泣けば許されると思っていた彼女は、打ちひしがれていた。あれこれ丁寧に話していたら、お母さんに謝ると言う。

そこで抱っこしてリビングに連れて行く。

「ご、ごめんぁああああしゃいいいい」

と泣きながら謝っていた。

こんどは、こっちが泣きそうになってしまった。
よくがんばったね。

子育ては、勝負だと思っている。
最初の勝負であった。
これからも続くのであろう。

ちなみにもちろん、この勝負は娘の勝ちである。
よくがんばったね。

「ドッテドッテの大事件。
ちびし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」*1

*1 ここで喜んでいただけた方は、信じられる気がしますf(^^;。

ハ行で笑う

12/17-2

夕食の後、娘の一年前のビデオをMacで見た。
「かわいいねえ」
と自分のことを言いながら、ハで笑う。
ははははは、と笑うのである。

ビデオの中の一歳前後の娘は、微笑むだけでハ行で笑えない。ハ行で笑うには、腹筋の成長と喉の構造の成長が必要になる。
そんなこと知らなくてもいいのだが、父さんはそれが専門なのでそれを理解しながら、喜ぶのである。

ははははは。
ひひひひひ。
ふふふふふ。
へへへへへ。
ほほほほほ。

これから娘は、ハ行全部の笑いを覚えるのだろうなあ。

彼女が笑いの多い人生を歩めるように、願う。

2009/12/17

だんだん「ためしてガッテン」のようになってきている

12/17

午前中は、ゼミ祭。二回生が企画をしてのものである。二回生が三回生ゼミを選ぶにおいて、それぞれのゼミは何をしているのかを紹介してほしいと三回生に依頼して実施されたものである。

なかなか良いことである。
学びたいと考えている二回生にも、学んできている三回生にとってもどちらも良い結果を齎す企画である。二回生に自分たちの学びを提示することで、この一年をまとめることになり、学びを振り返ることができる。

私は家族の体調が優れなかったので、家であれこれやっていて参加できなかったが、伝え聞くところによると我がゼミの諸君もなかなか頑張っていたようだ。

自分で自分に合ったゼミを探そうとするのは、良い。だが、その一方で逆もある。どうでも良いということである。そんなに深く考えなくても良いというものである。

    1)    朱に交われば赤くなる
    2)    掃き溜めに鶴
    3)    孟母三遷の教え

この諺は何を表しているのであろうか。

    1)    環境によって人は変わる。
    2)    環境がどうであろうと、人は変わらない。
    3)    人は環境を変えることができる。

ということを意味していると考えている。
そうであれば、あれこれ考える必要はあまり無い。出会った環境の中でやる。うまくいかない時は耐える、または変える。そう言うことなのだと思う。

偶然を必然に変えるのは、そこにいる本人たちの努力によるものなのである。

そこにチョイチョイと魔法をかけるのが、ゼミの指導者の役割なのである。

2限は、国語科教育法2。今日はメディアリテラシーについて。学生諸君には、メディア断食を指示してある。毎年やっているが、学生たちの感想は大きく変わることはない。

大きく変わることのないことを、安定ととるのか、停滞ととるのか。私はどうも停滞と考える傾向がある。だから、新しいものを考えたくなる。

今日のメディアリテラシーの授業は、本邦?初公開の資料を活用する。最近手に入れた広告の資料なのだが、結構インパクトがある。しばらくはこれを使って授業をしようと思う。

3限は、児童総合演習。グループごとに分かれて実践記録を読み続ける。私の方からいくつかの問いを突っ込む。それを踏まえながら議論を進めていく。

当たり前であるがまだ二回生。読みが甘い。だが、少しずつ実践記録を読むことの楽しみを手にしてきている学生が増えてきている。良いことだ。

4限は、教職総合演習。毎回学生の発表が楽しみである。今回は「食育」について。食育の歴史や実習コーナーがあり、だんだん「ためしてガッテン」のようになってきているのが面白い。

食育の歴史に関しては、説明の中で『美味しんぼ』のルーツのような食べ物小説の現物を本学の図書館から持ってきて、読み上げていた。これはなかなか面白かった。

さらに、実習コーナーでは子どもの人気おやつに入っている砂糖の分量を当てるクイズをしながらあれこれやっていた。最終的に食育指導をどうするのかについて議論を重ねていた。

発表者の足りないところを会場から補ったりしての議論も良かった。いやあ、どんどん良くなっていくのを見ているのは楽しい。もちろん、私の方では必須アミノ酸の話とか、あれこれ補足をするのだが、なかなか良かった。

この授業は小学校でそのままコンパクトにやっても良いなあと思った。

だんだん育ってきた学生たち。
嬉しいものだ。

守りを教えているのである

12/16

学級担任論の授業。
気がつけば、この授業は今日で年内が最後。年明けに4回でお仕舞いになる。

本日は、環境美化と保護者対応について。教室の環境の美化では、汚れる原因のプリントの整え方について保護者対応では、保護者会、家庭訪問、面談。さらにはモンスターペアレンツについても触れる。

学生たちが少しずつ気がついてきた感じがあったので、伝える。
『そう、この学級担任論は、守りを教えているのである』
と。

学級担任としてあれこれやりたいことはあるだろう。そしてそれはやるべきである。であるが、その際、やるべきことをきちんとやっておかないと、足下からクラスが崩れ去るのである。だから「守り」である。

だから授業で出す事例は暗い、重いものが多い。
学生諸君は、
(担任の仕事ってこんなに大変で、面倒くさくて、辛いんだ)
とその理想との違いにショックを受けるのである。だが、大事なことである。ここを理解してできるようになり、あとはクラスに応じてあれこれ楽しくやればいいのである。

夜は学科の先生たちとの忘年会。
私の人生始まって以来初めて、アルコールの入らない忘年会である。

昔お世話になった先生のご主人が亡くなられたという報せを聞き、忘年会も欠席しようかと思ったのだが、そうもいかんだろうなあと思い、せめてアルコールはやめようと思ったのだ。

忘年会そのものはとても面白いものであった。学科会議の柔らかい版と言う感じで、あれこれ今後の児童教育学科のことについて語り合いながらの食事であった。

アルコールなしで、ウーロン茶を1リットル以上飲んでしまった私。ま、それでも結構楽しかったなあ。良い仲間のお陰である。

2009/12/16

父は娘には逆らえない

12/15

親ばかblogである。

朝風呂に入っていた。読書をしながら入っていた。
そこに、
「おとーさん!」
と娘がやってくる。風呂の扉を勝手に開けて
「おとーさん!」
と言う。もちろん、あれこれあるのだが、ここは素直に可愛い。

風呂の外、窓の外には渡り鳥が飛んでいた。
「あ、とりさん!」
と言う娘。ちょっと思いついて
『ほんとだね。ね、どうして鳥さんは飛ぶのかな?』
と聞いて見た。すると、
「湖の上はぷかぷかするの。飛ぶ時は、バタバタするの」
とだいたいこんな風に答える。ひえー、説明している。これは面白い。どんどん聞いてみよう。

『洗濯機が直ったね。誰が直してくれたの?』
数日前に、洗濯機のモーター部分がおかしくなったので交換修理をし終えたのだ。

すると
「でんきやさん。ごろごろして、がたんして、ぐるぐるなおった」
と説明する。ひえー、ひえー。奥さんに聞くとその通りだと言う。

い、いかん。この分だと、私がやっているまずい部分も記憶されている可能性が高い。身を引き締めて日常生活を送らなければならない。

朝風呂の後、コーヒー牛乳を持ってベランダで寛いでいた。コーヒー牛乳はガラスのグラスに注いでいた。置き場所が無かったので、床面にそのままそっと置いておいた。

するとそこにやってきた娘。
「あぶないから、机の上!」
とちょっと離れたテーブルを指差し、そこに置けと指示。
『あ、はい。ここでいい?』
「うん!」

2歳3ヶ月の娘に指導を受ける私であった。

父は娘には逆らえない。
なぜだろうかと、考えてみた。
分かった。

娘の顔は、私の母親と私の奥さんの顔で構成されているのだ。
愛しくて、かつ逆らえないのは当然である(^^)。

2009/12/15

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培

12/14

2限はゼミ。

担当予定者が体調不良の欠席となったので、急遽来週行う予定の内容を実施する。論文の書き方指導である。小論文と論文の違いから始めて、書くための参考図書や、さまざまな手続の仕方等に付いて説明する。

3回生も、卒業論文提出まで残り1年を切ったのである。採用試験と卒業論文を柱にしながら、駆け抜けていくのである。

で、ちょっと時間が早く終わったので、外に集合。私が大学で育てている椎茸の木に椎茸がたわわに育ったので、収穫に向かう。下宿生を優先して収穫した椎茸を配る。

若い頃にはまったく考えることも無かったが、クラスで植物を育てるというのはとてもいいもんだなあと思うようになっていった。子どもの成長の伴走者として花や実のなるものを育てるのである。大学でも同じである。

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培である。ホイル焼きもよし、バター炒めも良しである。活力をつけたまえ。

Dvc00095

昼休みから一気に事務仕事と監修本の監修を進める。監修の方は、一段落したが、終わらないのが事務仕事。こちらと戦う。そして、まだ戦いは途中のままであるが、こちらから一方的に休戦して、出かける。今日がルミナリエの最終日なのである。

折角なので娘に見せてあげようと思って早めに帰ってきたのだが、娘が鼻水を出している。風邪である。こりゃあ、ダメだ。こんな体調で人ごみに連れて行って新型インフルエンザにかかってしまったでは、冗談にもならない。

結局家で仕事を続ける。
これでいいのだ。

夕ご飯では、当然椎茸。
バター醤油炒めは、娘がすぐに気に入った。
「味見!」
と言いながら、次から次へと食べてしまう。
早く風邪が治ると良いね。

夜は一人、ふたご座流星群を楽しむ。
ベランダの椅子に腰掛け、毛布にくるまって。
沢山の願い事をする私であった。

2009/12/14

いよいよ年末だ

12/13-2

午前中は、昨晩の余韻に浸っていた。
簡単に言うと二日酔いである。
ただ、二日酔いではあるが、頭が痛いとか言うようなものではなく、まだ酔っているという感じであった。

良いお酒というのは、そういうものだと感じている。アルコールが分解されて変なものになるのではなく、きちんと消えていくのだが、ちょっと量が多いのでまだ分解できていないんだなあと言う感覚の二日酔いである。

アセトアルデヒドを感じさせないのである。

で、午後から京都市内に出かける。
年末や新年の買い物をした。

紅葉のシーズンが終わり、年末のあれこれには少し早いので混んではいたが、まあ許容範囲の混みようであった。

注文していた服を手に入れる。私はちょっと肩幅が広いので通常のブレザーだと肩幅に合わせると袖丈が長くなってしまう。そこで、今回は肩幅に照準を合わせて作ってみた。なかなか良い感じに仕上がってちょっと嬉しい。

娘は久しぶりの家族三人でのお買い物で嬉しいのか、興奮。デパートの中にあるクリスマスの飾りを一つ一つ私に
「奇麗ね」
といいながら、説明する。

『触ったらダメだよ』
と言うと、触りたいのを我慢して、指差して説明しようとする。思わず
『いい子だなあ。我慢できるんだね』
と抱きしめる。娘は嬉しそうな顔だ。

いよいよ年末だ。

集団で作るシーン

12/13

今年の明日の教室は、昨日の書写/篆刻指導のいろはで終わった。今回は私が講師であった。いつもとは違い、今回は実習がメインであった。

もちろん、書写/篆刻指導の際に注意することもお話をしながらの講座ではあったが、作業と説明のバランスをとるのは、相手が子どもであっても大人であっても同じぐらい難しいものだと改めて思う。

嘗て、中学校で国語を教えていたとき、私は割と真剣に書写を教えていた。真剣に学ぶ中学生は、きちんと吸収する。一生の宝をプレゼントしてあげたいと思って、字を教えていた。どうせやるならと、中国や日本の書の古典をテキストに使ったりもしていた。

ところが、中学校の中には書写をやらない学校も多くあり、
「なんで、池田先生は文法をやらないで、書写をやるのですか?」
と、クレーム?を言う保護者がいたりもしたこともあった。書写の時間に書写をやらないで、その時間に余分に文法や読解をする先生がいたのだ。私が正しいのにf(^^;。

私が書写の授業が好きなのは、子どもたちにはっきりとした力をつけてあげられるからということもあるが、もう一つ理由がある。それは、あの集団でシーンと言う空間と言うか、時間と言うか、これが好きなのである。

書写では、摸書を中心にして指導をしていたのだが、これはかなりの集中力を必要とする。摸書をすると、本当にシーンとするのである。

摸書というのは、簡単に言えば写し書きである。日本の書道教育では、この写し書きである摸書を嫌う。きちんとした理由はよく分からないが、個性とか独創性とかを重視するとこの写し書きはその反対側にあるので、やらないのであろう。大きく元気良く書くというのが、好まれている。

だが、私はまずはきちんとした字を書けるようにすることこそが、義務教育の責任だと考えていた。つまり、美しい字よりも読みやすい字である。だから摸書であった。中国でも、初学者は徹底的に摸書をするということを聞いている。

で、シーンである。

いつも騒いでいる五月蝿い30人から40人の中学生が、この摸書をすると、シーンとするのである。咳なんぞしようものなら、クラスの中で睨まれてしまうほどの静かな集中が生まれるのである。これが非常にいいのだ。

学校は集団を学び、集団で学ぶ場所である。合唱、演劇、運動会などの多くの行事は集団で行い、元気にやるものである。しかし、書写はこの逆である。もともと書写などは一人でできるものであり、一人でやるものである。これをクラスで一斉にやるのである。

実際に体験した子どもたちは異口同音に言う。
「先生。書写のあのシーンとした時間が好きでした」
と。集団で作るシーン。これを好むのである。

今回の明日の教室の書写、篆刻のいろはでも、このシーンを体験していただくことができた。良かった良かった。

懇親会は疲れが出ていたのであろう。席を動けなかった。新しくいらっしゃった方にお話を聞こうと思っていながら、壁に背中を預けたまま、持ち込んだ「獺祭」を味わいつつ、ボーッとしてしまった。

(ああ、いいなあ)
と思いながらボーッとしてしまった。

来年も楽しくなるなあと思いながら、「獺祭」に包まれていくのでありました。

ちなみに、2010年 研究会の予定は、

1/30(土) 土作彰氏 



2/13(土) 岡山洋一氏 ファシリテーション入門 



3/13(土) 石川晋氏

4/24(土) 野中信行氏 提案「味噌汁・ご飯」の授業

であります。お待ちしております。

2009/12/12

まるで、料理人のようである

12/11-2

最後の決めの一品が見つからなくてうろうろしていた。まるで、料理人のようである。

その一品をやっと探し求めた。これであとは、明日資料を印刷すれば完成である。

授業を作る、講座を作る。
この時間はいつも大変で、いつも楽しい。

2009/12/11

この過程をどうやって充実させていくか

12/11

いやあ、良く寝た。
この一週間の疲れがでて、昨日はもう10時前にはベッドの中であった。
『お父さん寝るよ。一緒に寝よう』
と娘に言ったら
「先きに寝て!」
とはっきりと言われてしまった。
(なんだ?)
一瞬、目が覚めてしまったが、睡魔には勝てず家族の中で一番最初に寝ていた。

このところの娘は、
「一緒だね」
と部屋の中にある同じものを探してきては指摘する。iPod touchとコンピュータの中のiPod touchを指摘したり、HDとHDの入っていた箱に描かれてるHDをしてきたり。概念構成はどうなっているのだろうと思う。

また、
「座ってください」
「来てください」
「(椅子から)おりてください」
というお願いの言葉も言うようになった。「〜ください」が丁寧な言い方と理解しているようで、その時は声色も妙に優しい。面白いなあ。

で、今週は通常の授業の他に、ゼミ合宿、GP打ち合わせ、フォトストーリー、読書へのアニマシオンと、力一杯でさすがに疲れた。だが、充実の一週間でもあったわけである。

この充実の積み重ねが、人生の充実に繋がるわけである。
人生は結果ではなく、過程である。
結果であれば、みんな同じ。死ぬということである。
だから、結果ではなく過程である。

この過程をどうやって充実させていくか。
やりたいことから、やるべきことの発見が一つの鍵だと私は思っている。天命、宿命、使命、いろいろな言い方があるが、古人はこれを発見し、自分の生きる意味を見いだしていったんだろうなあと最近思う。

さ、これから明日の「明日の教室」の最後の準備である。




「読書へのアニマシオン」

12/10

東京から慶応大学付属普通部の鈴木淑博先生にお越しいただき、「読書へのアニマシオン」の特別授業をしていただく。先生とは、気がつけばもう10年以上も前からのおつきあいとなる。

授業は、木曜日に行われる三つの授業でしていただけることになった。どれもこれもすばらしいものであった。

たまたま手元にある二回生の感想である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今回の授業ですが、もう本当に一言で「楽しかった」です。
授業は子どもたちとつくっていくものだと思うので、先生も子どももみんなで考えて、動けた今回の授業は一つの到達点だと感じました。まだ僕が気づいていないだけでもっと改善点があるのかもしれませんが、こういう授業は常に目標にできるなと本当に思いました。

アニマシオンというものを紹介していただきましたが、今までまったく聞いたことすらないものでした。今回これを知ったのは大きな収穫でした。75の方法があるということですが、とてもおもしろそうなので必ず調べようと思います。
アニマシオンということばの意味は「魂を活性化し元気にする」というものらしいです。(『子どもが必ず本好きになる16の方法・実践アニマシオン』有元秀文 合同出版 2006年 より)子どもたちも先生も魂から元気になれる、しかもそれは授業の中で!ということで、必ず取り入れていきたいと思いました。

アニマシオンもすごいと思いましたが、鈴木先生の本読みもすごいなぁと思いながら聞いていました。本を閉じていても場面が想像できるような読み方でした。正直に言うと鳥肌が立ちました。子どもに読み聞かせというのもどこかであるものだと思うので、読む技術も同時につけていきたいと感じました。

最後に、今回はすばらしい授業、アニマシオンの紹介をありがとうございました。とても勉強になりました。必ず活かせるように努力していきます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

今回は、特別講師の鈴木先生に来ていただき、アニマシオンについて学ばせていただきました。

読書は、読むものだと思っていましたが、今回の授業を振り返ると、自分たちでは、一回も読んでいないことに気がつきました。
それに、読書は一人で静かにやるものだと思っていました。けれど、今回の授業では、円になって、みんなで1つの本を読むという方法でした。学校でも、教科書をクラスで読むことは授業中にはよくあります。けれど、今回のように絵本をみんなで読むというのは、新しい体験でした。

読書を読むのではなく、体験することによって、子どもの本の世界への入り方が違うと思いました。
読んでいる時は、「読んでいる自分と、本」という関係なのですが、今回の場合は「本の中の登場人物=自分」という感覚でした。絵本の世界に完全に自分が入っている感じがしました。
そして、この授業ではつねに私たちは楽しく笑いながら授業をすることが出来ました。読書で笑えるというのは、すごいことだと思います。

もっと多くの事を教えてもらいたかったのですが、この先は、自分で本などを読みながら知っていこうと思います。
今回は、本当にありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

今年度は、先生に来ていただけることが早めに分かっていたので、私が実演せず、実際に専門の先生にやっていただいた方が良いと思って、言葉ぐらいしか説明していなかったのだが、これが良かった。

本物に触れることで、その衝撃は残る。学生諸君は、学校現場保育の現場に入ったときに、この「読書へのアニマシオン」を必ずややるであろう。

実に楽しみである(^^)。

二枚目は娘が撮影したもの

12/9-2

夜は、奥さんの誕生日お祝いで近くのレストランに。
夜景とクリスマスイルミネーションが見事であった。

一枚目は私が撮影したもの。
N_2
二枚目は娘が撮影したもの。B_2
彼女は最近、カメラに凝っているのである。

授業は、具体であり具体の上に想像と創造が生まれる

12/9

本日は、明日の教室のDVD製作をお願いしている平井さんに来て頂いて、学生の指導もお願いする。メディアリテラシーとフォトストーリーの作り方についての講義である。

ここが今年度から始まったGPのプロジェクトの中核となる部分の一つである。オリターと呼ぶ先輩のリーダー達が、後輩のためにあれこれするのであるが、彼等自身の活動をポートフォリオすることで、彼等の学びを豊かなものにしつつ、後輩のためになるというものを考えている。

ポートフォリオは、文章でやるものという考えがあるのではないかと思う。それはその通りである。しかし、それだけではないはずである。今回のGPでは映像によるポートフォリオをさせようとしている。それがフォトストーリーである。

嘗て写真を撮る撮られるというのは、特別なことであった。ところがデジカメ、さらには携帯電話にこれが搭載されたことから、普通のことになった。私もバシバシ撮影していた。そしてここに「写真」による問題が発生するのであった。

一つ目の問題はインク代がかかるという事であった。いまでも職員室には先生個人のためのパソコンが用意されているところは少ないだろう。という事は自腹でパソコンを買うことになる。であるからして、プリンターもインクも自腹でとなる。学校教育現場はBサイズが残っているので、B4サイズがプリント OUTできるちょっと高い物を買わざるをえなかったのだ。

だがまあ買えばすむものであれば、良いか悪いかは別として、お小遣いの許す範囲で自腹を切れば良かったのである。

二つ目の問題は、個人情報、または肖像権の問題である。学級の情報を学級の中で扱う分には、特に大きな問題はない。だが、インク代を節約しようとしてインターネット上に載せようとすると、この問題が発生する。

校内LANがあってインサーネット環境が整っていて、図書館の司書教諭のような情報司書教諭がいる学校であれば問題無い。だが、そんな公立中学校は存在しない。だから、情報を扱う者がそこを配慮してやるならやるのである。これが非常に面倒くさい。だから、私はこの方法もやらなかった。

三つ目の問題は、一つ目と二つ目にも関わるのだが、手に入る写真が多過ぎるということだ。行事などがあると、保護者からも届いたりして嬉しいひめいとなる。選びきれないのである。

これらの条件をなんとかクリアしようと考えて私が最後の中学校にいた頃にやっていたことがある。それはPCによるスライドショウでの展示である。学校に余っていた古いノート型の98PCを持ち出して、そこに「窓の杜」からダウンロードした無料のスライドショウソフトをインストールして使っていたのだ。

これであれば、インク代はかからず、校内LANも必要なく、大量にデータがあっても大丈夫である。子どもたちにも、学校にやってきたお客さんたちにもとても好評であった。

いまなら、WindowsXPには標準で入っているし、Macならさらに昔からスクリーンセーバーでいけるし、今ならiPhotoのスライドショーでも楽しむことができる。

前置きが長くなった。
で、私はこういう実践をしてきたわけで、これを踏まえて児童教育学科の学生たちを育て、その上で彼らがここで学んだものを踏まえて学校教育現場、保育の現場で頑張ってほしいと考えてやってきた。

これを文学部全体に広げるにはどうしたら良いのであろうかと考えて、今回のGPの基本構想を考えたのであった。

授業は、具体であり具体の上に想像と創造が生まれると考えている。

で、フォトストーリーである。これであれば、写真、文章、音楽、ナレーションなどを入れて、一つのムービー作品を簡単に作ることができる。デジタルポートフォリオを作ることができるのである。

写真は、携帯電話で取れる。文章やナレーションは授業の感想文などで鍛える。音楽は十分楽しんでいるので、著作権の問題をきちんと学べば良し。あとは、作り方を教えていただければオッケーということで、平井さんにお願いをすることにしたのであった。

授業は平井さんの丁寧な説明で、どんどん進み、あっという間に学生たちは作品を作り上げた。

来年度の新入生キャンプを始めとして本格的にスタートするこのDVD作成。これを受けて、実はもう一つGPではプロジェクトを動かしている。それについては、また事業の進行とともにご紹介したい。

楽しみ楽しみ。
平井さん、ありがとうございました。

2009/12/10

天上からのスポットライト

先日娘と久しぶりに散歩に行った帰り道での一枚。
びわ湖の噴水に、天上からのスポットライトが当たっている瞬間です。

この場所にこのようなタイミングで当たることは、もの凄く珍しい。
そして、そのタイミングに対岸にいたことも珍しい。
私にとっては、ちょっと奇跡的な一枚です。
どうぞご覧下さい。

Photo



2009/12/08

しかしもう、8年も前のことなんだなあ

12/8

ゼミ合宿から目覚め、いったん家に戻る。こう言うとき家が職場から近くて本当に助かる。娘と一緒に朝ご飯を食べて、ひげを剃って着替えてから大学に向かう。

合宿の会場に忘れられていた眼鏡と時計を預かっていたのだが、その学生たちにすぐに大学で会う。その後の生協でも会う。なんだか私が後をつけているのか、私がつけられているのかというような状況である。縁のある学生というのはいるものだ(^^)。

研究室で仕事の確認。
今日は10:00からGP関連の打ち合わせがあると確認、したつもりが10:40からであった。忙中閑あり。紅茶を入れて落ち着く。

GPの打ち合わせ、教職総合演習の指導と行って、ディベートの授業。本日は、私が中学生に指導をして全国大会準優勝した時のビデオを見せる。これを見せてフローシートを書く小テストをさせる。

その時の半年間の指導の記録は、
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html
である。

ディベートは勝敗のつく競技である。そうであれば、歴史は勝者の記録となる。それはそれで良い。だが、教育としてディベートの指導に当たってきた私たちは、その子たちのことが大事なわけである。

だから、記録する。私が記録しないで誰ができるのだという思いで、この夏の二週間を使って記録したものだ。今この文章を書けと言われても書けない。あの時でなければ書けないものである。文章にはそう言うものがある。その時でなければ書けない文章がある。これを私は理解している。学生たちにも理解させたい。だから、書け、書けと言い続けているのである。

しかしもう、8年も前のことなんだなあ。白髪も増えるわけだf(^^;。

あのくだらなさの準備のために

12/7-2

補講による集中講義である。
3回生ゼミは、教育実習の期間休講にしていた。この補講である。通常の授業を含めて4時間連続での補講である。

今日の補講は、教育実習に最後まで行っていた彼女の簡単な報告から始める。唯一我がゼミで幼稚園に実習に行った彼女である。貴重な報告があった。

甘えさせると甘やかすの違いを理解して指導することが、教育においては大事である。この違いについて実習に行ってきた彼女はきちんと理解してきたようである。良かった良かった。

私の考えでは、甘えさせるは愛情の問題である。そして、甘やかすは社会ルールの問題である。甘えさせてもいいが、甘やかしてはならないのは、愛情の足りない子どもには十分に愛情を注ぐべきである。しかし、社会のルールを無視するような行動をとった場合、きちんと指導しなければならないということである。

通常は、愛情をたっぷりとあたえ、その上で社会のルールを教えるのが望ましいとは思うが、実際は同時進行で行ったり、社会のルールが先きということもあるであろう。それが現場である。ただ、この甘えさせると甘やかすの違いを理解した上で指導することは、肝要である。

さ、我がゼミの学生諸君が卒業論文のテーマとして考えているもののが出そろった。

・Q−Uについて
・若者語について
・コミュニケーションティーチングについて
・子どものキレる理由について
・スローリディングについて
・ライティングワークッショップについて
・清掃指導について
・叱り方について
・学び合いについて
・特別支援教育における発達障害について
・ゆとり教育と学力低下について

なかなかバラエティに富んでいて面白い。

集中して行ったゼミは、楽しいゼミであった。学生諸君は、発表の準備のために根を詰めていて、なかなか大変だったようだったが。

一つのテーマ、それも誰に指示されたものでもない自分で選んだテーマで纏めて発表する。なんて楽しくてなんて大変なことなのであろうと学生諸君は思ったであろう。

また、自分で選んだテーマであるのに、それが他の人の発表といろいろとリンクしているのがわかり、面白いなあということになった。卒業論文は、自分で執筆するものであるが、チームで執筆するものでもある。この辺りに気がついてきたようで嬉しい。

ゼミの休憩時間に
「先生のその頭の中はどのようになっていらっしゃるのですか?」

と質問を受ける。え、そんなこと言われても見たことはないし、見ても分からないしf(^^;。

『どういうこと?』
「その、一つのことを聞くと、ばーーっと話が出てくるというか、沢山の引き出しの中から関連するものが、次から次へと出てきて、話が進んでいくんですけど、どうしてですか?」
『どうしても言われてもねえ。そういうようになるように脳みそを使っているからではないかな。あとトレーニングもしているしね』

なんてことを話す。
卒業論文のテーマに関することをあれこれと話してあげている姿が、そのように感じられたのかな。

でまあ、その後のコンパが凄かった。教育実習お疲れさんコンパである。学生会館に場所を移して、お泊まりで行った。鍋を囲んで美味しく頂くのはまあ良い。問題はその後の出し物である。

ゼミ生の誕生日を祝ったビデオを見ることから始まり、blogには書けない抱腹絶倒のあれこれが催されたのであった。写真は有るのだが、これを載せると、日本の少子化にますます拍車をかけると思われるので、自主規制である。

だが、あのくだらなさの準備のために、発表前の貴重な時間を拠出する君たちを少し嬉しく思ってしまう私でたあった。 また少し彼ら彼女らが成長したかもしれないな、と思う私であった。

さ、今日はみんな眠いぞ、授業中に寝ないように(^^)。

2009/12/07

三倍ぐらい上手く書ける

12/7

いやあ、神経を使った。

12/12の明日の教室で使う書道用品をネットで選んで購入。一番安くて良いものを探そうとあれこれネットサーフィン。当日は書道と篆刻をする予定なので、それの用具をまとめて購入なのである。自分の持ち物であれば、まあだいたいで良いのだが、人様のものとなるとね。

参加申し込みの人数確定を受けて、やっと先ほど注文が完了したのだ。ふう。

書道は、同じ腕前であれば、はっきり言って筆と紙で決まるのである。
こういうと良く言われることがある。

「え? 弘法は筆を選ばずではないの、池田さん?」

と。
大きな間違いがある。弘法は筆を選ばないのであって、弘法でない私たちはきちんと筆を選ぶべきなのである。それなりの筆と用途に応じた紙を使えば、三倍ぐらい上手く書ける。

当日は、その筆と紙とを用意してお習字の基礎をやる。これが前半。後半は、石に吉語を刻す。篆刻である。本格的にやる方法も私は知っているが、今回は割と安直バージョンでやる。しかし、この安直バージョンもなかなか捨てたものではない。当日をお楽しみである。

なお、少し余分に筆を買っておいた。中にははずれの筆も入っているので、予備として買っておいたのだ。ので、直接私にメールを頂ければ、あと若干名は当日の申し込みが可能になると思います。良かったらどうぞ。

さ、寝よう。

2009/12/06

『教師になるということ』の二刷り用の校正を進める

12/6

午後から曇ると言う予報だったので、午前中に娘と散歩に行く。お気に入りのガーデンは、来年の3月まで休園なのでその周りの芝生のある庭に行く。ライトアップ用の電飾トナカイやツリーが設置されている。ここでシャボン玉を飛ばす。

風が強かったので、シャボン液を張ったリングを持っているだけでどんどんシャボン玉ができる。娘は大興奮。

岬の先端まで歩いていく。ここにはニセアカシアの大木が二本植えられている。夏には良い木陰を作るのだが、いまは葉っぱも枯れて実がなっている。いくつかは落ちている。その実を娘は
「あったね、あったね」
と言いながら拾っている。
(ま、そりゃああるだろう)
とは思うものの、
『そうだね、あったね』
と言いながら拾うのに付き合う。鞄の中に次々とその実を入れてくれる。ま、それなりに嬉しいお父さんではある。

集める、交換する。
これは人間の本能の一つなのだろうなあと、改めて思う。

昼ご飯はパスタ。
タマネギとシメジとトマトで作ってみる。私はここにペペロンチーノオイルをかける。なかなかうまい。

午前中のお昼寝をしなかった娘は、食べながら眠い様子。
「三人でね」
と言いながら、昼寝を催促する。
当然反論することなく、三人でお昼寝である。

いろいろな夢を見る。

午後は、頑張って『教師になるということ』の二刷り用の校正を進める。このところ娘がやたら私の膝の上に乗ってくる。

『いま、お父さんはお仕事しているんだよ』
「学校の先生になる」
『え? 学校の先生になるの? ま、お父さんは先生だけどね』
「お父さん、好き」
『え? ま、それは嬉しいけど、いまはちょっと困るんだけどなあ』
「好き、ぎゅっ!」
『あ、そ、そうですか。はい』

娘の嬉しい攻撃を受けながら、営々と作業を進めたf(^^;。

本に載っているデータはちょっと古くなっているが、まあ、そんなに本質的に変わっていないなあということを確認。ただし、句読点の使い方に違和感を感じるところ等があって、これを修正する。

御陰さまで在庫があと6冊ということなので、二刷りがこれから書店に並ぶことになる。ありがたいことだ。

さ、明日は3回生池田ゼミ合宿である。2限から5限まで通してゼミ。その後、教育実習打ち上げのコンパである。

楽しみ楽しみ。

石田純一

12/5

チェックアウトぎりぎりまでホテルの部屋で過ごす。いや、過ごさざるを得なかった。ないのである、靴下が。

(おかしいなあ)

替えの靴下を持参するのを忘れたので、同じ靴下で帰ることになってしまったのだが、部屋の中を探しても見つからないのである。いくら私でも、昨晩の店で靴下を脱いで裸足で帰って来たということもないだろうし、勢いで別の店にいって暴れて靴下を脱いだということもないだろう(たぶん)。

と思って靴下を探すのだが、見つからなかった。素足で革靴を履く。石田純一である。

そのまま、小浜の魚市場に向かう。土曜日ということもあるのだろう、かなりの人ごみ。みなさんが狙うのは蟹である。

私は、ま、蟹も好きであるがトロ箱に5匹入っていくらという売り方なので、今回はパス。手に入れたのは、ノドグロ、アジ、バイ貝である。

ノドグロは、白身魚の本マグロのトロと言われる魚である。とにかく、うまひ。確認したら刺身で行けるというので、ご購入。市場でも結構な値段。そりゃあ、町中で高いわけだ。

で、一路自宅に向かう。途中、朽木の道の駅で魚以外のお土産も購入。もう慣れたものである。

自宅に戻ると、娘がお出迎え。
「おみやげ!!!」
と言いながら、私の荷物を持ってリビングに走る。ま、確かにお土産です。それだけ喜んでもらえれば私は幸せですが。

近所の子供会で作ったクリスマス用の帽子や、お店で売っていたカチューシャを被って昨日のことをあれこれ話してくれる娘。
『へー、そうなんだ』
と聞く私。いつまでこうして話してくれるかな。

『というわけで、靴下がなかったんだよ』
と奥さんに話す。
「え、蒲団の中だよ。どうせ靴下を履いたまま寝て、寝ながら脱いだんじゃないの?」
と言われる。

(ん?)

ひえー、その通りであった。
確かに靴下をはいたまま寝てしまい、途中で目覚めて蒲団の中でごそごそ脱いだ記憶がそのときに蘇ってきた。奥さんは、どうやら透視をしていたようであるf(^^;。すごい。すごすぎる。

『分かっているなら、電話してくれれば良かったのに』
と私。んなあほなf(^^;。

昼ご飯を食べて、私はそのまま昼寝。いやあ、急に睡魔が襲ってきた。起きたのは、17:00。例の番組が始まるので起きた。お酒と小説の特集であった。

娘と奥さんがお風呂に入っている間に、私は魚を捌く。
新鮮な魚であるからして、大事に捌く。
とくに、ノドグロは大変である。身が柔らかいので慎重にやる。そして、自分で捌いているもののみが味わえるものもゲット。それは胆である。

胆といえば、アンコウやカワハギが有名である。しかし、冬は多くの魚の胆が肥えるのである。店で刺身用に処理してもらうと、この胆は捨てられてしまう。勿体ない。私はここも食す。ああ、うまい。

娘も気に入ったようで、かなり食べる。魚好きになっていくようで嬉しい。そのうち、寿司屋で二人で食べる日が来るだろう。これを今から楽しみにする私である。

小浜、恐るべしである。

一路若狭に向かう

12/4

ガソリンを満タンにして一路若狭に向かう。
こんなに若狭と縁が生まれるとは思わなかったが、呼んでいただけるので伺う。N中学校で言語力育成のための模範授業とその後の校内研修会ということで、伺う。久しぶりの中学校ということで、私もちょっと嬉しい。

中学校に到着する前に、若狭で食事。普通の食堂であるが、魚がやっぱり美味しい。100キロのドライブの中継地点としてはなかなか良い。夜も魚なのに、やっぱり魚である。

授業は、中学校三年生を対象にして「たほいや」を行う。言語力育成とたほいやが、どういう関係にあるのか。ハンドアウトを見ていただいただけでは、分かりにくいと思う。

しかし、授業を見ていただければ、また、体験していただければ(先生方にも一緒にやっていただいた)、分かる。

この日は、中学校三年生の二学期の期末考査の終わったその日の午後の授業である。できれば早く帰って寝たいというのが、生徒も先生もである。その条件であったが、ルールを教えながらやった一試合目が終わり、二試合目に入ったとたん中学生はもの凄く楽しそうに「学習」を始めた。

東北福祉大学准教授の上條晴夫先生によれば、「たほいや」を日本の教育界に最初に紹介したのは、私だと言うことだそうだ。

たほいやは、フジテレビの深夜番組の黄金時代、ホイチョイプロダクションの制作によりテレビで放映されていた。you tubeで見ることができる

なんで、これが「言語力育成」なのかは、番組を見ていただければ分かるであろう。

中学校では、生徒たちに
「とにかく楽しんでください」
とだけ言ってやらせた。

楽しめば、国語の力がつくように構成してあるのである。
学習ゲームである。

模範授業のあと、校内研修会。「たほいや」の授業に隠された意味を解説する。タネと仕掛けの説明である。

さらに、その後事前に頂いていた相談メモを元にあれこれ質問に答える。こんな問題に私が答えていいのかと思いながら、事前にあれこれ考えていたことを答える。

私のスタンスは、

『これは、私の答えです。私の答えという意味は、私と私の生徒と、私の職員室があって出てきた答えという意味です。ですから、私が話す通りにそのままやられてもうまくいくとは限りません。教育実践は、理論的にこうであるということも大事ですが、置かれている環境と言うか条件と言うか、そういうものに大きく左右される部分もあるので、そこを考えた上でお聞きください』

ということである。

ホテルに戻ってひと風呂浴びて、いざ出陣。
小浜のとあるお店で懇親会。

このお店は、ぐるなびにも、食べログにも評価が全く載っていない。ではあるが、とにかく魚が美味い。市場に出る前の魚を買い付けてしまうのである。ここで先生方と教育の話をしながら、魚を堪能する。

最後は同じ店でラーメン。
これがまたそんじょそこらのラーメン屋では勝てないぐらいの美味いラーメン。本当に満足。

ただ、日本酒に純米酒がないのが残念。今度はお気に入りの日本酒を持ち込ませて貰おう。いやなに、一月にももう一度伺うのである。

誰もネットで紹介していないので、私も紹介はしないでおこうと思います。隠れ家って良いじゃないですか。

ま、もちろんメールで教えてとあれば、お教えします(^^)。

良い時間でした。
ありがとうございました。

チョイチョイチョイ

12/6

12月になると解禁するアルバムがある。一年中聞いていたいのだが、さすがにこのアルバムは12月限定である。「The Singers Unlimited」の「Christmas」である。

1972年の発売であるが、まったく古さを感じさせない。今、1434円で買えるのは驚きで、手に入れていない方は是非お手元に置いて聞いてほしいアルバムである。クリスマスの音楽をすべてアカペラで歌い上げているのだ。

1. Deck the Halls
2. Ah Bleak & Chill the Wintry Wind
3. Bright, Bright, the Holly Berries
4. Jesu Parvul
5. Caroling, Caroling
6. What Are the Signs
7. Night Bethlehem
8. While by My Sheep
9. It Came Upon a Midnight Clear
10. Silent Night
11. Joy to the World
12. Wassail Song
13. Carol of the Russian Children
14. Good King Wenceslas
15. Coventry Carol
16. Oh Come All Ye Faithful
17. Have Yourself a Merry Little Christmas

で、今年もこれを聞き始めた。
『うーん、やっぱりいいねえ』
と話していたら、娘のことを奥さんが話してくれた。一曲目の「Deck the Halls 」がかかると踊りだすというのである。見ていたら本当に踊っている。いやあ、いいなあ。

さらに、「While by My Sheep」である。The Singers Unlimitedではないが、以下に見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=hJx85LxcgH0&translated=1

歌詞に

Joy,joy,joy

という部分がある。ここを娘がとても気に入って歌うのである。ただし、歌詞は微妙に違って、
「チョイチョイチョイ」である。

糸井先生のところで行われた演劇の「チョイチョイ星人」が呟く言葉「チョ〜イチョイチョイ」が面白くて、私が家で呟いていたら娘が大好きになり、娘も「チョ~イチョイチョイ」と叫んでいたのだが、この曲を聴かせたらそのように歌ってしまったのだ。爆笑。一種の空耳であろう。

笑いを堪えながら、名曲を聴く年末になりそうである。

折角なので、The Singers Unlimitedによる、「聖この夜」もアップしておこう。

2009/12/03

さ、授業の日だ

12/3

昨日の打ち合わせの疲れが少し抜けないまま起床。
いつもより1度高い温度に設定して朝風呂に入る。
1度違うと、窓を開けて入ってもなかなか気持ちが良い。

さ、授業の日だ。

国語科教育法2は、スピーチのテストというよりは、スピーチのテストを採点する授業。これは結構難しい。一発勝負で行われるスピーチを
、一発勝負で採点する。

採点する側に、採点のための規準と基準がしっかりとないと、ブレた評価になってしまう。しかし、ここから逃げるわけにはいかない。音楽の先生はこれを毎回やっているのだ。国語科だってやるのである。

学生諸君のスピーチを聴いていてちょっと驚いたことがある。それは15人のスピーチのうち、7人までもが親、兄弟、祖父母などの親族に関する内容であったことだ。感動する話、笑える話、泣ける話をしてくださいと指示を出したところ、このようになった。

ちょっと考えものである。
確かに、話の内容はそれなりにあるのであるが、聞いている側からすれば、どれもこれも同じように感じてしまうのである。親族について「ありがとう」のような話なのである。

これがもし採用試験であったら、試験官は飽きてしまうだろう。(あ、また親族ネタか)
と。
さらに
(また親族にありがとうで終わるか)
と。

他の人が話さないネタで話そう。同じ親族であったら、他の人が思いつかない切り口で話そうと言う発想がない。ここを指摘した。中学生ならいざ知らず、仮にも二十歳を超えているのである。考えねばならない。

ただ、こう言うのもどうかと思った。それは話の最後が説教や教訓で終わる終わり方である。二十歳そこそこの学生に自分の人生から教訓を垂れられてもなあと思うのである。

何のネタを使ってどのように調理するのか。スピーチはなかなか難しいのである。

二回生の児童総合演習は、フィールドワークの纏めと、句会。

フィールドワーク関連ではなかなかシビアな内容も。ちょっと書けないなあ。ただ、学生たちがボランティアで学校現場に入るとき、または、新人として学校教育現場に入るとき避けては通れない事例なので、授業ではあれこれ裏技まで伝授する。頑張れ。

句会は、短時間で行った。

    1)    季語を提示して、作品を作らせる。
    2)    できたら、携帯電話からメールで私のPCに送らせる。
    3)    それを私がコピペで表計算ファイルに貼付ける。
    4)    乱数関数でランダムに並べ替える。
    5)    印刷して配って句会。

という流れであった。句会なんて始めての学生ばかりである。ではあるが、終わったら
「もう一回やりたい!」
との声がすぐに出る。まるで私の娘がビデオを見ている時のようである。
「もう一回(^^)」
と娘はすぐにおねだりをするのである。

もちろん時間の関係で、できなかったがまたやりたいねえ。

教職総合演習は、「ケータイの依存症」についての発表である。友人の藤川大祐先生の著作を参考にして、なかなか力作のハンドアウトを作成しての発表である。

途中、高校生の作ったケータイのHPやプロフ。さらには、実際にHPを作ってみると言う実習の時間も設定してのプレゼンであった。

このケータイとケータイ依存症の問題は実に根が深い。その根の深さを説明し、どう解決するのかという話まで持っていこうとしていた発表はなかなか良かった。学生たちが成長してきているなあと感じられる嬉しい時間であった。

その後、GPの外部評価委員会に出席する。2時間ほど、あれこれと説明をして質疑を受ける。比較的良い評価を得られた。こういう機会に出席するのはなかなかないことであって、勉強になる。

今日は、明日の100キロのロングドライブ、そしてその後の研修に備えて、断酒。休肝日である。明日も働くぞ。

一年間、走り続けましょう

12/2

「トイレのビリビリ!!」
と言いながら娘が目を開けた。そして、すっくと立ち上がってベッドから降りた。

(トイレのビリビリ?)
お腹を壊したのであろうか?
トイレットペーパーをどうにかしたいのであろうか?
分からないまま、一緒にトイレに向かう。

ドアを開けると手を上に伸ばす。
ああ、そうか。トイレに掛かっているカレンダーがまだ11月のままだったので、破るというのである。

奥さんに話すと、昨晩寝る前に、「明日破ろうね」と話して寝たそうである。娘の中ではキチンと繋がっていたのである。

人間がなぜ寝るのかは、実のところよく分かっていないのだそうだ。体を休ませるためというのはあるだろうが、養老先生によると、日中の整合的な脳の使い方から出る塵を取り除くための時間が睡眠だというのだ。

塵を取り除いてスッキリさせるのが睡眠のしごとだというのだ。だから、寝させない覚醒剤の乱用は塵がたまっておかしくなるのだと言う。

娘はぐっすり寝て、すっきりと塵をdelateして
「トイレのビリビリ!!」
だったわけである。面白いものだ。

今日は久しぶりに電車とバスで通勤。
夜に打ち合わせがあるからである。
車の倍の時間が掛かるが、乗り継ぎが良ければ40分ぐらいで到着である。

午前の授業は学級担任論。今日は学級の一日をカテゴリーに分けてグループごとに寸劇で発表。実際にやってみることでいろいろと分かることはある。自分で分かっていても指導できなければ意味がない。

「それじゃ子どもは動かないぞ」
とあれこれ。褒めることのできない先生、正論だけで説明しようとする先生、体がグニャグニャ曲がりつつ話す先生。これじゃあ、ダメだ

指示を出すタイミング、伝える内容の順番、原理原則の説明など学生たちが身につけなければならない内容は膨大である。ディフェンスをきちんと身につけてから、オフェンスをさせたいと考えている。

午後から会議3発。水曜日である。
会議の後は、全学の忘年会であったが私は別の打ち合わせがあったので、失礼してそちらに出かける。

22時過ぎまであれこれ。
うーん、いいのか俺? こんな仕事を引き受けてしまって。
というか、いつのまにか私がこの仕事をやることになっていたのであるがf(^^;。

だが、必要としてくれる人がいるようで、それはそれで幸せなことなのだから頑張らねばと思い直して、やりましょう。一年間、走り続けましょう。

満月も奇麗なことだし、がんばれ、俺。

2009/12/01

さ、師走だ

12/1

さあ、先生が走り回る師走が始まった。今月、忙しいぞ。来年度のシラバス作成等もある。だが、学期の締めくくりをする小中高の先生に比べれば、そのための業務はない。その分、あれこれやろう。

ということで、午前中は研究の仕事。研究にはじっくりと考える時間が必要。もっというと、ボーッと中空を見つめているような時間が必要。実験を繰り返す自然科学と違うのはそういうところであろうか。

ただ、この中空を見つめるような時間というのは、

1)中空を見つめることが主
2)作業が主でその合間に、中空を見つめる

の二種類がある。忙しいとどうしても2)ばかりになるのであるが、1)も必要である。今日は2)と1)の間のような感じで作業を進める。

頑張れ、俺。

昼からはGPの打ち合わせ。
12/3の発表のためのもの。ほぼオッケーとなる。

さらに、教職総合演習の発表の相談を受ける。嬉しいことに学生たちが頑張っているので、発表ごとにハードルが上がる。

だから後半に発表する学生たちは、なかなか大変なことになる。ではあるが、この大変さは大事な大変さである。大学入試を目指してきた勉強は正解がある。そこに向けて頑張れば良い。

しかし、いま学生諸君がやっている発表のための準備というのは、正解はない。正解がない割には失敗はある。現状を分析し、問題点を明らかにし、解決策を提案する。これが客観的な資料とともに論理的に示されなければならない。

ではあるが、実はこの発表の形式はディベートを学んでいればそんなに難しいものではない。だから、ディベートぐらいは一回生のうちにきちんと学んでおけば良かったのにねえ、と今日来た学生たちに言う。

覚えばなんとかなった学習とは違うのである。考えなければならないのである。テーマと格闘して、良い発表になるように。期待している。

で、ディベートの授業もあった。
今日は、優先席廃止論題の団体戦での最終戦。なかなか試合になってきた。良い感じだ。

だんだん、頭の中に議論の構築の仕方のフォーマットが出来上がってきているようである。このフォーマットを持っているかもっていないかというのは、結構大きなことだと私は考えている。

このフォーマットを持って、使っていけるようになると、安定した議論を生み出せるからである。それが身に付けば、この授業をとった意味は充分に達成しているはずである。

来週は、私の指導した中学生が全国大会で戦った時のビデオを見せる。さて、学生諸君はどのぐらいフローシートが取れるかな?

この間に、『教師になるということ』の第二刷りのための校正や、監修本のあれこれも。

さ、師走だ。

朝日を愉しむ生活

11/30

Imgp0190 こんなにも朝日を愉しむ生活になろうとは思わなかったなぁ。

ま、だいたい仕事に就く時の私の最大の不安が、朝早く起きられるだろうかというものであった位の私でありますから、私の人生に早起きなんてことはないと思っていた訳です。

ところが、年齢というのはなかなか面白いもので、あんなに起きられなかった朝が、起きられるようになるのですから人生は面白い。もちろん、
(なんでこんなの必要なのだろう)
と思っていた昼寝をするようになるのも、これまた人生ではありますがf(^^;。Imgp0214

朝食後、奥琵琶湖のホテルから一気に大学に向かう。カーナビで見ると60キロぐらいはある。だが、それは湖西である。信号も渋滞もなく気持ちよく大学に到着であった。

大学は2限にゼミの授業。
本日のゼミは、卒業論文に向けての発表。実習時の研究授業リフレクション。実習終了報告。さらに、合宿の計画説明があって、私からの事務連絡。本当に盛りだくさんである。

今日の卒業論文テーマ検討は、「コミュニケーションティーチング」について。演劇を好む彼女が、平田オリザさんと蓮行さんの著書などを中心に発表。

いやあ、凄いことになるかもしれない。(というか、最近こればっかりだな。ならなかったら、オオカミ少年だねえf(^^;。)日本では先行研究、先行事例のほとんどないジャンルなので、海外の文献を読むことから始まるかもしれないと伝える。それはそれで楽しい。

自分が中学校のときからやってきた演劇が、ここにきて卒業論文としてこのタイミングで出会うわけである。人生何があるか分からないねえ。自分のやりたいことを簡単に捨ててしまわない方が良いということだなあ。

午後は、大阪市内の小学校に向かう。校内研修会の講師である。二年目の先生が小学校一年生を対象に国語の授業をする。「ことばであそぼう」というもの。折り句で遊ぶわけである。

言葉で遊べるというのは、言葉をかなり使いこなせることだと私は考えている。どんどん遊ばせてあげたい。

こういう校内研修会などがあるとき、実はなるべくお願いしていることがある。学生たちを参加させていただけないかということである。鞄持ちとして連れて行くのである。

今回は小学校一年生の授業だったので、教育実習で一年生を担当した学生を連れて行った。一緒に校内研修会に参加させていただいた。現場の先生方がどのようにして学んでいるのかを体験するのである。

私が指導助言する内容は、大学の授業やゼミでやっていることとあまり変わらない。相手が現場の先生だから変えるということはない。ま、言い方がやさしくなるぐらいはありますがf(^^;。しかし、ポイントは変わらない。それを学生たちは見て学ぶのである。昨日もそうであった。

そして、帰り道でさらに細かい解説をするのである。
「先生、私たち凄く恵まれているのですね。他の大学の学生たちと話しているとびっくりするぐらい恵まれているんだなって分かります」
と、昨日の学生。
『そうだよ。そして卒業するともっとそれを実感するはずだよ(^^)。』

教育は、贅沢に行われるべきである。

「忙しい一週間」の始まりであった。


今宵のお酒は「不老泉」

11/29

朝、出掛かける準備をしたいたら電話。二回でベルが鳴り止んだ。不審に思って着信履歴を見ると、かつての学年の先生から。ピーンと来た。

早速電話。

「もしもし、Aちゃんですか?」
「すみません、先生」
「やはりそうですか?」
「はい」

勿論、嘗ての先生にチャン付けで呼んでいるのではない。その先生の娘さんのことをチャン付けで呼んでいるのだ。

私の名前は五十音順では最初の方になる。携帯電話を悪戯し始めた赤ちゃんが携帯電話をいじって、私の番号を触ってかけてくれることがある。今朝がこれであった。

おかげで久しぶりに話が出来た。なかなか嬉しい偶然であった。

晩秋の近江の旅は、人影の少ないリゾートホテルを宿に選んだ。

琵琶湖の北のホテルである。湖岸の砂浜には誰もいない。いっしょに歩こうと思った娘にも振られたので、本当にひとり。Rimg0371

足下に琵琶湖の波の音が、ときどきぱちゃぱちゃ、ザーン。と言う感じである。

iPod touchに「サラの犯罪」を入れておいたので、それを聞きながら、コートを着たまま。雲の隙間から時々みえる月を見つつ、
(今年も後一ヶ月か)
と思う。

色々ありすぎて、年末に思い出すには、時間が足りないなと今から思う。12月も師走で忙しいしなあ。でも、いい時間を過ごしているなと自分でも思う。感謝だ。

しかし、私が目指している場所はここではないことも私は理解している。が、能天気な私はここにも上り続ける喜びを感じるが。Photo

ホテルで食事の前にベッドで身体を横たえる。一台で走るのと、二台で走るのは疲れ方が違う。信号を待つタイミングがずれるからだろう。

寝て体を休めようと思った。
お休みのときには、娘のチュである。
『お父さん寝るから、チュして』
というと、
「あとで~」
と冷たいお返事。

悲しくなりつつも、本当に眠たかったのでそのまま体を横たえることに。すると、3分ぐらい経ってからであろうか。
「チュ!」
と娘が、私が寝ているところに来てしてくれたのである。私がすねて寝ていると思ったのであろうか。ま、半分すねていたが。

しかし、まだ二歳なのに男を焦らすこのテクニックはどうだ?
誰が教えたんだf(^^;。 骨抜きになるお父さんであった。

Rimg0232 昼ご飯を沢山食べてしまった。景色の良いところで、のんびりとランチで食べてしまった。それで、夕ご飯が食べられるかどうかちょっと心配であったが、食べられた。

今宵のお酒は「不老泉」。
もちろん、いつまでも元気でいてほしいと言う願いである。

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31