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2010/03/23

授業づくりネットワーク 2010春  「人類に貢献しているか」

3/20

授業づくりネットワークの会場である成蹊大学に到着したのは、受付開始30分前の9:00。
もう少し早く出られるように準備をしていたのだが、服を着ているときに左肩に激痛。動かなくなってしまったのだ。40肩なのか、50肩なのかf(^^;。しばらく、動かずにもう一度ベッドに横たわっていた。んで、9:00になんとか到着。

今回の私の担当は、大会最初のプログラムである。mini1グランプリの歴代の優勝者が7分間の授業をするので、そこでは何が行われていたのか、私たちはここから何を学ぶべきなのかをとりだして、授業者と対話することが役割である。

この企画のために、大会が始まる前にMLを立ち上げて、あれこれ議論を重ねていた。出場者、事務局、担当者であれこれ話していたのだ。

私はその議論の中で、自分の役割は何なのかをずっと考えていた。いや、ずっとというのを誤解の無いように言えば、片思いのようにというのが正しい。片思いの時は、気がついたらその人のことを思い出しているという思い方である。ずっと考えるというのは、24時間考え続けているというよりは、気がついたらその問題を考えているということの方が正しい。

で、腹をくくった。
実際の授業を見ないと分からない。だから、じっくりと見るということである。

ただ、単に見続けるだけでは、それでおしまいという可能性もあるので、授業で行われる指導言を手がかりにして見ようと決めていた。

mini1の場合、授業の時間が限られている。5分、または7分で行われる模擬授業である。通常の45分(小学校)の授業ではなく、この短時間で行おうとする場合、時間を短くするために授業者がコントロールできる部分は何かと言えば、指導言である。

私は、指導言は「サーブ」であると考えている。テニスやバレーのサーブである。サーブは、相手の状況を考えて、自分の意図で打ち込む場所や球種などを選択することができる。タイミングを変えることもできる。基本的に、相手に影響されることはない。

これと同じように、指導言は基本的に授業者から最初に発せられる者であるが故に、自分でコントロールすることができる。これは、一斉指導でも、個人指導でも、「学び合い」でも同じであろう。

結果として、この仮説は一定の正しさを持って機能したと言っても良いだろう。その場で初めて見る三つの短時間の模擬授業で何が行われているのか、何を学ぶべきなのかを分析を、あの短時間でできる限りのことは、なんとかできたのではないかと思っている。

で、この対話の冒頭で、私は私が授業を評価する四つの観点というものを予め示しておいた。それは、

1)楽しく行われたか
2)授業の前と後で、学習者が良い方向に変化したか
3)学んだ内容が、他の教科の学習に良い影響を与えるか
4)学んだ内容が、人類に貢献しているか

である。

1)は、有田和正先生の主張に沿うものであり、2)は野口芳宏先生の向上的変容に呼応するものと考えている。ちょっと偉そうな言い方になるが、この1)と2)は両先生の主張から学んだというよりは、私が勝手に思っていたものなので、
(あ、同じだ)
と不遜にも若造のときに思っていたものである。

3)は良い学習は転化するというものである。ま、国語科の教員ということもあるので、他の学習の基礎を作らねばならないという思いが、私にこの考えを提出させているのかもしれない。

で、4)である。
これは、どこかにチラッと書いたり、講座や講演のときにちらっと言ってきたことなのであるが、今回もチラッと言ってしまった。なんというか、私ごときの人間がこんな大きなことを言うのは憚られたので、チラッと言ってきたというのが正直なところだ。

だが、ジョンレノンも、忌野清志郎も、彼らが最終的にたどり着こうとしていたところは、世界平和であり、人類への貢献であると私は考えている。小書『教師になるということ』では、社会に繋がる力ということでこのことを少し論じた。そのことである。

私が小中高と生徒を過ごした時代は、

「良い学校に入れ、良い大学に入れ、良い会社に入れ、そうすれば君は良い人生を手に入れることができる。勉強をするのは自分のためだぞ。しっかりやれ」

という説明がされていたように思う。そして、それを疑うことは社会全体に無かった。自分のために勉強をしろである。高度経済成長時代の学びはそれで機能していたと考えられる。しかし、この考えが社会を良い方向に導かなかったことも事実ではないだろうか。一言で言えば、自分だけ良ければ良いという流れを作ってしまった、利己主義的な個人を育ててしまったのではないかと言う疑念が生まれるのである。これは違うというのが、教師になってからの私の思いの底にある。

もちろん、指導した内容が、そしてそれを学んだ内容が、本当に社会に貢献しているのか、また、人類に貢献していると言えるのか? その証明はほぼ不可能である。不可能ではあるが、21世紀の教育を考えるとき、人類に貢献する学び、それを育てる授業というのは避けて通れないどころか、メインストリートになる課題だと考えている。

大会後、卒業生の結婚式に向かう高知には、今年の大河ドラマの主人公の坂本竜馬がいた。彼は、幕末の時代に「我が藩では~」という藩の存続や利権を考えている人たちに、藩ではなく「日本人」という単位のものの見方を示そうとした。抽象のレベルを上げる、または次元を一つ上に置くという考え方であろう。

(では、私たちの時代は、なんなのだろうか?)

『竜馬がゆく』を読んだ後に私が立てた問いである。

1868年に明治が始まり、平成も22年を迎えようとしている2010年。ポストモダンへの突入、冷戦の終結を通り抜けてきた今。右翼でも左翼でもなく、日本人にでもなく、人類に貢献する人間を育てる教育。これを、その日々の実践、授業の中のどこかに意識する時代に、私たちは突入したのではないかと、割と真剣に思っている。

ってなことは、あの短時間のステージでは語れないので、さらっと流していたら、大会終了後の懇親会で、ネットワーク代表の上條晴夫さんが、
「池田さん、あれすごい。ホームラン。大ホームラン」
と絶賛してくれた。
『え? なに?』
と聞いたら、4)のことであった。

いつも変人扱いしてもらっている私としては、なんか嬉しい。懸命に主張するよりも、さらっととか、こっそり主張するものの方が、認められやすいというのが、私の特徴かなf(^^;。

午後の講座は、あべたかさんのもの。iPhoneの教育活用である。すばらしいことに、ソフトバンクからiPhoneを25台無料で借りてきての講座である。

あべたかさん特有のゆったりとした講座であった。私は新型のiPhoneが登場する様子を見ているので、今のところiPod touchでいいのだが、あべたかさんがどんな感じで使っているのかを知りたかったので、この講座に参加。

すると、最初から参加している喜岡さんの他に、藤川大祐さんや、shioこと塩澤さんなどもフラッと顔を出していらっしゃった。はははは。一番濃いメンバーの集まる講座となった。

最後は、ライティングワークショップを教師のライフヒストリー的に考えてみるというプログラムであった。もちろん、登壇するのは、岩瀬直樹さんである。

岩瀬さんの実践が提示された後、上條さんが質問をし、会場から質問を受付け、最後に兵庫県立大学の藤原さんが対話をするという構成であった。

岩瀬さんには、「明日の教室」でもご登壇願っているし、私は著書は全部読んでいるので、楽しく伺うことができたが、初めて岩瀬さんの実践に触れた若い先生や、ベテランの先生は衝撃だったのではないかなあ。

だが、できないと思った若手教員もいたようだ。「できるできない」が、教員の力量の問題であるのであれば、力量を付ければ良いだけのこと。私はそう考えている。教員の力量以外のさまざま問題が絡んでくるのも教育実践の現場である。だけど、教師の力量でなんとかなるのであれば、力量を付ければ良いだけのこと。私はそう考えている。

そして、できない理由を並べても、なんの成長にもならないことも私は知っている。できなかった理由の言い訳も同じ。できる可能性を捜すほうが、よっぽど生産的なのだ。

私がこのセクションでした質問は、

「書けないというこどもたちへの関わり方は分かるのですが、書かないと宣言している子どもたちにはどうしたらいいのでしょうか?」

というものである。
これは結構大きな問題だと思っている。その場で答えの出るような問いではないと思ったので、問題の所在を確認して質問は終えたが、是非岩瀬さんに、ライティングワークショップとファシリテーションの文脈の中で、答えまたはヒントを提示してもらえないかなあと思っている。

いやあ、良かったなあ。岩瀬さん、ありがとう。

で、懇親会。
ああ、諸般の事情で私はノーアルコール。ウーロン茶一直線である。

でもまあ、それなりに楽しめたf(^^;。
なんだ、できるじゃん、俺。

一次会では、夏の授業づくりネットワーク京都大会の大きな流れの調整に奔走。当初事務局から難色を示されていた企画も、
「あ、それなら行けるね」
と了解を得る。

そうなったら、その場でたったかたったかである。
ふう、これで大きく動き出せるぞ。

二次会では、岩瀬さん、石川さん、佐々木さん、田中博さん、甲斐崎さんらとじっくり話し込む。乱入で土作さん。もちろんノーアルコールでf(^^;。

ライティングワークショップの説明や実践の中に、私が主張している「国語科を実技教科にしたい」という考え方や「書き込み回覧作文」によるカンファレンスに共通しているところがあるなあと思って、そのあたりのことを、岩瀬さんに聞いてみた。

すると、まさにそれを意識してくれていると言う。嬉しいねえ。
「国語科を実技教科にしたいというのは、ずっと残っているんです」
と話してくれた。

メッセージが伝わるというのは、嬉しいものだ。受け取ってくれる人がいて、それを多少でも活かしてくれて、実践につなげてくれる。嬉しいものだ、としみじみ思った吉祥寺の夜。

その後、土作さんなどと一緒にラーメン屋へ。ここには私が大学院に行っているときに学部の一年生であった若者が、教師になって三年目になっていて、今回の会に参加していた先生も一緒にきた。大熊先生にご指導を受けた仲間である。

授業づくりネットワークは初めての参加だったそうだが、最後の最後まで参加。こういうのが本当は大事なんだよね。ディープな話は、最後に出るからねえ。

ホテルに戻り、充実した一日を思い、明日の高知行きのことを考えながら、熟睡。
その時は、明日の朝起きるスリリングな出来事等、もちろん、全く知る由もなかったのであった。

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コメント

池田さん、先日はお世話になりました。2次会での話は実に濃かったですねえ。
私は「子供を変えれば日本が変わる」ということを信条にしています。それが教師を続けるモチベーションです。「日本中のクラスに笑いを!」が、私の野望です。「人類に貢献する」までは考えてなかった。いや、大きい。グローバルだ。また、ご指導くださいませ。
今度、比叡山で私のハチロクと池田さんのBMWでバトルしましょう。(笑)

>あべたかさん特有のゆったりとした講座であった。

いえいえ。
普通のわたしの講座は、もっときっちりしています。
誤解なきように・・・(汗)。

iPhone講座はどのように進めるか、最後の最後まで迷って、結局はみなさんに自由に使ってもらうのが一番という結論になったわけです(笑)。
こんなんで、もうしわけございませんでした・・・(._.)オジギ

JJさん、やっぱり懇親会は時間が深くなると、話題もそれに比例しますよね(^^)。私もノーアルコールでも楽しめたのは、みなさんと話せたからだなあと思ってます。

国語科を実技教科にしたい、教育はラグビーだなど呟いてきましたが、人類に貢献する授業も、今回はみなさんに認めていただいて、嬉しく思います。また、こっそりとあれこれ呟きたいと思います。

>>今度、比叡山で私のハチロクと池田さんのBMWでバトルしましょう。(笑)

そりゃあ、AE86の勝ちでしょうf(^^;。 私のはMスポーツではありますが、ツーリングワゴンですって。ではありますが、夏の京都までAE86でお越しになるのを楽しみにしております。

あべたかさん、

>>普通のわたしの講座は、もっときっちりしています。

え? 語り口ですが。
準備のきっちりさには、さすがだなあと思っていましたよ(^^)。

ということで六月の新型iPhoneを楽しみにしています。

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