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2009/02/21

これは理解できないね

午後から研究室にこもる。依頼されいている10pの原稿に取り組む。締め切りを延ばしてもらっているので、必死に取り組む。

が、どうも執筆依頼が頭に入らない。執筆フォーマットと私が書くべき内容を見比べるのだが、何を書いていいのかが分からない。というか、もやもやが残る。仕方がない。出版社に電話をかけて直接聞いてみよう。

電話をして確認をすると、私の頭の方が正しいことが分かった。執筆依頼の方がいくつかの点でずれていたのだ。アーよかった。

中学生の時である。何回読んでも分からない文章に出会ったことがあった。高校入試問題の過去問題にあったやつだ。落ち着いて何回も読むのだが、頭に入ってこない。多少国語に自信のあった私はショックを受けたものだ。

(ああ、世の中には難しい文章があるものだ。ちくしょう、理解できないなんて)

と思って、授業で解説を受けると

「まー、変な文章だね。これは理解できないね」

と講師の先生が言うではないか。びっくりであった。

世の中の入試問題に使われるような文章で、理解できないくらいの悪文が使われているということに驚いたのだ。理解できないのは、私が悪いのではなく、理解できない文章を書いている方が悪いということが存在することに驚いたのだ。

別に権威志向ということではないが、入試問題に使われるような文章が悪文であるということ自体を考えること等、中学生の私には出来なかった。が、このときにそういう経験をしているので、

(分からないなあ。ひょっとしたら、これ文章がわるいんじゃない?)

と思える回路を一つ手に入れることができるようになったのは、大きな経験であったと言える。

ああ、そんなことを思い出している暇があったら、早く原稿に取りかからなければならないのに。

でもって、ゴールのイメージが見えてきた私は、4時間続けてひたすら原稿を書いた。アウトラインは見えて、あと10時間以内には仕上がるだろうという目処も立った。ああ良かった。

それに気を良くして、もう一つの本の原稿のチェックも。「明日の教室本」だ。ぶれのない原稿ばかりなので、確認する私も非常に気持ちがよい。間違いなく良い本になる。凄い原稿ばかりだ。

BGMでつけたラジオからは、ミナミさんが妊娠したことを告げていた。

(を〜、そうですか、離婚もしないでご懐妊ですか。いや〜、娘と二つ違いになりますねえ)

なんてことを思い、にやにやする私でありました。

明日も原稿書きだあ。

写真は、私の家からは対岸の守山から見た、菜の花畑、琵琶湖、比良山です。いよいよ春ですねえ。

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2009/02/20

仁和寺にある法師、年よるまで

2/20

小浜の疲れが出たので、午前中は体を休める。
午後からは高校で模擬授業である。

今日は50分×2で一つの講座なので、比較的ゆっくりとできる。具体的な例も多く出せるので、やりやすい。

模擬授業が終わって外に出たら、虹である。
奇麗だったなあ。

この高校の近くには石清水八幡宮がある。例の

「仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、・・・」

の石清水八幡宮である。

嘗て中学校の教師をしていたとき、京都の修学旅行の実踏で仁和寺から石清水八幡宮までタクシーで移動したことがあった。もちろん、徒然草52段のこのことを意識して、どのぐらいで到着するのかを確認してみたかったのだ。

タクシーで一時間ぐらいはかかる距離である。

「極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。」

の極楽寺と高良神社がどうなっていたのかを確認したかったのと、

「そも参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」

の山の上にある本殿がどのようになっているのかを確認したかったのだ。

教科書にある挿絵をもとに、高良神社の場所をあれこれ探すのだが、見つからなかった。そして、あることに気がついたのであった。高良神社は、今は・・・。

ま、これは行ってみてのお楽しみである。
ちなみに、『奥の細道』は平泉の中尊寺でも「夏草や兵どもが夢の跡」の跡がどのようになったのかを調べようと、あちこち歩いたのだが、高良神社と同じ結果であったとは記しておこう。

さて、これで怒濤の一週間が取りあえず終わり、週末はやっと原稿に取りかかることができる。

さすがにちょっと疲れたな。

なんか、時間が変じゃない?

2/19

ベッドサイドの目覚まし時計を7時にセットして寝た。
朝風呂に入ってから食事というのを考えてのことである。

目覚まし時計のなる前、6:30頃に起きて風呂に行く。露天風呂には誰もいない。貸し切りである。ゆったりと入り、食事に行く。会場も私一人である。貸し切りである。大丈夫か、このホテル。

だが、この朝食会場から見る景色はすばらしかった。
小浜の港が一望できるのである。

Wakasa

(あの海から美味しい魚がやってくるのだなあ)

なんてことを思いながら朝ご飯を食べていた。

朝食後、今日のスケジュールを確認して過ごす。
メールを確認すると、昨日の学校の先生からお礼のメールが届いている。嬉しいなあ。朝早くから。

気持ちよく朝の仕事を進める。

ん?
なんか、時間が変じゃない?

マックの時計と、ベッドサイドの目覚まし時計が違う。目覚まし時計が一時間半遅れている。マックの時計が正しいとすると、もうチェックアウトの時間である。

慌ててフロントに電話。事情を話し、遅れることを伝える。
もちろん、ホテルは平謝り。
いやあ、これ仕事の当日だったら、とんでもないことになっていたぞ。

風呂も、朝食も一人のはずだ。

チェックアウト後、港に向かう。
お土産の魚を手に入れようというのである。

残念ながら、時化ていたので新鮮なお魚の種類は少なく、楽しみにしていた新鮮な甘鯛は手に入らなかった。

が、塩焼きには問題のない小振りの甘鯛を3匹1000円で手に入れることができた。満足である。塩焼きにしてガーリックオイルで食してやろう。

お土産は焼きサバの押し寿司。さらに、地物の魚を使ったお寿司。
本当に魚づくしの一泊二日であった。

予定よりも遅いスタートであったが、夕方前には自宅に戻って、娘を抱っこすることができた。

小浜の校内研修会の巻であった。

日付が変わる前には

2/18

一泊二日で小浜まで出かける。中学校の校内研修会に呼ばれたのだ。中学一年生に授業をして、その後、校内研修会で講演をするという二本立てである。

久しぶりの中学生への授業ということで、ちょっと嬉しかった私である。

漢字の学習方法と勉強の仕方を一緒にしたような授業をした。福井県は白川静先生のご生誕の地。そこで、漢字の授業をしてしまおうってんだから、私も無謀と言えば無謀だ。だが、先生を尊敬する私としては、漢字でやりたいという思いも持ったのである。

小浜までは、雪景色を見ながら移動ということになる。なかなか美しい。花粉も飛んでいないので気持ちがよい。

小浜は、かの「ちりとてちん」の舞台の町である。であるからして、私は落語を聞きながら移動した。絶品だったのは立川談志の「芝浜」である。

落語そのものも良かったのだが、下げのあと太鼓が鳴り響く中、談志が

「ありがとうございます。ありがとうございます。良いお年をお迎えください。ありがとうございます」

とお礼を言っていたところが、とても良かった。
この「良いお年をお迎えください。ありがとうございます」だけで、あの芝浜の風景が、もう一度蘇り、目頭が熱くなった。

もともと「芝浜」と言えば、年末の落語で、この「芝浜」を聞かなければ年を越せないという落語ファンもいるぐらいである。私が聞いた談志の「芝浜」も年末に行われたものである。

それは当たり前のことなのだが、「良いお年をお迎えください。ありがとうございます」で、噺にもう一本別の筋が通ったように感じられた。

ちょっと早めに到着してしまったので、昼ご飯を小浜のフィッシャーマンズワーフで食べようと思ったら、本日社員研修のための臨時休業とのこと。残念無念。

ではあるが、お寿司屋さんを発見したのでそこで食す。握りのひと皿に盛られたのは、全部この港で上がった魚だと言う。

ん? サーモンがあるが。

聞いてみると、小浜に流れ込む南川と北川に遡上するのだと言う。たしかに、食べてみると養殖のサーモンとは違う食感に、味である。満足であった。

授業も、校内研修会も、つつがなく終了。
中学生も、先生方も熱心に話を聞いてくれたので、つつがなく終了。
研修会は、学級経営と生徒指導に関するもの。
最近の依頼は、国語よりこちらの方が多い。

ホッとして、宿に向かう。
宿でひと風呂浴びて、懇親会会場に向かう。
私が小浜に泊まる時は必ず行く店である。筑田さんとも行ったことのあるあの店である。

実はこのお店、お招きいただいた先生もご存知。というか、ここのご子息を教えていたことがあるということ。世間は狭い。

残念ながら、海が時化ていてたくさんの種類の魚にお目にかかることは出来なかったが、出てきた魚は本当に美味しかった。

先生方とも、あれこれ話し込む。日本の教育を良くしたいと、みんな思っている。私に出来ることは少しだが、その少しをきちんとやりたいと思う。

日付が変わる前には、宿に戻った。
良い一日であった。

2009/02/17

今日は信楽まで

今日は信楽まで出かけて行く。保育園実習指導である。

第二名神高速が出来たので、行きやすい。
ただ、カーナビにはまだこの高速道路が登録されていないので、空の上を走ることになる。これもまた一興である。

カーステレオは、落語。
古今亭志ん朝、桂枝雀、立川談志と。音源はipodにいれてFMで飛ばしてというもの。
ミニクーパーのエンジン音と落語ってのも乙なものである。

実習先では、私が尋ねた所全てで、
「学生さんたちが実習記録を丁寧に取っていていいですね」
と言われる。
教え子が褒められるのは嬉しいものだ。

「記憶するな、記録せよ」
仕事をする上で、これはとても大事なことである。その基礎ができているようなので、良かった良かった。

信楽から研究室に戻り、あれこれ事務仕事。いや〜、これは終わらないぞ。飛び込みの仕事が多くあったので、あらかじめ予定していた仕事のスケジュールが遅れ気味になってしまっている。この週末になんとかせねば。

ではるが、明日からは福井県の中学校に出張。中学生に授業をしてください、校内研修会で講演をしてくださいというものである。中学生に授業は久しぶりだなあ。顔がにやけてしまうかもしれないf(^^;。

校内研修会のテーマは、学級経営と生活指導について。中学生への授業の資料は信楽に行く前に送ったのだが、校内研修会の資料が未完成だったので、事務仕事の後この資料づくりに没頭する。

なんとか終了。
明日は2時間半かけて移動。
スタッドレスタイヤだから大丈夫でしょう。

メールボックスを見たら、注文していたCDが届いていた。
気持ちが落ち込んでいたので、you tubeで懐かしの音楽を探していたら、まだCDも販売されいるというので、注文しておいたものが届いたのだ。

「SEA IS A LADY」(角松敏生)
「カルメンマキ&OZ 3」(カルメンマキ&OZ)

だ。どの曲も名曲なのだが、前者では「MIDSUMMER DRIVIN' "REIKO"」、後者では「空へ」が絶品である。あの時代の空気の熱が戻ってくる。

穴の空いた心に、何かを満たしてくれる。

ひとまず安心である

2/16

午前午後と保育園実習指導で滋賀県内を動き回る。
学生たちは、熱心に実習に取り組んでいる。

私の目から見ると甘くなるが、実習指導をお願いしている保育園の先生方からお話を聞いても、熱心に実習に取り組んでいる様子が伝わってくる。

ひとまず安心である。

夜、来年度のことをあれこれ打ち合わせするために、山科に向かう。だいたい三ヶ月先のことをいまやるというパターンになりつつある。

与えられた仕事をやる側に回るのか、仕事を自分で作ってそれをやり遂げて行く側に回るのか。働くというのは、この二種類からできているような気がする。

どちから一つだけということはあり得ないが、その比率は人によってかなり違うだろう。私はどうも後者の比率が昔から多い。勝手に仕事を作ってあれこれやっている感じがしないでもない。

しかし、その方が楽しいのだからしようがない。仕事というのは、元来オーバーワークであると内田先生は仰っているが、それは分かる気がする。特に教師の仕事はそうであると思う。

ここまででおしまい、という線を引くことができないのがこの仕事である。大学に移ってからますますそれを感じている。

が、どこかで強制的に「ここでおしまい」を作らないと、いかんなあとも感じている。

明日はまた滋賀の奥地に実習指導だ。

2009/02/16

「貧困、格差、貧乏はどう違うのか?」

2/15

滋賀県の民教連の集会に近江八幡まで出かける。「貧困・格差・競争をのりこえ、共同と学びを開く」 というテーマである。現場からの三報告があり、その後に、竹内常一先生の講演があるという構成であった。

実は、この構成を知らなく、先生の講演だけだと思っていたので、終了後、長浜の盆梅展に行くはずだったのだが、この構成ではちょっと無理。奥さんと娘だけ長浜に向かわせて、私は先生の講演で学ぶことにする。

「貧困、格差、貧乏はどう違うのか?」

先生は、言葉の定義からいま社会で何が動いているのかを解き明かして行く。その社会の動きは新自由主義を基調にグローバルスタンダードとして、創造的な破壊を繰り返して行く姿である。

社会の枠組みは、いろいろな力学が働きリストラクチャされていく。その、リストラクチャされるときに、政策が市民の方向を向いていることは、歴史上いまだかつてないだろう。

だから、市民がこちらに向かせる必要があり、その文脈の中で教師は、子どもの教育を受ける権利の中で、どのような実践を構築して行く道があるのかを模索されていた。

枠組みを見つめ、枠組みを問い直し、新たな実践を構築する。私が竹内先生から学んだことの一つはこれである。子どもの事実を押さえることはとても大事だ。しかし、子どもの事実は子どもが社会の中で生きている限り、社会の事実やさまざまな政策を並立的に理解する中で見て行くことが必要になる。

竹内常一先生の授業を受けていると、これは教育の授業なのか政治経済の授業なのかが分からなくなることがあった。「所得倍増計画」「期待される人間像」「経済同友会」「合校論」なんて話をされていたが、今日も「中央教育審議会議事録」「ホンダのF1撤退の意味」などの話が飛び交っていた。

竹内ゼミの卒業生は、国語教育の実践家として全国にいるが、文学と政治と教育を同時に考えながら実践をする基礎体力を身につけている。これって凄いことだと、改めて思う。

複眼思考で、並列思考をして行くことが、物事の本質を見極めることには必須なのだと改めて思う。物事の本質は、そこにあるのではなく、複眼思考で並列思考をしていくときに、そこに浮かんでくるようなものなのだろう。

大学時代に先生の授業を受けていたことが、いま私の中でそれが形となって出てくることを実感できることがある。教員になってから出会ったディベートやその指導方法の研究がここに重なって、あれこれ私を育ててくれていたんだなあと、思う。

「なんでいまごろ、こんな簡単なことに気がついたのかなあ。もっと早く気がついても良かったのになあ」

と先生は自分の研究を振り返りながら、講座後話されていた。最近先生の話が分かりやすくなったのは、俺も力がついてきたからかと自惚れていたが、そうではなく先生が核心を掴んで話されていたからなのだと、思い直した。

いろいろと勉強になるのである。

講座後、主催者が駅まで送りましょうと話していたら、

「ん、教え子が来てくれているから、駅まで送ってもらうから」

と言って私をありがたくも指名。もちろん、ミニクーパーでお送りする。本当は、長浜から奥さんと娘が帰ってくるはずだったが、タッチの差で会えず。ま、FOMAのテレビ電話で見てもらったからいいか。

先生を駅でお見送りして、しばらくすると奥さんと娘が乗った電車が近江八幡に到着。
改札口を出たところで待っていたら、ベビーカーから下りて歩いてこちらに向かってくる娘を発見。

手を振っていたら、娘は私を発見。
満面の笑顔になって、改札口に突入して行く。あわてて奥さんが切符を入れて扉が閉まらないようにナイスサポート。

御陰で娘はそのまま私の胸の中に飛び込んできた。
そのまま高い高いである。

良い休日であった。

学級経営におけるオートマティック化と、問いに対するメタ思考

2/14

午前中は、高校の模擬授業であった。通常は、45分とか50分とかでの講座が多いのだが、今日は60分。いつもよりは時間があるかと思ったが、結局時間はいつも通りのギリギリであった。

通常、この模擬授業では、持ち時間の95%で終わるぐらいの内容を構成し、残りは生徒の顔を見ながら授業中に作って行くのであるが、これはなかなか難しい。

調整(チューニング)しながらの授業であり、一発勝負の授業である。だから、難しいのだ。

一度家に帰り、午後からは関西青年塾である。いつも通り、駅前のコンソーシアムに行く。看板を見たところ、関西青年塾の案内がない。

(ん? どこだ?)

確かに今日がその日のはずだが、ない。
慌てて学生に電話をかける。

『いまどこにいる。今日はどこだ?』

すると今日の会場は四条にあるという。慌てて地下鉄に乗って向かうことにする。

今日の講座は、小学校の実践家で、私は初めてお会いする先生であった。授業づくりと学級経営の話をしてくださった。

それぞれの内容も面白かったが、特に印象に残ったのは学級経営におけるオートマティック化と、問いに対するメタ思考である。

学級経営におけるオートマティック化というのは、一言で言うと「だって、このクラスではこうなんだもん」ということである。あれこれ説明する必要もなく淡々と日常が過ぎて行く、いや過ごして行くためのシステムである。

講師の原田先生は、「当たり前のことをあたり前のようにやること」が学級経営の奥義であると仰っていたが、これもこのオートマティック化に強く関連していると私は思った。

ここがきちんと出来ているクラスは、強い。日常が何事もなく過ごせるということは、何かのときに燃えることができると言うということである。考えるべきところに考えるだけの時間とエネルギーを咲くためには、考えなくても良いところは、考えないで済むようにしておくことが大事だと思うのだ。

問いに対するメタ思考とは、模擬授業の中で気がついたことである。

もう一人の講師の先生が模擬授業をされている中で、私は先生の提示した問いに対して、応えることができなかった。AかBかを選んでくださいというような問いであったが、私は『状況によって違うので答えられない』と言った。すると、「こういう子どももクラスにいますから」ということでスルーされてしまった。

ま、スルーでも良いのだが、私はなんでスルーされたのかを考えていた。池田君だからということでスルーされることは、私の子ども時代にも、ままあった。

そこで気がついたのは、私は先生の問いについてメタ的に、問いの成立を問うていたということである。学校では、先生の指示に素直にしたがって素直に学ぶことが、いい子である。そして、多くの場合その方が「学力」は伸びる。

私は、先生の問いについて、その問いの成立を考えるような子どもであった。いまから思えば、いわゆるやりにくい子どもである。なので、教師になったときにそういう子どもがいたら、丁寧に対応してあげようと思っていたのだが、そういう子どもは本当に珍しい確率でしか存在していなかった。

私がおかしいと、先生の問いについて文句を言うと先生は嫌がったが、授業のあと仲間と話していると「おれもそう思った」という声が多くあった。この模擬授業でも休憩時間などに話すと「私も先生の言う通りだと思った」というのである。

であるが、みなさんはそう思いつつも、言葉に出さずに先生の指示に従って授業の中に入って行っていた。私はそれを体が許さないでいた。

子どもの頃の私は、先生の問いに答えられない私と、答えられない私を放置する先生を不思議に思っていた。実は私は素直に分からないから分からない。先生の問いは問いになっていないと思っていたのである。それが受け入れられないってのは、不思議であったのだ。

娘を見ていると、子どもというのは「理解言語」と「表現言語」の二種類を持っているのではないかと思う。そして、これは子ども全般に言えるのではないかとも思う。話の内容を理解する系列の言葉と、表現するための言葉の二種類を子どもは持っていると考えるとあれこれが分かりやすい。そして、多くの子どもは理解言語はかなり早い時期から持っているが、表現言語は持っていないか、弱い場合が多い。

たとえば、
(この先生の言っていることはよくわからないな)
ということを理解するための言語はあるのだが、それを表現する言語を持っていないということである。

私は、どうやら言葉に興味があったことからなのか、子どもの頃から理解言語と同時に表現言語を持っていたようで、自分の授業をしている先生に、素直に表現言語で
『それは変です』
と伝えてしまっていたのだなと、今思うわけである。そして、それは問いに対するメタ的な問いだということにいま気づくのである。

はー、すっきりである。

講座の後に、数人の方からチョコレートを頂く。
いやあ、うれしいf(^^;。
なんだかんだ言っても、これは嬉しいなあ。

そのまま懇親会へ突入。

学んで語って、悲しみを乗り越えて行くしかないのだと
改めて思う。

家に帰ったら、奥さんからもチョコレートを貰う。
娘も用意してくれていたのだが、私の帰りが遅いので、明日ということになった。
それも、うれしい。ありがたい。

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