無事だと良いなあ
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所用を済ませて大学に向かったのは、9時半を回った頃だ。いつもの道を走り、161号バイパスに合流した直後のことであった。通常なら加速をする上り坂のところで、車が止まっている。いやな止まり方だ。
(あ、事故渋滞だ)
とすぐに感じられた。5分待っても車が全く動かないのである。そこに、後ろから救急車のサイレン。さらには、消防車も駆けつけてくる。危険なトンネル内の事故のようである。
慌てて、車を左側に寄せて救急車両を通す。
◆
事故は本当に一瞬である。
一瞬の判断のミスで事故になる。
雨の月曜日。気分が滅入っていたのか。それとも週末で疲れが取れなかったのか。分からない。ただ、一瞬で起きる。無事であることを願うしかない。
◆
迂回したため、授業へは授業開始ちょうどの到着となってしまった。危ない危ない。
三回生ゼミは、『街場の教育論』の講読。今日からレポーターが進める。ゼミは話してなんぼなのだが、どう話せば良いのかがまだわからないようである。発表箇所のハンドアウトを作る。これは見本を示したので、奇麗に出来ている。
その先である。
自分で議論の説明や反論などを入れ込むことが、まだまだである。本に書いてあることは、全て正しいという思い込みに絡みとられている。
(本当か?)
と思えるか。ここが勝負。
◆
国語科教育法は、去年の受講生も参加。
いま、採用試験に向けての勉強や就職活動への取り組みの真っ最中である。
例によって、
「気合いを入れて下さい」
ということでやってくる。久しぶりに受ける私の授業で、なまっていたものを取り戻したいとのことだ。
授業後、メモをとるのがなまっていたことを述べていた。さらに、教育実習の指導案を作っている学生が、予定している発言を全て文字にして書き出しているということを言っていたので、
『あ、ちなみに今日の私の授業のメモだけど』
と見せたら、驚いていた。
「先生、このメモであの授業をされていたのですか?!」
と。なんのことだか分からなかったのだが、学生からしてみると、もっとたっくさんの言葉が書いてあると思っていたのである。今日は90分の授業のためにA4で二枚弱の授業メモで行ったのだが、それが信じられないというのだ。
『まあ、ここにあるのは、出典とか数字とかだからねえ。あとは、説明の部分は書かなくてもねえ。授業を始めようとしている君と私を一緒にされても困るけどね』
「あ、すみません!」
と言えるところが本学の学生たちの良いところである。自分と比べて考えるのもまあ良いけど、こっちは君達が生まれる前から授業をしているんだからねえ(^^)。
◆
その後、事務仕事。
帰りは、事故のあったトンネルを通って慎重に帰宅。
無事だと良いなあ。
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