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2009/05/02

駆け足に変わったんだなあ

5/1

早起きした娘に一緒に起こされる。
そういう寝覚めもいいものだ。

今日から五月。
どうやら檜科の花粉も大丈夫のようで、我が家もやっとリビングの扉を開けられるようになった。

そこで、テラスに「体にフィットするソファ」を運び出して寝転がる。
前からやってみようと思っていたのだが、今日が初めて。
いやあ、極楽であった。

空の青と湖の青を感じながら、ゆったりしていたら寝てしまった。
ま、ゴールデンウイークである。

「あら、○○ちゃんのところにいるの?」

所用があって私の母親に電話したら、こんなことを言われた。○○には私の娘の名前が入る。娘の声が電話から聞こえてきたときのことだ。

って、お母上、ここは私の家です。源氏物語の世界ではありません。

我が家の対岸に新しいお店が出来たのでランチを取りに行く。前からあった「アンチョビ」という店が、琵琶湖ホールの横に出店したのだ。

なかなか美味しかったので、今日のランチにと思って出かけた。
日差しは気持ち良く、風も心地よい。

で、料理そのものはまあ、良かったのだが。
私のオーダーを通し忘れていたり、出す順番がぼろぼろだったりで、もう少し落ち着かないとダメかもしれないと思った。オープンして一週間も経っているので大丈夫だと思ったんだけどなあ。落ち着いたらまた行ってみるか。

食後芝生で遊ぶ。

奥さんは娘のためにクローバーの花で冠を編んでいた。
頭に何かを載せるのを嫌がる娘は、瞬間しか冠らなかったが、それなりに可愛い写真も撮れたし、父は満足。

連写でガンガン撮影したのだが、モニターでよく見てみると、しっかりと走っているのがわかる。
空中に浮かんでいるシーンがあるのだ。
早歩きから、駆け足に変わったんだなあ。

自宅に帰るころには、娘はぐっすり。
車から部屋まで抱きかかえる。肩に涎が。
相当疲れたようだ。あれだけ走り回ればねえ。
でも、それが良い。

早めに風呂に入って、原稿の校正や何やらをする。
ゴールデンウイークのスタートである。

2009/05/01

池田ゼミ第一回懇親会

ちょっと用事が出来て1限はないのに、大学に早めに向かう。
初夏の日差しを浴びて、大学は美しい。

学内をうろうろしていたら、スコップを持った集団に遭遇した。何かと思えば、筍掘りグループである。幼児教育コースの授業の一環で、筍を掘って料理して食べるというのである。自然豊かな本学ならではのカリキュラムである。

たまたま通りかかったご年配の先生が、筍掘りのレクチャーをされていた。私はなぜか、

(今は昔。竹取りの翁という者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ・・・)

というフレーズを呟いていた。

国語科教育法1の授業では、三回に一回はスーツで来るようにと指示を出してある。

スーツに着慣れて行くことが三回生は大事だからである。半年後にはこれで企業を回りはじめる学生もいるわけである。きちんとした服装が自然に着こなせるように、いまから練習である。

ちなみに、池田ゼミは毎週スーツで来るようにと指示を出している。彼ら彼女らは5ヶ月後には教育実習なのである。タイトスカートでも走り回れるようになっていなければならない。ま、実際はパンツスタイルかジャージであったとしてもだ。

授業の課題をチェックし、ゴールデンウイーク開けの授業の準備をする。さらに児童教育学科で購入した備品のチェックや原稿のチェックを進める。

外は晴れていて気持ちが良い。
今日は池田ゼミの第一回懇親会だ。
一度家に帰って車を置いて、それから出かけた。

一次会では、なんと句会のようなものをした。
桜をテーマにして俳句か短歌かを作ってくるという指示が係から出ていた。それを元に、俳句と短歌の混じった句会を行ったのだ。

私が正式な句会のルールを示しそれに基づいて実施であった。
句会は初めての学生だらけだったが、一発で魅力にハマったようだ。確かに、句会の方式は面白いのである。

二次会は久しぶりにカラオケに。
私は馬鹿は嫌いであるが、馬鹿になれない者はもっと嫌いである。
そう言う意味で言えば、池田ゼミはなかなか良い奴が多いと思った。

これで勉強をもっとするといいぞ(^^)。

2009/04/29

「メモ」と「質問」の仕方を講じる

4/29

昨晩は、糸井先生に教えてもらった琵琶湖湖畔のレストランで、ディナーを取った。インターネットで調べたら、なんと期間限定で1500円で良いとのこと。びっくり。

通常は4000、5000円ぐらいはするのに。
ありがたやである。

娘も、騒がずにきちんとお食事が出来た。良かった。
後ろの席で話し込んでいる女性陣の方がよほど五月蝿かったなあf(^^;。ま、たまたまかもしれないがこれなら他のお店にも連れて行けるぞ。

今日の授業は、研究入門ゼミである。
今日は「ふるさと自慢」スピーチである。

スピーチの基礎技術としての「ナンバリング」を活用する。そして聞く側の基礎技術として「メモ」と「質問」の仕方を講じる。ゼミでは、このメモを取ることと、質問で運営される。だから、ここをしっかりと教えておく必要があると考えている。

学生たちは小グループを作って発表し、グループ代表にゼミ全体で発表してもらった。なかなか良い。大学は全国から学生が集まっているので、「ふるさと自慢」にも熱が入る。

面白いのは、スピーチしている本人は当然みんなは知っているであろうという内容に質問が来ることである。

「このお城は、○○さんがお殿様のときに築城された城で・・・」
と語るのだが、○○さんって誰?となるわけである。

大学ならではの授業課題である。

午後は、学生の板書の課題を指導したり、事務仕事をしたり、会議会議、会議、会議、会議をしたりしながら過ごす。

学科の会議はいつもながら長いのだが、これは実に面白く大事な会議なのである。面白いというのは、私が勉強になるという意味で面白く、大事というのは大学を作るために大事という意味である。

このクオリティを保つためには、このぐらいの時間はかけないとダメなんだろうなあと思う。ちなみに、今日は4時間やっていた。

その4時間を学科の教員があれこれ知恵を絞り続ける。
これは凄いことだと思う。

大学の教員を見ていて思うのは、知的体力が凄いということだ。
考え続けるための体力が並大抵ではない。

私は考えるところ、考えないところの差があるのだが、私の周りの優れた大学教員は、考え続けるのである。凄いなあと、思う。

9時過ぎに帰宅。
奥さんから昼間の娘の様子を聞き、笑う。

娘は、人様にも笑顔を届けているようだ。
良かった。

みなさん、窓の外の空を見てください

4/28

国語科教育法の授業では、先週の「板書」に引き続いて、「教師の声」について講義と演習を行った。

授業は、声で行う。声を使っている時間が長いか短いかは別として、声を使って授業をしている。書くこと、話すことがしっかりできるようにならねばならなぬ。もちろん、読むこと、聞くこともそうであるが、まずこの二つだ。

1)発声は目的、状況に応じて変わる
2)声の出し方の実際

について90分行った。

2)では、

・正しい発声とは?
・どんな声を教育では使うのか?
・どうやって声を出すのか?
・どうやって話すのか?

をいろいろな本を引きながら扱った。

最近出た本で良いなあと思ったのは、以下の本である。

『先生にこそ磨いてほしい 「ことばの伝達力」ー教室で役立つ30のヒント』(加藤昌男著 NHK出版)

私は話し方については音訳をやっていた奥さんに教えてもらったり、独学でやって身につけてきた。それなりに話せるようになったが、教師はこの部分をきちんと身につけねばならないと本当に思っている。これだけで半期の授業があっても良いと思う。

話の中で、竹中直人さんの芸についても触れる。そう、「笑いながら怒る」である。

http://www.youtube.com/watch?v=Y-OGcBZU66E

この芸は、実はとても難しい。私も一ヶ月ぐらい練習をしてやっとできるようになった。笑っていた先生がそのままで突然怒りだす。子どもたちから見たら相当怖い。

こんな技を持っていたところで、教室で使うチャンスはあるかどうか分からないが、親睦会の一発芸ぐらいにはなるだろう。身につけることを勧めた。

1)については、何を話すのか、という項目も扱った。授業の中と授業の外に分けて、授業の中では指導言について説明。

・指示
・説明
・発問

である。指示の大切さを具体例を使いながらあれこれと話す。学生たちは、発問が大事だと思っているのだが、指示が通らなければ発問なんかできないことが分かっていない。

『今から、端的にこの三つを実演してみましょう』

と言い、やってみた。

『みなさん、窓の外の空を見てください。空は、青いです。では、なぜ青いのでしょうか?』

つまり、

・指示:みなさん、窓の外の空を見てください。
・説明:空は、青いです。
・発問:では、なぜ青いのでしょうか?

という構造になっているのである。指示が通らなければ、説明も、発問も意味をなさないのである。

また、雑談の大事さもあれこれ語った。

教室で、授業中に、職員室で、保護者と。雑談と言うか、余談と言うか、この部分が出来る先生と出来ない先生では、ずいぶん教育のゆとりが違ってくると思っている。

話す、も実に奥が深い。

2009/04/28

「点いた、点いた!」

娘はどんどん大きくなる。
他人の子どもの成長は早いと言うが、自分の子どもの成長も早いと思う。

昨日は、ベランダで使うサンダルを買いに行った。
奥さんは奥さんで、私は私で同じ店で下見をしていたのだが、昨日一緒に買いに行った。
そしたら、同じものが良いということになっていた。
迷わず購入。

なんというか、シンプルなものがなかなか売っていないのだ。
別にキャラクターは要らないのだが、そういうのがついているものが多すぎる。
子どもにはシンプルなものを与えたい。

早速ベランダで履かせてみる。嬉しそうに歩いている。
すると、ベランダに置いてあるライターに手を伸ばし
「点いた、点いた」
という。

つまり、このライターを使ってキャンドルに火を点けろというのだ。
覚えているんだなあ。

早速姫のご指示に従って、キャンドルに火を点けると、やっぱり
「点いた、点いた!」
である。

嬉しそうな娘の顔がいい。

2009/04/27

首夏  佐藤春夫

4/27

専門ゼミ。
今週までは私がチューター。
チューターと司会とまとめ役の三役をしながら、ゼミの進め方を具体的に示すことを試みる。

来週からは、チューターが学生に変わる。
私のお役目は、最後の15分で意見を述べることが中心になる。

ゼミでは、季節係というものを置いている。毎週1人5分程度で今の季節に関するものごとを説明する。

今日は大学に隣接している敷地に育っている果物の写真から、あれこれ話があった。ネットに食い込んで成長している柑橘系の果物の写真だった。なかなかおもしろい。来週も楽しみだ。

季節係の学生が
「春感覚から夏感覚に変わった感じがしました」
と発表していたのであるが、それはその通りなのである。

今年の4/25は、旧暦の4/1である。つまり、旧暦ではここから夏になるのである。初夏なのである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

首夏

               佐藤春夫

行く春の名残の空を
ほととぎす過ぎり(よぎり)とよもし
背戸の山吹ふぢつつじ
落ち散る水に蛍とび交ふ

引用終了 ーーーーーーーーーー

旧暦と一緒に一年を過ごすと、体の感覚はこちらに近いと感じることが多い。件の学生も図らずもそうであったということになる。

四月一日さん、小鳥遊さんなどの話や、カタカナと漢字の書き順の話もして、先週の授業への質問に答え、『街場の教育論』へとゼミは続くのであった。

ああ、前フリの長いこと。

授業後はいつものように、授業の片付け、準備、事務仕事。
また今週も始まりました。


2009/04/26

今年の近畿はちょっと強くなるかも(^^)。

昨日は、陰暦で4/1である。
ということは、陰暦では夏に入ったことになる。
ではあるが、大雨。
雨から入る、今年の(陰暦の)夏である。

昼前に大学へ。
今日は全国教室ディベート連盟近畿支部の学習会があるのだ。
論題検討会、審判講習会、ディベート入門講座である。
会場として本学を使うことになったのだ。

会場校として、あれこれ準備に走り回る。
案内の文字を筆で書いて、張り紙を事務方の学生に渡す。

『まっすぐに張ってください』

と言いながら。

あちこちを見て回ってから、その張り紙を見たら、曲がっている。
きちんと張るように二人にお願いしておいたのに、曲がっている。
私が直そうかとも思ったが、止めた。
ここで私が直したら、この学生たちはこのままいく。
それじゃ、ダメだ。

『まっすぐに張って下さいといいましたね。曲がっています。しっかり張り直してきてください。こういうところがいい加減だと、いい加減な団体だと思われます』

単に張り紙を張るだけである。だけど、そこにその人が現れる。その団体が現れると私は考えている。小さなところに気を配れない者が、大事な大きなところに気を配れるわけがないと思う。他の大学の学生である。わざわざ人間関係を壊す必要もない。しかし、ここをスルーするのはこの学生のために良くないことだと私は判断する。ああ、教師は面倒くさいとも思うが、この仕事を選んだ以上はここはスルーできない。

論題検討会は、中高同時進行で行われた。私は、中学校の論題検討会に出席。関西電力から専門家にお越し頂き、講義を頂く。
いやあ、おもしろい。電気自動車ってそうなのね。

ちなみに、今年の中学校論題は、以下のものである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

中学: 「日本はすべての乗用車を電気自動車に切り替えるべきである。是か非か」

*乗用自動車とは、主に人の移動に使用される定員10人以下の自動車とする。

*電気自動車とは、二次電池、太陽電池、燃料電池からの電気のみを動力源とする自動車とする。
*2026年1月1日以降、国内では電気自動車以外の走行を禁止するものとする。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この付帯事項が実に絶妙な設定であることが分かった。今日の論題検討会の講師の先生も唸ってました。

教えてくれる人がいるというのは、実に有難いなあと思う。私は教えてもらうより、自分であれこれ考える方が好きで、それで結構遠回りの人生をしてきたのだ。が、教えることをしっかり理解している人に教わるのは、実に気持ちのよいものであると、今日の検討会で改めて思った。短時間で勘所を押さえてもらえるのは、ありがたいことだ。

その後私は、ディベート入門講座の講師を担当する。
当初聞いていた話では35人ぐらいということだったが、ふたを開けてみれば50人以上いる。
それも全くディベートをやったことのない中学生から、春の近畿大会で決勝にまで出た高校生までいる。そんな中でどこをストライクゾーンと設定したら良いのかを考え直して、開始5分前に2時間の講義を練り直す。ストライクゾーンは、全くディベートをやったことのない生徒とした。

当初の予定の時間は2時間30分であったが、前半の検討会が伸びたので、持ち時間は2時間になる。ではあるが、10分だけ延長を許してもらって、ディベート入門のあれこれを説明と演習で行う。終わったとき片付けをしていたら、中学生が仲間につぶやいていた。
「今更入門講座って言われてもねえ、と思っていたけど、全然違ったよな。これ、そうとう凄い講座だったよな。スンゲー力がついたと思う」
『そう?』
と思わず反応してしまった。

そして
『私の講座は、入門だからね。入門でもここまでは必要だと思って作ってあるのだよ』
「はい」
『さ、ここから先はあれこれ自分と自分の仲間たちで作り上げるのだよ』
「はい」
となった。

結果的には、ディベート経験者にも満足のいく講座になったようだ。
今年の近畿はちょっと強くなるかも(^^)。

(あ、この先生は手に入れたようだな)

今年度最初の明日の教室。
ライティングワークショップであった。パラグラフライティングを学ぶ。
講師は、倉島保美先生。もう15年ぐらいのお付き合いになる。

私が修士論文を書いているとき、ご指導を頂いた。
目次だけで18回書き直したが、そのときに論理の整合性を見ていだいた。

いつもは、パナソニック等で企業研修をされているのだが、
年度始めは、企業研修が行われないので時間があるとのことで、
明日の教室でお願いすることができた。

一週間前までは20人弱だった参加者が、開けてみれば当日参加の方も含めて40人以上の参加となった。
大盛況であった。

また今回は、書籍『明日の教室』第一巻の販売も行えた。
用意した本のほとんどがあっという間に売り切れた。
ありがたい。

「パラグラフとは何か」

から始まって、3時間たっぷりと「書く」ということについてレッスンを受けた。
頭では分かるが、なかなか出来ない。分かると出来るは違うのである。

私がレッスンを受けた時は土曜日に8時間。それを3週間。つまり、24時間のレッスンを受けたのである。
だから、3時間でできるとすれば、それは相当凄いことになる。

今回が私のゼミの学生たちも参加していたが、卒業論文にこの文章のレベルを池田は求めているのだということを感じ、
「私は何年で卒業できるのでしょうか?」
と戦いていたf(^^;。しっかり4年で教職に就いて卒業するように。

「何か質問はありませんか?」

ということだったので、私も質問。
『〜ということだったのですが、これを思いつかない場合はどうしたらいいのでしょうか?』
「それは、私の範疇ではないので答えられません」
という答えであった。

さすが倉島さんだなあと思う。
自分のエリアをきちんと理解されていて、それ以外の部分には安易に踏み込まない。
その上で、仮説として答えられる部分を答えていた。

で、この部分だが、私は若い先生方が実は宝をもらったと思っている。
倉島さんは、この部分はきちんとした理論はあるが、児童生徒用には開発されていないことを示されたのである。

ディベートの実践に取り組み始めた時のことを思い出す。
ディベートはどうやらアメリカやイギリスでは学校での実践がある。しかし、日本にはビジネス書で紹介されている程度であった。
それをあれこれと仲間たちと研究し、一つの指導方法にまとめるまで約15年掛かった。大学院まで行ってまとめた。それで大学に職を得ることになった。

今回の明日の教室で提示された問題点も、同じかも知れない。
この問題点は、アメリカの学校等では解明され始めていることだろう。
これを日本の子どもたちにうまくできるようにするのが、学校現場で指導に当たる先生の仕事ではないかと思う。

昨日参加された若い先生たちが、10年、20年とこの課題を解決するような実践を重ねて行くことになると、学校教育における「書く」の指導がずいぶんと改善されるであろう。

ライティングの講義であったが、実はそれはもう一つの側面を持っている。それは「読解」である。
この読解について、疑問を持たれた先生もいた。

片付けをして懇親会に参加する準備をしていたときに、私に質問を頂いた。
「先生、ということは読解は、・・・」
という言葉を聞いて
(あ、この先生は手に入れたようだな)
と思った。

忘れ物があったので研究室に戻ったのだが、そのときに一緒に来てもらった。
あきらかにその問題点に気がついているのが分かったので、話が出来ると思ったからだ。
『そうだと思います。読解です。さすがです、良く気がつきましたね』
短時間だが、あれこれ話す。

ここを解明することが実は私の課題でもある。
ここに気がついた先生に協力してもらってなんとかしたいなあと思う。

同じ講座を受けながら、気がつくポイントは実は違う。
いや、もちろん同じことも感じるし、考えるのだが私が考えていたことと同じことを考えていた先生は、
ほとんどいなかった。この「読解」のポイントは、最初の6年前の講座のときに気がついていたのだが、
そのときに同じ講義を受けていた仲間の先生は気がつかないでいた。

興味の問題なのか、目的の問題なのか、感性の問題なのか。
何がこれを生み出すのかは、分からない。
しかし、気がつく先生もいるんだなあと、今回はとても嬉しく思った。

解決の道筋は、私にはぼんやりと見えている。
なんとかしたい。

倉島さんからは、講義の最後に
「懇親会に参加しない勉強会は、出る必要がない」
というお言葉を頂いた。私が常々学生たちに言っている言葉である。

私が常々思っていたものを、あるとき上記のような言葉にされたので、やはり同じことを思っている先生がいると思い、私も自信を持ってそれを伝えている。
倉島さんも同じく倉島さんのライティングの恩師に同じ言葉を言われたそうなので、三代に渡って言い伝えられている言葉と言っても良いのである。

教師にはコネは必要ないと思うが、人脈は大事だ。
仲間がとても大事だ。

嘗て私が20代のはなたれ小僧だった時、私は自分の力だけでだいたいのことは出来ると思い込んでいた。そして、あるときに気がついたのである。
自分の力だけでできるというのは、自分が適えようとしている夢や目標が小さいからだということにだ。
別の言い方をすれば、自分が抱えている問題が小さすぎるからとも言えた。

幸い私はお酒が嫌いではなかったので、何かあると飲み会に参加した。参加した以上は、最後までいることということも先輩先生から学んだ。
もちろん、これでとんでもない目に遭ったこともあるが、参加するなら最後までというのは大事である。そうこうしながら5年、10年、15年と積み重ねて行くうちに、
私には勿体ないぐらいの仲間たちが側にいてくれるようになった。困ったときに助け合いだけでなく、同じ目的に向かって力を出し合う仲間とチームを組むことができるようになった。

教師は学力がなければできない仕事である。しかし、学力だけでできる仕事というのは、世の中には存在しないはずである。教師という仕事も同じである。
その人の力で教育という仕事はなされるのである。そして、その人というのは実はその人だけのようにみえて、その人とその人の仲間たちからで成り立っているのである。

それを成り立たせる場所が勉強会と懇親会なのだと思っている。
どちらも参加することが大事なのである。

倉島先生、ありがとうございました。

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