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2010/04/30

問いがあって、論証があって、答えがある「論文」

4/29

四回生ゼミは、卒論指導が続く。
春休みに卒論関連で各自が進めた部分について発表し、質問を交わし、コメントをするという形で行っている。

なんといっても、問いが難しい。問いがなかなか立たないのである。やっと立ったと思ったら、

1)あまりにも大きすぎて学生には答えきれない問いになっている。
2)実はその問いは、もう答えが出ている。

この二つのうちのどちらかになっていることがほとんどである。

この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わない。教育の国語と学級についてを主にするのが私のゼミではあるが、何でもまあ、構わない。何でも良いにも関わらず、問いが立たない。この経験は彼ら学生諸君にとっては驚くべきものであろう。

学生が問いを立てようとする時に、もう一つ私が大事に聞いていることがある。なぜ、あなたはその問いを立てようとしているのかである。この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わないにも関わらず、なんでこの問いを立てようとしているのかである。

あなたが問いを立てた理由である。ここが曖昧だと、その後の論述が深まらないことが多いと感じている。きっかけではなく、理由である。

卒業論文なのだから、膨大なレポートでもいいかなと思うこともある。が、それは折角四年間の集大成として論文を書くチャンスを与えているにも関わらず、膨大なレポートでは、なんだかなあと思う。

やっぱり、問いがあって、論証があって、答えがある「論文」を書かせてやりたい。

授業の後も、あれこれ個人的に相談に乗る。それで少し方向性が見えた学生もいる。良かった良かった。

その後、ヨドバシカメラまで車を走らせる。CX2の調子がちょっとおかしかったので、修理に出す。ついでに壊れていたR7も修理に出す。R7はヨドバシカメラの修理ポイントを活用する。

しばらくはオリンパスとPENTAXでカメラライフを楽しむことにする。

ああ、早く京都駅前のヨドバシカメラがオープンしないかねえ。大阪まで持って行くの、結構時間がかかるからなあ。

夜は、新しく学科にお迎えした先生の歓迎会。学科の先生方と美味しいものを食べながら、あれこれ話す。忙しくはあるが、こういう時間も大事だ。

2010/04/29

あれこれの「種と仕掛け」を解説

4/28

娘がプレ幼稚園に行く日。行ってしまえば楽しんでくるのだが、行く前にはあれこれ理由を付けて行かない振りをする。今日も自転車に乗って滑り台に乗りに行くことを主張。結局、これをやってしまえば、

「今日は泣かない」

と言って元気に参加。健気である。

なんか今日は編み込みの三つ編みをしてもらったとか、折り紙で熊さんを作ってもらったとかで、ご機嫌であった。

授業は研究入門ゼミ。ナンバリングとラベリングを学んだ後の今日の課題は、発表と質疑である。「ふるさと自慢」というテーマでスピーチを考えさせてある。これを発表させながらあれこれ指導する。

・質問にはオープンエンドとクローズエンドの二種類があること。
・質問は、早いものがちであること。
・子どもの活動には、小さくても良いから予行演習を入れると良いこと。
・全員参加の授業を作るために、工夫すべき点。
・子どもの呟きを拾う重要性。

新入生はびっくりしながら話を聞き、メモを取っている。そりゃあまあ驚くだろうなあ。今目の前で学生自身が私の指示に基づいてやったあれこれの「種と仕掛け」を解説されるわけだから。

先生ってそんなにあれこれ考えて授業を作っているとは思ってもいないだろうから。
(なんか、授業が盛り上がるな)
と思っているのだが、実は盛り上がるように、意見が出やすいように「種と仕掛け」が学習者には分からないように設定されているってことにここで気がついたのだから。

どんな「種と仕掛け」があるのかは、分かったと思うが、ま、実際にその凄さを実感するのは模擬授業や教育実習に行ってからだろう。「分かると出来る」の違いも、また後から分かるのである。

夜は、
「お父さんと一緒にいるの。今日は寝ないの」
とべたべたしてくる娘。それはそれで嬉しいが、寝るに決まっているので、
『寝なくていいから、歯を磨こうね』
と言うと
「寝ないの」
と。

大学が始まれば、一緒にいる時間は当たり前であるが少なくなる。帰ってくるのも遅い。遊んであげる時間は少なくなる。そんなこともあって、べたべたしたいのかなあと可愛く思う。

なるべく早く帰ってこようと思う。

2010/04/27

つながるって大事だよね

4/27

やっと授業のリズムが体に戻ってきた感じだ。授業を開始して三週目である。

児童教育学科の学生は去年、一昨年と教えているので私の授業がどんな風に進むか分かっている。だから、ここは最初からあれこれやってもオッケー。ただ、久しぶりに私の授業を受ける学生の多い授業などでは、少し丁寧にやらなければならない。これも三週やればまあ、大丈夫だろう。

生活のリズムも授業にあわせたものになってきている。ま、大学と家が近いから、朝もそんなに早く起きなくていいので助かっている。ご飯を食べてお茶を飲んで、娘と少し遊んででも間に合うのは助かる。

国語の授業では、声の重要性についてあれこれ論じている。発声もそうではあるが、声である。声は多弁である。声をコントロールできるようになることは、授業を作る上で重要だと考えている。

にも関わらず、授業を作る上で声についてあれこれ話をしてくれる授業というのもほとんど教職課程にはないだろう。本当なら、これだけで十分に半年間のレッスンができる内容だと思う。学生のうちは、この声の重要性に気がつく者は、少ないと思う。ただ、教育実習から帰ってきたら、これは感じるであろう。

本学でも、実習後の四回生の前期などにこういう授業を設定するといいんだけどなあと思う。

久しぶりに午後に時間が取れたので、研究費の処理やら授業の準備やらをする。こういうのをてきぱきとやっておかないと、後から襲ってくる仕事の波に飲まれてしまうことになる。

よくわからないが、サーフィンのパドルと似ているかもしれないなと思う。波に乗るために沖に向かってボードの上に乗って漕いで行くのをパドリングというが、沖からやってくる波に向かって漕いで行く訳だから大変である。しかし、頑張って沖に出てしまえば、いい波を安定して待つことができる。浜に近いところでは、ダメだ。たぶん、こういう日常のあれこれの仕事は、パドリングなのだと思う。

で、手元に届いた本を読んだりしながら、iMac27インチの設定を行った。タイムマシーンである。ご案内の通り、マックはコンピュータの中にあるハードディスクの内容を、そのままバックアップしてくれる。これがOSで標準で用意されている。だから、外付けHDがあれば、全く問題なくバックアップが自動的に行われる。

iMac27は、ハードディスクが驚きの2TBなので、外付けHDも同じものを用意した。この設定がまだだったので、行ったのだ。

ところが、ああ、ところが。
設定をしながら、AirMacの設定でパスワード設定していなかったことに気がついた。これはいかんと思って、設定をしようとちょこっといじくったのが悪かった。AirMacの設定がおかしくなってしまい、ネットにつながらなくなってしまったのである。

あれこれやるとますますおかしくなるのが、ネット関係である。分かっている。しかし、あれこれしたくなるのだ。
1時間弱あれこれやって、結局ダメで専門家の情報メディアセンターの方に来ていただいた。

で、私が先ほどまでやったのと同じこともう一度私がやっていたら、あら不思議。直ってしまったのである。ま、直っていいのだが、なんかちょっとよくわからない。

でも、つながってよかった。

つながるって大事だよね(^^)。
さ、帰ろう。

2010/04/26

「振り出しに戻る、です」

4/26

予定していた時間よりも早く目が覚めてしまった。ジュースを飲みながら、一日のことをあれこれ考える。これはこれで大事な時間。

三回生ゼミ。昨年に引き続いて『街場の教育論』を講読する。最初は、私がハンドアウトの作り方を具体的に示し、第一講は私がレポーターをする。

だが、なかなか中身に入れない。「明日の教室」の裏話をしたり、感想掲示板に書かれていた内容で重要なものに答えたりとしていると、あっという間に時間が過ぎる。

来週も私がやることになる。ま、最初はゆっくりだ。何せゼミ性の人数も少ない。ゆっくりでも大丈夫だ。

四回生ゼミの学生が、卒業論文について個人指導を申し込んできた。もちろん、指導をする。結論として、学生がたてた問いは、もう既に解明されているということが分かった。それも30分で分かってしまった。研究室にある本と、ネットですぐに分かってしまった。

学生曰く、
「振り出しに戻る、です」
ま、そんな気分かもしれない。だが、良質の問いをたてることができれば、もはや卒論は半分完成したようなものなのである。じっくりと問いを考えよ。

国語科教育法では、引き続き教師の声と話し方について。ここも時間をかけているが、あれこれエピソードを話しているとゆったりになってしまう。話すスピードは結構テンポよくしているのだが、内容がたくさんあるので、進まない。

来週は、やっとチョークについてのあれこれと、板書についてのあれこれとなる。その次に、メモの指導、漢字の指導となる。この辺りから、やっと本格的に始まるって感じかな。

このところネット関係のトラブルが多いのだが、今日は本学のメディアセンターの人たちのおかげで一つ解決できた。

それは、私が自分のアドレスで自分宛に出したメールが、自分に届かないという現象である。私は、すべてのネットのメールをニフティのアドレスに届くように転送設定してあるので、自分が差出人の自分宛のメールが届かないと、結構大変なのであった。

しかし、解決した。さすが、メディアセンターのみなさんだ。原因は、私がニフティのウェブメールの設定で、どうやら自分のアドレスを迷惑メールに設定していたことらしい。そんな記憶はないのだが、実際確認してみるとそうなっていた。

これを解除したら、自分の出した自分宛のメールが自分に届いた。ああ、すっきり。これでiPod touchが出てきたら、万々歳なのだがなあ。これは流石にメディアセンターのみなさんでも、解決できないのであった。

今日は、眠いなあ。
早く寝てしまうかもしれない。

さ、帰ろう。

2010/04/25

シルキー6は心地よい静かな雄叫びを上げる

4/25

琵琶湖は快晴。空も湖も青。ブラックバスを釣る人たちで朝から大にぎわい。晩春だ。

Blue_lake

朝ご飯を食べて、寛いでいると次から次へとメールが。昨日の明日の教室に参加された方から、お礼のメールである。実にありがたいなあと思う。会場を用意し、講師の先生と連絡をし、日本酒を用意しf(^^;、ぐらいのことしかしていないが、こうしてみなさんの何かの役に立っているとすれば、嬉しいものだ。

昼前に、おニューの自転車に乗りたくて仕方のない娘を連れて、ガーデンに行く。自転車は結構早いので、私は早歩き以上のスピードで歩いて行かないとダメ。これは良い運動になる。

ガーデンは、八重桜、チューリップ、姫リンゴ、シャクヤクなどが咲いている。もうすぐで一面のバラになる。娘はすぐに裸足になり、走り回る。私は芝生に転がって芝生から漂うバナナの香りに包まれながら、晩春の日差しを体に浴びる。

「咲いた、咲いた、チューリップの花が」

と娘が歌い、私はその歌を聴きながら微睡む。
突然体に乗ってくる娘。そして、膝枕をしてくれる娘。
春の心地よい日曜日だというのに、園内は貸し切り状態。ゆったり寛いで、明日からに備えようと思う。

娘と一緒にお昼寝をする。
夢の中では、iPod touchが見つかり、整備していた325iが奇麗になって登場。

正夢になるか!と思ってあれこれ捜すが、iPod touchは見つからず。もう、諦めるかなあ。

ではあるが、325iは正夢になった。ブレーキセンサーのトラブルの修理と外装の化粧直し、さらに細かいセッティングを終えて私を待っていた。

代車からチャイルドシートを外して、取り付ける。
運転席に滑り込む。皮シートは本当に滑り込むことができる。
イグニッションボタンを押す。
ああ、シルキー6は心地よい静かな雄叫びを上げる。

『325i、お帰り』
である。
遠出をしたくなるなあ。
また、明日からよろしくである。

良い週末であった。

32 回 明日の教室 野中信行先生 その2

4/24−2

野中先生の講座が終わった。
知的興奮の固まりである。
もっと簡単に言うと、
(ああ、授業がしたい)
(ああ、研究がしたい)
と思った人たちで一杯になった会場であった。

(もう、早く帰ってのんびりしたい)
(なんで、ここにいるんだろう)
なんて研究会もあるけれど、そんなのは本当に無駄で勿体ないと思う。

明日の教室は、
(ああ、授業がしたい)
(ああ、研究がしたい)
と思いたくなるような研究会でありたい。それを考えてあれこれ企画している。

そして、その思いを胸に移動し、パーティであれこれ語りあうのである。

パーティは圧巻だった。90人を超える参加者のうち、70人以上が参加した。今回は、本学の第二食堂、クリスタルカフェで行った。

思い起こせば、去年野中先生に来ていただいた時、開催日の前々日に新型インフルエンザの発生で、大学は一週間の臨時休校。学内で行うはずの「明日の教室」も市内の別会場に急遽変更し、クリスタルカフェで行うこともキャンセルになってしまった。

(今度の野中先生のときに、かならずここでやってやる)

と思ったのであった。

で、大正解のパーティであった。立食ではあるものの椅子もちゃんとあるし、2000円であの料理。さらに飲み物も入っているってのは、凄い。いつもの懇親会の半値でできている。

持ち込みもオッケー。私は、「獺祭」の50%、48%、45%の三種類の精米による違うものを持って行った。これも、みなさんにとても喜んでいただいた。日本酒ソムリエとしては、かなり嬉しい。「味噌汁・ご飯」授業であるが、こういうときはやはり「ごちそう」のお酒を用意したいf(^^;。

学生たちは、積極的に全国の実践家の先生たちに話をしていた。下回生の学生は、もじもじしているところがあったので、私が連れて歩く。なんのための懇親会だ。なんのための名刺だ。

私も、新しい出会いがいくつか会った。千葉大の藤川先生のところにいた方が参加されていて、あれこれ話す。ひょっとしたらとても大きなプロジェクトが始まるかもしれない。これも楽しみだ。

これなら、毎月あそこでも良いなあと思う。
ただ、当日に急に懇親会に参加したいという人が、参加しにくい部分はある。でも、2000円であれなら、いいよねえ。

参加費2000〜3000円。懇親会2000円。一ヶ月に一回、5000円でこれだけ学んで楽しめるのであれば、参加者のみなさんも十分納得していただけるであろう。

その後、二次会、三次会と楽しい語らいの時間は過ぎて行った。帰る帰ると言っていた一般参加の中村健一さんも、最後まで残ってくれた。

私は、終電で帰宅。
今年度も「明日の教室」で良い時間を過ごせるのを嬉しく思う。

32回 明日の教室 野中信行先生 その1

4/24-1

いよいよ「味噌汁・ご飯」授業の提案のある、明日の教室である。まずは朝風呂に入り、寛ぐ。この時間が大事。

出かける前に、娘の自転車の補助輪を調整。左右ともに少し高い位置にあるので、漕いでいて車体が揺れる。それが怖いとのことなので、直す。スパナを持つなんて、久しぶり。オフロードバイクに凝っていた頃は、毎週握っていたがf(^^;。

「おとうさん、ありがとう」

と言われると、まあ、嬉しいよね。

10時半過ぎに大学に到着。
池田ゼミの四回生、三回生を中心にあれこれ準備をしている。もてなす側なのだ。丁寧に確実に作業が出来るようになってほしい。

講座の最初は、参加者全員で野中先生が提示される教材について考えるというパート。3人1組になり、30分で考える。

3人1組になるとき、同じ年齢で集まってしまっては面白くないと判断。同じ目的を持ちながら、価値観、方法、経験が違う人たちが集まった方が、話し合いは豊かになる。事務局で名簿を見ながら3人組を考えさせてもらった。そのやり方を学生に指示して、あとは任せておいた。結果は、良かったようだ(^^)。

詳しい様子は、

玉置先生のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98434/diary.html

川本先生のブログ
http://ameblo.jp/motti57/entry-10517258316.html

糸井先生のブログ
http://susumu.exblog.jp/10487740/

をご覧頂ければと思う。

「味噌汁・ご飯」授業は、料理をしている人にはとってもすとんと落ちるメタファである。私も「作文は料理に似ている」というメタファでNHK教育テレビ「わくわく授業」で出演したことがある。私にとっては非常に分かりやすいメタファである。(ちなみに、私も野中先生も糸井先生も、日常から料理をし、三人とも1人娘の父親である(^^))

いろいろなことが考えられる。
味噌汁とご飯だけで、朝ご飯を食べる。私は野中先生がこのことを提案されたときにすぐに、

1)日常的であること
2)飽きないこと
3)栄養価が安定していること

がその条件ではないかと申し上げた。この条件をもとにさらにあれこれ考えると、

(1)常備菜
(2)下ごしらえした食材、調味料
(3)ふりかけ的要素

がさらに大事になってくるのではないかと思うようになってきている。

(1)常備菜

つまり、佃煮や煮物や漬物である。「味噌汁・ご飯」にそっと一品を添えるのである。そのような常備菜が冷蔵庫にあると、箸が進む。いつも冷蔵庫にあるような、常備菜的な教材があることがポイントとなるはずである。

(2)下ごしらえした食材、調味料

一回茹でて冷凍保存した小松菜。一回分に切り分けてラップでくるんで冷凍保存してある鮭の切り身。ネギを刻み込んであるお味噌。乾燥わかめに乾燥キクラゲ。こういうのがあると、あとは少し手を加えるだけで、すぐに一品が増える。

つまり、少し手を加えれば使えるように下ごしらえした教材を用意しておくかどうかということである。何かに使えるかもなあと思って、下ごしらえしてしまっておくことがポイントである。

(3)ふりかけ的要素

白米に鰹のふりかけ、明太子のふりかけ、海苔卵のふりかけ・・・。ちょこっと振りかけるだけでご飯にアクセントがついて、食べやすくなる。こういう要素があると、同じものであっても簡単に変化を付けることができる。

たとえば、同じ音読でも立って読む、座って読む、ペアで読む、群読で読む、早口で読む、アニメのキャラクターになって読む・・・。さまざまな読み方を指示することができる。ちょっとした工夫。ふりかけ的要素である。

これらが意識されると、かなり豊かな「味噌汁・ご飯」授業になるのではないか。

そして、今回改めて思ったのが、お出汁である。
「味噌汁・ご飯」授業であっても、その対極の「ごちそう」授業であっても、お出汁は共通している。出しのキチンとしていない食事は、どちらにしても美味しくはない。

授業づくりにおける「お出汁」は何なのか。

ここについては、私もいくつか仮説がある。
そこについては、まだブログには書かない。
あれこれ考えるのが、楽しいからだ。

ある一定の結論を出せたら、お報せしたいと思う。

知的興奮に包まれながら、そんなことを考えていた。

木屋町は八重桜が奇麗に咲いている

4/23

iPod touch紛失中。もう三日になるなあ。どう考えても家の中にあると思うのであるが、見つからない。MobileMeで場所を特定しようと思たら、スリープ状態ではダメだということが分かり、原始的な方法で捜す。見つからず。

娘に聞いてみても分からない。娘はもの凄い記憶力を持っているので、知っていれば教えてくれる。だけど、一緒に捜しているので本当に分からないのだろう。

となると、え〜〜〜〜〜〜、ここに!という所にあるのであろうが、これが分からない。かつて読みかけの本を冷蔵庫の中に発見したことのある私は、冷蔵庫の中も確認したが見つからない。

ま、データは全てMacBook Proにあるので、良いと言えば良いのだが、悔しい。どこで眠っているのだろうか。

MacBook ProのHDの残りの容量がかなり少なくなってきたので、写真を整理する。データを外付けHDに移して、お気に入りの写真だけ、新しいフォトアルバムに読み込む。20GBを切っていた残りの容量が90GBまで戻る。相当読み込んでいたのだなあ。

娘の一年前の写真等を改めて見てみると、確かに小さい。去年は膝丈だったのが、今はミニスカートになっていたりするんだから感動である。足が伸びたんだな。

娘は、今日はPre幼稚園の日。お母さんとさよならするまでが嫌で、
「幼稚園、行かないの」
と言うのだが、行ってしまえば楽しい。
今日も帰りに
「幼稚園楽しかった?」
と聞かれたら
「うん!」
と答えたのだが、その後に
「あ、でも行かないの」
と答えたとか。可愛い。

ただ、幼稚園の先生に私がiPod touchを紛失していることを話したりするのは、困ったものだf(^^;。これから全部筒抜けになるんだろうなあ。

家では、家のiMacとMacBook Proと研究室のiMacの同期の作業を進める。MobileMeを使ってアカウントとパスワードを打ち込んだら、あっという間におしまい。

家のiMacには私のアカウントを新たに設定したのだが、これでMacで仕事ができる環境が三つ揃ったことになる。安心だ。嘗て、一つのMacだけを使っていたころに比べると、その安心感は全く違うし、設定の簡単さも全く違う。便利だなあ。

これで仕事も勝手にやってくれれば言うこと無いのだが(^^)。

新しく設定した家のiMacで、事業仕分けのパート2の実況中継を見る。ネットでこんな風に配信されてしまうのね。数日前の民主党の教育に関するネット配信テレビを見たときにも思ったが、マスメディアというのは、これは大変なことになっていくなと思った。

分かり切っていたことだが、マスメディは情報を編集し、加工して提供している。それが情報の受取手には分かりやすく機能することも多々ある。しかし、一次情報の醍醐味を知ってしまうと、不満に思う人たちが増えてくるだろう。

いま、スポーツだけは実況中継ということで一次情報が流れているが、あとは生放送はニュースぐらい。そのニュースも原稿は編集されている。そんな中で事業仕分けのようなものが、ネットでリアルタイムで配信される時代である。こりゃあ、凄い時代になったと思う。

マスコミは、根本的に存在意義を問われる時代になってきているのだなと、私でも思う。

大学に行って翌日の「明日の教室」の準備を少しして、京都市内、高瀬川沿いのお店に出かける。木屋町は八重桜が奇麗に咲いている。

Takase

明日の教室の事前打ち合わせで、野中先生と糸井先生と会うことにしていたのだ。翌日の「味噌汁・ご飯」授業についてのあれこれを話し続けた。途中から前泊している、ながたくさんも参加。

桂小五郎が隠れていたあたりのお店で、あれこれ。別に謀議でもなんでもないが、ちょっと怪しい感じf(^^;。

翌日のことを思いわくわくしながら、晩春の高瀬川を後にした。

一週間の授業が終わった。

4/22

一週間の授業が終わった。一息つく。
四回生ゼミは、卒論指導のゼミである。春休みに卒論に向けて取り組んできた内容を一人五分程度で発表させる。ところが、この解説に時間をかけすぎてしまって、12人のうち3人しか行えなかった。

学生の作ってきたハンドアウトを見ると、かなりテーマを絞り込んできている学生と、おい、それは博士論文のテーマだろというようなテーマのままの学生とに分かれている。四月の段階で結構な差がつくものだなあと感じている。

でも、まあ、それなりに進んでいるという感じであろうか。

授業は終わったが、課題の確認はまだまだ続く。課題を出さなければ、これでおしまいなのだが、課題をやらせないで学生たちに力をつけることは、私にはできない。

だから、課題を出す。私も、その課題を見ながら、次の指導の方向性や内容を考える。中学校も、大学もここは殆ど変わらない。そして、教科通信を書いて、学生の掲示板の感想にコメントをしてと、iMac27の前にずっと居続けるのである。

講演会の依頼が立て続けにある。
教育委員会のものは基本的に同じような時期に行われることが多いので、もう埋まっているものが殆どである。申し訳ないがお断りの連絡をすることになる。

授業をしている期間は、一か月に二回程度に押さえないと、本務に支障を来す。また、授業期間外であっても、一週間に一日は休みを入れないとと思う。

娘と遊ぶ時間もほしいしf(^^;。

デジカメが無くなった!と思ったら、車から出てきた。ほっとする。325iの方はもうすぐ調整から戻ってくることも分かる。いいこともあるが、iPod touchはまだ行方不明。うーむ。

さ、週末の明日の教室に向けての準備だ。

2010/04/21

本日は、某番組でも行っている「列挙」と「ナンバリング」である

4/21

天気予報では今週中は雨だったのだが、今日は晴れの予報。

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それならば、お父さんは頑張らなければならない。娘の成長を祝ってプレゼントした自転車を取り出すのである。昨日届いていたのだが、雨だったので出さないでいたのだ。

朝ご飯を食べて、段ボールから取り出す。保護してあるエアマットを取り外し、稼働部の動きを確認する。娘は段ボールに入っているときからうれしそうにしている。体をねじって喜んでいる。子どもはそうでなくっちゃ。

自転車を乗せても良いエレベータまで行って、一階のロータリーに向かう。そこで、初自転車である。勢い込んで乗るものの、まだペダルが半分しか回せない。時々おりて、自転車の向きを前のタイヤを持って変えている。なんともまあ可愛いものだ。

30分も漕いだであろうか。思った通りに行かなかったのが不満だったのか、思ったよりも短時間で一回目の挑戦は終えた。これからが不安でもあり、楽しみでもある。まさに、子育てである。

ひげを剃って大学へ向かう。研究入門ゼミ。

本日は、某番組でも行っている「列挙」と「ナンバリング」である。1分スピーチを作らせるのだが、その方法として特にこの二つを指導する。

考えるということは、拡散と収束の二つの作用であると内田伸子先生がおっしゃっていたと思う。私はここにあと、関連づけが入るのではないかと思っているが、怖くて言えない。言えないけど書いているf(^^;。

とまれ、この拡散と収束の二つの違うベクトルの作業を、あれこれしながらスピーチ原稿ってものを考えるのだ。スピーチ原稿や作文が苦手な人に多いのは、この二つを同時にやってしまうことにある。拡散と収束を同時にやれるのは、相当訓練を積んでいる人か天才かどちらかである。一般人にはいきなりはできないのが普通である。だから、これを二つのステップで行う。

拡散は拡散。収束は収束。そのときに必要なのが、列挙とナンバリングとあれこれである。そのことを今日は指導した。

さらに、課題にしておいた名刺作りの確認。名刺の渡し方、受け取ったあとの作法などを指導した後、人生最初の名刺交換をしてあげる。

学生は社会人である。外の人とどんどん交流をすべきである。その交流のツールの一つが名刺である。活用してほしい。

昼食後、少しだけ時間があったので、学内を散歩。
アメリカハナミズキ、八重桜などを楽しむ。また、大学の裏山は、まさにいま「山笑う」である。

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命の洗濯。

研究室に戻ってくると、研究室の前の教室で黒服スーツの集団。学生たちが自主的に集団面接の勉強会を開いている。いいことだ。面接する側に回ると、自分の足りないところがよくわかるものである。交代しながらあれこれやっていた。

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「先生。一回生のときに言われたことがよくわかります」
とある学生。
『ん、なに?』
「面接の前に、急にきちんとはできないってことです。先生が一回生の頃から厳しく言われていたあれです」
『だろ?』
「はい」
『感謝しろ』
「はい。もっと厳しくても良かったです」
『あんなに嫌がっていたくせになんだ!!』

なんて会話になる。
ま、やってきてよかったということである。

その後さらに、人間発達学部になってから初めての教授会。それに、学科会議。いやあ、いろいろある。

日も暮れた。
帰ろう。

2010/04/20

こういう時間がいいなあ

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国語の授業の作り方を教える授業をしている。いろいろな作り方がある。読解にしても作文にしても、いろいろとある。それは目の前の子どもの実態と、先生の指導の力量によって、さまざまなものが選択されて作られていく。

だが、声と板書は、どんな授業をするにしても同じく必要だと考えている。

授業の作り方の最初の部分は、声と板書にこだわって指導している。特に板書は、毎週課題を出す。一回目は、自分の名前を大きく書くである。教育実習のときに、自分の名前を大きく書く。その名前を書けという課題である。書いた後は、デジカメで撮影し、授業用のネット掲示板に貼付けるのである。これを15回繰り返す。

一回目の課題の提出後、チェックする。
まあ、汚い。醜い。読みにくいのである。書道をやっていた諸君でも、いきなりは書けないのである。

授業では、どこに注意して書くべきなのかを指摘する。先日のNHK教育テレビ「高校基礎講座ベーシック10」の【スザンヌの「勉強できない!」脱出計画 】で、りあるキッズを相手に授業した内容である。

勘所を押さえて、書かせるとぐっと良くなる。ぐっと良くなると、もっと良くなりたいと思うのが人間である。学生たちは、空き教室を使って板書の自主トレーニングに勤しみだした。

研究費の処理をして、事務方に提出してほっとして帰ってくると、私の研究室の前の教室で、数名の学生たちが板書に挑戦している。後ろから見ていたのだが、あまりにも汚いのでf(^^;、特別指導を始める。

『だから、こうしてああして』

具体的に見本を示して、私の書いた字の上からなぞり書きをさせてと指導する。一時間ぐらいやったかな。見るも無惨だった自分の名前の字が、少し人に見せられるような字になった。ああ良かった。

だけど、会議よりも、事務処理よりも、こういう時間がいいなあ。学生を鍛えるために大学の教員になったのだ。こういう時間がいいなあと思う。

あ、今日は、「伝える極意」で一緒に戦ったディレクターからの電話もあった。
新しい番組の相談であった。
ドキュメント系の番組制作は、一緒に番組に関わったメンバーは、スタッフ一同戦友という感覚になる。戦争には行ったことがないが、戦友ってのはこんな感じかなと思う。

電話越しにあれこれ相談に乗る。いい番組になりますように、ってこれも関わっている番組なんだけどねf(^^;。

ちなみに「伝える極意」は、ご好評のようで再々放送になっております。
近々私が出演した回の一回目が流れます。

「1分間で思いを伝える〜スピーチ〜」本放送:平成22年4月22日(木)10:40〜11:00 NHK教育テレビ 再放送:平成22年5月 6日(木)10:40〜11:00 NHK教育テレビ 

良かったらご覧ください。

さらに、今週末の明日の教室の後の懇親会のパーティの準備もして、一日のお仕事はまあ、おしまい。

ちょっと頭の右上内部に痛みが続くのが気になるなあ。
今日は早く帰ろう。

ちょうど今日の京滋の雨のように

4/20

雨である。今日からしばらく京滋は雨である。
紅枝垂桜、八重桜と咲き誇っているところに雨というのは、少しもったいない気もするが、今を盛りのタケノコや次のツツジやさつき、さらにクチナシと続く花のためには、大事な雨である。

いまさらなんでと思われるかもしれないが、大村はま先生の本を読んでいる。私は中学校の実践の場にいるときには、一冊も読まなかった。これはへそ曲がりの私のやっていたことなので他の人の参考にはならないが、私は読まなかった。

私が興味があったのは、私の目の前の子どもたちと私の実践である。他の人の実践はさほど興味がわかなかった。特に国語の授業に関しては、子どもと指導者が違うんだから、他の人の実践を持ってきてもダメだろうという思いが強くあった。

それに、なんというか、他の人が考えて出した答えというのは、その人にとってはジャストフィットであろうが、それが私と私の生徒たちにジャストフィットするとは考えられなかったし、だらしない私は、改良することもなくそのまま安直に使っていたであろうと思うので、国語の実践家の文章は読まなかった。

自分で考えたかった。他の国語の実践家の実践を参考にするってのは、私にはあまり向いていないと思っていた。だから、読まなかった。

もちろん、国語ではないものや、新しい指導方法を開発しなければならなかったディベートについてなどについては、ずいぶん読んだけど。そして、そこからインスパイアされるものの方が、私にはあっていると思っていた。

で、なんで今読んでいるのかといえば、そりゃあ、さすがに教員養成大学で国語を担当していて、大村先生の本を読んでいませんでは通用しないからである。学生たちに学びの機会を与えにくくなるからである。国語教育に関してエンサイクロペディアとまではいかなくても、その目次項目ぐらいは網羅せねばならないからねえと思うのである。

いま大村先生の本を読んでみて、思うのは、やっぱり読まなくてよかったというのと、読んでいてもよかったかなという思いが半分ずつということである。

読まなくてよかったという理由は、私の予想していた通り。ま、大村先生のと同じというのはおこがましいが、同じような発想をされているところがあって、これを現場にいたときに読んでしまったら、生徒と自分で考えることなくそのままやろうとしていただろうなということである。

遠回り、寄り道の多い私の人生であるが、振り返ってみればその部分が面白い。大事だったりする。その部分を通らないで結論にたどり着いてしまうのは、実はつまらない。ところがそうなる可能性があるようにも感じたのだ。

読んだ方がよかったというのは、ま、その裏返しかな。私が考えていた突拍子もないと思われることを大村先生もおっしゃっている。もし、それを知っていれば、

『いや、私がいっているんじゃないんです。大村先生がいっているんです』

と出典を明らかにして実践を守ることができたのではないかと思うのである。ではあるが、こうして誰かの言葉で守られる実践というのも、私は、あんまりよしとしなかったので、使わなかったかも。いや、人間が弱いから使っていたかな。なんてことを思ったりしながら読んでいるのである。

そして、いまは大村先生の言葉を受け取り、学生たちにどう伝えようかと考えているのである。

良いものを受け取って、次の世代へとつないでいく。
良くないと思われるものも、実は他の何かにとっては大事なものであることもある。であるならば、まずは受け取ることだろう。

ちょうど今日の京滋の雨のように。

2010/04/19

大切なのは、問うのをやめないことだ

4/19

月曜日は、三回生ゼミと国語科教育法の授業の日である。教えるべきことはたくさんある。そして、時間は少ない。中学校のような授業の作り方をしていてはとてもじゃないが、間に合わない。だから、資料を用意し、学生諸君が自分でその資料から学ぶようにしなければならない。

ではあるが、その資料が何を意味しているのかなども説明しないとダメだ。四月は、ガイダンス的に授業を進めていくことになる。

たとえば、『日本の論点』がなぜ大事なのかということを、文章を書くとはどういうことなのか、いや文章の種類にはどんなものがあって、君たちが卒業までに書こうとしている卒業論文との関係はどういうふうになっているのかなどを説明しながら、授業を進めていくことになる。

「大切なのは、問うのをやめないことだ。」とかのアインシュタインは言った。この問うとはどういうことなのかの意味を理解しないと、専門課程に入ってきた彼らが育つ道はない。

違う授業であるにもかかわらず、同じような例を出すこともある。二つとも受講している学生には、聞いたことのある内容になる。ま、仕方がない。それよりも、二回の授業で私が話しているものの微妙な違いは何か、またなぜその違いがあるのかを考えながら授業を聴けばいいのである。そして、それは実はとても大切なことなのだということに気がつくことを期待して進める。

基礎資料の探し方
教師にとっての、文字、声、姿勢などについてあれこれ講じる。

夕方は、授業の準備。
まあ、終わらないねえ。
途中にメールが入ったり、電話が入ったり、訪問があったりで進まない。
だけど、みんな四月はそうだろうから、あきらめてあれこれする。

それにしても、ちょっと大きな仕事の打診のメールが入っていたのには、驚いた。うーむ、いいのか、俺で。依頼なんだからいいんだろうけど、いいのか?

うーむ、今日はここまで。
帰ろう。

そのレストランは、江の電の駅のすぐ側にある

4/19

さ、一週間が始まる。
琵琶湖は奇麗だ。

この琵琶湖の景色、どこかに一つの原体験があるんじゃないかなと思っていたのだが、由比ケ浜だ。由比ケ浜のとあるレストランから見た景色を思い出せる。

そのレストランは、江の電の駅のすぐ側にある。そして、崖の斜面にあって、お客さんはその崖の階段を上って行かないとたどり着けないのである。

ただ、そこからの180度パノラマの景色は絶景で、風も心地よく、食事の後もゆったりと読書をすることができた。また足を運んでみたい店だ。

朝、仕事に行く準備をしていて、それをふと思い出した。
ちょっと幸せな気分である。

2010/04/18

四匹の蛸さんをテーブルに並べた

4/18-4

親ばか四連発の記事である。

娘は、道具に凝っている。
今はハサミである。
モンテッソーリではないが、道具に凝っているのは分かる。

娘専用の歯がギザギザで手を切ることの無いハサミ。それから、大人用に作られている中型のハサミに大型のハサミ。これが好きで毎日あれこれ刻んでくれている。

私の草稿を刻んでくれるのは、自家製手動シュレッダーのようでありがたいのだが、娘は折り紙を切り刻むのがことの外好きで、紙吹雪にして遊んだりしている。

今日は、折り紙の下半分をいくつも途中まで切っては喜んでいた。そして見せにきたので

『蛸さん、作ろうか?』

と言って一緒に、というか私がほとんどだが、作った。
丸めた折り紙を糊で止めて、目を入れて、足に該当する部分を鉛筆で丸めて出来上がり。

すると、当然

「やる!」

と目を輝かせる。
目を入れる作業をさせた。

楽しそうに作って、四匹の蛸さんをテーブルに並べた。
私が写真を撮ると、娘も一緒にオリンパスのμで撮影している。
はっきり言って、μについては私よりも機能を良く知っている感じである。

ものを一緒に作るってのは、コミュニケーションだなあと思う。

Takodance




もう一度言語化しなければならないのである

4/18-3

公園の滑り台が大好きな娘。お尻で滑るだけでなく、ウルトラマンのように前から滑り降りて、一番下に来たら両手でブレーキをかけることもできる。おいおい、誰に習ったんだそんなの?と思う。

ブランコに娘が乗る。そんな娘だから立って乗ることもできる。ところが、
「おとーさん、やって!」
である。
まだ、漕ぐことができない。

学生たちにこんなことを質問する。

『アー諸君。君達は、靴のひもを結べるかね?』

もちろん、学生たちはハイ?と答える。怪訝な顔をして、うなずくわけである。
そこで、

『では、君達。その結び方を口だけで説明してみたまえ』

こうなるとこれは結構難しいのである。
嘗て、私たちは親から靴のひもの結び方を学んできた。口で言われ、目の前で見せられ、手取り足取りで靴のひもの結び方を教えられ、それが出来るようになってきたのである。

いま、私たちは靴のひもが結べる。それは一回一回頭の中でやり方を言語化して行っているわけではない。手が勝手に動くのである。だから、言語化して説明するとなると結構難しい。

動きというのは、

1)言語で説明される、見本で示される、一緒にやる
2)できるようになる
3)1)が消える。だけど出来る。

という流れで習得されることが多い。車の運転等を思い出してもそうである。マニュアル車を運転している人が、クラッチを意識して運転しているとは思いにくい。シフトレバーの位置を確認しながら運転しているとも思えない。

授業を進める教師も、この構造を理解しなければならない。もう既に、言語を必要とせずに自分で出来る教師は、これから言語、見本、一緒にやるということを通して、体に覚えさせることをする子どもたちを相手にしているのである。

だから、もう一度言語化しなければならないのである。これが難しい。わかると、できると、教えられるは、違うのである。

『えっとね。立ち漕ぎの時は、こうやって前に行くときに膝を曲げるんだよ』

ブランコの漕ぎ方を、言語化し直すことになろうとは思わなかった私である。

機が熟すのを子どもは待っている

4/18-2

娘の成長を楽しみつつ、あれこれ考える。長女で末っ子の娘である。誰かと比較する必要もない、娘の成長に従ってあれこれやって行けば良いと思ってやってきている。

離乳食のときに、特に強く思ったことがある。誰と比較するのではないのだが、ま、この月齢だとどんな感じなのかなと本を読んだりするわけである。離乳食はいつ頃からあげるのかなどが書いてある。

私が育児書を読んでよく分からなかったのは、なんで歯も生えていなうちから離乳食をあげるのかであった。三ヶ月になったら、これを与えて、五ヶ月ならこれとなっている。直感的に
(違うだろ!)
と思った。

草原の草食動物は、産み落とされた瞬間に立ち上がって走れる。それはそういう必要があるので、そのように生まれてくるのだ。もちろん、全てが必要だから存在する、発生するということではないだろうが、人間の子どもだって、歯は噛む必要があって生えてくるのであろうと私は思う。

三ヶ月で離乳食をするってのは、どう考えてもおかしいと思うのだ。だから、我が家では歯が生えるまでほとんど離乳食は試みなかった。

で、聞くところによると、早く始めるとあれこれ良く無い症状が出る場合もあるという。歯や胃腸が育ってないのに食べさせるってのは、やっぱり変だと思う。

何ヶ月になったから、何歳になったからというのは、社会の側の要請であって、子どもの側からの必要性ではない。すくなくとも学校に行くぐらいまでは、子どもの側からの必要性や要求に基づいて、対応をしてあげたいなあと思う。

このごろ、突然自分であれこれ出来るようになった娘を見ていて、
(ああ、もう○才だから、これが出来ないとダメだよという育て方をしなくて良かったなあ)
と思う私である。

機が熟せば、大丈夫なのだ。機が熟すのを子どもは待っている。待てないのは親の方なのだろう。親業は、我慢我慢。


つくづくアニミズムの国に住む私

絆創膏が好きな娘である。ちょっとでもぶつけたり、引っ掻いたりすると絆創膏を求めてくる。それも、ちっちゃいのが好きで、ちっちゃいのを貼れと言う。

いろいろなサイズの入っている缶の中を捜してちっちゃいのを貼る。それが無くなると大きいのを半分に切って貼る。満足な娘。

一晩経って、手を見ると絆創膏がはがれ始めている。
「はがれてきたの」
と手を見せる。
『ああ、それはもう傷が治ってきたよ、って絆創膏さんが教えてきてくれているんだよ』
と説明する。

娘は、一生懸命に貼り直そうとしている。
『ほら、もう大丈夫だよ。治ったよって教えてくれているから、くっつかないでしょ』
そのうち、娘は
「取って!」
と小さな手を出して、剥がすことを求める。剥がしてみると、ほとんど大丈夫な傷である。

つくづくアニミズムの国に住む私だなあと思う。絆創膏にまで人格を認め、そして、絆創膏が傷の治療を司る神に見立てて、娘に語っている。

キリスト教の世界では、こう言うときなんて言うのかなあと思う。
やはり
「傷が治ってきたから、神様がもう剥がしなさいって指示を出しているのよ」
ってな感じになるのだろうか。



2010/04/17

大学の紅しだれ桜

大学の入り口にある紅しだれ桜がとんでもないことになっている。

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夜になるとライトアップされる。

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あまりにも美しいので枝の中、美しさに包まれてみた。

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何回も息をのんだ。
息をのみながら切なさに包まれていた。

娘の自転車を購入した

4/17

午前中はやっぱりとのんびりというか、ダラダラというかしながら過ごす。体調が元に戻らないってのはやっり気分が優れない。いや、気分が優れないから体調が元に戻らないのかなあ。

どうも、あれこれすっきりしない。ま、すっきりする人生なんてのはあり得ないのだろうが。

それでも懸案の一つは片付ける。
娘の自転車を購入した。旧暦のおひな祭りのお祝いというのもあるし、娘が一つはっきりと成長したのをお祝いするということでも、プレゼントしてあげようということになったのだ。

まあ、なんというかよくおねだりしていた。

「お父さん、お父さんはお金があるから買ってね」
「赤いのが好きなの」
「いつ自転車くるかなあ」

とあれこれ。
まったくおねだり上手である。ぐっと堪えなければ家中とんでもないことになってしまうf(^^;。

ただ、娘には言って聞かせた。

『これから自転車がお家にやってくるよ。いいかい、よく聞くんだよ。自転車はとても楽しいけど、とても危ない乗り物でもあるんだよ。だから、「乗りたい!」と大声で言っても、お父さんがダメと言ったらダメなこともあるからね。ここがわからないと乗せてあげられないよ』

と。
娘は神妙な顔をして聞いていて、

「はい」

と返事をした。
もちろん、娘が返事をしたのは、私が真剣な顔で話していたからであって、きちんと理解している訳ではないだろう。だけど、こういうことを繰り返していくってのは大事だと思う。実際に自転車に乗ってしまえば、楽しくて言うことを聞かないこともあるだろう。そのときは、泣かせてでもやめさせることになる。その繰り返しだな。

これからいくつもの危ないものに出会っていくことになるわけだが、一つずつお話をしていこう。

午後は、研究室にこもって研究室の片付け。
やっと活動する場所が確保できた。

机の上にはiMac27インチをどーんと乗せた。
早い、でかい、美しい。
これになれてしまうと、MacBook Pro15インチも狭ーく感じるんだろうなあ。贅沢だf(^^;。

せっかくなので、二台のマックにあべたかさんに教えてもらったドロップボックスをインストール。
http://www.getdropbox.jp/post.html

これでとりあえずのデータは、二台のマックで一致させることがかなり容易になる。2GBまで無料のクラウドコンピューティング。いやあ便利だ。

あと半日ぐらいあれば、さらに使いやすい研究室になるだろうな。
よしよし。

今日はここまでにしておいてやろう。

4/24 明日の教室 野中先生 パーティの申し込みは、4/19までです

さて、4/24(土)の明日の教室の締め切りが迫って参りました。
今回は、日常の指導を重視する野中先生ならではの「味噌汁・ご飯」授業について、まとまったご提案を頂きます。

教師は、研究授業や授業参観などのときに、ちょっと頑張った授業をする必要があります。しかし、授業のほとんど多くの時は、普通の授業です。この普通の授 業を野中先生は、「味噌汁・ご飯」授業と名付けました。

毎日の時間のない中で、どうやって安定した普通の授業を作って行くのか。この課題についてのご提案を頂きます。

今回の懇親会は、研究会会場である京都橘大学の新しいレストランで行います。こちらの参加費は、2000円前後となっております。参加人数などによって料理が変わりますので、【パーティの申し込みは、4/19まで】の事前申し込みでお願いします。

申し込みは、

http://kokucheese.com/event/index/1828/

です。

【パーティの申し込みは、4/19までです】

お待ちしております。

二伸

東京は季節外れの雪だとか。
なごり雪にしては、随分遅いものですね。
なごり雪は、イルカだという世代と、伊勢正三さんという世代と微妙に違っていて、私は伊勢正三さんです。

思わずyou tubeで伊勢正三さんの曲をあれこれ聴いてしまいました。

「君と歩いた青春」「暦の上では」「海岸通」
http://www.youtube.com/watch?v=PL7AlTGxA4Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=VO2tf-Yca-8
http://www.youtube.com/watch?v=rjYH5vfnhnY
ま、時間のあるときに聞いてみて下さい。

野中先生は、ボブディラン世代なんだなあと思っております。野中先生のブログは、

風にふかれて
http://nonobu.way-nifty.com/

ですが、これはかのボブディランの名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=3UuxeW7n0YU

なお、今後の予定です。

5/22(土) 鈴木淑博氏 読書へのアニマシオン
6/12(土) 前田陽孝氏
7/24(土) 野口芳宏氏
8/11~12  授業づくりネットワーク京都大会 於 京都橘大学

三年に一回ぐらいのとんでもなく悲しい事態

4/16

うーん、風邪が体から抜けない。
だらだらと仕事をしていているのが、ダメなんだろうなあと思う。バシッと仕事を終わらせて見たいものだ。

午前中は、寝ていた。
体が寝るのを欲しているので、寝ていた。体調管理も仕事なので、寝るのも大事だ。

午後から、買い物に。

本日は旧暦の三月三日。ひな祭り。娘の兼ねてからの所望もあり、自転車を買いに行くことに。三輪車もいいなあと思っていたが、今ひとつ良い三輪車が見つからなかったことと、それよりもガーデンで走り回らせたいという思いがあって、こちらは購入せずにいた。

二件ほど大型自転車販売店を見て、決定する。
ついでに私も前から欲しいと思っている自転車について相談する。なるほど、そういうことですか。

研究室に携帯電話を忘れてきてしまっていたので、帰りに少し立ち寄る。娘のおやつを買って、携帯電話を取って、書類をいくつか書いて、戻る。

いま、体育館の前の紅しだれ桜が満開である。今年は、ライトアップされている。雨が降ってきたが写真を撮っていた。すると四回生の学生がやってきた。

一緒に撮ってあげる。

ところが、がーん。
三年に一回ぐらいのとんでもなく悲しい事態。
SDカードのデータが吹っ飛んだのだ。
折角奇麗に撮れたのになあ。

ま、そういうこともある。
紅しだれ桜は、今週一杯ぐらいは大丈夫だろう。
4/24の明日の教室のときも、ぎりぎり大丈夫かな。

2010/04/15

明日は旧暦の3/3 ひな祭りです

明日は旧暦の3/3 ひな祭りです。

本学の桃の花も満開です。
新暦の3/3は梅の花が咲いている時期です。

やっぱり、
「お花をあげましょ、桃の花」
であるには、旧暦でお祝いしないとね。

ま、父さんは新暦と旧暦の両方で娘のひな祭りをお祝いしますが(^^)。

頁内検索とundoを知らなかったのである

4/15

四回生ゼミの日である。久しぶりに全員集合。本日は、図書館のスタッフに依頼して、情報検索の方法の第二弾をレクチャーしていただく。論文検索や雑誌検索などの詳しいあれこれである。

卒業論文に直結するので、良く理解せねばならぬ。
しかし、それ以前のレベルでコンピュータの操作について、知っていて当然のものを知らないでいることがあって、びっくりした。頁内検索とundoを知らなかったのである。

この衝撃は、何に例えたら良いのだろうか。
コンピュータは面倒くさいことをきちんとやってくれる。そのためにあるようなものだ。これをコンピュータに任せないで自力でやっていた学生がいたので驚いたのだが、実はほとんどの学生が知らなかった。

がーん。
ま、教えられて良かったと言えば良かったか。

GP関連の打ち合わせや、学科内の打ち合わせ、学生への対応などがどんどん入り、授業の準備がなかなか始められない。まして、研究室の片付け等出来ないf(^^;。

ま、今日はもう帰ってしまおう。

新刊 『クイズ日本語の大冒険』(教育画劇 池田修監修)

新刊が出ました。
『クイズ日本語の大冒険1〜3』(教育画劇 池田修監修)です。

私にとっては初の監修本です。ひさしぶりの、というか初めての国語関連の本です。

一巻は、文字
二巻は、言葉
三巻は、表現

を扱っています。
対象は小学校の中学年から高学年ですが、中学生でも十分に楽しめる本になっていると思います。

学級文庫や図書館に置いていただいて、児童生徒のみんさんに、言葉の世界で楽しく遊んでもらえればなあと思っています。

よろしくどうぞ。

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4限は、ビックな企画

4/14

一回目の、研究入門ゼミ。前半が合同で、後半がクラスに分かれて。研究入門ゼミは、大学での学び方を学ぶ。私は大学で学ぶことについて、心構えについて話す。

心構えというと、次の詩を思い浮かべる。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 心構えというよい種をまきなさい
 そうすれば態度という収穫物が手に入る
 今度は態度というよい種をまきなさい
 そうすれば行動という収穫物が手に入る
 さらに行動というよい種をまきなさい
 そうすれば習慣という収穫物が手に入る
 次は習慣というよい種をまきなさい
 そうすれば人格という収穫物が手に入る
 実りが近づいた、人格というよい種をまきなさい
 そうすれば運命という収穫物が手に入る
 最後によい運命の種をまきなさい
 そうすれば素晴らしい人生が手に入る

引用終了 ーーーーーーーーーー

スタートの地点で、方向をきちんと見据えて小さな努力を始める。そして、これを重ねる。一年後にはとても追いつかないほどの差が生まれる。そんな思いを混めて話した。

4限は、ビックな企画。

フィンランドの現役の小学校のベテラン先生と、国学院大学の千葉保先生と、元フィンランド大使館員の北川達夫先生による、講演と対談。司会は私。いやあ、凄い豪華。児童教育学科の一回生は全員。上回生は希望だが、300人ぐらいは集まった。

ひょんなことからこの企画は生まれた。私が関西ネタ研で発表したとき、千葉先生がいらっしゃった。千葉先生と言えば、『授業 日本は、どこへ行く? 使い捨てカメラ,ハンバーガー,日の丸』である。私は教師になった頃、この本を読んで衝撃を受けた。それから先生の御著書で私淑していたのだが、実際に目の前にいらっしゃったので、慌てて名刺を持ってご挨拶に伺った。

そこから連絡をいただけるようになり、フィンランドの先生が日本に来るのだけど、話す機会を作れないか?ということになった。それはありがたいということで学科の会議にかけたところ、そりゃあいいということになった。

さらに、フィンランドと言えば北川さんである。連絡したところ、手弁当で来て下さるとのことであった。というか、フィンランドの先生も、千葉先生も手弁当で良いと言う。すごい。

講演会は前半が北川さんの同時通訳による講演。フィンランドの社会、学校の様子など具体的にあれこれ話をしていただいた。なぜ、フィンランドは競争をしない教育が成功しているのかなどの根本的な考え方を示してもらった。そして、その競争には二種類あって、一種類の競争はしないがもう一種類の競争は日本等比べ物にならないほど熾烈であることも話されていた。

事前の打ち合わせのときに面白かった話題の一つに、フィンランドの先生から

「なんで日本はPISAで学力が高いのですか?」

と質問を受けたことである。日本はフィンランドが世界一と思っているが、フィンランドは日本が全ての教科で常に上位グループに安定していることの理由を知りたがっているというのである。おもしろいものだと感じた。

後半の対談の予定が、学生たちからたくさんの質問が出たので、それに答える質疑として話が続いて行った。

質問は出るかなあと少し心配であったが、これは杞憂であった。四回生を中心に、いい質問がたくさん出た。

この場合、良い質問とは。

1)講演の内容を引用している。
2)調べれば分かることではない。
3)主張の根拠、または前提となる部分への質問。

ということである。これらが、40分間途切れること無く出続けていたのである。四回生あの姿を見て、下回生は勉強になったのではないかと覆う。

夜は、懇親会。学科の教員、フィンランドの先生、北川達夫さん、四回生の学生たちと一緒に。北川達夫さんとは懇親会で過ごす時間の方が多いかもしれないf(^^;。

そして、歴史は夜作られる。
ここでもあれこれ裏話や四方山話が繰り広げられた。
とてもブログには書けない話ばかりである。

私はぎりぎり終電で帰宅。
ああ、濃い一日であった。

2010/04/13

iMac27インチの登場

4/13

本日は、教科教育法(国語)の授業が二回あった。受講生が多いので、同じ授業を二回やることになる。シラバスも教材も同じであるが、当たり前であるが、授業は少しずつ違う。学生の数が違うのが最大の理由だとは思う。

クラス指定の関係で、再履修の学生たちは後半の授業に参加する。だから、人数が多い。人数が多いとプリント一つ配る時間でも違ってきてしまう。違う授業であればいいのだが、同じ授業だけにその微妙な差が、授業に影響してしまう。なんとかしたいものだ。

教科教育法(国語)をやってみて実に思うのだが、たかだか15回の授業で、小学校免許の国語の部分のライセンスを与えていいのだろうかということである。15回、つまり90分×15回。実際には課題があるので、もっと多いにしても、15回で与えてしまっていいのかということに疑問を感じる。

それじゃあ、学校現場に出てすぐに指導ができないのも当たり前かなあとも思う。
この解決策は二つだろう。15回を、少なくとも30回にする。しかし、これは現状のキツキツのカリキュラムでは厳しい。

もう一つの解決策は、小学校の教員免許を専科にすることである。つまり、全教科教えないようにするのである。全部の教科を専科にするのは現実的ではない。小学校低学年は一人の先生、またはあまり多くない先生が指導に当たる方がよいと思う。

だから、小学校の免許を取るには、4つ程度の教科が教えられるようにすればいいのである。実際デンマークの小学校の免許はそうである。しかも、大学院を出ている人でなければ先生になれないのである。ま、大学が3年で、大学院が1年というところもあるが。

いずれにしても、一人で全教科を持つというシステムを変えることが、大事だと思っている。

午後は授業の準備を進める。
プリントの整理などをしながら、あれこれ。

そして、ジャーン。とうとう、iMac27インチの登場である。
いやあ、すごい。何がすごいって、コードが電源コードの一本しかない。後は全部ブルートゥースの無線でつながっている。だから、机の上がすごくすっきり。

また、今使っているMacBook Proの設定が、マックのクラウドコンピューティングのMobileMeから簡単にできてしまう。まさに、設定が空から降ってくる感じである。ことえりを使っているが、ここに登録されている辞書などもそのまま使えている。非常に快適である。

そして、作業スペースの広さである。
これなら、原稿書きもかなり快適にできる。A4を二枚開いても全く問題ない。

で、安心して設定できたのは、成蹊大学の塩澤先生に教えてもらったことと、本学の卒業生でマックの専門店に就職している若者がいるからなのである。塩澤先生にアドヴァイスをもらい、卒業生に立会ってもらって設定。簡単な上に、安心であった。

ああ、うれしい。
研究室に残りすぎないようにしようf(^^;。

2010/04/12

2010年度の授業が始まった

4/12

2010年度の授業が始まった。4月1日に入学式を行っているので、随分と授業開始までに時間が掛かっていると思われるかもしれないが、二回土日があって、4日間は抜けているのでまあ、こんな感じだろう。

入学式から授業開始まで、一回生はガイダンス、クラス懇談会、新入生キャンプとあれこれあってひーひー言いながら授業に突入であろう。それはまあ、教員も変わらない。

四回生は、通常の授業はほとんどないものの、採用試験のための講座や勉強がある。三回生は教員を目指すのであれば、その勉強をすればいいが、就職活動をするとなると、ここも忙しくなる。ま、すこしゆったりと始められるのは二回生ぐらいかなあと思う。

本日は、三回生ゼミと国語科教育法1。
授業を受けるためのあれこれを話すのだが、さすがに五年目である。こまかいあれこれを言わなくても良くなってきている。

先輩から伝え聞いているのか、諭されているのか、授業を受けるための基本的な構えが最初の頃に比べて随分違う。育っている学生たちを叱りつける必要は無い。普通の言葉で話して説明を重ねる。

卒業生が見たら
「え〜〜〜〜っ!」
と思うような授業開始かもしれない(^^)。

授業後、研究室に残って事務仕事を進める。出張の報告書や授業の準備やあれこれ。今年度は、基本的に授業が午前中に固まっているので、午後は事務仕事を進めることができそうだ。翌日の授業の最終確認もここでできる。これはありがたい。

ま、まだ始まったばかりなので授業のあれこれよりも、他の事務のあれこれがあって、これが軌道に乗るのは一ヶ月後ぐらいかな。

さ、明日は一限から授業だ。

2010/04/11

有村久春先生

『教育展望』(財団法人 教育調査研究所)という雑誌がある。この2010年4月号に小論が載った。「特集 質の高い学力を保障する学級経営と授業づくり」の中の一つに、「学級経営と好ましい人間関係づくり」というタイトルで書かせていただいた。

雑誌には想定している読者層がある。この雑誌は、私が現場にいた時は想定読者層に入っていなかったであろう雑誌だと思う。未本誌を読んだときにそう思った。そんな雑誌に書かせていただいていいのかどうか分からなかったが、依頼を頂いたので書いた。

目次を見て、びっくりした。

有村久春先生

のお名前が私の小論の横にあったのだ。

有村先生は、私が新採で採用された東京都青梅市の指導主事だった先生である。新採研が試行される年に採用された私は、有村先生にご指導を頂いたのである。学級通信を出すたびに、市内の交換便を使って教育委員会に送って読んでいただいていたのである。

今でもそうであるが、当時は今以上に生意気であった私は、あれこれを有村先生に申し上げていた。それを優しく見守って下さった先生である。

私が大学に移ったときに、早速当時の非礼を詫び、今後もご指導を頂けますようにとお手紙を差し上げたら、とても喜んで下さった先生である。

この雑誌で、昭和女子大学から帝京科学大学に異動されて教鞭をとられていることを知った。また、先生の論考から学ばせていただくこともできた。

相変わらずお世話になる私である。
ありがたいことだ。

ちなみに、この号には大学院でお世話になった、葉養先生や有田和正先生、田尻五郎先生も書かれている。うーん、すごい。

夕方から、ゼミの花見

4/10

午前中はガーデンに娘を連れて行く。
芝生の上で、靴を脱いで裸足になる。私の靴と靴下も脱がせてくれる。世話焼き女房系の娘である。

芝生の上を駆け巡る。
こんなにもバナナの匂いがするとは思わなんだ。

日差しが顔に刺さる。
いやあ、紫外線はきついね。
かなり日焼けしてしまった。

昼過ぎは体調を戻すために、昼寝。

夕方から、ゼミの花見。
円山公園である。
(昨日も来たなあ)
とちょっと思うが、それはそれ。
久しぶりに学生たちの顔を見るのは、嬉しいものだ。

私は「餃子の王将祇園店」で、差し入れを購入。
学生たちが作ってきたちらし寿司やなんやらを食べながら、花見。
春休みに何をしていたかなど近況を聞きながら、四回生のあれこれを話す。

Maru

折角なので、四条まで歩き高瀬川の桜のライトアップも楽しむ。
あっという間に三年間が過ぎ、京都ライフを楽しむことがままならなかった学生たちに、あれこれガイドする。

Taka

将来のこと等も相談に乗る。
美しい桜を見ながら、あれこれ話す。
こういう時間が大事なんだよなあ。

美しい京都をあれこれ味わう今年であった。

ライトアップされた満開の紅枝垂桜

4/9

風邪である。
三月の疲れが、ここにきて出ているのかもしれない。
頭とからだが怠い。
熱もあるなあ。

春の花霞が頭の中に漂っているような感じである。
それはそれでめでたいかもしれないが。

昼から大学へ。本日から授業開始。私は授業はないが、仕事はタップリある。

いくつかの仕事を終わらせて東京からのお客人と会う。二時間ほどあれこれ話して、新しい企画を二つお願いされる。

うーん。
新しい。

いままで関わったことのない本である。出来るかなあと思ったが、依頼されたことでもあるし、まだしばらくは依頼された仕事は引き受ける所存なので引き受けることにした。

まあ私のところにくる企画というのは、根っこの部分で全部繋がっているような気もしている。出版社や放送局が変わってもそれは同じ。まるで打ち合わせをしているかのように。

ま、私自身、私が何者か分かっているわけでもない。分かったら、絶望のあまり世を儚んでしまうかもしれない。

だから、まあこんなものかなと思う程度で、周りから求められるあれこれをやっているのが幸せなのかもしれないが。

夜は、客人と一緒に、平安神宮に。ライトアップされた満開の紅枝垂桜。これを背景に、宗次郎のコンサート。

Souji

妖艶。
嫋やか。
クレイジー。

どれも当てはまるようで、違うような。

So

折角なので円山公園まで足を伸ばす。
さすが花見の名所である。

Si

Mai

体調が今ひとつだったので、帰りはタクシーを利用。

しかし、なんという環境か。
祇園から家までタクシーで3000円も掛からないのだから。
東京で、赤坂からタクシーで3000円と言ったらどこに住むことになるのだろうか?

小市民はそんなことを思いながら、爆睡するのであった。



新入生キャンプ二日目

4/8

新入生キャンプ二日目。

朝ご飯に遅れてきたオリターがいたので、何かあったのかと思って質問した。すると、デジカメの充電器を部屋に忘れてきてしまったので、取りに行っていたとのこと。

『あ、私もだ!』

昨日の体育館で充電したのを、そのままにしてしまっていたのを思い出した。慌てて取りに行く。ああ、良かった。

そのオリターは、食堂の入り口に脱いであった新入生の靴を見て、ちょっと並べ方の悪い二三の靴を奇麗に並べ直していた。なかなかできることではない。他にも、風呂場を点検して椅子を直したりもしている。立派なものだ。

バスの中で一眠りしている間に、再びオーパルに到着。今日はドラゴンボートの日である。練習、練習試合、予選、敗者復活戦、決勝戦と我がクラスのドラゴンボートは勝ち進んで行った。

敗者復活戦で勝ち上がったのがいいな。
ここを勝ち上がれるってのは、優勝するよりもある意味良いかもしれない。粘り越しを持っている学生たちってのは、鍛えがいがある。決勝戦の結果は準優勝であった。

ちなみに、この決勝戦には教員と橘大学のボランティア「タチパル」の混成チームで挑んだが、教員が足を引っ張り見事に最下位であった。今年は勝てそうな気がしたのだが。ま、新入生は毎年18歳で、こちらは毎年一つずつ年を取って行くので、年々辛くなるのは分かるのだが。

翌日から授業開始ということもあり、プログラムは昼過ぎに終了。閉会式では、オリター諸君へ教員から感謝状を与える。さらにいつの間に用意したのか、新入生からオリター諸君への感謝状も用意されていて、渡されていた。いいねえ。最後に集合写真を一枚。

Photo_3

これで終わりかと思ったら、各クラス自然と輪になってあれこれ語りあっていた。私はここを外から見ていた。ここまではオリターが前面に出るところ。ここから先きの授業は私たち教員が前面に出るところである。クラスごとに新入生が一言ずつ振り返りの言葉を言っているのを遠くから見ていた。良い光景であった。

大学には14:00前後に到着。こういう終わり方も良いなあ。オリター諸君を労う会があったが、私は諸般の事情で欠席。

自宅の風呂に浸かり、日焼けした顔に驚きながら、あれこれ思っていた。

この春から大学に移って五年目だ。最初に、この新入生キャンプをどう作ろうか考えて青写真を描いて、骨組みを作り、動かしてみた。それが四年前だ。そして、それが今ではこの企画が文科省のGPを獲得するまでになった。もちろん、多くの人の協力があって出来上がった新入生キャンプだが、我ながら良くやったと思う。

そして、今年のキャンプを見ていて、
(ああ、もう私がいなくても回るな)
と心から安心した。

アイディアを出し、企画を立ち上げ、動かす。そして、それが動き続けるようなシステムを構築する。立ち上げ屋の私の仕事は、取り敢えずコンプリートかな、と。

あとは、新しく担当になる先生とオリター諸君で、さらに良いものを作って行っていただければ、嬉しい限りである。

一仕事を終えた充実感を得た夜であった。

新入生キャンプ初日

4/7

京都橘大学恒例の、新入生キャンプ初日である。本キャンプは文科省のGPに選定され、文学部と人間発達学部では特に重視して行っている。

例年通りに雄琴のオーパルにお世話になって行う。オーパルと橘の児童教育の学生たちが作ったタチパルというボランティア団体もこの合宿には協力してくれている。

このGPは、平成21年度「大学教育・学生支援推進事業」大学教育推進プログラム【テーマA】に、採択されたもので「オリターが養成する学習コミュニティの形成」というテーマである。去年の夏前に一生懸命申請の書類を書いていた。そして、それが採択されて後期からスタートしたものである。

このGPの目的は、上回生が下回生を育てるシステムを構築するというものである。その最初の部分として、新入生キャンプを設定している。

初日は、とっても寒い中、琵琶湖でカヌー体験をさせた。カヌーは個人で行うものである。自分一人でやりきるしかないものである。これを寒い中でやった。あまりにも寒いからであろうか、今年は一艘も転覆するカヌーはなかった。

その後、クラス対抗カヌーレースを行う。ほとんどはじめてカヌーに乗った学生たちなので、上手くこげない者もたくさんいたが、それはまあご愛嬌。声をからして応援することが楽しいのだ。

Photo

夜は、去年も泊まった白浜荘。レクリエーション、クラス対抗演劇コンテスト、クラス懇談会と続く。演劇コンクールでは、私が担当するクラスが優勝することができた。カヌー、演劇、ドラゴンボートの三つのコンペのうち、まず一つ優勝できた。

これらのコンペは、クラスの親睦が目的である。ではあるが、一つは勝てると良いなと思うのは、教師の性であるか。まあ嬉しい。

夜風がとても強くて、
(明日もこのままだと嫌だなあ)
と思った瞬間に、寝てしまった。

オリターに任せることができるので、本当に安心していられる。
良い良い。

2010/04/06

満開のさくらに包まれて

4/6

朝、野暮用を済ませて、京都市内を回る。南禅寺の横にあるインクラインの桜を見に行く。今日がこの場所のピークだろう。

In

時折桜吹雪が舞う。
ああ、もったいない。
ああ、切ない。

ここで一句。

と浮かんでこないもので、悔しいのでシャッターを切り続ける。
思うに、松尾芭蕉がデジカメを持っていたら、俳句をこんなに作ったのかなあと。写真の無い時代だからこそ、その一瞬を俳句に詠み込んだのではないかなあと、凡人は凡人の考えをするのである。

大学に到着。研究室の裏に咲いている桜が緑とのコントラストで奇麗。

Gakunaisakra

昼からコース会議。
今日は主に、一期生をどうやってサポートするかに集中して議論を重ねる。

要は彼らが望むことで出来ることであればなんでもしてやろうという、極めて児童教育学科児童教育コースらしい結論に落ち着く。簡単に書いているが、これはかなり凄いことだと思う。

その後、日没までにはっ!と自分に言い聞かせて原稿を書き続ける。

途中、研究室から見える桜を見降ろしては心にゆとりを貰い、鶯の冴えずりには心を驚かしながら喜びを得て、なんとか仕上げる。

Sakura

新年度の始まりに、新入生につきっきりでなく、こうして仕事ができるのは、職員、それに上回生のオリター諸君の働きによるところが大きい。感謝感謝である。

満開のさくらに包まれて、
明日からは初年次導入教育の新入生キャンプだ。

2010/04/05

セーので日本の社会が動き出している

4/5-2

午前中は、文章書き。ああ、まだ終わらないが、60%ぐらいは進んだかな。

午後は、会議、お客さんとの打ち合わせ、会議である。ま、それでも20:00には研究室をあとにすることができたので、まあ、いいか。

大学の桜も奇麗だし。

Yozakura

帰宅後、録画しておいてもらった「テストの花道」を見る。なかなか面白い。

NHK教育「テストの花道」
【放送予定時間】

毎週      月曜
午後6:55~7:25

(再放送)
毎週      土曜
午前 9:25~9:55
となっています。今日のものも、土曜日に再放送があります。

セーので日本の社会が動き出しているなあと、感じる四月です。

少し、少しだけこの思いを封印して、駆け抜けよう

4/5

午前中から事務仕事。
うーむ。明らかに仕事がたまっている。やってもやっても終わらない。いや、そんなにやっていないのかなあ。

千鳥ヶ淵の桜が頭の中から離れない。
圧倒的なボリュームで、妖艶な桜。

Chidori

さらに追い討ちをかけてくるのが、さだまさしさんの「風に立つライオン」だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

作詞:さだまさし 作曲:さだまさし

突然の手紙には驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう


ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です


三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました


ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病いと向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね

去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川


診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです


あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在」を生きることに思い上がりたくないのです


空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい


くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最后になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています


おめでとう さようなら

引用終了 ーーーーーーーーーー

http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0

先日のライティングワークショップのラブレターで頂いた感想の中に、

引用開始 ーーーーーーーーーー

「どの」だと、生き方がまだ定まっていない感じがします。池田さんは僕からみると迷いの中を歩いているというよりは、一本の道を進まれているように 見えます。ですから「この」と思いました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

という感想を貰った。外側からみるとそう見えるのかなあと思ったものだ。みんなと同じことができないから注意されて怒られてきたのに、それが個性と言われて褒められるようになり、多くの人が選ぶ道を自分は選べないなあ、こっちがいいなあと思っていたら一本道を進んでいると言われるようになる。

ひーひー、言っている姿なんてのは見せるものではなく、ときどき吐露することなのだと思っている。
それは、あんな美しい千鳥ヶ淵の桜や、千鳥ヶ淵の桜の記憶とセットとして記憶されている「風に立つライオン」が引き金になって、私を私の世界へと沈めて行くのだなあと思う。

少し、少しだけこの思いを封印して、駆け抜けよう。

2010/04/04

芝の新芽は、バナナのような甘い香りがする

4/4

春のど真ん中。
書かねばならぬ文章はあるのだが、この陽気を楽しまないで何が人生だと思う。

昨日の疲れを取るために午前中は家でゴロゴロ。
昼ご飯を食べて、娘と近くのガーデンに久しぶりに出かける。

美しい
美味しい
愛しい
やさしい
幸せ
あたたかい
奇麗
妖艶
面白い

検査を控えて、ちょっと心が折れていた私には想像できないくらい、この一週間は、充実している。それを実感している。ありがたいことだ。

裸足になって芝生にごろりと転がる。
芝の新芽は、バナナのような甘い香りがする。

娘は、夢中になってガーデンの中に咲いている花々を撮影し続けている。

夜は、先日大学で収録のあったNHK教育テレビの番組の再放送をみる。
うーむ。
やっぱり年を重ねたなあと自分の姿を見て、思う。
簡単に言うと、おっさんになったなあf(^^;。

指導した内容より、そんなことが気になるってのは小人であるなあとも思う。

今日も人生を、少し充実させることのできた一日であった。

ライティングワークショプ(WW)である

4/3

9:30から青山のこどもの城で研修が始まる。ライティングワークショプ(WW)である。

文章を書くことは、国語の要であり、学校教育で身に付けるべきもののうちの、かなり重要な部分を占めていると考えている。

この講座を、吉田新一郎さん、岩瀬直樹さん、甲斐崎博史さんなどが講師になって、授業づくりネットワークの事務局主催で行うのである。東京に通うのはそれなりに大変だが、それこそ北海度、福島、山形などからも参加している先生がたくさん。感度の高い先生方と一緒に過ごすのは、とても刺激的でいいものであるが、そこにこの内容である。すぐに参加することに決めた。

最初に講座の目的を確認し、仲間との雰囲気づくりをし、二つに分かれる。WWを体験するグループと、もう始めていてその先きの問題点を話し合うグループである。私は、「明日の教室」で岩瀬直樹さんに来ていただいたときに体験していたので、後者に行こうかとも思ったのだが、やっぱり導入のところを丁寧に何回も受けるのが大事だと判断して、前者に参加。

ここの担当は、甲斐崎さん。
ゆったりとした感じで講座は進む。

あれこれやって、文章を完成させる。
完成させると、「作家の椅子」に座って発表することができる。私はここに挑戦した。

書いたのは、桜のエッセイと俳句。ま、奥の細道を真似してみようと思ったのであるf(^^;。その俳句の推敲を、「大切な友だち」にお願いしようと思って、発表して見ようと思ったのだ。以下の文章を思いつくままに、下書きとして書いた。これを読み上げた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「桜の木の下には死体が埋まっている」
と梶井基次郎は言った。満開の桜を見るたびに、
(この下には、何人の死体が埋まっているのだろう)
と思う。

この桜の美しさを支えているのは人の死なのである。
それは、生きてきたものの証としての死であり、その積み重ねとしての現在の美しさである。

そうだとすれば、今、生きている私と、やがて迎える死は、次の世代の桜の美しさのためにあるのだろうなあとも思う。

        どの下に埋まってやるか 桜花

引用終了 ーーーーーーーーーー

というものである。
だが、

        どの下に埋まってやるか 桜花

ってのを考えているときに、ちょっと他の案が浮かんだ。

        この下に埋まってやるか 桜花
        あの下に埋まってやるか 桜花
        その下に埋まってやるか 桜花

である。それぞれに微妙に味わいが違う。伝えているものも違う。
で考えていたのだが、
(そうか、作家の椅子に座って、みんなから頂く「ラブレター」で聞いてみれば良いのだ)
と思ったのだ。

これは面白い体験であった。
いただいた、「ラブレター」は、こんな感じであった。一部紹介する。

引用開始 ーーーーーーーーーー

私は、最後の俳句は「どの」がよいと感じました。これから長い人生の中で自分の行き着く場所を見つけて行くという思いと身の置き所を戸惑っているようなユーモアが感じられるからです。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

「どの」だと、生き方がまだ定まっていない感じがします。池田さんは僕からみると迷いの中を歩いているというよりは、一本の道を進まれているように見えます。ですから「この」と思いました。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

「どの」です。自分で選択する強さがあるので、池田さんに合っているような気がしました。一つの作品・・・。これが下書きなのかという完成度にびっくりしました。実際はどんな、どこの桜の木の下に行きたいのかが気になりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

春の桜の満開に作者が直面した情景(それも、おそらく夜桜がいいかも)が浮かぶようでした。満開の桜の道を通り過ぎて、ふと振り返って桜をみたときの俳句ということで「あの」がいいです。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

「その下で」。一番あいまいなようで、はっきりしているから。「死」と一番結びつく。前半の分が重厚で心に響きました。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

池田さんの頭の中は本当に分からないですね。桜を見るたびに、そんなことを思う人は、本当にまれでしょう。格調高い形で書きながら、ユーモアが入っているようなないような。唯一無二の人です。素敵です。やっぱり池田さん。

引用終了 ーーーーーーーーーー

とまあ、あれこれれ頂けるのである。これは素直に嬉しい。
どの俳句を選ぶのか、選んでいる俳句は違うのに根拠が同じだったり、私の人間性を元にしたコメントを貰ったりと、面白い(^^)。ありがたい。

私は書き込み回覧作文でこれを指導しているが、ラブレターの場合、直接手渡されるというのがいいなあと感じた。

書き込み回覧作文でも、「ラブレター」でも今までの作文指導と違う部分があり、この違う部分が共通していると思っている。それは作文における読者の設定である。

通常、学校で書かされる作文は、読者の設定がされていない。設定されずに、暗黙の了解で先生が第一読者となっている。私はここに違和感を感じていた。

(先生が気に入る文章を書くってことが隠れたカリキュラムになっているなんて、変じゃないの。お上の顔色をうかがいながら生きる封建時代じゃあるまいし)

と。だが、書き込み回覧作文と「ラブレター」は、クラスの仲間からのレスポンスを設定することで、読者をクラスの仲間に焦点化することができるようにしている。仲間が読みたくなる文章が書けるようになるのが大事なのだ。

当たり前であるが、今は封建主義ではないのだ。民主主義の時代である。その作文指導が必要なのだ。そんなことを改めて思った。

午後は、年間指導計画づくり。実践の場でどのようにWWを展開して行くのかを考える。

私も考える。が、私の場合はちょっとやりにくい。シラバスも書いてしまったし、年間通じて指導するということとなると、そういう場所がない。

そこで、岩瀬さんとあれこれ話す。
相談の結果、面白いことを思いつく。
WW的には決意表明をすることになっているのだが、これは公開しない方が良いと思われるので、書かないf(^^;。

最後は、グループで感想を言い合っておしまい。今日一番印象的だったことを言い合う。6人のうちWWに関わることを言う人もいるが、そうでないことを言う人も。中には、
「池田先生のイメージが変わりました。こわい先生だと思っていました」
と言われたメンバーもいた。

春のネットワーク集会に参加されていて、私の会場からの質問が怖かったというのだf(^^;。ま、声は大きいのでそうかもしれないが。でも、誤解が解けて? 良かった。

もちろん、懇親会も楽しく過ごす。20年近く一緒に学んで木全国の仲間である。話題には事欠かない。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、新幹線に飛び乗る。
知的興奮でしばらくボーッとしていたが、あれこれあって寛いで、最後の30分は軽いまどろみの中にいられた。

幸せである。

寿命が数年伸びたようにも思えた

4/2

午前中に新入生のためのガイダンスを、学科とクラスで行う。今年の前期クラスアドヴァイザーになる私の担当クラスの新入生諸君に、20分ほど、あれこれ話す。

その中の一つは、

『君達にとって教師、保育士を目指すのは、もう夢ではなくなった』

というものである。

『高校生の時までは、夢だったかもしれない。しかし、京都橘大学人間発達学部児童教育学科に入学したということは、それは夢ではなく、目標になったということである。目標は実現させてこそ、目標である。四年間で人間的にも、教育者をめざす学生としても成長して、目標を実現してほしい』

ということを話す。

午後からは、東京に向かう。翌日の研修会に向けてあれこれするためである。

一通り、終わってから折角なので桜を見に行くことにする。東京はいま満開との情報を得ていたので。

これが、凄かった。
東京にいるときには、このタイミングで見ることはできなかった千鳥ヶ淵の満開の桜である。

Chido

Sakura

Chi2

Ch3

妖艶である。
寿命が数年伸びたようにも思えた。

さ、明日は楽しみ楽しみ。

2010/04/01

新年度、無事にスタートしました

4/1

どうも、私はあとからあれこれを思うことがある。村上春樹は、『中国行きのスローボート』のなかで、

「僕は大事なことは、いつもあとから思い出す」

と書いてあったが、なんか今頃になってそのフレーズをよく思い出す。

今頃になって、卒業の歌を聞いている。

・ 最後の春休み
・ good bye school days

今年卒業した彼等彼女らのことを思い出しながら、新年度の準備を進める。

準備を始めたら

・ トランジスタラジオ

が、頭の中に流れ始めた。ははあ、良い感じだ。

明日の教室で一緒に運営をしている糸井先生は、立命館小学校にご栄転された。私は特に変わったこともない。研究室の片付けも終わっていなくて、新しいMacのセッティングもまだ終わっていない。うーむ。

いや、まて。
所属が文学部から変わった。京都橘大学「人間発達学部」児童教育学科の所属となった。

新しい先生もお二人お招きした。一人はヴィゴツキー研究の第一人者の先生。もう一人は博士課程を出たばかりの若い先生。障害児教育がご専門。元気になるぞ。

元気になると言えば、先日某指導主事が、

「今年度、とある中学校の指定校で研究を始めるんだけどね」
と話してくれた。
「教職員の仕事を次の10種類にわけて、3つを希望し、2つを任命されるというようにするんだよ」
『へ、どんな感じですか?』
「授業、担任、クラブ、事務、教務、生活、進路、研究、管理、その他の中から選ぶのですよ」
『へーっ、それは面白いですねえ』

面白いと思った。
教員の仕事は多岐に渡る。実は、授業ができても事務が苦手な先生もいる。逆に事務は得意だが、授業は苦手と言う先生もいるのは事実である。

仕事であるから、希望だけで仕事ができるわけもないが、こういうのはいいなあと思った。

また、文科省と厚生労働省の調整が付いたようで、幼稚園の教諭の免許を取得すると、保育士の免許も、学生時代に学んだ科目のあり方によっては、申請で取得できることになったとのことだそうだ。

一年はあっという間に過ぎ、世の中は激動しているなあ。

激動に対応するために、昨日は洗車もした。4/1から、春の全国交通安全運動週間が始まるし、ま、安全運転のためにはまず車の整備からということで、洗車した。

大学に向かういつもの通勤路は、平日ではあるが京都の名所に向かう車で「花見渋滞」である。京都東インターチェンジの辺りは、とんでもないことになっている。

さらにその場所で、スピード違反の取り締まりもしている。反対車線である。渋滞を見ながら
(あ、大変だねえ。こっちは大丈夫)
なんて思いで、アクセルを踏むとアウトになる。
なかなか世の中は厳しい。

2010

入学式の後、保護者懇談会に参加する。

保護者のうち、ご両親から要望が多かったのは、びしびし鍛えて欲しいと言うもの。お爺ちゃんおばあちゃんは、大事に育てて欲しいと言うものが多かった。

また母が、本学の卒業生であったが、まさか大学が共学になるとは思わなかったので、息子が同じ大学に通えるとは思わなかったという喜びの声を聞いたりもした。

保護者のご挨拶からすると、今年の児童教育学科の学生は、第一希望で来ている学生が多いかなと思った。また、高校の先生に勧めていただいたという新入生も多いのが特徴であろうか。

うしゃあである。

入学式関連のあれこれを終えて、研究室に戻る。
やらねばならぬ仕事がどーんと積まれている。
うーん、もう少しやってから帰るか。

新年度、無事にスタートしました。 

 

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