そのとき授業は動いた
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娘が発熱。子どもの発熱はあることだが、やはり心配。早起きして対応。本人は真っ赤な顔をしながら、病院に行けること、お薬を飲めることを楽しみにして結構元気。薬を飲ませても
「おいしい!」
という次第。ありがたいことだ。
食べられることは、病気治癒のためにはかなりのアドヴァンテージだ。私は、「食べて治す」ことを親から言われ続けてきたが、これが娘にも遺伝しているようだ。嬉しい。
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大学に行く準備をしていたら、宅急便が届く。
新茶であった。
教師になったときに最初に赴任した学校の卒業生からの届け物であった。名門のお茶屋さんに嫁いだ私の元「娘」からの初夏のご挨拶であった。とても嬉しい。また、そこにはお茶を頂いた以上に嬉しい書き添えがあって、思わず声を上げる。おめでとう。
新茶は、研究室に少し持って行くことにする。
研究室に来た先着数名には、飲ませて上げよう。
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2限の研究入門ゼミ。授業開始30分前まで今日の授業の入り方を決めかねていた。今日は、文章の読解と批判の仕方についてのレッスン。
読み取りの指導では、読み取れないことを指導することと、書いてもいないことを読み取ってしまうことを指導することと、両方の誤読を指導したい。どういう導入で始めようかとあれこれ考えているところに本日の日直登場。
私の多くの授業では、日直制度を導入している。授業前に研究室にやってきて当日の授業の資料を受け取り、授業前に資料を配布するのがその仕事のほとんどである。しかし、これをすることで学生たちと小さな会話をすることができる。これが大事だと思っている。
さらに、この授業では「この花を紹介します」ということをさせている。
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本学は、自然が豊かで学内には四季折々の花が咲いている。この花を摘んで、教卓と休息スペースの花瓶に活けるのである。その際に、学名、別名、花言葉、咲いている場所などのデータを書き込むカードを一緒に置くことにしている。
小学校の先生、保育士になろうとしている学生たちである。出来るだけ多くの花の名前を知っていることが大事だと考えている。だから、少しずつ、一週間に一つ、二つぐらい覚えさせたい。そのためにさせている。
もう一つ。自分の学びが誰かの喜びになるということを考えさせたいのである。日直の学生が選んできた花。そして、その花言葉を載せた「この花を紹介します」カードを見た、他のある人は
(へーっ!)
と思うこともあるだろう。
このとき、学生の学びは他の誰かの喜びになるのである。学んだことが、誰かの喜びになる。この30年間、自分のためだけに学ぶということを続けてきた結果、日本はおかしくなってきたのではないかというのが私の一つの仮説である。だから、誰かのためになるような学びのシステムを意識させたいと言うのが、この実践である。
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で、今日の学生が持ってきたの花の一つが「シロツメクサ(クローバー)」であった。その時、私は、
(あ、これで行ける!!!!!)
と思ったのである。
シロツメクサに関わった写真の読解の教材があったのだ。この写真を使って、非連続テキストの読解の体験から、連続テキストの読解へと導き、批判の文章のレッスンへと導けると一筋の道が見えたのだ。それは、授業開始5分前のことであった。
そのとき授業は動いた。
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ま、そんな大したことではないんですけどf(^^;。
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