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2009/06/05

結局8時間ほどワープロに向かっていた

6/5

疲れたので、心の栄養を手に入れようと、食事後は読書に没入する。

感動のうちに『寄生獣』(全10巻)を読み終え、『サンクチュアリ』(全12巻)に手を出す。
いまは漫画の物語欲求が私を支配している。名作と呼ばれていたもので読んでいなかったものを次々と読破している。

寝ようと思ったら、実習をしている学生からのメール。
読むと、これはすぐに返事を書いた方が良いと判断。そこからあれこれ書く。

大丈夫だ。
自信を持って授業に挑め。

で、そのまま寝るタイミングを外してしまったので『サンクチュアリ』を読み続ける。ラストシーンは翌日に残しておいて寝る。

朝、件の学生からメール。大丈夫そうだ。頑張れ。
そのまま、『サンクチュアリ』のラストシーンまで読破。さすがの名作であった。
午前中は、午後の執筆のためにテンションを高めることに時間を費やす。

今日は授業のない研究日なので、昼ご飯にはお手製のペペロンチーノを用意する。ニンニクを使っても大丈夫ということである。エネルギーを胃袋からも注入である。

昼過ぎに娘を病院に送ってから、研究室に向かう。途中で、コーヒー豆を購入。大学の近くにコーヒー豆を自家焙煎している店が二件ある。そのうちの一つに行く。

私は、どうも飲めるコーヒーと飲めないコーヒーがあることに気がついた。どうやら豆が酸化しすぎているものは、すぐにお腹に来る。つまり、焙煎してから日数が経っているものはだめということだ。

飲めるコーヒーは、焙煎してすぐのものである。だから自家焙煎をしているところの豆で飲むコーヒーは、美味しいだけでお腹に影響することも滅多にない。ま、コーヒーは嗜好品であるからして、飲みたいときに飲めるものだけを飲めば良い。自分の好みでやればいいものなのだから、贅沢にやる。

一番回転の速いブレンドコーヒー豆100g300円のものを50gだけ購入。折角の豆を酸化させてもなんだから、少しずつ買うのだ。ああ、贅沢。
さ、原稿だ。

気がついたら四時間ほど続けてワープロに向かっていた。
今日は珍しく、メールがほとんど来ない。

BGMは、Absolutely Smooth Jazz on Sky.fmで流しっぱなし。
だんだん海のそこに沈んで行くかのような感覚に捕われる。
世界から切り離されて行く感覚だ。
うーん、沈んで行く。

でも、4300字の原稿を書き上げなければならない。

ふう、もう22:00を回ったか。結局8時間ほどワープロに向かっていたことになる。
なんとか仕上がった。明治図書の『国語教育』8月臨時増刊号である。

途中、メールがないなと思っていたら、大きな案件のメールが来た。これにはじっくりと考えて返信。ひょっとしたら、原稿に勝るとも劣らないぐらい神経を集中して書いたかもしれない。

なもんで、22:00を過ぎてしまった。
にも関わらず、お腹が空いていないのが、ちょっと怖い。

さ、今日はこれまで。
よく働いた。


2009/06/04

教育実習から帰ってきた学生と面談

6/4

携帯電話の行方をあれこれ思いながら、夜を過ごす。

考えても仕方がないことを考えるのは、非常にストレスフルである。そのような案件は、考えないことにするというのが、私のやり方なのだが、それらがあれこれたまると、一つ二つと首をもたげてくる。難儀なこった。

でまあ、寝ようと思ったところにメール。
確認すると教育実習に励んでいる四回生からである。二人から来た。

ある学生は、一年間頑張って板書の練習をした成果が出たようで、自分の名前を自己紹介で黒板に書いたら、生徒から「上手い」、「上手」という声が聞こえてきたと嬉しい報告。指導を許されるポジションを手に入れたようだ。

またある学生は、実習で自分の勉強不足に改めて気がつき、戦いているとの内容。本人の希望もあり、活を入れる。
『何言っているんだ。通常の教育実習生の10倍はあれこれやっている。自信を持って取り組め』
と。
本人から返信がある。頑張れそうだとのこと。良かった。

車の中も、研究室も携帯電話は発見されず。
大学の中もあれこれ捜すのだが、発見されず。GPS機能がついているわけでもないので、見つからない。うーん、気分は優れず。

1限は、教育実習から帰ってきた学生と面談。個人の面談は、教育実習の場合はやらなければならいものではないが、本人が是非報告したいとのことだったので、それでは伺いましょうかということで、会う。

爆笑であった。

いまの中学校現場を思うと、良く彼女はこの実習を生き抜いてきたと思う。指導していただく先生が二人いて、二人とも面倒見ては呉れなかったというのだ。その中で、国語科教育法で身につけたあれこれを駆使して、実習を走り抜けたのである。

そして、こともあろうか、すべての先生の授業を参観するだけではなく、その先生方の授業を評価していたとのことであった。それは、授業を拝見した時のメモが良く取れていて、授業の目的と指導方法を見る目が育っていたことから、そのメモを元にして書いたレポートが良く書けていたというので、先生方から依頼があったというのだ。
「この授業の目的と、この指示がずれているように思います」
のようにやってきたというのだ。
怖いもの知らずであるf(^^;。
実習生が指導主事の仕事をしているのである。

さらに、研究授業では、
「実習生がここまで授業をするのを初めて見た」
とまで言われたそうだ。努力を重ねていた学生であったが、それが一つの結果となって出たようで、指導をしていた私は嬉しく思う。

研究授業に関して彼女の言葉で印象的だったのは、
「あれ、これどこかで見たシーンだと思ったんです」
と、自分の研究授業をデジャブのように見ていたとのことであった。それは、グループで話し合いをさせたら、グループ間の意見がずれて行くというものであった。

これは去年の授業内の模擬授業をさせたときに、起きた現象である。その時、彼女らはそれぞれのグループの中に入り込んで説明をしていたのだが、これがうまくいかなかった。このことを思ったのだろう。

「生徒のグループにそれぞれ説明させようと思ったんです」
と彼女は指導の方針を変えて臨んだのだそうだ。
「そしたら、生徒たちが自分たちで説明し合って、正解に辿り着いたんです。私が説明するより良かったと思います」
と言っていた。

彼女の進歩である。
生徒同士の意見が分かれる。ここを作り出して、教師は一歩下がって子どもたちの議論に任せる。これが出来るようになると授業のレベルは上がる。

彼女の場合、意図的に議論を生み出したかどうかは分からないが、その後の一歩下がって子どもたちに任せるということは出来ていた。ここが進歩したところである。

「先生、実習の最終日に、魔除けの和綴じ本のひもが切れました。私を守っていてくださったんだと思います」
何とも印象的な出来事だ。
国語科教育法1、2のまとめとして作ってある4冊の和綴じ本を参考にしながら教育実習を終えたのである。

そして、その実習の最終日にひもが切れたとのことであった。
「遠く離れて京都にいらっしゃる先生に、ご指導を頂きながら実習を終えることができました。ありがとうございました」
とその学生は話していた。

『んにゃあ、違う。あの一年間の授業をやり抜いてきた君たちである。だから、実習を無事に終えることができたのだよ。やらないものには出来ないのだよ』
「先生、私、大変な実習だったのに、実習に行く前よりも今の方が強く先生になりたいと思っています」
『そうか。それは良かった、で、いいんだよなf(^^;。』
「はい。先生にご指導いただいて本当に感謝しています」
『ん、まあ、がんばれ』

良かった良かった。
彼女には、2限で行っている今年の国語科教育法で少し、上記のことを話してもらった。後輩は身を引き締めながら聞いていた。

ご苦労さん、先輩。
これから頑張れ、後輩。

午後、研究室で読書。
読書、読書。
原稿に手が伸びない。

あまりにも伸びないので、気分転換。
もう一度、携帯電話のありそうなところを歩いて回る。
研究室、印刷室、トイレ、共同研究室、編集室・・・。

外の空気も吸いに。
一度見たところをさらに見て回る。
駐車場、車の中、車の荷室。
ん?

あったああああああ。

荷室に落ちていた。
デイパックを荷室に置いたときに、そこからこぼれ落ちていたようだ。いやあ、気分が良くなった。
これで原稿に向かえる。

が、明日にしようf(^^;。
凄く大きな仕事をした気分だ。
今日は疲れた。
気疲れである。




2009/06/03

ただいま、携帯電話失踪中

6/1の夜に使った記録があるのですが、いまどこにあるのか分かりません。
呼び出しで鳴るのですが、どこで鳴っているか分かりません。
ということで、ご理解ください。

うーん、どこにいったのだろう。

えーと、どこぞに子どもはいないか

6/3

昨夜は、いい夢を見ようと思いながら、体にフィットするソファで撃沈してしまった。ま、ソファとしては気持ちがいいのだが、さすがに蒲団としては効能は今ひとつであった。ただ夢はなかなか良いものであった。

寝起きはちょっと体がだるい。
風呂に入って血の流れを良くする。
熱めのお湯を浴びて、読書。
これも、なかなか良い。

入門ゼミでは、文章の書き方の入り口ぐらいをあれこれやる。じっくりとライティングだけで前期の授業をやる必要があると思うのだが、なかなかそうも行かない。

ではあるが、書くための規準を示しておくことは、大事である。
学生たちに示したのは、宇佐美寛先生のものである。『新版 論理的思考』(メジカルフレンド社 2006年)

イ. 一文をできるだけ短くする。<一文一義の原則>
ロ. 主語をあらわに書き込む。<主語明示の原則>
ハ. 文末は端的に言い切る。<簡潔文末の原則>

である。

あらかじめ課題にしてあった400字程度の主張作文を元に、これらが出来ているかどうかを点検する。

しかし、自分で自分の文章を点検するのは、実は難しい。なんとなれば、自分は「正しいと思って」書いているからである。間違っていると思って書いている文章など、基本的にない。自分の言いたいことなのだから、自分が一番理解する。だから、どこが間違っているのか分かりにくいのだ。

そこで、6人ぐらいのグループにして、その400字の作文を回覧させて、上記のイロハのどれに該当するか、グループの仲間に確認させることにした。他人の文章は、おかしなところは発見しやすいものである。

回覧後、指摘を元にして、書き直しの作業をさせた。次週、それを清書して提出である。

で、私は午後、書籍版『明日の教室』第四巻の最終校正に取り組んだのであった。第四巻のテーマは「子どもに接する・語る」です。

教育学者、心理学者、実践家、コミュニケーション教育、特別支援教育の専門家、劇作家・演出家のみなさんが、このテーマに向かって縦横無尽に筆を勧めてくださっています。最終チェックで読み終えて、私、興奮しています。

(えーと、どこぞに子どもはいないか。授業がしたいぞ、クラスに行きたいぞ)
(うーん、来月もアマゾンで本を買いすぎてしまうかなあ)

という思いになっています。みなさんも、そうなるでしょう(^^)。

ではありますが今月は、第三巻「授業をつくる」が出ます。
順番にお楽しみください。
恐らく、上記と同じような思いに至ると思います。

DVD 明日の教室 ver2

http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

先日の、野中信行先生の講座がDVDになります。
乞うご期待。

2009/06/02

現場上がりの大学教員として

6/2

授業二つと打ち合わせ二つ。
本当はもう一つ入っていたのだが、先約があったので、これはごめんなさい。

授業では、「学習ゲーム」について、定義と実際を行う。今の三回生が小学校4年生ぐらいのときに学習ゲームは書籍として世に出ている。だから、体験している学生もいるかと思いきや、ほとんどいない。

手を上げている学生に聞くと、学習ゲームではなくクイズを取り入れた授業であることが多かった。

実際のところに行く前に、もう一つ大事なことを講じる。それは、「池田が学習ゲームに出会うまで」である。

いや、別に「池田」が大事なのではない。一人の実践家が、一つの実践の理論に辿り着くまでにどのような道筋を経て行ったのかということを伝えるために、一つの例として、私が一番良く知っている「池田」を例に出したのである。

教育実践記録というものがある。生活指導の記録などは詳述されているものが多い。だが、一つの教材をどのように開発し、それを元に指導する、その結果どうなって行ったのかということを端的にまとめる「授業レベルの」記録というのは、あまり多いとは言えないだろう。

目の前の子どもがいて、その子どもを分析し、どうやって指導の土俵に載せていったのか、そのときどういう教材、指導方法を開発したのかというその過程を説明している実践記録はあまり無いように思う。

逆に言えば、本には「完成された教材」が「ネタ」として並べられているのである。

私は、これはこれで大事だとは思うが、現場での指導力を付けるためには不十分だと思っている。一つの「完成された教材」。そして、そこから生まれる「授業」は、その教室で生まれていわけである。子どもと教師の関係性の中で生まれてきているものである。

だから、その関係性の部分を理解しないままに「ネタ」だけやるというのは、不十分であると考えている。

もちろん、寿司屋に行って
『イカ』
と頼んだら誰であっても、イカがでてくるわけで、タコが出てくるわけではない。ネタというものは元来そう言うものである。

ただし、凄い寿司職人になれば
『イカ』
と頼んだときに、その人の性別、年齢、顔色、お酒の進み具合などを見て、握りの加減やご飯の量の調整、さらには米の砂糖やお酢の配合まで変えて出してくれるはずである。お客との関係性の中で握ってくれるはずである。いや、仕込みからそうしているはずである。

私が言いたいのは、この凄い寿司職人のレベルのことを、授業の職人としての教師が、目の前の子どもとの関係性の中で作り出す必要があると考えているのである。

そのためには、学生たちには「完成された教材」だけではなく、「アイディアの段階の教材」が「不十分な教材」として動きだし、「完成された教材」へと向かって行く、ヴァージョンアップの過程を示す必要があると考えている。

ここが、やがて出会う子どもたちと作り出す授業の一つの要になると考えている。

学生たちは、私が示す授業や授業のアイディアを、
「いやあ、先生は凄い。そう言うのをすぐに思いつくのですね」
なんて感想を書くことがある。

何を言っているのかね。そんな分けないでしょ。私が良く行う漢字指導の実践だって、7年間掛かって完成させているのである。それを授業では30分弱で説明しているだけである。

こんな誤解をなくすためにも、実践が生み出されて行く現場を語ることは、現場上がりの大学教員としては大事なことではないかと考えている。

『私はこうして、子どもたちと出会い、教材と出会い、授業と出会ってきた。その時は必死だったから、これが良い出会いとか悪い出会いとか考える余裕もなかった。

だが、今から振り返れば良い出会いであった。君たちもそういう幸せな出会いを迎えるために、私の出会いを話そう。ヒントになると嬉しい』

そんなことを思いながら、語った。

今日紹介した学習ゲームは、

    1)    J1百人一首 
    2)    対義語でポン! 『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」
    3)    たほいや 

中でも「たほいや」は、国語の学習ゲームとしては、The king of 学習ゲームだと私は考えている。

今日も学生たちは、とても楽しんでやっていた。

2009/06/01

なんとかやり過ごしながら、やりすごしながらだ

6/1

昨夜、一日の疲れを取りながらメールに返事を書く。
実に自分勝手な返事を書く。

頂いたメールは、私にはそのように読めるのだが、書いた方はそんな思いで書いていないんだろうなあと、後から読み直してみると感じる。自分の都合の良いように文字を単語を拾って文脈を作っている。

いかん。まだまだ修行不足だ。

久しぶりの月曜日の授業だ。
今日の授業は、『街場の教育論』の発表。土曜日に大学に行ったら準備をしていた学生たちの発表だ。

今日の発表は、なかなか良かった。
準備に20時間ぐらい掛けているんじゃないかな。このぐらい準備すると良いものが出来るという見本である。

もちろん、これをさらに良くするためにはどうしたらいいのかということを指摘する。スタートラインが高いところにあるので、面白いものになりそうである。

授業を終えて研究室に戻ると、先日の校内研修会のまとめのメールを頂いていた。先生方一人一人の感想が書かれている。伝えようと思っていたところが伝わっていたようなので、一安心。

たった2時間。しかし、大事な2時間を頂いての校内研修である。日々の授業を作りだすための何らかのヒントが届いたのであれば、とても嬉しい。

先週の木曜日に行った研修会の結果が、月曜日に届く。
そりゃあ、まあ読む方からすればすぐに頂けるのは嬉しいけど、申し訳ない気持ちも。打ち込まれた先生、大変だったでしょう。私もこの役をやっていましたのでヨークわかります。ありがとうございました。

遅い昼食をとりに行こうとすると、ノックの音が。
『どうぞ』というと、卒業生である。

一回企業に就職して一年間やったのだが、どうもダメでその後のことを先日相談に来ていたのだが、そこでアドヴァイスしたことがとんとんで動きだし、非常勤講師で働くことになりそうだとの報告であった。

いやあ、良かった。
『食事はしたか?』
と聞くと
「まだデザートなら入ります」
との答え。

ま、このぐらいでなければダメだ。
食事をしながら、あれこれ話す。倒れるなよ。

私はまだまだ復活はしていない。むしろ、深ーいところにたまって行くのを感じる。その中で大量の仕事が襲ってきている。あ、向こうにも見える。その向こうにも。

が、こうして学生や卒業生、さらには講座を受けてくださった先生方たちからの声で、エネルギーを貰っているのだとわかる。

ありがたいことだ。
なんとかやり過ごしながら、やりすごしながらだ。

仕事が終わらず、まだ研究室に居続けている池田でした。

                                         BGM 「空へ」 by カルメン・マキ&OZ

2009/05/31

『永遠の0』を読み終えて寝床に着く

5/30

筑田さんお薦めの『永遠の0』を読み終えて寝床に着く。
最後の展開は私はある程度読めていた。が、それにしても重たく静かなラブソングであった。

私たちの時代には、このようなラブソングを歌える人生は存在しないだろう。それは幸なのか不幸なのかと言われれば、明らかに幸である。こんなラブソングなんて歌いたくはない。

だけど、その不幸の中を丁寧に描くことで、人の生きることの意味を見いだすことは、選ばれた作者には可能になる。そういう小説だったと思う。

人を好きになる、愛するってのは実に切ないことだと改めて思う。

目覚めた朝、天気が心配であったが、なんとかなりそうに見えた。
朝、ちょっと気合いも貰った。
勝負であった。

午後からは晴れたので、なかなか良い感じであった。
来週はさらに、その勝負が厳しくなる。
しっかりやろう。

久しぶりに青空が広がる琵琶湖。
その琵琶湖には青空が映り、見事だ。

さらに勝負は来週に続く。

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