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2009/03/28

高校時代に習った「君子の三楽」

義理の父親が、中学校の同窓会ということでこちらにやってきた。
我が家に二泊して行った。今年で卒業して60年になるという。すごいことだ。

久しぶりにおじいちゃんに会う娘。泣くかどうか心配であったが、全く問題なくすぐに馴れた。とても嬉しそうである。

同窓会の話を聞いていて、凄いなあと思ったことがある。
なんとその同窓会に、先生が参加されていたというのだ。

(まてまて、卒業して60年の中学校の同窓会に、先生が参加されるってのはどういうことだ。90歳を越えているんじゃないか?)

と思って話を聞いていた。
そしたら、

「いやあ、天国から手紙が届きましてねえ」
とのことであった。
同窓会で、天国にいる先生から手紙が届いて当時のことがあれこれ語られていたというのである。

もちろん、幹事がそう言う企画をして当時のエピソードを紹介して行く訳だが、そこまでして語られる先生ってのは凄いなあと思った。

同窓会に呼ばれるようになってから、教師の仕事の一つとして「長生き」というのがあるなあと思うようになった。長生きをして、

『この生徒(学生)は、どうしようもない奴だったが、いまはこんなに立派に成長しました。良かった良かった』
とか
『こいつは、まだ芽が出ていないけど、学校時代の彼の活躍を思えば、この後大きな花を咲かせるに違いない。手を抜かずに努力するように。期待している』
とかの言葉をかけるのが教師の仕事だなあと思うようになったのだ。

もちろん、卒業生がそんなことを望んでいるかどうかは別。だが、思っていようがいまいが、するのが先生という仕事なのだと思う。教員ってのは、基本的におせっかいなのである。

東京に戻る前に、近くのガーデンに出かけて行った。私と奥さんと娘と義父の四人でである。

「いやあ、贅沢な環境だねえ」

と義父に何回も言われた。本当にそうである。犬の糞の転がっていない芝生。手入れの行き届いた草花。これらを堪能できるのであるから。

娘がガーデンにある太鼓橋を昇ったり降りたりしているときに、奥さんと義父が前の方に歩いて行った。娘に、

『ほら、おじいちゃんとお母さんがあっちに行ってしまったよ』

と話したときに、当たり前のことに気がついた。
(あ、父と娘だ)
そして、私もいま父と娘なのである。
私と奥さんと娘と義父は、父と娘、そして父と娘なのでありました。

(40年後か? おい、40年後って、俺生きているのか?)

春の訪れたガーデンで、遠い幻を見たような気がした。

こうして義父を招待できて、ふと思うことがある。高校時代に習った「君子の三楽」である。

君子は、

1)両親が元気であること
2)自分が身にやましいことがなく、清廉潔白であること
3)学習意欲満々な学生に教えることができること

が満たされたとき、これを「君子の三楽」と呼ぶのだということを学んだ。

今の私は、2)に問題があるので、三楽ではなく、「2.X楽」なわけだが、それであっても相当ありがたいことである。

もちろん、私が君子かどうかということが問題になるが、これも高校時代に習った「君子の条件」からすると、たしか、君子になっているはずなのだがf(^^;。

義父を駅で見送り、私も東京行きの最終準備である。
今日3/27から3/30まで東京。
明日は私の母親の誕生日だ。
3/30の午後には京都に戻る。

忙しくも充実した、春である。

いどう三題噺

仲間のブログを読んでいると、異動がいつになく多いように感じる。公立学校の教員は、数年でその学校を移る。これが異動だ。学校を移り変わることもあれば、職種が変わることもある。

教員の仕事は、多岐にわたる。専門職であるはずだが、ほんとうにいろいろなことやる。またはやらされる。一つの学校にはその学校でだけ通じるローカルルールがある。印刷一つするにしたって、学校が変われば全く違うことがある。

だから、異動すると常に新人となり、その学校のやり方を一から身につけて行かなければならない。これが意外と面倒くさい。そして、多くの場合、一年間はその学校の仕組みを身につけ、前の学校のことは口にすることなくというようにする先生が多い。

ただ、別のことをする先生もいる。
違う学校に移った時から、新しい学校の悪いところをどんどん指摘して、自分のやりたいようにやる先生である。

私は何人かそのような先生と一緒に仕事をしたことがあるが、うまくいくと凄い力を発揮されることがあった。

私はどうだったかというと、前者であろうとしたが、結果的に後者になっていたことが多かったということであろうか。せっかちなのか、面倒くさがりなのか。そのどちらもなのだろう。少ししか先のことを考えずに、あれこれやっていたなあ、と今になって反省するのである。

仲間たちが、新しい職場でも健康でエキサイティングな仕事をしていくんだろうなあと思いながらブログを読む。

また、移動も仲間のブログに多い。3/28の学び合いの東京セミナーに駆けつけるメンバーがとても多い。日本全国からやってくる。そして、翌日の3/29の授業づくりネットワークの春の集会にも参加ということである。

北海道や九州から駆けつけるのである。
私も自分の人生がこんなに新幹線に乗る人生になるとは思わなかったが、参加する仲間たちもそう思っているだろう。

学び続けない者は、先生の仕事を続けてはならない。
その通りである。

そして、さらに言えば、
ま、あまり固いことを言わなくても良いじゃん。だって、学ぶことは面白いんだから参加するんだし、ということでもあるし。

そして、異同である。

あれこれ同じ講座や集会に参加しながら、学んで帰る内容は異なっているのである。量的に質的に異同がありながら、その異同を楽しむことができるのが、実力のある教師なんだろうなあと思う。

違ったって良いじゃん。だって、私が違うんだし、出会っている子どもたちが違っているんだし。環境も違うんだしと思える教師は、本物だと思える。

私は本物の教師にたくさん出会えて幸せである。
来年度もたくさん会えるだろうことを楽しみに思う。

いどう三題噺でした。

2009/03/26

WBC拾遺 その3

3/25-3

ついでにWBCネタでもう一つ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・中国ネットメディア「千龍網」は23日、「和服の親子を追い出した行為は、絶対に真の愛国ではない」との
     論説記事を掲載した。

     同論説は、武漢市の桜園で21日、和服を着て記念撮影しようとした母子が周囲から罵声を
     浴びせかけられた事件を取り上げ、浅薄な「愛国主義」を批判した。
     まず、「外国の衣裳を着て記念撮影を撮ろうというのは、よくあることだ。母子が非難されたのはかつて
     日本が中国を侵略したことへの“恨み” が原因」と指摘し、「日本への恨みを表明することが“愛国”と
     考えている人が多いが、和服母子を追い出すような行為は、真の愛国ではない」と主張した。
     同論説は「愛国ウイルス」にも言及。同ウイルスは満州事変が発生した9月18日、盧溝橋事変が発生した
     7月7日などに、日本語を使っているOSを狙い撃ちした。

     同論説によると日本の最も「恐るべき」点は、その民度の高さだ。
     07年のサッカー女子ワールドカップの日独戦では、観客のほとんどがドイツを応援し、日本には
     ブーイングを浴びせた。ところが、日本チームは試合終了後、ピッチに集合して中・英・日の
     3カ国語で「中国、ありがとう」と書かれた横断幕を示し、観客に対して深々とお辞儀をした。

     1994年に広島で開催されたアジア大会の閉会式では、6万人が立ち去った競技場の観客席に「ごみひとつ」
     残されていなかったことを、各国の新聞が「恐るべし、日本民族」などの見出しで紹介。
     また同論説によると、阪神淡路大地震では、地元の小さな金融機関が、被災者のために無利子、
     無担保、「本人が連絡先を記入するだけでよい」との方式で、当面の生活資金を貸し出したが、3年後に
     すべて返済されたという「恐るべき事件」が発生した。

     論説は、日本女子サッカーチームの「ありがとう、中国」の横断幕に比べれば、和服の母子を追い出した
     行為は「何の力も持たない」と指摘。愛国心を持つ中国人が学ぶべきは、日本の女子
     チームのように、他者を感服させるよう、自らの民度の高めることだと主張した。(抜粋)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということなのだが、この「恐るべき事件」については、私は記憶がなかった。救援物資が届いたとき略奪は行われず、きちんと列を作って物をもらっていたということは聞いていたが。こういうところこそしっかりとメディアは伝えなければならないと思ったものだ。

そして、今日のすぷりんぐさんのブログをみて、思わずにやりと笑ってしまった。三つ目の号外を配る人の言葉である。

以上、WBC関連で三つ。私が中学校の教員であれば、こういうところを使って授業を作って行くんだろうなあと、思いながら。

WBC拾遺 その2

3/25-2

WBCネタを続ける。
こんなのも見つけた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

お前ら栗原のこと馬鹿にしないでやってくれ、呼ばれたのには理由があるんだから
今回のWBCは急なルール改正で代表選手が33人から28人にしぼられたんだよ
それでそのことが発表された日もWBC代表の33人はみんな練習してた
だけど練習中にコーチたちから28人にしぼられたことと、こぼれおちた5人が発表された
そのとき栗原以外の4人はみんな早々に練習を切り上げて帰っちゃったんだ
だけど栗原だけは「僕は代表選考から外れちゃったけど、今日1日が終わるまでは日本代表選手の1人だから」ってんで他の選手たちと一緒に、最後まで練習に参加してた
それを原監督はちゃんと見てたから、村田が怪我した4分後にはもう栗原を呼ぶ指示を与えてた

引用終了 ーーーーーーーーーー

これも本当かどうかは分からない。
が、実感としてはよくわかる。

劇団四季の関係者の会話を聞いたことがある。
ある大きな役をやっている役者が、なにがしかの理由で急にその役を降りなければならなくなったことがあった。その時、そのステージで踊っている、その他大勢の役者を見回して、監督が
「お前、この役、明日からできるか?」
と聞いたときに、即座に
「はい」
と答えられないようではダメというのである。

そんな簡単に即答ができるのか?と思われるだろうが、
本当に主役を手に入れたい者は、後ろで踊りながら、前の主役のその踊りや歌も一緒に覚えているというのである。確かに、それが分からなければステージにはならない。そして、
(私なら、ここはこう歌う、こう踊る)
とできないとダメのだそうだ。

役が回ってきてから準備ではダメで、役が回ってくる前に準備が終わっていなければならないのである。

ここから得られる教訓は二つ。

1)プレーヤーであろうとするならば、今のためではなく、次のために懸命に準備をする。
2)指導者であろうとするならば、今のためだけでなく、次のために懸命に準備する者を見つけるようにする。

私は、どういう訳かこれについて20代から気がついていた。1)は自分が教師としてプレーヤーである視点で考え、2)は学級担任やクラブの顧問としての視点としてである。

この二つの視点を20代で同時に持てたことは、結構大きな意味を持つことだったと、いま思う。

WBC拾遺 その1

3/25

本日は非常勤講師懇談会。
もう来年度のことは始まっている。
あれこれ打ち合わせをしたり、お願いをした後、昼はパーティ。

私はコップに並々とついだ水を頂く。
(あれ? 日本酒あったの?)
という感じで私のことを見る先生が、ちらほら。

いや、だから水だって。ジュースでもウーロン茶でもなく、水。
そりゃあねえ、昨日のWBCを何回も見ながら、お酒を飲んでいたので、今日は水が美味しいのであります。

試合の結果は、まるで少年雑誌の野球漫画のような終わり方で、本当に気持ちがよかった。

が、私が関心があるのは、その結果もさることながらその周辺で流れているさまざまな情報のことである。

以下、本当かどうかわからないが、ネット上で見つけた文言。

引用開始 ーーーーーーーーーー

    我がキューバを2度も破った日本国のWBC連覇を心から祝福する。
    我がキューバは予選で敗退したが、世界一のチームに負けての敗退だ。
    世界一の日本に負けたことを誇りに思う。
    永遠の友、日本国民の皆様心からおめでとう。

          フィデル・カストロ

引用終了 ーーーーーーーーーー

野球好きのカストロ元議長。これまでも試合についてコメントを述べているし、決勝戦についてあれこれコメントを出しているので、このコメントも恐らくそうなのであろう。

見事なコメントだと思う。

1)自分の国のチームを破った相手国チームをたたえる。
2)自分のチームが世界一に負けたことを伝えることで、自分の国のチームも頑張ったことを伝える。
3)相手国チームの国民に友愛のメッセージを伝える。

ということであろうか。

諏訪哲二氏の近著『自己チュー親子』(中公新書ラクレ)に以下の記述がある。「個人」と「自己」の違いを定義した上で、

55pから引用開始 ーーーーーーーーーー

スポーツマンシップといはいわば「個人」のスポーツ的なあり方である。つまり、相手への敬意(自分への誇り)とフェアプレーの精神であろう。
スポーツは勝ち負けでなく、礼儀とかマナーとか生き方が問われてくる世界だ。スポーツ人としてふさわしい生き方が求められる。だから、勝ち負けだけでスポーツを眺めている人は近代人とは呼べない。

引用終了 ーーーーーーーーーー

57pから引用開始 ーーーーーーーーーー

他人を押しのけて勝ちたい衝動と、相手に敬意を払う気持ちと、ルールを順守するフェアプレーの精神とが内部でせめぎあって、近代スポーツは成立した。だからこそ近代スポーツは、スポーツ人を養成することによって、立派な近代的な「個人」を育成しようとしているのである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

もちろん、日本の野球がすべてこの通りになっているかどうかというと、疑問な点もある。しかし、「育成しようとしている」ということは、多くのスポーツの指導者には得心がいくものであろう。ちなみにもちろん、ディベートの指導者においてもそうである。

そうだとすれば、指揮官はこの観点から見てコメントを交わすべきであろう。
カストロ元議長のコメントは、これらを感じさせてくれるものであった。

2009/03/24

ただ、最後は

娘は、私なら何でも許してくれていると思っている部分がある。実際ほとんど許すのだが、ダメなことはダメときちんと教えなければならない。

今晩、テーブルの上にあったお皿を床に落とした。私が食べていた野菜の入っていたお皿である。野菜は食べ尽くしていたし、床の上にはマットが引いてあるので皿も割れずに大きな被害はなかった。

しかし、そのままにしておく娘は注意しなければならない。

『ダメでしょ。ごめんなさいは?』
と聞くと
「いやいや!」
とだだをこねる。何が嫌なのだか分からないが、ごめんなさいをしない。
『じゃ、向こうで一人でいなさい』
と膝の上から下ろす。当然泣く。泣いて私の膝の上に這い上がろうとする。

『ダメです。ごめんなさいは?』
「いやいや」
『じゃ、向こうで一人でいなさい』
とこれを数回繰り返す。

すると、娘は室内の低い位置に干してあったバスタオルの向こう側に隠れて、こちらの様子をうかがうのである。私が怒っているのかどうなのかを、こっそりと見ている。

(うううう。可愛い)
と思うのだが、ここは我慢。
『はい。出ていらっしゃい。拾いなさい』
そーっと顔を出す娘。
『そう。落ちているお皿を拾いなさい』
ともう一度言う。

すると娘は、拾って私に手渡す。
『おー、お前はいい子だなあ。賢いなあ』
と抱き上げて頭をなで回し、頬をくっつけて褒める。褒めまくる。
すると、娘は満面の笑顔。

床に下ろしたら、絵本を持ってきて、布団の上に座って読んでくれとねだる。お気に入りの絵本を三冊読んであげる。

その後、ずーっと私の側にいた。

子育ては、我慢比べ。
譲れないところは、譲らない。
それは、今から始まっているのだと思う。

ただ、最後は娘のリクエストに只単に応えている、情けないお父さんのような気がしないでもなかったがf(^^;。

2009/03/23

今日も再放送です。

http://tv.yahoo.co.jp/program/5860/?date=20090323&stime=1940&ch=8408

今日も再放送がありました。
しかし、いつやるのか私もよくわかっていないのが現状でして、
いま分かりました。

来年度も再放送するという話も伝わってきています。
使っていただけるのはありがたいこってす。

2009/03/23 19:40〜19:55 の放送内容 NHK教育

* 伝える極意「わたしのことを知ってください〜スピーチ〜」

です。

2009/03/22

桜、入学式の頃には満開かな

今日は2010年度入試に向けてのオープンキャンパスの最初の日。私は学科ガイダンスと模擬授業をしに昼前から大学に向かう。

ディベート大会、明日の教室と続いているので、体は疲れている。しかし、心が充実している。こういう疲れは、良い疲れだ。

ガイダンスは午前中。

新高校三年生がほとんどである。そして、新二年生も少しいる。2009年度から始まる「教育・保育職支援室」の話をしたり、2010年度から始まる「児童教育学科特別奨学金」の話をしたり、児童教育学科が文学部から、人間発達学部に移ることを話しながら、本学の児童教育学科がめざす学びの理念を話した。

午後は模擬授業。
久しぶりの授業である。
とは言っても、もう来週から新学期が始まるのだなあと思う。

ふー、早い早い。

桜、入学式の頃には満開かな。

大学の桜はほころび始めました。

いや、裏切っている

3/21

昼に大学に到着。昼食は糸井先生と一緒に。今日は、生協主催の新入生のための新生活ガイダンス。ちょっと不安げの新しい顔があちらこちらで見られる。

考えてみれば、4年間は短い。
あっという間である。
充実した大学時代にしてほしいと、素直に思う。

明日の教室は、立命館小学校の仲里先生。
前半が算数の話。後半が学級経営の話。

いやあ、いい。
休憩時間に研究室で話しながら、仲里先生の講義の様子に名付けをしていた。「1人模擬授業」「イッセイ尾形スタイルの講義」などが出た。

その目の前に子どもがいるかのような感じで、授業をしているかのように講義をされる。児童はいないのに、そこに児童の姿を見ることができる。

仲里先生の教育観、子供観を示しながら、指導の技術、授業の定石、学級経営の要の話をされる。

参加者は20人程度であった。
「いつも期待を裏切らない明日の教室ですね」
何人かの参加者に言われた。

本当にそうである。
全部参加している私がいうのもなんだが、本当に期待を裏切らない。いや、裏切っている。
期待以上なのだから、よい裏切りなのかf(^^;。

懇親会はいつもの場所。
前回は糸井先生がマンツーマンで仲里先生と話されていたので、今回は私がと思ったのだが、参加者のみなさんが、交代ごうたいで話をされている。

私はホストであるからして、今回もちょっと我慢。
こんなこともあるかもしれないと思って、研究室であれこれ話しておいて良かった。

今私が持っている問題意識に付いて、意見を求めたら
「そこはとても難しいものだと思います」
と話されていた。
やはりそうか。でも、ということは、解明に値するものだということも確認できたわけだ。うし。

でも次回は、懇親会で話すぞ。

私は何人かと二次会へ。
最近飲んでいる「臭い」ウイスキーを飲みに。

怪しく、楽しく飲んでいたら、結構な時間に。
やっぱり良い時間だ。こんな学びとコミュニケーションの場を一ヶ月に一回持てるというのは、実に贅沢だ。

4月からも、良い時間を続けたい。
次回は4/25。私のライティングの師匠を東京からお招きします。どうぞ、お越し下さい。

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