生徒、学生を育てるシステム:ディベート
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午前中は家であれこれの仕事。
保育も兼ねる。
娘はこのところ、寝る時のみならず、起きる時もお母さんでなければダメになっている。今日は午前中にお母さんは大事な用事があるので、私が面倒を見ようと思うのだが、寝起きは全然ダメ。
側に行こうものなら、蹴っ飛ばされる。
◆
諦めて、娘から離れて隠れて仕事をしていると、
「おとうさん、みーつけた!」
とやってくる。
な、なんだ。この変わり身は。
その後、リビングの椅子、床、ハンモック、ベッドと場所を変えながら娘のお相手をする。
◆
午後から大学へ。
やりかけの仕事を一つ、二つと終わらせる。
ああ、うれしい。
来週の明日は、後期の授業の最後の日になる。このあと、成績を付けて、入試をやって、それでしばらくは研究生活に入れる、かな。ま、多少のバカンスも考えている。
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この時期、来年度の夏の研修会の講師の依頼が入ってきている。去年の八月のあのようなことはもう二度と、と思うのであるが、なんかまた同じになりそうで怖い。
「是非、来年度も」
と言われて、断れるほどの私ではない。ただ、日程調整がつかないものはお断りしている。東京まで二時間ちょっとというのは、なかなかの距離である。
◆
ディベートの授業は、予選リーグが終わり来週が決勝戦。いまの論題は【日本は、教職課程を六年制度にすべきである】である。一回生にとってはちょっと難しい論題ではあるが、なかなか良い感じに育ってきた。
もちろん、まだまだ論証が甘いところもある。
「学力低下は教員の質の低下が原因である。だから六年制にすべきである」と肯定側が主張したとき、
1)本当に、教員の質の低下が原因なのか。
2)仮に教員の質の低下が原因の一つだとして、現状に比べて二年間のプラスで、教員の質は向上するのか。
と奇麗にステップを踏んで反駁するということができていたかというと、なかなか怪しい。ではあるが、そこに挑もうとしている姿は見て取られた。
やっぱり、ディベートは生徒、学生を育てるシステムとしてはかなり優れていると思う。彼ら彼女らが賢くなっていく姿を見続けることのできるのは、嬉しいものだ。私は、教職を六年制度にするよりも、ディベートを教職で必修にすることも大事ではないかと思っている。学生がこれを学び、学校教育現場で指導できるようになる。
かなり日本は変わると思うけどねえ。
◆
さ、明日の授業の準備も終わったし、今日は早く帰ろう。
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