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2010/07/14

「書き込み回覧作文」

7/6

今日は、1、3、6限とイレギュラーな時間割。
1、3限の教科教育法では、作文指導のその2。評価の問題を取り上げる。

従来の国語教育では、作文を書くときにその読者を想定して書かせることは極めて少ないと考えている。なんとなく暗黙の了解で、先生が読者で先生が良いと思う作文を書くということがある。

しかし、私はここに異を唱える。先生は評価し、評定をすることが仕事であるのでこれをしないというのはダメである。しかし、作文の評価の規準を示し書かせることと、先生を読者に設定することは違う。

私は、作文の第一読者はクラスの仲間であると考えている。民主主義を教える教育であれば、まずはクラスの仲間が読んで面白く、ためになって、共感を得られるという作文が書ける必要があるはずである。

「書き込み回覧作文」は、この課題に対応していると私は考えている。やり方は非常に簡単で、書いてきた作文を教室内で一筆書きで回るように回覧し、そこに各自がコメントを書き込むと言うものである。

詳しくは、 
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kokugo/sakubunn/kakikomikairann-sakubunn.htm
にある。

一人の学生の感想である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「おもしろかったー!!」今回授業で回覧作文本当にそう思いました。今まで何度も作文を書いてきましたが、作文でこんな気持ちになったのは初めてです。そんな回覧作文をして、「作文に評価する」ということがすごく印象に残りました。

今までは池田先生がおっしゃるように(文集を:池田注)読んだとしても自分の作品と、好きな子の作品程度でした。言われた瞬間「ズバリそうだった」と思いました。しかし、今回みんなの作文を初めて真剣に読みました。すると「この表現はおもしろい」「わかる、わかる」とすごく楽しかったです。コメントが止まりませんでした。

そして自分の作品が自分のもとに返ってきて、みんながたくさんのコメントをしてくれていてとても嬉しかったです。「もっと作文を書きたいな」と思ったのは初めての経験でした。作文を書きたいと思う子はなかなかいないと思いますが、この方法だったら「書きたい」と思えると思います。

また、忘れた子がいたとしても原稿用紙に忘れましたと書いて回させるということで「他の人の作品はどんどん回ってくるけど自分のはない」という悲しい気持ちになってしまいます。しかし、そんな原稿用紙にもコメントやエールがありました。

怒って無理やり書かせるのでは反発してくる子もいると思いますが、一回そのような思いをしたら「次からは絶対に書いてこよう」と思えるだろうなと思いました。

これぞ「切磋琢磨」だと思いました。クラス作りにもなる授業方法だなと思いました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

想定している読者を仲間とし、その仲間からの評価を受けることの出来る喜びが、この書き込み回覧作文にはあると考えている。

学校は集団で学ぶところ。集団の持つ教育力を活用する教育システムを構築して運用したい。

その後、学生の指導。
コース分け面談。
週末の出張のホテルの予約。

そして、6限は教育実習の報告会であった。

私は、教育実習の指導の授業は持っていないのだが、ここは国語で実習に行った学生たちの報告の指導を分担して受け持つ。三回生も参加。

報告の前に、指導。
実は、今年の実習生は行く前にあれこれ相談に来たのだが、終わってから報告に来た学生は本当に少なかった。今までにないことである。

『そんなこともできない諸君が、教師になっていいのか。社会人としてこの京都橘大学を卒業して行っていいのか。十分に反省せよ』

と指導。

その後の、報告はまあ教育実習頑張ってきたなあと思えるものが多く、なかなではあった。

で、授業が終わって帰ろうとしたら、四回生がやってきて
「先生、すみませんでした」
と謝る。

この辺りの素直さが、本学の学生たちの良いところである。

『ん。気をつけて採用試験や内定に向けて努力を重ねるんだぞ。期待している』

と声をかける。反省すれば良い。次に生かせ。

帰宅して、風呂、食事、さあ、サッカーのために少し寝るかと思ったところで、爆睡。さすがに1、3、6限は疲れた。

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