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2010/06/13

算数の問題を解く作業が、俳句の読解のように思えてきた

6/12

明日の教室。今日は、稲田塾の前田陽孝先生にご登壇願った。

私が国語で、糸井先生が社会科ということだからではないが、明日の教室は文科系、芸術系の講師をお招きすることが多い。数理系の講師はあまりお招きしたことがない。

今回は、算数指導と言うことで、私は普段使わない部分の脳みそを使うことになる。

具体的な問題を素材にして、考えて解いて、解説を受けて、質問をしてということを繰り返す。

算数の問題を解く作業が、俳句の読解のように思えてきたのには、私自身が驚いた。一見関係のないものの中に、一本通る論理の道筋を見つけ、それを手がかりにして問題を解決してくのである。これが俳句の読解に似ているのだ。

そんなふうに算数の授業を説明してくれたら、文科系の私であっても、算数が好きになったかもしれない。

今回は、参加者がいつもより少なかった。それは、算数ということがあったからなのかもしれないし、塾の先生ということがあったかもしれないし、良く存じ上げない先生ということもあったかもしれない。

だが、ここだと思う。
同じ目的を持ち、違った環境、違う方法、違った考え方を持った方からの学びというのが、とても大事なのである。同じものから学ぼうというのは、小さくまとまってしまうことがある。場合によっては、単なるコピーになってしまうことすらある。

国語の教師が、算数の授業のあり方、やり方から何を学ぶと言うのだ?ということを思う人は、教育や授業のダイナミズムをあまり理解していないのであろう。

さらに、人と同じことをしてどうするのだという問題もある。
もちろん、最低限人と同じことができなければならない。しかし、人と同じことだけを続けていて、何の人生である。

やらなければならない同じことをする。
その上で、人とは違うことをする。
あなたでなければ出来ないことをする。
それが、生きている醍醐味ではないか。

前田先生のお話は、算数指導に留まることなく、その先の、人を育てると言うことはどういうことなのかについての深い示唆を与えて下さった。

小学校、中学校、高校、大学、塾。教育に関わる環境や条件は違うが、その違いを活用し、同じ部分は共有し、今の教育のその先を考える。そんな貴重な機会を頂いた。

前田先生、ありがとうございました。

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コメント

算数=俳句ですか、この感覚は味わったことがありませんねぇ。
私に限らず理系人間は「高校数学はパズル」と思っていると思います。問題を解くキーが見つかれば答えにたどり着く。

この話を妻にしたとき、「数字がパズルに見える人の感性が理解できん」と言われましたが・・・・。

そうですかぁ、俳句ですかぁ・・・
この感覚は味わってみたいなぁ。

いやあ、私もびっくりでした。まさか、算数の問題を解くことが、俳句の読解の行為ににているなんて思いも寄りませんでした。まだまだ人生は未知に満ちているなあと思いを新たにしまいた。

小学校の先生は、全科を教えるわけで、となると体育と理科とか、音楽と社会科とかありとあらゆる教科の組み合わせの中で、新しい発見があるのかもしれないなあと思いました。面白いんだろうなあ。

数学がパズルに見えるようにもなってみたいものですが。たしか、数3まで習ったはずなんだけどなあf(^^;。

部活でした。
優勝もしました。(それが言いたい?)

なかなか行けなくなっているなぁと涙です。

ご苦労さんです。それも大事なことですから。

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