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2009/10/10

「味噌汁、ご飯」授業について、について

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野中信行先生のブログでは、つねに面白い提案がされている。現在提案されているのが、「味噌汁、ご飯」授業についてである。

嘗て会社の採用試験に料理を作らせるということが流行ったことがある。日常の生活力を見るということではない。段取りの力を見るのが目的である。

料理は、下準備を含む段取りが大事である。仕事は段取りが8分という言い方もあるぐらいだ。段取りの力を見るにはもってこいだったのかもしれない。

私も、「作文と料理は似ている」ということで、作文指導のメタファに使って行っている。

以前、野中先生に明日の教室でお越し願ったとき、まだ引っ越しして間もない拙宅にも来ていただいた。琵琶湖の夜景を見ながら食事をしていただこうと思ったのだ。

その時、私の料理で申し訳ないが食べていただこうと買い出しをしていたら、野中先生が
「私もやるんですよ」
といくつかの料理を作ってくださった。

そんなことを思い出しながら、野中先生の「味噌汁、ご飯」授業についてを拝読していた。

もちろん、先生が紹介されている奥薗さんの「ズボラ人間の料理術」(サンマーク出版)は我が家にもある。あの中の「梅干しと昆布と鰹節と蕪のあっさり煮」(名前はこうだったかは確実ではない。が、内容はこれ)は絶品である。

(をを、野中先生も)
と先生のブログを読みながら思ったのだ。

で、野中先生は奥薗さんの「正しいズボラ料理の7か条」を参考にしつつ、「正しいズボラ授業の7か条」は何なのだろうかと考察を深めようとされている。(あ、「正しいズボラ授業の7か条」という言葉は使われていないが)「正しいズボラ授業の7か条」を「とんでもない授業」との比較の中で見つけようとされている。

どんな答えが出るのか。とても楽しみである。

「味噌汁、ご飯」授業の提案をしたいのエントリーに、私が考えるそれは何であろうかと、私にコメントを求めてくださっていたので、私も書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

私が国語の教師だからでしょうか。授業そのものよりも授業を成立させるための要素としての「声」と「文字」が気になります。

家本芳郎先生は、教師に必要な力として、管理の力をその一つに上げ、屋根の無い校庭なら300人、屋根のある体育館なら500人の子どもを前にして、マイクを使うこと無く一声で子どもの動きを止められるぐらいの声の大きさが必要だと述べられていました。

災害時に子どもの命を守るためには、それが必要だと。ここも踏まえた上で、自分の思いや考えを適切に伝えることのできる「声」を持っているかどうかが一つ目です。

今ひとつは、読みやすい字を書けるかどうかです。美しい字ではなく、読みやすい字です。美しい字は美しすぎて読めないことがあります。これでは意味 がありません。読みやすい字とは「濃く、太く、大きい」字です。この字を、ノートと板書と両方で使いこなせるという力量です。これが二つ目です。

野中先生の例えに倣って言えば、みそ汁の出汁のとり方であり、ご飯の研ぎ方、炊き方ではないかと思うのですが。

そして、これらを活用して授業を行う際、どうしてもこれだけは子どもたちに教えたいというものを持っているかどうか。それらが関係し合って、「味噌汁、ご飯」授業になっていくのかなあと、今大学で指導していることを振り返ったとき、直感ですがこのように思いました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

書いてみて改めて思ったことがある。「味噌汁、ご飯」授業という例えで、野中先生は、恐らく

・日常的で
・飽きることの無く
・栄養価が安定している

という意味で「味噌汁、ご飯」授業を提案されているのではないかと思うと同時に、私は、「日常的で、飽きることの無く、栄養価が安定している」授業って、結構難しいぞと思ったのである。

そして、
(美味しいみそ汁、美味しいご飯を作り出す要素は何だ?)
と考えて、上記のようなコメントを野中先生のブログに書いたわけです。

容易に想像できるのは、奥薗さんの使っている包丁は、しっかりとした素材で、丁寧に研ぎ上げられていて、きちんと管理されているということです。その上でのズボラだと私は考えています。

だから、ズボラだけを見ても、奥薗さんの料理の神髄には辿り着かないと思います。でも、奥薗さんの料理がすごいのは、いい加減な包丁を使っても、まあそこそこすごい料理ができることでもあります。

私は、授業における「包丁の大切さ」を考えようとしていて、野中先生は、ま、包丁はそんなにこだわらなくてもいいのではないか。拘らなくてもちゃんとできるズボラ料理のような授業のあり方があるのではないかな、と仰っているかのように、コメントを書くことで理解しました。

もちろん、「日常的で、飽きることの無く、栄養価が安定している」授業についても、私なりあれこれ考えて、学生の指導に当たっています。それについては、またいずれ。

うーん、考えるのは楽しい。

ああそうか

10/10

私たちの世代にとっては、この日は体育の日である。東京オリンピックの開会式の日である。晴れの特異日。琵琶湖の空は少し雲が多いが、青空である。

昨日の疲れをとるべくということでもないが、朝風呂に入る。朝日が浴槽のお湯に注ぎ込み、なかなか美しい。奥さんが剥いてくれた梨も冷えていて、美味である。

そんな中で本を読み続ける。
このところ読む本読む本がヒットしていて、嬉しい悲鳴である。昨日も二冊読み終わり、知的興奮を得ていたのだが、今朝の風呂の中でも興奮しながら鉛筆で本に思いを書きなぐっていた。

その時、ああそうかと思ったことがある。

大学に異動してエキサイティングなことが次から次へとあって、大変嬉しいのだが、数少ない不満の一つに授業ができないということがある。いや、なんというか大学でもしっかりと授業はあるのだが、ちょっと違うのだ。

中学校の時は一週間に三回または四回と一つのクラスで行っていた。だから、前の授業のフィードバックをすぐに次の授業に投入することができた。

ところが、大学の授業ではこれが難しい。二つ理由がある。一つは、一週間に一回ということ。もう一つは、シラバスで授業内容が縛られているということである。簡単に言うと、授業の自由度が低いのである。

だから、本を読んでいて
(あ、これは授業でやってみたいなあ)
というアイディアに出会ったときになかなか実行できないのである。

で、ああそうかと思ったことは、この先である。
(ああそうか。その授業でやってみたいなあと思う部分を、論文にして有効性を証明するのね)
ということである。

授業をするのは、私ではないかもしれないが、このテーマを取り扱う授業のスタイルとしては、このやり方がありますよということを立証する論文というのはありだなあと、朝風呂の中で思った私でした。

2009/10/09

使っていただいてなんぼの情報ですから

10/9

ということで、今日は出張である。天橋立まで行く。いや、もっと遠くまで行く。家からだと3時間はかかる。東京に行くよりも時間がかかる。京都は広いのである。

今日の内容は、ディベートの授業とこれを受けての教職員研修会である。言ってみれば、私の授業を見ていただいて、それで検討をされると言う実に恐ろしい企画である。

しかし、ディベートの授業を是非というのであるからして、お引き受けすることにした。本学児童教育学科の学生の母校でもあるし。本日研究日である。

はしだて3号に乗り、京都の北方面に向かう。刈り取られた田んぼ。台風の影響で濁った川が目に入ってくる。いやあ、刈り取った後で良かったなあと思う。

綾部、福知山と通り過ぎてもまだ着かないf(^^;。遠いのである。「大江山いくのの道は〜」の大江山も通り過ぎる。歴史の舞台を通り過ぎる。なかなか味わい深い。

ディベートの授業は高校1年生に2時間で行う。理論と実際の試合を2試合。一試合目はよく分からないでいた生徒諸君も、二試合目になると俄然頑張っていた。そういうふうに授業を作ってあるので、その通りに進んで、ああ、良かった。

その後の研修会は、急な変更であった。事前の打ち合わせでは、ディベートについて、授業の背景等あれこれを話して、その後先生方からの質問を受けると言うことになっていたのだが、急遽変更。

校長室であれこれ話をしていたところ、校長先生が、
「先生、それを話してください」
ということになってしまい、1時間では無理と思いながら、教師論、授業論、教育論の話をすることに。

ディベートの授業の5時間目と6時間目の間の10分間でシラバスを考えて、えいやああああああああ、てなことになってしまったが講義をすることに。

なんとか終えて、校長室でさらに校長先生の質問攻撃に遭うf(^^;。
こうなりゃあ、なんでも答えますということで、ここでも1時間近くあれこれと話す。はい、使っていただいてなんぼの情報ですから。

駅まで送っていただいて、帰路につく。暗くなった車窓からは天橋立も見えず、ただ、疲れた眼鏡のおっさんの顔が見えるなあと思っていたら、私だったf(^^;。

今日も一日良く働いた。

11月の明日の教室のご案内です。11月3日です

11月の明日の教室のご案内です。11月3日です。

http://kokucheese.com/event/index/574/

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今回は、演劇です。最近、教育関連の書籍が並ぶコーナーに行くと、演劇関連の本が多く見られるようになってきたと思います。

新しい政権も、コミュニケーション教育に関わって、演劇を取り入れて行く意向にあるようです。

とまれ、明日の教室ならではの豪華メンバーと、低料金。いや、今回は無料です。祭日ではありますが、是非お越し下さい。

なお、今回は無料で行えますし、当日急な参加も問題ありませんが、懇親会は会場を貸し切るため、10/25までにお申し込みを頂きたいと思います。当日の急な参加はお引き受けできませんので、よろしくお願いいたします。

糸井先生のブログから引用します。

引用開始 ーーーーーーーーーー

平成21年度京都府地域力再生プロジェクト支援事業
「コミュニケーションティーチングによる地域力再生事業」 演劇発表公演+シンポジウム

日時:2009年11月3日(祝)13:30~
会場:宇治茶会館
入場無料

演劇発表会出演:
宇治市立菟道第二小学校3年生児童+劇団衛星

シンポジウムパネリスト:
平田オリザ氏(劇作家・演出家、大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授)
北川達夫氏(フィンランド教材作家、日本教育大学院大学客員教授)
池田修氏(京都橘大学文学部児童教育学科准教授)
糸井登氏(宇治市立菟道第二小学校教諭)
蓮行氏(劇団衛星代表、岡山県立大学非常勤講師、同志社大学嘱託講師)

環 境・防災・防犯・福祉といった地域の問題は、地域住民のコミュニケーション不全が一因 といわれています。この事業では、全国的に注目される「コミュニケーションティーチング」 の手法を活用して、小中学校をターミナルとした地域コミュニティ再生をめざします。 今回は、実際に市内の小学生が地域のフィールドワークを通して作った演劇を上演。

またその後のシンポジウムでは、海外での事例や学校での取り組みなどを紹介します。

主催:NPO法人フリンジシアタープロジェクト
後援:京都府、京都府教育委員会、宇治市教育委員会、宇治市(申請中)
協力:劇団衛星、宇治市立菟道第二小学校、京都文教大学

            ◆

シンポジウム終了後、宇治橋通り商店街東詰のレストラン「あむざ」にて、懇親会を実施します。
懇親会は、17:00~20:00の予定です。
会費は、4000円程度。
美味しい食事とお酒を飲みながら、教育談義に花を咲かせたいと思います。

こういう教育もあったのかと、目から鱗の一日になると思います。
たくさんの方の参加をお待ちしております。

引用終了 ーーーーーーーーーー

http://kokucheese.com/event/index/574/

2009/10/08

ま、良しとするか

10/8

「マンション買いませんか」の電話も困るが、研究室に「本買いませんか」の押し掛けも困る。

授業が終わるのを廊下でじっと待っていて、研究室に戻るとノック。入ってこようとする。

ま、無下にも拒めないので少しはお相手をする。勧められたのは人気のあるシリーズだそうだが、私の専門とは全く関係のない歴史の本のシリーズ。ふう。

私の買い物に関する基本的な考え方は、以下の通り。

・欲しいものではなく、必要なものを買う。
・必要なものは、自分から買いに行く。
・できるだけ、キャッシュで買う。
・衝動買いはしない。
・衝動買いを自分に許しているのは、本とネクタイだけである。

ということである。

だから、電話で買いませんかとか、押し掛けてきて買いませんかというのは、一切買わない。私にとってはこの間のセールス時間が、無駄である。というか、相手にとっても無駄なはずである。

だって買わないんだから。

ということで申し訳ないが、草々にお帰り願った。
が、タバコとキツい整髪料の匂いを研究室に残されてしまった。頭が痛くなりそうだ。慌てて窓とドアを開けて換気。

あ、キンモクセイの香りだ。
台風一過のキャンパスから運ばれてきた。

ま、良しとするか。

台風は直撃

10/8

「琵琶湖は台風がよけて通る」と滋賀の人は言う。確かに、滋賀に引っ越してきて三年になるが、直撃した記憶はない。しかし、今回の台風は直撃であった。

直撃であったが、夜中のことでありベランダの植木等を寄せ、戸締まりをしたぐらいで、あれやこれやと大騒ぎしながら備えるというものでもなかった。

今の学生たちに聞いても知っていなかったが、私の子ども頃は「富士山レーダー」である。日本一高い山の上にレーダーがある。歩いて登るだけでも大変な場所なのに、そこにレーダーを作る。すごいなあと単純に思っていた。

もちろん、後にこれが台風の存在をいち早く掴むためのレーダーであることを知るのであるが、国民の命を守るという気概がビリビリ伝わってきたものだった。

日本の国を彩る四季。そこには豊かな天気の移り変わりがある。もちろん、今回のような大きな台風では災害があり、大変な目に遭う人もいるのだが、この天気の移り変わりが無ければ日本という国はいまとは違う文化を持っていたことであろう。

地球儀をぐるっと回し、日本と同じ程度の緯度の辺りを見て行くと、実は砂漠が多いことに気がつく。地球規模で見ると、日本というのは砂漠が発生する地帯なのである。

大学は午前中は休講。
午後から平常授業。
生協の食堂はお休みになってしまったので、お昼ご飯を持参で大学に向かう。

もう、京都の空には青空が出始めている。
学生は、午後の授業に間に合うのかいな。

2009/10/07

10/7-2

台風が直撃しそうである。
本学も京都府で暴風雨警報が出ている場合は、午前中または午後の授業が休講になる。

天気図を見ようとネットで検索したら、次のようになっていた。

2

ニュースの下に、アマゾンの広告が出ている。
そのニュースに応じた商品を注文できるようなシステムなわけか。これならついクリックしてしまう人も割といるのではないかと思う。

しかし、だ。
これクリックしたら、届くのであろうか。なにせ明日は台風だ。
それに、なんというか、この期に及んで自分が安全に過ごすために、配送の人たちに大変な目に遭わせるってのはどうなのかなあとも思う。

それでもそれは仕事だからいいのだ。
という判断が優先されるのかなあ。

私はなんか違うような気がするが。
どなた様も、災害に遭われませんように。

で、今朝はびっくりした

10/7

人が育つってのは、面白いなあ。

今朝、大学に向かう時玄関で娘からバイバイを言ってもらった。これはいつものこと。ちゃんとバイバイしてくれる。駐車場に向かって中庭を歩いている時もバイバイしてくれる。いつまでしてくれるのかなあと思いながら、歩いている。

で、今朝はびっくりした。
「バイバイ」
のあとに、
「いってらっしゃい」
ではなくて、
「携帯電話持った?」
と言ったのだ。私も奥さんもびっくり。
いかに私が携帯電話を忘れるのかが、みなさんにお分かりであろう。そんなこと分かっても仕方が無いが。

奥さんが私にいつもそのように玄関で確認するのだが、これを聞いていたのであろう。娘は覚えて、突然言ったのだろう。

状況を理解してその状況にあった言葉を使う。人間ならそれなりにできて当たり前であるが、2歳1ヶ月が言うのかと思うと、驚きである。

人が育つってのは、面白いなあ。

2009/10/06

AE86

ハチロク復活! トヨタ、小型FRスポーツ「FT-86 Concept」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20091005/1029458/?ST=yahoo_headlines&P=1

どきんと来たなあ。

私が最初に自分で買ったエンジンは、AE86である。あのエンジンは、今でもしっかりと覚えている。だから、『頭文字はD』は体で感じながら読むことができる。

そうか、ここまでもうモデルはできているんだなあ。
コンセプトモデルだから変わる部分は変わるのだろうが、久しぶりに面白そうな国産車がでそうな気配。

ま、私はドアが二枚の車はちょっと厳しいんですけどね。でも、試乗してみたいなあと思える一台になりそうです。

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ライブならではの授業

10/6

後期は週の前半は割とゆっくりとした時間割。午後から大学へ。今週からは必修ではない授業も、受講生が確定する。第一週は様子見である。

様子見のときに、どういう授業をするのか。これは大学の教員になってから初めて考える課題であった。私は、結局いつも通りとすることにした。一回目であっても一回目からこれ受講しようと思って受けている学生がいるわけで、一回目だけいつもと違う授業をするのも変である。

だからいつも通りちゃんとやる。
すると、本登録のときには、数が減っていることが多い。
うーむ。いいんだか、悪いんだか。
ま、良いだろう。

授業参観のときや研究授業のときに、他のクラスで練習をして、なかには自分のクラスで練習をして挑む先生がいたが、私には信じられなかった。

(それって、小芝居だろう)

って思っていた。

授業は、指導したい内容と実際がずれる。いや、教育という営みはもともとそういうものである。思う通りにはならないものである。相手は人間なのであるから。だから、やりたかったことと実際はずれてしまうものなのである。だが、クラスを分析し、教材を分析し、子どもを分析し、そのズレを少なくし、またはズレルならば良い方にズレるように展開していこうとするのが授業というものではないかと私は考えている。

相関が手いるので、そんな小芝居の研究授業に、どんな意味があるのかなあと思っていた。自分がその授業を受ける児童や生徒の立場だったら、それはそれはつまらない「授業」だと思わなかったであろうか。

授業の最大の楽しみの一つである、ライブ感がなくなってしまうではないか。やる方も受ける方も、このライブ感なしに授業を成立させることはかなり厳しいと思う。

意欲のある学生が残る。
授業をする方も受ける方も、テンションがちょっと上がる。
ライブならではの授業がここにはあるなあと思う。
良いことだ。

大学の授業ならではのことだが、ここは大学。
それならば、そのシステムをきちんと活用したい。

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)を読み終える。

自分の立場によって読後の感じ方は変わるだろうが、恐らくこの本は現場にいたときに読んでも、今読んでも大きくその感想は変わらなかったかもしれない。

さすが、佐藤学先生である。

ではあるが、今の仕事をするにあたって、ピンと来る記述があった。
教員がどこで学ぶかという問いとその考察である。

174pから引用開始 ーーーーーーーーーー

私自身も何度か調査したことだが、教師を対象として「教師としての成長において何が最も有効であったか」という質問で調査すると、どの調査結果を見ても第一位は「自分の授業の反省」、第二位は「同じ学年(教科)における授業の研究」、第三位は「校内研修」、第四位は「地域の研究サークル」、第五位は「教育委員会や組合主催の研修、研究会」そして最後に「大学教授の講演」がくる(だから、私は講演の依頼は原則としてお断りしている)。

別の項目において「教師としての成長に誰が最も有益であったか」という質問で調査すると、第一位は「同じ学年(教科)の教師」、第二位は「同じ学校の同僚教師」、第三位は「同じ学校の校長、教頭」、第四位は「近隣の学校の先輩教師」、第五位は「指導主事」そして最後は「大学教師である。

この調査結果は、教師の成長の契機はその教師自身の教室を中心にして同心円上に拡大していることを示している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

佐藤先生は、この事実から学校の中の教員同士の同僚性を高めること、また、校長のリーダーシップの重要性を研究の対象にしていくことになる。現場にいたものとして、この感覚はよく分かる。

ところが、佐藤先生が本書でも述べられているが、実は日本の教育行政はこの逆をしている。つまり、上からあーせーこーせーと指示を出して教師を替えようとしている。そうすることが教師の力量アップに繋がると思っているのか、している。

むなしい。

しかし、むなしいと思ってばかりもいられない。実際のところ、大学の教員として私は免許更新講習や教育委員会主催の研修会、さらには校内研修会の講師もするのである。

「教師としての成長において何が最も有効であったか」「教師としての成長に誰が最も有益であったか」のどちらにおいても最下位の大学の教授(私は教授ではないが)が行う講座が意味が無いなんてことになったら、やる方も受ける方も時間の無駄、税金の無駄である。

だから、私の行う研修会では、そうならないように工夫を凝らしているつもりである。同僚性を高め、同心円の中心部分を活性化するような内容を心掛けている。佐藤先生がこれだけばしっと書かれているので、私も安心して今まで通りの方針でやろうと思うのである。

折角、子どもから離れて研修に来ている。
折角、休んでいられる時間に来ている。
折角、学ぼうとしている。

であれば、それなりの講座を提供しなければならない。
無理矢理行ってこいと言われた講座が、思った以上に面白かったということになるようにしたいと、今は思っている。




2009/10/05

親ばかの週末

10/5

というわけで、親ばかの週末であった。

馬鹿だなあと思いながらも、感動するのが娘の「間」のとり方と、タイミングの良さである。

風呂に入りながら、
『昨日と今日とたくさん遊んだね。楽しかった? 歌もたくさん歌ったね。歩こ、歩こって歌ったね』
とお話ししていた。

すると、しばらくじっと私のことを、無言で見ている。
そして、
「とうしゃん(^^)」
と微笑むのである。

誰だ。こんな高等なリアクションを教えたのは。

世話焼き女房型の娘は、ビールを注ぐタイミングを外さない。
私がグラスを空にするや否や、ビール瓶を持ち
「どうじょ」
である。

誰だ。こんな高等なタイミングを教えたのは。

刺身を覚えた娘は、マグロが大好きである。
「お魚、たべたいなあ」
と私の側で囁くのである。
「ちいさいの、食べたいな」
と呟くのである。

刺身なので、たくさんは食べさせられない。だから小さく分けて食べさせていたのだが、それを逆手に取って、囁き呟くのである。

誰だ。こんな高等なおねだりの仕方を教えたのは。

困ったものである。

困ったものだが、全然困っていない。むしろ、嬉しい。
何が娘をこんな風に育ててくれているのであろうか。感謝。

2009/10/04

門前の小僧ならぬ、隣の小娘

10/4

二歳のお誕生日に、何をプレゼントしようかとあれこれ考えた。玩具は一つ与えた。三輪車も考えた。だが、本命は机である。これにした。収納棚もある結構立派なものである。

これにしたのだが、作ったのは奥さんである。私は奥さんが作っている間、邪魔にならないように娘と一緒に、再びガーデンに行ってシャボン玉である。

最近娘は、ガーデンのことを「ガンデン」と言い、理解している。なかなか面白い。

ガーデンではシャボン玉を飛ばしたり、歌を歌ったり、走り回ったり。お気に入りの歌は、トトロの「さんぽ」である。

「あるこ、あるこ、わせdrftgyふいjこlp・・・」

という感じで歌いながら歩くのである。
なんか、ちょっと涙が出てくる。

ポストイットをあちこちに貼るのは、娘の最近のブームのようで、貼り続けている。奇麗に並べて貼る。

子どもはシールを貼るのを好むが、ポストイットならば大丈夫。どれだけ貼ってもすぐにはがせるし、集めれば再利用も可。無駄にならない。

出来上がった作品を指差し
「見て、見て!」
と求める。うっかり本など読んでいる場合ではない。
『はい、はい。見てますよ』
と見る。満足そうな娘だ。

同じく娘のブームなのが、本に鉛筆であれこれと書くことである。もちろん、縦線、横線、ぐるぐる巻きなどを書くのであるが、これが面白い。

私が椅子に座って右手に鉛筆、左手に本を持って読んでいると、同じように私の横の椅子に座って、同じように始めるのである。

「本というものは、テキストの書かれてあるメモ帳である」
とある人は言った。なるほどと思う。私は右手に筆記用具が無いと本は読めない。感想、意見、疑問を書きながら著者と対話しながら読むのが楽しい。

まさか娘がそんなことをしているわけが無いのだが、門前の小僧ならぬ、隣の小娘である。

私はそれを楽しんでいるのだが。

ガーデンから帰って、昼寝をしていたら、机が完成していた。
さすが奥さんである。娘も大喜びである。

反抗期の娘も、こういうときはちょっと鳴りを潜めているf(^^;。

読書とシャボン玉で一日を過ごす

10/3

読書とシャボン玉で一日を過ごす。

『風姿花伝』を読んでいる人が結構多いと最近感じている。私は、実はお能を少し齧ったこともあるので、若い頃にこの本を読んでいる。そして、年に一回ぐらいは読み返している。天才の書いた本だなあと思いつつ、少しずつ自分の中に入ってくると良いなあと思いながら読んでいる。

古典は未来からの手紙である。これは私の主張である。自分がこの先どのように生きて行くのかを、古典は示してくれている。人は1000年前でも、人を好きになり、嫌いになり、別れを悲しみ、出会いを喜んでいた。今の私が生きていることをそのまま1000年前からしている。だから、古典は未来からの手紙である。

佐藤学先生の『教師花伝書』を読み進めている。途中まで読んでいたのだが、本が突然行方不明になり、三ヶ月ぐらい所在不明だったのだが、今日見つかった。後半を読み進めている。

まさか佐藤学先生も読んでいるとは思わなかった『花伝書』。確か苫米地さんも読み返しているとのことであった。

授業や、学校づくりのアイディアを刺激してくれる本である。意欲を奮い立たせてくれる本である。

で、シャボン玉である。
最近娘がハマっている。近くのガーデンに出かけて行き、ふーふーと飛ばしている。今日は私がお供で出かける。

まさか中年の男が一人でシャボン玉を飛ばすこともできまい。でも、娘とならば心置きなくできる。私もやった。ありがたやありがたや。娘に遊んでもらっているようなものだ。

芝生の上に、青空の方に飛んで行くシャボン玉。気持ちのよいものだ。そして、娘はそのシャボン玉を追いかける。私はシャボン玉を追いかけている娘をレンズで追いかける。

三年前には、こんな日がくるとは思いもよらなかった。

で、中秋名月である。
ガーデンから帰る際にススキを手に入れる。道路際の目立つところは刈り取られているのだが、ちょっと奥に入ると奇麗なススキがたくさんあった。雑草と言えば雑草だが、今日は最優秀助演賞である。

きぬかつぎ、枝豆、蛸のぶつ切り、マグロ、月見団子、日本酒を用意してお月見を楽しむ。良いものだ。

Fmm

良いと言えば、マグロである。スーパーに買い出しに行ったとき、生鉢マグロのぶつ切りがまあまあ値段であった。かごに入れて歩いていたら、私のアンテナにヒットしたものがあった。

どうみても、手に入れたマグロと同じグレードのマグロの「アラ」が極めて安い値段で出ていた。躊躇うこと無く、私はこちらを手にする。アラと書いてあるが、要はマグロの「ハラミ」の部分である。筋は多いが、きちんと処理すれば、ネギトロの部分となる。これをゲット。

家で処理してみると確かに、これは生鉢マグロのトロであった。こういうの、とても嬉しい。ちょっとした専門知識があるかないかで、食生活は全然変わってくる。美味しく頂く。

で、それを見ていたのが娘。
最近、刺身を覚えたのだ。
スプーンの上にご飯を載せて、その上にお刺身をちょうだいと待っている。ニコニコしながら待っている。
載せてあげると嬉しそうに食べる。
「うまい!」
と体をねじって喜ぶ。
良かったねえ。

月見をしながら思った。耳鳴りがちょっと夏から秋に変わったと。

私の右耳は突発性難聴の後遺症で耳鳴りがしている。ま、蝉が鳴いていると思えば良い。だから、夏は左耳からも聞こえるのでバランスが良いf(^^;。だが、今日月見をしながら外にいたら、秋の虫の音が左耳に入ってきた。そしたら、右耳の蝉も秋の虫の音のように感じたのだ。

季節に体も影響されるんだねえ。

Fm 写真は、部屋に活けたススキ。満月のように見えるのは、もちろん部屋の照明です。

明日は、満月です。

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