1/3に新年会をします。
1/3の午後に聖蹟桜ヶ丘か立川辺りで新年会をします。懐かしい方、興味のある方メールを下さい。国立学院の塾の時の卒業生や、瑞雲中学校の時の卒業生が来ます。勿論、吹上や楢原の、皆さんもよかったらどうぞ。お待ちしております。
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「私が食べなければならない」の部分について・・・
仰りたいことすっごくわかります!
我が家の場合、漁師からいただくことがあるので
築地でも手に入れることができないような高級魚でも、
今朝まで泳いでいた状態で「タダ」という事態もあります(笑)
金額も無いとなると、
これは「命」を目の前に突きつけられている状態です。
それを贈り物にする時、このいかんともし難い気持ちの伝え方として、
「熨斗」などの習俗の素晴らしさを知りました。
神様に「はい、キチンと扱ってます」とわかってもらいたいという、
切ない祈りがあるんです。
でも流通の現場では、
そういった気持ちが薄まって薄まって、スーパーに並ぶんですね。
お肉のパックは命のかけらみたいなものなのですが、
スーパーで命を感じるためには想像力が必要ですね。
確かに120円はその想像力を麻痺させます。
やはり、お金は価値の移動ですが、
命の価値を正しく流通させてはいないのですね。
ここら辺の思いを以前まとめたことがあります。
幼稚な文章ですが・・・
http://www.shinra.or.jp/archives/tatsuya/001310.php
投稿: Fire | 2010/09/22 00:03
いやあ、良い文章ですね。
内容といい、タッチといい。
ほんわかのなかに考えさせられるものがあります。
投稿: がはは | 2010/09/22 16:16
おー、あの後にステーキですか!
僕は帰ってすぐに、ベランダに置かれた暗闇に浮かぶハンモックで寝てしまいました。
寝ても覚めても、室内にハンモックをどう設置するかを考えています。
またご一緒してください。
投稿: オーパル中岡 | 2010/09/22 19:01
Fireくん、そう思ってくれますか。うれしい。さすが北海道知床在住。ブログも読みました。そうだよね。そうなんだよ。
スーパーは、その命のつながりを感じさせないように物を売るようにしているのだなと思うことがあります。もちろん、鮮度などは大事に情報化するのですが、命のつながりは断ち切っているのだと。でないと、購入する人が一回一回立ち止まってしまい、買わなくなりますからね。
ま、私のように買わねばならぬという思いになる人もいるかもしれませんが。
いやあ、嬉しい。
投稿: 池田修 | 2010/10/01 11:19
がははさん。いつも嬉しくなるコメントをありがとうございます。
勢いで書いてしまう文章の方が、受けるのかなあ(^^)。ま、タッチはかなり計算して作り出していますが。タッチが心地よくないと、文章を読み進めてもらいにくいですからね。
はい、国語の先生です。
投稿: 池田修 | 2010/10/01 11:21
そして、もうベランダにはメキシカンタイプのハンモックは設置できましたか(^^)。
投稿: 池田修 | 2010/10/01 11:21