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9:30から青山のこどもの城で研修が始まる。ライティングワークショプ(WW)である。
文章を書くことは、国語の要であり、学校教育で身に付けるべきもののうちの、かなり重要な部分を占めていると考えている。
この講座を、吉田新一郎さん、岩瀬直樹さん、甲斐崎博史さんなどが講師になって、授業づくりネットワークの事務局主催で行うのである。東京に通うのはそれなりに大変だが、それこそ北海度、福島、山形などからも参加している先生がたくさん。感度の高い先生方と一緒に過ごすのは、とても刺激的でいいものであるが、そこにこの内容である。すぐに参加することに決めた。
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最初に講座の目的を確認し、仲間との雰囲気づくりをし、二つに分かれる。WWを体験するグループと、もう始めていてその先きの問題点を話し合うグループである。私は、「明日の教室」で岩瀬直樹さんに来ていただいたときに体験していたので、後者に行こうかとも思ったのだが、やっぱり導入のところを丁寧に何回も受けるのが大事だと判断して、前者に参加。
ここの担当は、甲斐崎さん。
ゆったりとした感じで講座は進む。
あれこれやって、文章を完成させる。
完成させると、「作家の椅子」に座って発表することができる。私はここに挑戦した。
書いたのは、桜のエッセイと俳句。ま、奥の細道を真似してみようと思ったのであるf(^^;。その俳句の推敲を、「大切な友だち」にお願いしようと思って、発表して見ようと思ったのだ。以下の文章を思いつくままに、下書きとして書いた。これを読み上げた。
引用開始 ーーーーーーーーーー
「桜の木の下には死体が埋まっている」
と梶井基次郎は言った。満開の桜を見るたびに、
(この下には、何人の死体が埋まっているのだろう)
と思う。
この桜の美しさを支えているのは人の死なのである。
それは、生きてきたものの証としての死であり、その積み重ねとしての現在の美しさである。
そうだとすれば、今、生きている私と、やがて迎える死は、次の世代の桜の美しさのためにあるのだろうなあとも思う。
どの下に埋まってやるか 桜花
引用終了 ーーーーーーーーーー
というものである。
だが、
どの下に埋まってやるか 桜花
ってのを考えているときに、ちょっと他の案が浮かんだ。
この下に埋まってやるか 桜花
あの下に埋まってやるか 桜花
その下に埋まってやるか 桜花
である。それぞれに微妙に味わいが違う。伝えているものも違う。
で考えていたのだが、
(そうか、作家の椅子に座って、みんなから頂く「ラブレター」で聞いてみれば良いのだ)
と思ったのだ。
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これは面白い体験であった。
いただいた、「ラブレター」は、こんな感じであった。一部紹介する。
引用開始 ーーーーーーーーーー
私は、最後の俳句は「どの」がよいと感じました。これから長い人生の中で自分の行き着く場所を見つけて行くという思いと身の置き所を戸惑っているようなユーモアが感じられるからです。
引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー
「どの」だと、生き方がまだ定まっていない感じがします。池田さんは僕からみると迷いの中を歩いているというよりは、一本の道を進まれているように見えます。ですから「この」と思いました。
引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー
「どの」です。自分で選択する強さがあるので、池田さんに合っているような気がしました。一つの作品・・・。これが下書きなのかという完成度にびっくりしました。実際はどんな、どこの桜の木の下に行きたいのかが気になりました。
引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー
春の桜の満開に作者が直面した情景(それも、おそらく夜桜がいいかも)が浮かぶようでした。満開の桜の道を通り過ぎて、ふと振り返って桜をみたときの俳句ということで「あの」がいいです。
引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー
「その下で」。一番あいまいなようで、はっきりしているから。「死」と一番結びつく。前半の分が重厚で心に響きました。
引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー
池田さんの頭の中は本当に分からないですね。桜を見るたびに、そんなことを思う人は、本当にまれでしょう。格調高い形で書きながら、ユーモアが入っているようなないような。唯一無二の人です。素敵です。やっぱり池田さん。
引用終了 ーーーーーーーーーー
とまあ、あれこれれ頂けるのである。これは素直に嬉しい。
どの俳句を選ぶのか、選んでいる俳句は違うのに根拠が同じだったり、私の人間性を元にしたコメントを貰ったりと、面白い(^^)。ありがたい。
私は書き込み回覧作文でこれを指導しているが、ラブレターの場合、直接手渡されるというのがいいなあと感じた。
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書き込み回覧作文でも、「ラブレター」でも今までの作文指導と違う部分があり、この違う部分が共通していると思っている。それは作文における読者の設定である。
通常、学校で書かされる作文は、読者の設定がされていない。設定されずに、暗黙の了解で先生が第一読者となっている。私はここに違和感を感じていた。
(先生が気に入る文章を書くってことが隠れたカリキュラムになっているなんて、変じゃないの。お上の顔色をうかがいながら生きる封建時代じゃあるまいし)
と。だが、書き込み回覧作文と「ラブレター」は、クラスの仲間からのレスポンスを設定することで、読者をクラスの仲間に焦点化することができるようにしている。仲間が読みたくなる文章が書けるようになるのが大事なのだ。
当たり前であるが、今は封建主義ではないのだ。民主主義の時代である。その作文指導が必要なのだ。そんなことを改めて思った。
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午後は、年間指導計画づくり。実践の場でどのようにWWを展開して行くのかを考える。
私も考える。が、私の場合はちょっとやりにくい。シラバスも書いてしまったし、年間通じて指導するということとなると、そういう場所がない。
そこで、岩瀬さんとあれこれ話す。
相談の結果、面白いことを思いつく。
WW的には決意表明をすることになっているのだが、これは公開しない方が良いと思われるので、書かないf(^^;。
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最後は、グループで感想を言い合っておしまい。今日一番印象的だったことを言い合う。6人のうちWWに関わることを言う人もいるが、そうでないことを言う人も。中には、
「池田先生のイメージが変わりました。こわい先生だと思っていました」
と言われたメンバーもいた。
春のネットワーク集会に参加されていて、私の会場からの質問が怖かったというのだf(^^;。ま、声は大きいのでそうかもしれないが。でも、誤解が解けて? 良かった。
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もちろん、懇親会も楽しく過ごす。20年近く一緒に学んで木全国の仲間である。話題には事欠かない。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、新幹線に飛び乗る。
知的興奮でしばらくボーッとしていたが、あれこれあって寛いで、最後の30分は軽いまどろみの中にいられた。
幸せである。