問いがあって、論証があって、答えがある「論文」
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四回生ゼミは、卒論指導が続く。
春休みに卒論関連で各自が進めた部分について発表し、質問を交わし、コメントをするという形で行っている。
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なんといっても、問いが難しい。問いがなかなか立たないのである。やっと立ったと思ったら、
1)あまりにも大きすぎて学生には答えきれない問いになっている。
2)実はその問いは、もう答えが出ている。
この二つのうちのどちらかになっていることがほとんどである。
この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わない。教育の国語と学級についてを主にするのが私のゼミではあるが、何でもまあ、構わない。何でも良いにも関わらず、問いが立たない。この経験は彼ら学生諸君にとっては驚くべきものであろう。
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学生が問いを立てようとする時に、もう一つ私が大事に聞いていることがある。なぜ、あなたはその問いを立てようとしているのかである。この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わないにも関わらず、なんでこの問いを立てようとしているのかである。
あなたが問いを立てた理由である。ここが曖昧だと、その後の論述が深まらないことが多いと感じている。きっかけではなく、理由である。
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卒業論文なのだから、膨大なレポートでもいいかなと思うこともある。が、それは折角四年間の集大成として論文を書くチャンスを与えているにも関わらず、膨大なレポートでは、なんだかなあと思う。
やっぱり、問いがあって、論証があって、答えがある「論文」を書かせてやりたい。
授業の後も、あれこれ個人的に相談に乗る。それで少し方向性が見えた学生もいる。良かった良かった。
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その後、ヨドバシカメラまで車を走らせる。CX2の調子がちょっとおかしかったので、修理に出す。ついでに壊れていたR7も修理に出す。R7はヨドバシカメラの修理ポイントを活用する。
しばらくはオリンパスとPENTAXでカメラライフを楽しむことにする。
ああ、早く京都駅前のヨドバシカメラがオープンしないかねえ。大阪まで持って行くの、結構時間がかかるからなあ。
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夜は、新しく学科にお迎えした先生の歓迎会。学科の先生方と美味しいものを食べながら、あれこれ話す。忙しくはあるが、こういう時間も大事だ。
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