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2010/03/31

まさに、 世の中に絶えて桜のなかりせば

3/31

仲間のブログやtwitterを読んでいると、異動や昇進や転居など、年度末の忙しさ一杯である。明日から、新年度。私たち年度で動くものは、やっぱり今日が大晦日の感じがする。

ではあるものの、今年度の私は年度末、年度始めの初日ぐらいは比較的穏やかに進むことになりそうで、ホッとしている。

大学の友人にOという男がいる。長野県で高校の教員をしている。十数年前、秋の真っ盛りに電話をしていた。

『どう? そっちの様子は』
「いやあ、忙しくて大変なんだよ」
『そうか。やっぱり長野もいろいろと忙しいんだなあ』
「そうなんだよ。キノコ狩りに行かなければならないし、紅葉は見事だし、家庭菜園は収穫しなければならないし」
『おいおい、教育じゃないのかい』

ということがあった。
まったくもってふざけていると思っていた。

しかし、今はよーっく分かる。
京都にやってきて、春と秋は大変なことになっているのである。
桜と紅葉を見ないことにはもうどうしょうもない。

京都は東京に比べれば移動する距離は狭いが、まあ、一ヶ月ぐらいあちらこちらで見事な桜が咲いている。さらに、滋賀の桜に奈良の桜がある。ネットで開花の状態を確認し、時間を縫って見に行くのだ。これがまあ大変なのである。

よっく分かる。まさに、

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

である。

今日は、娘を連れて岡崎公園の琵琶湖疎水の桜を見に行った。疎水に十石舟を浮かべて、水上から桜を楽しむ。また、インクラインを歩いて、往時を偲びながら楽しむ。

桜は、全体としては五分咲き。
だが、ところどころに満開の桜があり、目を和ませてくれた。

2

3

4

さ、明日から新年度だ。

放映日変更のお知らせ 3/31から4/2へ

ディレクターさんから連絡がありました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

さて、昨今の国会の情勢を受けまして、ご出演いただいた番組の放送時間が
変更になりました。
関係の方々にご周知いただければありがたいです。 もりかわけんた

【放送日時変更のお知らせ】

テレビ春期講座「スザンヌの“勉強できない!”脱出計画」
の放送日時が変更になります。

3/31(水) 午後3時30分〜4時は高校野球のため休止
4/ 2(金) 午後2時〜2時30分
4/ 4(日) 午後4時30分〜5時(再)

引用終了 ーーーーーーーーーー

2010/03/30

願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

3/30

願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

新古今和歌集の代表歌人、西行法師の名句です。
本日は、旧暦の二月、つまりは如月の満月です。
西行法師が、願った春は、今宵の月のころなのでしょうね。

確かに良い季節だ。
ベランダに出て、寝る前にもう一度月を愛でることにします。

おやすみなさい。

娘の寝返りで蹴られて、起床

3/30

娘の寝返りで蹴られて、起床。これから朝日が昇ってくる。山は昨日の雪が残ったままだ。

で、翌朝の日の出。こんなにめまぐるしいのも久しぶりだ。

Asayake

寒いけど美しい一日になりそうだ。

2010/03/29

寒く、美しい一日であった

3/29

いやあ、寒い日だ。

午前中は、家の近くにある温泉に娘と出かける。
のんびり寛ぐ予定が、たくさんのお風呂に喜ぶ娘は、一つの風呂に入っては、次の風呂に移るので、まったく寛げなかった。

ま、娘と一緒に行って寛ごうなんてことを思うことが、甘いのだろうが。

午後、ふと外を見ると晴れたり曇ったりしていた空が、東の空から急変。あれ〜っと思っていたら。雪である。ひえ〜。桜が咲いているのに、雪である。

Ooyuki

ということで、雪がやんだ後の比叡山。我が家の裏側はこんな風になっています。

Snowhiei

そして、琵琶湖に上る満月。

Snowmoon

なんという一日だ。
この天気の移り変わりは。
寒く、美しい一日であった。

三月は、三回結婚式に出た

3/28

三月は、三回結婚式に出た。
モチロン、お招きいただいた「娘」たちを祝う気持は、その通りであるが、思うのは、わが娘のことである。

昨日の結婚式は、私が大学に移ったときに四回生だった学生である。大学の先生としての振る舞い方を「しつけて」くれた学生の一人である。

一人娘であるのは知っていた。卒業式のときにご両親がやってきて、ご挨拶を頂いた。そのときにもとても大切にしているのが、分かったが、今回も本当に感じた。

人生は不条理である。
矛盾に満ちている。

内田樹先生は、
「子どもが生まれたとき、このこのためには死ねると思い、同時にこの子のためには死ねないと思った。これほど矛盾したことがあるかと思った」
と述べている。

昨日の結婚式でも、父親は
「これほど幸せな瞬間は無い。そして、これほど悲しい瞬間もない」
と思ったことであろう。

いくつもの思い出の写真が映像で流されるのを見ながら、
(うわあ、これから20数年で、こんなことが私にもやってくるのかあ)
とあれこれ思う。そして、式場を見れば、成長した娘(卒業生)。
この三月は、これを三回も味わった。
嬉しい思いと、切ない思いと両方とも同時に味わった。

ああ、生きるってのはいいなあと。
私の娘との時間を大事にしたいなあと思ったのだった。

Bouquet

三回結婚式に出て、三人に共通して思ったことがある。
三人の娘のご両親、または本人は口を揃えて
「娘は、いい先生に恵まれました」
と言う。

私は違うなあと思っていた。
思っていたが、そういう席で反論をするのもなんだかなあと思ったので、
『ええ、まあ、ありがとうございます』
と言っていたのだが、違うと思っている。
『いい先生に恵まれたのではなく、お嬢さんがいい学生だったのです』
ということである。

どんな先生だって万能ではない。向き不向きや合う合わないというのが人との付き合いである。それは先生に対しても同じだ。まして、私のように癖の強い先生である。その先生をいい先生というのは、それは明らかに、娘さんの人間が出来ているからである。

『いい先生も、いい仲間もいない。そう思える、あなたがいい人。あなたのことを、大切にしたいと思う人がいる。だから、あなたがいい人』

そんなことを思ったのであった。

また、改めて思った、
(怖い先生ではなく、厳しい先生になろう)
(もっと厳しい先生になろう)
と。

卒業生から、言われたお礼の言葉を翻訳すると、そう言う答えが出てくる。
(このぐらいいいかあ)
と思ったことを許さないことが、学生諸君のためになることは、分かっている。分かっているが、人間の出来ていない私は、
(ま、いっか)
と許してしまいたくなるが、これをしてはいけないのだなあと改めて思ったのだ。適当に許してしまって、学生たちのためになることはない。

恩師も厳しくして下さったよなあ。あの時は、
(こんちくしょう)
としか思わなかったけどf(^^;。
ああ、先生すみません。
せめての罪滅ぼしで、先生の意志を継がせていただきます。

この一ヶ月、いろいろとあったけど、なんとか、生きているよ。
幸せな中に、生きているよ。
もう少し頑張るよ。

帰りの電車の中で、
そんなことをふと思った。

本日、さくらの日

3.27

本日、さくらの日だそうだ。
咲く(3×9)27だそうで。
なんだかもうどうでも良くなってしまうな。

午前中は、ボーッと過ごす。
久し振りに綺麗に晴れた琵琶湖。輝く湖面。走るヨット。ブラックバスを狙う釣り船。ベランダから眺める。桜は一気に開花だろうなあと思いながら過ごす。

私がそうして紅茶を楽しみながら寛いでいると、黙っていられないのが、我が娘。ベランダに出て来ては、あれしてこれしてと指示を出す。はい、はい。お姫さまのいう通りでございます。椅子に乗せたり、掃除に付き合ったり、花に水をやったりする。

わがままで、反抗期真っ盛りである我が娘だが、成長しているなあと思うこともある。話を聞き分けられるようになって来ている。

私が、しゃがんで目を合わせて、大事なことだから話を聞いて欲しいと言うオーラ全開で話すと、きちんと聞くことが多くなって来たと私は感じている。

それから、人称代名詞に敏感になっているのが面白い。

「まったくこの子は」
と奥さんが呟くと、
「この子じゃないでしょ‼ ◯◯チャンでしょ‼」
と怒るのである。

へーっ、面白いと思うお父さんは、早速あれこれ実験開始。名前の代わりに、この子、こいつ、此奴、この野郎、お前は、全部怒る。勿論、人称代名詞を理解しているわけもないので、文脈で理解しているんだろうなあと、お父さんは理解。

因みに、
「この◯◯ちゃんやろう」
と言って見たら、悩んでいた。
そして、ニコッと笑っていた。
はい、お父さんの負けです。

午后からは、上賀茂神社へ。斎王桜の満開は見たことがあるのだか、隣にある御代桜の満開は見たことがなかったので、行くことに。

まだ、芝生は青々としていない。その時期にもかかわらず、御代桜は、見事に咲いていた。

Miyozakura_2

また、娘のために植えた桜も見に行く。こちらはまだ咲いていないが、まあなんとか根を張っているようで良かった。

夕方、新幹線に飛び乗り、名古屋経由で、岐阜へ。
翌日の結婚式のための前泊だ。

挙式に参列する卒業生たちと、一緒に食事に出かける。
手羽先料理のおいしい店をネットで発見したので、そちらへ。

それぞれのいまの仕事のことなどを聞きながら過ごす。
がんばっているのが伝わってくる。
翌朝9時40分のバスに乗ることを確認して、爆睡。

十日ぶりのビール

3/26

朝から格闘。
検査であった。
検査の準備に格闘。

先週の夜、ちょっと大きな体調の変化があった。
断酒をして三日目のことである。
断酒をしているのに、そんなぁという思いであった。

翌日慌てて病院へ。
検査は来週、つまり今日ということになってしまった。

本日昼過ぎ、カメラを体に入れてあれこれ。
結果、大事には至らないことが分かり、ほっ。

検査結果の最初に
「血液検査の結果、癌マーカーの値は正常です」
とさらりと言ってくれたので、その後の説明を安心して聞くことができた。

知り合いの先生に言われた。

「あなたは、長生きすることが義務です」

と。先生のこの言葉が無かったら、こんなにすぐに病院に行かなかっただろうし、授業づくりネットワークの懇親会、結婚式の披露宴とあったなかでの断酒は出来なかったかもなあ。

ありがとうございます。

学生からも同じように、倒れるなエール。
大丈夫だったよ。
びしばし行くから、心配するな(^^)。

で、十日ぶりのビール。
あは。
一口で酔いそうだ。

少し仕事をセーブして、体の声を聞くか。

2010/03/26

生活綴り方とライティングワークショップとの関係を思う

3/25

本日は、児童教育学科の二回生キャンプであった。GPの企画の一つである。

二回生キャンプの最初の全体講演は、野名龍二先生である。綴り方教育の重鎮である。本学の二回生に、他大学での授業の話等もされていた。その時の学生の感想の中に、

「野名先生の授業は、子どもの作文を読むだけだった」

大阪教育大学の学生の感想だそうだ。
この学生は野名先生の授業を非難しているのだろう。だけど、違うのだなあ。

作品の鑑賞の仕方にはいろいろとある。論理的文章などは、批判的に読む、分析的に読むというのが、大切にされている。だが、文学作品は、ときに、丸ごと読むというのが効果的な場合がある。

一つの作品を読み、ただ一言
「いいでしょ」
とか
「いいなあ」
だけ言ってオシマイにするのである。

何がどのようにいいのかということを説明すること無く、いいねえでオシマイにする。何がどう良いのかは、読者、つまりは生徒や学生に丸投げしてしまうという読み方である。

これはなかなか出来る授業ではない。その凄さが、学生さんには分からないのだろうなあと思った。

私も中学生に、一回の国語の授業で一つ、詩、短歌、俳句を教えてから教科書に入る実践をしていた。で、良い作品のときには
『良いでしょ』
とだけ、言って終わりにすることもあったが、これはなかなかできるものではなかった。これでも難しかった。しかし、野名先生は更に難しいことをされているのである。

だいたいからして、読むだけというが、読んでいるのは子どもの詩である。子どもに詩を書かせる指導をしている。そして、作品にまとめている。ここの凄さが分からない。さらに、読むということは一番シンプルな解釈であり、その解釈に基づいて読んでいるのである。ここも分かっていない。

恐らく、野名先生が、教室で子どもの前に立って、教科書を読むとき、そこはシンプルな解釈が満載の読み方だったに違いない。今日、野名先生の読み上げている様子から、そのことはよーく分かった。

「良い作文は、自分がしたことを書かない。見た事実を書く。言葉に力が入ります」
「感受性は人の喜びや悲しみ等を自分のものにする能力。能力だから磨けば光る」
「なんでも真剣にやらなければ面白みは生まれない」
「学習指導要領に、作文という文言を復活させたい」

他にも野名先生からは、すばらしい言葉をたくさん頂いた。
本学の新三回生に届くと良いなあと思いながら、聞いていた。

また、

「文章についての意識を高めるようにはしたが、何を書けとは言わなかった」
「書いてきた作文は、朝の学活で読み上げていた」

など、綴り方の指導のことを話されていたが、

(ああ、これはライティングワークショップの作家の時間だなあ。先生は書きたいことを書かせていて、カンファレンスをしている。そして、作家の椅子の代わりに、先生が読み上げているんだなあ。綴り方運動と繋がっているんだなあ)

とも思った。生活綴り方は、政治的な思想に基づいた教育のようなイメージがあるのだが、今日の野名先生のお話を伺っていると、そんな感じはほとんどなく、もう少し勉強してみようかなあと思う私でもあった。

本当は、夜泊まって学生たちと、教育についてあれこれ話をしたかったのではあるが、翌日の検査のことを考えるとそれも無理だったので、一足先に帰った私でした。

NHK教育「テストの花道」

私の知り合いのプロデューサーさんの関係する新番組です。MCは所ジョージさんとTOKIOの城島さんです。なかなか面白い番組になりそうです。良かったらご覧下さい。

NHK教育「テストの花道」



【放送予定時間】

毎週      月曜
午後6:55~7:25


(再放送)

毎週      土曜
午前9:25~9:55

最後の文学部教授会

3/24

年度末最後の会議の日であった。多い先生は5つかな。私は4つだったが。年度末のまとめというよりは、今後のことについてあれこれ会議を進める。

会議の一つは、教授会。
文学部の教授会に出席するのは、今日で最後だなあと思う。来年度からは人間発達学部の教授会になる。

文学部の先生と会議の始まる前に少し話す。

「児童教育学科のお陰で、文学部も活気が出ました。ありがとうございます。先生の大きな笑い声が聞こえない教授会になるのも寂しいですね」
『いえいえ、とんでもないことですf(^^;。元々文学部がきちんとした学生を育てようとする方針があったからであって、そこに乗っかっただけです』
「そう言っていただけると、嬉しいです」
『本当にそうです』
「ただ、いまは文学を学んだところで就職にあまり関係のないという考えを持つ人たちも多いから大変で」
『そうですよねえ。私も文学部でしたが、文学部に進学するということだけで、自分の人生は自分で責任を取らなければなあというか、人生半分諦めたと言うか、そんな思いで進学したものですが』
「?」
『なんと言いましょうか、きちんと就職したいなら法学部や経済学部に進学するのが、男でしょうというものがあって、その中でわざわざ文学部を選ぶ男なんて、すいません、ほっといてください、あとは自分でなんとかしますってな感じだったんですけどねえ。それで、マスコミ関連、教師、○モなどのどれかになるための努力は自分でしますってな感じだったということです』
「そうですよね」
『いま、就職ができないのは大学の所為、学問の所為のように言われる風潮がありますが、おかしいですよね。あのバブルの頃は、大学や学問なんて問われること無く就職していたわけですから。就職は、経済状況の問題であって、大学や学問の問題ではない。そんなのはバブルの頃のことを考えれば、分かり切っているのに、大学と学問の所為にしようとする。おかしいです。そして、学生が可哀想です』
「本当に」

もちろん、一介の大学教員に世の中の経済動向にあれこれ苦言を呈したところでどうすることもできない。分かって入る。

また、学生が時代が悪いと時代の所為にしたところで何も始まらないということも分かっている。誰にとっても、良い時代というのことは無いのだと思う。時代の所為にしてもダメだ。

亀井勝一郎は、これをこのように言っている。

引用開始 ーーーーーーーーーー

『人生論』 亀井勝一郎

甘やかされた青春、それを恥じよ。むろん時代苦や生活苦は誰しも感じているであろうが、それを時代のせいにして、自分の責任を免れようとする態度も私は卑怯だと思う。時代と環境の悪いのは事実だ。しかしわれわれは時代と環境の奴隷ではない筈だ。悪い環境こそ乗り越えねばならぬ障害物で、実は善い環境だと感じる勇気を、私は青春にほしい。

引用終了 ーーーーーーーーーー

だから、知恵を絞って学生たちに力を付けようとしている。学ぶこと、生きることの根っこの部分を、社会に出る最後の四年間で鍛えたいと考えている。

人間が立ち向かえる部分はほんの少しかもしれない。だが、立ち向かうことが人間であるはずだ。

そんなことを考えながら、最後の文学部教授会に参加していた。

2010/03/23

ベーシック10のPR番組に出演します 3/31 15:30-16:00

3/23

ひっっっっっさしぶりに、一歩も家から出ない一日であった。とにかく体を休めようとして、家に居続けた。

ま、家にいてもあちらこちらからメールが飛び込んできて、その内容に対応しなければならないので、のんびりぼーっとするということでもないのだが、移動距離が部屋の中だけというのは、いいものだ。

そのメールの中の一つに、NHK教育テレビのディレクターからのものがあった。私がリアルキッズに授業をしている番組である。放映の詳しい日程が知らされてあった。

引用開始 ーーーーーーーーーー

●放送:3月31日(水)15:30-16:00 

●再放送:4月2日(金)14:30-15:00

です。ベーシック10のPR番組として放送されます。

番組は勉強ができない高校生の応援団として、スザンヌさんというタレントとレポーターたちが、国語・数学・英語の専門家を訪ねて、勉強できないを克服する方法を探るというものです。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この番組のディレクターさんは、私が東京に向かう新幹線の中に乗り込んできて、名古屋から品川までの間に打ち合わせをした。

どんな仕上がりになっているのか、それは私も分からないが、ま5分ぐらいは私の担当した国語の部分がでるんじゃないかなあ。

良かったらご覧下さい。

休日は、頭を休めるために笑える本を読む。今日読んだ本にあった話。

『声に出して笑える日本語』(立川談四楼 光文社)より引用開始 ーーーーーーーーーー

あなたの座右の銘は? という質問に対する答えが振るっていた。ガッツさんはすかさず「イッテンゴ」と答え、テレビのスタジオのみならず、視聴していた私をも凍らせた。しばらくわからなかったが、どうもガッツさん、「座右の銘」と「左右の目」を聞き間違えたらしい。で、1・5なのである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

くだらない。実に下らない。
が、オフにはこういうのが実に良い。

さ、明日からまたしばらく忙しい日々が続く。

一時間美しい時間の中に身を置く

3.22

ホテルの朝ご飯が8:30までということなので、8:00に起きて食事に向かう。

パン、サラダ、ジュース、珈琲、バナナとシンプルなメニューだが、これで十分。

食後に朝ブロを浴びて、さあ、京都に戻る準備だ。

ホテルから高知駅に向かう道すがらに、八幡神社があった。立ち寄って、卒業生を見守っていただけますようにとお祈りする。

高知駅前では、「土佐・龍馬であい博」なるものの入場者がいちまんにんだか、十万人だかになったということの記念セレモニーをしていた。流石、龍馬伝yearである。

高知から我が家までは、電車の乗り継ぎで四時間。飛行機を使うと三時間。値段は数千円しか違わない。

一瞬、飛行機かなぁー、と思ったがやめた。理由は二つ。今日が三連休の最終日ということ。恐らく飛行機は物凄く混んでいるだろうと思えたこと。

もう一つは、到着時間が変わらないということだ。つまり、高知を出る時間は一時間ゆったり出来るということなのだ。ホテルのチェックアウトが11:00なら考えても良かったが、10:00では意味がない。駅前で一時間観光ってのもねえ。

で、特急南風で高知駅から、岡山駅を目指す。南風の指定席は予約で一杯で取れなかったが、自由席でもなんとか座れた。三両編成の特急ってのも珍しいなあと思いながら、シートに体を埋める。

列車は四国山脈の中を駆け抜ける。これが結構気持ちがいい。大杉では眼上の緑の波に洗われ、大歩危の清流を眼下に納める。

さらに何と言っても、桜だ。四国三郎、吉野川沿いに桜並木が続く。線路脇にも桜並木が続く。

今年の開花は高知が沖縄を除いては一番早いとのことだが、まさにこれをあじわっているのだ。贅沢だ。

一時間余計にかかるのではなく、一時間美しい時間の中に身を置くために乗ったと言ってもいいくらいだ。

唐突に、父の母親の葬式を思い出す。山形での葬式で四月の末であった。私が唸ったのは、山形の桜であった。

東京の桜が葉桜になったあとの、山形での葬式であった。学校を休んで田舎に向かったわけである。そこでであったのが、満開の、その年二回目の桜であった。

(ああ、人は人生の最後にこうして葬送の人の目を喜ばせる人もいるのだなあ)

と思った。
もちろん、人生の最後は自分で選べるものではない。だから、

願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃

と願うわけであるが、ただ、ただ、そうなんだなあと思ったわけだ。おばあちゃんは、桜の花の下に、土に還るんだなあと思ったわけだ。

ちなみに、祖父の葬式は紅葉の頃であった。これも見事であった。

ライフイベンツには様々なものがある。予定できるもの、できないものがある。初恋、進学、就職、結婚するタイミング、子どもを授かるタイミング、病のとき、快癒のとき、事故に怪我にと。天気だって選べない。雨も、晴れも、嵐も、雪も、快晴もある。あるが、選べない。

多くの人は選んでいるように思っているが、多くの場合選ぼうとしながら、選べずに訪れるものを受け入れて、または背負って生きて行くのである。

そんなことを改めて思い出させてくるのが、旅なのだなあ、四季の移ろいなのだなあと思う。

んでもって、景色も楽しみながらではあるが、ブログもの記事も書きながらの乗車である。BGMは高中正義さんの「ブルーラグーン」。これを繰り返し聞いている。

ヘッドフォンから流れる音とは別に、電車の振動は体に伝わってくる。その音が変わった。
(ん? なんだ?)
と周りをきょろきょろすると、車窓の向こうが真っ青。ああ、瀬戸内海である。

瀬戸大橋を渡っていたのだ。
レールのつなぎ目が長くなったのと、反響が変わったのがあって、体に伝わってくる音が変わったのだな。

この景色もいい。
繰り返し聞いているブルーラグーンにぴったりだ。

岡山駅では、8分の乗り換え時間で新幹線に接続。しかもn700系。MacBook Proの設定を変更したので、新大阪から先きは無線LANにばしっと接続。いやあ、快適。

岡山駅から京都駅まではほんの1時間。実に早い。
あっという間である。

京都駅ホームは、人で溢れていた。さすがに三連休の最終日だ。巻j高知から自宅に戻る人たちで一杯であった。

京都駅で娘と待ち合わせ。
久しぶりに見るお父さんに少し照れるものの、すぐにべたべた甘える。私も久しぶりの抱っこなので、いつもより余分に抱っこのサービスをする。

4日ぶりの自宅。
琵琶湖の夜景は、やはり奇麗で、いいものだ。

ふう。
明日は、休むぞ(^^)。

ミッションコンプリート

3.21

朝の7時にホテルの部屋を出れば、十分に羽田行きの電車に間に合うと考えて計画を立てた。

ところが、なんというかぐっすりと寝られなかったのである。寝過ごしてはいけないと思っていたせいもあってか、5時台に起きてしまった。

風呂にお湯をためて、メールを確認。特に大きな案件は無し。折角だからゆっくり風呂に入ろう。

で、出て来てからツイッターを少し眺める。

(え? ディベート大会が開けないかも?)

よく読んでみると、その記事には関東全域の電車が止まっているとの情報があった。いつもは、中央線に座れたかどうかを熱心にツイートしている教え子の情報である。

慌ててネットで確認する。確かに全域で止まっている。原因は、強風。風で止まるのは湖西線の得意技であるが、まさか、東京で同じ目に遭うとは。

幸いにして山手線はうごいているようだ。ということは、兎に角山手線までたどり着けばなんとかなるのではないかと思い、慌てて荷物をスーツケースに押し込む。

吉祥寺駅には、動かない電車の再開情報を求める人たち。私は、井の頭線に駆け込む。動いていたのだ。これで渋谷まではなんとかなる。さ、後はその場で考えよう。

ありがたいことに、山手線、京急ともに動いていてくれて、何とか羽田駅までは到着。
これ、運もよかったが、東京の地理に明るくて、尚且つネットが使えないと乗り切れなかったろうなあ。

緊急事態になると、妙に冷静になる私の性格も幸いして、目出度めでたしであった。

しかし、まだすんなりとは行かせてはくれなかった。9:05発の予定が、11:00発に変更になってしまった。

慌てて関係各所に連絡する。高知龍馬空港から結婚式場までは、タクシーを飛ばしても開会に間に合うかどうかだ。だが、飛ぶだけまだマシと考え直す。

飛行場は、キャンセル待ちの人、新しくチケットを買う人達の達の長蛇の列。この列に並ばなければならないと分かったら、諦めて京都に帰ったろうなあ。

離陸まで2時間半の時間が生まれたので、取り敢えず朝ご飯を食べることにした。

5時に起きてそろそろ9時になる。お腹もそこそこ空いている。2時間半の時間ができてしまったので、取り敢えず朝ご飯を食べ、混んでいる出発ロビーのある2階を避けて地下1階に下りて、ソファの上で寛いでいました。ちょっと寝てしまいそうだったので、きちんとタイマーをセットして寝過ごさないようにしてね。

で、10時になったので、移動開始。本屋に寄って本を物色し、30分前の10:30にボディチェックを受けて、搭乗口の3番ゲートに向かって歩き始めました。

(ま、30分前であれば余裕だな)

と思って250m先にある3番ゲートに向かって歩いていたところ!!

「高知行きのお客様いらっしゃいませんか?!」

というグランドスチュワーデスの声が、微かに聞こえた。
私は歩く歩道に乗っていたのだが、
「はい?」
と返事をしたのだ。

そこは7番搭乗口。
私は3番搭乗口を目指していたから、何かの間違いかと思いながらも一応返事をしたのだ。

そしたら、

「こちらです!!」

とのこと。
何がなんだか分からないのだが、様子が変だ。
事情を聞いてみてびっくり。
11:00発の予定が10:40に変更になり、3番ゲートの予定が7番ゲートに変更になっていたのだ。飛行機の扉が閉まる3分前であった。

もし、あのタイミングで「はい?」と返事をしていなかったら、3番搭口にまで行ってしまったろうし、そうしたら、慌てて7番に引き返しても間に合わず、荷物だけ高知に行ってしまうということになっていたろう。

変更は、空港内にアナウンスがあったと言うが、私は聞こえなかった。寝ていた時なのかなあ。

しかし、本当に危なかった。いつもの私なら11:00であれば、ギリギリに搭乗口に行くのだが、今日は何か虫が知らせたのか30分前に行けた。その結果、3分前に飛行機に駆け込むことができたんだな。

で、黄砂の中を突っ切って進む揺れる飛行機で、高知竜馬空港に到着。
房総半島はまッ黄色。紀伊半島あたりから空が澄み始めた。

眼下には白波を立てている海。高砂には、「四海波静にて〜」とあるが、ちょっと違うなあと思っていたが、高知に到着するあたりで波静かに。結婚式日和である。

タクシーに飛び乗り早速、結婚式場に電話。
「いま、式場に向かうタクシーに乗りました!」
「そうですか、それは良かったです。それならば、・・・」

(え? そうなの??)

天は、まだ私に試練を与えるf(^^;。

「はい、お伝えします。主賓のスピーチは大丈夫そうですね」
『え、まあ、はい』

(おい、新婦よ、主賓だなんて聞いていないぞ。主賓のスピーチってのも聞いていないぞ)

タクシーでゆったりと思っていたのにそんなことは許されなくなってしまった。20分で到着するというので、その間に、準備をして、練習をしてと。

そうこうしている間に、到着。
試練は突然降ってくる。それはいつものことだが、少し降ってくるのが集中していないかい?

到着後、慌てて礼服に着替えて、結婚式に突入であった。
でもまあ、なんとかスピーチもうまくいきました。ふう(^^)。

結婚式は恙無くお開きになり、二人は幾久しくも仕合せになるようにと、仲間から祝福を受けていました。

おめでとう。

その後、新婦の高知時代の書道のお師匠さんが、あちこち案内して下さるというので、お言葉に甘えることに。五台山を上ったりあれこれ。そして、ホテルにまで運んで下さった。ありがたいことだ。

ホテルでは、喫煙の部屋だったので慌てて変更してもらう。満室だったら、仕方なくそのまま京都まで帰るところであった。

二次会を終えた卒業生たちと、お茶をして、近況を聞いて、長い一日を終えた。ま、移動距離は大したこと無いが、緊張のスリリングな一日であった。

良くミッションコンプリート出来ました(^^)。


授業づくりネットワーク 2010春  「人類に貢献しているか」

3/20

授業づくりネットワークの会場である成蹊大学に到着したのは、受付開始30分前の9:00。
もう少し早く出られるように準備をしていたのだが、服を着ているときに左肩に激痛。動かなくなってしまったのだ。40肩なのか、50肩なのかf(^^;。しばらく、動かずにもう一度ベッドに横たわっていた。んで、9:00になんとか到着。

今回の私の担当は、大会最初のプログラムである。mini1グランプリの歴代の優勝者が7分間の授業をするので、そこでは何が行われていたのか、私たちはここから何を学ぶべきなのかをとりだして、授業者と対話することが役割である。

この企画のために、大会が始まる前にMLを立ち上げて、あれこれ議論を重ねていた。出場者、事務局、担当者であれこれ話していたのだ。

私はその議論の中で、自分の役割は何なのかをずっと考えていた。いや、ずっとというのを誤解の無いように言えば、片思いのようにというのが正しい。片思いの時は、気がついたらその人のことを思い出しているという思い方である。ずっと考えるというのは、24時間考え続けているというよりは、気がついたらその問題を考えているということの方が正しい。

で、腹をくくった。
実際の授業を見ないと分からない。だから、じっくりと見るということである。

ただ、単に見続けるだけでは、それでおしまいという可能性もあるので、授業で行われる指導言を手がかりにして見ようと決めていた。

mini1の場合、授業の時間が限られている。5分、または7分で行われる模擬授業である。通常の45分(小学校)の授業ではなく、この短時間で行おうとする場合、時間を短くするために授業者がコントロールできる部分は何かと言えば、指導言である。

私は、指導言は「サーブ」であると考えている。テニスやバレーのサーブである。サーブは、相手の状況を考えて、自分の意図で打ち込む場所や球種などを選択することができる。タイミングを変えることもできる。基本的に、相手に影響されることはない。

これと同じように、指導言は基本的に授業者から最初に発せられる者であるが故に、自分でコントロールすることができる。これは、一斉指導でも、個人指導でも、「学び合い」でも同じであろう。

結果として、この仮説は一定の正しさを持って機能したと言っても良いだろう。その場で初めて見る三つの短時間の模擬授業で何が行われているのか、何を学ぶべきなのかを分析を、あの短時間でできる限りのことは、なんとかできたのではないかと思っている。

で、この対話の冒頭で、私は私が授業を評価する四つの観点というものを予め示しておいた。それは、

1)楽しく行われたか
2)授業の前と後で、学習者が良い方向に変化したか
3)学んだ内容が、他の教科の学習に良い影響を与えるか
4)学んだ内容が、人類に貢献しているか

である。

1)は、有田和正先生の主張に沿うものであり、2)は野口芳宏先生の向上的変容に呼応するものと考えている。ちょっと偉そうな言い方になるが、この1)と2)は両先生の主張から学んだというよりは、私が勝手に思っていたものなので、
(あ、同じだ)
と不遜にも若造のときに思っていたものである。

3)は良い学習は転化するというものである。ま、国語科の教員ということもあるので、他の学習の基礎を作らねばならないという思いが、私にこの考えを提出させているのかもしれない。

で、4)である。
これは、どこかにチラッと書いたり、講座や講演のときにちらっと言ってきたことなのであるが、今回もチラッと言ってしまった。なんというか、私ごときの人間がこんな大きなことを言うのは憚られたので、チラッと言ってきたというのが正直なところだ。

だが、ジョンレノンも、忌野清志郎も、彼らが最終的にたどり着こうとしていたところは、世界平和であり、人類への貢献であると私は考えている。小書『教師になるということ』では、社会に繋がる力ということでこのことを少し論じた。そのことである。

私が小中高と生徒を過ごした時代は、

「良い学校に入れ、良い大学に入れ、良い会社に入れ、そうすれば君は良い人生を手に入れることができる。勉強をするのは自分のためだぞ。しっかりやれ」

という説明がされていたように思う。そして、それを疑うことは社会全体に無かった。自分のために勉強をしろである。高度経済成長時代の学びはそれで機能していたと考えられる。しかし、この考えが社会を良い方向に導かなかったことも事実ではないだろうか。一言で言えば、自分だけ良ければ良いという流れを作ってしまった、利己主義的な個人を育ててしまったのではないかと言う疑念が生まれるのである。これは違うというのが、教師になってからの私の思いの底にある。

もちろん、指導した内容が、そしてそれを学んだ内容が、本当に社会に貢献しているのか、また、人類に貢献していると言えるのか? その証明はほぼ不可能である。不可能ではあるが、21世紀の教育を考えるとき、人類に貢献する学び、それを育てる授業というのは避けて通れないどころか、メインストリートになる課題だと考えている。

大会後、卒業生の結婚式に向かう高知には、今年の大河ドラマの主人公の坂本竜馬がいた。彼は、幕末の時代に「我が藩では~」という藩の存続や利権を考えている人たちに、藩ではなく「日本人」という単位のものの見方を示そうとした。抽象のレベルを上げる、または次元を一つ上に置くという考え方であろう。

(では、私たちの時代は、なんなのだろうか?)

『竜馬がゆく』を読んだ後に私が立てた問いである。

1868年に明治が始まり、平成も22年を迎えようとしている2010年。ポストモダンへの突入、冷戦の終結を通り抜けてきた今。右翼でも左翼でもなく、日本人にでもなく、人類に貢献する人間を育てる教育。これを、その日々の実践、授業の中のどこかに意識する時代に、私たちは突入したのではないかと、割と真剣に思っている。

ってなことは、あの短時間のステージでは語れないので、さらっと流していたら、大会終了後の懇親会で、ネットワーク代表の上條晴夫さんが、
「池田さん、あれすごい。ホームラン。大ホームラン」
と絶賛してくれた。
『え? なに?』
と聞いたら、4)のことであった。

いつも変人扱いしてもらっている私としては、なんか嬉しい。懸命に主張するよりも、さらっととか、こっそり主張するものの方が、認められやすいというのが、私の特徴かなf(^^;。

午後の講座は、あべたかさんのもの。iPhoneの教育活用である。すばらしいことに、ソフトバンクからiPhoneを25台無料で借りてきての講座である。

あべたかさん特有のゆったりとした講座であった。私は新型のiPhoneが登場する様子を見ているので、今のところiPod touchでいいのだが、あべたかさんがどんな感じで使っているのかを知りたかったので、この講座に参加。

すると、最初から参加している喜岡さんの他に、藤川大祐さんや、shioこと塩澤さんなどもフラッと顔を出していらっしゃった。はははは。一番濃いメンバーの集まる講座となった。

最後は、ライティングワークショップを教師のライフヒストリー的に考えてみるというプログラムであった。もちろん、登壇するのは、岩瀬直樹さんである。

岩瀬さんの実践が提示された後、上條さんが質問をし、会場から質問を受付け、最後に兵庫県立大学の藤原さんが対話をするという構成であった。

岩瀬さんには、「明日の教室」でもご登壇願っているし、私は著書は全部読んでいるので、楽しく伺うことができたが、初めて岩瀬さんの実践に触れた若い先生や、ベテランの先生は衝撃だったのではないかなあ。

だが、できないと思った若手教員もいたようだ。「できるできない」が、教員の力量の問題であるのであれば、力量を付ければ良いだけのこと。私はそう考えている。教員の力量以外のさまざま問題が絡んでくるのも教育実践の現場である。だけど、教師の力量でなんとかなるのであれば、力量を付ければ良いだけのこと。私はそう考えている。

そして、できない理由を並べても、なんの成長にもならないことも私は知っている。できなかった理由の言い訳も同じ。できる可能性を捜すほうが、よっぽど生産的なのだ。

私がこのセクションでした質問は、

「書けないというこどもたちへの関わり方は分かるのですが、書かないと宣言している子どもたちにはどうしたらいいのでしょうか?」

というものである。
これは結構大きな問題だと思っている。その場で答えの出るような問いではないと思ったので、問題の所在を確認して質問は終えたが、是非岩瀬さんに、ライティングワークショップとファシリテーションの文脈の中で、答えまたはヒントを提示してもらえないかなあと思っている。

いやあ、良かったなあ。岩瀬さん、ありがとう。

で、懇親会。
ああ、諸般の事情で私はノーアルコール。ウーロン茶一直線である。

でもまあ、それなりに楽しめたf(^^;。
なんだ、できるじゃん、俺。

一次会では、夏の授業づくりネットワーク京都大会の大きな流れの調整に奔走。当初事務局から難色を示されていた企画も、
「あ、それなら行けるね」
と了解を得る。

そうなったら、その場でたったかたったかである。
ふう、これで大きく動き出せるぞ。

二次会では、岩瀬さん、石川さん、佐々木さん、田中博さん、甲斐崎さんらとじっくり話し込む。乱入で土作さん。もちろんノーアルコールでf(^^;。

ライティングワークショップの説明や実践の中に、私が主張している「国語科を実技教科にしたい」という考え方や「書き込み回覧作文」によるカンファレンスに共通しているところがあるなあと思って、そのあたりのことを、岩瀬さんに聞いてみた。

すると、まさにそれを意識してくれていると言う。嬉しいねえ。
「国語科を実技教科にしたいというのは、ずっと残っているんです」
と話してくれた。

メッセージが伝わるというのは、嬉しいものだ。受け取ってくれる人がいて、それを多少でも活かしてくれて、実践につなげてくれる。嬉しいものだ、としみじみ思った吉祥寺の夜。

その後、土作さんなどと一緒にラーメン屋へ。ここには私が大学院に行っているときに学部の一年生であった若者が、教師になって三年目になっていて、今回の会に参加していた先生も一緒にきた。大熊先生にご指導を受けた仲間である。

授業づくりネットワークは初めての参加だったそうだが、最後の最後まで参加。こういうのが本当は大事なんだよね。ディープな話は、最後に出るからねえ。

ホテルに戻り、充実した一日を思い、明日の高知行きのことを考えながら、熟睡。
その時は、明日の朝起きるスリリングな出来事等、もちろん、全く知る由もなかったのであった。

2010/03/19

仕事に関して、最近考えていること

3/19

本日、4月中旬に発行する、初の監修本『クイズ  にほん語の大冒険』(教育画劇)が校了したという連絡が入った。私は明日の「授業づくりネットワーク」に備えて、吉祥寺のホテルに入っていた。実に嬉しい。

いやあ、我ながら良く頑張った。五ヶ月で三巻の本を作ると言う仕事であった。まあ、いつものように乗り越えてしまえば、そうだったよなあで終わるが、もう一度お願いしますと言われても、同じような期間でやってくれと言われれば、二の足を踏んでしまう仕事だろうなあf(^^;。

だって、授業をしながら、大学の業務をしながら、NHKの会議をしながら、子育てをしながら(奥さんが)、休暇を取りながら、まあ、よく締め切りに間に合わせられたものだ。

ただ、一緒に仕事をしたオフィス303のスタッフのみんさんが、懸命にとても良い仕事をされるので、こっちもレスポンス良く対応して行こうという気持ちになれた仕事だった。

何かの縁でこの世の中に生み出されることを運命づけられた本を、私は監修と言う立場で。また、スタッフの皆さんは制作という立場で、えいやっこらやっと世に送り出したのである。まずは、目出度しである。

以下は、仕事に関して、最近考えていることである。

    1)    頼まれた仕事は、断らない。
    2)    仕事を頼む側が、頼みやすい環境を作る。
    3)    相手が想定していている内容をよく理解する。
    4)    締め切りは、守る。守れない時は、すぐ連絡する。
    5)    大変な仕事ほど、早く始める。
    6)    大変な仕事ほど、60%で提出する。
    7)    相手が想定している内容を軽やかにクリアする。
    8)    また、こいつと仕事をしたいと思われるような別れをする。
    9)    仕事の過程は、独り占めしない。
    10)    仕事の成果も独り占めしない。

50代になったらまた別の考え方を考えてみたいが、40代の残りもこの感じでできればなあと思っている。ただし、体力の続く限りf(^^;。

今宵はちょっと体調が悪いので、目出度しでありながら、アルコール抜きである。
なんと断酒4日目。

ま、水でも「甘露、甘露」である(^^)。

2010/03/18

「大仏様は何歳なの?」

3/18

このところ、娘との会話が面白い。なんというか、普通の会話になってきている。さらに、
(うーんそう来たか)
というような語りかけをしてくるのが面白い。

その1

娘は、マグロが好きである。マグロと言うか、刺身に醤油をつけて食べるのが好きなのであろうが、刺身はなんでもマグロで通じる。

だが、そんなに生魚を食べさせるのもどうかと思い、多くの場合は娘の食事が終わってから、私の晩酌の時に出すようにしている。

昨日も、ほぼ娘の食事が終わりそうなタイミングで、マグロを出した。テーブルの上にマグロの乗った皿を置いたところ、

「お父さんどうぞ」

と私の席の前に勧める。さらに

「マグロは、今度ね」
とか
「お父さんになったら、マグロ食べるの」
のように言うこともある。「お父さんになったら」というのは、大きくなったらの意味である。娘がお父さんになったら、そりゃあ、まあ、ちょっと大変である。

つまり、私はマグロが好きだけど、お父さんがやめておきなさいというので、我慢します。お父さんは食べて下さいね、と言いながらそのココロは、食べたいなあ、食べさせてくれないかなあ、というおねだりなのである。

こんな高度なおねだりを誰が教えたのだ?
誰も教えていない。学んでいるのである。恐るべし。

その2

今日で断酒三日目に成功している私である。
食後にコーヒーを飲んでいる。すると、

「(わたし)お父さんになったら、薬缶でお父さんの好きな紅茶を入れるの」

と。

久しぶりにコーヒーを飲んでいるので、いつも飲んでいる紅茶と間違えているのだが、これもおねだりの発言だ。紅茶はカフェインがあるので、飲ませていない。麦茶かほうじ茶ばかりのませている。だから、娘は紅茶に憧れがある。

お父さんに紅茶を入れてあげるから、私も飲ませてねというおねだりである。

その3

昨晩のことだ。

『今日はお父さんと寝ようか』
「お父さんできるよ」
『何が?』
「お父さん結婚できるよ」
『え? 誰と』
「お父さんは私と結婚できるの!」
『そう、ありがとう』

最近、なぜかお父さんと結婚したがる娘である。
そして、
「抱っこ」
と言いながら懐に潜り込んでくる。

その割には、寝相は相変わらず激しくて、川の字で寝ているはずが、H字になってしまい、その真ん中の娘の足が踵落しで、私の顔に降ってくる。

昨晩は、私がちょうど、井の頭公園の池の水の元栓を抜いてしまった夢(しかし、これもとんでもない夢だな)を見ていたときに、踵落しに遭ってしまった。ま、いっか。

極めつけは、今晩の風呂である。先日の結婚式で貰った入浴剤「杉本彩」を入れたところ、湯船が紫色に染まってしまった。
娘は
「普通のがいいの!」
と言って湯船に入るのを拒否。
自分でシャワーで頭を洗っておしまいにした。

そして、風呂から出たとたん、お母さんに
「大仏様は何歳なの?」
と質問。

でーーーーー、なんで、大仏様なの?
なんで年齢を聞いているの?

『1200〜1300歳かな』
と答えたものの、なんだかさっぱり分からないだろうねえ。二歳だもんねえ。

おもしろいなあ。
でも、全部、娘なりに理由があるんだろうなあ。

明日も楽しませてもらおう。

明日の教室 DVD 石川晋先生

以下のアドレスに、当日の様子が出ております。

http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_008.htm#

あの時の、音が聞こえてくるようです。
歌声と、指導言が聞こえてくるようです。

乞うご期待。

明日の教室余話

3/17

明日の教室余話。

そもそもの始まりはと、その始まりを特定したいのだがなかなか始まりは分からない。まあ、私が児童教育学科に移って、明日の教室を始めたことが始まりには過ぎないが、それはあまりにもおおざっぱすぎる。

そうだな、京都のとある高校から講師で来てほしいと依頼されたところあたりからが始まりだろうか。

その高校は、京都市内からは結構離れていて、講師に出かけて行くにはちょっと遠いところであった。だが、その学校の先生が熱心に来てほしいと言う依頼を届けてきてくれるので、行くことにした学校である。

で、その学校の先生が私の研究室にやってきた。打ち合わせのためである。その打ち合わせが終わってお見送りをしに児優館の二階に行ったところ、叫び声が聞こえたのである。

うちの児童教育学科にその高校に在籍していた学生がいたのである。つまり、打ち合わせにきた先生が恩師。
(へー、そんなことあるのか)
というところまでは以前にもブログに書いた記憶がある。

明日の教室にいらっしゃる先生に、その私が講師をしに行った学校が母校の先生がいることが分かった。私は、

『その学校が母校の学生は、児童教育学科にもいます』

と話していた。そして、その学生は地元が同じということもあって
、その先生の学校を訪問したのであった。

で、何気なくふるさとの話をしていたのだそうだ。そうしたら、
「お父さんの名前は、○○さん?」
「はい」
「おじさんの名前は◎○さん?」
「はい」
ということになったそうだ。

なんと、先生の高校時代の先輩が学生のお父さんで、先生の後輩が学生のおじさんであったというのだ。びっくりびっくり。

先生は、20年ぶりぐらいで先輩に電話をした。
先輩であるお父さんは、慌てて娘にメールした。
メールしても返事が無いので、娘に1時間後に興奮したまま電話した。

という話を、今日、娘である学生から大学で聞いた。
先生からは先日メールで伺った。

「池田先生。父と先生は、私が生まれる前に出会っていて、私が生まれて育っている間一回も話したことが無くて、明日の教室をきっかけにして、20年ぶりに話したんです。もう、びっくりです」

と学生のことばであった。

仕事というのは、長い単位で行われる。学校のように3年とか4年とかで区切りを付けて行くものではない。今やっていることが、5年後、10年後に関係しているということは、特に珍しいことではない。

もちろん、やっている今現在に、
「これが10年後の○○に関わっているから頑張ろう」
なんて具体的に思える人はほとんどいないだろう。
ビジョンを持って仕事をすることは大事だが、具体的な関わりまで理解してやるなんてことは、ほとんど不可能である。

ではあるが、今やっていることが10年後にいろいろな形で、影響してくるものである。どう影響するのか、何に関わるのか。それは生きてみなければ分からない。

ただ、一つ言えるなあと思うのは、今行っていることを手を抜いて行うと、それは10年後にはとんでもない差となって現れてくるということだ。それは仕事だけでなく、生きるということについても同じであろう。

学生時代から研究会に参加する。
なかなか大変なことだと思う。参加費、懇親会費だけではなく、諸先生、先輩への気遣い、気配り。

だが、だからこそ力がつく。お金払っているのになんでこんなに気を遣うのだろうと思うかもしれない。なんで怒られるのかなあと思うかもしれない。

逆なのだ。お金払っているのに怒られるから、力がつくのだ。それが本当の意味での「授業料」なのだ。

そしてそうやってあれこれやっていると、時々こういう奇跡のような出会いのプレゼントを貰えることがある。一歩踏み出さなければ、あり得ない話なのである。

一歩。
ほんの一歩をめんどくさがらずに踏み出せるかである。
その一歩が、10年後には追いつくには不可能な差になってしまっているのである。

明日の教室余話であった。
主催者として、とても嬉しい。

2010/03/17

333333まであと10人ちょっと

さ、キリ番はどなたでしょうか(^^)。
前後の方もコメントお願いします。

4月24日(土) 第32回 明日の教室 野中信行先生

4月24日(土) 第32回 明日の教室 野中信行先生

第32回のご案内をいたします。今回は一年ぶりに、野中信行先生を講師にお招きします。今回で4回目です。

今回は、野中先生がこの一年間で新たに研究を進められている「味噌汁・ご飯」授業について、まとまったご提案を頂きます。
当日は、まず野中先生が当日示した課題に沿って、学生や若手の先生に即興で小さな授業をしてもらいます。次に、その授業についての検討を行う形で、どこに課題が隠れているのかを明らかにします。最後に、「味噌汁・ご飯」授業の基本的な考え方をお話しいただくことになります。

ご期待ください。

            ◆

日時:4月24日(土)  13:30~17:00

会場:京都橘大学児優館 C201又はC502教室
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

講師:野中信行さん@元横浜市立大池小学校教諭 横浜市初任者指導教員

内容:「味噌汁・ご飯」授業の提案 以下のようなスタイルで実施する予定です。
第一部  学生、若手教員による即興授業 15分×2本

        13:40~14:10    教材研究の時間
        14:15~14:45    授業2つ

第二部  即興授業を受けての解説

     野中信行先生

        14:50~15:30

<休憩>

第三部  「味噌汁・ご飯」授業の提案&質疑

      野中信行先生

        15:45~16:45    提案
        16:45~17:00    質疑

会費:一般3000円、学生1500円

なお、会の後、懇親会パーティを、京都橘大学の新しい食堂「クリスタルカフェ」にて行います。
こちらの参加費は、2000円前後となっております。参加人数などによって料理が変わりますので、パーティの申し込みは、4/19までの事前申し込みでお願いします。

昼食:当日は、大学の生協食堂が開いております。少し早めにきていただければ、開始時刻に十分間に合います。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。

申し込み:http://kokucheese.com/event/index/1828/

            ◆

講師略歴

講師 野中信行さん@元横浜市立大池小学校教諭 横浜市初任者指導教員。著書には、「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」「学級経営力を高める3・7・30の法則」「新卒教師時代を生き抜く心得術60・やんちゃを味方にする日々の戦略」「野中信行のブログ教師塾 〜「現場」を生き抜くということ〜」とがあります。新任教師のバイブル的な四冊です。学級経営に力を注ぎ、数多くのクラスを鍛えてきたベテラン教師、いや、スーパーベテラン教師です。定年最後の運動会でも小学校6年生に50m走で負けませんでした。

野中先生のブログです。http://nonobu.way-nifty.com/blog/

            ◆

お待ちしております。

            ◆

二伸

なお、四月の京都は観光シーズンでホテルが予約しにくい状態になります。その場合、京都市内のホテルを捜すよりは、大津のホテルを予約される方が良いかと思います。
大学のあるJR山科駅の隣がJR大津駅です。京都市内よりは安くて予約しやすいかと思います。

参加をしようかどうしようか考えられている方は、まず、ホテルを押さえることをお勧めいたします。ホテルのキャンセルはできますが、来られるようになったのにホテルが押さえられないということのありませんように。

見事な花のリレーだ

3/17

大学に資料を置いてきてしまった。研究室でないとできない仕事なので、午前中から研究室に出かける。

新入生キャンプで新入生に配る冊子に自己紹介のページがある。その中に「自分を動物に例えるとなんですか?」という項目がある。雑誌などからインタビューを受ける機会は増えたが、この手の質問はない。しばし、考える。

考えても分からないので、研究室に来たゼミ生に聞いてみる。
「えー、動物ですか?!」
と言ったきり、答えが見つからない。
「先生は、動物ではありません」
と言われる。
『さすがである。私が可憐な花であることを良く理解しているなあ』
と言えば、一笑に付されるのは分かっているので言わなかったが、動物として思い浮かべるものがなかなかないというのは、私もゼミ生も同じか。

嘗てはサメのような人だと言われたことがある。獰猛であるとか、襲いかかるとかのイメージではない。いつも泳いでいないと死んでしまうというサメのその部分が似ているというのである。

多動児ともちょっと違うが、確かに私は一カ所にとどまっていることができない。興味関心は次から次へと移って行く。あんなにハマっていたリコーダーやフルートも、最近では全く触っていない。次へと移ってしまうのだ。だから、サメ。なるほど。

昼ご飯で研究室を出た。中庭で新入生キャンプのオリターを務める学生たちに相談を受ける。

『なるほど、なるほど。大丈夫。そうやってそこを乗り越えて成長するんだよ。こういうものには、正解はない。受験勉強とは違うんだな。

目的を達成するためには、どういうものが一番良いのか。それをオリターのメンバーで十分に話し合って、一つのプランに変えて行く。

そして、しばらくたって時間がきておかしなところが見つかったら、また話し合って改善して行く。この繰り返しだ。時間ぎりぎりまでこの繰り返し。これしかないと思うよ』

大丈夫だ。今年のオリター諸君も成長に向かって一歩二歩と歩みを進み始めている。

学内の早咲きの梅は、終わっていく。これに変わって、ユキヤナギが白い小さな 花を付け始めた。まるで初雪のような美しさ。見事な花のリレーだ。

大学は新年度の準備を少しずつ、確実に進めている。

2010/03/16

『うーん、踊り喰いだな』

3/16

朝風呂で読書を進める。
だが、風呂で寝てしまいそうになる。
このところ、いろいろとあったからなあ。

魂が揺さぶられることは、非常にいいことだが、その揺さぶられた魂をきちんと納めることや、振り返ることも大事だからな。

4月に発行する、初の監修本『クイズ  にほん語の大冒険』(教育画劇)の第二巻と第三巻の校正が終了。本日18:00締め切りであったが、なんとか終わる。ふう。

校了は18日なので、それまでは気が抜けないが、大きな変更が無ければこれで今年度の出版に関する仕事は、一段落する。なかなか楽しい本になったと思う。小学校の図書館に置いてもらえると嬉しいなあ。楽しみにして下さいませ。

夕ご飯は外食。
滋賀には結構有名なそば屋がある。が、ほとんど行ったことが無い。さっぱりしたものが食べたいという思いがあったので、出かける。

店内には、お琴の演奏が流れている店に入る。
なんか、娘の様子がおかしい。
やたら体を動かしている。
よく見ていたら、その演奏に合わせて踊っているのだ。
そして、食べているのである。

『うーん、踊り喰いだな』

と思ってしまった。
日本舞踊でも習わせるかな。

さて、カウンターは333333にあと300程度となりました。キリ番の方、是非コメントをお願いします(^^)。

三月はいろいろな意味で微妙な時期なのである

3/15

本日、目出度く確定申告を提出してもらった。私ではない。奥さんに頼んで提出してもらったのである。ありがたい。お金の動きから、私の仕事の質の変化を読み取ることができるのは、さすが我が奥さんであるなあ。

しかしまあ、去年はよく働いた。大学の業務も相当やったが、学外のあれこれは今までで最高であろう。

二十年前に大学生活を送った方には、想像もつかないであろうが、今の大学は当時のものと別物であります。特に、教職課程、保育士課程は、出欠席の管理が厳しい。基本的に、欠席は考えられないのである。

大学は、学生の自主的な学びに依拠した存在であるべきだと、今も私は個人的には思うのだが、現状の日本の大学のシステムは、これを認めていない。

であるからして、私は大学に移ってからの四年間、突然の休講はおろか、休講そのものもしたことがない。

実に、教師と言う仕事は窮屈だと思うが、この窮屈さが教育には大事な面があることも分かっている。それでもって、その窮屈さとは別な部分で子どもに合わせた破天荒な部分も必要なので、さらにややこしい。

昔は破天荒な先生は、そこを愛されることで存在が可能であった。しかし、いまの先生は、的確に事務仕事をしつつ、破天荒であること、個性的であることも求められる。そんなスーパーマンを先生に求めているとも言える。

私の考えは、授業職、校務職、クラブ職、研究職、管理職などに教師の仕事を分けて担当するのがいいと思っている。会社を見習えというのであれば、会社の良いところも学校に入れるべきであろうと思っている。

で、まあ、何が言いたいかと言えば、こんなこともあって、授業のある時期はとてもではないが、外のお仕事は引き受けにくい。近くの学校や原稿の仕事が主になる。

その結果、大学の授業の無い時期は、ここにもの凄い量の外のお仕事を引き受けることになる。今年も9月までの週末と、8月の授業の無いところの日程は、ほぼ埋まってきている。去年よりは、少しゆとりがあるかなあとは思うのだが、今年も8月は、倒れないようにだろうなあf(^^;。

夕方から京都市内へ。
友人が東京からやってきたので、食事をすることに。
折角なので京都の仲間もお誘いして、祇園に繰り出す。

祇園では舞子さんがいてというお店ではなく、こじんまりとした料理のおいしいお店に行く。そこで、あれこれ教育の話をしながらおいしい料理をいただく。とても安いのでびっくり。

その後、一人では絶対に来れない祇園のスナックに繰り出す。紹介で連れて行ってもらえたので、安心。それにしても、スナックなんて一年ぶりぐらいかなあ。来ないなあ。

ちなみに、誰と行ったのか、何を話したのか、それはどこのお店なのかは、ブログには書けないf(^^;。三月はいろいろな意味で微妙な時期なのである。

2010/03/15

"All you need is Love"であり、"Let it be"であること

3/14

石川さんが、北海道に帰って行くのをネット上で追いかけて午前中を過ごす。

娘が紙を切り刻む遊びに凝っているので、それにも付き合う。ゲラで使っていた紙や広告などを手当り次第に切り刻む。手動シュレッダー状態である。

風呂に入り読書をして、ひげを剃る。
うーん、毎日ひげを剃っているなあ。
いや、もちろんそうなのであるが、授業の無い時は基本的にボーッとするのが私なので、授業の無いときに毎日ひげを剃るということは、毎日何かがあるということである。

今日は大阪まで出かけて行き、結婚式の二次会に参加。
大阪は、ヨドバシカメラとアップルストアしか出かけて行かないので、初めて「アメ村」と道頓堀を見た。道頓堀は、

(ここに飛び込むの? 死ぬぞ)

という場所であった。

何の縁で二人が出会って、その出会いが続いて、こうして結婚に至るのか。誰にも分からない。強いて言えば、そう言うものだったということなのだろう。

人間が自分の努力で変えることのできる部分というのは、ごく僅かなところなのだろうなあと、最近良く思う。もちろん、だからやらなくて良いではなく、だからやるのだが、ごく限られた部分だろうなあと思う。

パーティの最後には、ビートルズの "All you need is Love"が流れていた。このAllが関係代名詞だと分かった時の衝撃は、いまでもはっきりと覚えている。同じく、"Let it be"が不定詞であるということを知った時と同じぐらい衝撃であったのだが、そんなことも思い出しながらいた。

"All you need is Love"であり、"Let it be"であることが、結婚なのだろうなあと思いながら会場を後にした。

お幸せに。

実はこの春は、三回結婚式に呼ばれている。その一回目であった。
ありがたいことである。外で飲食し飲む機会の増える春である。

(家では、アルコールを控えなければなあ)
と思う春の夜の大阪であった。

2010/03/14

明日の教室 2010年前半の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

2010年 研究会の予定

5/22(土) 鈴木淑博氏 読書へのアニマシオン

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2010/05/522-b2d9.html

6/12(土) 前田陽孝氏
7/      野口芳宏氏  ← 日程が変更になります。
8/11~12  授業づくりネットワーク京都大会 於 京都橘大学
9/     琵琶湖にてカヌーなどを体験



明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~7が発売されました。



書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm 



からお求めください。

本日、明日の教室

3/13

本日、明日の教室。先月に引き続いて北海道から先生をお招きする。石川晋さんだ。
参加者は50人にもなった。横浜から野中先生、兵庫から古川先生などもいらっしゃった。

昨日の卒業式の華やかさの、名残の少し残こるキャンパスである。
合唱の音取りがあったので、通常の13:30開始ではなく、11:45開始とした。
私は10:00に研究室に到着。

看板を書いたり、使用する教室の鍵を開けたりしながらみなさんの到着を待つ。
糸井先生、野中先生といらっしゃり、その後に石川先生のご到着。

石川さんと直接会うのは、「授業づくりネットワーク」の大会がほとんどである。さすがに北海道の人としょっちゅう会うことはない。しかし、逆に言えば北海道の先生と一年に一回か二回会うというのも、すごいことだ。

15年前にパソコン通信で知り合ったことから、ファックスとメールだけで一緒に本(『中学校学級担任のための ファックス資料集』(民衆社 上條晴夫編 池田修 石川晋 筑田周一著))を書いたり、『明日の教室』(ぎょうせい)の執筆をお願いしたりしながらのおつきあいであった。

今日のプログラムは、合唱指導、国語の授業、対談という三部構成。圧巻は合唱指導であった。

言葉を扱う国語の教師と、音楽好きのみならず合唱団の事務局として培ってきた指導力。これらが相俟って合唱曲を作り上げて行く。

私が大学に移って寂しいことがあるとすれば、合唱コンクールがないことである。これは寂しい。あのひりひりとした日々を過ごすことが無いのは寂しい。それを思い出した。

ただ、あの経験をしている私は、国語の授業でも、大学の授業でもそこを含んだものを目指したいと思っている。音楽の、合唱の指導を受けながら、頭の中は違うことを思っている。

いつものことだが、そんな私であり、そんな風に眼前の景色が違うものを導きだしてくれるような、講座はとても心地よい。

いや、国語と対談が悪かったというのではない。これは明らかに私たちのコーディネート不足。時間が足りなかったのである。その足りない時間の中でエッセンスを示して下さった石川先生には、感謝であった。

私が対談で聞いてみたかったのは、

・石川晋はどうやって作られたのか、育ったのか。
・天才石川晋が持っている狂気はどうやってなだめているのか。
・民間教育団体とのかかわり。
・教師が成長するために必要なことは何か。

などなどである。
石川さんの答えは、DVDをご覧下さいf(^^;。

まだまだ足りないので、もう一度は来ていただくことを約束してもらう。

実は、ネクタイを忘れてしまった私は、家から持ってきてもらった。娘も一緒。成長した娘を明日の教室の仲間に見てもらって、ちょっと嬉しい。災い転じて福となすというか、転んでもタダでは起きないというかf(^^;。

「おとうさん、ネクタイ忘れたでしょ。はい」

と娘に研究室で手渡された。なんというか、嬉しいことよ。
そのまま研究室でお昼寝して、研究会後、学生たちに遊んでもらって、娘は大満足。黄色いリボンを自分が持ち、もう一方を学生に持たせてキャンパスの中を走り回っていた。

犬を引きずり回しているようにも見えたが、本人は
「凧揚げしてたの」
とのことであった。

え?
副ゼミ長よ、君は凧だったんだ(^^)。

その後、懇親会では例によって、楽しい時間を過ごす。
本当は、一つの企画が行われるところだったのだが、本人の強いお断りがあって、今回は実施されずf(^^;。次回を期待する。

先生と、お父さんと両方の私で大変良い時間を過ごした一日でした。

本日卒業式である

3/12

本日卒業式である。

私の所属する学科は、まだ最上回生が三回生なので、卒業生はいない。しかし、教職課程の中高の免許に関わって指導した学生たちが卒業する。だから、卒業式もしみじみと参加。

文学部の学科代表になった学生、四人のうち二人は私が関わっている学生。二人とも男子学生。なんか、明日からいないのが変な感じだ。来年はもっとそういう感じがするのであろう。

卒業式の後、卒業生とあれこれ話をしたいところではあるが、学科の会議があった。いろいろな事情で今日のこの時間にしかできなくなっているのである。

私は卒業生が気になるが、これは仕方が無い。会議に参加。

会議が終わって、取り敢えず学生のいそうなところに駆けつける。何人か残っていた。ああ、良かった。写真を撮ったりしながら、しばし談笑。すると、思いもよらず、卒業生から花束を貰う。

去年の国語科教育法の受講生の学生たちからである。色紙も一緒に貰う。なんか、私が卒業する雰囲気であるf(^^;。花束は、黄色。私のイメージは黄色なんだなあ。

卒業生から貰った色紙には、いろいろなメッセージがあったが、
「先生にご指導いただいて、幸せでした」
と書いてくれる学生が多かった。
(うーん、授業の最初の頃は、不幸と思っていたんだろうにねえ)
と苦笑いしながら読む。

ただ、30回の授業後に育っている自分を想像することは、授業を受け始めた頃の本人には想像しがたい。私は30回後の学生の成長に照準を合わせて、さらに教育実習、社会に出ることを見据えて授業をしている。そこは、最初に説明してもさすがに伝わらないだろう。

であるが、卒業のときには伝わっていた。
私は、幸せである。

パーティまでの時間が少しあったので、明日の「明日の教室」の準備をする。石川先生が、合唱の指導は最初で最後だと言うのを聞いて、横浜から野中先生が急遽駆けつけられることになったのである。

すごいことである。えらことである。なんとかホテルを抑えることができた。ふう。

念のため申し上げておけば、来月の野中先生の明日の教室当日も、ホテルは大変なことになると思います。春と秋の京都は、話にならないくらいにホテルが埋まります。ご参加を悩まれている方は、兎に角、先ずは、ホテルを抑えられることをお勧めいたします。

また、場合によっては大津のホテルを抑えられることをお勧めいたします。京都市内のホテルより安くて、大学までは便利です。

で、事務仕事を進めていたら、研究室をノックする音が。卒業生が、親を連れて挨拶に来てくれたり、卒業生たちが来てくれたり、去年の卒業生まで報告に来てくれたりしていた。

早く帰らなくて良かった。

その後、卒業記念パーティに出席する。

ま、直接の卒業生はいないのだが、教職関係での卒業生もいるし、サークル関係の卒業生もいる。ま、なんとなくではあるがこういうところに顔を出すのは、先生のお仕事のような気もしている。誰とも話すことが無かったとしても、顔を出しておこうと思った。

ハイファイセットの「フェアウェルパーティ」という曲が、ずっと頭の中に流れていた。http://www.youtube.com/watch?v=1xj08mRrOGQ

♪ こわい先生もただのおじさん。ビール注いでくれるフェアウェルパーティ。

まさか、自分がこのおじさん川になる日が来ようとはf(^^;。

何人かの卒業生と話し、文学部の先生方ともあれこれ談笑し、引き上げる。さすがに、明日の「明日の教室」の前である。名残惜しくもあったが。

ご卒業おめでとうございます。





2010/03/11

一年、早かったなあ

3/11

第三巻の初校の校正を朝から、ガシガシと進める。
本当はもう少し前に終わっていたかったのだが、やっと終わった。
編集者さんにすぐにメールで送る。

久しぶりにガーデンに娘と散歩に行く。
途中、琵琶湖の畔を歩く。琵琶湖は、水が増えている。雪解け水が流れ込んでいるのであろう。春である。

ガーデンに着いた。
いやあ、凄い。
凄い虫である。

通称琵琶湖虫と言われている、ウスバカゲロウの一種が、大量に羽化していて、ガーデンのありとあらゆるところで柱となっている。口も開けていられない。

ま、仕方が無い。ガーデンは隣の浄水場の関係で、農薬は一切使っていない。だから、虫も元気なのである。一週間は我慢である。それだけで、無農薬のガーデンで楽しめるのである。

午後から大学へ。
会議である。
年度末の会議は、次年度以降のことについてあれこれ話し合う。もちろん、今年度に終わらせなければならない案件もあるが、主に次年度以降である。

へー。

本当? 

そうなんだ!!

と思うような方針が次から次へと出てくる。
いやあ、京都橘大学はまだまだ良い方向に変わり続けるぞ。

明日は卒業式ということで、細々とした仕事はせずに、さっさと帰る。

一年、早かったなあ。

2010/03/10

「伝える極意」第20回の放送のお知らせ

えー、明日、教育テレビに出ます。
何回か再放送されていますので、
いまさらという思いもありますが、
連絡させていただきます。

プロデューサーからのメールです。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「伝える極意」第20回の放送のお知らせです。
周りの方にも紹介して下さい。
よろしくお願いします。

「わたしのことを知ってください〜スピーチ〜」
本放送:平成22年3月11日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
再放送:平成22年3月18日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ

○内容
クラス替えを目前にした神奈川県横須賀市立船越小学校の3年生が、自己紹介に挑戦します。
極意を教えてくれるのは京都橘大学の池田修さんです。
何を話すかを探すためには、自分自身を見つめ直さなければなりません。
それは「3年生にでもできること」と池田さんは言います。
かつて、名前しか言えなかった竹園さん。
自分のことを話して、笑われてしまうのがこわいという佐久間さん。
そんな2人が、池田さんの極意を使って聞く人を笑顔にさせる自己紹介ができるようになります。

○池田流 自己紹介の極意
1)自分を見つめ直す
2)相手が聞きたいことを話す
3)笑われることを気にしない

○感想やご意見をお聞かせ下さい。送り先は2つあります。
1)番組ホームページ
 http://www.nhk.or.jp/gokui/のご意見・お問い合わせへ
2)NHKのホームページ
 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html にアクセスし、
「メールでのご意見・お問い合わせ」の「メールフォームはこちらへ」から書き込んで下さい。
頂いた感想やご意見は、番組の作りにどんどん活かしていきたいと思っています。
よろしくお願いします。

※この番組は、インターネットでもご覧頂けます。
 番組ホームページhttp://www.nhk.or.jp/gokui/の「番組をみる」をクリックしてください。

引用終了 ーーーーーーーーーー

よろしくご批判ください。

ありとあらゆる水たまりを制覇した

3/9

娘と二人で大阪まで出かける。二歳半の娘と一緒。父と娘。しかも雨の降る中、電車でと言うスリリングな設定である。

車で行く方が楽なのは充分に分かっている。
しかし、それだとなんというか、楽すぎる。
私とて325iに乗っけて運転する方が、安心だし運転も楽しい。
しかし、それだと娘は育たないし、親としての私も育たない。
そんな気もしている。

雨の中を長靴を履いて、パンダ模様のレインコートを着て歩いて駅まで向かう。娘は水たまりが大好きなのだが、行きからびしょびしょではどうしようもないので、
『帰りにやろうね』
と我慢させる。

今回のお出かけでは、娘に
『抱っこはしないよからね』
と言い聞かせてのもの。

どこまでできるか分からないが、甘えようとしての抱っこはしないことを約束させて出かける。

梅田までの電車の中、オッケー。
現地でも、オッケー。
すごい。頑張っている。
抱っこを求めない。
だけど、時々私の足をぎゅっと抱きしめる。
我慢しているんだなあ。偉い。

ただ、用事が伸びたので娘のお昼寝の時間を超えてしまったのを心配していた。すると、
「ここからは、抱っこ」
というではないか。

ああ、我慢の限界にきたんだな。これはよく分かる。抱っこしよう。
娘の言う、赤ちゃん抱っこ(体を水平にして、両手で支える)をして、体を揺らしていたら、ものの3分で熟睡であった。

一時期非常に物怖じをして娘は、私か奥さんが一緒であれば、外でも家とほとんど変わらないぐらいに声を出し、ひょうきんである。

それでいて、
『電車の中は、静かにしようね』
というと、静かにしている。
うーん、出来過ぎである。

6時過ぎに地元の駅に着く。

娘の大好きな水たまりがあちらこちらにできている。
『行け〜〜〜〜〜!』
と私が言ったのが良かったのか、悪かったのか。
娘は駅から家までのありとあらゆる水たまりを制覇した。

途中、下水溝の上で転けてしまいレインコートの上から水を浴びるアクシデントもあったが、ドンマイである。娘は泣かない。さらに突入している。

(家に帰れば風呂が沸いているから、いいっか)

能天気な父である。

家では、あれこれ今日あったことをお母さんに報告する娘であった。
一日ぐらいこうして過ごしたいものだ。

2010/03/09

本日は、本学の今年度の入試の最後の日

3/8

本日は、本学の今年度の入試の最後の日。試験監督に出かけて行く。御陰さまで、このご時世にもかかわらず本学は、受験者を増やしているとのこと。ありがたいことだ。

無事に試験監督を終え、大学を後にする。
あれこれ用事が詰まっているのである。

そして、原稿書きである。
残りの枚数を只管書く。
これさえ終えれば、楽になると思って書くf(^^;。
ああ、終わった。

残りは、校正だ。
明日の夜の八時までに仕上げないと、明後日東京に届かないので、さらにやらねば。

夜は、ちょっと楽しい時間を。
前から楽しみにしていた玩具をとうとう、取り出した。
買っておいて、ずーっとしまっておいたのだ。
使いこなすのに、少し時間がかかりそうだ。

上手くなったら、自慢しようf(^^;。

今日は、休肝日。
一週間に二日できている。
なかなかである。

2010/03/07

娘は映らず

3/7

9時過ぎまでゆっくり寝る。本当は10時まで寝ていたい気分であったが、起きるまでぐずぐずしていた娘が、自分が起きたとたんに
「お父さん、起きて下さい」
と起こしにくる。全く持って自分勝手だ。さすが私の娘だ。

午前中はぼーっと過ごす。
風呂に入って本を読んで。
メールで飛び込みであった仕事をこなしたりもしながら過ごす。
今日は、琵琶湖毎日マラソンなのでその準備もする。

滋賀に引っ越してきてから、毎回沿道に出て行って応援はしているのだが、今年はちょっと違う。コースが変更されたのだ。変更されて、我が家の前の道を走ることになったのだ。

往路と復路の二回応援に行く。

往路は、まだ選手が団子状態だったので、少しだけしか映らず。復路では、選手がばらけていたので、大丈夫だと思っていたら、私と娘の前を通る時だけ、カメラは選手の足下を捉えており、結局娘を抱っこしていた私の足は映ったが、娘は映らず。

テレビに出演するのは、控えたいなあと思っている私だが、こういうテレビに映るってのは、なぜかチャレンジしてしまいたくなるf(^^;。ま、娘は蝶よ花よの箱入り娘で育てているので、映らなくて良かったとも言えるか。

それにしても、旗を振りながら
「がんばれ〜」
と大きな声で応援できていた娘に、ちょっとびっくり。そんな大きな声を外では出せなかったのになあ。

その後、必死に原稿書きである。原稿用紙11枚である。
娘の昼寝の時間に、必死に書き進める。与えられている枚数の半分ぐらいまでは、なんとか進んだ。今日はこのぐらいで許してやろう、というか許して下さい。

夜は久しぶりに娘と一緒に風呂に入る。
「久しぶりだね」
と言われる。ええ? そんな日本語知っているの?

そして、夕ご飯は我が家のデフォルト餃子。豚肉とニラの餡子の蒸し餃子。娘は初めて食す。食べさせると、
「うまうま!」
と言うではないか。良かった。

明日は今年度最後の入試。試験監督である。
受験生が、実力を出し切れますように。

二つ目の山が終わった

3/6

オフの後の忙しい毎日の、二つ目の山が終わった。一つ目の山は一泊二日の東京打ち合わせツアー。そして、今日は二つ目の山。午前中がこの春に新設される付属中学校の保護者会での講演。午後が、NHK教育テレビ「高校基礎講座ベーシック10」の収録であった。

午前中の講演は、「子どもの思春期を過ごすために、保護者のありかた、中学生のこと ~ 少年期よ、さようなら。青年期よ、こんにちは ~」というテーマで一時間ほど話す。

付属高校の大ホールでの講演。保護者の皆さんと少し距離があるので、届きにくいかなと思ったが、小さくうなずいていらっしゃる方が話の展開とともに増えてきたので、安心して話すことができた。

中学校生活は、いろいろなことがある。だから中学校教員は大変で、面白い。そのあたりを保護者の視点で見てみたらどうなるのかということについて話を進めた。

講演後、午後からは急に決まった番組の収録。慌てて、大学に戻る。NHK教育テレビの「高校基礎講座ベーシック10」である。プロデューサーから相談を受けていて、あれこれ話していたのだが、まさか出演依頼があるとは思わなかった。

番組は見るものであって、出るものではないと、このごろ改めて思っているのだが、逆に依頼が増えてきている。うーむ、困ったことだ。

今回は、りあるキッズという芸人さんに、国語の力を付けるために大事なことをあれこれ指導するという形で番組の私の部分は進む。その収録があったのだ。

うちのゼミ生も何人か見に来ていた。というか、呼んだ。番組を作る現場を見ておくことは、将来何らかの意味を持つだろう。大学で授業をしているゼミ担当の先生が、初めて会う芸人さんと同授業を展開するのか。そして、それが番組ではどのように編集されるのか。ここを見るだけでもかなり、メディアリテラシーになるはずだ。

番組内でこの収録で使われるシーンは、恐らく3分間もあるかないかであろう。しかし、授業は授業。きっちりと3時間以上行った。放映は、3/31とのこと。さて、どのようになっているでしょうか。

収録で嬉しかったことがある。
「先生、お久しぶりです!」
と声をかけられた。誰かと思ったら、嘗て「わくわく授業」に出演したときに、私の授業を収録してくれたカメラマンの一人の方が、今回の収録担当のカメラマンであったのだ。

いやあ、なつかしい。嬉しい。
あの二週間、ガチンコで収録した「わくわく授業」。あのとき私は5キロ体重が減った。一種の戦友のような仲間にまた収録してもらえるとは。

「先生、若返りましたねえ」
としきりに言われる。ま、私が一番老けていたのは、自分が中学校二年生のときなので、そこからだんだん若返っているとも言えるのだが、確かに6年前よりも、見た目は若返っているかもしれない。

今回も気持ち良くカメラを回してもらった。私も本物よりも少し、良い感じで写してもらっているのではないかと、期待している(^^)。

収録後、少し研究室で参加していた学生たちと振り返りをする。いろいろと感想を貰ってなかなか面白かった。見る視点が育ってきているなあと、嬉しく思うのであった。

心地よい疲れで、家に向かう。

325iの車内に、角松敏生さんの「Sea is a Lady」を大音量で流す。

特に、「MID SUMMER DRIVIN' REIKO」は、大のお気に入り。夏の夜の第三京浜、西湘バイパスを思い出しながら、まだ春が始まったばかりの京滋の道を流しながら帰る。幸せな時間だ。

ああ、やっと二つ目の山を越えた。
倒れないように、倒れないようにだf(^^;。

2010/03/05

次元が高まったギブ&テイク

3/5

午前中は、年度末に出る予定の三巻本の第三巻の初稿のチェック。
なになに、締め切りは? げげ。
うーん、もう一つの原稿と重なっているぞ。
これは、日曜日はないな。
ま、いつものことだが、ないな。

昼過ぎから大学へ。事務処理すべきことをあれこれ行う。しかし、事務処理というのは、やってもやっても終わらないなあ。

そんなところに、2011年の2月の講座依頼が入ったりする。うーん、ここまではまだ公務が確定していないので、お答えできない。凄い先きのようにも感じるが、ま、スケジュールを立てる側からするとそうでもないんだろうなあ。

一方で11月に研修会を行ったところから、冊子にまとめるのでコメントの確認をしてほしいと言うメールが飛び込む。これも、まあ、現場が忙しいのは分かるが、そういうことを考えているのであれば、一週間とは言いませんが、一ヶ月以内ぐらいにはまとめたものを頂かないと、きちんと対応できませんけどねえ、と思いながらハンドアウトを見ながら確認し、返信する。

で、広島から出版社の方が来研。二時間弱、ご相談に乗る。言語力育成に関してあれこれ持論をお話しする。ま、使えるかどうかは分からないのですが、思ったことは話す。

私は
『私が話したことが採用されていないじゃないか!! けしからん』
とは、あまり思わないタイプである。

なんというか、価値や役割は文脈で決まることが多いので、私が(これは絶対だな)と思うようなことであっても、相手にとって使い勝手が悪かったり、被っていたり、使いこなせるだけのマンパワーが無かったり、タイミングがあわなかったりすることで採用されないことは、珍しくないことだと考えている。(このあたり、非常に人事に似ているなあとも思っている)

そう思っている私だからなのか、相談にいらっしゃる方も多い。このままだと本務に支障を来すなあという思いはあるが、ま、できるだけなんとかしようとは思っている。

私は、大事だと思うこと、大切だと思うことを丁寧に話す。それがどのように活用されるかは、別の問題だと考えている。私は話しながらあれこれアイディアを別に生み出すことの機会を貰っているし、さらにこれが別のところで花開くことも珍しいことだとは思っていない。

今やっているテレビの仕事だって、私が個人的に10年前に取り組んでいたことが大いに関わっている。10年前に勝手に仕込んだ花の種が、いま花を咲かせようとしている感じだ。どんどん相談に答えることで、答えは勝手に大海を回遊し始め、やがて成長して遡上してくることを私は経験的に理解している。

ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブというのが大事だと言う言い方がある。その通りである。ただし、ギブ&ギブというのは、結果的にギブ&テイクになっているのだと私は感じている。仲間にも喜びを与えつつ、自分にも大きな喜びの返ってくる、次元が高まったギブ&テイクになると感じている。

さ、明日は、新設される付属中学校での保護者会で、「子どもの思春期を過ごすために、保護者のありかた、中学生のこと」という演題でお話しすることになっている。

その後、さらにあれこれ。
ここを乗り越えれば、あとは原稿だけだ。

よし。

2010/03/04

本日は桃の節句

3/3

久しぶりに起きられない。疲れがたまっているのがわかる。しかし、来週の月曜日まであれこれあるので、ここは一つ倒れないように仕事を進めるしかない。

本日は桃の節句である。娘を授かってからずっと、この日は下鴨神社に行っている。今日も行く。下鴨神社の流し雛である。

午前中からあれこれ行事があるのだが、そこはものすごく込んでいるので、お昼前ぎりぎりに向かう。このあたりの時間はそんなに込んでいない。さらに、流されたひな人形が水面に多く浮かんでいるので風情もある。

到着後、流し雛を手に入れる。あられがついて500円。ひなあられは関東ではお米のポン菓子に色をつけて甘くしてあるものが、主流だが、関西では本当のあられ菓子。私はこちらの方が好きだなあ。

写真をばしばし撮って、たっくさんお願いをして、無事流し雛は終了。

私はそのまま大学へ。
大学では、翌日のGPの会議のための打ち合わせ。1時間ほどやってから、さらにその準備のために研究室にこもる。籠っているのだが、私の研究室は大学の中で結構目立つところにある。大学院の入試がある四回生が挨拶に来た。頑張れとエールを送り、私もさらに仕事。

ひな祭りのお祝いをせねばと思いながら、あれこれやって遅い帰宅になってしまった。
娘よすまん。
でも、ちらし寿司に蛤お吸い物で、歌を歌ってお祝いができて良かったなあ。

GPの外部評価委員会に出席

3/4

午前中は、少しゆっくりできたかな。
昨日時間がなくてできなかった、娘のひな祭りの写真を撮影する。着物を着せて、おひな様の前に座らせて、撮影会。

今年は新暦の三月三日の一ヶ月前からお人形を出して、旧暦の三月三日まで飾る予定である。何せ一人娘、たくさん祝ってあげよう(^^)。

午後からは、大学に出かけて行って会議。GPの外部評価委員会に出席である。

私たちが目指している文学部、そして四月から発足する人間発達学部はどういうものなのかを説明し、それがGPとどのように関係しており、今年度はどこまで来たのか、そして、来年度はどこを目指すのかということについて、あれこれ。

私はそのGPの中の「文学部メディアの構築」を主に担当している。本学の今まで築き上げてきたメディアの財産を活用しつつ、少し手を加えてより使いやすいようにするプランをあれこれ考えて、実行に移すのが仕事である。

まー、うちの奥さんに言わせれば、私がコンピュータをやっていること自体が驚きなのであるが、まさか大学でその部署の責任者になっているなんてのは、驚きを超えて
(大ジョブなの?)
と思ってしまうだろうねえ。

もちろん、コンピュータやネットの専門的なものを私が知っているということではない。プロトコルやプログラムなんてのは分からない。ただ、どうやったら使いやすくなるのかなどのインターフェースについては、ある程度考えることができる。このあたりでの仕事である。

会議を終えて、一安心。
GPを通して学生が成長する仕組みは、ほぼ出来上がった。
新年度から本格的に運用である。
楽しみ楽しみ。

さ、明日も研究室にお客さんがいらっしゃる。
こちらも頑張って知恵を出そう。

2010/03/03

一泊二日なのに、一週間分ぐらい

3/2

二日間の予定の会議が、一日で終わったので、私は髪の毛を切りに馴染みの店に行こうとした。

会議がいつ終わるか分からなかったので、予約はしていなかったのだ。昼ご飯を食べてから、電話をする。すると、今日は定休日でたまたま確定申告のことがあるので、店にきていて電話を取れたとのこと。

あちゃー。そうだ、今日は火曜日だ。
うーん。仕方が無いと思って電話を切る。ところが数分後に電話が。なんと税務署に相談して、時間をずらしてくれると言う。ありがたい。もう私の頭を10年以上お願いしている美容師さんなので、私はとってもありがたいのだ。

慌てて、京王線に飛び乗り、昼ご飯を食べていた新宿から、店のある八王子まで行く。

髪の毛の質や癖、頭の形まで熟知しているので、私は注文をほとんど付けることはない。今回だって
『いつもの感じで。土曜日に収録があるので、その日に落ち着くような感じでお願いします』
と言うぐらいである。

電車の中では、さらに急に依頼された仕事。暖房の効いた京王線は非常に心地よく、睡魔が襲ってくる。これと戦いながらMacに向かう。

髪の毛を切る前と、切った後で頭の回転が変わったのかどうかは分からないが、終わってから新宿に戻る時の電車の中で仕事完了。早速メールで送る予定が、どうも届かない。うーむ、すっきり仕事が終わらない。

東京土産は高野フルーツパーラーで、季節のチョコをあれこれと仕入れる。思ったよりも時間が掛かって、結局品川駅で新幹線ホームにたどり着いたが、発車の3分前。なーんだ、いつもと同じだ。

で、帰りの新幹線でぐっすりと眠れるかと言えば、これがダメ。送れなかったメールの内容を電話で口頭で伝え、あれこれやりとりをする。電話を切ったあとで、
(あれ、ここはこうした方がいいんじゃないか)
と気づき、再修正。

そんなことをしていたら、名古屋に到着。
ははは。

京都までは寝るぞ!と決めて、タイマーをセットして寝る。
10分ぐらいは寝られたかな。

体の疲れはあるものの、気持ちが高ぶっていて家に帰ってから寝る感じにならなかった。お酒は、控えて麦茶を飲んで、この一泊二日を振り返る。

一泊二日なのに、一週間分ぐらいの仕事をした感じだ。
今週は、ひな祭り、打ち合わせ、委員会、ご相談承り、講演会、収録、琵琶湖毎日マラソンの応援と続く。その合間に、原稿書きである。そして、今年度最後の入試が月曜日だ。

そこまで駆け抜けたら、一日寝ているか一日風呂に入っていることにしよう。



着替える体力も残っていなかったとさ

3/1

二月はあっという間に逃げ、三月である。
三月もあっという間に過ぎ去りそうな予感がしている。恐ろしい。

いくつかの原稿を仕上げ、9時32分発の新幹線に間に合うように京都駅に向かう。同行する者と京都駅で合流し、無事発車。番組づくりの会議に向かう。

前回の会議は12時間やっていた。それで四つの番組を作った。今回は8つを作る予定である。いつ終わるのか分からないなあという思いを抱きながら、乗る。

せめてもの慰めは、天気が晴れているので、富士山が楽しみであるということだ。

「せめて」なんて言葉を使うと、萩原朔太郎を思い出す。

引用開始 ーーーーーーーーーー

旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめてはあたらしき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

『純情小曲集』より

引用終了 ーーーーーーーーーー

ま、似ている気分でもあるか。

名古屋駅で、待ち合わせの人と会う。
正確に言うと、名古屋駅で乗り込んできた人と新幹線の中で落ち合う。何かと言えば、別の番組のディレクターさんとの新幹線の中での打ち合わせである。

番組の相談を受けていたのだが、急遽出演して下さいませんかということになり、出ることになった。で、打ち合わせをする時間がないということを話していたら、東京に向かう新幹線の中ではどうでしょうかということになったのだ。

新幹線は2時間。この時間は仕事の準備や休憩に結構重要な時間なのだが、うーむ仕方が無いということで行った。

渋谷に到着して、腹ごしらえ。いつも行っているラーメン屋で食す。ああ、学生時代も渋谷が根城の一つではあったが、こうやってまた渋谷の街と出会い直すとは思っていなかったなあ。

打ち合わせは午後1時から。前回は午前1時まで掛かったので、多少気合いを入れて行ったのだが、今回は午後10時には終わった。しかも、前回の倍の数の番組を作ることができた。10本である。

前回は、番組の方構成を慎重に確認しながらということもあったので、時間が掛かったが、今回は新たにとびきりのブレーンをお願いしたりして、ガシャガシャと会議が進んだのでありました。

予定していた8本を超えて、10本。それをその日のうちに作れたので、翌日の会議はキャンセル。うーん、気持ちが良い。

番組を作ると言う目的に向かって、違う価値観、知識、方法を持ったメンバーが集まってあれこれやる。違うということが最大に生かされることが、この会議ではとても重要。大人の会議は、こうでなくちゃあなあと思う。

会議後、仲間たちと打ち上げ。
心地よい夜を過ごし、ベッドの上で爆睡f(^^;。
着替える体力も残っていなかったとさ。

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