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2009/12/19

このヒリヒリ感が生きている証だろうなあ

12/19

このところ、ますますあれこれ依頼をいただく。

やりたことをやるのが人生だと思っていたのは、若造の頃の私。それはそれで間違ってはいないと思う。やりたいことをやらないで何が人生だとも思う。しかし、お願いされることをやりきるのも人生だと考えるようになっていったのは仕事を進めることになってからである。

一般の会社では、業務命令で行われる。教員の社会はそんな業務命令のような形ではなく、お願いという形でされることが多い。実質的にはやってねということなのだが、お願いである。公務員は働かなくても働いても基本給は変わらないので、できれば仕事は少ない方がいいと考えるのは、珍しくはない。だが、周りを見回して、
(あ、これは俺がやらないとだめかなあ)
なんて思ってしまったら、次から次へと仕事が来るようになる。

そして、本務のほかにも依頼がくる。
実践をして自分がやってきたことが自分でもわかっているところに、そのことに関する依頼がくるのはとてもありがたかった。記録に残せるし、誰かの役に立てるというのはありがたいことである。

だから、お願いされたことについて懸命にやろうと思って仕事をしてきた。断ることは一切してこなかった。

ところが、大学に移ってから、そして特に最近の依頼は
(う~ん、私でいいんだろうか)
と思うような内容にレベルのものが多い。期待されていると言っていいのか、よくわかっていないのじゃないかと言っていいのか、よくわからない。

しかし、先達の仕事ぶりを追ってみると、「依頼された仕事は断らない」とされる先生は多く、そしてその結果実力をつけてきたということを回想されている。依頼から勉強を始めればいいのだ。依頼からなんとかすればいいのだ。

泥縄式と言われるかもしれないがf(^^;。

学生たちに常に言っている言葉がある。(なんか、NHKプロフェッショナルのナレーションのようだなあ)

『授業は十分な準備をしなければならない。しかし、完璧な準備などあり得ない。ということは、私たちは常に不十分のまま授業に挑むことになるのである』

準備が不十分だからできませんでしたという言い訳をしてはいけないのは、1)本当に準備が不十分ではダメ、という意味と2)十分な準備はできないのだから言っても意味がない、という二つの理由があるのである。つまり、今の不十分な自分で全力で挑まないとダメなのである。

この言葉が、自分に返ってくるのである。
不十分の私でしかない。
だけど、この不十分の私で依頼に応えていかなければならない。
急な依頼に不十分なままの私でお応えするしか無いのである。

そこでは何が出るか分からない。
でも、何かが出るようにインプットは欠かさないつもりだ。
このヒリヒリ感が生きている証だろうなあ。

今日もそうして原稿に向かう。
そろそろ関西青年塾に向かう時間だ。

2009/12/18

無線LANの無料化

12/18-2

高速道路の無料化の議論によって、無料化という概念がひとつの政治トピックになった。これは日本人の意識の変化に寄与するかもしれないなと思う。

納税の義務について日本人は納税した後は、関心が薄らぐと言う性格であった。しかし、この高速道路無料化は、納めた税金のその後の使われ方についてあれこれ考えるきっかけを与えたかもしれない。

「高速道路が無料になる。いいねえ」というところから話は始まっている。しかし、世界を見渡せば高速道路が有料のところは少ない。もともと道路特定財源でお金を払っているのである。無料で良いはずである。その税金でやってくれということだ。

では、他に無料にすべきところは無いのか。
道路よりも無料にするところがあるだろうというように、考えが進んでいくのではないかと思うのである。実際、私はそんなことを考えている。

良く言われるのが、医療費の無料化や大学までの教育費の無料化である。北欧では税率も高いが教育費は無料である。大学院まで無料である。デンマークはそうであった。

ただ、簡単に比較はできない。デンマークは国の中で一番高い山が174メートルだったと記憶している。ということは、トンネルや橋梁の工事がほとんど要らないということである。真っ平らな国土に道路を造れば良いのである。だから、国家予算の中で土木工事にかける費用は本当に少ない。この分を教育や福祉にまわせるという言い方もできる。

ではあるが、日本だってやればできるんじゃないかなあと思う。そう思うようになってきているのが、今回の高速道路無料化の一つのポイントであろう。

私は、無線LANの無料化ではないかと思っている。Wi-Fiに接続できる機種がこれだけ増えてきている今、いつでもどこでもネットに接続できると言う環境を無料で国民に提供するのは、場合によっては道路と同じぐらい、医療と同じぐらい大事かもしれない。

社会インフラの一つな訳で、国づくりの一つの基礎として国が無料で使えるように整備するってのはいいんじゃないかなと思うのである。

いかがであろうか。


「おとーさん、おきて、おきて、おきて、ぼん」

12/18

ちょっと寝坊しようと思っていたのだが、娘が起こしにきた。
「おとーさん、おきて、おきて、おきて、ぼん」
と言うのである。

「ぼん」はなにを言っているのか分からないのだが、彼女の口癖である。「よ!」なのかもしれないが「ぼん」である。

もう少し寝ていたかった私は、寝返りを打って逃げる。ところが娘が追いかける。

「おとーさん、おきて、おきて、おきて、はい」
(ん? はい?)

振り返ると、眼鏡を持って私の顔にかけようとしている。

(はいはい、そこまでしてくださるなら起きますよ。で、iPod touchはどこだ?)

バックライトで時間がはっきり見えるので、枕元には置くようにしている。そしたら、

「これ、持っていくね」

と言って先に発見していたiPod touchをリビングに持っていってしまった。おいおい、風邪は治っていないのにそんなに元気で大丈夫か。

今日は一日中家であれこれを続けた。

外は寒そう。
小雪が降っているようだ。

家から見える伊吹山や関ヶ原の山々にはうっすらと雪が積もっているのも見えた。

床暖房も温かいし、MacBook Proも温かい。
私は寒いのは嫌いである。

おーさむ、である。

明日の教室DVD 第五弾 コミュニケーションティーチング

先日行われました演劇とシンポジュームの記録がDVDになりました。

http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                     
                        
演劇発表公演+シンポジウム                         
                     
                        
宇治市立菟道第二小学校3年生児童+劇団衛星
                     
                        
池田 修、糸井登、蓮行、北川達夫、平田オリザ
                     
                        
平成21年11月3日 於:宇治茶会館
                     
                        
DVD価格 3,000円(本体価格2,857円)

その場にいたメンバーが、これからの日本の新しい教育の始まりを実感した、演劇とシンポジュームでした。是非、ご覧下さい。

「ご、ごめんぁああああしゃいいいい」

12/17-3

私たちの娘にしては、出来過ぎなほどに成長している娘である。本当に私と奥さんの娘なのだろうかと思うぐらい、よく成長している。顔が似ているだけに、疑いは無いのだがその言動からは、ちょっと疑いたくなることがある。

だが、そんな娘であっても、一つだけ如何なものかと思うところがある。それは、自分が間違いをしたり、失敗をしたときにきちんと謝ることができないのである。彼女の将来のことを考えると、これは何とかせねばならぬと思い続けていた。

で、今晩。

遊んでいたことが原因でガラス製品を壊してしまうという事件が発生したのだ。そのちょっと前までは結構楽しくやっていたのだが、遊び方を変えたら事件に繋がったのだ。

『お母さんに謝ろうね』
と私が言うのだが、娘は悪いことをしたと分かっていながら、謝ることをせず、何かの歌を歌っていた。

ここが勝負だと判断した。

娘を抱きかかえて、リビングから連れ出す。リビングと廊下を遮るドアの向こうに置き、
『お母さんにきちんと謝らないとダメです』
と諭す。

もちろん、娘は大泣き。
大泣きでも私は許さない。
すると、私を避けてお母さんに助けを求めようとする。しかし、それも許さない私。「花のピュンピュン丸」の弟のチビ丸のような泣き声で泣き叫ぶ。

しかし、ここで許せば、泣けば許されると理解するのは十分に分かっている。今まではこのぐらいは良いかと思って流してきた部分もあるが、今回は大きな過ち。しっかりと記憶にも残る。本人も
(あ、まずい)
と思っている様子が手に取るように分かる。

だからきちんと。勝負の指導であった。

しばらくすると、娘は廊下から移動してベッドで横たわり、一人ふて寝をしていた。泣けば許されると思っていた彼女は、打ちひしがれていた。あれこれ丁寧に話していたら、お母さんに謝ると言う。

そこで抱っこしてリビングに連れて行く。

「ご、ごめんぁああああしゃいいいい」

と泣きながら謝っていた。

こんどは、こっちが泣きそうになってしまった。
よくがんばったね。

子育ては、勝負だと思っている。
最初の勝負であった。
これからも続くのであろう。

ちなみにもちろん、この勝負は娘の勝ちである。
よくがんばったね。

「ドッテドッテの大事件。
ちびし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」*1

*1 ここで喜んでいただけた方は、信じられる気がしますf(^^;。

ハ行で笑う

12/17-2

夕食の後、娘の一年前のビデオをMacで見た。
「かわいいねえ」
と自分のことを言いながら、ハで笑う。
ははははは、と笑うのである。

ビデオの中の一歳前後の娘は、微笑むだけでハ行で笑えない。ハ行で笑うには、腹筋の成長と喉の構造の成長が必要になる。
そんなこと知らなくてもいいのだが、父さんはそれが専門なのでそれを理解しながら、喜ぶのである。

ははははは。
ひひひひひ。
ふふふふふ。
へへへへへ。
ほほほほほ。

これから娘は、ハ行全部の笑いを覚えるのだろうなあ。

彼女が笑いの多い人生を歩めるように、願う。

2009/12/17

だんだん「ためしてガッテン」のようになってきている

12/17

午前中は、ゼミ祭。二回生が企画をしてのものである。二回生が三回生ゼミを選ぶにおいて、それぞれのゼミは何をしているのかを紹介してほしいと三回生に依頼して実施されたものである。

なかなか良いことである。
学びたいと考えている二回生にも、学んできている三回生にとってもどちらも良い結果を齎す企画である。二回生に自分たちの学びを提示することで、この一年をまとめることになり、学びを振り返ることができる。

私は家族の体調が優れなかったので、家であれこれやっていて参加できなかったが、伝え聞くところによると我がゼミの諸君もなかなか頑張っていたようだ。

自分で自分に合ったゼミを探そうとするのは、良い。だが、その一方で逆もある。どうでも良いということである。そんなに深く考えなくても良いというものである。

    1)    朱に交われば赤くなる
    2)    掃き溜めに鶴
    3)    孟母三遷の教え

この諺は何を表しているのであろうか。

    1)    環境によって人は変わる。
    2)    環境がどうであろうと、人は変わらない。
    3)    人は環境を変えることができる。

ということを意味していると考えている。
そうであれば、あれこれ考える必要はあまり無い。出会った環境の中でやる。うまくいかない時は耐える、または変える。そう言うことなのだと思う。

偶然を必然に変えるのは、そこにいる本人たちの努力によるものなのである。

そこにチョイチョイと魔法をかけるのが、ゼミの指導者の役割なのである。

2限は、国語科教育法2。今日はメディアリテラシーについて。学生諸君には、メディア断食を指示してある。毎年やっているが、学生たちの感想は大きく変わることはない。

大きく変わることのないことを、安定ととるのか、停滞ととるのか。私はどうも停滞と考える傾向がある。だから、新しいものを考えたくなる。

今日のメディアリテラシーの授業は、本邦?初公開の資料を活用する。最近手に入れた広告の資料なのだが、結構インパクトがある。しばらくはこれを使って授業をしようと思う。

3限は、児童総合演習。グループごとに分かれて実践記録を読み続ける。私の方からいくつかの問いを突っ込む。それを踏まえながら議論を進めていく。

当たり前であるがまだ二回生。読みが甘い。だが、少しずつ実践記録を読むことの楽しみを手にしてきている学生が増えてきている。良いことだ。

4限は、教職総合演習。毎回学生の発表が楽しみである。今回は「食育」について。食育の歴史や実習コーナーがあり、だんだん「ためしてガッテン」のようになってきているのが面白い。

食育の歴史に関しては、説明の中で『美味しんぼ』のルーツのような食べ物小説の現物を本学の図書館から持ってきて、読み上げていた。これはなかなか面白かった。

さらに、実習コーナーでは子どもの人気おやつに入っている砂糖の分量を当てるクイズをしながらあれこれやっていた。最終的に食育指導をどうするのかについて議論を重ねていた。

発表者の足りないところを会場から補ったりしての議論も良かった。いやあ、どんどん良くなっていくのを見ているのは楽しい。もちろん、私の方では必須アミノ酸の話とか、あれこれ補足をするのだが、なかなか良かった。

この授業は小学校でそのままコンパクトにやっても良いなあと思った。

だんだん育ってきた学生たち。
嬉しいものだ。

守りを教えているのである

12/16

学級担任論の授業。
気がつけば、この授業は今日で年内が最後。年明けに4回でお仕舞いになる。

本日は、環境美化と保護者対応について。教室の環境の美化では、汚れる原因のプリントの整え方について保護者対応では、保護者会、家庭訪問、面談。さらにはモンスターペアレンツについても触れる。

学生たちが少しずつ気がついてきた感じがあったので、伝える。
『そう、この学級担任論は、守りを教えているのである』
と。

学級担任としてあれこれやりたいことはあるだろう。そしてそれはやるべきである。であるが、その際、やるべきことをきちんとやっておかないと、足下からクラスが崩れ去るのである。だから「守り」である。

だから授業で出す事例は暗い、重いものが多い。
学生諸君は、
(担任の仕事ってこんなに大変で、面倒くさくて、辛いんだ)
とその理想との違いにショックを受けるのである。だが、大事なことである。ここを理解してできるようになり、あとはクラスに応じてあれこれ楽しくやればいいのである。

夜は学科の先生たちとの忘年会。
私の人生始まって以来初めて、アルコールの入らない忘年会である。

昔お世話になった先生のご主人が亡くなられたという報せを聞き、忘年会も欠席しようかと思ったのだが、そうもいかんだろうなあと思い、せめてアルコールはやめようと思ったのだ。

忘年会そのものはとても面白いものであった。学科会議の柔らかい版と言う感じで、あれこれ今後の児童教育学科のことについて語り合いながらの食事であった。

アルコールなしで、ウーロン茶を1リットル以上飲んでしまった私。ま、それでも結構楽しかったなあ。良い仲間のお陰である。

2009/12/16

父は娘には逆らえない

12/15

親ばかblogである。

朝風呂に入っていた。読書をしながら入っていた。
そこに、
「おとーさん!」
と娘がやってくる。風呂の扉を勝手に開けて
「おとーさん!」
と言う。もちろん、あれこれあるのだが、ここは素直に可愛い。

風呂の外、窓の外には渡り鳥が飛んでいた。
「あ、とりさん!」
と言う娘。ちょっと思いついて
『ほんとだね。ね、どうして鳥さんは飛ぶのかな?』
と聞いて見た。すると、
「湖の上はぷかぷかするの。飛ぶ時は、バタバタするの」
とだいたいこんな風に答える。ひえー、説明している。これは面白い。どんどん聞いてみよう。

『洗濯機が直ったね。誰が直してくれたの?』
数日前に、洗濯機のモーター部分がおかしくなったので交換修理をし終えたのだ。

すると
「でんきやさん。ごろごろして、がたんして、ぐるぐるなおった」
と説明する。ひえー、ひえー。奥さんに聞くとその通りだと言う。

い、いかん。この分だと、私がやっているまずい部分も記憶されている可能性が高い。身を引き締めて日常生活を送らなければならない。

朝風呂の後、コーヒー牛乳を持ってベランダで寛いでいた。コーヒー牛乳はガラスのグラスに注いでいた。置き場所が無かったので、床面にそのままそっと置いておいた。

するとそこにやってきた娘。
「あぶないから、机の上!」
とちょっと離れたテーブルを指差し、そこに置けと指示。
『あ、はい。ここでいい?』
「うん!」

2歳3ヶ月の娘に指導を受ける私であった。

父は娘には逆らえない。
なぜだろうかと、考えてみた。
分かった。

娘の顔は、私の母親と私の奥さんの顔で構成されているのだ。
愛しくて、かつ逆らえないのは当然である(^^)。

2009/12/15

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培

12/14

2限はゼミ。

担当予定者が体調不良の欠席となったので、急遽来週行う予定の内容を実施する。論文の書き方指導である。小論文と論文の違いから始めて、書くための参考図書や、さまざまな手続の仕方等に付いて説明する。

3回生も、卒業論文提出まで残り1年を切ったのである。採用試験と卒業論文を柱にしながら、駆け抜けていくのである。

で、ちょっと時間が早く終わったので、外に集合。私が大学で育てている椎茸の木に椎茸がたわわに育ったので、収穫に向かう。下宿生を優先して収穫した椎茸を配る。

若い頃にはまったく考えることも無かったが、クラスで植物を育てるというのはとてもいいもんだなあと思うようになっていった。子どもの成長の伴走者として花や実のなるものを育てるのである。大学でも同じである。

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培である。ホイル焼きもよし、バター炒めも良しである。活力をつけたまえ。

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昼休みから一気に事務仕事と監修本の監修を進める。監修の方は、一段落したが、終わらないのが事務仕事。こちらと戦う。そして、まだ戦いは途中のままであるが、こちらから一方的に休戦して、出かける。今日がルミナリエの最終日なのである。

折角なので娘に見せてあげようと思って早めに帰ってきたのだが、娘が鼻水を出している。風邪である。こりゃあ、ダメだ。こんな体調で人ごみに連れて行って新型インフルエンザにかかってしまったでは、冗談にもならない。

結局家で仕事を続ける。
これでいいのだ。

夕ご飯では、当然椎茸。
バター醤油炒めは、娘がすぐに気に入った。
「味見!」
と言いながら、次から次へと食べてしまう。
早く風邪が治ると良いね。

夜は一人、ふたご座流星群を楽しむ。
ベランダの椅子に腰掛け、毛布にくるまって。
沢山の願い事をする私であった。

2009/12/14

いよいよ年末だ

12/13-2

午前中は、昨晩の余韻に浸っていた。
簡単に言うと二日酔いである。
ただ、二日酔いではあるが、頭が痛いとか言うようなものではなく、まだ酔っているという感じであった。

良いお酒というのは、そういうものだと感じている。アルコールが分解されて変なものになるのではなく、きちんと消えていくのだが、ちょっと量が多いのでまだ分解できていないんだなあと言う感覚の二日酔いである。

アセトアルデヒドを感じさせないのである。

で、午後から京都市内に出かける。
年末や新年の買い物をした。

紅葉のシーズンが終わり、年末のあれこれには少し早いので混んではいたが、まあ許容範囲の混みようであった。

注文していた服を手に入れる。私はちょっと肩幅が広いので通常のブレザーだと肩幅に合わせると袖丈が長くなってしまう。そこで、今回は肩幅に照準を合わせて作ってみた。なかなか良い感じに仕上がってちょっと嬉しい。

娘は久しぶりの家族三人でのお買い物で嬉しいのか、興奮。デパートの中にあるクリスマスの飾りを一つ一つ私に
「奇麗ね」
といいながら、説明する。

『触ったらダメだよ』
と言うと、触りたいのを我慢して、指差して説明しようとする。思わず
『いい子だなあ。我慢できるんだね』
と抱きしめる。娘は嬉しそうな顔だ。

いよいよ年末だ。

集団で作るシーン

12/13

今年の明日の教室は、昨日の書写/篆刻指導のいろはで終わった。今回は私が講師であった。いつもとは違い、今回は実習がメインであった。

もちろん、書写/篆刻指導の際に注意することもお話をしながらの講座ではあったが、作業と説明のバランスをとるのは、相手が子どもであっても大人であっても同じぐらい難しいものだと改めて思う。

嘗て、中学校で国語を教えていたとき、私は割と真剣に書写を教えていた。真剣に学ぶ中学生は、きちんと吸収する。一生の宝をプレゼントしてあげたいと思って、字を教えていた。どうせやるならと、中国や日本の書の古典をテキストに使ったりもしていた。

ところが、中学校の中には書写をやらない学校も多くあり、
「なんで、池田先生は文法をやらないで、書写をやるのですか?」
と、クレーム?を言う保護者がいたりもしたこともあった。書写の時間に書写をやらないで、その時間に余分に文法や読解をする先生がいたのだ。私が正しいのにf(^^;。

私が書写の授業が好きなのは、子どもたちにはっきりとした力をつけてあげられるからということもあるが、もう一つ理由がある。それは、あの集団でシーンと言う空間と言うか、時間と言うか、これが好きなのである。

書写では、摸書を中心にして指導をしていたのだが、これはかなりの集中力を必要とする。摸書をすると、本当にシーンとするのである。

摸書というのは、簡単に言えば写し書きである。日本の書道教育では、この写し書きである摸書を嫌う。きちんとした理由はよく分からないが、個性とか独創性とかを重視するとこの写し書きはその反対側にあるので、やらないのであろう。大きく元気良く書くというのが、好まれている。

だが、私はまずはきちんとした字を書けるようにすることこそが、義務教育の責任だと考えていた。つまり、美しい字よりも読みやすい字である。だから摸書であった。中国でも、初学者は徹底的に摸書をするということを聞いている。

で、シーンである。

いつも騒いでいる五月蝿い30人から40人の中学生が、この摸書をすると、シーンとするのである。咳なんぞしようものなら、クラスの中で睨まれてしまうほどの静かな集中が生まれるのである。これが非常にいいのだ。

学校は集団を学び、集団で学ぶ場所である。合唱、演劇、運動会などの多くの行事は集団で行い、元気にやるものである。しかし、書写はこの逆である。もともと書写などは一人でできるものであり、一人でやるものである。これをクラスで一斉にやるのである。

実際に体験した子どもたちは異口同音に言う。
「先生。書写のあのシーンとした時間が好きでした」
と。集団で作るシーン。これを好むのである。

今回の明日の教室の書写、篆刻のいろはでも、このシーンを体験していただくことができた。良かった良かった。

懇親会は疲れが出ていたのであろう。席を動けなかった。新しくいらっしゃった方にお話を聞こうと思っていながら、壁に背中を預けたまま、持ち込んだ「獺祭」を味わいつつ、ボーッとしてしまった。

(ああ、いいなあ)
と思いながらボーッとしてしまった。

来年も楽しくなるなあと思いながら、「獺祭」に包まれていくのでありました。

ちなみに、2010年 研究会の予定は、

1/30(土) 土作彰氏 



2/13(土) 岡山洋一氏 ファシリテーション入門 



3/13(土) 石川晋氏

4/24(土) 野中信行氏 提案「味噌汁・ご飯」の授業

であります。お待ちしております。

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