« 2009年1月11日 - 2009年1月17日 | トップページ | 2009年1月25日 - 2009年1月31日 »

2009/01/24

こうして授業を続けていく

日本語コミュニケーション技術1(ディベート)の授業も終わった。

最後の90分間は、まとめである。この半年でどんな力をつけようと考えて指導してきたのかを軸にしながら、あれこれと振り返った。

『中等教育におけるディベートの研究』とシラバスを手がかりにして、何を学ばせようとしていたか、そのために何をしていたのかと語り、それを受けての学生たちの語り、そして、私のコメントという形で授業を終えた。

ある学生は、
「この授業がなんで教職の必修でないのか分かりません」
と言っていた。

(この授業の目的と内容を理解しているな)
と嬉しくなった。

ディベートの授業は、やっている私が言うのも変だが、大変である。その学生たちが言うのだから、それは良かったと思う。

ただ、大変には二種類あることは理解しなければならない。
大変だが、大変なだけであるもの。
大変だが、それを乗り越えることで自分の成長に繋がるもの。ディベートの授業は明らかに後者である。

成長した彼らが、今後の学生生活で活躍することを願う。

国語科教育法2の授業も終わった。
私が言うのも変だが、ディベートの授業よりも大変である。

ある学生は、振り返りでこんなことを言った。
「前期の三回目までで、いつ辞めると言おうかとタイミングを見ていました。でも、先生が恐くて言い出せませんでした。前期が終わったところで、生き残ったと思いながら後期は大丈夫か?と思いました。そして後期が終わる今、この授業が楽しくて終わってほしくないと思っています」
と。

もちろん私は
『希望があれば、単位はDをつけますが(^^)』
と言いました。
当該学生は
「できれば遠慮をしたいのですがf(^^;」
と。
こんなくだらない会話が出来るぐらいに育っている学生たちであった。

通常の授業の後、さらに1時間ぐらい終わらずに、あれこれ話す。

・授業を作るとはどういうことなのか
・人生の選択の際に、何を規準にするのか
・学び、学び続けるということはどういうことなのか

学生たちは、もう完全に習慣になったメモを取りながら話を聞くというスタイルで、最後の最後までメモを取り続けていた。

私はその後のことがあったので、そのまま後にしたが、
学生たちは、あれこれしなければならないことや
やりたいことをしていた。

そんな彼らが最後に自分たちで撮った写真である。課題提出用の掲示板に貼付けてあった。
黒板には、一年間書き続けてきた板書の練習の成果を表す自分の名前の字。その字の下に笑顔で学生たちが写っている。私の名前もしっかりと書いてくれてある。

個人情報丸出しなので、画素を落とし、画質も荒くして雰囲気だけ載せておこう。

08kokkyouhou_2

さ、来年度の教育実習に向けてさらに力を備えよ。
そして、それぞれの道に向かって、新たな一歩を踏み出すがよい。

大学は意欲のあるものだけが学ぶことができる。西川純先生の言葉である。そうだと思う。

私たち大学教員は、学生の意欲に灯をともし、風を送り続け、大きな炎にしつつ、学びを引っ張ったり、後押ししたりしながら、こうして授業を続けていくのだと思う。

2009/01/22

面白いなあ、言葉って

『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』

と書いたが、何も子どもに限定する必要はない。人間はでいいのである。

この二三日、私はこの三つの要素のうち、感情の部分が非常に大きく動いているのを自分で感じている。感情の要素は、プラスの感情とマイナスの感情の二種類がある。いまの私は、時々猛烈にプラスの感情が出てくるのではあるが、マイナスの感情が支配することが多い。

こういう時は、黙るか発散するかである。で、今は黙っている。もちろん、こうしてブログに書いているぐらいだから発散しているのだとも言えるが、その核になる部分は、自分でも触れていない。

よくわからないのだが、黙ることでこの感情を昇華する論理と意味が生まれてくるような気がしている。

過去にも同じような経験をしたことが何度かある。その時も私は黙っていた。誰にというのではなく、自分のことばが三つの要素をきちんと充実させるのを待って黙っているということだ。

経験的に言えば、この沈黙の後、大きな変化が来ることが多い。それは何なのか自分でも今はよくわからない。

ただ、感じるのは言葉というのは「感情、論理、意味」の三つとして現れる前に、何者かがもっと根源のところにあるのだろうなあという思いと、現れた言葉がその何者かを突き詰めようとして、もう一度自らを解体し、何者かになるという繰り返しをしながら存在するのだろうなあと言う思いである。

面白いなあ、言葉って。

人生の醍醐味の一つ

今年の後期の児童教育総合演習のゼミが終わった。

後期の授業は今週辺りから終わって行く。他の大学では、先週や先々週から終わったというブログを読むことがあるが、どうして終われるのか不思議だ。いろいろあるのかもしれないが、私のところは今週から終わりになって行く。

大学と中学校が大きく違うのは、ここで授業が終わることだろう。今日は、この後期の授業を振り返りながら、私たち教員が何を目指してこのゼミをしてきたのかを話し、学生たちが何を学んできたのかを振り返った。

このゼミでは、主に子どもの書いた作品を頼りにして、テキストリーディングのレッスンを行ってきた。要は、子どもを知るためのレッスンである。

しかし、この子どもを知るというのは、簡単なようでなかなか難しい。それは作業と目的の二つの面で大変である。

作業で言えば、子どもの書いた作品を読み込むためのテクニカルなレッスンや子ども観を育てる勉強が必要になる。ここが大変なのが一つ。

いま一つは、子どもを理解するというとき、子どもの「過去」を理解することが子ども理解だと誤解する問題があることである。確かに、どういう家庭環境で、どういう病気やアレルギーを持っていてということを知ることは大事である。しかし、ここを知ったことが、イコール子ども理解ではない。

子ども理解とは、子どもの未来を知ることでもある。言い方を変えると、子どもが将来どういう人間になっていたいのかを知ることである。子どもの生きる目的を理解することである。過去は変えようがないが、未来は変えられる。どういう人間に育ちたいのかが分かると、子どもの指導は半分ぐらいできたのではないかと思われる。

そのことを、このテキストリーディングで考えさせてきたのである。

『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』

『しかし、当然理解すると思うが、子どもは言葉だけではなく、音楽、絵画、ダンス、運動、遊び、いじめ、喧嘩などなど、さまざまなものを通して、伝えてくる。これを受け止め、子どもが育ちたい人間になるためには、どうしたらいいのかを考えて、あれこれするのが、教師の仕事なのである』

学生たちは、ボーッとしている。

『(そんなの無理)と思っている諸君もいるだろう。ははは、そういう諸君なら大丈夫だ。根拠もなく、自分なら大丈夫だと思って教師になる人より、自分は大丈夫なのかと思って勉強を重ねる諸君の方が、安心である。君たちはそのためのレッスンをしてきている。これだけしてきているのだ、しっかりと教師を目指しなさい。

教師に限らず、仕事というのは、完成するものではない。完成を目指して目の前のことをやり続けることなんだと、私は思っている。だから、目の前のことをきちんとやれる諸君にならねばならない。子どもの未来が掛かっているんだからね』

『通常は、君たちがいま悩んでいることは、仕事に就いてから悩むことだ。だから、いま悩んでいるということはいいことなのだ。2年も早くやっているんだから、大丈夫。あと2年は一般的なところよりも余裕があるはずだ。

ただ、もう少し言えば「悩む」ではない。「考える」であることだ。悩むは、犬が自分のしっぽを追いかけてその場をぐるぐると回ること。何も解決しない。考えるのだ。考えれば、答えが出る。この答えを元に行動する。結果が出る。その結果を元に考える。もっとうまくいくためには、失敗しないためにはと。これを日本語では試行錯誤と言うのである。

あれこれやることが許されているこの大学生と言う時間に、あれこれ考えて、あれこれやれば良いのである。何か、答えが出る。』

『大学一回生の諸君には、「この為に、このようにしなさい」と話してきた。二回生の諸君には、「この為に、自分で考えてしなさい」と話してきた。三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」であり、四回生の諸君は、「○○の為に、自分と仲間たちの力でやりなさい」だ。児童教育学科では、大きな枠組みとしてこのような指導の計画を立てているのだよ。君たちは、そしてその二回生を終える』

『三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」というときの、○○には君たちの配属される専門ゼミが入ると考えて良い。教育に関して君の専門性を身につける努力をするのである。その専門性に依拠しながら、君たちは子どもを大人に成長させる、人間的成長を導く仕事に就くのである。多いに努力するがよい』

『ただ、自分の希望する○○に行けるかどうかは、分からない。希望通りに行く諸君もいれば、そうではない諸君もいる。しかし、人生が面白いのは、希望通りに言ったら正解で、そうではなかったら不正解だと言い切れないところである。

一言で言って、人生が正解か不正解かというのは、わからない。最後まで分からない。ただ、こういうことは言える。正解は「正解になる」ではなく、「正解にする」ものであるということである。自分の人生は、自分で正解を作ることができる、導くことができるのである。

「あれもできない、これもできない。あれがない、これがない」という生き方もある。しかし、「あれもできる、これもできる。あれがある、これがある」という生き方もある。できない数を数えるより、できる数を数える方が人生は楽しい。

(ああ、この選択は、選択の段階では失敗だと思ったけど、本当は正解だったんだなあ)
と思えるような人生を、自分と仲間たちで作っていくのが、人生の醍醐味の一つなのではないかと思うのだよ』

本当は、林竹二先生の「授業人間について」のビデオ(ビーバーの巻)を見せた意義もかねて話をしたかったのだが、時間切れ。ま、しっかりと学んだ諸君なら分かったであろう。

その後、学生一人一人からの振り返りを語らせた。
そこに、私からのコメントを重ねていった。

来年度、それぞれの専門ゼミに行って、専門性と人間性を磨き、
学生諸君が成長することを願う。

2009/01/21

こういうひりひり感

ちょっとあれこれあった午前中。
まあ、良い方向に向かったので良かった。
ひと安心。

午後から会議会議。
どうしたら、よりよい大学を作って行けるのかのさまざまな会議である。知恵を絞り、実行可能なところから実行に移すことを考える。

大学全体から学科までそれぞれの場所で、なんとかより良い大学を作るために、知恵を出し合う。

こういうひりひり感は好きだ。

2009/01/20

ヒューガルデンにレフ@四種類

日頃の行いが良いとは思えないが、ちょっと仕事を頑張ったからであろうか、お気に入りのビールが半額以下で手に入った。

近くのスーパーで買い物をして帰ろうと思ったら、ヒューガルデンにレフ@四種類が200円で売っていたのだ。信じられない。賞味期限切れかと思って確認したら、全然大丈夫。

慌ててあるだけ買ってきた。

家についてリビングに袋ごと下ろして、手を洗ってうがいをしていたら、何やらビール瓶のカチャカチャ言う音。振り返ると、娘がご丁寧にテーブルの上に並べていた。

このところ娘は、同じ種類で多数あるものがたいそうのお気に入りである。鉢植えの栄養剤、和蠟燭、缶ビールなどなど。たくさんあるものを一つ一つ別の場所に移動しては並べ、また元に戻してご満悦である。何が楽しいのだか分からないが、楽しそうにしている娘を見て、私も楽しい。

遊ぶのに足りなくなったらまた買ってこよう。
ヒューガルデンにレフ@四種類。

特に、いじめについての指導を考える

本日の学級担任論は、「【場面別指導4】 喧嘩、いじめ、からかいなどのトラブルへの対応を中心に扱う。」である。特に、いじめについての指導を考える。

架空のケーススタディを元にして、クラスに発生する一般的ないじめの構造を理解させることから始める。

ケースを示し、そのクラスの担任だったらあなたは、最初にどう指導するのかを考えさせるのである。短時間で考え、短時間で実際にやらせるので本格的なことはできない。しかし、短時間だからこそ、その学生の本質的な部分が出てくる。日頃の勉強や考え方が出てくる。

2分間で考えさせ、5人グループになって1人1分で、その指導の言葉を実際に他のメンバーに語ることをワークとしてさせる。

教室の中を回ってあれこれ聞くと、予想していた通りの指導言であった。ワークの後、この問題の観点を示しながら、彼らの話の様子を聞くとやっぱりできていない。

『残念ながら、その指導では、あなたのクラスではいじめはなくなりません。担任であるあなたの目の前ではいじめはないように見えるかもしれませんが、実際は違います』

という話になる。
なぜそうなるのかの解説を行う。いじめの四層構造の話である。
学生たちは、ショックを受ける。

しかし、
『いや、いま知ることができたので良かったわけです。指導できるかどうかは別ですが、知らないあなたから成長したわけです』
と話す。実際にそうだ。

その後、いじめの定義、いじめの種類、いじめの方法と、話していても頭が痛くなることを話し、さらに、いじめを発生させないための指導のあり方と、それでも発生してしまった時の指導の基本的な考え方とを講じる。

本日の参考資料として、

『 友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル 』((ちくま新書) (新書)土井 隆義 (著) )
『「か弱き、純真な子ども」という神話』(和田秀樹 中公新書ラクレ)

を紹介。
特に『友だち地獄』は、かなりヘビーだが読み応えのある良い本なので、しっかりと読んでほしいと紹介。

先週、課題として以下のものを与えておいた。

「最近気になった事件の記事を持ってくる。日本の社会で起きたものが良い。新聞のコピーでも、インターネットでコピーしたものでも良い。一つ持ってくる。」

これを今日の授業の後半で交換させる。そして、こんなことを言った。

『ここにはいろいろな事件があります。あなたは、この事件の当事者の親御さんの子どもを担任しています。さて、担任としてどうしますか。

交通事故で亡くなった事故。火災で全焼した事件や倒産してしまった会社。その関係の子どもを自分が担任していたら、あなたは担任として何ができますか』

相変わらずいじめを伝えるニュースが、届く。そのニュースを人ごとではなく、我がごととして捉えることができるようになると、社会面はずいぶん違って見えることになる。

坂本竜馬は、あの時代にこの、人ごとの問題を我がごとと捉え、藩の人間ではなく日本人としてどう生きて行くことが大事なのかを考えて実行した人間であろう。

そうだとすれば、日本の、世界の苦しみを我がごととして受け入れ、日本人ではなく世界人として考えて行動することが、今の私にたちには必要なのではないかという思いも抱く。

その一方で、きちんと今の時代の目の前の子どもを見ることも大事である。そんな二つの視点を学生たちが持てるようになるといいなあと思う。そうすると、時事問題がすべて教育問題として見えてくることであろう。

いじめのことだけでも、相当深刻な問題ではあるが、いじめだけでは終わることなく、社会のさまざまな問題に目を向ける教職を目指す学生であってほしい。

授業後、大学のあれこれの仕事を一気に片付ける。

To Do リストを作って、重要性の高いものからウシャウシャと片付ける。そこにあれこれと電話。ウリャラアアと取り組む。そこに学生がやってくる。ぺたぺたと判子を押しながら誤字脱字を指摘する。

教務、キャリアセンター、企画広報、入学、学科のあれこれの仕事を終わらせる。To Do リストに書き出した内容の8割は完成。ふう。

授業に事務にと、よく働いた一日でした。

2009/01/19

「カンゴロンゴ」

昨日、珍しくなかなか寝付くことができずに見た番組。

「カンゴロンゴ」

いやあ、面白かった。

現代の諸問題を、ドラマで表現し、漢文の世界にある故事成語を使って解決するのである。

ま、「タイガー&ドラゴン」が落語をベースにしてドラマを作っていたのの、漢語論語版と思えば良いのかもしれない。

「古典は未来からの手紙」

というのは私の主張であるが、こういう番組を見ると本当にそう思うなあ。

良い番組を見たものだ。

琵琶湖も春に備えている

月曜日はゴミ出しの日である。8時30分までに持って行かないとまずい。月曜日は研究日でもあるからして、朝はゆっくりとしているのだが、この時間だけは守らなければならない。

間に合うように外に出た。
(暖かい)
なんて、暖かいんだ。
確かに昨日の天気予報では、今朝は昨日よりも10度近く暖かくなるという予報だったが、本当だ。

今年は旧暦のカレンダーを家に飾っているのであるが、今年の旧正月は1/26である。つまり、来週の今日である。

 石激る垂水の上のさ蕨の 
 萌え出づる春になりにけるかも 
           『万葉集』志貴皇子 巻八 1418

いよいよこの歌を実感するころになるのだなあと、
ちょっと身震いする私であった。

あまりにもいい天気なので、まとめて布団を干すことに。
まだ花粉も飛んでいないので、安心して干すことができる。

リビングにある、娘が寝転がっても良いように使っている布団も干す。すると、そこに置いてある毛布を娘が持ってくる。これも干せというのか。

なんというか。私がしていることを理解しているのかねえ。

布団をひっくり返そうとしたところで、あまりの日差しの心地よさに一休みすることに。ハンモックである。

しかし、このハンモックは安い買い物だった。空に浮かんでいるような、水に浮かんでいるような、なんとも言えない浮遊感。ある人は、胎内にいるときが再現されいてる感覚だと言っていた。検証はできないがそうなのかもしれない。

琵琶湖には、新型の船が湖面を滑っている。「MEGUMI」というのだそうだ。近くの桟橋に接岸する練習をしているのだろう。琵琶湖も春に備えているのだろう。

2009/01/18

あれこれ考える日曜日

昨日の疲れが出たのか、一週間の疲れなのか、寝ていました。

朝はいつも通りに起きたものの、朝風呂の後の午前中の娘の昼寝に付き合って撃沈でした。

部屋の片付けをして、iPhotoのデータのバックアップをして、年賀状にたどり着く前で一日が終わろうとしています。

一つ片付けると、それを新しいおもちゃと思って娘は、お店を広げる訳です。そして、その相手をしつつ他のことを片付けてとしていると、それもお店に加えようとして、の繰り返し。

興味の赴くままに突進している娘に付き合って、一日が過ぎて行くのはなんともいえない。

センター試験の再試験が日本中で700人を超えるというニュースが流れている。このことの意味はなんなのだろうか。

1)700人も発生するなんて酷い。
2)そもそも、日本中で一斉に同じ試験ができること自体が凄い。

私は、多少のミスがあったとしても実施できていると言うことを凄いと思う。つまり、2)だ。

世界の大学入試システムや高校卒業認定試験のシステムを詳しく見た訳ではないが、同じ時間帯に同じシステムで動くことができるというのは、やっぱり凄いことだと思う。

仕事に就いて仕事をリタイヤするまで、せいぜい40年。
何か形になることができれば、よし。
しかし、やってもできなければ、それもよしなのだろう。

人類の持っている時間を考えれば、そのような答えが出るのではないかと思うこともある。

あれこれ考える日曜日であった。

« 2009年1月11日 - 2009年1月17日 | トップページ | 2009年1月25日 - 2009年1月31日 »