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2010/05/31

漆原教授を私は大学教員の一つの理想型と思っている

5/31

気がつけばもう五月も終わりなんだなあ。
2010年度の授業も波に乗ってきたなと感じている。この波に乗るというのが大事だ。

もちろん、慣れになってはいかん。習熟していくことが大事なのだが、波に乗ると生活のリズムが作れる。ここが大事。

ま、そうはいいながら二週間も風邪で体調の方はおかしくなっているが。咳はずいぶん収まったが、まだ出る。今回はずいぶんしつこい。

この風邪は研究者になると、良い研究者になるだろう。

今日は、三回生ゼミと国語科教育法1の授業。
三回生ゼミは、講読の続き。今日はいじめについて。

運動会などで子どもたちが好きな、「団結」ということが、いじめを生み出すことについて言及する。

今日のレポーターは、なかなか良い読みをしていたが、それを下にゼミの中に議論を作り出すようなデリバリーは出来ていなかった。それが次回以降の課題だな。

国語科教育法1では、いつもと違う授業をしてみた。先週メモについてあれこれ講義をしたのだが、それを受けて、今回の漢字指導に関わる講義の一部分を、ナンバリングを施さずに行うということをしてみたのである。

私の講義では殆ど板書はしない。するときは、難解字、同音異義語、固有名詞などがほとんどである。あとは、どんどん話し、どんどん学生にメモをさせる。

それでもメモができるように、しやすいようにナンバリングとラベリングは丁寧に施して行っている。だから、かなりメモはしやすいはずである。

しかし、授業というものはそう簡単にいかなない。つまり、分かりやすい、やりやすいということは学生たちに分かるための努力、するための工夫の機会を奪い取ってしまっていることにもなるのである。

世の中で語られる話は、ナンバリングやラベリングをされてはなされることなど限られている。その生の話から自分で構成をしつつメモをして理解をし、質問も考えるのである。理解しやすく構成された話ほど、この自分で努力し工夫する機会を奪ってしまっていることになる。

だから、あえてナンバリングをせず、ラベリングも意識するような話し方をせずに行うということをした。

学生たちは、ナンバリングをしない私の話が、急に難しく分かりにくくなることを実感していた。

授業は、漢字の指導方法について。
従来の漢字指導は、「書け!」という命令で終わらせられてきた。これではダメだというのが、私の主張。
これは『教師になるということ』(ひまわり社)に実践として記述してある。

今日は、本には書けなかった部分も含めて説明する。

で、研究室の改造。
まだボーットしているので、依頼されている原稿を書けない状態にある。だから、気分転換に改造。

ま、改造と言っても付け足しただけだが、これは私にとっては大きな改造だ。研究室の心地よさが数段違ってくる。

漫画『動物のお医者さん』の中に出てくる、漆原教授を私は大学教員の一つの理想型と思っているところがあるが、少し彼に近づけたかと思う。

研究室におこしの際は、是非見ていただきたい。

翌日の準備をして、西の空が夕焼けに染まるのを見て帰宅。今日も早い一日だった。

【速報】 10/23(土) 野口芳宏先生 明日の教室

【速報】 10/23(土) 野口芳宏先生

本日、先生と連絡が取れました。
明日の教室で7月に予定されていたものが、10/23(土)になりました。

スケジュールにいまから書き込んでおいて下さい。
よろしくお願いいたします。

ああ、私を的確に表している

5/30

本来の予定では、この週末は東京に出かけて行って学会に出席することになっていた。発表があるのではないが、母校での学会であり、恩師が責任者になっている学会である。行くべきであると考えてあれこれ準備をしていた。

が、私の体調が戻り切らないこと。家族の体調も悪いことから断念した。

そんなことでぽっかりと空いた週末である。あれこれしようかとも思ったのだが、体を休めることになった。体を休めることにした。

今日は、近くの公園に娘にせがまれて二人で出かけて行く。娘も完璧ではないのだが、体がうずいているので遊ばせに行く。
滑り台に、タイヤのぐるぐるに、ロープの網の上を歩くものなどなどで楽しむ。

お昼はうどん屋に行って、ぺろりと一人前を食す。食べるなあ。いいぞ、食べて治せ。

その後、雄琴のオーパルまで軽いドライブ。返したはずのロッカーのキイを持っていたことに気がつく。娘もプールが見たいと言うのでちょうどいい。

運転席、助手席の窓。さらにはサンルーフの窓も開けて走る。今日は、今シーズン初めてTシャツで過ごす一日でもある。

オーパルでは中学生がドラゴンボートやカヌー等に興じていた。さすがに大学生とは迫力が違う。まだ、可愛いもんだ。

娘は、琵琶湖やプールの水にチョンチョンと触って、満足。今年もたくさん水遊びをさせてあげよう。

体は休ませているのだが、本が面白い。次から次へと授業のアイディアが浮かんでくる本と言うのは、そんなにあるものではないのだが、今読んでいる二冊の本は、これである。

ゼミ合宿などでやってみたいなあと思う内容である。一見教師の仕事とは関係の無い起業家教育の本なのであるが、これはまさに教師の仕事にリンクしていると思われるのである。

問題を課題として捉え、その課題を解決することで起業家は仕事を立ち上げる。実は、学級担任や教科担任と言うのも同じである。目の前にある問題児を課題を抱えた子と捉えて、その課題を解決するためにはどのようなプログラムを用意すれば良いのかを考えるのである。

一見不可能と思われるものも、解決のための種は隠れていて、その種を発見して育てて行くのが起業家、または担任の仕事になる。文脈はおそらく同じである。

娘が初めて、一人で昼寝をした。お母さんとでないと寝られないのだが、今日は買い物に行ってしまったので、お父さんと寝るか一人で寝るかのどちらかしかない。

娘は
「寝ないの」
と言う。そうも行かないので
『じゃ、一応ここに横になって、タオルを掛けてお母さんを待とうか?』
というやり取りをして、寝かすことに成功。

ところが、昼寝から起きてきて
『今日は、一人で寝られたね』
と言うと。
「寝てない」
とのこと。あくまでも寝ていなかった主張している。一人で練れてしまったことが汚点になっているようである(^^)。

昨日に続いて花火がまた対岸で上がっている。今日の花火は昨日と少し場所が違い、少し早い時間だ。

Fws

風呂に入るのにすったもんだしたのだが、風呂から上がったら機嫌の良い娘。

娘曰く、

「お父さんになったら(大きくなったら)、コンピュータして、お風呂で本読んで、お酒飲んで、ギターして、iPodして、カメラして、大学して、お仕事して、お家に帰ってくるの」

と。ああ、私を的確に表している。よく見ているなあf(^^;。
こうして思いがけず娘と過ごすことの出来た二日間となったのであった。

どちらさまも、快癒されますように。

2010/05/29

命の有限性、切なさを感じるのである

5/29

娘を授かったことで、自分が変わったなあと思うことはいくつもあるが、そのうちの一つが、休日を意識することとである。もちろん、中学校の教員と大学の教員の違いもあるだろうが、休日の意識の仕方が違う。

どうやって娘と過ごそうかという思いが浮かんでくる。もっと言えば、休日に仕事をしようと思わなくなってきているのである。もちろん、「明日の教室」とかその他やりたくてやっているものもある。また、お願いされてやらなければならいものもある。だが、休もうという気持ちになっているのには、自分でもびっくりしている。

(へー、休日ってこんな風に過ごすね)

と思ったりするのである。
命の有限性、切なさを感じるのである。

昼前に近くのガーデンに。今は薔薇が満開である。いつもでは考えられないくらいの人で一杯である。薔薇のスパイシーな香りと芝生のバナナのような甘い香りに満たされた中を、娘と歩く。

Rg

娘はまだお母さんのお腹の中にいた時から、このガーデンに来ている。ガーデンの職員さんは娘の成長を楽しみに見守ってくれている。うれしい。

うちの四回生ゼミの女子学生たちを連れてきてあげたいなあと思いながら、まだ実現できていない。もう、来年はいないのだから今年が最後のチャンスだなあ、この一週間がラストチャンスだなとも思う。

同じガーデンだが、こうして二つの時間が流れているのだなあと思う。

昼は、パスタを作る。春キャベツのアンチョビソース和えだ。トマトとスイートバジルのサラダを添えて食べる。が、娘はトマトしか食べない。お気に召さないのか。父は悲しい。

が、風呂から出た娘。
昼のパスタを食べずに残していた娘であったが、夕ご飯に手を付けたら、どんどんと食べ進める。
そして、
「お父さん料理上手だね」
と。
『そうf(^^;。』
いつこんな言い方を覚えたのだ?!

バジルペーストを作るために、スイートバジルを細かく刻んでいたら
「お父さん、手を切らないでね。気をつけてね」
とも。

単純によろこぶ私。

今宵は十六夜の月。
月の出が20:30なのでなかなか昇ってこない。
「お月様、まだかな?」
と言いながら
「お月様、早く出てきて!」
と食事の最中に叫ぶ。

そして、出てきた月を見て
「お月様、こんばんは!!」
とさらに大きな声で叫ぶ。

16m1

お転婆で、わがままで、気に入らないことがあると大泣きで、自分の都合の悪いことは聞こえないフリをして、部屋をがんがん汚すけど、可愛いんだよなあf(^^;。

ああ、親ばか。

チャコールグレイのスラックス

5/28

午前中は一週間の疲れと風邪で弱った体をいたわりつつ、過ごす。土日に仕事の入ることの多い私は、金曜日が基本的にはオフの日である。

ではあるが、今日は午後から依頼されている講座があるので、緊張の糸が一本緩まないままの、時間の流れであった。

ま、それも仕方が無い。

午後3時30スタートということでこれにあわせて家を出る。中学校に到着したのは、ギリギリの時間であった。余裕を持って家を出たのだが、着いた場所が違っていたので、慌てて移動する。会場には開始5分前に到着であった。ふう。

その中学校の先生全員、地域の主任の先生、さらにはその中学校に教育実習できている学生諸君の20人ぐらいの人数で講座を行った。

時間がない。90分の持ち時間であれこれするのだが、演習を組み込むとその反応、対応が読み切れなくて時間が伸びることもある。今日も、申し訳ないのだが勤務時間を10分伸ばしてしまった。予定外の展開があってのことであった。

まだまだ修行中だ。

その後、注文しておいたスラックスをとりに行く。まだパンツと言うには抵抗のあるおじさんの世代の私だ。スラックスですよ、スラックス!

もう何本目になるだろう、チャコールグレイのスラックスは。これが好きなのでこればかりである。しかし、今回は人生で初めてオーダーメードをした。

正確に言うとセミオーダーかもしれないが、つり下げられているものを購入するのではなく、生地を購入して、サイズを測ってあれこれ好みを言って作ってもらったのである。

いやあ、これが気持ちが良い。当たり前だが、私にぴったりである。この夏はこれを中心にしよう。

その後あれこれあって、帰宅。
満月の美しさを楽しむ。
そこに、対岸で花火。

Fw

うーむ。
見事だ。

今シーズンは、何回花火を見られるかなと思う。

2010/05/28

みんな、早く治れ

5/27-2

あちこちに風邪をうつしているのではないかと申し訳ない思いになっているこのごろの私である。症状が一緒なので、そうであろう。

娘もそうである。
幸いにして元気で食欲もあり、熱も下がってきたのであるが、咳が止まらない。痰が絡んでいてもとってあげることができない。鼻水だけは吸い出すことができるが、とにかく見ているだけと言うのが辛い。

親は、自分のことは我慢が出来るが、子どものことは我慢できないってことが『ブラックジャックによろしく』の小児科編にあったが、まさにそうだなあと思う。

四回生ゼミでは、今後のスケジュールの確認。
ゼミ生の採用試験の日程を確認する。さらに、私の夏のスケジュールを知らせて、相談したい時に面談の可能性のあるところの日程の調整をする。

授業のあるときは、外部のお仕事はできるだけ入れないようにしているのだが、授業が無い時はどーんと入る。だから、私の八月は、とんでもないことになっている。そこで、確認が必要なのだ。

それにしても、いよいよ学生たちは本番だ。
期待しているぞ。

研究室に電話があった。
「マンション買いませんか?」
のいつもの業者ではない。

今までやってきた仕事の一つが、違うところで評価されて、それが新しい展開を生むことになったと言うのである。開発を許可してほしいとのことであった。もちろん、よろこんでである。

完成したら、お報せしたい。

Fm1

家に帰ると、琵琶湖の向こうにほぼ満月が上がっている。
雲の切れ間から、顔を見せている。

「お月様、こんばんは!!」

と咳をしながら叫ぶ娘。うーむ、可愛いのやら可哀想なのやら。

夜は、初めて私と二人で寝ることができた娘である。
「明日、明るくなったら、ギター弾いてね」
「大学でうどん食べようね」
「お話ししてね」
等と言われながら、寝る。

みんな、早く治れ。

2010/05/27

6/12(土)第34回明日の教室のご案内です

6/12(土)第34回明日の教室のご案内です。

今回は、算数教育です。「算数指導のあれこれ 塾での中学受験指導を通して」ということをテーマで、稲田塾中学受験部ジェネラルマネージャーの前田陽孝(まえだ はるたか)先生にお越しいただきます。

前田先生のプロフィールをご覧頂けると分かりますように、関西の算数指導において、長年全国トップレベルでご指導を続けられております。

今回は、塾での算数に関するご指導を中心に、算数教育全般に関するご提言なども頂ければと思います。

算数教育が中心ではありますが、一つの教科を極めた先生のお話と言うのは、他教科の指導についても多くのヒントを得ることができるかと思います。是非、ご参加ください。

日時:2010年6月12日(土) 13:30〜17:00
場所:京都橘大学 児優館 C502
会費:一般 2000円 学生1000円 苦学生 要相談
なお、懇親会も予定しています。3000円程度

お申し込みは、

http://kokucheese.com/event/index/2836/

です。お待ちしております。

講師略歴

講師 前田陽孝(まえだ はるたか)さん@稲田塾中学受験部ジェネラルマネージャー。

学生時代から中学受験をめざす6年生を担当、以来中学入試の最前線に立って難関校を目指す受験生を指導。教え子は1000名を超える。塾・学校の垣根を越えた活動で、大阪府公立小学校算数教育研究会での講師も歴任。

分数学習教材の『分数トランプ』(特許出願済)を考案、公立小学校現場でも活用される。学研『アルゴ』ゲームの開発に携わる。毎年香港で開催される『少年数学世界大会(Po Leung Kuk Primary Mathematics World Contest)』の日本チームリーダー。2005年には引率した「OSAKA TEAM」がChampionに輝く。2005年3月には,『日本朋友算数教学考察団』の一員として,中国・上海に渡航。

華東師範大学附属小学の5年生に授業。テレビ出演(2006/1/31)『今日の出来事』の特集で一週間にわたり密着取取材。教え子の受験風景と関西の中学受験の模様が全国ネット放映。

函館創才セミナー団長として,毎年8月に本土より40〜50名の中1生を毎年函館大沼に引率。広中平祐(フィールズ賞)氏,ピーター・フランクル氏らとの,濃厚かつ充実した数学の学びの場を創出。NHK教育テレビ『テストの花道』の番組制作にも参画。

2010/05/26

そのとき授業は動いた

5/26

娘が発熱。子どもの発熱はあることだが、やはり心配。早起きして対応。本人は真っ赤な顔をしながら、病院に行けること、お薬を飲めることを楽しみにして結構元気。薬を飲ませても
「おいしい!」
という次第。ありがたいことだ。

食べられることは、病気治癒のためにはかなりのアドヴァンテージだ。私は、「食べて治す」ことを親から言われ続けてきたが、これが娘にも遺伝しているようだ。嬉しい。

大学に行く準備をしていたら、宅急便が届く。
新茶であった。

教師になったときに最初に赴任した学校の卒業生からの届け物であった。名門のお茶屋さんに嫁いだ私の元「娘」からの初夏のご挨拶であった。とても嬉しい。また、そこにはお茶を頂いた以上に嬉しい書き添えがあって、思わず声を上げる。おめでとう。

新茶は、研究室に少し持って行くことにする。
研究室に来た先着数名には、飲ませて上げよう。

2限の研究入門ゼミ。授業開始30分前まで今日の授業の入り方を決めかねていた。今日は、文章の読解と批判の仕方についてのレッスン。

読み取りの指導では、読み取れないことを指導することと、書いてもいないことを読み取ってしまうことを指導することと、両方の誤読を指導したい。どういう導入で始めようかとあれこれ考えているところに本日の日直登場。

私の多くの授業では、日直制度を導入している。授業前に研究室にやってきて当日の授業の資料を受け取り、授業前に資料を配布するのがその仕事のほとんどである。しかし、これをすることで学生たちと小さな会話をすることができる。これが大事だと思っている。

さらに、この授業では「この花を紹介します」ということをさせている。

本学は、自然が豊かで学内には四季折々の花が咲いている。この花を摘んで、教卓と休息スペースの花瓶に活けるのである。その際に、学名、別名、花言葉、咲いている場所などのデータを書き込むカードを一緒に置くことにしている。

小学校の先生、保育士になろうとしている学生たちである。出来るだけ多くの花の名前を知っていることが大事だと考えている。だから、少しずつ、一週間に一つ、二つぐらい覚えさせたい。そのためにさせている。

もう一つ。自分の学びが誰かの喜びになるということを考えさせたいのである。日直の学生が選んできた花。そして、その花言葉を載せた「この花を紹介します」カードを見た、他のある人は
(へーっ!)
と思うこともあるだろう。

このとき、学生の学びは他の誰かの喜びになるのである。学んだことが、誰かの喜びになる。この30年間、自分のためだけに学ぶということを続けてきた結果、日本はおかしくなってきたのではないかというのが私の一つの仮説である。だから、誰かのためになるような学びのシステムを意識させたいと言うのが、この実践である。

で、今日の学生が持ってきたの花の一つが「シロツメクサ(クローバー)」であった。その時、私は、

(あ、これで行ける!!!!!)

と思ったのである。
シロツメクサに関わった写真の読解の教材があったのだ。この写真を使って、非連続テキストの読解の体験から、連続テキストの読解へと導き、批判の文章のレッスンへと導けると一筋の道が見えたのだ。それは、授業開始5分前のことであった。

そのとき授業は動いた。

ま、そんな大したことではないんですけどf(^^;。

2010/05/25

いわゆる正解のない問題である

5/25−2

昨晩はうっかりリビングにおいた自立式のハンモックの上にネッ転がったのがまずかった。寝てしまった。そのまま朝の4時過ぎまで寝てもうた。

お陰さまで久しぶりに琵琶湖から昇ってくる朝日を見ることができた。いや、そんなことを言っている場合ではない。まだ風邪が治りきっていないのである。

Asa

寝直そうとも思ったが、まあ、6時間は寝ているのでまずは仕事をしてしまい、その後、時間があったら、30分でも寝直せば良いと思って、動き出す。

風呂に入り、読書をする。朝の「風呂」読書である。今読んでいる本は、相当面白い。読み終わったらブログで紹介するかもしれない。いや、しないかな。

というのは、私の授業に関するアイディアをどんどん刺激するのだ。今朝の風呂の時間だけで、授業を修正するアイディア、卒論指導のアイディア、論文のアイディア、新しい授業を作るアイディアなどがどんどん生まれてきた。こういうものは学生に予習されても面白くないf(^^;。

本当は、「早起きは三文の徳」だが、こういうときは「三問の得」のような気がする。三つの良質の問いを得たような気持ちがするってことだ。

結局本に興奮して30分寝直すことはできなかった。ま、これも良しである。

1限と3限は、教科教育法(国語)の授業。

私は授業では、殆ど板書をしない。どんどん話していく。それを学生たちがメモをするという形式で行っている。もちろん、ディベートを学んだ私は、ナンバリングとラベリングをきちんとして話している。だから、学生たちはメモをしやすいはずである。

ところが、このメモをしやすい話し方というのが、一つの新たな問題を生むのである。世の中の人たちは、そんなにしっかりとナンバリングとラベリングをしながら話してはくれない。だから、私がしっかりと話せば話すほど、学生に楽をさせて力をつけないということにもなりかねないのだ。

そこで、今日の授業の冒頭の部分は、ナンバリングをせず、ほとんどラベリングもせずに話すということを宣言して、授業を始めた。その結果どうなるのかを感じてみると良いということで行った。

結果としては、やはり圧倒的にメモが取りにくいということであった。この経験を自分が先生になったときに生かして、ナンバリングとラベリングがしっかりできる話し手になるようにと話す。

あ、もちろん、その後ナンバリングを施した概略も伝えました。

で、本論は漢字の指導についてである。
ま、これは『教師になるということ』(ひまわり社)に書かれていることを主として行った。

だが、本には書けないあれこれの事例や、指導の観点や方法などもふんだんに取り入れて、大学の授業では行う。授業実践は豊かに行われるのである。

漢字指導を通して、学習指導とは何なのか、その一つの典型を示すというのが、今日の授業の目的である。学生たちは、一瞬で書けた「薔薇」の漢字を見ながら、一連の指導の凄さにおののくのであった(^^)。

その後、学生の相談を受ける。
いわゆる正解のない問題である。

正解のない問題というのは、どちらを選べば自分の人生が充実するか分からないという種類の問題である。

この種の問題にぶちあたるとき、私が考えることは次のことである。

1)問題を問題と考えずに、問題は課題と考える。問題であれば、それは愚痴や不平や不満になるが、課題は解決すべき対象になる。多くの場合、問題は課題である。

2)多くの人にアドヴァイスを求め、決めるときは一人静かなところで、自分で決断を下す。

3)悩みの本質は、過去と未来にあるので、今を精一杯頑張るようにする。(あのときこうしておけばなあ、が過去で、これから大丈夫かなあ、が未来である)今を懸命に生きるものは、悩んでいる暇がないのである。

4)出した結論は、正解かどうかは分からないが、その後の自分の行動で結果的に正解にするようにする。

5)仮に正解にならなかったとしても、その責任は自分が背負う。

私は、だいたいこの方針で行うことを心がけるようにしてきた。特に1)が大事だと思っている。世の中は問題だらけと考えるのか、課題だらけと考えるのかで、その後の取り組み方が全く違ったものに見えてくる。

解決すべき課題なのだと考えること。とても大事なことだと思っている。

しっかり。期待している。

無事だと良いなあ

5/25

所用を済ませて大学に向かったのは、9時半を回った頃だ。いつもの道を走り、161号バイパスに合流した直後のことであった。通常なら加速をする上り坂のところで、車が止まっている。いやな止まり方だ。

(あ、事故渋滞だ)

とすぐに感じられた。5分待っても車が全く動かないのである。そこに、後ろから救急車のサイレン。さらには、消防車も駆けつけてくる。危険なトンネル内の事故のようである。

慌てて、車を左側に寄せて救急車両を通す。

事故は本当に一瞬である。
一瞬の判断のミスで事故になる。

雨の月曜日。気分が滅入っていたのか。それとも週末で疲れが取れなかったのか。分からない。ただ、一瞬で起きる。無事であることを願うしかない。

迂回したため、授業へは授業開始ちょうどの到着となってしまった。危ない危ない。

三回生ゼミは、『街場の教育論』の講読。今日からレポーターが進める。ゼミは話してなんぼなのだが、どう話せば良いのかがまだわからないようである。発表箇所のハンドアウトを作る。これは見本を示したので、奇麗に出来ている。

その先である。
自分で議論の説明や反論などを入れ込むことが、まだまだである。本に書いてあることは、全て正しいという思い込みに絡みとられている。
(本当か?)
と思えるか。ここが勝負。

国語科教育法は、去年の受講生も参加。
いま、採用試験に向けての勉強や就職活動への取り組みの真っ最中である。

例によって、
「気合いを入れて下さい」
ということでやってくる。久しぶりに受ける私の授業で、なまっていたものを取り戻したいとのことだ。

授業後、メモをとるのがなまっていたことを述べていた。さらに、教育実習の指導案を作っている学生が、予定している発言を全て文字にして書き出しているということを言っていたので、

『あ、ちなみに今日の私の授業のメモだけど』

と見せたら、驚いていた。

「先生、このメモであの授業をされていたのですか?!」

と。なんのことだか分からなかったのだが、学生からしてみると、もっとたっくさんの言葉が書いてあると思っていたのである。今日は90分の授業のためにA4で二枚弱の授業メモで行ったのだが、それが信じられないというのだ。

『まあ、ここにあるのは、出典とか数字とかだからねえ。あとは、説明の部分は書かなくてもねえ。授業を始めようとしている君と私を一緒にされても困るけどね』
「あ、すみません!」

と言えるところが本学の学生たちの良いところである。自分と比べて考えるのもまあ良いけど、こっちは君達が生まれる前から授業をしているんだからねえ(^^)。

その後、事務仕事。

帰りは、事故のあったトンネルを通って慎重に帰宅。
無事だと良いなあ。

2010/05/24

明日の教室 2010年度後半予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

2010年 研究会の予定

 09/25(土)   琵琶湖にてカヌーなどを体験

 10/23(土)   野口芳宏氏  
  11/20(土)   立命館小学校英語スタッフによる、小学校の英語教育
 12/18(土)   岩下修氏 
 01/29,30(土)(日) 石川 晋、伸佳三氏による学級経営、国語教育の講座。新春企画として一泊二日を考えています。

                   ◆



明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~10が発売されました。



書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm 



からお求めください。

 ◆

東京分校

9月18日(土)「明日の教室・東京分校」
日 時:平成22年9月18日(土) 13:30~17:00
講 師:野中信行先生(元横浜市立大池小学校教諭・横浜市初任者指導教諭)
テーマ:「今、現場教師に求められている切実な課題とは何か」
       ~仕事術・学級づくり・授業づくりについて問いかける~
場所:荒川区立第三中学校 多目的室(東京都荒川区南千住8-10-1

大阪分校

9月4日(土) 「明日の教室・大阪分校」
日 時:平成22年9月4日(土) 14:00~16:45(13:30受付開始)
講 師:仲里靖雄先生(帝塚山学院小学校)
テーマ: 「指導力向上って何? 〜教科指導と学級経営の側面から考える〜」
場所:大阪府教育会館 たかつガーデン 2F ガーベラ(大阪市天王寺区東高津町7番11号)

読書へのアニマシオン

5/24

読書へのアニマシオンは、スペインのモンセ ラット・サルト氏が開発した手法だ。本一冊を丸ごと楽しむための「作戦」が75種類作られている。

10年前に、そのモンセさんが84歳で来日されていたときに、私は直接お会いしている。上野で行われた「国際読書教育シンポジュウム 『生きる力』をはぐくむための、読書教育のあり方」というのに、参加したのだ。

国語科を実技教科にしたいという思いを持っていた私は、そのこともあって参加したのだった。84歳とは思えないエネルギッシュなモンセさんのお姿に、びっくりしたのを覚えている。今回の明日の教室の講師の先生にも、ここでお会いしている。

伝統的にヨーロッパでは読書教育はきちんとされる。それも分析批評の方式に則った、かなり厳密な読み方を身につけさせられる。ここでレッスンを受ける生徒たちは、やがて絵画でも音楽でも分析批評の方法で解釈することが可能になるらしい。

しかし、どこの国にもそういう「きちんとした」方法でやる勉強に向いていない子どもというのは、いる。問題はその子どもたちをどうするかである。

モンセさんは、この子どもたちにも読書の楽しみを共有させたいと考えたのである。そして、その方法が「読書へのアニマシオン」である。

つまり、本が嫌いという子どもたちを本の世界へと招待する「作戦」が、読書へのアニマシオンなのである。

確かに、いくつかのルールはある。例えば、本を丸ごと一冊扱うこと、同じ作戦は二回使わないことなど。スペインではアニマドールと呼ばれる専門の人が、地域の児童館などで指導している。学校ではやらないのだ。

だが、日本の実情を考えると学校でやるなどのことは仕方のないところであろう。それであっても、読書へのアニマシオンはとても面白い。

土曜日の明日の教室は、その読書へのアニマシオンの指導での第一人者の慶応義塾普通部の鈴木淑博先生にお越しいただいたのである。私も誘われたが中三の担任をしていたので行けなかった、本場スペインでの読書へのアニマシオン講習会にも参加されている先生である。

的確な読み、うっとりするような声質、包み込んでしまう笑顔など、読書へのアニマシオンをするためにいらっしゃるかのような鈴木先生のワークショップは、参加の皆さんをうならせた。

休憩時間の合間に、先生が持参されたご著書は、あっという間に売り切れてしまったほどである。

10年なんてあっという間だなあと、改めて思う。人生は思ったよりも短く、切なくすぎていくと思う。

久しぶりに会った参加者の方たちと、食事をしながら思う。

(ここにいるみなさんと、もう4年もやっているんだなあ。ここでの10年なんてのもあっという間なんだろうなあ。その時は、少しは成長していたいなあ)

と思いながら、切なく心地よい時間を過ごしたのでありました。
鈴木先生、ありがとうございました。

2010/05/22

黄砂と地下鉄サリン事件

5/22

昨日、晴れているのに琵琶湖の対岸が見えないというのとがあった。私は勝手に、霧だと言っていたのだが、どうやらこれは黄砂とのこと。

関東にいた時は、こんなに黄砂というものを感じなかったので、少し驚く。

あれは、八王子の中学校にいたとこのことである。私は夏休みの日直業務ををしていた。

職員室にいると、なにやら異様に臭いのである。職員室は、クーラーをかけて窓を閉めてあったので、匂いの元は、職員室にあると思ってあちこちを捜した。しかし、見つからない。

一瞬、私だけかと思ったのだが、一緒にいた教頭先生も、何か匂うねえと言う。やはり、臭いのだ。

職員室の外にでてみると、外も臭い。いや、学校中が臭いのである。教頭先生と私でその匂いの原因を捜すべく、学校中を歩き回った。しかし、原因は相変わらず分からずであった。

たかだか匂いじゃないかと思われるかもしれない。しかし、その時は、事情が事情であったのだ。地下鉄サリン事件があった頃なのである。

八王子は、サティアンのあった山梨県にも近い。私達が恐れたのは、それであった。自暴自棄に陥った彼等が、なにかをしでかしたのではないかと訝ったのだ。

原因が分からないことほど怖いものはないなあ、ということを実感した。

二日続けての日直で翌日も学校に行った。
そのときには原因は分かっていた。昨晩のニュースで大々的に報道していたのだ。

それは、新島の噴火であった。
噴火に伴う火山性のガスが東京湾を超えて、八王子まで届いていたのである。その匂いが充満していたのである。職員室から見える富士山を望み、

(あれが噴火したら、とんでもないことになるんだろうなあ)

と、リアリティを持ったものだった。

琵琶湖にかかる黄砂を見て、そんなことを思い出した。

体を休めるのには、ハンモックである

5/21

今日も体を休めて過ごす。

ただ、今日を逃すと時間がないので大阪のヨドバシカメラまで、修理に出していたデジカメをとりに行く。新快速を使って行くと、私の街の大津京駅から大阪駅まで約40分。早いものだ。

修理の終わったデジカメを引き取り、京都駅でラーメンを食べて、家に戻ってくる。結局3時間30分しか掛からなかった。早い。

しかし、今年の末には京都駅の元近鉄デパート跡地に、ヨドバシカメラ京都店がオープンする予定だ。となると、今日の案件であれば、1時間30分で済むであろう。実に便利である。早くオープンしてほしいものだ。

体を休めるのには、ハンモックである。
何回でも書くが、実にハンモックはいい。

私は床暖房や体にフィットするソファでも寝ているが、蒲団とベッドで寝ることがほとんどであろう日本人は、実に勿体ないと思う。ベッドの値段、羽毛布団の値段を考えると、ハンモックの値段なんて、信じられないくらいに安い。それでいてあの心地よさ。対費用効果抜群の寝具である。

Ha

近所の琵琶湖の畔に娘と散歩して、湖畔で寛いでみた。
なかなかいい。
問題は、こういう時間がこの夏にどれだけとれるかであるf(^^;。

さ、明日は、明日の教室だ。

2010/05/21

日本図書館協会選定図書に選定されました

5/21

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http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2010/04/post-d621.html

で紹介いたしました、『クイズ にほん語の大冒険〈1〉文字』(池田修監修 教育画劇)が、この度目出度く、日本図書館協会選定図書に選定されました。ありがとうございます。

関係者によると、学校図書館協議会選定図書は選ばれることもあるのだそうですが、日本図書館協会選定図書というのは、なかなかハードルが高いとのことでした。

自分たちのやってきた仕事が、こうして人様に良い評価を受けるのは、本を作ってきたチームとして、とても嬉しいものだなあと改めて思いました。ありがとうございます。

学校図書館などに是非、三冊セットでお求めください(^^)。

鬼の霍乱である

5/20

鬼の霍乱である。

久し振りに、体のあちこちが悲鳴をあげている。風邪だけではない。歯が浮いている。歯が浮くというのは、歯が丈夫な人にはわからない感覚であろうが、いまこの感覚である。さらに、何かの花粉による症状や、あれやこれやである。あと一日で、何とかせねばなあと思うばかりである。

鬼の霍乱。

大辞林 第三版から引用開始 ーーーーーーーーーー

鬼の霍乱かくらん
〔「霍乱」は暑気あたりの意〕
いつも非常に健康な人が,珍しく病気にかかることのたとえ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

とある。他の辞書では、日射病からの下痢ともある。まあ、鬼の腹下しなのかもしれないなあなんて事を思うのである。

大学のエレベータの中で、学生に声を掛けられる。

「先生、風邪ですか?」
『うむ。鬼の霍乱である』
「そうなんですか」
『そうなんですかではない。だいたいからして、君は、鬼の霍乱という言い方を理解しているのかね?』

という事で説明を始めてしまう。
(こんな体調が良くない時に何をやっているんだ)
と自分でも思うのだが、指導はその場でという事が染み付いているのだから仕方がない。

鬼の霍乱の意味と、この言葉の使い方も講じた。枯れ木も山の賑わいは、相手に言ったところで、褒め言葉にはならずむしろ貶し言葉になる。鬼の霍乱も同じようなもので、自分で言う分にはいいのだが、相手に言うと貶し言葉になると言うことを理解しなければならない。

なんてことを指導する。ああ、こんな体調の時ぐらいやめればいいのにと、改めて思う。

午後は授業も会議も無かったので、それ以外のものは全部後回しにして帰宅。まずは、体を横にする。

その後、喉など痛みが激しいため、重い腰を浮かべて病院に向かう。薬をどっちゃりと出されて、めげる。

家族にうつさないように、一人自主的に自分を隔離して寝る。
ああ、早く治らないかなあ。

では、なぜ、女子児童は隠そうとしたのであろうか?

5/19

うーん、知的興奮に体がついていかなかったのであろうか、東京から帰ってきた私は風邪をこじらしてしまっている。熱が出ているのが分かる。計るとめげてしまうので、計っていないが熱だ。咳も出る。

昨日は、仕事を途中で投げ出して研究室を後にした。冷蔵庫にあるあれこれをだだだっと食べて、水分をたっぷりととって18:00には寝た。そして、今朝起きたのは6:00。久しぶりの12時間睡眠。少し良くなったと思ったので、今日の授業の資料を作っていたのだが、これでまた発熱f(^^;。

でけるぎりぎりまでもう一度寝直す。

だが、大学についてしまえばそれはそれ。一気に進む。

研究入門ゼミでは、月曜日に見せていただいた聖学院小学校の池内先生のクラスのことを話す。池内先生とはもう15年ものおつきあい。ディベートを普及し始めた頃、池田池内ということで、イケイケコンビという名前をいただいていた仲である。

その池内先生がライティングワークショップの授業を小学校一年生でやっているところを見せてくださるというので伺う。授業は、玄人好みの細かいところに配慮の届いた、味のある授業だった。

で、その後の検討会で、一人の児童のことが話題になった。自分の書いている作文を周りから見られないように筆箱で覆いを作って書いている女子児童のことである。

「見ないで!」
というのである。これについて検討会であれこれ意見を交換した。

今日の研究入門ゼミでは、このことを取り上げた。

『さて、諸君。あなたのクラスで同じことが起きたとしよう。こういうことだ。「先生、となりの池田君が私の作文を見てまねしようとして困っているんです。怒って下さい」と言ってきたとする。そのとき、君はなんて指導するのかである』

ペアになり、先生と児童役になってやり取りを経験してみた。池田君にみないようにと、指導する先生役の学生が多いかと思いきや、
「いいものだから見たいんだね。見せてあげてね」
という言い方をする学生が多いことに、驚き喜ぶ。そういうものの見方ができるのはとても大事である。

そこで、さらに質問する。

『では、なぜ、女子児童は隠そうとしたのであろうか?』

というものである。学生たちの答えは、「自分で考えたものを横取りされたくない」「独り占めにしたい」というようなものであった。

『うむ、そうだろうなあ。自分のものにしておきたいよねえ
。では、さらに問題だ。いいものだから見せてあげてね、といわれた女子児童が、気持ちよく「はい、どうぞ」と見せてあげるようにするには、何が必要なのであろうか?』

『折角自分で考えたアイディアを、簡単に人にハイどうぞと渡すことを子どもたちに求めるなんてのは、難しいであろう。でも、いいものなのだから、人がまねするのだし、見てもらえば良いということは、間違っていない。どうしたらいい?』

となる。

ここを繋ぐのが出典なのである。

『「この作文は、○○さんの作文を参考にして書きました。○○さん、ありがとう」という一言があるとないとでは全然違うよね。この一言がないから、勝手に使われるのを嫌がってしまうんだな。ま、実際は良い文章を書いている○○さんの文をみんなの前で読み上げるとかするんだろうねえ。

で、君たちの場合。君たちの場合は学問を進めるにあたって、先行研究の論文を引用することになる。その際大事なのが、出典を明示することである。良いものは後世に伝えられていく。その際、このアイディアは誰のものなのかを示すことが、決定的に重要である。それをしないものは、剽窃と言って学問の世界では最もやってはいけないことなのである。

ということで、今日の授業のレッスンは文章の書き方だったね。資料を見て下さい。引用した文章には、出典がきちんと明示されているでしょ』

とまあ、池内さんのクラスのライティングワークショップと私の授業と本質的な部分では変わらないなあと思いながら、一回生の学生たちに授業をしていた。

風邪の熱で頭が朦朧としていたので、うまいこと伝えられたかどうかやや不安ではあるが、ま、そこは熱心に聞く学生たちが受け止めてくれたことであろう。

2010/05/18

戻ってきました

東京に三泊四日。いやあ、充実した時間でした。髪の毛も切れたしf(^^;。

本日は一限から授業。
疲れたなんて言っていられない。
それに、授業は楽しいし。

ためてしまった仕事を片付けましょう。

2010/05/13

終了予定時間を5分延長して行う

5/13

四回生ゼミ。卒論指導を続ける。追いかけようとするテーマについて、あれこれ議論を重ねる。

本学の児童教育学科は、教育学者を育てようと言う学科ではない。教育者を育てたいと考えている学科である。だから、厳密に学問を追いかけるような卒論を求める必要も無いのかもしれない。

しかし、私はその考えには首肯しない。折角の卒論だ。論文を書けるのだ。文章と格闘する機会というか、権利というか、そういうものを手にしているのだ。没入するべきだと考えている。

その後、事務仕事。このところ、一週間に10冊程度本を買い続けている。その事務処理が大変なのである。

恩師には、

「自分の一生をかけた研究テーマを、そろそろきちんと決めよ」

と言われるのだが、そこはへそ曲がりの私。まだ、これ!というところにいない。だから、手当り次第に本を買い続け、読み続ける。

私は、私の人生は子どもたちが連れて行ってくれる世界について歩いてきたという感じを強く持っている。。ディベートの指導にしてもそうだ。私がディベートの指導をしたいからやってきたのでは、ない。生徒たちが議論の授業が面白いというので、あれこれ探していたらディベートにたどり着いたというのが事実。

牛に引かれて善光寺という諺があるが、私はまさに、生徒に引かれて大学教員という感じである。いつのまにか今に至るという思いを持っている。だから、いまでも学生たちの研究テーマについて行って、一緒にあれこれ勉強している感じの部分もある。そして、これが楽しいんだなあ。

理科系の研究室だと、教授の研究テーマに従って学生たちはそのテーマの一部分を貰ってあれこれやるということが多いと思うが、私のところは全然違う。どうぞ、やってごらんである。

やりたいことをやらないでなんの学問だ。そして、その結果の責任を自分でとらないで何の人生だと思うわけだ。

(学生たちにだらだらとついて行くのが、自分のテーマなのかもしれないなあ)

と思うこのごろである。

午後は、一昨日と同じように教育委員会の新採研の講師。一昨日と同じ話をしていただきたいということなので、きっちり一昨日と同じように、終了予定時間を5分延長して行うf(^^;。

講座後に感想を貰う。

引用開始 ーーーーーーーーーー

実践の中から大変分かりやすく、また、楽しい講義を聞かせていただき、より教師としての魅力を感じました。

学ぶことの楽しさを、改めて実感しました。もっともっと勉強したい。成長したい。そう思うばかりです。先生の講義そのもの(話術、提示の仕方)が、勉強になります。ふりかかる試練もちがう視点で乗り越えて行きたいと思います。

もっと聞きたいと思うのですが、今日学んだことが今後に生きるようにして行きたいと思います。ありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

今までの眠かった研修がウソのような時間でした。本当に楽しくて、そして学べる、そんな講義でした。

自分にもこんな授業が出来るようになりたいと思いました。明日から距離を考えて倒れない程度にがんばります。

ありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

はやく子どもたちにで会いたくなりました! さっそくこの後、子どもたちに今日会ったことを話したいと思います。先生の話を聴いて、体の疲れが抜けた感じがします。

ありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

どれもこれも、ありがたいことである。

大学に寄らずに家に戻ったので、少し早く帰ることができた。娘と遊び、風呂に入り、夕ご飯の一品を作り、あれこれ考えながらだらだらと時間を過ごす。

ああ、今週も前半は終わった。
週末は、東京だ。

「伝える極意」第3回、放送のお知らせです

忘れていました。
私、今日テレビに出ていましたf(^^;。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「伝える極意」第3回、放送のお知らせです。
「おどろきのハンドパワー〜スピーチ〜」
本放送:平成20年5月13日(木)10:45〜11:00 NHK教育テレビ
再放送:平成20年5月20日(火)10:45〜11:00 NHK教育テレビ

○内容
スピーチをする時、手の動きを加えるだけで、
自分の思いをもっとわかりやすく伝えることができます。
いつ、どんな風に手を動かしたらいいのか、
その極意を教えてくれるのは京都橘大学准教授の池田修さん。
毎朝、順番に1分間スピーチを行っている小学4年生が初めて、
手を動かしながら話すことに挑戦しました。
極意を教わることで効果的な手の動かし方ができるようになったでしょうか?

○池田流 極意
・ナンバリング(話がいくつあるか 何番目かを示す)
・心の動きや変化も手で表せる
・手はホームポジションに置く

○感想やご意見をお聞かせ下さい。送り先は2つあります。
1)番組ホームページ
 http://www.nhk.or.jp/gokui/のご意見・お問い合わせへ
2)NHKのホムページへ
 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html にアクセスし、
「メールでのご意見・お問い合わせ」の「メールフォームはこちらへ」から書き込んで下さい。
頂いた感想やご意見は、番組の作りにどんどん活かしていきたいと思っています。
周りの方にも宣伝して下さい。
よろしくお願いします。

引用終了 ーーーーーーーーーー

再放送:平成20年5月20日(火)10:45〜11:00 NHK教育テレビ

というとですので、こちらでご覧頂ければ幸いです。

授業は図書館の検索の仕方

5/12

朝ご飯を抜いて大学に向かう。今日は年に一回の健康診断の日である。当然バリュームを飲む。そのために朝ご飯を抜く。

いつから大人になるのか、というのは私の重要な研究テーマの一つである。それなりに答えは出してあるが、一つ象徴的なものとしては、バリュームを飲むようになったら大人というのがあるかもしれない。

それにしても、ずいぶんとバリュームは飲みやすくなったものだ。飲む量、味などが改善されたと思う。ちなみに、バリュームを飲んだ後に、突然
(このあと、イカスミスパゲティを食べたらどうなるのだろう?)
と思って実験したことのある私であった。

結果は、ここには書かない。是非、大人になったときにはその証としてバリュームを飲み、実験していただければと思う。人体の神秘を感じるであろう。

うちの大学が大きくなったため、健康診断の日程が二日間になった。去年までは、受付開始30分前に行っても結構並んでいる人が多かったが、今年はなんと受付番号1番であった。1限が始まる前には、すべて終了していた。なんとなくうれしい。

ただ、順調に体の一部は成長期にありf(^^;、ここは何とかせねばならないなあと思っている。

授業は図書館の検索の仕方。検索カードをめくっていた時代と違い、図書館は殆どオンラインで検索ができる。また、大学の図書館同士のつながりで、日本中のどの図書館の本でも借りられるようになるのが、大学生である。その使い方を一回生のうちに覚えさせるのが今日の授業。

使い方を教え、その後、図書館で実際にこれこれの本を探せと指示を出す。こんな感じである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

課題は二つである。
どちらか一つできたら、二階のロビーにいる池田のところに持ってくること。
制限時間は、12:00までである。
健闘を祈る。

1)諸君のクラスアドヴァイザーである池田修が書いた本、論文、原稿、作品などを探して持ってくる。

2)学内に咲いている花に、chrysanthemum frutesceusという花がある。原産国はアフリカモロッコ沖のカナリヤ諸島とのことである。さて、カナリヤ諸島原産のこの花が、どうして日本にやってきたのであろうか。その原因を探りたい。それがわかる本を探して持ってくる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

1)は、そんなに難しくない。ただし、池田修という同姓同名の学者は数人いるので、その方の著書を捜して持ってきては、アウトである。私はアラビア語は分からない。

2)は、結構難しい。しかし、きちんと捜してくる学生はいる。そういうことが書かれている本が、本学の図書館に、最低二冊はある。今回はタイムアップであった。捜せなかった学生たちの悔しそうな顔がなかなか良かった。

急いで昼ご飯を食べて、出張。
高校生に古典の授業をするのである。

実は、私は20歳ぐらいまで古典がよく分からなかった。分からないと言うのは、理解ではなくて納得の方である。理解はそれなりにするのだが、納得ができないでいた。

桜の美しさも、紅葉の美しさも
(んなもん、毎年咲くじゃん)
(んなもん、枯れているだけじゃん)
のように思っていた。

ところが、あることをきっかけにしてそれが、今まで見えていたものとは違って見えてきたのである。美しいのである。それはなぜなのか、そしてその先に何が分かったのかということを通して、古典の世界の入り口を話した。

その後、百人一首をして楽しみながら、さらにあれこれ語る。バリュームの波と戦いながら、なんとか授業を終えることができた。

ちょっと早く帰ることができたので、今日は少し台所に立って料理をする。

「蛸とトマトのマリネ」を作ってみた。
なかなか美味であった。
お客さんおもてなしの一品が増えたのを喜ぶ。娘もうまうまと食べていた。

Tooc

さ、明日も忙しいぞ。

2010/05/11

二コマ授業をして、大学を飛び出す

5/11

二コマ授業をして、大学を飛び出す。
教育委員会の新採研の講師をしに向かう。

京都東インターから大津インターまで一区間、250円ぶん乗る。自分では絶対にやらない使い方だf(^^;。
大学を出てから講座開始まで30分なので、1分でも惜しいので高速を使った。

会場に到着したのは、講義開始予定時間の2分前。地下駐車場を用意していただいていたのだが、それだと間に合わないので地上の駐車場に停める。

館内に入ったところにお迎えの先生が。そして、そのまま控え室に連れて行っていただき笠を置いて、ジャストタイミングで研修室に入る。

ちゃんとやれば4時間30分ぐらい掛かる内容を、90分でやる。与えられた時間が90分なので、ここに納める。実際は5分伸びてしまった。ああ、まだまだ力不足である。

本日のテーマは、「授業と学級をつくるために、若い教師が考えること」というもの。
講義をして、演習を入れて。
まあ、精一杯やった。
深めることは出来ない時間であったが、きっかけぐらいは与えることができたのではないかと思う。

ふう。

夜は、本当に久しぶりにミンククジラの刺身。
ちょこっとニンニクを乗せて醤油で頂く。
うまひ。

今週は激しいので、精力を付けておかねばなあと思うのである。
あ、もう眠たくなってきたf(^^;。

2010/05/10

でも、なんでこの時間なんだよおおおおおf(^^;

5/10

三回生ゼミ。『街場の教育論』の講読。
私がレポーターとなり、第一章を読む。問いを立てて読むと言うことの練習。なぜなのかと考えながら読むことは大事だと言われるのだが、実際にどうやってやるのかというのは、やはり少人数で指導者の下であれこれやらないとなかなか読めないものだ。これがゼミの良さである。

国語科教育法1では、一子相伝のチョークのあれこれ。スペシャルチョークを見せる。あまりにもスペシャルなのでブログには書かない。池田研究室におこしの際は、早い者勝ちでプレゼントします。

事務の仕事や課題の評価、さらには明日と来週の授業の準備をしながら、午後を過ごす。今週は明日から三連発の出張。そして、一日あけて週末は東京で打ち合わせなどなど。ここしか時間がない。

その、無いところを狙ってかかってくる電話が二本。一本は車の修理に関するものなので、まあこれはよし。

もう一本は、相談の電話。まあね、相談があれば丁寧に答えます。自分の知っていること、感じていることを相手がお望みのフォーマットに整えてお話しします。ディベートを学んだものは、そういうことが大事だと言うことを知っているのでね

でも、なんでこの時間なんだよおおおおおf(^^;。仕事は終わり切らなかったが、まあ、時間だ。帰る。

そのまま帰ればいいのだが、児優館の二階のスペースに四回生が数人残っていてあれこれしている。
『どうしたの?』
と話しかけて、しばらく彼ら彼女らの進路について、あれこれアドヴァイスをする。

本学の児童教育学科の学生特有のまじめさが、却って就職活動への大胆な取り組みを邪魔している感じがあったので、そこについてあれこれ話す。そう、進路の選択はもっと大胆に大きく構えないとね。

帰宅の途中で、病院に駆け込み薬を処方してもらう。毎日飲み続ける薬が、無くなってしまったので慌てて処方してもらい、薬屋に行く。ふう、間に合った。

家に帰ると、娘が昼間如何に「怪獣だったか」が分かるようなリビングの様子であった。でも、その怪獣は私に機嫌を取ってすりよってくる。

「お父さん。お父さま」

と。当然私は、娘の作戦を分かった上でデレデレになる。娘は機嫌が良くなる。キョンキョンの「なんてたってアイドル」をお気に入りになって、踊ったりしている。

だが、寝る前になってもの凄い叫び声で泣き始める。歯になにかが挟まってしまい、それがなかなか取れないで困っているのが原因。だけど、歯ブラシでとらせない。自分の泣き声に興奮してさらに大声でなく。

私はそれも可愛いが、一日中これを聞かされていた家人は大変だろうなあと思う。なんとかガスを抜くことができたので、娘は寝た。

さ、授業をしながら、さらに三連発の出張のために、もう寝よう。

エレベーターのボタン2

エレベーターのボタン問題については、以前考察したことがある。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2008/10/post-2c8f.html

ま、たいした考察ではないのだが、考察したのである。

で、改めて考えるであるが、なんで私は最初に「閉」ボタンが押せないのかである。「閉」ボタンを押してから、「階数」ボタンを押した方が、明らかに時間の短縮になるのだが、相変わらず気がつくと階数ボタンを先に押している。

以前の考察では、人間が「習慣」の動物であるからこうなるのだというようにまとめたのだが、あれから、本当にそうなのかと思い続けている。

今日も大学に向かうとき、マンションのエレベータのボタンを押したのだが、そのときに気がついたのは、階数ボタンは「目的」であり、閉ボタンは「手段」であるということである。

私は、目的の階数にたどり着きたいのであって、閉めることをしたいのではないということである。目的を達成しようとして行動するのが、私の行動の優先順位の一位を占めているのである。だから、これを先にする。そして、その目的を達成するための手段として、閉ボタンを押しているのである。

かっこ良く言えば、目的志向なのである。そっちの意識が強いので、この順番から変えられないのである。

では、なぜ変えられる人がいるのか? これはプラグマティックに物事を考えられるタイプの人なのではないかと思う。私も結構プラグマティックに物事を考える人間ではないかと思っているが、このエレベーターのボタン問題に接していると、そうでもないのかなあと思う。

ま、目的を重視しているのが私なのだということにしておく。

2010/05/09

「お母さん、いつも、ありがとう」

5/9

出かける寸前に荷物が届く。帰ってきてからの楽しみにして、京都市内に出向く。

久しぶりにスラックスを作る。というか、オーダーメードで作るのは初めてかもしれない。先日ブレザーを作ったテーラー。値段の割にはなかなか良いものを作ってくれたので、スラックスも作ってみることにした。

紺のブレザーが仕事着なので、スラックスはチャコールグレー系がほとんどの私である。

『チャコールグレイの、夏物のスラックスを作りたい』

と言ったところ、数種類の生地の見本を見せてくれる。そして、体のサイズを調べ、スラックスのポケットの形状やシェイプの調整など細かいあれこれを確認してくれる。

(へえ、こうやって頼むんだ)

と思いながらお願いする。
若いうちは、服装に自分を合わせようとして頑張ってきたが、もういい加減、自分に服を合わせても良いだろう。出来上がりが楽しみである。

家に帰ってきて、ベランダの掃除。風呂の残り湯を使ってデッキブラシでゴシゴシゴシ。

池田の名字が示すように、私は水生生物または両生類かもしれない。水の中にいると、水が傍にあると妙に嬉しい。だいたいからして、中学校のプール掃除も大好きであった。可能な限り自分のクラスでやったなあ。

で、その後は、ベランダに夏を迎えるためのグッズを設置。届いていた荷物を紐解く。ははは。本格的なハンモックを手に入れてしまったのであった。

今日は、暑くも寒くもなく、微風。さらに、虫もまだ出ていない。ライトアップされる琵琶湖の噴水を見ながら、ハンモックに包まれていた。うーん、幸せである。

「お母さん、いつも、ありがとう」
を娘に覚えさせ、言わせて今日の大事な一日は終える。
あ、もちろん、私も実家の母親には電話をしたのであった。



『赤ちゃんを爆笑させる方法』

『赤ちゃんを爆笑させる方法』(岡部 敬史/平井 寿信著 学習研究社)を読んだ。

赤ちゃんの時代における父親の役割と言うのは、なかなか難しい。というか、基本的に何をしていいのか分からない。私が小児科医に言われたのは、

「半年までの赤ちゃんには、お父さんは必要ありません。お母さんだけで大丈夫です。でも、お母さんにはお父さんは必要です」

ということ。なんというか、そういうものかと思ったものだ。ま、父親はミルク代とおむつ代を稼いでくるのが仕事というものかとも思った。

が、この本はその問題に違う角度からアプローチしている。父親の仕事は、子どもを笑わせることにあるというのである。

私は意識せずに我が子を笑わせていた。遊ぶのが楽しくて笑わせていた。そりゃあそうだ。子どもが笑う姿と言うのは、なんとも幸せを与えてくれる。その姿を見たいのは当然のことだ。

で、本書はそれを積極的にするにはどうしたらいいのかと考えている本である。また、子どもを見る目の変化、社会の見え方など、親になってから自分が如何に変わって行ったのかの、述懐もあり宜なるかなと思わせるものが多かった。

これが正解というものがないのが子育て。
ミュージカルの世界に生きている子どもに、ジャズのアドリブのようにその場で対応して、なおかつ命を守り、ルールを教え、笑いを共有する。

その時の一つの大きなヒントになる本だと思う。
うちの幼児教育コースの男子学生にも読ませたいなあとも思う。

2010/05/08

嬉しいお知らせです

5/8

嬉しいお知らせです。18日間行方不明であったiPod touch64GBが、今朝方発掘されました。

さすがに18日間行方不明だったわけでバッテリーは消耗し切っており、起動しなかったのでちょっと不安でしたが、充電後には見事に復活でした。

ああ、良かった。

どこにあったかと言えば、これがなかなか説明しにくい。簡単に言えば、ベッドと壁の間である。しかし、そこは何回も捜した。ではなぜ、見つからなかったかというと、ベッドのマットレスの皺の窪みに寄り添うように縦に引っ付いていたのである。だから、マットレスを動かしても見つからなかったのだ。

では、なぜ見つかったか。
実を言うと、ちゃちな日曜大工をしていたものが、昨晩壊れたのである。枕元に眼鏡を置く場所が無いので、板を買ってきて切って、木工用ボンドで簡単に固定しておいたのだが、娘が蹴飛ばして壊してしまったのだ。

夜ベッドを移動することもできないので、今朝方ベッドと壁の間に落ちたその板を取り出そうと思い切りベッドを動かしたら、その振動で窪みから落ちて、発掘されたのである。

実を言うと、久しぶりにiPod touchの夢を昨晩は見ていたのだ。なんというか、思いつきをメモに打ち込み、スケジュールを確認していたのである。

いやあ、正夢だったのね。
びっくりである。

結果的にiPod touch断食を18日間したことになる。ま、初めからなかったと思えば、良いのだが最初の数日間はちょっと辛かったなあ。

メモを打ち込めないこと、スケジュールを確認できないことが大変だった。それから、「駅.Locky」が使えないことと「大辞林」が使えないことが痛かったなあ。

人間は一度生活の水準を上げると、簡単には下に下げられないというが、本当にそうである。

大学に接続コードがあるのを思い出し、出かける。娘を連れて。ま、土曜日なら学生もそんなに多くはないので、娘の散歩にもちょうどいいし。

研究室でちょっと仕事をしながら、充電をする。
を、特にソフト的なダメージはなさそうだ。
良かった良かった。

しかし、律儀だなあと思う。iPod touchは充電しながら、MobileMeでスケジュール等は同期している。自分のスケジュールが私の使っている三つのマックと一つのiPod touchで全部同じ内容で簡単に同期されると言うのは、実に気持ち良い。

お昼すぎに、娘が会いたいと言っていた学生と会ってから大学を出る。

昼ご飯を食べた後、ガーデンに向かう。
いよいよ薔薇が咲き始めている。
来週、再来週はとんでもなく美しいガーデンになるであろう。

その後、近くのホームセンターに行き、釘とトマトの苗とスイートバジルの苗などを買って帰ってくる。

釘は、壊れてしまった簡易棚を直すために。そして、夏の食卓を彩るトマトとスイートバジルを育てるための苗である。去年はとにかくスイートバジルにハマっていた。うまうまである。簡単にできるのにも驚いた。

今年はさらにそのスイートバジルの相棒であるトマトにも挑戦である。娘はトマトが大好きなので、毎朝自分で捥いで食べるようにさせてあげたいなと思って、一式揃えてみた。家庭菜園である.
さらに、二日前から水に浸しておいた朝顔の種を取り出して、植える。

まさか、自分がこんなことをするようになるとは思わなかったが、子どもができるとこうなるのねえと自分でびっくり。

あと、デジカメの修理が終わればほとんと元の生活に戻る。うれしい。その力を借りて、少しずつ夏の準備を始めるのであった。

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海 ダイヤモンド社)を読んだ

5/7-2

昨晩『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海 ダイヤモンド社)を読んだ。だーっと読んでしまった。

ディベートを始めた頃に、ドラッカーの名前を聞くようになり、断片的に読んだりはしていた。また、西川純先生が、学び合いを提唱される中で、ドラッカーについて述べられていることもあって、一回ドラッカーに関する本を読まないとなあと思っていたのだが、とあることでこの本を手にすることになり、読み進めた。

端的に言うと、『1985年の奇跡』の感動と、経営学の入り口の学びを同時に味わえる良書だと思った。

学級担任の仕事は、学級の経営にある。この経営という概念がじつはなかなか分かりにくい。どうしても利潤を生み出す営みという考え方に直結してしまう。となると、

(学級で利潤を生み出すって何?)

となり、思考停止になってしまいがちなのである。しかし、何も利潤を生み出すことのない経営もあるのである。となれば、この本は、学級経営、クラブ経営、NPO経営など利潤を追い求めることの無い集団や組織を経営する者にとっては、非常に参考になるだろう。

竹内常一先生は、私が「書き抜きエッセイ」を開発して実践しているときにこう仰った。

「池田もやっと、分かってきたようだな。文章修行は、本来注釈から始まるものなのだよ」

と。
『孟子』は朱子によって注釈が行われた。このような形で文章修行をするのだと仰っていた。私はそんなことを考えもせずに、生徒たちが文章を書くのに難儀しているのを見て、あれこれ工夫をしてこの「書き抜きエッセイ」の方法を開発したのだが、実践家の勘所が、たまたま歴史の流れに乗っかっていたと言うことだ。

で、この本は新しい形式の注釈書を提案しているかもしれないと思うのである。つまり、物語仕立ての注釈書というわけである。

同じような構造で『もしも○○が××を読んだら』というシリーズが生まれても面白いなあと思う。○○には今を生きるちょっと社会的に弱い立場にいそうな人物を入れ、××には古典の名著を入れるわけだ。そうすると、古典の物語仕立ての注釈書ができあがるということか。

ただ、類書は難しいだろうなあとも思う。古典を学び、現代にも精通していて、なおかつ物語が書ける力があることが、この「物語仕立ての注釈書」を書くためには必要だからだ。

だけど、読んでみたいなあ「物語仕立ての注釈書」シリーズ。当然出版社は次の企画を考えているんだろうな。楽しみ楽しみ。

2010/05/07

300人を超えていたのである

ふう、少し遅れ気味になっていた五月の明日の教室のご案内をやっと作ることができた。これで一安心だ。

ブログに載せるご案内の文章は、その後、学内に掲示するポスター、「33」をダウンロード に載せ、さらに、こくちーずhttp://kokucheese.com/event/index/2536/に載せる。

そして、その後に一回でも明日の教室に参加されたことのある方に、メールでご案内することにしている。

今回で明日の教室は33回を迎えた。我ながら良く事務局が続くなあと思うし、本やDVDも出し、さらには東京分校もできるなんてのは、なかなかすごいなあと思う。

で、参加者のメールアドレスが登録されているファイルには、こくちーずで申し込まれた方のものを毎月追加している。当然、常連のみなさんのメールアドレスは、毎回追加されるので、その分は手作業で削除している。そうしないと、案内が数通届くことになるからだ。

で、前回の4月分のアドレスを、今までのメールアドレスが載っているファイルに追加して、ソートして同じメールアドレスを削除してといつものことをしていたら、ちょっと感動。

一回でも参加されたという方の数が、300人を超えていたのである。単純に考えると、一回に10人ずつ増えて33回で300人を超えたということか。

ま、40回を迎えるときに、400人が参加しているかどうか分からない。が、事務局としてはこういうことがちょっとうれしい。人様の役に立てているようなので、うれしい。

を、大雨だったのが晴れて来たな、京都。

   

5/22 明日の教室 読書へのアニマシオン 鈴木淑博先生

5月の明日の教室のご案内です。
5/22(土)です。

Photo

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5月の明日の教室は、「読書へのアニマシオン」を体験していただきます。第33回になります。

読書指導にはさまざまなものがありますが、この読書へのアニマシオンは、読書嫌いな子どもたちのために、スペインで開発されたメソッドです。ゲームをしながら読書の世界を体験するというイメージを持ってくれればいいかなと思います。

小学校の先生を目指す諸君のみならず、幼稚園、保育園でも大事なメソッドではないかと思っています。

アニマシオンとは、「勇気づける」とか「元気づける」という意味です。読書嫌いの子どもたちが、読書の世界に一歩を踏み出すためにあれこれ考えられたメソッドです。とにかく楽しいの一言です。

今回の講師は、慶応義塾普通部という、日本で唯一中学校と名乗らない中学校の教諭をされている、鈴木淑博先生をお招きします。鈴木先生は、あの「嵐」の桜井翔くんも指導されていたとのことです。ご著書には、『子どもと楽しく遊ぼう 読書へのアニマシオン—おすすめ事例と指導のコツ (ネットワーク双書) 』があります。

読書へのアニマシオンでは、参加するものは事前に本を読んでくるという約束事があります。今回もこの約束を守ります。事前に読んでおく本は、池田研究室で貸し出します。以下の三冊です。

『いちご同盟 純愛ー中学編』(三田誠広著 集英社文庫)
『ライオンと魔女』(C.S.ルイス作 岩波少年文庫)
『あのころはフリードリヒがいた』(H.P.リヒター作 岩波少年文庫)

研究室で貸し出しを受けるか、各自読んでから参加してください。

日時:2010年5月22日(土) 13:30〜17:00
場所:京都橘大学 児優館 C502
会費:一般 3000円 学生1500円 苦学生 要相談
なお、懇親会も予定しています。3000円程度

申し込み先は、http://kokucheese.com/event/index/2536/

お待ちしております。




醒ケ井養鱒場

5/5

昼過ぎから出かける。去年もこの日は、ここに行った。米原の近くにある、醒ケ井養鱒場である。こどもの日の今日は、滋賀県人は入場料が無料になるのだ。

ここはニジマスの養殖場である。日本武尊が最後に倒れた場所といわれている付近である。ここの水で体をいたわったらしい。その水を使って、ニジマスを育てている。

今日は、岐阜で32度になったとか。それほど暑い一日であったが、さすがに山の中にある醒ケ井は、涼しい。さらに、ニジマスを育てている川の水は冷たい。青紅葉も奇麗だ。

魚と触れ合うことの出来る小さな池があって、そこに入る。ニジマスの他に、驚くなかれチョウザメもいる。そのチョウザメを抱きかかえることもできるのだ。なぜか、チョウザメは逃げることをせずに、簡単に抱きかかえられてしまうのだ。

当然、私もやる。
娘も、ちょんちょんと触る。

Chouzame

写真は、娘が撮ってくれたもの。

醒ケ井は、青紅葉で満たされていた。
目に心地よい。

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こんなにのんびりしたGWは、就職して初めてではないだろうかと思う。GWは、クラブ指導、研究会、四月からの仕事で終わり切れていない部分の調整等をする時間であって、遊びに行くなんてことは、無かったからなあ。

今年小学校の先生になった元学生さんたちのブログを読むと、疲れ切った一ヶ月だったので、GWはゆったり出来たようなことが書かれていたが、中学校の教員はクラブだからここは休めないんだよなあと改めて思った。ま、どっちが良いのかよく分からないが。

養鱒場では、ニジマス釣りも出来る。
一匹いくらというのと、100グラムいくらというコースがあって、当然後者の方が大きなのが釣れる。で、そちらで楽しむ。

娘は去年もしたのだが記憶には無いので、初挑戦のような興奮のなかで釣りを始める。ところが、これがなんともどんどん釣れる。あまりにも引きが強いので、中に引っ張られてしまうのではないかと心配するほどであったが、楽しく釣りを味わうことができた。

家に帰ってからは、そのニジマスを捌く。
バータ焼き用に捌く。
刺身用に捌く。
ルイベ用に捌く。

Rbt

川魚独特のぬめりがあるのでちょっと難儀するが、そこはそれ、日頃の鍛錬の賜物であっという間に捌く。

ここでいったん菖蒲湯に浸かる。
(あれ、なんかつい最近にやったよなあ)
と思うのだが、確実に一年が過ぎているのである。驚くばかりである。

風呂から上がって調理再会。
バター焼きは、皮を残したまま捌く。
そして、調理もする。
焼く時はちょっとコツがある。
皮を下にしてじっくりと焼くのである。

加熱すると身は丸くなろうとするので、フライ返しなどでじっくりと上から1、2分押さえつける。すると、丸くならずに済む。
その後、身に火が入ってきて、生の部分があと少し残った状態で、ひっくり返し、すぐに火を止める。これでジューシーな身の状態のバター焼きが出来るのだ。

遊んだGWであった。

さて、来週は5月の中で一番忙しい週。
倒れないように、そして、充実を生み出せるように過ごして行こう。

高名の木登りといひし男

5/4

午前中駅前の大きな公園に出かける。

大きな遊具があり、娘はとても気に入って遊びまくる。高低差のある遊具なので、娘よりも年齢の高い男の子でも、怖い怖いと言って泣いているのだが、娘は平気でよじ登って行ってしまう。見ている方が怖い。

が、それなりに考えて行動しているので、私が手を貸すと却ってバランスを崩してしまいそうで、じっと見ていることになる。

徒然草 第百九段から、引用開始 ーーーーーーーーーー

 高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るる時に、軒長ばかりに成りて、「あやま ちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目く るめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ふと、このフレーズを思い出す。
古典は、人間の根っこの部分をむんずと掴むなあと、改めて思う。

午後からは市内に。
まあ、もの凄い人である。

ぶらぶらして過ごす。そして、知り合いと一緒に食事。
あれこれ話しているうちに、結構な時間に。

結構体を動かした一日だった。


メガネザル

5/3

連休中にやらなければならない仕事がある。
貯まっている。
一応、
(この仕事は1時間。この仕事は2時間)
と掛かるであろう時間の目安は立てているのだが、他に火急の仕事や遊びが入るので、なかなかうまくいかない。

なかでも娘に誘われたら、そりゃあお父さんはそちらを最優先にします。

ではあるものの、連載原稿だけはきちんと終わらせなければならない。これを書き上げて、さ、出かけよう。

京都市立動物園に向かう。
動物園でお弁当を広げて、子どもと一緒に食べる。
何気ないことだが、私の夢の一つだった。

次々現れてくる、今まで絵本でしか見ていない動物たちの側まで行って見ている娘。その姿を写真に納めようとする私。
それも夢だった。

ま、京都に来るまではこんな日が来ようとは思えなかったからなあ。

観覧車やミニ鉄道に乗り、ウサギや天竺ネズミ、ミニブタ、山羊、羊に触り、たくさん遊ぶ。

さらに、遊具を発見して遊び倒す。ゾウさんの鼻の滑り台やらなんやら。大満足の娘である。

ところが、メガネザルのところで泣き始めてしまった。メガネザルのところには生まれたばかりの小猿とおとうさんとおかあさんの猿がいた。

Megane

娘のお母さんは途中から市内に買い物に行って、その時は「バイバイ」なんて言っていたのだが、このメガネザルを見たら、思い出したのであろう、大泣きであった。

私は抱っこして、車に乗せて、落ち着くのを待って家路についた。
成長しているなあ。

「お父さん、怒っちゃダメ」

5/2-2

昨日は何をしていたかなあ。
と思い出すが、はて、一瞬思い出せない。
GWである。

高速道路は、名神と阪神で60キロも渋滞しているらしい。たしかに、京都東から淡路島の手前まではとんでもないことになっている。あそこはもうどうしようもなからなあ。

関東の高速道路は、東京から放射状に広がって行く構造になっている。ま、都会から地方へといく道である。しかし、関西は年を繋ぐ高速になっている。京都、大阪、兵庫と。さらには四国や九州に行くのも、ここを通るのである。だから渋滞は続くのだ。

夕方にガーデンに娘と一緒に散歩に出かける。
藤の花が咲き始め、ブドウの良い香りが漂っている。
さらに、モッコウ薔薇も咲き始めている。
こうなると、ガーデン一面が薔薇で埋め尽くされるのもあと少しである。

Mokkou

ガーデンで働いている人は何人かいるけど、久しぶりに会うおばさんに昨日は会った。娘のことは、娘が奥さんのお腹の中にいる頃から知っている。

「あら、久しぶり。まあ、変わらないで可愛いわねえ」

と嬉しい言葉。いわさきちひろさんの絵の中に出てくる女の子に似ているとずっと言ってくれるのだが、それはまあ、褒め過ぎである。でも、それも嬉しいのが父親であるf(^^;。

夕方、ちょっと頭に来たことがあったので、イラッとしていたのだが

「お父さん、怒っちゃダメ」

と娘がいう。いやあ、びっくり。素直に、イラッと言うのを止めました。これからもこうして娘に注意されながら行くんだろうなあと、なんかニヤニヤしてしまったお父さんであった。

2010/05/02

『テルマエ・ロマエ』と『イケてない10代』

5/2

昨日は、本屋でごっそり本を買った。嬉しくなって昨晩から読み進めている。まあ、読むというよりは資料として見る本も多いのだが、あるいみ至福の時である。

気になっていたのが、

『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ著 エンターブレイン)

である。マンガ大賞2010年を受賞したマンガで、風呂をテーマにしたマンガなのである。マンガと風呂。両方とも好きな私としては、すぐにでも読みたかった本なのだが、買いに行く機会が無かった。

爆笑であった。くっだらねーと思いながら、一気に読んだ。
こういうストーリ展開があるとはなかなか面白い。

著者のヤマザキマリさんの生きてきた中で手に入れてきたものを、マンガと言うフレームの中で、このように提示できるのだなあと面白く思う。

今生きているその時は、実に無駄に感じる人生の時間もある。ただ、そこを無駄だからあがくのをやめたとしてしまうのと、今は答えはでない、出せないけど、その出せない自分なりの持ち駒であれこれやっていると、後で大きな力や形になって返ってくるってのは、割と本当の部分が多い。このマンガもそうなんだなあ、
と作品の内容だけではないところで感心する。

同じく、作者の人生が一つの作品になったものとして、

『イケてない10代』(冬川智子著 メディアファクトリー)

もなかなか良いマンガだ。

作者は「おわりに」で自らこう書いている。

引用開始 ーーーーーーーーーー

それにしても、イケてない思い出を、こうして漫画にできる日が来ようとは。あの頃の悶々とした悩みは、この漫画を描くためだった。今はそう思えます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

あの頃の自分は、早くここから逃れたい、脱出したいと思ってもがいているのだが、出られないまま悶々と過ごす。しかし、あれ、ひょっとして脱出できたかも?と思えた頃は、こうして自分の人生の土台を作ってくれていたんだなあと思えるわけです。

そして思うのは、人生はいろいろな逆転が起きるということです。良い方から悪い方へ。悪い方から良い方へ。どちらへも。

生徒の時代、学生の時代というのは、まあ3年とか4年とかの短い期間でその場を過ごすわけです。ところが、学校を卒業すると、もうそれは社会なわけです。

そこから新しいスタートを切るのですが、学生時代にノリノリ、イケイケ(死語?)だった人が、そのまま行くかと言えば、ま、そんなに社会は甘くないわけです。それまでの人生の世界観と違う世界観で生きて行くわけですから。

もちろん、学生時代になんだかパッとしない人だったのが、社会でもの凄く光りだす人もいます。力を発揮する人もいるわけです。

社会に出て10年ぐらいすると、実際に自分の周りにいろいろなことが起きて、いろいろなものが見えるようになってくるわけです。

私も高校時代のあれこれしていた自分に

『ま、いいんじゃないの、それで。人と違っていても良いと思うよ。それなりに良い人生が待っているから、ま、がんばれ』

と声をかけてあげたいなと思うことがありますf(^^;。

読書はやっぱり面白いなあ。

2010/05/01

マッチ売りの少女のように本が訴えてくる

5/1-2

休みだというのに、娘のキックが激しくて早起きしてしまう。六時前だ。折角なのであれこれ考え事をする。文章を書く。本を読む。

ま、昔からGWは仕事をする時間だったので、どこか遠くに行かなきゃという気持ちは無い。四月からの仕事で崩れてしまった体調を元に戻し、授業の進度を確認し、本を読んで研究会に参加してだいたいGWは終わっていた。

ではあるが、久しぶりに買い物に出かける。草津のAEON MALLである。結構大きいので歩いているだけでも良い運動になる。私は本と文房具を購入して取り敢えず満足。学生の卒業論文関連の本を数冊購入できた。

問題意識を持って眺めていると、向こうから
「買って下さい」
とマッチ売りの少女のように本が訴えてくる。面白いもんだ。

あ、結構面白いお酒も手に入れられたので、これも満足。
なかなかやるなあAEON MALLと思った次第である。

帰宅してから娘とガーデンに行く予定が、娘はお母さんの腕を抱えたまま熟睡。折角なので久しぶりに1人で出かけることにする。

ベルギービールを一本もって、さっき買った本を二冊抱えて琵琶湖の湖畔に向かう。持参したガラスの器に少しずつ注いで一時間かけて飲みながら、読書。なかなか良い時間であった。

さ、明日もいい天気になりそうだ。

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか

5/1

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか。
この辺りで昼寝に入ってしまった。
続きは夢の中で考える私であった(^^)。

で、考えた。まじめに素直に勉強する私と、本当にそうなの?と疑う自分の両方が自分の中にいることが大事。

勉強というのは、素直に指導者の指示に従いまじめにやることで伸びる部分が多い。一回一回算数の問題にケチを付けてもダメである。

「リンゴ三つとみかん二つは足すと何個になるでしょう」
という問題に
『そんなものは、足せない』
と言い張る小学校一年生の時の私のような子どもは、アウトである。勉強による成績はなかなか伸びない。先生からも嫌われるf(^^;。

ところが、指導者の指示を疑いも無く受け入れ続ける体を作ってしまうと、今度は先生の説明に、文章の中に疑いを持つことができなくなってしまう。なんでも納得してしまうのだ。だから問いが立たないのである。

ざっくり言うと、高校まではまじめに素直に勉強することを求めているのが日本の学校である。しかし、大学は専門課程に入る頃から、論文を書かせる頃から疑う自分が重要になる。

嘗ての池田少年は、大学生になってやっと日の目を見ることになったのであるf(^^;。ま、同じ世代の仲間からは相変わらず変なやつと思われていたが、上の世代の仲間からはおもろいやつと思われるようにもなって行ったのが、この頃だったなあ。

素直にまじめに勉強しないと、基礎的なものは身に付かない。だからこれは大事。だが、鵜呑みにしないことを意識しないとダメと言うありきたりの答えにたどり着く。

もう少し考えると、勉強においてはなんとか理解のところまでは到達すべきであろう。しかし、納得いかなかったものは、そこに違和感の芽があるはずである。無理矢理納得する必要は無い。そこが大事な部分なはずである。

嘗て、ファイルメーカープロに修士論文のデータを入力しているときに強く感じたことがある。

(を、これは修論の良いデータになるな)

と文献を引用のために入力していると、そのデータは自分の主張を支えるためのデータであるにもかかわらず、そのデータに反論したくなるという経験を多くしたのである。

私は「本当にそうなの?」という部分が強いのだなあと改めて思ったものだ。研究をするためにはこういう私の部分は強みになると思う。が、日常生活を送るには相手から見ると迷惑な存在だろうなあとも思う。

頭のどこかにこの二つを切り替えるスイッチがあって、そこを押すと切り替わる面白いなあとは思う。だが、これは無理。しかし、そういう意識をするだけでもかなり違うんじゃないかなと思う。

少なくとも私は、日常生活をなるべく人様に迷惑を掛けないように生きるために、切り替えて「まじめに素直に」ということを考えて生きている(つもりだ)f(^^;。

私は、違和感だと思っている

4/30

金曜日は体を休める日にしたいなあと思っている。出来ればゆっくりと寝て、だらだらと本を読んでという感じにしたい。

今日は、午前中食事のあとベランダでお茶を飲みながら、本を読む。読んでいたら、睡魔が襲ってきて、さらに娘が襲ってきた。

「お父さん、起きて!」

との攻撃である。しばらく、私の体の上に寝転がって一緒に寝る振りをするが、結局起こされる。私の読みかけの本には何やら怪しい書き込みもたくさんしてある。私が読みながらあれこれ書いているのを真似しているのだろう。

昼前に、娘に連れられて出かける。自転車を押しながら近くの公園に向かう。滑り台とブランコだけの公園だがお気に入りである。

「お父さんも!」

と言われて一緒に滑り台やブランコをする。まあ、公園でひとりおっさんが、ブランコに乗っているのは怪しいので、何となく乗りたい時も我慢していたが、いまは娘のお陰で堂々と乗れるf(^^;。ありがたいことだ。

昼ご飯を外食して、帰ってきたらお昼寝。私も付き合う。付き合いながら、あれこれ考える。卒論指導に関わってのことである。

「全ての意見は反論である」

宇都宮大学教授の香西秀信氏は、このように述べていたはずだ。納得するならわざわざ言わなくても良いわけである。意見は反論だ。

その反論を、主張と根拠を元にして論理的に意見を構築し、反論して行くと科学になる。科学とは反証可能性のことであると、カール・ホパーが言う通りである。

その通りなのであるが、そんなに簡単に反論は見つからないのだ。数学者の藤原正彦氏は、

「論理とは、1足す2足す3足すと繋げて行くものである」

のようなことを述べた後に、

「では、最初の1はどうやって手に入れるかと言うと、論理では手に入れることができない」

と言っている。たしか、『国家の品格』(新潮新書)だったような気がする。じゃあ、どうやって手に入れるかと言うと、藤原氏は直感だと言っていた気がする。

さあ、こうなるとあれこれ考えるのである。
問いがあって、論証があって、答えがある「論文」を書くのに大事なのは、論理性だけではなく、問いを得ることである。そして、その問いを得るには、論理性では得られないということになる。

であるとすれば、その問いはどこから手に入れるのであろうか?
私は、違和感だと思っている。

1)違和感を得る
2)疑問を持つ
3)問いを立てる
4)仮説を立てる
5)論証する
6)答えを出す

という流れである。論理性が必要になるのは、3)から先ではないだろうか。

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか。
この辺りで昼寝に入ってしまった。
続きは夢の中で考える私であった(^^)。

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